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神奈川県秦野市 県道701号・終点から(その2)

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【13年6月1日探索・8月14日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_0?1376407545

現在地はここ

上中丸橋の先はまたこんな0.8車線幅の簡易舗装路になった。
一応、街灯が設置されているが、日暮れ以降にここを通過する自動車以外の利用者はいるのだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_1?1376407545

地図には描かれていない橋があった。
さほど新しい訳でもないようだが、なぜか地図を拡大しても出てこない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_2?1376407545

県道は腐っても舗装路・・・
腐ってるだろ、これ!

けっこうな勾配なので私はヘリオス号を押しているため特に被害はないが、下りでスピードが出ていたら、きっとペットボトルがホルダーから飛び出すと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_3?1376407545
こんな簡易舗装で、側溝なしの道路でも排水溝は設置されていた。
路面の下は雨水管が通っているのか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_4?1376407545

少し広い道に出た。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_5?1376407545

振り返るとこんな感じだ。

ちなみに右は秦野市道、左が県道701号だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_6?1376407545

市道と合流し、県道はいくらかまともな道に戻った。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_7?1376407545

700mほど走るとまた橋が架かっていて、県道は右折しその橋を渡る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53752186_8?1376407545

久保橋、1991年3月・・・
それよりもその下「神奈川県」の文字が重要なんだよね。

こんな道路でも一応県道である事の唯一の主張である。

先に進むのだが、200mほどで私はある理由により撤収する事になる。

(その3・最終回につづく)

  

神奈川県秦野市 県道701号・終点から(その3・最終回)

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【13年6月1日探索・8月15日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_0?1376491468

現在地はここ

久保橋により再び中丸沢を渡る。
橋の先にライダーがいるが、この地点で引き返していった。

この先、そんなヤバイ状況なのかな?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_1?1376491468

右はゴルフ場になる。
で、県道は左の鬱蒼とした方になるのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_2?1376491468

すぐにネットがあった。
鹿よけのために設置されたもののようだが、現役県道上にこんなものが設置されているのは初めてだった。

ここで四輪はアウトになった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_3?1376491468

ネットのすぐ先には祠があった。
その祠の左に獣道のような道があったが、どこへ行けるのだろう?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_4?1376491468

道路自体は舗装されており、この狭さのまま延びていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_5?1376491468

が、それもつかの間だった。
舗装が途切れた・・・のではなかった。
何らかの力が舗装を剥がしたのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_6?1376491468

先ほどのネットがあった時点で四輪自動車は軽トラですら入れなくなっていた。
なので、この程度の路面損傷は通行対象(歩行者)には影響なしという事か??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_7?1376491468

・・・ホントにここ、現役県道なんだよな。
次回訪問時には何か補修とかされているのだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53753878_8?1376491468

完全に舗装が途切れた。
結果的にはここで撤収を決断したわけだが、その理由は・・・

この時点で時刻は17時を回っており、このまま無理しても全線走破前に日没となるだろう事もあったが、それよりもヤマビル遭遇率が非常に高そうな事が大きな理由だった。秦野市の山道ではほとんどの場所でヤマビルがガンガン出るという。現役県道を普通に通行していてヤマビルにやられたとあっては、何ともやるせないので、ヤマビルが出ない時期に再訪する事にし撤収する事にした。

(おわり)

  

山梨県上野原市 県道33号線旧道(その1)

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【13年4月20日探索・8月16日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_0?1376581127

現在地はここ

山梨県上野原市棡原 県道33号上野原あきる野線だ。
県道33号にあたる道は昔からあったものの、まともな車道になったのは戦後の事で、昭和28年にようやく路線バスが開通した。
便利になった途端、長寿の村として名を馳せた旧棡原村の平均寿命は10歳以上も下がったという。

そんな時代の忘れ形見的な旧道を中心に巡ってみようと思う。

まずは尾続大橋旧道だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_1?1376581127

何か工事用道路っぽい見え方になっているが、特に通行自体問題ない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_2?1376581127

