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長野県茅野市 コルゲートカルバート

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【13年9月28日探索・14年1月9日公開】
 
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長野県茅野市ちの 国道20号線から左折し中央本線方向へと進む。
 
 
 
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左折すると緩やかな勾配が続く。
右の看板はこの付近にかつてあったとされる金剛寺についての記載である。
 
 
 
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で、このまま進むと中央本線を跨ぐのだが、その直前を左折する。
 
 
 
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み、見えた。
この怪しげなカルバートを私は行きの電車の中から見付けたので、寄ってみた。
 
 
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なので、近づいてみる。
 
 
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さらに、なのだが、この怪しげな施工のカルバート、なんと90度違いで2箇所設置されていたのだった。
 
 
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まずは手前のやつから。
波板スレートかとも思ってみたが、金属製だ。
コルゲートパイプ・・・で、イイのかな?
 
 
 
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もともと正面に見えたほうのカルバートだ。
えらく小さく見えるが、幅員1.5m、有効高さは1.9m程度か。
 
それにしても滅多に見ないな、コルゲートパイプのカルバートなんて。
構造的に弱い何かがあるのだろうか・・・
 
  

埼玉県秩父市 地図記号の橋を追って(その1)

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【13年11月26日探索・14年1月10日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_0?1389281882

埼玉県秩父市大滝 今回の目的地は大血川に架かる2本の橋記号(地図の中央部上と下)を目指す。
こんな場所に橋なんて架かっていたのか!という事実の確認とその橋の形状が気になった。密かに架かる壊れかけの吊り橋なんてものを勝手に妄想してしまうので、この目で確かめる必要があったのだった。

現在地はここ

国道140号線を右折する。
かなり沢山の人がカメラを構えているようだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_1?1389281882

ちょうど訪問日あたりは紅葉がピークになっていたのだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_2?1389281882

私の目的は別にあったので、先に進む・・・のだが。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_3?1389281882

この、何か鋼製のもので覆われてる先なのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_4?1389281882

隙間から垣間見えるのは、どうも坑道の入口っぽかった。
かつてはここも鉱山の一角だったということになろうか。
周囲同様、石灰石がとれたのかも。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_5?1389281882

その近くにあった崩壊寸前のあずまや跡も気になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_6?1389281882

どんどん先に進む。

村道4号線の標柱が建っていた。
元・大滝村道は秩父市道大滝幹線と読み替えでいいのかな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_7?1389281882

現在地はここ

降りられそうな場所を探していた。
どうやらここから下りていけそうだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_8?1389281882

ちゃんとした道が残っているようだ。
この下のほうにある2本の橋記号は、今でもちゃんとした橋が架かっている事が期待された。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_9?1389281882

しばらくは順調に下りていったのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54047446_10?1389281882

下降開始後14分が経過した。

私は道を見失っていた。
道そのものが消失してしまったのか、単に私が見失っただけなのか?

とにかく下に行こうとしたのだが、踏み跡の無い山中は移動に手間取っていた。

(その2へつづく)

  

埼玉県秩父市 地図記号の橋を追って(その2)

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【13年11月26日探索・14年1月11日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_0?1389371072

現在地はこの辺

道は見失った。が、下降開始から19分かけ、大血川の脇まで下りてきた。
するとそこには明らかな踏み跡があった。

地図では下が上流側になる。
まずは上流側に向かうことにした。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_1?1389371072

階段に丸太が使われていた。
ハイキングコース並みに整備されている箇所だった。



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_2?1389371072

コルゲートパイプのようなものが見えるが、おそらく崖のはるか上の林道沿いにあったはずの秩父の水生産工場からの排水だろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_3?1389371072

その先で橋が架かっているように見えたのだが、近づいてみたら、木が倒れていただけ??



