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群馬県藤岡市 廃道に仁王立ちのおにぎり

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【13年10月14日探索・11月11日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53935078_0?1384095952

現在地はここ

群馬県藤岡市鬼石 国道462号線だ。
これから三波川に架かる鬼石橋を渡る。
鬼石(おにし)は藤岡市に合併される前の町名であるが、ここはその旧町の中心地からは1kmほど離れている。

橋は新しく架け直され、平成22年3月竣工の銘版が輝きを放っていた。

私は平成20年6月にここを訪れていたが、そう言えばこの場所で工事をしていたような曖昧な記憶があった。




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旧橋は撤去されていた。

ん!!

何かあるぞ!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53935078_2?1384095952

橋が撤去され、橋台だけが辛うじて残る廃道に、まさに仁王立ちしているのは・・・




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国道462号を示すおにぎりだった。

ここ、地図上ではすぐ下流に架かる小さな橋記号が気になっていたのだった。
そちらも行ってみよう。




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という訳で、30mほど下流に架かる橋にやってきた。
歩行者用の橋として現役のようだが、国道の旧々橋なのかどうかは不明だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53935078_5?1384095952

橋脚などはけっこう古そうだし、橋脚と現在の橋の幅が合わないような気はするのだが・・・




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もう一度下から見上げてみよう。

このシチュエーションに存在するのが孤高というか、インパクト抜群だ。
何だか、かっけ~な・・・




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現在地はここ

以前訪問していた場所もすぐ近くだったので、ちょっと再訪・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53935078_8?1384095952

ここを左折して・・・




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神水ダムだ。
ダム堤体上が一応車道になっていて、対岸の埼玉県神川町へ行く事が出来る。

ちなみに、私がこの対岸に着いた時に1台の軽トラが私を追うように堤体を渡ってきたのだが、避けるのが精一杯で撮影する事はできなかった。

ダムの詳しい解説は以前訪問時の記事を見て頂くとして、私が気になっていたのは・・・




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これだった。

埼玉県旧神泉村の「テトラ」がまだ残っているのかが気になっていたのだが、5年前と何も変わっていなかった。「神泉村」の「村道2-2号線」という表記もまた、そのままだった。
合併は2006年1月なので、もう7年半にもなるのだが・・・

 

神奈川県山北町 木製床板の車道吊り橋

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【13年11月3日探索・11月12日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53937247_0?1384187328

現在地はここ

神奈川県足柄上郡山北町山市場 県道76号山北藤野線を走行中、左に気になる橋を見つけた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53937247_1?1384187328


少し進み振り返った。
側道入口には駐停車禁止の手書き風標識があったが、それは県道ではなくこの「農道」に適用されるものであるようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53937247_2?1384187328

気になる吊り橋だが、橋自体は特別に狭かったりボロかったりする訳でもないようで、普通に通行可能であるように見える。これはボツネタかも・・・

一応、車道対応なのか??




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まさしく車道吊り橋だった。
私が吊り橋観察をしていると1台の軽トラが農道に入ってきたのだった。
そして、橋に進入すべく2回ほど切り返しをして、颯爽と渡橋した。
つうか、荷台のおじさん、何かイイ感じだなあ。




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軽トラは対岸の茶畑に用事があるようだった。




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軽トラの出現により、多少あわてたようだ。
いつものヘリオス号による測定をすっかり忘れた。
まあ、さっきの軽トラからすると有効幅員1.6mといったところか。




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私は徒歩で1往復した。
地図読みでは70mほどの長さがあるようだ。
橋の名は「むこうがはらきょう」と、平仮名名だけが判明した。




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銘版も発見した。

昭和48年6月 山北町建造
形式は単径間補剛2絞(注:糸偏ではなく金偏)吊橋というらしい。

 

山梨県北杜市 県道23号・通仙峡旧道(その1)

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【13年10月20日探索・11月13日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_0?1384267998

現在地はここ

山梨県北杜市須玉町比志 通仙峡という紅葉スポットをご存知だろうか?
その区間は、元々県道23号韮崎増富線だったが、現在では通年通行止めとなっているという。
但し、毎年紅葉の時期の約1ヶ月間、歩行者のみ通行できるらしい~~こんな情報を聞いたら、行くしかない。

平成元年竣工の塩川トンネルを抜けると、合法的閉鎖道探索へのゲートが見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_1?1384267998

ちなみに車の場合、有無を言わさず右のロックシェッドに進まなければならない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_2?1384267998

そして、こちらが今回の探索スタート地点だ。
ヘキサが建っているが現在では県道指定は解除されたようで、北杜市道増富若神子線という路線らしい。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_3?1384267998

では控えめな張り紙の脇から進行!