ただ、明らかに通行車両は皆無であるようだ。
この区間、特に旧道には何もないので、通行する理由がないという事だろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_3?1376581127

旧道としてはまだこれから熟成が進むのだろう。
この先でいったん現道に合流する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_4?1376581127

いったん現道を進んだが、すぐに旧道があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_5?1376581127

から沢橋、2003年9月竣工の橋に対する旧道である。

山梨県内では旧道はすぐに人工廃道化される場合が多いのだが、ここは旧道がそのまま残っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_6?1376581127

短い旧道区間を過ぎると、現道上には何か石碑が建っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_7?1376581127

道供養だって!

供養しなければならない「何か」があったという事か?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53755731_8?1376581127

その石碑が置かれた年代は・・・

嘉永五子年 二月 という文字が読み取れた。

嘉永5年は1852年になる。ねずみ年という部分も整合性があった。

(その2へつづく)

  

山梨県上野原市 県道33号線旧道(その2)

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【13年4月20日探索・8月17日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_0?1376669946

こんな相当に無理のある階段を見ながら走ると・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_1?1376669946

現在地はここ

また橋の旧道が左に逸れる形で存在していた。

現道に架かる橋は尾続桟道橋という。
以前通行した際には竣工を示す銘版が付いていた記憶があったが、今回の探索時には外れたのか外されたのか、いずれにせよ銘版はなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_2?1376669946

旧道はガードレールで塞がれてはいるが、路面状態はさほど悪くないように見えた。




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以前通行したのは確か4年くらい前になるが、その頃とあまり変わらない印象だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_4?1376669946

反対側の合流地点にはバリケードは何も設置されていなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_5?1376669946

100mくらい進むと、再び現道と旧道が分かれる。
今度は右だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_6?1376669946

この区間は現役なので、廃のオーラはまったく感じられなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_7?1376669946

旧道はこの先でいったん現道を横切り、右に回りこんでから合流していた。
おそらく山が切り崩されたせいで、この平地区間のくねくね旧道は何か違和感があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_8?1376669946

現在地はここ

今度は明神沢に架かる新宮下橋、平成9年3月竣工の橋に対応している旧道になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_9?1376669946

工事中のようで路面は未舗装になった。
ここ、かなり狭いが、現役当時からこの狭さだったのかどうか不明だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_10?1376669946

こちらは宮下橋、昭和38年3月竣工になる。
車道橋としてはおそらく2台めになろうか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53757626_11?1376669946

工事用車両の通行により路面はけっこう傷んでいるが、廃道の悲壮感がない。
目的はともかく利用されているのが道路自身の喜びという事だろうか。

(その3へつづく)

  

山梨県上野原市 県道33号線旧道(その3)

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【13年4月20日探索・8月18日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_0?1376751142

現在地はこのあたり

元・長寿村の棡原地区だ。
昭和28年ごろに自動車道の開通、他地区の文化が入ると共に長寿村ではなくなったという何とも皮肉な経緯があった地区である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_1?1376751142

通行情報はまだアナログなものだった。
ここからが山越え道という事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_2?1376751142

ここ、路面を見て欲しい。
「スピード落せ」の後半3文字なのはさほど考えなくてもおわかりだろう。

で、前半3文字なのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_3?1376751142

前の画像の黄色のセンターラインを見て欲しいのだが、前半3文字と後半3文字の間は20mほども開いていたのだった。
何でこうなっているのだろうか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_4?1376751142

現在地はたぶんここ

ここは実は2度目の訪問なのだが、こんな場所に旧道があったなんて、まったくのノーマークだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_5?1376751142

未舗装だったのか、舗装を剥がされたのか、あるいはここはパイロット道だったのか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_6?1376751142