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_4?1389371072

さらにもう一つ谷を通る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_5?1389371072

現在地はこの辺

この先、何かがありそうな雰囲気だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_6?1389371072

近づいてみると明らかに橋脚っぽいものがある。
手前にはフェンス跡??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_7?1389371072

そして足もとには・・・

ワイヤーと、岩にめり込む鉄筋+ワイヤーが見て取れた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_8?1389371072

紅葉、綺麗だな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_9?1389371072

ここに架かっていたはずの橋形状だが、どのような橋であったのだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_10?1389371072

一見何も残っていないが、丸印をズームしよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54049107_11?1389371072

丸太+横板部が見えた。
ここに架かっていた橋の形状はズバリ、流れ橋であったと思う。

(その3・最終回へつづく)

埼玉県秩父市 地図記号の橋を追って(その3・最終回)

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【13年11月16日探索・14年1月12日公開】
 
現在地はここ↓

 
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上流の橋は流れ橋であったようだが、現在は架かっていなかった。
結果がわかったのは良かったのだが、探索としては不完全燃焼といえる。
 
で、林道から下りてきた地点の近くまで戻って来た。
あとはこの下流(地図では上側)に描かれている橋記号を探す。
 
 
 
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道なんだか踏み跡なんだかよくわからないところを進んでいく。
何か赤い目印のようなものがあるので、一応人は来ている事にはなる。
 
 
 
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いったん大血川の河川敷まで下りてきた。
 
 
 
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が、もともと広い河川敷でもなく、そこを進んでいこうというのは無理があった。
 
で、わずかな踏み跡のあるこんな場所を通って・・・
 
 
 
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川面からは7,8m上っている。
わずかな踏み跡はここで2手に分かれるのだが、上の何かへ行く人のほうが多いようだ。
 
 
 
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上側の道の目的地はこの祠であるようだ。
踏み跡から想像するに参詣者はそう多くないようだ。
 
 
 
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わずかな踏み跡の、さらにそれが2手の分かれた、その下側を進むと再び河川敷に出た。
 
で、先のほうに橋らしきものが架かっているのが見えた。
密かに期待した吊り橋ではないようだった。
 
 
 
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近づいてみて驚いた。
これ、完全に丸太の一本橋だぞ・・・
 
いったいどうやって渡るんだろう・・・
 
 
 
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単に木が倒れてたまたまここにある訳ではなかろう。
端部の形状がそれを物語っている。
 
しかも丸太はまだけっこう新しいようなので、最近架け替えられたようなのだ。
本当にこれはどうやって渡るのだろうか??
 
(おわり)

静岡県熱海市 来宮駅をくぐる道

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【13年12月8日探索・14年1月13日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_0?1389536572

静岡県熱海市 JR来宮駅近くで東海道本線と伊東線をくぐるには、ほとんどの人は県道11号線の来宮暗渠を利用するだろう。
ちなみに来宮暗渠は大正7年着工、正確な竣工日は不明ながら、大正末期にはほぼ通行出来たものと思われる。
来宮暗渠に関してはBAZUさんの記事で詳しく解説されている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_1?1389536572

現在地はここ

私は超マイナーな「南北自由通路」を紹介しようと思う。
法務局熱海出張所の先を右折する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_2?1389536572

何も案内が無い。
通行していいのか不安になるが、左の方はまだ行けそうだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_3?1389536572

先に進むと、怪しげな地下道があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_4?1389536572

通行していいのか?の不安は拭いきれないが、進入禁止などの表記はどこにもなかった。ちなみに高さは1.8mくらいはあるようだった。

あと・・・通行してよいとして、この現状で強度に不安はないのだろうか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_5?1389536572

地下道の先にも通路のようなものが続いている。
先は階段になっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_6?1389536572

いったん振り返った。
ちょうどここはJR東日本の東海道本線熱海折返し用電留線になっている場所のようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_7?1389536572

正面の階段を上ると・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_8?1389536572

またカルバートがあった。
今度は東海道新幹線の下をくぐる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_9?1389536572

カルバートの先にはさらに階段がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_10?1389536572

さらに追い討ちの階段攻めになっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54052696_11?1389536572

県道20号線に出た。

通行する事自体、まったく咎められる事はないようだが、こちら側にも「来宮駅近道」的な案内は何も無く、地元民しかその存在には気付かないと思う。
JR、もしくは熱海市としてはあまり利用してもらいたくないのか??

