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東京都奥多摩町 都道202号レポ(前半・その2)

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【13年7月28日探索・9月3日公開】

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現在地はこの辺

私は東京都道202号線を走っている。
しかし、ここが東京都内である事が俄かに信じられないような光景だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_1?1378133668

多摩川支流丹波川のさらに支流(蝉沢?)を渡る蝉沢橋にさしかかる。
と、ここでかつてあった旧橋へのアプローチが分岐していた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_2?1378133668

この先、民地というバリケードが設置されていたので、ここでの撮影に留めた。
現橋が昭和58年2月架橋なので、それまでの都道はこちらだったという事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_3?1378133668

落石注意 東京都という看板にどことなくギャップを感じるが、ここが東京都道である事を主張していた。
このあたりは1.5車線幅で、いわゆる兎道(とどう)と揶揄されそうな区間だが、この先もっとすごくなるのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_4?1378133668

山間に少し開けた場所があった。
大丹波地区の中心部になり、国際ます釣り場や民宿などもある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_5?1378133668

1.5車線幅のまま集落内を進んでいく。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_6?1378133668

ます釣り場をチラ見する。
流れ橋チックな橋が架かっているが、釣り場内のものなのでスルーしよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_7?1378133668

大丹波川を北上橋で渡る。
もう少しで都道は右に分岐するはずだが、どこだろう・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53791147_8?1378133668

現在地はここ

yahoo地図では既に都県道色に塗られていないが、ここがそうだった。

右の道、狭さもさることながら、あり得ないほどの勾配がここからでも見て取れた。
それでも轍もあるれっきとした車道であるようだ。

いったいどれほどの勾配があるのか?調べてみようか・・・

(その3・前半最終回につづく)

  

東京都奥多摩町 都道202号レポ(その3・前半の最終回)

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【13年7月28日探索・9月4日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53793135_0?1378221728

現在地はここ

この坂道を見て正直絶句した。
おそらくは車両通行可能な都道での最急勾配となる地点だ。

とりあえず観察してみる。石垣がなかなかイイ感じだな・・・

まず特筆すべきは車道でありながら手すりが設置されている事だった。
そしてこの勾配だが、画像に分度器を当てると24度、水平に撮影が出来たとすれば手すりの角度は20度だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53793135_1?1378221728

今回、新兵器が登場する。
スマホの傾斜計アプリで測ってみると・・・

23度を示していた。
これはなんと道路勾配に換算すると42%にもなるのだった。




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コンクリ舗装の滑り止め付き道路を登る。
もちろんこんな所、乗車してなど、というのは無理!




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急坂の上から振り返る。

ちなみに、帰路にここを通過した際、絶対に止まれないと確信した私は下りでも自転車は押しだった。




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あんな急坂の先にも、まだ何軒かの家がある。

街灯が設置されていた!




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やはりここが都道202号線である事は明らかだった。

雨が降り始めてきた。先を急ぐ。




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このあたりから山道になるのかと思ったら、意外な事に集落の先にあったのは車道対応の新道であった。




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新道は都道なのだろうか?
ひょっとしたら長大トンネルで青梅市成木7丁目まで一直線になる日が来るのかも・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53793135_8?1378221728

現在地はここ

画像ではわかりにくが一段と雨脚が強くなっていた。

車道で行けるところまで・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53793135_9?1378221728

地図通り、50mも行かないところで車道は終わっていた。

雨も強く降っているのでこれにて撤収しよう。
都道はこの左の方に延びていく道だが、この先の探索はまた後日という事で・・・

(前半のおわり)

  

埼玉県熊谷市~群馬県大泉町 東武熊谷線跡・残り(その1)

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【13年7月14日探索・9月5日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53795108_0?1378307626

埼玉県熊谷市に昭和58年まで東武熊谷線という非電化のローカル線があり、私は以前上熊谷~大幡付近までを探索したのだが、今回はその続きになる。

3年前に通った時には未成道路だったが、このあたりは完成しており供用もされていた。




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現在地はここ

ここからが3年前の続きになる。
3年前のレポの最後の画像はまさにここであった。

道路もここからはまだ未完成であるようだ。




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国道17号バイパスが見えてきた。
以前のレポで大幡駅があった場所はもっと熊谷寄りであるかのような記述をしていたが、実際は国道バイパスのすぐ手前付近だった。
しかし、それらしい痕跡は何も残っていなかった。