電柱はこの道沿いに設置されていた。
また、平成2年発行の昭文社の地図にはこの道が県道33号線として描かれていた。

この先の甲武トンネルの供用開始も平成2年なのだが、この地図にはそれはまだ描かれていなかった事から、トンネル供用前後に現道に切り替えられたと考えるのが妥当だろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_7?1376751142

水路を跨ぐ部分はグレーチングが設置されていたようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_8?1376751142

ここはイイ感じの雰囲気が残っていた。
しかし、ここは限りなく未成道であったのかもしれない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53759434_9?1376751142

現道に合流する。

以前訪問した際に探索できなかった、トンネル手前の未成道区間へ向かう。

(その4・最終回につづく)

  

山梨県上野原市 県道33号線旧道(その4・最終回)

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【13年4月20日探索・8月19日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_0?1376837989

現在地はここ

甲武トンネル手前だ。
トンネル手前にヒゲのような道が描かれているが、以前訪問時には何かの工事中でこちら側は探索できず、反対側の探索だけをした経緯があった。
山菜採り(?)の人たちの車の横をすり抜けて地図に描かれている道へと進入する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_1?1376837989

道は地図に描かれていた通りに、あった。
昭和後期に出来た未成道路で、未舗装だったようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_2?1376837989

元々の計画では道路は現トンネルの坑口前あたりを横切り、現トンネルの右側に抜けていたようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_3?1376837989

ただのパイロット道でないという証拠、としては物足りないかもしれないが、側溝が造られていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_4?1376837989

で、その右側にやってきた。
このオレンジ色の矢印の進路が元々の計画の道だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_5?1376837989

地形としては平場だ。
進路はシングルトラック分だけが生きている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_6?1376837989

シングルトラック通路のほかは、木が生えていた。
木の成長度合いからすると、20年くらいだろうか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_7?1376837989

道はまだ一応は続いていたが、はっきりとしなくなってきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53761610_8?1376837989

現在地はこの辺

ここで平場は終わりだった。
また、この地点でも側溝の存在を確認できた。

元の計画はいつ作られ、いつ変更になったのだろうか?

(おわり)

  

東京都青梅市 レール跨線橋

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【13年7月28日探索・8月20日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_0?1376927106

現在地はここ

東京都青梅市森下町 都道53号青梅秩父線の跨線橋のすぐ西側に架かっている跨線橋が気になった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_1?1376927106

おっ!!

レール使用の橋のようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_2?1376927106

構造は・・・えと・・・桁橋とアーチ橋とラーメン橋が合わさったような橋だ。






http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_3?1376927106

この先の集落にはこの跨線橋を渡るしかないようだが、四輪自動車はどう見ても通行不可能だった。

で、跨線橋の手前には駐車場があったのか・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_4?1376927106

橋の先の光景だ。
本当に車は停まっていないか、確かめればよかったな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53763806_5?1376927106

このあたりの架線柱には青梅電気鉄道が電化した際のもの(かもしれない)が残っていた。
もしそうだとすれば、大正12年(1923)製という事になる。

そう言えば、この跨線橋はいつから架かっているのだろうか??


  

静岡県熱海市 地図に描かれている隧道は・・・(その1)

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【13年8月10日探索・8月21日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_0?1377013233

現在地はここ

静岡県熱海市上多賀 国道135号赤根トンネルだ。
今日はこの先、地図の上の方に見える、小さそうな隧道へ行ってみようと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_1?1377013233

赤根トンネルは通らずに旧道を通る。
この区間は一方通行ながら現在も供用されている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_2?1377013233

昭和14年竣工の曽我浦4号片隧道を通ると、その先に・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_3?1377013233

現在地はここ

あれ?道路の分岐なんてあったかな?
いずれにせよ少々行き過ぎてしまったようなので、引き返す。

あ、でも、せっかくだから海の方でも見てみよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_4?1377013233

ビーチリゾート曽我浦の海岸と、かなり急な崖が対照的だ。

・・・よく見ると、何か穴があるぞ!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_5?1377013233

この穴は何だろう?洞窟なのか、遊歩道だったのか?
気になるなあ・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_6?1377013233

現在地はここ

地図上ではここから右に分岐するのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_7?1377013233

近づいてみた。
何か土嚢が積まれているが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53765723_8?1377013233

この線形、どう見たって道路だった場所だとわかる。
この封鎖状態からすれば廃道っぽかった。
そうなるとこの先にあるはずの隧道はどうなっているのか?内部崩落?