ちなみに、この通仙峡トンネル、平成元年11月竣工である。
少なくとも平成16年2月には通行止になっているようで、そうなるとトンネルは長くても14年余りしか供用されていない事になる。
実際はもっと前から通行止になっているのだろうから、ここは悲運のトンネルと言えようか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_4?1384267998

こんな看板も常設されている。
毎年紅葉の時期だけ、歩行者が一部通行できるが、2013年に於いては11月24日までなので、行かれる方はお早めに!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_5?1384267998

トンネルは延長44.5mしかないのですぐ抜ける。
トンネルの先には橋が架かっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_6?1384267998

本谷川に架かる本谷橋、平成元年3月竣工、こちらも薄幸の橋と呼ぶべきか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53939029_7?1384267998

現在地はここ

本谷橋の20mほど先で振り返った。
yahoo地図だとここから右方向に道がある事になっているが、そんな事はまったく思わせないようになっている。
右の分岐だが、山の先にも道路なんて無いように見えた。
ここもまた人工廃道か??




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橋の先で道幅は急激に狭くなる。

(その2へつづく)

  

山梨県北杜市 県道23号・通仙峡旧道(その2)

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【13年10月20日探索・11月14日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_0?1384355760

現在地はこの辺

旧道は狭くなり1.5車線あるかないかになった。
かつては路線バスもここを通っていたのだが、この場所での離合は不可能だろう。

何か古びた標識がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_1?1384355760

まあこういうシチュエーションだから予想はしていたが、落石注意だった。




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左側には石仏がくりぬかれた岩の中に鎮座していた。

右の標識はまた落石注意なのだが、こちら側にも紙がラミネートされた「落石注意」の案内があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_3?1384355760

路線の愛称名である「増富ラジウムライン」の看板があった。
その右には取れてしまったカーブミラーが放置されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_4?1384355760

左カーブを曲がると、その先の路面は独特の模様を描いていた。
水が流れた跡であろう事は推測がつくが、どうなるとこのような模様になるのだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_5?1384355760

練石積みの石垣が年代を感じさせる。

この記事を公開している今頃はちょうど紅葉真っ盛りだろうが、この日はまだほんの少々色づき始めただけだった。しかし私は紅葉が目的ではなかったので、人があまりいないであろうこの時期をあえて選んだのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_6?1384355760

落石注意看板が生かされていた。
この看板は韮崎土木事務所名になっており、県道時代からあるものなのだろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_7?1384355760

開放されている旧道だが、ここまで一人の人にも会っていない。
開放に先立ち路面などは一応清掃もされたのだろう。廃のオーラは無かったものの、その寂しさは廃道と何ら変わらない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53941007_8?1384355760

先ほどと同様の道路愛称看板があった。
その下の白地に赤色の看板には「増富ラジウム温泉峡えあと2km」と書かれていた。




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現在地はたぶんここ

しかし、その5m先には通行止のバリケードが設置されていた。

ありゃあ・・・この先、どうしようかな・・・

(その3へつづく)

  

山梨県北杜市 県道23号・通仙峡旧道(その3)

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【13年10月20日探索・11月15日公開】

★記事内に通行止区間の画像がありますが、訪問を推奨するものではありません。もし訪問されてそこで事故等があっても当方は責任を負いかねます★

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現在地はこの辺

バリケードはあまり本気度が感じられなかった。
とは言え、バリケードの先は通行止とされていた。

ここはバリケードの先50mくらいの場所で、視界にも入る位置なのでズーム撮影も可能だ。

この先は・・・念写モードに・・・わるにゃん。




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廃道区間とは言え、さほど荒れた雰囲気は感じない。

先に、何か建っている。




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廃道区間に残るヘキサだった。
ちなみにこのヘキサの設置は平成6年なので、まさか設置してすぐ通行止にはしないだろうから、ここが通行禁止になったのは平成7年(1995)から平成15年(2003)の間に絞られてきた。




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谷を回る部分になるが、ここが結果的には最も落石被害が大きな場所だった。
これなら、埼玉県の現役遊歩道や神奈川県の現役林道の方がよほど凄い道だとは思うが、バスも通る生活道としてはふさわしくない立地という事だろう。




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苔むした玉石の擁壁も味があるのだが、ここは右のブルーシート付近に着目してほしい。




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これは珍しい。
しかし野猿でもないし、結局は簡易ロープウエーに分類されるのだろうか?
そもそも何に利用されている(されていた?)のだろうか?