  

東京都奥多摩町 都道184号線車道末端へ(前編)

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【13年12月15日探索・14年1月14日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_0?1389624852

現在地はここ

東京都西多摩郡奥多摩町海澤 東京都道184号奥多摩あきる野線の車道末端まで行ってみようと思う。
この都道は26km余りの路線だが、真ん中の約10km(地図読みなので正確ではない)が車両通行不能となっている。
まあその車両通行不能区間のうち、御嶽山山頂付近は都道201号との重複区間で走破済みだが、いずれ全線走破はするつもりだ。
なので、今回は山道になったところで撤収する予定だ。

まずはこの交差点を右折する。


 

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_1?1389624852

しばらく進むとまず最初の気になるものが見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_2?1389624852

現在地はここ

地図上ではまだ幽霊状態で描かれていたトンネルである。
ここがどうなっているのかが気になっていた。

城山トンネル、1908mだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_3?1389624852

照明の管理番号からすると、この未供用部分は都道45号となるようだ。
ここは多摩川南岸道路としての一環であり、城山トンネルは当面、鳩ノ巣大橋近くで国道411号線に接続するようだ。

現地の看板は「舗装工事」となっていたので、トンネル自体は貫通していると思われる。
その舗装工事もこの3月までの予定だったので、早ければ4月にも供用されるかもしれない。



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_4?1389624852

城山トンネルの反対側は近いうちに行ってみようと思うが、今日はこの先の184号線を進む事にする。
海沢川に架かる一付橋を渡る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_5?1389624852

橋の先からが険道(都道だから兎道か?)区間の始まりだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_6?1389624852

左側、味がある石垣だねえ。
右側、下から覗くのを忘れたが、桟橋か盛土にして拡幅したっぽいな。ちなみにガードレールの設置年からすると昭和60年に施工された模様だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_7?1389624852

そんな区間だがまだしっかり2.4kmのキロポストがあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_8?1389624852

現在地はここ

このヘアピンカーブの手前でyahoo地図、mapion地図では都道色が消えている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54054639_9?1389624852

地図が正しければこの照明管理番号シールが最後になるはずだが・・・
車道はまだ続くが、果たしてこの先は都道なのか違うのか??

(後編につづく)

  

東京都奥多摩町 都道184号線車道末端へ(後編)

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【13年12月15日探索・14年1月15日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_0?1389712712

現在地はここ

明らかにyahoo地図では都道色でない区間に入っているが、路肩のガードレールには東京都の文字があった。
この先のカーブミラーはどうかな??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_1?1389712712

ここにも東京都の文字はあった。
地図が違っていると言わざるを得ない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_2?1389712712

奥多摩霊園入口まで来たが、ここでもまだ街灯には東京都の管理プレートが取り付けられていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_3?1389712712

現在地はここ

そして、その少し先・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_4?1389712712

手前の矢印のキロポストは2.9kmのものだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_5?1389712712

そしてその10mほど先にある街灯が184号線の0376番プレートのものだった。

0375番はこの先の山道途中にあるのか?御嶽山山頂地区にあるのか?その先の山道区間なのか?あるいは日の出町側車道のつるつる温泉付近なのか?
いずれ探索をするつもりだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_6?1389712712

もうこの先に街灯がない事をネタばらししてしまっているが、この先にもう少しだけ進む。
この画像は前の画像の場所から15mくらい進み振り返ったところだ。
右に行くと20mくらいで奥多摩霊園の敷地になる。

進行方向はこの画像で言えば手前方向になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_7?1389712712

さっそく出迎えてくれたのは空積みの石垣だった。
ここは未舗装ながら辛うじて車道の体裁を保っている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54056538_8?1389712712

が、そこから30mも進むとこうなる。
車道終了!

今日のところはこれにて撤収!

(おわり)

 

静岡県熱海市 県道80号山伏峠の旧道たち(その1)

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【13年12月8日探索・14年1月16日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_0?1389801247

現在地はここ

静岡県熱海市下多賀 県道80号熱海大仁線の起点にいる。
ここから伊豆の国市との境でもある山伏峠まで旧道を拾いながら上っていこうと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_1?1389801247

まずは起点付近の険道区間を通る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_2?1389801247

JR伊東線は2.5m高さ制限のカルバートにて通過する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_3?1389801247

その先、コンクリ舗装になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_4?1389801247

熱海市道と合流する。
我が県道は主要地方道であるにもかかわらず、市道との合流地点では一旦停止を余儀なくされた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_5?1389801247

