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山梨県北杜市 県道23号線旧道(その1)

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【13年10月20日探索・12月21日公開】

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現在地はここ

山梨県北杜市須玉町江草 県道23号韮崎増富線だ。
通仙峡の手前になり、探索の時系列から言ってもこの記事の前に訪問していた。

現道は新紅葉橋(2000年9月竣工)とその先、鳥井坂トンネル(延長325m・2000年9月竣工)で一気に難所を克服しているのだが、旧道は・・・




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いきなりヘキサがお出迎えしていた。
そして先には簡易バリケードがあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54008921_2?1387558423

廃止後約13年、熟成具合はなかなかのものになってきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54008921_3?1387558423

現在地はここ

塩川を渡る赤い橋が架かっていた。
これが紅葉橋、昭和38年生まれである。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54008921_4?1387558423

橋自体はあまり面白みがないな。
一応廃橋という事にはなろうか。




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その先、がけ崩れであろうか?




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近づいてみたら、崩れていたのは路肩部分だった。
ガードレールが宙ぶらりんになっていた。

つか、廃道となってからであれば新たなガードレールなんて必要ない。
ここが崩れたのは廃道となる前の出来事なのではなかろうか?



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イ、イラクサがいっぱい・・・
秩父でイラクサに触れその後被れたので、少しは気に障る事になった。




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穏やかな旧道だが、私的には熟成が足りない。


(その2へつづく)

 

山梨県北杜市 県道23号線旧道(その2)

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【13年10月20日探索・12月22日公開】

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現在地はこの辺

右側、イラクサが多いって!

私は秩父の廃道でこれに触れてしまったことがあり、それ以来気をつけてはいるつもりだ。ホントに痛痒くなるんですよ。
皆さんもしそに似た葉の雑草には気をつけて頂きたい。




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道路の幅員は特別狭いわけではないが、左の路肩の下は渓谷で右はこんな高い崖だ。
落石注意&路肩注意の、逃げ場のない雰囲気は通行のネックになっていたに違いない。




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そこを抜けると、何だかイイ感じの廃れ具合の路面が続く道になった。




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右側の丸石の石垣もなかなかイイ雰囲気になっていた。
ここで左を見ると・・・




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ちょうど現道の真上だった。




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現在地はこのあたり

少し先にこちら側のチェーンバリケードがあった。




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その少しだけ先に残っていたものは・・・




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増富ラジウムラインの看板だった。
設置年は昭和62年のようだ。この時に愛称が付いたと考えられる。




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その先にも残っているものがあった。




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県道23号のヘキサだった。
こちらは平成6年の設置なので、6年間だけが現役でその後の13年間はたまに通る地元の人の目にしかふれないものになってしまっていた。




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ヘキサの少し先で旧道はいったん現道に合流する。

(その3・最終回につづく)

  

神奈川県山北町で会った猫たち

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【13年11月3日撮影・12月22日公開】

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現在地はここ

本日2本目のアップ記事は、久しぶりの猫たちになる。

神奈川県足柄下郡山北町中川 県道76号探索中に出会った猫だ。

ちょうどこの左の路地を覗いたところ・・・




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白黒猫が歩いていた。




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すぐ近くの民家の軒先に猫たちが集まってきた。




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先ほどの白黒猫もいた。




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時刻はちょう正午になろうとしていた。
きっと昼ごはんの時間なのだろう。

  

山梨県北杜市 県道23号線旧道(その3・最終回)

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【13年10月20日探索・12月23日公開】

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現在地はここ

現道に合流してから約1kmは現道をそのまま走る。
で、ここを左折するのが県道23号の旧道になる。

この区間はダム工事に際して付替えられた区間になる。




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しばらくは穏やかな雰囲気の緩やかな登り坂が続く。




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右の建物は「須玉町出身者会館」という名が付いており、清瀬市駅前の●州屋(上州だったかな?)さんが連絡先になっているようだ。雰囲気的には使用されているのかどうかも不明だ。
ところで「清瀬」なら西武池袋線にあるが「清瀬市」という駅は存在しないはずだが・・・




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その近くで変わったものを発見した。




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道路拡張工事に際して土地提供の感謝状が石碑になっていた。
ところで「町道比志樫山線」とはこの道ではなさそうで、そもそも昭和62年時点ではここは県道だったはず・・・いや、ダム本体工事が平成元年から始まっているので、けっこう微妙な時期だったかもしれない。




