【16年1月3日探索・3月23日公開】
現在地はこの辺
今昔マップでは418.46mを示す付近が現在地である。
この先にも轍が続いていた。
明らかに四輪車のものだ。しかも軽トラではなさそうだった。
明らかに四輪車のものだ。しかも軽トラではなさそうだった。
建物があった。
どのような建物かは確認しなかったが、作業小屋か農具の倉庫あたりだろう。
どのような建物かは確認しなかったが、作業小屋か農具の倉庫あたりだろう。
現在地はここ
橋が架かっていた。珍しいな。
小さな沢にはこの日、水が流れていなかった。
橋の造りは桁橋で床板も鉄板張りだった。欄干(というか脱輪防止ガイド)のみが木製だった。
橋の造りは桁橋で床板も鉄板張りだった。欄干(というか脱輪防止ガイド)のみが木製だった。
国道だった時代のものではなかろう。
とは言え、その橋台も気になった。
この石垣は国道時代のものである可能性がある。
この石垣は国道時代のものである可能性がある。
人家からは150mくらい離れているものの、現在の国道20号線の喧騒からはおよそ想像できない旧道だ。
正確には国道20号線であった事はないはずの道だが。
この道は大正9年(1920)に国道8号線として指定され、昭和4年(1929)から昭和27年まではこの区間は国道指定をはずされている(国道は大月から河口湖、御坂峠経由で甲府に至っていた)。
正確には国道20号線であった事はないはずの道だが。
この道は大正9年(1920)に国道8号線として指定され、昭和4年(1929)から昭和27年まではこの区間は国道指定をはずされている(国道は大月から河口湖、御坂峠経由で甲府に至っていた)。
ちなみに国道の現道の方だが、国道20号線として指定される直前くらい(昭和26年頃)に開通していたようだ(航空写真からの判断のため正確ではないかもしれない)。
旧国道は直進になるはずだが、車の轍は右折していた。
本来の目的からははずれるが、右側の道にちょっとだけ寄り道をしてみよう。
本来の目的からははずれるが、右側の道にちょっとだけ寄り道をしてみよう。
これまた作業小屋か。
轍はここに乗り入れる車のものであるようだ。
轍はここに乗り入れる車のものであるようだ。
少しウロウロしてみたが、特に成果なしだった。
本来の目的にもどろう。
本来の目的にもどろう。
先ほどの分岐を直進した。
おっ!
石垣があるでないの!
いつの時代のものか特定は難しいが、相当前から存在しているものだろう。
石垣があるでないの!
いつの時代のものか特定は難しいが、相当前から存在しているものだろう。
(その4・最終回につづく)