この先路面凍結・・・熱海土木事務所という響きのイメージとのギャップがあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_6?1389801247

現在地はここ

まず地図上で疑いの目を向けたのはこの区間だった。
旧道と思しき道は右急カーブになる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_7?1389801247

そして合流する。
地図にはこの先に何かが描かれているが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_8?1389801247

藪でよく見えない・・・
川の上に藪があるという事は、廃橋と見て間違いなかろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_9?1389801247

ボックスカルバートっぽいのだが、橋としての体裁はまだ保たれていた。
路面も辛うじて舗装されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_10?1389801247

まったく地図には描かれていない道になる。
廃橋を渡って右折、川沿いに旧道は進んでいたようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54058275_11?1389801247

現在地はここ

20mくらい進んだら激藪に行く手を阻まれた。

仕方がない。反対側から攻めてみようか。

(その2へつづく)

  

静岡県熱海市 県道80号山伏峠の旧道たち(その2)

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【13年12月8日探索・14年1月17日公開】

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現在地はここ

現道は熱海宮川を渡るのには二之倉橋を通行する。
1999年竣工だ。
となれば旧道が廃されたのも同時期であると考えるのが普通だろう。




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左を見ると・・・
あるんだよね、旧道のガードレールが。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54059998_2?1389890140

現在地はここ

航空写真モードにしてみた。
うっすらと、現道の内側に道があったのがおわかりだろうか??

で、ここ、見るからに廃道なのだが、行ってみよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54059998_3?1389890140

12月とは思えない激藪だった。
ヘリオス号は現道に残してきたが、それで正解のようだった。




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30mくらい進むと不法投棄のテレビなどが捨ててあって、その先にヘアピンカーブがある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54059998_5?1389890140

カーブ突端から撮影してみたのだが、このカーブの雰囲気はおわかり頂けただろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54059998_6?1389890140

元々日当たりがいいせいなのか?
舗装路の廃道歴14年とは思えないほどの木が沢山生えていた。




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右に境界柱が残っていた。




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もちろん静岡県のものだった。
設置年もそう古くはないようだ。




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このススキの藪の先が昨日の記事での撤退地点のようだ。

この区間は一応終了し、先に進もう。

(その3へつづく)

  

静岡県熱海市 県道80号山伏峠の旧道たち(その3)

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【13年12月8日探索・14年1月18日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54061639_0?1389972495

現在地はここ

次の区間は、大変わかりやすい。
地図には親切にも県道80号であるように描かれている。

地図に描かれていた通りの分岐が見えてきた。
もちろんこの先は左折だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54061639_1?1389972495

左折すると、やる気が無いようにしか見えないバリケードたちが横たわっていた。
台風等で飛ばされたのであろうが・・・




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あ、君はもたれかかっているんだ。
でも、職場放棄である事には変わらない。




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路面かは少々はなれた藪の中にも1基あった。

本当に飛ばされたのか??




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まあいい。先に進む。

この区間が旧道になったのは、正確な日付は不明ながら、平成9年5月以降であろう事が現道の電信柱の日付から推測された。
ただ、現道の供用開始と電線ルートの変更はイコールではない可能性もあって、そうなると平成9年(1997)前後という事になろうか。




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まあいずれにせよ15年前後時の流れは止まっている事になる。


この場所で路面の落ち葉を払わなかったのを少し後悔したが、ここはどうも速度制限20kmであったようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54061639_6?1389972495

廃道区間にまだ4kmのキロポストが残っていた。
現道の方にはそれらしい物は見当たらなかったので、地図で描かれていた通り、こんな状態であっても未だに県道指定は解除されていないのかもしれない。




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30mくらい先に現道との合流点が見えてきた。
こちら側はチェーンの簡易バリケードなんだ。

カーブミラーの高さが合わないな。
ここが現役だった頃は、こんな直線的な上りではなく、左に巻くようなカーブで標高を稼いでいたのではないだろうか?




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現道に合流する。
こちら側の簡易バリケードたちはちゃんと働いていた。

普通ならここを左折して終わりなのだが、いったん反対側の膨れた部分(電信柱の裏側あたり)へ行ってみる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54061639_9?1389972495

10mも進んでいないが・・・て、撤収!!