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現在地はここ

集落は途切れ、このあたりから険しくなってきた。

ちなみに黄色い看板はこの先の異常気象時通行止になる予告看板だった。




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幅員は5m強、ダンプカーがどうにか離合できるかというところだ。
ただ、落石&路肩注意という油断ならない場所ではあった。




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落石って自然にある場合と、このような人工物が落ちてくる場合だってある。




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現状の終点になる場所が見えてきた。





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現在地はここ

ダム関連の施設があるのだろう。この先は柵があるので、この場所で撤収となる。
ところで左に何かあるぞ。




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橋台だった。
地図では橋が残っている事になっていたが、撤去されたようだ。

ちょうどここが県道23号と県道610号原浅尾韮崎線の重複区間が終わり、その分岐地点だったようだ。
この橋台は県道610号線のものだった可能性が高い。

(おわり)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その1) 

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【13年10月12日探索・12月24日公開】

★(記事のアップ時点では少々フライングだが)おかげさまで40万アクセスを達成しました。訪問して頂いたすべての人に感謝すると共に、これからも更新を続けていきますので、どうぞよろしくお願いします★

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※記事を読み安易に真似すると危険な可能性があります。もしあなたがこの場所へ赴きそこで事件・事故に巻き込まれても作者はその責は負いません※

現在地はここ

栃木県日光市細尾町 ここはいろは坂が登り専用の第二と下り専用の第一に分岐する手前、馬返と言った方がピンとくる方も居られよう。

今回連載する記事は以前の連載の続編的なものになる。その記事も未読で興味のある方はぜひともご覧頂きたい。
その1 その2 その3 その4

なんとかしてあの華厳渓谷へ、ゲート破りなどせずに到達したかった。
しかしこちらの方のような汚水まみれになりながらの、しかも一つ間違えたら命すら危険なリスキーなルートは避けたかった。

これは、やはり時間的な事もあって断念した、前回のルートからの再チャレンジだ最も現実的だろう。




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途中までは再訪になるのでサクッと行こう。
興味のある方は以前の記事を(上のリンク)をクリックして頂きたい。

車両は下り専用の第一いろは坂を「逆歩」する。ヘリオスも同伴だが、押しなので歩行者である。
こんな崩落を見ながら・・・




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栄橋のポニートラスを過ぎ・・・




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1km強ほど進んだ所が入口だ。




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馬道発電所方向へと進む。




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斜面の崩落、こんなに激しかったっけかな?




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いよいよ勝負の始まりの地、発電所手前の橋が見えてきた。





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現在地はここ

上路トラスの橋手前だ。
ここに注意看板が設置されていた。
発電設備とその付帯設備には立入禁止・・・覚えておこう。





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なので、馬道発電所のフェンス越えやこの右からの進入はアウトだろう。




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現在地はここ

そこで、どうやって合法的にフェンスの向こう側へ到達するか、その攻略法を再度考えようと思う。

地図を見ると、山の上には送電線と思しき鉄塔らしき記号が描かれている。
なんとかこの山の上に到達できれば、あとは管理通路のようなものがあるのではなかろうか?
あとはこの斜面をどうやって登るのかだ。

緩やかな斜面ではないが、私はこのようなイメージで進めば山の上まで行けるのではないかと考えた。




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はじめの一歩!

けっこう滑るんですけど・・・

(その2へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その2)

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【13年10月12日探索・12月25日公開】

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現在地はこの辺

時折滑りながらも第一の目印としていた岩の近くまで登ってきた。
ここはちょうど昨日の記事の画像の左カーブのポイントでもあった。




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さらに岩を巻いて登る。
前の画像のところからだと10m位しか進んでいないが、この移動だけでも3分を要していた。
そしてここを登り数歩歩くと・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54014054_2?1387810658

あえて画像は加工しなかった。
この画像を見て、踏み跡があるのにお気づきだろうか?

あるいは獣の通り道であったかもしれないが、うっすらとではあるが踏み跡があった事で私はこの登りを突破できる見込みが立った。

このガリーのような場所は踏み跡をなぞり、あとは右の木が多いエリアを巻きながら登る事にした。




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第一のポイントが見えてきた。




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現在地はここ

地図に記号が描かれていた送電線の所まで登ってきた。
下からここまで要した時間は11分、まあ順調と言えようか。

ここで「発電設備と付帯設備立入禁止」を思い出した。
少し考えたが、ここは自分に都合よく、発電付帯設備ではなく送電設備だろうと解釈した。
馬道発電所は大正13年(1924)操業開始なので、この送電線鉄塔もその時代のものかもしれない。




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ここで古河日光発電・馬道発電所を上から覗いてみた。




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やっぱ気になるのはこの仮設橋・・・
骨格だけになっているぞ!




