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神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その2)

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【13年11月3日探索・12月1日公開】

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現在地はここ

松ヶ山洞門のすぐ先にはそのまま隧道が繋がっていた。




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内部はけっこう狭く、またこの飾り気のないコンクリが何とも言えない味わいになっている。




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反対側坑口だ。
扁額は松ヶ山隧道となっていた。

帰宅後に「隧道データベース」で調べてみた。
昭和11年竣工、幅4m、延長105mがこの隧道のスペックのようだ。
なお隧道DBには道路名が「一般県道山北山中湖線」となっており、また路面は未舗装であったようだった。




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坂を下ると・・・




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旧県道そのままの場所ではなくなった。
広い駐車場があり、右の方は田ノ入発電所がある。

このあたり、ダム建設に伴い旧道は消滅したようだ。




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なので、ダム堤体をジグザグに上っていく道を利用する。



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最初のカーブ地点だ。




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物理的には乗車できそうだったが、自転車通行禁止になっていたため押しにしていた。

遠回りすぎなので、この階段を利用する事にした。




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隧道っぽい穴があり当然気になったが、何だろう?
ただの管理用通路??




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三保ダム堤体上に出た。

予定よりも少々遅れている。少し急ごう。

(その3へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その3)

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【13年11月3日探索・12月2日公開】

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現在地はここ

中川温泉手前、笹子沢に架かる笹子橋からふと左を見る。
何かあるぞ!



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廃橋だった。
旧県道のものかも? 行ってみよう。




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この先を右に曲がったところが廃橋になる。
簡易バリケードがガードレールの裏に立てかけられているが・・・




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神奈川県松田土木事務所のものだった。
という事は、廃橋はやはり県道の旧橋?




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元々はどんな路面だったのか不明だが、現在は土橋のようだ。
両側ススキが沢山だったせいもあり、橋の上にいる感じではなかった。




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渡り終えて振り返ってみた。




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中川温泉を過ぎると、険道っぽい場所が出現する。
ここなどは300mくらいの間離合不能箇所だ。
それでいてけっこう交通量があったりもする。ここを抜けた反対側では対向車が3台ほど待っていた。




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現在地はここ

新箒沢隧道の手前を左折すると・・・




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大滝橋という橋が架かっているが、渡ったその先にあるのは・・・




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その前に、この大滝橋だが、横から見るとこんな橋だ。
桁橋に近いが、おそらくラーメンかアーチ橋に分類されるのだろう。




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大滝橋の先にあるのは箒沢隧道、昭和11年竣工だ。
隧道データベースでは幅員3.9m、高さは3.6mとなっている。




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内部は・・・
直接の入洞は出来ないので、カメラをフェンスの隙間から入れ撮影する。

コンクリ吹付なのだが、その下の地模様は何だろう?




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反対側坑口は、現道の新箒沢隧道(平成6年3月竣工)のすぐ隣だった。

運転していて、突然の廃隧道の出現に驚く人もいると思うのだが・・・

(その4へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その4)

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【13年11月3日探索・12月3日公開】

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現在地はここ

箒沢集落に着いた。
この分岐だが、直進が県道で左に行くと樹齢2000年以上とされる「箒杉(画像中央上部にある杉)」に行く事が出来る。




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その少し先で県道下を覗きこんだ。
お!吊り橋があるじゃん!




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関係者以外通行禁止なので見るだけ・・・

地図によるとバンガローへのアクセス橋のようだ。
工事現場の資材で造りました的な橋だった。




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現在地はここ

西丹沢自然教室まで来た。
新松田駅からの路線バスは以前は箒沢までだったが、現在はここまで来ている。




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その30mほど先だ。
見難いが、左に建っている看板は「ここから林道」で、右の白い標柱は「ここまで県西土木事務所管内」だ。
ここから先は県道76号線は林道の間借りという訳か。




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その先の舛小屋橋という橋なのだが・・・




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変わった造りなのだ。
林道の橋にそこまでのスペックが要るのか?とも思うが、鋼製のプレートガーター橋に道路の橋が乗っかっているような造りなのだ(下から見てないので違うかもしれないが)。
これまでに治山工事などで大型車が多数行き来したという事かもしれない。




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右から道が下りて来た。




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乗用車が停車しているところが、犬越路林道の入口だ。

すんなり右折でも良いのだが、ちょっとだけ県道76号を行ってみよう。車が通れるところまで~




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この界隈はキャンプ場が多い。
河原はバーベキュー、デイキャンプの人たちで賑わっていた。