・・・いや、地図には描かれているが、隧道など存在しないパターンもありだぞ!

いずれにせよ、国道から直接封鎖道路に入っていくのはあまりに目立ちすぎなので、反対側からアプローチしてみよう。

(その2へつづく)

  

静岡県熱海市 地図に描かれている隧道は・・・(その2)

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【13年8月10日探索・8月22日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_0?1377097661

現在地はここ

当初、国道沿いからアプローチ道に入り、小さいであろう隧道を拝み、通行可能ならそれを抜ける計画だったが、国道沿いの道は廃道だったので、反対側のアプローチへと向かうためにここまでやってきた。

この先を右折するのがルートになる。
がその前に、左側に何か案内地図があるようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_1?1377097661

yahoo地図が正しければ、真ん中やや上の右の方に隧道記号があるはずなのだが、そういう記号は無かった。
地元の地図にも載らないような隧道・・・??

・・・こりゃ隧道は存在せずという結論もあるかも知れないな。
ま、進んで行けばわかる事だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_2?1377097661

2車線道路を右折したらいきなり離合すら困難な幅員の道路になった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_3?1377097661

簡易舗装の路面の、なかなかイイ感じの道路を進む。
あまりボーッとしているとフェンスのない所から落下しそうだ。
ちなみに、そのまま落下すると、下はJR伊東線線路である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_4?1377097661

現在地はここ

ここは左に進む。

右の階段付近に猫がいたのだが、警戒心が強いらしく、近づいてきてくれなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_5?1377097661

道幅自体はあるのだが、有効幅員は2mもないくらいだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_6?1377097661

急な坂を押しで上る。
 
これがアクセス道路?
この先にホントに隧道なんてあるのか?

とりあえず、ここがどれほど急かというと・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53767508_7?1377097661

スマホに水平器アプリを入れたので、それで計測・・・

13°を示していたので・・・道路勾配に直すと23.1%という事になる。
確かに急勾配だな。

(その3・最終回につづく)

  

静岡県熱海市 地図に描かれている隧道は・・・(その3・最終回)

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【13年8月10日探索・8月23日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_0?1377185693

現在地はここ

23%の勾配か・・・
押しでもけっこうキツイな。




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左の方が道は広く轍が目立つが、地図に描かれている隧道は右の細い道だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_2?1377185693

何か廃のオーラが匂うな・・・

つか、ここ、抜け道として利用できた時代なんて無かったろ!




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離合は不可能な幅の道が続いている。
が・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_4?1377185693

現在地はこの辺

舗装終了地点には簡易的なチェーンゲートが設置されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_5?1377185693

この時点でかなり隧道の存在には懐疑的だったのだが、まあ結果を見るまで進んでみよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_6?1377185693

隧道記号は水路か何か、道路以外の隧道なのではないかと思い、周囲も探しながら進んだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_7?1377185693

進路はこの先シングルトラックのまま急な坂道になるようだ。

これは、地図には描かれているが実際、隧道は存在していないというこの場所のようなパターンだと結論づけた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53769690_8?1377185693

一応、GPSで現在地探索・・・ここだった。
「隧道は存在せず」で一応の結論とするが、機会を見て反対側から再チャレンジしてみようと思う。

(おわり)

  

神奈川県山北町 トマソン水路隧道

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【13年8月18日探索・8月24日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_0?1377309586