手回し式なら利用してみたかったが、電動式のようだし、鎖で固定してあったように見えたので断念した。




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すぐ近くには、水位計と思われる施設があった。




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廃道ゆえか、静寂で平穏な感じの道路が続く・・・

(その4・最終回に続く)

  

山梨県北杜市 県道23号・通仙峡旧道(その4・最終回)

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【13年10月20日探索・11月16日公開】

★記事内に通行止区間の画像がありますが、訪問を推奨するものではありません。もし訪問されてそこで事故等があっても当方は責任を負いかねます★

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現在地はこの辺

コンクリ吹き付けの擁壁はかなりの高さになっていた。
このあたりの紅葉は見事だろうから、かつて路線バスや観光バスの車窓からは歓声もあがったことだろう。
今はひっそりと、獣のほかはごくまれに来る物好きだけか。




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空積みの石垣が崩れそうな場所を過ぎると・・・




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ゲートが見えてきた。




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このバリケードがまたやる気のないものだった。
右半分の白いやつだが、道路中央部分ではコンクリ台座に乗っているだけで、まったく固定されていない。
少し触れただけで、手前側に倒れてきた。
抑止効果はほぼない感じだった。




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供用区間を40mくらい進み、また振り返った。

なかなかイイ感じの旧道だ。




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回れ右し、進行方向へ進む。

いまや地元民しか通らない道は、どこか長閑としていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53944974_6?1384529921

そんな区間でもまだ県道指定はされたままなのか、ヘキサが残っていた。
現道が右から寄ってきた。




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現在地はここ

現道は日影沢橋を渡ってきての合流になる。
ちなみにこの橋、昭和55年3月竣工と、決して新しくない。
現道のルートの車道自体はけっこう昔からあったようで、県道23号の通仙峡区間の指定変えの際に多少の改良がなされたようだ。

ところで、ここでガードレールに注目!




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なぜか、文字は縦書きになっていた。




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そして、上の画像の右には道祖神(と案内板に書かれていた)が多数あったのだが、何かいわれがあるのか、そのうちの何体かは顔が後書きされていたのだった。

(おわり)

  

埼玉県長瀞町 狭いダブルカルバート

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【13年10月14日探索・11月17日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53946618_0?1384613452

現在地はここ

埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷 国道140号線から左に逸れる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53946618_1?1384613452

すると50mくらいで右折する道がある。
カルバートで国道をくぐる道のようだが・・・




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狭!

高さ制限2.2mの標識があるが、どちらかと言うと狭さの方を強調した方がイイのではなかろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53946618_3?1384613452

1台の軽乗用車が通過していったが、軽ですらこの状態だ。
入口両側には明らかに車が接触した痕跡が見られた。

この後ヘリオス号を使っても測定したが、有効幅員は2mもなく、1.9m強といったところか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53946618_4?1384613452

反対側に抜けた。

ここ、実は国道だけでなく秩父鉄道の線路も煉瓦カルバートでくぐっていたのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53946618_5?1384613452

この区間の開業は明治44年(1911)なので、おそらくこれは明治期のカルバートで、100年以上経っているのではないかと思う。

  

埼玉県飯能市 県道28号旧道区間(その1)

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【13年9月22日探索・11月18日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53948691_0?1384699822

現在地はここ

埼玉県飯能市下畑 県道28号青梅飯能線の旧道分岐である。
このレポは自分では当然「再訪」分類になるはずだと思っていたが畑トンネルの記事しかアップしていなかったようなので旧道廃道分類としたい。

さて、ここの旧道は左側になるが、この先400mくらいの区間には特筆すべき場所はなかったので割愛する。
それでもここをレポ開始地点にしたのは、現道がいつごろ造られ、旧道はいつから旧道になったのかを調べるために、この先の現道に建つ照明灯の年代を見たかったからだ。

照明灯の形状は埼玉県道の標準タイプのようだが・・・




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プレートは付いていた。
が・・・

平成62年だって!!何だよ、この年代は?