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とりあえず渓谷へのルートを探す。
鉄塔横から平場が続いている・・・ように見えたので、進んでいく。




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やっぱり右下の仮設橋が気になる。




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ポニートラス橋の右側にはスレートか鉄板が置いてあるようだった。
4月には既に設置されていた橋と思われる事から、これから路面を設置するのではなく、撤去が始まったと考えるのが自然だろう。
古河日光発電(株)のHPを見ると、沿革の中に、馬道発電所1号機は今年更新されたという記述があった。
その関連工事のための橋だったと思われた。




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で、私の進路だが・・・

平らな面がほぼ皆無になった。
送電線鉄塔があったのだからそのメンテ用に通る道があるはずなのだが・・・

実際、ここがそうなのかもしれない。
1歩ずつ慎重に進んでいく。

(その3へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その3)

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【13年10月12日探索・12月26日公開】

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現在地はこの辺

通路というにはあまりにも頼りない踏み跡が復活した。
しかしながら踏み跡が続いているという事は、渓谷側の歩道まで行く事ができる事が期待された。




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この画像は渓谷側、つまり下を向いて撮影した。

だんだん踏み跡が薄くなってきた。
そう急斜面ではないので、あとはとにかく下降する。




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降りられる終端まで下りて来た。




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仮設橋の反対側が見えた。

橋は中途半端な終わり方だった。
工事の最中にはクレーン車でも設置していたのだろうか?

実は密かに、仮設橋を利用したら華厳渓谷に到達できるのではなかろうか?と考えていた。
その答えはNOだった。
確かに華厳渓谷には到達したと言えなくもないが、歩道の反対側なのである。
これは致命的と言わざるを得ない。

そもそも、仮設橋なんか通行したらその時点でアウトなのはわかっていたが、華厳渓谷への進入が容易ではない事が予想されていたので、ついそんな事まで考えていたのだった。




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で、仮設橋が間近に見られる場所まで、つまり歩道まで水平距離では1mまで近づいたのだが・・・

高さの壁があった。
約3mほどの擁壁の上に到達したのだった。これでは下りられない。
この日の装備品には簡易ロープを持っていたのだが、上の大きな木にロープを結びつけたとしても、長さも足りないし、おそらく強度も足りなかっただろう。

帰りの事も考えたらもう少し低くなる場所を探さなければ!




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30mほど上流に進んだだろうか。
これは奇跡の斜面かも!!

私はこの斜面を降りた。




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現在地はここ

反対側のスタート地点から22分を要したが、ついに華厳渓谷の歩道に立つ事ができた。




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下流方向は馬道発電所が約100m先にあるのがわかっていたので、上流方向に歩を進める。

カーブを回ったらいきなり先に橋が架かっていた。




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いつ頃架けられたものだろうか?
かなり華奢な木製吊り橋だった。

昭和20年代には遊歩道であったらしいが、まさかその時代のものではないとは思うが、それも否定しきれない。




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主塔は古レールを曲げたものだった。
これはレアだな。少なくとも私は初めて見る。

ワイヤー、ずれたりしないのだろうか??




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予想はしていたが、けっこう揺れる橋だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54016246_11?1387899220

こちら側の主塔はレール製ではなかった。

パソコンの画面でしか見ていなかった光景を目の当たりにする。
私のテンションは上ったのだが、何かトラブルがあっても誰も助けに来てもらえるはずもない。当然ながら携帯は通じない。気を引き締めて行かねば!!

(その4へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その4)

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【13年10月12日探索・12月27日公開】

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現在地はここ

すぐに次の吊り橋が架かっていた。
再び華厳渓谷を渡る。

手前に建っている木製電柱は橋とは関係なく、吊り橋の主塔も(確か)無かった。主索は直接岩にねじ込まれていた構造だった(はず)。




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この橋は先ほどの1号橋よりもさらによく揺れた。
床板には若干の不安があるようだが、なぜこうも揺れるのだろう?というほどの揺れだった。




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向こう側の接続部、明らかに傾いているぞ!