現在地はここ

神奈川県足柄上郡山北町川西 ここのところの異常な暑さにたまらず少しでも涼しい地域をと思い探したのがこの地域だった。静岡県御殿場市はなんと猛暑日や熱帯夜になった事がないという。その御殿場からの国道246号線沿いのラインはその流れで比較的涼しい。
この日も関東一円軒並み猛暑日の中、山北町の最高気温は30℃であった。
・・・それでも、このあたりは照り返しで充分暑かった。橋の袂に設置されていた温度計だと34℃あったし。

そんな国道246号諸淵橋からふと左側を覗き込むと見えるのがこの水路隧道のなれの果てっぽい物体だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_1?1377309586

隧道(カルバート)の反対側を見たかったが、私有地となっており断念した。

で、何とか他の角度から見たいと思い橋の下あたりから撮影したのがこの画像になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_2?1377309586

地図を見れば、あれが何であるのかは想像に難しくないのだが、一応種明かしを・・・

諸淵橋の手前にはこのような左分岐がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_3?1377309586

で、この全面通行止看板の先だが、旧道があったのは明らかである。

水路隧道に見えたのは実は昭和51年まで国道だった旧道をくぐっていたカルバートと言う事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_4?1377309586

一応反対側も行ってみる。
ここを左に入る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53772188_5?1377309586

やはり私有地でこの先へは進めなかったが、神奈川県設置の看板がここがかつて県管理の道路であった事を物語っていた。

  

群馬県邑楽町・館林市 飛行場跡(前編)

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【13年7月14日探索・8月25日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_0?1377356302

群馬県邑楽郡邑楽町 国道354号線を東に進んでいる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_1?1377356302

現在地はここ

ここを側道に入り100mくらい先を左折すると・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_2?1377356302

日本運輸という会社の敷地が左に続く。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_3?1377356302

門があったので、その隙間から先の方を覗く。

ここ、2004年まで飛行場があった場所なのだが、現在どれほどその痕跡が残っているのかが気になっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_4?1377356302

現在地はここ

地図は航空写真モードにしてみた。
滑走路が残っている時の撮影だったようだ。
ここがかつて何であったのか、想像がつくだろうか?

そう、ここはかつて、大西飛行場という名の個人が所有する飛行場だった。
そしてこの場所こそ世にも珍しい飛行場の踏切があった場所だ。
「飛行機注意」の標識が設置されていたというから、現役時代に訪問できなかったのが残念でならない。

参考までにこちらのサイトに現役時代の記事がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_5?1377356302

現在はずっとフェンスが張られており、踏切道も入れない。

ここはフェンスの隙間から撮影した、かつての格納庫である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53773562_6?1377356302

ここは、燃料補給の場所だったところかな?

反対側に回って、飛行場としての正面、管制塔があった場所へ行ってみよう。

(後編につづく)

  

群馬県邑楽町・館林市 飛行場跡(後編)

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【13年7月14日探索・8月26日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_0?1377442283

現在地はここ

これが管制塔、というか管制室だった建物になる。
何だか、かわいらしいな。

大西飛行場は旧日本陸軍館林飛行場だった場所に、1964年に大西勇一という人が開設した600m滑走路を持つ個人所有の飛行場だった。平成4年に廃止されており、現在は日本運輸群馬営業所であり、この建物も同社のものになっているようだ。

ちょっとだけ入ってもよさそうな雰囲気だな。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_1?1377442283

このあたりが駐機場だったようだ。

冒頭の地図を拡大し航空写真モードにすると確かに小型機が何機か写っている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_2?1377442283

入口から正面側になる。

飛行場現役時代、この先に道路が続いていたようで、滑走路終端すぐ横を通り、燃料補給場への通路を横切る道路があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_3?1377442283

現在地はここ

ちょうど館林市と邑楽町の境になる。
止まれの「止」だけがなぜか読み取れないほど薄くなっている交差点を左折してみる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_4?1377442283

するとすぐにバリケードによる封鎖があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_5?1377442283

先の方のフェンス手前に簡易バリケードが設置されているが、世にも珍しい飛行機踏切の反対側がここだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_6?1377442283

現在は立ち入ることができない、フェンスの先はこんな感じになっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53775497_7?1377442283

さらに50mくらい西側から撮影したのがこの画像になる。

周囲に高い建物等がなく、地上2mのところからの撮影が精一杯だった。
飛行場だった雰囲気は伝わっただろうか?