おそらくは昭和62年に設置されたが後年になって何かの理由でプレートを再度付けた。ただその時点では平成の文字が刻まれているものしかなく、細かいことはきにせずこうなった・・・実際それ以外説明がつかない。
もしも設置時にこうなっていたら・・・新しい都市伝説でもできそうだ。




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現在地はここ

さて、有名な畑トンネルを擁する旧道はここから入る。




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入口で出迎えてくれたのは「車両通行止」の看板2枚だった。




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このあたりは廃道ではないので、主要地方道の任を解かれホッとした感の旧道の雰囲気がある。
右側には埼玉県の境界柱が残っていた。




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この看板、5年前に訪問した際にも見た記憶があった。




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今ではごく限られた人しか目にしない、青看である。
ところで、これの設置年代は?




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昭和61年1月だった。

ここで、私は重要な情報があった事に気付いた。

それは「19」の数字だった。
都県道青梅飯能線は平成初期頃に改番されていたようだ。これはノーマークだった。
そうであれば、先ほどの平成62年のプレートについても説明が付く。




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右に1軒の民家があるがその先にゲートが見える。




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現役道路側にある30kmの速度制限標識も廃オーラを放っていた。
車両通行止ゲートは右脇がノーガード状態で、二輪車以下なら物理的には通行可能だ。

私は、ヘリオス号を降り、押しに入ったので「歩行者」として堂々と進入する。




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5年の間に、明らかに熟成が進んだようだ。
この先、どうなっているかなあ・・・

(その2へつづく)

  

埼玉県飯能市 県道28号旧道区間(その2)

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【13年9月22日探索・11月19日公開】

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現在地はこの辺

昭和62年までの主要地方道は廃道になり、四半世紀が過ぎた。
この先のトンネルは埼玉県でも第一級の心霊スポットとされており、この時点で既に16時を過ぎているのが私の気を重くしていた。

右に建っているのは・・・




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埼玉県の境界柱だ。
埼の文字が現在の漢字ではないようだが、これの設置年はいつごろなのだろうか?




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その先、道路は大きく左にカーブする。




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カーブ頂点から見るとこんな感じだ。
かなり熟成されたヘアピンカーブを曲がり、坂道を登っていく。




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そのすぐ先ではガードレールが落ちて地面と同化し支柱だけが残り、標識もまた立っていることすら出来なくなっていた。




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カーブミラーもまったく機能をなくしていた。
ガードレールが地面から復活してきたが・・・




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すぐに今度は藪に包まれてしまった。




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鬱蒼とした道を進む。
右に何かの支柱がある。




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どうやらヘキサがここに建っていたようだ。
県道28号のものではなく、改番前の県道19号のものが建っていたのだろうか?




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一瞬だけ、練石の石垣擁壁があった。




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ここ、ホントに26年前までは2車線幅の舗装路だったんだよな??
半ばジャングル化した道を進んでいく。




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舗装路は完全にシングルトラックになった。

そしてトンネルの穴だけが遠くに見えてきた。

(その3・最終回につづく)

  

埼玉県飯能市 県道28号旧道区間(その3・最終回)

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【13年9月22日探索・11月20日公開】

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現在地はここ

まだ夏場に近い季節だったとは言え、坑口付近はさらに鬱蒼としており心霊スポットとしての様相に拍車がかかっていた。
こんな状態だが、畑隧道は埼玉県内で最古の煉瓦隧道で、明治44年(1911)竣工の近代土木遺産としても価値のある隧道だ。




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内部は・・・5年前とそう変わらない印象だった。
天井付近の擦り跡も、白化した部分も変わっていない。




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延長は78mだそうだが、隧道周囲が鬱蒼としているせいか内部は真っ暗に近い。
そんな中「テン、テン、テン・・・」という音が洞内に響き渡っていた。




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犯人は反対側坑口近くに置かれていた、おそらくカーブミラーの部品だった。
このちょうど真上から水が滴り落ちており、音が出ていたのだった。




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隧道の先で右急カーブになる。




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こちら側の坑口だ。
よく見ると4重の煉瓦の周りは玉石施工だが、空積みではなく、セメントで固められていた。
セメント使用隧道としてもかなり初期のものと言えよう。




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こちら側もたまの歩行者が通るくらいなのか、完全にシングルトラックと化していた。




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そんな廃道途中に、畑トンネルの歴史について書かれた案内板があった。
昭和62年にバイパスが出来、旧道になり県道指定が外されたようで、それは反対側で確認出来た事とほぼ一致していた。

平成元年には「市道」であり、少なくとも長年の功績に「感謝」されていた旧道と隧道だったはずなのだが・・・




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案内板の先も「市道」には見えない状態だった。




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そして、こちら側のバリケードだ。
一応、30cmくらいの隙間はあり、人は通れるが、ヘリオス号を通過させる事もスムーズには出来なかった。




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反対側の一般道から見るとこうなる。
「進入禁止」と書かれた看板が建っているが、反対側には「車両通行止」しか、なかったぞ!