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反対側は地面から明らかに浮いていた。
何かひん曲がっているようにも見えたが、落石が直撃したのか、主要なワイヤーに重大な不具合が生じたのかまではよく見なかった。




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さあ、さらに上流へ行こう。
ここも通路の復旧はされたものの落石の跡が凄かった。




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10月中旬だったが、少し紅葉が始まっていた。
無人の渓谷のこんな光景を独り占めできたのは、ある意味贅沢だった。




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路面が舗装になった。
とは言っても石畳に近い舗装だ。
これは昭和20年代に存在していたという遊歩道時代の名残である可能性が高い。




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ここもまた明らかに最近復旧された場所であるようだ。




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左を見るとこのとおり。
この谷に、かなり凄い土砂崩落があったようだった。




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先ほどから「落石注意」や「足もと注意」の表記が何ヶ所かにあった。
これって、発電所関係社員のための注意喚起だろうか?
それとも一般人の通行が前提とされた表記なのだろうか??




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確かに落石&足もと注意だな、これは・・・




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華奢な手すりのあるシングルトラックを進む。
しかし、こんなところでクマでも出ようものならホントにヤバイよな・・・

(その5へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その5)

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【13年10月12日探索・12月28日公開】

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現在地はこの辺

階段とその階段に覆いかぶさるような鋼製メッシュのスロープが見えた。
スロープは何のために造ったのだろうか?大きな何かを運搬するのに転がしたとか??




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そんな予想はいとも簡単に崩されたようだ。
しっかりした鋼製スロープは最初の1ステップだけでその先は朽ちかけの木製だった。

そうなると設置目的としては、積雪時の安全通路確保あたりだろうか?




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しかしその先の階段にはスロープは設置されていなかった。

木製電柱は「水源線 9番」のプレートが付けられていた。
下に「昭」の文字があるのは普通に読めたが、設置年を示していたであろう数字の判読はできなかった。




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「ダムからの放流により、急に増水することがありますから注意して下さい」という日光土木事務所が設置した看板があった。
河川管理者としての設置であろうが、ここは一般人が通行してよい道なのかどうか半信半疑な私にとっては心強い材料だった。

ところで「ダム」なんてこの辺にあったかな?とも思ったが、華厳の滝上流にある中禅寺ダムを指しているようだ。




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20mくらい進んだ。
先にまたスロープがあった。




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鋼製メッシュの、先ほど見たタイプのものに似ているようだ。




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現在地はここ

3号吊り橋の袂まで来た。隣には旧橋のものと思しき主塔?が残っていた。
yahoo地図ではここは2本の橋で、渓谷を2度渡るように描かれている。
3号吊り橋は平成14年1月竣工となった比較的新しい橋だし、山奥だったので地図の更新がなされていないようだ。




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吊り橋の長さは60mくらいはあろうか。
群馬県のこの橋ほどではないが、全体に勾配がある珍しい吊り橋と言えよう。




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で、現橋の近くには旧橋(3、4号吊り橋?)の遺構と思えるものが残されていた。

奥に見える崩落地はどうも旧橋の渡橋中継地点であったっぽかった。
これじゃあ、以前のルートは危険すぎと言わざるを得ない。




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旧橋の遺構だろうが、この橋脚?からは橋の構造が想像つかない。
何か三角状のものが突き出ているが、よく見ると古レール製で、よくこの角度でひん曲げたと思う。




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これも橋脚っぽいな。
ここに架かっていた2本の橋のうち少なくとも1本は吊り橋ではなかったかもしれない??




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3号吊り橋を渡った先にも、吊り橋遺構のようなものが落ちていた。

(その6へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その6)

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【13年10月12日探索・12月29日公開】

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現在地はここ

何かの施設と建物と水管橋らしきものが見えた。
「山行が」でももちろん見た記憶のある場所だったが、直近ではあえて閲覧しなかった(少しでもその場での感動を得たいため)。




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まずは階段の横にある施設だ。
穴があったので入れないかと思ったが、封鎖されていた。




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その上部である。プールだった。
水管橋が隣に架かっているのだが、その水路に関連するものであろうか。




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先ほどと同じ増水注意の看板とその先には発電施設と付帯施設立入禁止の看板があった。
ここで私はたじろいだ。
ここから先には行ってはいけないのか??