道、シングルトラックなのが、面白いな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53795108_3?1378307626

国道バイパスの先は歩道もなくなり、より廃線跡らしくなる。




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農道としての暫定供用なのだろうか?
農耕車のみ通行可能という看板が設置されていた。




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現役当時は単線だったので、それよりも広いというのが皮肉っぽい。
それにしても何だか気持ちのいい道だな・・・日影がなく暑いことを除けば・・・




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枕木らしき木が建っていた。
近づいてみる。




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隣に境界柱らしきものがあるが・・・




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50mくらい先にも枕木らしきものがあった。
今度はもっと近づけるぞ!




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まさに、東武の境界柱だった。
枕木は境界柱が設置されている所の隣に建っているので、目印のため撤去されないのかも知れない。

(その2へ続く)

  

埼玉県熊谷市~群馬県大泉町 東武熊谷線跡・残り(その2)

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【13年7月14日探索・9月6日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53796985_0?1378395505

現在地はここ

広かった「農道」も県道359号線手前で終了となる。
が、県道の先は・・・




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この、わずか150mほどの区間こそ、唯一往時の面影が色濃く残る場所だと言う。
道路幅が単線幅だ。




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熊谷線は延長10.1kmあったので、その中の150mなんて、すぐ過ぎてしまった。




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その先の区間は2車線幅の立派な道路になっていた。




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直線がずっと続くのは、自転車にとってはけこうツライ・・・




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福川を渡る。



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ここに架かる橋の名は「東武橋」だった。




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2車線幅の立派な道路のすぐ横に細い道路があるが、元々は細道しかなかった。




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旧妻沼駅の構内に入った(と思う)。

(その3へつづく)

  

埼玉県熊谷市~群馬県大泉町 東武熊谷線跡・残り(その3)

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【13年7月14日探索・9月7日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_0?1378485403

現在地はここ

「鉄道廃線跡を歩く掘廚竜述を覚えていた。
このイブキの木があるこの場所こそかつてホームがあった場所になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_1?1378485403

左手あたりに駅舎があったはずだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_2?1378485403

かつての駅前なのだが、私が初訪問した2005年頃にはもっと駅前らしさが残っていた。
柵も枕木製だったし・・・
その時にも撮影していたはずで、今回その画像を探してみたのだが発見できなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_3?1378485403

妻沼駅があった場所のバス停名は「ニュータウン入口」である。
そのバス停からけっこう広かった駅構内を写してみた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_4?1378485403

妻沼駅の先にも線路は延びていて、この左のグリーン色のあたりには機関庫があったそうだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_5?1378485403

その少し先、妻沼中央公民館には当時の車両、キハ2000系が展示されている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_6?1378485403

クリーム1色塗装、懐かしいな・・・

熊谷~妻沼間10.1kmを17分かけて結んでいたそうだ。
定格速度35.3km・・・特急カメ号と呼ばれる訳だ・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53798720_7?1378485403

内部の様子だ。

シートの色は7800系と同じだ。
中には以前は申し出れば入れたが、現在は入れないようだ。

最後に利根川向こうの未成線も見に行こうか。

(その4・最終回につづく)

  

埼玉県熊谷市~群馬県大泉町 東武熊谷線跡・残り(その4・最終回)

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【13年7月14日探索・9月8日公開】

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現在地はここ

群馬県邑楽郡大泉町仙石 本日の記事は正確には熊谷線廃線跡の記事ではなく未成線と仙石河岸線の廃線探索になる。

ちなみに妻沼のキハ2002からここまでの記事が無いのはこれで利根川を渡ったためである。

右に見えるのはオブジェではなく、廃線マニアには有名な熊谷線(小泉線)の1脚だけ残された利根川橋脚になる。
元々熊谷線は昭和18年、軍関連の工場の多かった太田への従業員輸送のために建設された鉄道であり、終戦時には利根川を渡るべく橋脚の建設工事中だったという。
全部で27脚(私の数え間違いでなければ)存在したが、この堤外の1脚を除きすべて撤去された。