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犬越路分岐からだと700mほどだろうか。
県道76号はこの橋の先を右折する事になる。




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この先は東海自然歩道と県道76号がほぼ重複するようだ。
本来の犬越路も興味はあったが、それはいずれまた。

私は犬越路林道を進むべく、先ほどの分岐まで戻った。

(その5へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その5)

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【13年11月3日探索・12月4日公開】

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現在地はここ

犬越路林道入口まで戻ってきた。

ここにはゲートは設置されていないが・・・




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こんな案内看板があった。




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しばらくは比較的緩い勾配だ。

この林道は自転車乗りには人気が高いようで、私が走る前と後ろ、それぞれ100mくらいの間隔でグループが走っていた。
私はいつものようにソロだ。




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1つ目のヘアピンカーブの先にゲートが設置されていた。

四輪は物理的にアウト、車両通行止なのでバイクもアウト、自転車は・・・軽車両なのでグレーだが、押しになればセーフとなる。




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ゲートから少し走った場所に標識があった。




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傾き埋もれかけだが、警笛鳴らせだ。
これには従わねば。「チーン!」




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あまり登ってきた感は大きくなかったが、今まで辿ってきた道が遠くに見えると何か小さなご褒美をもらったような気になる。




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相馬沢だ。
ここには分岐があって、右折すると別の未舗装林道が延びている。




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その少し先には不可解な構造物があった。

元々の路肩?
だとすれば、それなりの規模の土砂崩れがあった事になるが・・・




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いつの間にか電信柱が寄り添ってきていた。

これだけの設備で送電するのは・・・犬越路トンネルの照明? 山小屋用? 治山関連でポンプでも設置されている?




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左に地図に無い分岐?があった。




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分岐というか、休憩スペースと言った方が適切か。
自転車や歩行者向けの休憩所と考えていいのかな。

(その6へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その6)

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【13年11月3日探索・12月5日公開】

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現在地はたぶんここ

橋が現れた。
昭和42年3月竣工・中小屋橋、造りは桁橋のようだ。

私が持っている昭和51年修正版地形図「秦野」には、犬越路トンネルを抜けた場所からのおよそ1.5kmほどが工事中という進捗で、この林道のほかの区間は完成しているように描かれていた。

実際、どのような順番で工事が進んだのかは気になっていた。




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ガードレールが変形していた。
が、この変形は車がぶつかったというものではない。
普通に考えれば落石という事になるが、これだけの衝撃を与えるだけの大きさの石が右側の擁壁の上から道路を越え飛んできたという事になる。
真相は??




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かなり標高が上ってきた。
探索時にはこのあたりまで来てようやく紅葉が綺麗になっていた。




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また橋が架かっていた。
昭和43年3月竣工のラーメン橋だという事はわかった。
名称はおそらく用木沢橋だろうと思う。




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その根拠はこの沢の名称が用木沢だと、砂防ダムの銘版に書かれてあったからだった。




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林道の幅員よりも橋上の方が広かった。
建設当時、この道を県道指定するつもりだったのではないだろうか?




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一応車1台は通過可能だが、崩落箇所も何ヶ所かあった。




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赤い桁橋が架かっていたが、その情報は何もなかった。




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その先に架かる橋からも情報は得られなかった。




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ここも5mは優に超える復員が確保されていた。
正確に測ればよかったな・・・




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林道入口から52分、やっと犬越路トンネルが見えてきた。

(その7へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その7)

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【13年11月3日探索・12月6日公開】

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現在地はここ

富士見橋を渡り隧道坑口前に着いた。
この左側には富士見園地という広場があったが、別のグループが休憩中だったので撮影は控えた。
富士見の名の通り、本当にうっすらと富士山が見えた。




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坑口横には林道の完成記念碑が建っていたが・・・
落石によりかなり埋没していた。




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隧道の延長は950mあるという。内部は照明が設置されていた。が、点灯はされていない。
なので、実際は真っ暗だ。




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反対側に抜けると同時に道は急カーブで右に曲がる。
「これより先通行止」がいやでも目に入る。




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相模原側坑口だ。
wikipediaによればこの隧道、1970年3月竣工であるという。
私自身も昭和45年か46年頃の開通だろうと予想していたので、記述と一致した。




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50m先、ゲートが設置されていた。
が、この日は半開となっていた。
バイクが休憩中だったが、私はその横をすり抜けた。




