【13年10月12日探索・12月31日公開】
橋の親柱には「かささぎ橋」と平仮名で書かれていた。
ちなみに、右側の親柱には「白雲の瀧」と書かれていた。
そう、ここは滝の途中に架かる、非常にレアな橋なのであった。
本当にすごい迫力だ。
これだけの眺めが一般の観光客に公開されていないのは誠に勿体ない。
昭和25年に架けられたと言われる橋だが、まだその強度には問題なさそうだった。
そんな橋は手持ち無沙汰であるはずだった。
橋は、久しぶりの観光客の相手をしてくれた。
「鵲橋」のネーミングだが、日光界隈どころか関東にはカラス科の鳥「カササギ」はいない。
wikipediaで鵲橋を調べると以下のような記載があった。「中国の伝説で旧暦の7月7日の七夕の日に天の川上にできる橋の名前である。この橋は織姫と彦星が出会うためにできることから、鵲橋とは男女が良縁で結ばれる事を意味する」
命名は明治33年に中禅寺からここまでの道を開いた星野五郎平さんが付けたとされている(この橋は3代目らしい)が、きっとこんな意味合いからの命名なのであろうと思う。
旧遊歩道はまだ続く。
こうなったらやっぱり最後まで行きたくなるのが人情?というものだ
ここで振り返った。
こちら側の親柱の右側にあったであろう文字は欠落していて、左側には反対側と同じ「かささぎ橋」という平仮名表記があった。
古い階段の上に、割と新しいパイプで「安全通路」が確保されていた。
元々トラロープがあったであろう所に、少しは頼りになりそうなパイプ製の手すりが設置されていた。
ここもまあクリティカルではあるが、このくらいだったらどうにか開放できないものか?
あの白雲の滝の眺めは一見の価値があると思う。
白っぽい建物が見えてきた。
この扉の向こう側は華厳の滝への通路であるはずだ。
エレベーターからの地下通路の途中の曲がり角にある扉で間違いなかろう。
なので、あまり近づいてシルエットがわかると騒ぎになる可能性があった。
その5m先、右の通路を進めば華厳の滝の観曝台へ行けるだろう。
しかし私はここを探索の終点と定めたのだった。
それは、中央左の白っぽいあたりが観曝台のようで、そこには何人かの人の姿が見えたからだった。
私はここまで通行禁止箇所は通っていないはずなのだが、それでもむやみに目立つ行為は慎みたかった。
ちなみに、ここまででレポ開始地点の馬返からだと1時間40分、馬道発電所入口の崖下からだと1時間10分が経過していた。
★お読み頂きありがとうございます。これで連載は終了です★
※追記※
「その6」で水管トラス橋が国道121号栄橋の旧橋流用の可能性について言及しましたが、栄橋の旧橋は昭和4年製の木製トラスであったようなので、違ってました。
田原製作所などの製造社名、竣工年月でも調べてみましたが、橋の素性は今のところ不明です。