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反対側から見た。
こうして見ると、熊谷線と未成線、仙石河岸線の墓標のようにも思える。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53800264_2?1378567498

未成線はほぼこの未舗装道の位置を通るはずだった。

ちなみに貨物線だった仙石河岸線の終点、仙石河岸駅はこの画像の左端あたり、現在野球場になっているあたりのようだ。




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仙石河岸線だったところは現在いずみ緑道という遊歩道となっている。




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右に東武運輸があるが、この付近がかつての新小泉駅だったようだ。




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線路跡・・・実際そうなのだが、そう言われればという何だか微妙な雰囲気でもあったりする。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53800264_6?1378567498

東武の境界柱がまだ残っていると他のサイトにはあったが、私は発見できなかった。
暑さのため探索意欲が減退していたせいもあるが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53800264_7?1378567498

このあたりになるとここが線路だったと言っても信じてもらえそうにない。
直線的なのが唯一の面影か。





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そして現在の終点、小泉線西小泉駅が見えてきた。
歩道橋の上から駅構内が見えないかな・・・



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53800264_9?1378567498

歩道橋の階段途中からこんな感じで見えた(画像はズームアップしてます)。
小泉線の線路は右側の架線が張ってある方だが、仙石河岸線のホームは左に見えるほうだったという。

(おわり)

  

静岡県熱海市 気になるカルバート(前編)

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【13年8月10日探索・9月9日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53802196_0?1378650295

現在地はここ

静岡県熱海市上多賀 この付近にあった隧道記号で2箇所ほど気になった場所があったので訪問してみた。
隧道記号と言ってもJR伊東線の下をくぐるものなのでカルバートであろう事は簡単に予想がつく。

まずはここを左折し150mほど坂を登る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53802196_1?1378650295

現在地はここ

いきなりの出現になるが、それにしても狭いな。
そもそも通行できるのか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53802196_2?1378650295

とくに通行制限は掲げられていなかったが、物理的に四輪は不可能だ。
水路併用で歩行者用の有効幅員は1mといったところか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53802196_3?1378650295

全体としてはちょうど1ヘリオスになる。1.55mだ。
高さの方だが、約1.8mになる。




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入洞しよう。
このカルバートは未確認ながら昭和10年の伊東線開業時のものと思われる。

照明もなく夜間などは通行したくない。
天井の黒色に見える部分は欠落ではない。構造的には特に不安はなかった。




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こちら側の出口付近の方が、この先すぐに急坂となるためだろうか、有効高さが少し高くなっていた。




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先は急な坂であるが、その先には集落もある。
自転車等での利用者はそれなりにいるのだろうか?




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反対側から見ると、かなり怪しげだ。
心霊スポットだと言われても納得しそうだ。

ところで一つ気付いたのだが、JR東日本のカルバートには「○○ガード」「○○暗渠」という名称が書かれている事が多いのだが、ここには名称を示すものが無かった。
もしかしたら当初は水路専用だったものを後年になって人も通れるようにしたのかもしれない。

もう1箇所、伊豆多賀駅方向にあるカルバートも行ってみよう。

(後編につづく)

  

静岡県熱海市 気になるカルバート(後編)

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【13年8月10日探索・9月10日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53802270_0?1378652978

現在地はここ

ひとつ南側のカルバートにやってきた。

こちらは車道対応であるようだが、何やら独特のオーラがある。




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「第三上多賀暗きょ」がこのカルバートの正式名だ。
独特のオーラを感じるのは「この先行き止り」と直接手書きで書いてあるせいか?

幅員は狭くないが、高さ制限は2.2mとなっている。
2.2mを超す高さの車は150mほど北側にある踏切を通るしかないが、広くない踏切だったので実質的にはこの先への進入は困難という事になる。




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反対側からだと日が当たっていたこともあり、さほどの違和感はなかった。
このカルバートもおそらくは昭和10年の伊東線開業時からあるものと思われた。




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私の推測通りなら78年が経過している事になるが、その内部はかなり老朽化が進んでいるように見えた。




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現在地はここ

カルバートを後にした私は右へと進路をとった。ここから約200mがおもしろかった。

・・・何やら道路に書かれていた。
やまやまいりぐち・・・否、この字は「㞮」であり「出」の異体字だ。
集落名ではなく苗字を示しているものと思われる。「スイ」さんか「イズル」さんあたりか?