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舗装路面が続いていたので順調なペースで進む。
が、落石が多いのは気になっていた。




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ここもそうだ。
至るところで土砂崩れの跡が見られた。




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こんな廃道然とした箇所もあるし・・・




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それでも舗装されていた分良かったのだが、ここで舗装は途切れた。
隧道北口から約1.4km進んだあたりだった。




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まあ未舗装でもこのくらいなら乗車しながら進めるのでまだいいのだが・・・

左のガードレール、不気味だな。

(その8へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その8)

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【13年11月3日探索・12月7日公開】

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現在地はたぶんここ

洗い越しがあった。
林道だからまあ大した驚きではないが、昭和40年代の道路でもそんな道路設計であった事は特筆物だった。




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紅葉が綺麗だな。

道路の方は、下っていくにつれヤバさが増しているようだった。




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橋が架かっていた。
銘版などが見当たらなかったのだが、桁には付いており、それによれば名称は神の川橋、竣工は平成6年(1994)3月である。
一等橋である事、県が設置した事も林道の橋としてはレアであろうか。




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橋の上だけだが、舗装復活~




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橋の上から右を見た。
地図通り、旧橋が架かっていた。




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これは当然行ってみる。




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ほどなくガードレールが見えてきた。




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橋の名は不明だが、現道と同じ「神の川橋」だったのかも知れない。




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旧橋探索の間に、バイクの2人組と自転車の1グループに抜かされた。

だんだん路面状況は悪くなっていた。
下りなのに乗車できなくなってきた。




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また洗い越しがあった。




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さっきのと違って、こちらはコンクリで固められた本格的洗越し?だ。




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下り坂なのに乗車ができない。
土砂崩れの土砂をそのまま道路に転用したのでは?と思えるほどだった。

(その9へつづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その9)

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【13年11月3日探索・12月8日公開】

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現在地はたぶんここ

比較的大きな谷を通過する。




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ここのところの台風の影響なのか、それ以前からこの状態なのか、辛うじて林道路面は通行可能ではあるが・・・




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桧皮沢という沢を渡る。
ここに架かる橋は昭和42年3月竣工だった。名称は不明だ。

ここで右を見ると・・・




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沢というよりも滝だよな、これ。
落差は20m程だろうか。




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相変わらずの路面状況だったので、乗車は叶わない。
押しで小走りに進んでいくと・・・




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ようやく簡易舗装ながら舗装が戻った。

ただ、ねえ・・・
コンクリの簡易舗装だというのが気になるな。
林道クラスの場合、急勾配などだけ簡易舗装だったりする事は珍しくない。
まだ未舗装区間の復活とかもあるかもしれない。

とは言え、とりあえずは助かった。乗車可能となった。




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右を見ると、神の川の谷がジオラマのようになっていた。




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大きな橋が見えてきた。アーチ橋のようだ。



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現在地はここ

「ひわたはし」という銘版があった。漢字のものはなく、どのような漢字なのかはわからなかった。
竣工年についても現地では情報がなく、国土変遷アーカイブの航空写真によれば1988年から1993年の間に架橋された事までは判明した。

ローゼ橋になるようだ。




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橋から左を見ると・・・
あったよ。何か落石で埋もれてる旧橋が。




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旧道へのアクセスは人工廃道化されているようだ。
東詰からのアクセスは不可能に近かったので、西詰から行ってみよう。




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こちらも人工廃道の山を藪こぎしながらの進行だった。
旧橋までは地図読みで70mほどの距離だったが、到達までに5分もかかった。




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橋全体が撮れるアングルがなかったのだが、これが橋の上の光景に見えるだろうか?
ここは橋にまで人工廃道が及んでいるようだった。
こんな拷問のような状態で残されているなら、いっそ撤去された方がまだ旧橋にとっては幸せだったのではなかろうか?




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その恨みが詰まっているような旧橋から現橋を見た。

こりゃあ、現橋もいい気はしないよな・・・

(その10・最終回につづく)

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その10・最終回)

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【13年11月3日探索・12月9日公開】

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現在地はこの辺

「ひわたはし」の先はまた未舗装路面となった。
しかも乗車するにはパンクのリスクが高い路面状況だった。

ガードレールもないので、万一バランスを崩したらヤバイ事もあり、私はここでも押しの続きをするハメになった。




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無名の橋を渡る。
名称、竣工とも一切情報はなかった。
昭和40年代前半である可能性は高いが・・・