(おわり)

  

東京都青梅市 成木川に架かるレール木橋

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【13年9月22日探索・11月21日公開】

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現在地はここ

東京都青梅市成木 都道53号青梅秩父線だ。
このあたりでは成木街道と言う方が通りがいいかもしれない。

そんな都道沿いの成木川に、何だか気になる橋が架かっているのを発見した。




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橋の両側、橋台部分は丸石の練り積み、橋本体はどうも古レールのようだ。
しかも床板と欄干は木製だよ。これはレアだな。




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そんな好奇心の塊での訪問者に対しての警告があった。
青梅市の名前なので、ここは市道なのか??




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親柱、というか橋の記念碑的なものが建っていた。
昭和37年10月に出来たらしい。左には施工者の名が刻まれているのだが、●野さんとし判読できなかった。




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ちょこっとだけ渡ってこようかとも思ったが、通行禁止が明示されていたのでやめておいた。




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もう一度、橋全体を見てみた。
橋の桁部分(ラーメン構造のようだが)がレールなのかどうかをよく見てみよう。




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間違いなく、レールの流用だった。

鉄道から離れたこの場所で、しかも跨線橋でもない普通の川になぜここにだけレール流用橋が架かったのだろうか?
すぐ近くには奥多摩工業の砕石場があったので、以前にはインクラインでもあったのかもしれないが・・・

  

長野県長和町 閑散としていた旧県道

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【13年9月28日探索・11月22日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53956397_0?1385047049

現在地はここ

長野県小県郡長和町和田 国道142号線旧道から分かれる道路がある。
その道は国道142号新道にほぼ並行する形で男女倉大橋の先まで延び、県道155号男女倉長門線にぶつかる。
というか、新和田トンネル開通前はこの細道こそが県道155号線(昭和51年当時の県道ナンバーは不明だが)だった。

国道に並行する約2kmの旧県道を走ってみようと思う。とりあえず廃道ではないようだ。




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狭い橋だな・・・
橋梁名、竣功年は不明だった。




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左にあるのは中部電力の施設らしい。
水力発電所関連か?




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旧県道は離合困難な幅員だが、時折離合スペースがある。




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建物があったが、常時使用されているようには見えなかった。




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右に通行禁止の林道があった。
そのすぐ先、落石がアクセント的になっていた。

左側の少し先には・・・




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行く事は出来ないようになっていたが、橋が架かっていた。
明らかにここに発電関連施設があるようだ。




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その先、林道っぽい道が続く。




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雰囲気はなかなかイイのだが、構造物とかが少ないのが残念だ。




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高原の道っぽい、気持ちのいい道を進む。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53956397_10?1385047049

現在地はここ

別の道と合流し狭隘区間は終了した。
この2km強の間ですれ違った車は0台、平日なら利用者はいるのか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53956397_11?1385047049

ちなみにひとつ上の画像は、ちょうどこの新和田トンネルの料金所の裏側だった(この画像だと右の方)。


  

埼玉県秩父市 封鎖トンネルの先を目指す(その1)

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【13年11月9日探索・11月23日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53958264_0?1385138912

埼玉県秩父市大滝 滝沢ダムの堤体の上にいる。
滝沢ダム関連で、かつての原石山への道が気になっていた。
画像の岩場のあたりがそうかな。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53958264_1?1385138912

ついでに堤体からもう1枚。
あのループ橋、雷電廿六木橋がここからよく見えた。




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現在地はここ

この先を右折する。
右折した先はかつての工事用道路で、7段のヘアピンカーブで標高を稼ぐ。




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で、ヘアピンを上りきったところ。
このあたりは現在滝沢サイクルパークというBMXができる場所になっており、この日は大会があったので、数多くの人で賑わっていた。