(その4・最終回へつづく)

  

静岡県熱海市 県道80号山伏峠の旧道たち(その4・最終回)

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【13年12月8日探索・14年1月19日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_0?1390056850

現在地はここ

この先の旧道は地図からは消されているので、リンクの地図は航空写真モードにした。

現道は2004年完成の下多賀山伏大橋で通過する区間になる。
この10m先で右を見ると・・・




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旧道の存在は予想していたのだが、その接続部分の状態は机上調査ではわからなかった部分だ。
いやあ、崖をよじ登る事になるのか。




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ここでふと後ろを振り返った。

ん!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_3?1390056850

私が気に留めたのはパラグライダーの人たちではなく、ここがどこかで見た風景だなと思ったのだった。
そう、ウィンドウズXPのトップ画面に似ていたんだ。
もう少し晴れていたらよかったな。
XPの草原画像が載っているサイト




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ヘリオス号は路肩で待機させ、私は5、6mの崖をよじ登った。
これが旧道路面の末端部分になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_5?1390056850

その2m先には突入防止のガードレールが設置されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_9?1390056850

ガードレールを越え5mくらい進み振り返った。
スリップ注意の標識は旧道がまだ現役だった頃のものだろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_6?1390056850

旧道は半分人工廃道になっていた。
この状態で終わるのか、完全人工廃道にしてしまうのかは不明だ。




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その先、速度制限が書かれていたが何キロだったのかは読み取れなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54063622_8?1390056850

200m足らずで現道に合流する。
こちら側は車での進入も可能な状態だった。




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現在地はここ

伊豆の国市との境界、山伏峠に着いた。
左は伊豆スカイラインの山伏峠ICなのだが、このICには料金所が存在しない。
入口、または出口での申告制により利用料金を支払う仕組みらしい。
それだけ需要が少ないという事だろう。
ちなみに私が滞在していた7分間に通過した車は皆無だった。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 三十槌氷柱訪問記

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【14年1月19日探索・1月20日公開】

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現在地はここ

たまには訪問したての記事をお送りしようと思う。

埼玉県秩父市大滝 国道140号旧道沿いに目的の場所はある。
かつて小鹿野町の尾ノ内渓谷氷柱には訪問していたが、こちらは初めてになる。

この先100mほどで左に入る。




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右のガードレールは国道のものである。
ここはウッドルーフキャンプ場の入口になるが、この下のキャンプ場駐車場が氷柱アクセスの拠点になる。ちなみにキャンプ場自体は冬季休業になっているようだ。

どうやら自転車での訪問者は稀有な存在らしい。
管理のおじさんに料金を尋ねたら、料金設定が無い(自動車は500円、バイク200円)ので、この先の施設協力金の箱にでも気持ちを入れておいてと言われ、そうする事にした。




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坂を下ること約2分、氷柱が見えてきた。
ところでこの道、どうも自動車の通行が可能なようだ。
真ん中階段の自動車用道路、好きなんだよな。




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これが天然の氷柱で幅30m、高さは10mになるそうだ。
時間によってはライトアップもされるようだが、そんな時間に訪問したら路面凍結で自転車では帰れなくなりそうだ。




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さらに50mほど上流には・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54065653_5?1390143437

こちらの方が規模が大きいが、これは人工氷柱であるそうだ。
なんだ、人工かと思われるかもしれないが、この寒さのなせる業、幅55m、高さはなんと25mにもなっているようだ。




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1本で10mくらいのもあるぞ・・・

そう言えば売店観察をあまりしなかったが、氷柱のカキ氷なんてあったらおもしろいな(あったかどうか不明です)。




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最後に駐車場近くの上部デッキからも見てみる。
人、小さいな・・・




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という訳で、ジオラマモードにして遊んでみました。

やっぱり寒い時期にしか見られない場所もいいよね。
でも、昨日は本当に寒かった・・・

  

東京都奥多摩町 林道沿いの小さな橋たち(前編)

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【13年12月15日探索・14年1月21日公開】

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現在地はここ

東京都西多摩郡奥多摩町氷川 国道411号線弁天橋の上にいる。
この先を右折しさらに進んだ先に、どうにも気になっている橋記号がいくつかあるので、それを確かめに行こうと思う。