・・・しかし、よく読みなおしたら「通路」だけを通れという解釈ができた。
その解釈が正解だったのかはわからないが、先に進む事にした。




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それでもこの沈砂池と思しき池の縁を通る通路脇には監視カメラ(右の茶色の電柱の下)が設置されていた。
これには写りたくなかったので、通路部分の進行には注意を払う。




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木の山小屋風の建物だが、白雲荘と名づけられている。
単なる監視小屋としてはしっかりした造りのようで、緊急時には宿泊する事も可能だと思われた。




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さて、華厳渓谷を跨ぐ水管橋だが、昭和10年7月竣工・東京田原製作所製造のワーレントラス橋であった。
また、この反対側、ちょうど監視カメラの下あたりには「平成10年9月16日に台風5号による被害で橋台が転倒し沈砂池が流出した」旨のプレートがあった。
さほど新しい池には見えなかったが、近年にかなり大掛かりな修理がされたようだ。




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水管橋の上部には「通路」が付いており、私はそこを利用し左岸に着いた。

先ほど昭和10年竣工と書いたが、実は反対側中央部には別の銘版があったのだった。
それによると「古河鉱業株式会社 馬道水源水路鉄管 製作 佐藤工業富山工場 昭和27年7月」とあった。
トラス部分と水管の竣功年も製造所も違うので、トラス部分は転用である可能性が高い(後で山行がを見直したら大御所さんがすでにその可能性について述べてました)。

ん?昭和27年・・・
まさかここに来る途中に架かっていたはずの国道の栄橋旧橋(ちなみに現・栄橋は昭和28年11月竣工)なんて事は??




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一連の構造物たちに別れを告げ、先に進む。




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現在地はここ

右に怪しげな階段があった。
これを利用し先に進むのだが、その前に正面に行ってみる。




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10mほど進んだが「社外者の立入を禁ず」という看板が目に入ったので、ここで引き返す。
ここが取水施設であろうか?




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で、先ほどの階段だ。
昭和20年代には遊歩道だったんだよね、こんな怪しげな状態に見えても・・・

目的地までもうすぐだ。

(その7へつづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その7)

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【13年10月12日探索・12月30日公開】

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現在地はこの辺

画像ではわかりにくいと思うが、うっすらと、あの橋の姿が浮かんで来つつあった。




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轟々とものすごい水流の音がする。というか、それしか聞こえない。もし近くにクマがいても私の存在を伝える事も相手の鳴き声も聞こえないだろう。

そんな滝の中に、ついに見えた。




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橋の名は鵲橋(かささぎばし)だという。
これからそれも自分の目で確かめられる。

この迫力の光景が、現代の多くの観光客の目には触れることすらなく、こうしてやってきた物好きだけが目にする事ができるというのは何とも言えない至福である。

この画像、このまま絵葉書にしてもおかしくない程素敵だと思う。




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橋の真下までやってきた。
真下まで来たというのに橋とはこれだけの高低差がある。

という事は・・・




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すぐ右には階段があった。
これを上っていけば念願の橋に到達する・・・わけだが、ちょっと待て!





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この階段、急すぎるだろ!! 
約45度の勾配、道路勾配に例えれば100%になる。

これでもわかりにくいって? ならば・・・




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ステップの1段1段がこんな状態なのだ。
その奥行はなんと19cm、私はスニーカーだったがそれでも横向きに歩こうかと思ったほどだった。

ここが遊歩道だったというのだから、驚きだ。




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途中小さな踊り場があり、2回に分けてここまで登り、そして振り返った。
踊り場の先、見えないんですけど・・・




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さて今度は向きを変えてまた階段を上る事になる。
そのアプローチ部分の階段もまた橋になっていた。

この橋の構造だが、私はアーチかと思っていたのだが、どうやらラーメンであるようだった。




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あと15段で鵲橋に着くのだが、ここで違和感がある事に気付いた。




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最終アプローチの階段、近年に補修されたようだ。
確認のために「山行が(08年5月探索)」を閲覧したらこの階段のステップはボロボロだった。
つまりはこの5年の間に修繕されたという事になる。

その施工主体が気になるなあ。日光市なのか、古河日光発電なのか、それ以外なのか??
それによって現在の橋の管理者がわかるのだが・・・

(その8・最終回につづく)

  

40万HIT記念 栃木県日光市 あの華厳渓谷へ・別ルート(その8・最終回)

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【13年10月12日探索・12月31日公開】

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現在地はここ

橋の親柱には「かささぎ橋」と平仮名で書かれていた。
ちなみに、右側の親柱には「白雲の瀧」と書かれていた。
そう、ここは滝の途中に架かる、非常にレアな橋なのであった。



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本当にすごい迫力だ。
これだけの眺めが一般の観光客に公開されていないのは誠に勿体ない。