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谷の桟橋のような場所だけ舗装が復活する。
この300mくらい前にも同じような区間があり、ここはそのコピーのような感じだった。




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ガードレールが落石によって破壊されていたのは手前の区間には無かったな。




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再び未舗装となって1kmくらい過ぎただろうか。
今度こそ舗装復活となった。
今度はアスファルト舗装だし、これでペースを上げなきゃ。




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孫右衛門トンネルだ。
この少し手前に同じ造り(左上の絵が違うようだが)の小洞トンネルがあったが、どちらにも1993年3月竣功の銘版が付いていた。
トンネルを迂回する旧道は無いようだし、古い地図にもトンネル記号は描かれている事から、この2本のトンネルは改修(拡幅?)され、その年月の銘版が付いていると考えるのが妥当だろう。




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反対側坑口横には、管理用通路の階段があった。
廃なのか、落石で破壊されたのか、いずれにせよ立ち寄りは厳しい。




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平成9年(1997)架橋の矢駄沢橋のすぐ脇には・・・




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旧橋が架かっていた。




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現在地はこの辺

相模原側のゲートが見えてきた。




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1時間半前に見た犬越路トンネル近くのものとほぼ一緒だった。




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現在地はここ

普通の道に復帰した。
私は左から来たのだが、ここを直進すると神の川ヒュッテを経て本来の犬越路・県道76号になるはずだった。




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上の画像から5分後、大瀬戸トンネルが見えた。
これでこの記事と繋がったのでレポは終了する。

(おわり)

  

静岡県熱海市 「地図に描かれている隧道は・・・」反対側探索

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【13年12月8日探索・12月10日公開】

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現在地はここ

静岡県熱海市上多賀 この記事の続編になる。

この8月にここを通りかかった時にはけっこうな激藪が予想されたのだが、冬場になって落石・雪害対策工事がなされていた。
来年3月までの工事期間であるようだったが、この日は日曜日だったので工事は休みのようだ。

これはラッキーだ。地図に描かれている隧道記号の正体が探れるかもしれない。
さっそく行ってみよう。




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50m位はパワーショベルたちのおかげで楽ができた。




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しかしその先は完全廃道だった。
そもそもここには道などあったのかすらわからない状態になっていた。




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落石、激藪・・・12月とは思えない。
最初の50mだけでもすんなり来られて良かったとも言えるが・・・




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左を見た。
景色だけはいいんだよね。
ちなみに沖合いに見えた島は伊豆諸島ではなく、初島だ。




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藪の先には、確かな道路の痕跡があった。
ここはかつて道路として工事されたのは間違いなかった。ただ未成である可能性が高い。
これだけの路肩施工だったところからは、明らかに車道規格であったはずだ。
幅員も平場の幅から推定すると4~5mとなるはずだった?




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平場は右に曲がっていく。




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30mくらい進んだだろうか。
平場はまだ先に続いていたが、近代的な車道らしい雰囲気はまったく無くなった。




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それでも人が立ち入っているという証拠はあった。
何か建っている。




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杭が建っていたのだが、これが何を意味するものかは不明だった。




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GPS上での現在地はここ

スマホのGPSは隧道坑口を15mほど過ぎている位置を指していた。
そしてこの先さらに20mほど進んでみたが、何も発見できなかった。

帰宅後に一人反省会を開いた。
最終到達地点付近は鬱蒼としていて不気味な雰囲気があり、早々に逃げてきた感はあったのだが、ここはGPSの誤差も考え、もっと周囲に探索範囲を広げるべきだったのではなかったのか?

・・・また探索の甘さが露呈してしまった。
再再訪を考えねば・・・

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その1)

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【13年12月1日探索・12月11日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53991673_0?1386689367

現在地はここ

東京都西多摩郡檜原村 東京都内では島嶼部を除けば唯一の村である。
現在私がいる場所は、都道205号水根本宿線の終点から700mほど起点方向に向かった檜原小学校脇だ。

ここに「この先12km 車両通行不能」という看板が下がっていた。
12km先が気になった。
奥多摩町までの山越えをする気は無いが、車道(注:四輪とは限らない)末端までは行ってみようと思う。もちろん、極力旧道を巡りながら。




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現在地はここ

まずは軽く挨拶代わりにこの記事の場所への再訪をする。

現道に架かるのが共励橋(昭和57年3月竣工)なので、旧道に架かっていたはずの橋も同名だったろうか?