私は矢印のように進みたい。




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原石山跡地という案内板があった。
まあすんなりと進めばいいのだが・・・




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簡易とは言えバリケードがあるので、たくさんの人から見えるのがイヤだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53958264_6?1385138912

それでも一気に進んだ。
何しろ進入禁止の類が書かれている場所は突破していないので、何か聞かれても説明は可能だった。




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現在地はここ

倉明トンネル、1982年10月竣工だ。
そこには扉があって、封鎖されているのは知っていた。
そこをどうにか向こう側へ行けないものか?というのが今回のレポになる。

トンネル直上ルートで向こう側へ行けないものか?とも事前には考えていたが、これだけ急だと困難だろう。
となると本命は左の芋平沢から上がっていく迂回ルートが考えられそうだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53958264_8?1385138912

それでもひょっとして、というキモチは少々あって、施錠は確認した。
やはりここから進入はダメだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53958264_9?1385138912

中はどうなっているのかな??
下から手を入れてみた。

何か右の方、崩落しているようだが・・・

(その2へつづく)

  

埼玉県秩父市 封鎖トンネルの先を目指す(その2)

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【13年11月9日探索・11月24日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_0?1385216103

現在地はここ

トンネル直上ルートは困難であろうという事は、地図を見ていてもある程度予測はしていた。
なので、ここを左に、芋平沢(と言っても思いっきり治水工事されている)沿いに行ってみようか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_1?1385216103

基本、こんな管理通路用と思われる階段があるので上りにくくはない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_2?1385216103

ふと右側を見た。
トンネル坑口の上に、明らかな踏み跡があった。
もしかして直登ルートがあるのか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_3?1385216103

と思い、その踏み跡を進んでみたが・・・

どうもこの辺の山林作業のための通路っぽかった。
地図の等高線が密なその地形はこんな急斜面なので、無理してここを進むのは現実的ではなさそうだ。元のルートに戻ろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_4?1385216103

沢の治水施工の斜面の縁を登る。
もっと真ん中に階段があるのだが、そこを登ると、下のBMX大会会場から丸見えなのだ。
私は通行禁止な場所は通っていないはずだが、やはり目立ってややこしい事になるのはイヤだった。




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現在地はここ

大きな平場に出た。
沢はここで角度を変える。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_6?1385216103

ここで下を見る。
下のBMX大会会場では、その表彰式らしき音声が流れていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_7?1385216103

ここから先はもう下から見えないので、通路が通れる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_8?1385216103

途中から疎林地帯のような場所になった。
先ほどまで聞こえていた音声も聞こえないので、秘境感は増してきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53959714_9?1385216103

下からここまで29分要していた。
ここを登ると次の大きな平場がありそうだ。

(その3へつづく)

  

埼玉県秩父市 封鎖トンネルの先を目指す(その3)

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【13年11月9日探索・11月25日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53961685_0?1385304422

現在地はこの辺

2つ目の大きな平場に出た。
mapion地図には昔からあったであろう両神方面への道が描かれていた。
私は基本このルートに沿って進み、どこかで道をはずれて目的の道路へと山の中を進んでいこうと考えていた。
ちなみに、現在地右の大滝の滝の字付近を中心地点にし、縮尺を拡大するとこんな感じになる。
目的地への位置関係がわかって頂けただろうか?




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ネットが張られているが、何のためだろう?
とりあえずネットの無い場所から進んでいく。

ん!!

何かあるぞ!!




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トンネルだった!!

地図にも描かれていないトンネルがこんな山の中にあった。




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工事用のものという事で間違いなさそうだ。
下の倉明トンネルよりも後に出来ているのだろうか?
銘版もないのでトンネル名は不明だ。

ここもまた扉が閉まっている。さっさと山越えルートを探すか・・・
(次回述べるが、私はここで痛恨のミスをしていたのだった)




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トンネル坑口付近からさらに上を撮影した。
時間があれば後でこの上も見てみようか。




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トンネルの右100mくらいの地点から山越えルートに入った。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53961685_6?1385304422

画像ではわかりにくいかと思うが、わずかな踏み跡があった。
先人が付けたものか、別の目的のものなのか、獣道なのかは不明ながら私もこの踏み跡に沿ってルート取りをした。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53961685_7?1385304422

紅葉が綺麗だなあ・・・

斜面自体はけっこう急で、何回か滑りながら進む。
もし滑落しても木があるので下まで落ちるような事はないだろうが、捻挫でもしようものなら遭難しかねない。
あと、クマが出るのが怖かった。




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現在地はたぶんこの辺

入山後50分が経過していた。
谷を見上げた。

この谷から先の踏み跡がわからなくなっており、どう進もうか迷っていた。

矢印の所に何かある!




