【16年1月3日探索・3月24日公開】
現在地はこの辺
大した擁壁など必要なさそうに見える場所だが、石垣が続いていた。
そして、今度は道幅が広くなった。
これでこそ、元国道と言えよう。
これでこそ、元国道と言えよう。
しかし、舗装はされなかったという事か?
そんな国道らしい風格は長く続かなかった。
急に道路は川になって、直進方向には道がなくなっていた。
急に道路は川になって、直進方向には道がなくなっていた。
歩道としては左方向に橋が架かっていたのでそれを渡る。
で、桂川(相模川)の川縁に出てきた。
この平場は国道だった場所なのだろうか?
いつの間にか水路が寄ってきていた。
水門があるが、開放などはされていなかった。
水門があるが、開放などはされていなかった。
その先、まだ行けるのかと思ったが・・・
現在地はこの辺
谷の最も険しい地形の場所ではあるが、この先には行けなかった。
この水路は何の目的のものだろう。地図で見る限り、大月中央病院の方まで続いているように見えるが・・・
その水路に阻まれたのか、別の理由なのか、いずれにせよ道路は残っていないようだった。昭和23年の航空写真(国土地理院の地図・航空写真閲覧サービス、画像の一部を拡大使用)ではこのあたりが一番細い道であるように写っているものの、山のほうに迂回などはされていないようい見えた。
この水路は何の目的のものだろう。地図で見る限り、大月中央病院の方まで続いているように見えるが・・・
その水路に阻まれたのか、別の理由なのか、いずれにせよ道路は残っていないようだった。昭和23年の航空写真(国土地理院の地図・航空写真閲覧サービス、画像の一部を拡大使用)ではこのあたりが一番細い道であるように写っているものの、山のほうに迂回などはされていないようい見えた。
一応山側もキョロキョロしてみたものの、道路らしいラインは見つからなかった。
反対側は未探索なので訪問次第、続編アップという事になる。
(おわり)