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右折した先は林道鋸山線、檜原村の神戸岩まで繋がっている林道だ。
林道スペックの路肩注意標識が建っていた。




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落石注意に至ってはフェンスに括りつけられていた。




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700mほど進んだところに林道の看板が設置されていた。
反対側まで行こうとすれば13kmあまりの峠道を進む事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54067604_4?1390232566

現在地はここ

まず最初の橋記号はここだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54067604_5?1390232566

発電のための取水施設へ行くための橋だった。
事業者は東京発電となっていたが、東京発電の水力発電所なんてこの近くにあったかな?と思い調べたら、ここから約2km東方にある氷川発電所で使用するようだ。




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橋はけっこう老朽化しており、トタン製(かな?)の足場の踏み板で補強されていた。




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その先で林道は大きくカーブする。が。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54067604_8?1390232566

現在地はここ

私の目的物はここを直進なんだな。

ん! 前方に何かあるぞ!




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モノラックの線路だった。
ここが終点で車に荷物を積み替えるんだろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54067604_10?1390232566

当然、線路を追う。
川、渡ってるじゃん。
これは予定になかったが、せっかくだから少し先に行ってみよう。

(後編につづく)

  

東京都奥多摩町 林道沿いの小さな橋たち(後編)

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【13年12月15日探索・14年1月22日公開】

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現在地はここ

多摩川支流の大沢入をモノラック鉄橋を利用して渡った。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_1?1390317840

そして渡河地点がモノラックの車庫になっていた。
人を乗せるものではなく、貨物運搬用であるようだ。
主に何を運ぶためのモノラックだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_2?1390317840

再び沢を渡り、沢沿いを進む本来のコースにもどった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_3?1390317840

現在地はここ

これでも地図に描かれている橋になる。
ボロボロになった旧橋の上に新橋、というか補強の木桁が設置されている。
設置者が誰なのかが気になるところだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_4?1390317840

岩につっかい棒がかまされていた・・・ように見えたのだが、ただ立てかけてあっただけだった。

この先、道は二つに分かれるのだが、その左側は・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_5?1390317840

旧橋の残骸、というか痕跡があった(注:この後に判明するのだが、ここは旧々橋だった)。
おそらくは吊り橋だったのだろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54069448_6?1390317840

現在地はここ

現橋の方だが、2本の橋が架かっている??
橋上で離合が生じるほどの利用者があるのか??




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と思ったら・・・

これは渡った後の撮影になるが、単に新橋と旧橋の関係だった。
どちらを渡っても良いのだろうが、朽ちかけの旧橋を渡ろうという気は起きなかった。




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こちら側にも旧々橋と思しき橋の橋台が残っていた。
けっこうちゃんと造られたように見える。どう見ても現橋よりも2代前の橋の方がしっかりした造りであったようだ。




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橋の先、20mくらいの場所には徒歩道としては立派な石垣があった。
この道、鋸山林道が出来る前には檜原村との連絡道だったのではなかろうか?
それなりの通行量があったなら今よりも立派な橋が架かっていたというのも納得できる。

ところで、この先約200m地点にも橋記号があったのだが、私は見落としていて結果未訪問である。
いずれ訪問はしようと思う。

(おわり)

静岡県函南町 丹那トンネル工事用軌道跡(前編)

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【14年1月12日探索・1月23日公開】

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現在地はここ

静岡県田方郡函南町平井 丹那トンネル工事用軌道跡を辿ってみようと思う。
丹那トンネルはご存知のとおり昭和9年(1934)に完成した東海道本線のトンネルで延長7804mだ。当初大正14年(1925)完成予定で大正7年(1918)に着工したが、出水等もあり相当の難工事だったという。殉職者も67名にも上った。

そんな丹那トンネルの函南口側には工事用軌道が駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)大場駅から軽便規格で敷かれており、廃止後80年が経った現在でもその痕跡などが函南駅近くに残っているという。

なので、大場駅からここまでは省略し、県道135号線から右に分かれる区間だけ巡る事にしよう。




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そう言われれば、という雰囲気のある道だ。
水路があるが、軌道が敷かれていた頃は路肩側に線路だったのか??