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その先の路肩部分には「駐禁」と書かれていた。
路面に直接って、珍しいな。




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そのすぐ先には「注い」である。
10mほど先の対向車線側にも同様の表示がある。
カーブで見通しが悪い事への注意喚起だろうか。




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普通は標識や看板に書かれている内容がすべて路面なのである。
これが自治体公認なのかどうかは不明だが・・・




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細い道の交差点に来た。
「注い」×2、「とまれ」×2、右側のは個人宅への道であるようだ。

つか、線一本多いような・・・




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右の自販機に何か張り付いていた。
「みんなかんばろう」と呼びかけているが、これは一体何だろう??




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その先にも「注い」と「トマレ(先ほどと違いカタカナだ)」が書かれていた。

そう言えば最初の画像にあった「トマレ」とカルバートに書かれていた「この先行き止り」も同じ人(あるいは自治会?)が書いたものなんだろうな・・・




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そのすぐ先には「カーブ注い」があって、これが最後の道路表示となっていた。

手造り感と味があって、なかなか素敵な場所だった。

(おわり)

  

山梨県富士吉田市 セルフ踏切

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【13年7月6日探索・9月11日公開】

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現在地はここ

山梨県富士吉田市上暮地 今日は私が初めて見たタイプの踏切を紹介しよう。




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現在地はここ

左上に見える、富士急行線の踏切がそうなのだが・・・




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種別としては第4種になるものと思われる。
警報機なし、遮断機あり・・・ん??
しかも遮断機、閉まってるし・・・




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名前は、富士急行線宮ノ前踏切になる。

駅構内では鉄道会社社員用通路等で見かけた事のある、横断者自らが遮断機を上げ通行するというタイプの踏切である。
自分でこのタイプの踏切を利用するのは初めてだ。




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ただのバネ仕掛けの遮断機なのかと思ったら、一応開放通知のシステムがあるらしい。




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反対側に来た。

80mほど北側にはガードがあるのだが、ここも存続しているという事は、利用者がそれなりにいるという事か?
私が滞在していた8分間では利用者皆無だったが・・・




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JR205系のお下がり、6000系が通過していった。

近くに踏切がないので警報機の音は聞こえない。
レールの音が急に大きくなったと思ったら、いきなり電車の通過だったので少々驚いた。

  

東京都江戸川区 自然島は猫の島?妙見島訪問記(その1)

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【13年7月21日探索・9月12日公開】

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現在地はここ

東京都江戸川区東葛西 東京23区に自然の島がひとつだけ存在すると聞いたので、どんな所か訪問してみたくなった。
東京都道10号・千葉県道10号東京浦安線の浦安橋途中の分岐を車なら右から、歩行者や自転車なら左から分岐しスロープを降りる。




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ここは妙見島という。住所だと江戸川区東葛西3丁目だ。
そんな妙見島の案内図があった。

・・・どうやら工場ばかりだが、マリンクラブというリゾートっぽい場所もある。
人は住んでいないのかな??




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まずは地図に描かれていない左側を行ってみる。
つか、何かいるぞ!




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猫発見!
ちょっと寂しそうに見えたが、私についてくる事はなかった。




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現在地はこの辺

地図には道路は描かれていないがけっこう幅のある道が続いていた。




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ま、行けるところまで行ってみよう。




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この先、明らかに私有地っぽかったので、ここで撤収!
右に回ってみよう。




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「妙見島商店街」は浦安橋の下にある。のだが、釣り船屋と大衆食堂とラブホがそのすべてだった。




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現在地はこの辺

右側がメインストリートになっている。
が、日曜日であったせいか、人の姿がまったくなかった。




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さらに進む。
人は居ないが、また何か発見!