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前の画像から250mほど進み、振り返ったのがこの画像になる。

青いアーチ橋は中路式で名を神大橋という。
昭和55年12月竣工だった。


都道旧道は右に入る。約4年前には通行禁止の看板があったはずだが、現在ではガードレールの設置だけである。




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まずはちょっと寂れた旧道っぽい道なのだが、30mほど先に2つ目の簡易バリケードとも言えるガードレールが通せんぼをしていた。




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その先は、やっぱりこうなった。

中央付近に黒っぽい塊が!!




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慎重に近づいてみたら、熊ではなかった。
まさかとは思うのだが、廃道上での黒い塊は肝を冷やす。




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標識支柱やカーブミラー支柱などが打ち捨てられていた。




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崩落の山が見えてきた。

4年前には苦労してこれを越えたのだが、今回は軽い挨拶なのでこれにて撤収する。
先に進もう。




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都道を先に進む。

この先の区間は初めてになる。
この先には私を満足させてくれる何か、はあるのだろうか?

(その2へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その2)

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【13年12月1日探索・12月12日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53993362_0?1386774221

現在地はここ

小沢バス停の少し先に分岐があった。
旧道っぽい道だったので、左の細い道に入る。




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道幅4m弱の集落内の生活道なのだが、道路照明には東京都道205号のプレートが付いていた。これでも現役都道なのだ。




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現在地はここ

ランガートラスの赤い橋は笹久保大橋、昭和56年8月竣工だ。
右には明らかにその旧道が分岐していた。




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旧道歴がそのまま廃道歴だとしたら、32年という事になる。
簡易的なバリケードは設置、というか放置されていた。




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画像ではあまり大変そうに見えないと思うが、バラ科の植物が多くてなかなか進行しなかった。
左前方5mにフェンス発見。




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そのフェンスの先はこうなっていた。
ここが都道だった箇所であるようだが、こんな現道のすぐ脇でフェンスを乗り越えるのは大変リスキーな行為なので慎んだ。

ここには落石防護塀が設置されていたようだ。




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その塀の裏側にもスペースがあるかと思い覗き込んだ。
画像ではわかりにくいと思うが、10mほどの高さにもなる土砂崩れが発生していた。
いつそれが起きたのかは不明ながら、ここもわざわざ通るような場所じゃないな。




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笹久保大橋反対側からも見てみよう。




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元々100m強の長さの旧道なので、ここまで来れば反対側から見た光景の裏側の確認は出来た。

都道末端へと向かう。先に進もう。

(その3へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その3)

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【13年12月1日探索・12月13日公開】

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現在地はここ

檜原村の藤原地区だ。かなり奥の方まで進んできた。
画像に写る赤い欄干の橋は藤倉橋、昭和62年1月竣工の橋だ。現道はその先で再び北秋川を下除毛新橋(こちらも昭和62年1月完成)にて渡る。

旧道は北秋川を渡らないルートなのだが、yahoo地図ではもう1段階拡大しても旧道入口の「ヒゲ」部分しか描かれていない。
これは道路としてはとんでもない状況なのでは?と覚悟していた。が・・・




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何かの工事をしているようだった。
そのせいかもしれないが、旧道がまた「道路」として使用されているようだ。




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ここは地図には描かれていない区間になる。ちなみにmapion地図でも同様だった。
そんな旧道だったが、極めて穏やかであった。
藪こぎ廃道かと思っていたので拍子抜けしたが、その一方ではほっとしていたのも正直なところだった。




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旧道の幅員は4mほどだろうか。
路線バスも通行していたはずなので、離合には苦労していたに違いない。




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都道であった証拠が何かないかと思っていたところ・・・




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東京都マークが路上に埋まっていた。

これはキロポストじゃないようだし、境界柱でもないようだ。
都道ですよという主張のためのものだろうか?




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半分埋まっている標識があった。




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「左つづら折りあり」だった。
この場所は5m以上も幅員があったようだ。離合場所だったのかもしれないな。




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小さな橋を渡る。下除毛橋という名だ。渡っている河川が違うが現道の橋(下除毛新橋)と対になっている。
この橋、どうやら送水管用に再利用されるようで、その工事がなされていた。

そんな橋の左に「左つづら折りあり」が傾きながら建っていた。




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10mほど進んで振り返った。

振り返っての左側にも幅員減少標識が、こちらは最早立ってすらいない状態だった。




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現道へ合流・・・階段になっていた。
元々はもっと標識にもあった「つづら折り」で高低差を克服していたはずだ。