昭和25年に架けられたと言われる橋だが、まだその強度には問題なさそうだった。
そんな橋は手持ち無沙汰であるはずだった。

橋は、久しぶりの観光客の相手をしてくれた。




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「鵲橋」のネーミングだが、日光界隈どころか関東にはカラス科の鳥「カササギ」はいない。

wikipediaで鵲橋を調べると以下のような記載があった。「中国の伝説で旧暦の7月7日の七夕の日に天の川上にできる橋の名前である。この橋は織姫と彦星が出会うためにできることから、鵲橋とは男女が良縁で結ばれる事を意味する」

命名は明治33年に中禅寺からここまでの道を開いた星野五郎平さんが付けたとされている(この橋は3代目らしい)が、きっとこんな意味合いからの命名なのであろうと思う。




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旧遊歩道はまだ続く。

こうなったらやっぱり最後まで行きたくなるのが人情?というものだ




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ここで振り返った。
こちら側の親柱の右側にあったであろう文字は欠落していて、左側には反対側と同じ「かささぎ橋」という平仮名表記があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54024723_5?1388328279

古い階段の上に、割と新しいパイプで「安全通路」が確保されていた。




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元々トラロープがあったであろう所に、少しは頼りになりそうなパイプ製の手すりが設置されていた。




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ここもまあクリティカルではあるが、このくらいだったらどうにか開放できないものか?
あの白雲の滝の眺めは一見の価値があると思う。




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白っぽい建物が見えてきた。




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現在地はこの辺

この扉の向こう側は華厳の滝への通路であるはずだ。
エレベーターからの地下通路の途中の曲がり角にある扉で間違いなかろう。

なので、あまり近づいてシルエットがわかると騒ぎになる可能性があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54024723_10?1388328279

その5m先、右の通路を進めば華厳の滝の観曝台へ行けるだろう。
しかし私はここを探索の終点と定めたのだった。

それは、中央左の白っぽいあたりが観曝台のようで、そこには何人かの人の姿が見えたからだった。
私はここまで通行禁止箇所は通っていないはずなのだが、それでもむやみに目立つ行為は慎みたかった。

ちなみに、ここまででレポ開始地点の馬返からだと1時間40分、馬道発電所入口の崖下からだと1時間10分が経過していた。

★お読み頂きありがとうございます。これで連載は終了です★

※追記※
「その6」で水管トラス橋が国道121号栄橋の旧橋流用の可能性について言及しましたが、栄橋の旧橋は昭和4年製の木製トラスであったようなので、違ってました。
田原製作所などの製造社名、竣工年月でも調べてみましたが、橋の素性は今のところ不明です。

   

ごあいさつ

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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54024731_0?1388328422

あけましておめでとうございます

今年も皆様にささやかな楽しみを差し上げられるように、探索と更新は続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに・・・
私は昨日も仕事で、帰宅は紅白終了後で、年越しそばは年明けてからようやく食べられました。
元日の今日も仕事なので通常更新は本日夜以降になります。

皆様、良いお正月をお過ごし下さい!

  

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その1)

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【13年12月23日探索・14年1月2日公開】

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現在地はここ

昨年12月、暮れも押し詰まってくると、その年のうちに済ませておきたい探索がある事を思い出す。
昨年の年末は東京都道202号のこの記事この記事の中間区間の探索が、2回も敗退しているのが気になった。
しかも相手が凄すぎての敗北ではなく、単に暑さと自転車同伴で挑もうとした私の作戦ミスが原因である。

なので、今回はヘリオス号は自宅で待機させ、単独行とした。
JR青梅線川井駅から西東京バスを利用し八桑バス停で下車すると、当ブログでは3回目の登場となったこの画像の場所になる。
バスの運行回数は平日と土曜日が7往復、休日は9往復という、休日の方が増えかつ平日と土曜が同ダイヤで休日が違うという今時レアなタイプとなっている。

ここを右方向に行くのだが、3回目なので傾斜計測は省略しよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54031185_1?1388588274

ホントに手すりが設置されている理由がわかる。
単独で登るだけでもけっこうキツイ。

ここで、これももうお約束となった街灯プレートを見る。




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東京都道202号の0045番だ。
峠の向こう側の0044番まで街灯は1本もない事になる。




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その先、旧道側に超簡易バリケードが設置されていた。




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そうなると旧道が通りたくなる・・・が・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54031185_5?1388588274

現場事務所が建てられていたのだった。
何の工事だろうか?




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「林道工事」だった。
この車道って、都道じゃなく、林道だったんだ・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54031185_7?1388588274

本来の都道は資材置き場になってしまっている。
なので、ここは「林道」を進む。




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現在車が通行可能な場所はここまでのようだ。
この先は山道だ。




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これ、「道路」のどの部分に使用するのだろうか?