(その2へつづく)

  

東京都江戸川区 自然島は猫の島?妙見島訪問記(その2)

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【13年7月21日探索・9月13日公開】

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現在地はこの辺

先ほどの小さな塊は、もしやと期待した通りだった。
久しぶりだな、こんなに猫がいっぱいの光景は・・・




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最初に少し遠くから見たのがこの猫だ。




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左から2番目の矢印の猫がこれ。




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タンクのようなもの上にいるニャジラみたいな猫と、黒猫1。




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草むらから現れた茶トラ白だ。




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サビ猫さんは、郵便ポストの上が好きなのかも。




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先ほどの黒猫が移動してきた。
つまりここにいるのは黒猫1、黒猫2になる。




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この2匹も既に撮影済みだ。

にしても最初の1匹を合わせればこれで猫は8匹見た事になる。
ちなみにこの妙見島内で人の姿は6人見かけたので、少なくともこのタイミングでは猫の方が多かった事になる。




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猫たちに見送られながら、先に進む。

先にマリンクラブがある。工場ばかりの島のこの一角だけがなぜかリゾートなんだよね・・・

(その3・最終回につづく)

  

東京都江戸川区 自然島は猫の島?妙見島訪問記(その3・最終回)

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【13年7月21日探索・9月14日公開】

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現在地はここ

正面は月島食品工業という主に業務用食材の工場があり、右はマリンクラブ「ニューポート江戸川」だ。
何とも言えないギャップがある。




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そんな月島食品工業のすぐ手前にあるのが、妙見神社だ。
全国にいくつか有名な妙見神社があるが、いずれかの分社であろうか。祭神くらい確認しておけば良かったのだが、wikipediaによれば千葉氏(下総の豪族)の守護神である妙見菩薩を祀ったものらしい。




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右手のリゾートを見ながら、間もなく最終カーブになる。




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こんな風にボートの入出庫をしているようだ。
海ならばもっと絵になるのかもしれないが、ここは旧江戸川である。とは言え対岸は千葉県浦安市になるので、それなりの非日常感は醸し出している気もする。




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そして最後の直線になる。
車道ではここから先70mほどで私有地になるので歩道に入る。
歩道の方がほんの少しだけ先まで行けるからだ。




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右は1996年竣工の防潮堤になる。
その手前側が歩道なのだがひび割れが激しかった。
おそらくは東日本大震災の被害かと思われる。




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現在地はここ

堤防の上には行けないようだが、一応登ってみる。




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島の先端付近が見えた。
もう少し全体が見られる場所があるといいのだが、そんな都合の良いようにはならなかった。




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歩道は車道よりも30m程奥まで進行可能だったが、それもこの辺までだった。
雑草が生い茂っているのでどことなく廃の雰囲気があったりする。




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最後に妙見島を浦安側から撮影した。

たとえ川に浮かぶ島であっても何かロマンを感じるのは私だけだろうか?

(おわり)

  

神奈川県山北町 酒匂川の吊り橋(前編)

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【13年8月18日探索・9月15日公開】

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現在地はここ

神奈川県足柄下郡山北町谷ヶ JR御殿場線沿いの道路から国道246号線方面に抜けるための橋記号があった。
ちなみにこの御殿場線沿いの道路を進んでも、個人の畑などを除けば東名高速の鮎沢パーキングエリアにしか行く事ができない。外部からでも利用する事ができるようなので、パーキングエリアの変わった利用法として覚えておくのもイイかもしれない。




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矢印記号の場所を進むと橋があった。谷ヶ地区と川西地区を結ぶ貴重な橋になる。
しかもそこに架かっていたのは吊り橋だった。




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まずは正面から。
踏板が中央部分にのみあって、横板が渡してあり、敷き鉄線が存在する吊り橋になる。




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横からも見てみよう。
なかなか好ましいシルエットだ。




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下からも見てみた。
川面と河原に映る影は歪んでいるが、ここは現役の橋なので見上げると整然としていた。




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では渡橋しよう。
左に何か書かれているが「~を守り静かにお渡り下さい」は解読できたがあとは何と書いてあったのだろうか(この後、反対側でわかる事になります)。




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当初ヘリオス号を押していたが、横板の間隔がヘリオスのタイヤ直径よりも広いようで、タイヤが横板を踏み外すとそれだけで少なからずパニックになりそうだった。
そうじゃなくても思いの外よく揺れるし・・・
なので、担ぎに変更した。