・・・そうか。ここが階段だったから反対側から工事車両の出入りがあったんだ。

この先地図では都道色はもうすぐ終わる事になっていた。
探索前の予定なら次が最終回くらいになるはずだったが、実際の都道指定は全然違っていたのだった。
なので、ここからが佳境に入る。

(その4へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その4)

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【13年12月1日探索・12月14日公開】

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現在地はここ

藤倉地区に着いた。
JR五日市線武蔵五日市駅からここまでバスが来ている。本数は思ったよりも多く、平日12本、土休日で9本だった。

都道はここを直進になるのだが、その前に・・・




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藤倉地区の案内板が設置されていた。

よく見ると3本ほど「モノレール」がある。
荷物用のモノラックでもあるのかな??




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先ほどの交差点は直進だ。
まだここが都道である事の証拠が、照明支柱に張られている都道205号の管理用ステッカーだ。




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また交差点だ。

mapion地図をはじめ多くのウェブ地図ではここは直進し、その先50mほどで都道指定でない道になると描かれている。

だが、実際は・・・




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現在地はここ

結論から言うとこの180度近く回っている道が都道なのだ。
多くの地図は間違っている事になる。




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照明管理ステッカーもそうなのだが、もう一つ重要なアイテムがあった。




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都道のキロポストだった。

都道205号、起点から11.2kmのキロポストである。




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これまで鬱蒼としていた周囲が開けていた。




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比較的新しい橋が架かっていた。
宮前橋、平成12年3月竣工である。

ちなみに凍結注意の看板設置者は東京都であるようだ。




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橋を渡ったところになる。

この先100mくらいで道が終わっているように見えるが・・・
一体どこまでが都道指定されているのだろうか??

(その5へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その5)

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【13年12月1日探索・12月15日公開】

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現在地はたぶんこのあたり

右側、崖の上に何かがあるのを発見した。
藤倉バス停近くにあった看板に描かれていたモノレールがこれかな。




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ちょうどここにはやまびこと言うデマンドバスのバス停があった。
路線バスの発着に合わせ、檜原村が交通弱者向けに地元タクシー会社と契約し運行している。ただ、路線バスに比べるとその本数は少ない。

バス停の名が気になった。
旧藤倉小前だって!




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どうもこれが藤倉小学校の校舎だったようだ。
首都・東京とは思えない山の分校を思わす小規模な学校だったようだ。
正面から撮ればよかったな・・・

藤倉小学校はなんと明治7年(1874)開校で、昭和61年(1986)閉校された。ちなみにこの校舎は昭和29年建築だそうで、現在は「いこいの森ふじくら」という宿泊施設に改修されたようだ。




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小学校跡から20mほどでモノレール乗り場に着く。




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構造はラックレール式のいわゆる「モノラック」である。
驚いたのはここがターミナルになっていて2方向にレールが延びていることだった。




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乗車定員はそれぞれ3名で、有料で利用するようだ。
地元100円、地元外200円という料金箱が設置されていた。

肝心の動力であるエンジンが取り外してあって(前の画像でブルーシートが掛かっている)すぐには動かせないようだ。
このモノレール、この奥に住む方たち用に村が設置したものであるようだが、趣味者としては500円でも乗ってみたいと思う。




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さて、車道末端までやって来た。
ここに照明が設置されているが・・・




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ここまで紛れも無く都道205号線である。




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車道末端から30mほど戻った場所から細い舗装路が分岐している。
二輪車なら物理的には走行可能かも。

黄色矢印は車道末端の照明で、赤矢印がこの細道側に設置されている照明だ。
まさかとは思うが一応プレートがないか確認しておく。




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その「まさか」が起きたのだった。
この道が現役都道だって!!




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となると、この先遠くに見える照明にも都道シールが貼られているのか??

そう言われれば確かに歩道にしてはこの橋のスペック、過剰だよな。
「二輪自動車」が通行可能な現役都道だと言うのか??

とにかく確かめに行かねば・・・

(その6へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その6)

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【13年12月1日探索・12月16日公開】

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現在地はこのあたり

地図上の現在地のすぐそばにバス停がある事になっているが、誤植だろう。

まあそれはいいとして、この先のカーブの勾配がものすごい事になっていた。




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前の画像の黄色で囲ったあたりの勾配だが・・・30度だった。
勾配変換ソフトを利用して算出された値は、57.7%という常識では考えられない数値となった。
単純な話でも1m進む中で50cm登るので50%だという事になる。

この場所をも超える「自動車」通行可能な都道での最高勾配だろう。




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前の画像の説明では「都道」と決め付けていたが、昨日の記事の最後の画像の照明を見たらやはりこの道が都道205号で間違いなかった。

・・・それにしても「二輪自動車道」入口にあったのが0020番、ここが0019番という事は最大であと18本照明があるという事か?