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1分も歩くと枯れ沢を渡る。
前回撤収地点はもうすぐになる。




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同じ場所で林道工事を見るためには右120度くらいを向く必要があった。
来年3月までに工事が進むのは2、300mと思われる。
峠越えはおそらく考えていないと思う。

(その2へつづく)


  

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その2)

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【13年12月23日探索・14年1月3日公開】

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現在地はこの辺

測量していると思しき先に橋が架かっている。




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ここが前回撤退地点の名称不明の橋だ。

9月訪問時には暑かった事とヘリオス同伴だった事もあり、この先の険しい道を見て戦意喪失したが、今回はその2つの問題はクリアしている。

先に進んでみよう。




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ただの山道が続くのかと思ったら、短い区間だが簡易舗装されていた。長さはほんの3、40mだった。なぜこの区間だけ??




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なんとか都道である証拠が見たいのだが・・・

これも、ひょっとしてとは思ったが、どうも植林側の境界マークであるようで、道路とは無関係のようだった。




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下の沢の方に構造物がある。
機能としては堤防なのだろうが、沢の中央部にあるように見えるのは気のせいか??




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前方、また歩道としては立派過ぎる橋が見えてきた。




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今度もまたプレートはなく、橋の素性はわからなかった。




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桁部に銘版でも無いかももちろん探した。
発見としては・・・橋台だけはそれなりの年季であるようなので、この橋が架かる前に木橋でも架かっていたものと思われた。




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オーバースペックと思える、橋を過ぎればまた完全シングルトラックだ。




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看板が設置されていたが、山火事に注意だった。

・・・こういう所にヘキサがあると訪問者が増えるのになあ。。




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先ほどと同じ沢を少し上流で渡るのだが、今度は橋などなく、洗い越し状態だった。

・・・まったく一貫性がないなあ!

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その3)

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【13年12月23日探索・14年1月4日公開】

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現在地はこの辺

それにしても元々のアタックの予定ではヘリオス号同伴だったので、あの時断念し、今回単独行となってよかったと思う。
自転車担いでだと大変だよ、これは・・・




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日差しが入り、明るくなってきた。
もうすぐ峠かな??




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そんなにすぐ峠に着くはずはなかった。
向きを少し右に変え、緩やかなのぼりに変わった。




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見ようによっては人の顔に見えるな、この岩。




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これでも都道であるはずである。
キロポストでもあればテンションが上るのだが、残念ながらそういったものは発見されなかった。





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人ひとりの通行でさえ危険と思える場所には、こうやってトラロープが設置されていた。
設置者は・・・東京都??




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またどことなく顔に見えるな・・・




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現在地はここ

スタート地点から46分が経過していた。
先の方の景色が今までと違うようだが・・・




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数日前に降ったであろう雪が北側斜面には残っていたのだった。




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そして同じ場所で振り返る。
ここが名阪峠であるらしい。

尾根縦走ラインもあるようだが、私は都道202号線のトレースが目的なので、この右方向・上成木方面へ進んだ。

(その4へつづく)

  

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その4)

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【13年12月23日探索・14年1月5日公開】

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現在地はこの辺

名阪峠を過ぎ下りに入った。
地図では道は直線状に描かれているが、実際はこんな何段かのヘアピン状のカーブであった。




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ここは枯沢、なのだが、成木川の本当の起点とも言える沢である。
そしてここを越えるにあたっては橋の設置はされていなかった。

道にはわずかに石垣の名残があった。




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しばらく下っていくと、反対側同様に、また沢の護岸のための石垣施工の跡があった。




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手前の雪がある方が都道で、そこから反対側に窪みが見えた。
もしも洞窟でもあったら興奮モノだと思い、近くまで行ってみたが、1.5mほど奥行きのある窪みしかなかった。




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大水の時には2段の滝になるらしい場所があった。
しかしそのような時にこの山越えをする人は皆無であろうから、ここに出来るであろう幻の滝を見た人はいないのかもしれない。




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先の方に橋が架かっているのが見えた。




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木製(丸太桁)橋梁だった。




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その先にはベンチが設置されていた。




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左に何か看板が建っていた。




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看板自体は、山火事防止と通報に関する看板なのだが、そこには「成木上川井線」とも書かれていた。
まさしくここが東京都道202号「成木上川井線」であると言っていた。



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ゆるい下りの先には桟橋状の橋が見えるが・・・




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まあ重量物は無理だろう。
せいぜい100kgくらいだろうか。
東京都道202号のヘキサと0.1t重量制限でm設置してくれないかな~~

(その5へつづく)

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その5)

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【13年12月23日探索・14年1月6日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_54039202_0?1388933069

現在地はこの付近

また橋が見えてきた。
今度は先ほどの木橋よりはやや立派な造りのようだ。




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幅員約1.5mの鋼製桁橋である。
桁の下側も出来る限り覗き込んだが、銘版等は発見できなかった。




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その先でも再び木橋っぽい橋を発見!