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中央付近から上流側を見た光景になる。国道246号線が良く見える。
という事は国道からこちらも丸見えなのか・・・と言うとそうでもないようだった。
上り線は少し離れたところを走っているし、下り線からだと助手席からやや後方を見ながらでないと走る車内からの確認はそんなに簡単でもなさそうだ。

橋の記事なので1回で終わるかと思ったが、画像がけっこう多いので前後編に分ける事にする。

(後編につづく)

  

神奈川県山北町 酒匂川の吊り橋(後編)

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【13年8月18日探索・9月16日公開】

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現在地はここ

恐怖感は無かったが思いの外揺れる橋だった。
主塔がコンクリート製なので華奢には見えないが、構造的にはあの無想吊橋をも彷彿とさせる(実際構造は似ている)なかなか味のある橋だった。




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反対側に到着!担いでいたヘリオス号を地面に降ろした。

・・・あれ!反対側では何が書かれていたのかわからなかったが、こんな事が書かれていたのか・・・
山北町透間自治会の名前になっているが、架橋も自治会??

またこの看板設置は2002年1月とある(左下)が、このタイミングで架替か大規模修繕がなされたのだろう。

国土変遷アーカイブの航空写真で確認すると、どうも昭和22年(1947)には既にここに橋があったように見えた。
いつ頃からここに橋が架かり、現在の橋が何代目になるのか、ご存知の方がいらっしゃったらご教示いただきたい。




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せっかくだからちゃんと抜けてみよう。
まず目に入るのがこの建物なのだが、これはおそらく川の水位計か流量計だろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53816076_3?1379256253

アプローチ道は雑草も無く管理されている。
前方、生活感たっぷりだが・・・




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・・・ありゃ??




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矢印下の位置が橋への入口だった。
右は普通の民家である。
こりゃあ、こちら側からの探索だったら見つからないぞ!!




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もう20mくらい進み振り返って撮影した画像がこれなのだが、こちら側からの探索でこんな所でキョロキョロしていたら不審者扱いされそうだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53816076_7?1379256253

そしてアプローチ道はカルバートをくぐり国道246号線に出る。

・・・のだが、その手前に何か建っているぞ!




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馬頭観音・・・いや、牛頭観音だった。
対象が乳牛なのか使役牛なのか肉牛なのかは不明ながら、かつて牛と人間がパートナーだった事があったようだ。

(おわり)

  

群馬県大泉町 連続止まれ標識再訪

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【13年7月14日探索・9月17日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53818266_0?1379338722

現在地はここ

群馬県邑楽郡大泉町日の出 ここも4年前に訪問していた場所ではあったが、記事としては満足していなかった。
当時の画像だけだと伝え切れていないと思っていたからだった。

で、ここを右折する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53818266_1?1379338722

いやん!!

工事中で、肝心の止まれ標識が良く見えない!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53818266_2?1379338722

ミニショベルカーの先まで進み撮影した。
が・・・

9枚止まれ標識があるんだが、非常にわかりづらい。




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このあたりまで来れば先の標識までわかるのだが、7枚の連続だとインパクトがない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53818266_4?1379338722

現在地はここ

反対側までやって来た。ここからだと10枚見えるのだが、この大きさではやはりわかりづらい。
大きな画像もアップしてみたので、クリックしてみてください。

それでも伝えられていない。
この連続「止まれ」標識、実は13枚あるのだ。

かくなる上は・・・

当ブログでは初の動画になる。2分あまりになるが、ぜひともお付き合いいただきたい。
動画はここをクリック
(なお、動画では私自身がバランス保つために完全に停止していないように見えますが、二輪での停止定義を守り、一応申し訳程度に足は地面に付けて(触れて)います。)←イイワケめいていますが


ここの魅力、伝わっただろうか?