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上の画像から10mほど進むと右に鳥居が見えてきた。

丹那神社である。
工事従業者の信仰があった山神社なども含め、地元有志の手で丹那神社として再整備されたようだ。




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下に見える道路は県道135号線だ。
木の電灯柱が歴史ある道だと主張しているようでイイ雰囲気だ。
白熱球ならもっとよかったのにな。




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このあたりに積卸場があったらしい。
広い空間はその名残か。




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この付近で左に大竹発電所への支線が分岐していたようだが、その痕跡は見つけられなかった。




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ちなみに、上の画像の場所を県道から見るとこんな感じだ。




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その先、何かこう、廃の匂いのする一帯があったが、工事用軌道とは関係なさそうだった。

(後編につづく)

  

静岡県函南町 丹那トンネル工事用軌道跡(後編)

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【14年1月12日探索・1月24日公開】

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現在地はここ

住宅地の、正確には住宅地裏の軌道跡になる。
この道路側に玄関のある家がなかった(たしか)事からも、元々道路ではなかった事を示していよう。




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軽トラと思われる廃車が放置されていた。
路面に直線的なつなぎ目のようなものが見えるが、一応線路が下に埋もれている事は疑ってみた。



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現在地はここ

この先は中川製紐の工場になる。
工事用軌道はもう150mくらいは先に延びていたようだ。
そして・・・




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丹那トンネル(これは函南駅ホーム端から撮影したもの)の右側付近が終点だったようだ。




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現在地はここ

工事用軌道には大竹発電所への支線があった。
この発電所は火力だったが、必要電力のほとんどは近隣の水力発電所からの供給で間に合っており、あまり稼動しなかったようだ。

そんな支線の、というか丹那トンネル工事用軌道最大の遺構はこの先にある。




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冷川に残るこの2基の橋脚こそ、工事軌道の遺構であるという。
廃止後80年経っても残っているのだ。




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少しズームアップしてみた。
橋脚の形状からするとガーター橋であった可能性が高い。




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支線の終点でもあった大竹発電所はこのあたりにあったようだ。

(おわり)

  

山梨県韮崎市 駅近洞窟寺院

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【13年10月20日探索・14年1月25日公開】

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現在地はここ

山梨県韮崎市中央 工事中の市道韮崎1号線を下ってきたところで、何か気になる雰囲気を持つ場所を見付けた。

後から気付いたのだが、この手前の急階段は窟観音(あなかんのん)という洞窟内の観音様への参道となっている。




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私が気になったのはこの隧道だった。
進入禁止等の表記はない。行ってみよう。




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少々ピンボケ写真になってしまったが・・・
予想もしなかった市街地での完全素掘隧道の出現だった。




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反対側に抜けようと思ったが、人の声がした。
境内を掃き清めている人らしかった。
ここで私はようやくこの隧道の立地を理解したのだった。




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隧道は抜けずに戻ってから表側に回ってきた。
この先に隧道反対側坑口があるはずだ。




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とりあえず正面から・・・!!




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おお!!
ここはいい場所だにゃ。
とは言え私は猫には完全に無視されたのだった。




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そしてもう1匹も私に愛想はくれなかった。




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窟観音を擁する雲岸寺というのか。

猫もいた寺なので参拝したかったが、帰りの電車まであと6分しかなかった。




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そして韮崎駅ホームから見ると・・・

窟観音とは別の観音様(平和観音)がよく見えた。

2つの観音様、いずれ再訪しゆっくり参拝しようと思う。

  

静岡県清水町 廃橋でも土木遺産・柿田眼鏡橋

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【14年1月12日探索・1月26日公開】

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現在地はここ

静岡県駿東郡清水町堂庭 清水町役場からも程近い場所に目的地はあった。
この先に湧水で有名な柿田川があるのだが・・・




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その柿田川に架かる柿田橋から見た光景になる。
現道の橋のすぐ下に明らかに廃となっている橋が放置?されていた。




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現在地はここ

柿田橋の袂には駐車場があって、その隣から河原に下りる事ができる。

ここで2つの驚きがあった。
一つ目は水が、とんでもなくきれいな事だった。
画像では見た目ほど青くないが、こんな青く透明な水は今まで見た事があっただろうか?