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しかしそれは私の進む都道に架かるものではなく、升が滝に行くためのアクセス路のものだった。




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升が滝に行く人はそれなりにいるのだろうか?
滝へのアクセス路が合流してから麓側の整備状況は1段階良くなっているように感じる。

都道には休憩用のベンチが設置されていた。




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また橋が架かっていた。
が、今度は傾斜が凄い。半分階段??




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それは正解とも不正解とも言えない状態だった。
鋼製・床板PC製の傾斜橋だが、路面に設置されていたのは木製の滑り止めだった。
まあ、階段と言えなくも無いが・・・




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先ほどの橋と傾斜がある事と長さを除けばよく似た造りの橋だ。

そしてここで赤い桁の下部に銘版があったのを発見した。
それによればこの橋は「東京都建造・1972年3月建造」という事だった。

残念ながら橋の名については不明だったが、貴重な情報が得られた。
そしてこの区間も東京都道である事の証でもあった。




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この先、何段かのつづら折で下降していく。




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また階段か、と思ったら・・・




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ここもまた階段とは言いがたい木製構造物による施工だった。




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舗装区間の復活地点まではあと2、300mといったところか。
同じ山道都道でもここみたいにキロポストでもあればいいのになあ~

(その6・最終回に続く)

  

東京都奥多摩町~青梅市 都道202号不通区間(その6・最終回)

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【13年12月23日探索・14年1月7日公開】

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現在地はこの辺

また同じような造りっぽい橋が見えてきた。
と、その前に、足もと!!




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東京都のマークに一瞬テンションが上りかけたが、ここは成木浄水場の取水場施設なので、東京都水道局の敷地というマークであろう。




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取水場本体はこんな感じだ。




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この橋も先ほどの傾斜橋の兄弟橋だろうか?
銘版が発見できなかったが、傾斜橋と共通点も多いので1972年前後の架橋であろう。




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ダイナミックな空積み石垣擁壁を見ながら通る。




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取水された水は左に見えるパイプを通っているものと思われる。

先の方に成木浄水場の建物が見えてきた。




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これでようやくレポが繋がった事になる。




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そう言えば前回探索時に判明しなかった起点から1kmのキロポストがここに埋もれているかどうかの確認をしよう。




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結論:キロポストはなかった。




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街灯の0044番プレートにも再会した。
大した道ではなかったはずなのだが、3回も訪問してようやく探索完了となった。




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約950mの道を小走りに進み、都道起点そばの上成木バス停より1日9本(平日、土曜、休日いずれも)しかない都バスに乗り込んだ。

(意外と長引いてしまいましたが、連載おわりです)

  

埼玉県飯能市 仮設っぽい橋とやぐら仮設橋

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【13年12月29日探索・14年1月8日公開】

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現在地はここ

埼玉県飯能市長沢 県道61号線が国道299号線から分かれ、さらにその先では県道ではなく飯能市道を高山不動方向へと向かう。
すると左に何か気になる構造物があった。




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橋なのは遠くからでもわかっていた。
この橋、橋脚が工事現場の足場利用かと思うほど仮設っぽい。
あるいは強度に不安があってあとから補強のために簡易橋脚を設置した??




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それにしてもいやに薄っぺらな橋だな。
これだけの幅員を持つ橋なので、あるいは何らかの車両が通行する可能性もある。




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現在地はここ

先ほどの橋から250mほど長沢川を上流に進むと、見るからに仮設という橋が架かっていた。




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立入禁止看板がなかったら渡っていたところだ。
仮設橋はこの先で行われている砂防工事へのアクセス用であるようだった。

しかし、30mくらい先には永久橋も架かっているがそれを利用している形跡はないようだ。
永久橋は個人で架設したから公共工事での借用ができない???




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やぐらのように組まれた仮設橋、工事期間の2月いっぱいの後には撤去されるのだろう。
何か儚さも感じたので、ここに架かっていたという記録のためにも今回記事にした。

  
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