  

埼玉県日高市~飯能市 明治県道だった道(その1)

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【13年9月7日探索・9月18日公開】

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現在地はこの辺

埼玉県日高市上鹿山 県道(主要地方道)30号飯能寄居線だ。
この先鹿山峠を越えて飯能市に入るのだが、この区間には本県道の旧道にあたる、明治県道(飯能越生道)が通っており、そのルートは現在の道とは違っていた。
今日はその道路があった所を辿っていこうと思う。




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現在地はここ

県道30号の現道とバイパスが接続する地点だ。
普通なら新道にあたるバイパス道のほうが優先的な分岐になるはずだが、当のバイパス道の工事進捗が遅く未だ未完成なので、こうなっているのだろう。




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この分岐準備区間も未成区間という事になろうか。




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バイパスの分岐地点になるはずの場所から右に細い道の分岐があった。
これこそが明治県道の始まりだ。




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現在地はここ

県道の現道からわずか30mくらいしか離れていないが、旧道らしくひっそりとしていた。




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秘境の赴きさえあるぞ、これは。




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ずっとこんな道が続いていたらのどかでいいなあ、などと思いながら進んだ。
そう言えば一応舗装されているが、県道としての現役時代にはおそらく未舗装だったものと思われる。




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この最後の急勾配部分はきっと現道が出来てからの「付け替え区間」であろう。




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再び現道に合流した。
地図ではこのあたりに反対側に分岐する道がある事になっているが、どこだろう・・・




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現在地はここ

もちろんGPSも調べた。
地図に描かれていた分岐はやはりここだった。




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一応、5mくらいは進んでみたが、あえなく撤退する。
こんな場所に道路記号を描くなよな!

当初の目論見としては道路先端まで行き、線路横断を含め50mくらいだけ進めればその先にはまた道路が復活するのでそれを進もうというものだったが、いきなりの予定変更だった。

線路の反対側には大迂回をする事になった。

(その2へつづく)

  

埼玉県日高市~飯能市 明治県道だった道(その2)

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【13年9月7日探索・9月19日公開】

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現在地はここ

地図上での道の途切れは50m、実際は旧道入口で廃道だったので、線路の反対側の道がちゃんとあったとして道のない区間は約100mだった。
その100m分の迂回にここまでに24分を要した(入口がわからなかった事もあったが)。

この日高市清掃センター脇の道を進んでいく。




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このあたり、左側は割りと広い平地が広がっていた。
将来的には何か出来るのだろうか?




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ゴルフ場の縁を通っていくと・・・




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急な下り坂と、掘割が見えてきた。




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現在地はここ

坂を下りてから振り返った。

この右から降りてくる道と左の掘割道は日高市と飯能市の市境である。
そして、この掘割道こそが明治県道「飯能越生道」なのだ。

ちなみに、ここまでの迂回に要した時間は40分だった。

連続ルートにはならないが、ここから旧道探索に入る。




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なかなかヨイ感じの掘割が続く。




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掘割は左カーブを描いていた。

かつてここには飯能・越生間の定期乗合馬車が走っていたという。
大正9年(1920)ごろに現道ルートが開通しこちらは旧道になった。




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このあたりもまた緩い左カーブになる。




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その先でいったん旧道を見失った。

・・・それにしてもクモの巣が多すぎる。
短い棒を持って前を引っかきながら歩くが、それでも4回ほど顔面がクモの巣に突っ込んでしまった。

この先左側にまた掘割状の道を発見したので、さらにそれを進む。




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そう言えば地図には道路であると描かれていたが、実際はこちら側も完全廃道だった。




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現在地はここ

八高線の線路が見えた。
ここは明治県道があった所と思われるが、それらしい痕跡はなかった。

八高線の開業は昭和8年(1933)なのでその時点では既に旧道落ちしていた事になる。
周囲の地形から推測すると線路の横断は踏切があったと考えるのが自然だろう。

(その3へつづく)

  

埼玉県日高市~飯能市 明治県道だった道(その3)

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【13年9月7日探索・9月20日公開】

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現在地はここ

昨日の記事の分岐地点まで戻り、今度はそのまま直進する。




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路面をよく見ると、かわいいキノコが生えていた。
路面は未舗装なので不思議はないのだが。




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高圧線の鉄塔に当たった。
そしてここまでが自動車通行可能な道であった。

車道だったのは高圧線管理のためだったようだ。




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あれ??

何でここに国鉄の敷地境界柱が建っているんだろう?




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その理由は少しの観察で判明した。
この高圧線には前久保ー武蔵境という表記があったが、岡部武蔵境線というらしく、その持ち主はJR東日本だったのだ。
前久保は埼玉県毛呂山町にある地名で、そこから分岐しているという事か?