そしてもう一つの驚きは・・・




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アプローチの階段が急すぎる事だった。




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この手すりの角度は45度を超えていた。
道路勾配に変換すれば100%超えの超急勾配という事になる。




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もちろんこれを超える急階段くらい、まだあるとは思うが一応観光地とされる場所へのアクセス道としては特筆モノだ。




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水、本当に感動するほど透明なのだ。

柿田川は全長1200mであるが、その水の全量が富士山の伏流水で濁度0、色度0の水がなんと毎日120万トンも湧出しているという。

ちなみにこの地域(沼津市・三島市・熱海市・函南町・清水町)の水道水は柿田川からの取水で、日本一良質の水道水とも言われている。




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で、廃橋の方だが、柿田眼鏡橋としてCランクながら土木学会の土木遺産に指定されている。
明治42年(1909)竣工の石アーチ橋で、かつては人馬がこれを渡っていたのだろう。
土木学会資料によれば昭和6年(1931)には道路橋としての役目を終えている事になっている。

現・柿田橋は昭和49年架橋なので、その間の世代の橋が何本か架かっていた事になる。




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現在はまったく渡橋は叶わないが、廃止後80年以上もこの水量に耐え続けている石アーチ橋に拍手を送りたかった。

  

神奈川県山北町 県道710号旧道(前編)

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【13年11月3日探索・14年1月27日公開】

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現在地はここ

神奈川県足柄上郡山北町神縄 県道76号山北藤野線からこの先で左に分岐する道がある。
いかにも県道710号(神縄神山線)が分岐しているっぽいが、元々この道は県道76号ではなく神縄神山線(当時の県道番号は不明)のもので三保ダム関連工事で拡幅し付替られたのだ。
ちなみに県道710号線旧道はこの手前の区間に200mほどあったのだが、レポはここからとしよう。




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左折すると一方通行になっているが、元々はこれが本来あった道幅なので、対面通行で路線バスも走っていた道路という事になる。




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県道76号をくぐるカルバートは、昔は当然なかった(はず)。




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現在地はここ

ここで合流する道だが、実は710号三方開花なのだ。
左は終点方向、右は起点方向、そして正面の登っていく道は710号旧道になる。




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チェーンが張られた簡易ゲートがあった。
今回はほぼ確信犯的な、脇からスルーして突破した。




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現道が昭和52年(1977)に出来ているので旧道落ちからだと35年以上が経過しているが、それなりに利用されていた期間があったはず(後述)で廃道としての歴史はそう長くないように見えた。




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廃道ではない期間があったと推測する根拠は、先に見えた橋の存在だった。




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この跨道橋、えばたけ1号橋というネーミング情報だけが得られた。




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下を通るのは現・710号線だ。
現道開通後も旧道を残す理由があったから、えばたけ1号橋を架けたと考えるのが自然と言えよう。




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すぐに「えばたけ2号橋」があった。
こんな小さいの、普通見落とすだろ!しかもガードレールに銘版設置だし。

ところで「えばたけ」って何だろう?字の名かな?

(後編につづく)

  

神奈川県山北町 県道710号旧道(後編)

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【13年11月3日探索・14年1月28日公開】

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現在地はここ

右側は資材置き場だろうか。
車も停まっていた(確か)。




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その先の直角に近いカーブを左に曲がる。
こんな険しい箇所を路線バスとか通っていたのか!?




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現れたのは隧道だった。
三神隧道、隧道データベースによれば延長36m、幅員4.8m、昭和25年のスペックを持つ。
隧道データベースの情報は昭和43年時点のものである事が多い。その時点ではまだ未舗装だったようだが、昭和52年の地図には舗装路色が塗られていた。

昭和40年代後半くらいに舗装されたのだろうか。




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枯葉が少々多い気はするが、造りは問題ないように見え、通行には何も心配ないだろう。




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反対側坑口はやや怪しげだった。




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旧道の残りはあと約40mくらいか。
先にチェーンゲートが見えてきた。




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鎖の向こう側、約20mで現道に合流する。

が、その前に!
この右側にあったのは・・・




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小さな廃橋だった。

山仕事の人たちが利用していたのだろうか?




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現道に合流した。
帰路は現道の神縄隧道を通ったが、少なくとも坑口は怪しい雰囲気だった。

(おわり)

  
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