(おわり)

  

東京都青梅市 青梅市道の廃道

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【13年7月28日探索・8月27日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_0?1377532546

現在地はここ

東京都青梅市沢井 青梅市道(たぶん62号)・通称青渭通りである。この道路は青梅街道の旧道でもあるようだ。
そんな通りが多摩川支流の青渭川を渡る、青渭橋に対応する旧道らしき道が地図に描かれていた。
当然右折してみる。

ところで、画像が見苦しいが、霊現象ではないと思うのでご容赦いただきたい。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_1?1377532546

現在の青渭橋をくぐるようになっている道は一応現役であるようだ。
で、私が気になるのは直進のガードレールで塞がれた先だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_2?1377532546

うほっ!
なかなか熟成が進んでいる。

この区間、現道の青渭橋は平成5年(1993)12月に竣工となっている。
間もなく20年物の廃道という事になろうか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_3?1377532546

かなり苔がすごい。
普通に舗装路を歩いていてふわふわした感覚って、なかなか体験できないと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_4?1377532546

橋が架かっていた。
青渭橋、昭和30年5月竣工である。

そして、橋の先は・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_5?1377532546

うわっ!!

激藪だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_6?1377532546

反対側と比べると異常な感覚があった。
この付近だけ土砂流入があったとか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_7?1377532546

路面状況はすごい事になっているのだが橋1本分の旧道なのでゴールは遠くなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53777542_8?1377532546

右の方から上ってくるのが旧道になる。

ちなみに左に行くとこの川や橋、通りの名のもとになっている青渭神社があるのだった。

  

静岡県熱海市 未成リゾート(その1)

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【13年8月10日探索・8月28日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_0?1377618180

現在地はここ

JR伊東線伊豆多賀駅に降り立った。
列車は伊豆急下田行きで伊豆急自慢のの2100系黒船電車だったが、この列車の乗車率は130%を超えており、こんな時には定員の多い一般車両の方がありがたいと思ったのは私だけだったろうか?

伊豆多賀駅は通るたびに見ており、何かこう秘境駅の雰囲気があるので一度降りてみたいとかねてより思っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_1?1377618180

振り返り、熱海方向を見てみた。

なかなか静かな感じがしませんか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_2?1377618180

駅前から駅舎を見上げた。
意外なことに有人駅だったが、バリアフリーにはかなり遠い駅だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_3?1377618180

駅前風景だ。
少し先に商店があるが、他には何もない。




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こちらは駅前広場左側だ。
自転車がほとんど目立たないが、バイクは多い。
それもそのはず、市街地からだと500mで40mほど標高が上がる。平均8%ほどの坂を登る事になるので、このあたりで自転車は物好きの乗り物なのかもしれない。

左の小さな小屋はタクシー会社の待合所か詰め所であるようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_5?1377618180

さて、目的地に向かおう。

目的地は伊豆多賀駅裏手のけっこう広い道のある一帯だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_6?1377618180

線路の向こう側に集落があるとすれば、そのアクセスには必ずこの狭い踏切道を通る。
それも気になったのだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_7?1377618180

伊東線上多賀踏切を渡る。
この先、何があるのだろうか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53779411_8?1377618180

あれ?