昭和14年11月という札が書かれていたが建設からだと70年以上も経っているという事になる?




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高圧鉄塔の左からシングルトラックが続いていた。

明治県道はどこだったんだろうか・・・
右の藪がそうでありそうだった。




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その先、杉林になり、道路であったであろう平地の幅はえらく広くなった。




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もう1本高圧線鉄塔があった。
ちなみにこちらは東京電力のものだ。

そして、道はこの先が無いようだった。




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現在地はここ

JR八高線の架線柱が見えた。
そして、進むべき道の所には何やらコンクリート構造物があった。




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ちょうど電車が通過していった。

・・・ここで言いたいのはそんな事ではなかった。
このコンクリ構造物は・・・それしか考えられなかった。




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ここにかつて架かっていた国鉄八高線(当時)跨線橋の橋台が完全な形で残っていたのだった。

この旧県道は大正9年頃に旧道落ちしたことは前述したが、一体いつ頃まで通行可能であったのか??
私の調べでは、戦時中までは八高線の跨線橋が架かっており、通行可能であったという。

そうなると架橋は八高線開業時の昭和8年頃、ここに橋がなくなったのは昭和20年前後という事になろうか。
の割には非常に綺麗な橋台である。
ちなみに、向こう側にはそれらしい構造物は何も確認できなかった。

それにしても線路が越えられなかった。また大迂回になる。

(その4へつづく)

  

埼玉県日高市~飯能市 明治県道だった道(その4)

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【13年9月7日探索・9月21日公開】

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現在地はここ

またしても大迂回し、県道30号を通り飯能市宮沢地区にやって来た。
私が辿ったルートは、黄色矢印の通りになる。




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コンクリート舗装の上り坂を登るとこんな交差点に出る。
ここは左だ。




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進むとこんな光景に出くわした。
軽自車以外進入禁止となっているがこれは左分岐道への表記である。

私は・・・直進だ!




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明らかにここからは廃道区間に入る。




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車は通っていないのだろう、たぶん・・・




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緑のじゅうたん道を進む。




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現在地はここ

ここまでの迂回に要した時間は51分だった。
橋が架かっていれば1分とかからなかったのだが・・・

明治県道はここで右急カーブとなる。
反対側には橋台が残っていたが、果たしてこちら側にもあるだろうか??




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反対側からこちら側を見た時には何も発見できなかったのだが・・・

あれ!!
足元、足元!!




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横から撮影してみたが、それでもわかりにくい。

が、こちら側にも橋台が残されていたのだった。
橋台からすると橋の幅は約3mであったようだ。

それだけあれば馬車の離合はともかく通行は十分可能だったろう。




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今来た道をとりあえず戻る。




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現在地はここ

いったんは舗装された道路だったが、この先はまた未舗装になる。




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右の道を進んでいく。

明治県道飯能越生道の面影が残る最終区間が始まった。

(その5・最終回につづく)

  

長野県下諏訪町~長和町 国道142号和田峠旧道(その6・最終回)

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【13年9月28日探索・11月10日公開】

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現在地はたぶんこの辺

このあたりに来て路面状況が特に悪くなってきた。




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それも道理で、という感じの大型トレーラーが通行していたのだった。
普通ならこんな国道旧道の峠のクネクネ道にこんな大型車は通らないはずだが、ビーナスラインの利用車なのだろう。




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今トレーラーが苦労して通過していった第9カーブが、一番急なヘアピンカーブだった。
そのトレーラーだが、下のほうでガタガタガタというものすごい音を発しながら坂を下りていった。




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さっきのトレーラーの音の原因はこれね・・・




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和田峠旧道もあと300mとなった。




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新道、というか左の道には旧道はないので、単なる合流予定の現道が見えてきた。




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第1カーブを回り込むと・・・




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終点が見えてきた。




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そして新道側から見た分岐地点はこんな感じだ。

左が新道、架かる橋の名は観音橋・昭和53年5月竣工だ。
新和田トンネル有料道路はこの年の10月4日だったので、割と直前に架かった事になる。

右は私が今下りて来た旧道になる。
峠の隧道が開通する前の昭和2年には、既に路線バスが運行されていたというから本当に古くからの重要な道だったという事を改めて感じた。

(おわり)

  
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