あるいは起点の水根(奥多摩湖畔)に何本かあるのかもしれないが。




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この先にもまだ舗装が続いている。
これは引き返せなくなってきた。




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0018番は先ほど通過し、その50mくらい先にも道路照明があった。




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順当だがこれが0017番だ。

これはまだ先に行ってみるしかなくなった。




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こんな道幅ながら舗装が続いている。
都道水根本宿線は昭和36年3月には認定されている(当時は155号)道路だが、さらに遡ると大正9年に東京府道・山梨県道162号五日市甲府線として指定されている。
それだけ由緒ある道なのに未だにこの状態というのは、どうしたものだという気もするが。




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一般の道路として考えるとかなりクリティカルな場所になった。
ガードレールとか無くて大丈夫かな?
郵便局員とか、バイクで走る事もあるのではないかと思うのだが・・




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0017番照明を過ぎて7分が経過しており、それは登りである事を差し引いても400m位は進んだ事になる。
先ほどから道路沿いの電信柱も無いようだし、もう道路照明なしって事で撤収しようかと思った頃、次の照明が現れた。




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それは都道205号0016番照明だった。
電源は下のほうからこの照明のためだけに引かれたもののようだ。

ところで、400m間も照明が無くて忘れた頃に現れるというのは、実際役に立っているのだろうか??
それ以前に、こんな山奥の歩道のような道で、本当に夜になると点灯するのだろうか??

(その7へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その7)

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【13年12月1日探索・12月17日公開】

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現在地はこのあたり

モノレールの線路が近くまで降りてきた。
藤倉小学校跡近くのステーションのホーム左側から続いているものと思われる。
調べたら「福祉モノレール」という名が付いており、檜原村内には5路線あるそうだ。
この路線は「猿江線」と呼ばれているようで、その延長は2km以上にも及ぶという。




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画像ではわかりにくいが少し遠くに0015番の照明が見えてきた。




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その先、0014番照明付近に、なぜか蛇口が設置されていた。
水は・・・ちゃんと出た。

この場所への設置目的は不明であるが、小河内峠への途上にある事で助かった人も多いのではないかと思う。




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深く切れ込んだ谷を渡る。
都道の方は華奢なコンクリ橋だった。




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並行して走るモノレールの方はこんな橋だった。




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分岐があった。
舗装路は右である。

ここには小河内峠への案内看板があった。
設置者は「西多摩建設事務所」だった。




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0010番照明があった。

個人的にはぜひともヘキサが欲しいところだ。




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これは0008番照明になる。
それにしてもこの幅員にこの電信柱って違和感ありあり!




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現在地はこの辺

日当たりが良い場所は耕作地になったようだ。
そして、何か構造物があるようだ(下側の土砂崩れ対策板の上)。




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モノレールの中間駅が設置されているようだ



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その先の場所には石垣施工があった。
路面は舗装だし・・・

ガードレールが一切なしだが本当に大丈夫なのだろうか?

(その8へつづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その8)

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【13年12月1日探索・12月18日公開】

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現在地はこのあたり

擁壁は石垣、路面はコンクリながらも舗装、ちゃんとした照明(ちなみに0006番)が設置されている。
普通の道路と決定的に違うのはその道幅だ。

そんな都道205号だが、大正9年には東京府道として指定されていた由緒ある道だと思うと風格すら感じる・・・気のせいか?




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現在使用されているのかどうかはわからなかったが、日当たりの良い場所は耕作地となっていた。
建物が見えるが、人が住んでいるものではないようだった。




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分岐が見えた。

ここにも東京都西多摩建設事務所の看板が建っており、都道である小河内峠へ右と案内されていた。




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問題は明らかに左側の道に建っている照明だった。




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これが都道205号の0003番照明だった。

私はここで仮説を立てた。
この左側へ分岐する道も都道指定されている支線なのではなかろうか?
もしかしたら0002番と0001番照明は左の道にあるかもしれない。




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という事で左の道を進んだ。

こちらの道も舗装はされていた。
照明が設置されていたが、都道プレートは見当たらなかった。

どうやら私の仮説はもろくも崩れたようだが、まあこの先にも行ってみよう。




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福祉モノレールの線路がまた近づいて来た。




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小さな谷を渡る。
道路のほうは鋼製の桁橋、モノレールの方は・・・こちらも桁橋だろう。