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カラーコーンだった。
工事用道路から転がってきたのか?

あれを目指して進もうかと思い登り始めたが、画像で見える以上に険しく、しかもここは谷なので滑落した場合、かなり下まで落ちてしまうリスクもあった。

結局入山後1時間ちょっと経ったが、GPSが効かなくなった事もあり、日没までの時間から逆算するとここで撤退することにしたのだった。
元のトンネルがあった場所に戻ろう。

(その4へつづく)

  

埼玉県秩父市 封鎖トンネルの先を目指す(その4)

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【13年11月9日探索・11月26日公開】

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現在地はこの辺

先ほどの場所まで戻ってきた。
が、ここで費やした1時間半強の時間が勿体なかった。

もう16時に近かった。
上にもう1段ある沢の上部でも見たら下山しようか。

とりあえずもう一度トンネルを観察してから・・・




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トンネルには何と鍵がかかっていなかった。
最初にこれを見つけていれば!!

先ほども述べたが11月の16時近くにこんな山の中にいるのはけっこうリスキーで、下山時間や街灯の無い道を帰る事など考慮すると、残された探索時間はせいぜい20分といったところだ。

なので、13分間に進めるだけ進んで撤収する事に決めた。




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トンネル内部は坑口付近だけ巻立ててあり、中間部分はコンクリ素掘りだった。
また路面も舗装されていなかった。
まあ、工事用のトンネルという事を考えれば当然とも言える。




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3分の2ほど過ぎたところでのストロボ撮影だ。
向こう側から光は差し込んでくるが実際の明るさは・・・




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こんな感じだ。
反対側にも同じような扉が付いている。
どうやら関係者以外立入禁止という意味合いよりも、大型哺乳類の侵入を防ぐという意味合いの方が強い扉設置の理由である気がする。




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現在地はここ

反対側に出た。トンネルは体感的には300mくらいのような気がした。

現在地は地図といくらにらめっこしてもわかるはずも無かった。
ここは地図に描かれていない道なのだ。

私が来た反対側は左上の少し広い空間なので、体感距離からも一致した。




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その先もコンクリ舗装の丸型滑り止め路面が続いていた。




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一般的にはこの画像から得られるコメントは紅葉の事だろうが、私は下の道路が気になっていた。




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ここでいったん振り返る。
トンネル坑口はこちら側も飾り気の無いものだった。




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下をよく覗きこむと、そこには折りたたまれた道が見えた。




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先ほどのトンネル入口からここで13分が経過した。

決めたとおり今日はここで撤収としよう。

・・・トンネルの鍵って、きっといつも開いてるんだよな。
だったらまた来週来ればいいよね・・・

(その5・最終回につづく)

  

埼玉県秩父市 封鎖トンネルの先を目指す(その5・最終回)

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【13年11月16日探索・11月27日公開】

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現在地はこの辺

1週間後、再びやって来た。
今日は13時前なので、時間は充分にある。
さあ、先週行けなかったその先へ~

さて、鍵はかかっていない・・・




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!!

なんと、鍵は閉まっていたのだった。

ここでしばらく一人作戦会議を開いた。
この日は山越えするつもりは全く無くここまで来たので、これから気持ちを切り替えたとしても一回敗退している場所だけに越えられる自信はなかった。

結論、今日は撤収する事にし、とりあえずこの上がどこまであるのかを確かめようと思う。




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なので、橋を渡って先に進む。
 
歩道の仮設橋の向こう側に、車道の仮設橋もあったりする。




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未舗装の坂を登ると・・・




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下から3段目の平場があった。

矢印をつけ忘れたが、右の茶色っぽい屋根のようなものは何だ?




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屋根つきの祠があった。

けっこう新しく見えたので、昔からあるものではなく、工事の安全を祈願する等の意味合いで建立されたものと思う。




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沢が人工化されているのはあと1段分のようだ。
当然ここは最後まで登る。




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砂利道にはそれなりに背が高い雑草が生えていた。

自動車の通過は、現在皆無か、あったとしてもごくまれにしか無いのだろう。




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最後の登りだ。




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ようやく上まで着いた。
予想はしていたが、特に何がある訳でもなかった。
この先も徒歩道が続いているようだが、両神方面に向かう道なのか?




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上ってきた所を見下ろしてみた。

原石山跡地も含め、自然公園的な活用をするという案もあるようだが、数年後にどのように変わっているのだろうか?
月日だけが過ぎどんどん廃クオリティになる場合もあるが、とりあえず見守ろう。

原石山へはまた後日挑戦しようか。

(おわり)


  

山梨県韮崎市 幻の隧道?地図の誤描?

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【13年10月20日探索・11月28日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53965681_0?1385483671

現在地はここ

山梨県韮崎市穴山町 
私は地図を見ていて気になった場所があった。

この先の隧道記号なのだが、こんな細道に、しかも地図を見る限りでは頼りなさそうな隧道があるように描かれている。
いったいどんな隧道なのか、というか、この地形に隧道がある事自体、少々疑問だった。
これは行ってみる以外確かめようもなさそうだ。




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コンクリ舗装の道を進む。
上の高架は山梨県道17号茅野北杜韮崎線である。




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1段目のヘアピンカーブだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53965681_3?1385483671

これが2段目。




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そしてこれが3段目。




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現在地はここ

隧道記号の場所に来た・・・・が、隧道などなかった。
ロックシェッドなどの隧道類似物も少なくとも現在は無く、あったであろう痕跡も見あたらなかった。




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地図の誤描なのか??

一応もう1段ヘアピンカーブを降りて、その先も覗いてみた。
が、やはり隧道など存在しなかった。

2007年の航空写真には隧道らしきものは写っていなかったが、昔は隧道があったのかもしれない。

  

埼玉では秘境駅? 白久駅

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【13年10月27日探索・11月29日公開】

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現在地はここ

埼玉県秩父市荒川白久 秩父鉄道白久駅だ。
1面1線のこじんまりした駅だ。
古いレールが使用されている。

ちなみに昭和5年の開業である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53969591_1?1385657003

出口だ。
秩父鉄道はIC乗車券非対応なので、自動改札機はない。




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反対側から見るとこんな感じだ。
白久駅は簡易委託駅なので、無人駅とは違う温かみがある。



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駅前風景だ。
右の店舗だけがどうも営業中のようだ。




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そしてこれが駅舎になる。




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ひとつ上の画像の正面の道を進む。
この先50mくらいで右側を見ると・・・




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これ、何だかおわかりだろうか?

かつて(1990年代まで)秩父鉄道では直営のスケートリンクを経営しており、この場所にはスケートリンクがあった。
これが1周400mのスケートリンク跡である。

  

神奈川県山北町~相模原市 犬越路をゆく(その1)

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【13年11月3日探索・11月30日公開】

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現在地はここ

神奈川県足柄上郡山北町神縄 県道76号山北藤野線上だ。
この日は御殿場線谷峨駅を出発し主に県道76号、犬越路林道(神の川林道)を通り、中央本線藤野駅をゴール地点に設定した。
もちろん出来うる限り旧道には立ち寄る事としたのは言うまでも無い。

レポとしてはこの丹沢湖手前の旧道分岐から前回レポ地点である相模原市津久井町青根の大瀬戸トンネルまでとして犬越路を完遂したという事にする。

現在は県道76号はここを直進だが、丹沢湖が出来る前は左折だった。
なのでここは左折し、神縄橋を渡る。



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少し進むと高さ制限の予告標識があった。
2.7mだって!?
大型トラックやバスは通行困難だったという事か?




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苔むした石垣がけっこうな高さで迫ってきた。




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その先、旧県道はもっと険しい地形を通り抜けようとしていた。




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ダムが見えてきた。




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ロックシェッドが設置されていた。

黄色しか見えない標識があるが、よく見ると「右屈曲あり」で。うっすらと「神奈川県」の文字が読み取れた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53971429_6?1385739758

ダム下流部が良く見える場所があった。

ここではミニチュアモードで撮れば良かったかも・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53971429_7?1385739758

洞門があった。
ここが高さ制限2.7mらしい。

洞門には銘版などが見当たらず、いつからあるものかは不明だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53971429_8?1385739758

入口の柱には長年の怨念の跡も多数あった。




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洞門を抜けるとすぐにまた洞門+隧道があった。
とりあえず洞門の名は松ヶ山洞門という。

(その2へつづく)

  
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