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その先の谷では道路の橋(と呼んでいいのか?)が薄いコンクリで頼りなかった。




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モノレールの線路をくぐる。




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線路はこの先下っていくようだが、付近に「駅」があるはずだ。




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小学校跡の「二輪自動車通行可能道路」入口から49分かかっていた。
この先は民家の敷地っぽかったので、ここで撤収し先ほどの分岐に戻る事にしよう。

(その9・最終回につづく)

  

東京都檜原村 都道205号・不通都道の末端まで(その9・最終回)

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【13年12月1日探索・12月19日公開】

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現在地はたぶんここ

0003番街灯がある分岐地点まで戻ってきた。
左の道は都道ではなかった。

なので、あと2本の街灯を探すべく右へと進路を取った。

もしかしたらあと2本は起点の水根側にある可能性もあるのだが・・・




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分岐地点から進むとすぐ見えてくるのがこれ。
檜原村福祉モノレール猿江線だ。




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「駅」があるのかと思ったが、都道を跨いでいるだけだった。

しかし、モノラック式のモノレール線路が超狭隘都道を跨いでいる箇所なんて、おそらくここだけだろうと思う。




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モノレール跨道橋から30mほどで街灯があった。
支柱には都道205号線0002番のシールが貼ってあった。

これは0001番も絶対あるぞ!確信した瞬間だった。




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空積みの石垣が歴史を感じさせる。
また左側はガードレール・・・じゃなくて、どう見ても木製手すりが設置されていた。




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先の谷、路肩の石垣施工に萌えてしまう。
いつ頃の施工かわからないところが残念だ。
何しろ大正9年(1920)には東京府道162号線として指定されており、古来より重要な道だったろうから、いつの時代のものか判明すれば、あるいは近代土木遺産指定とかがあるかもしれない。




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上の画像でも気になっていた箇所だったのだが、ガードレールのこんなイレギュラー使用法がなされていた。




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無名で狭い橋を通過する。
この先にも少なくとも3本、同様の造りの桁橋が架かっているのだが、過剰とも思える橋は都道だからこうなっているのかな??




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現在地はこの辺

ほどなく橋密集地に着いた。

都道には続けて2本、分岐する左の道にも1本の水色の橋が見えた。
そして矢印の箇所には街灯が建っていた。




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これこそが都道205号0001番照明だ。
となると水根側にはまったく照明が設置されていない?!




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これはこの地の2本目の橋になる。

ここはまだバイクでの到達可能であろうが・・・




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橋の先は未舗装となった。
未舗装になるとただのハイキングコースにしか見えなかくなった。




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さらに100mほど先にも橋が架かっていた。

電信柱も見えなくなったし、未舗装になった事で二輪車での到達可能はこの先難しいだろう。
街灯の0001番もゲットし目的も達成したと言えるので、この橋を最後に撤収する事にした。

(おわり)

  

静岡県熱海市 180度急カーブトンネル

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【13年12月8日探索・12月20日公開】

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現在地はここ

静岡県熱海市咲見町 熱海図書館のところを右折すると・・・




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何かこう、怪しげな雰囲気がある。
すぐ先に低いトンネルがあり、この先300mで行き止まりになるという案内が壁に書かれてあった。




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そのトンネルが見えてきた。
意匠は凝っていないが、ここから見た限り特に怪しいものには見えない。

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現在地はここ

もったいぶらずに種明かしをしよう。
と言っても地図をご覧になった方は一目瞭然だが・・・
5年前に訪問した群馬県上野村のトンネルと同様、180度カーブのトンネルなのである。




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内部には3枚のカーブミラーが設置されていた。

このトンネルがどれだけ凄いかと言うと・・・




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私のエクシリムだと24mm広角でもこれが限界だったが、その構造はおわかりいただけただろうか?

この隧道、野中山隧道といい、昭和27年の竣工だという。
延長21m、幅員4.5m、高さ3mというスペックなのだが、ここは注釈が必要だろう。内部が急カーブで180度方向を変えており高低差も6m程度はあるようだ。




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上部坑口脇には1軒の民家が建っていた。




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先にはリゾートホテル、マンションをはじめ、何軒も家が建っている。

なので、思いの外交通量が多く、私が滞在していた4分間に自動車4台、バイク2台、歩行者3名もの通行があった。
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