街灯が何かお洒落な感じであり、その向こう側にはヨーロピアンチックな建物がある。

これは、普通の集落とは違うな。何か、あるのかも・・・

(その2へつづく)
 

静岡県熱海市 未成リゾート(その2)

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【13年8月10日探索・8月29日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53781384_0?1377704377

現在地はここ

何かのゲート的な構えだった。
両側の建物とも中は無人だったが、この先は別荘地か何か、リゾート開発された場所であるように見えた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53781384_1?1377704377

先に進んだが、どうも様子がおかしい。

普通に考えればリゾートのエントランスを過ぎたのだから、少なくとも別荘は建っていていいはずだった。




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どうも工事が進んでいる雰囲気は感じられなかった。

道は二手に分岐する。
まずは右に行ってみよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53781384_3?1377704377

現在地はここ

道路は出来ており、街灯も設置されているがそれだけである。

明らかに完成に至っていない事は素人目にも明らかだった。




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その証拠がこの雨水枡の蓋なし状態であり、先の方の路面状況だった。




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ここまでが一応道路として見られる区間だ。

右に何かあるが、何だろう?




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完成すればきっと住人たちの憩いの場になったであろう、未成パーゴラだった。

ペンキが剥れておりかなりみすぼらしいが、恐らく2007年頃に工事がされたようだ。




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パーゴラ手前で道路予定地は左急カーブになっていた。

で、その先なのだが生々しい落石があった。




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今度は道路の路肩部分に立ってみた。

ちなみにこの10m先からは完全に道路はなくなる。




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線路上にはたまたま185系列車が通過していった。特急踊り子号だろう。

で、谷に広がる海の景色がなかなか素敵だった。

(その3・最終回につづく)

  

静岡県熱海市 未成リゾート(その3・最終回)

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【13年8月10日探索・8月30日公開】

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現在地はここ

分岐まで戻ってきた。
左はエントランス、踏切方向になる。
なので、今度は右に行ってみよう。




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こちらはすぐに未舗装路になった。
が、路肩には縁石もあって一応道路としての体裁は整っていた。

ここを左に行く道があるが、それは最後にする。




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すぐその先にも分岐があるが、まずは左のメインの道の終点を目指す。




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ここまで来ると通行する車も皆無に近いはずで、路肩の方には雑草が生い茂っていた。




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道がなくなった。
これにて引き返す・・・が、何か先の方に檻のようなものがある。




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もう少し近づいたところ、それは放置されたトラックで、檻のようなものは荷台の幌の枠だった。

今にして思えばこのトラック、もう少し観察すれば良かったとも思っている。
このあたり一帯が開発されようとしたのが2007年頃なのは、街灯や配電盤の年月から推測できた。
そして、工事が止まったのもおそらく07年か08年ではないかと思う。

が、何という業者が開発しようとしていたのかは不明だったので、このトラックに何か情報があるかもと思ったのだ。




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3枚目画像の右の道に進んでみる。
この道は農業等に利用されているようだった。



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なので深追いはせずに引き返す。

この景色、リゾートっぽかったのに・・・




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最後に2枚目の画像の分岐を左折すると・・・




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オブジェの先にはこの一帯で唯一の人家があった。

(おわり)
  
 
  

埼玉県熊谷市 狭い踏切

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【13年7月14日探索・8月31日公開】

★本日、仕事のため帰宅できないので小ネタでご勘弁を・・・

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現在地はここ

埼玉県熊谷市石原 

この先にある秩父鉄道の踏切がちょっと気になった。




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そこは1.65m車幅制限標識のある踏み切りだった。
踏切名は石原No5となっていた。




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本当に1.65mしか通行できないのか、確かめてみた。

1ヘリオス、あまり15cm、つまりは170cm程度が有効幅員と言える。




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反対側になる。
どんな車が通過するのだろうか?

なお、この踏切、脱輪やエンストした場合、発煙筒を焚いて列車に知らせるようにと書かれていた。
発煙筒の事前練習なしにこの踏切の通過は冒険かも・・・
  

  

通常記事は少々お待ち下さい

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イメージ 1

ちょっと仕事上トラブルがあって帰宅出来ていません。
通常記事は少々お待ち下さい。

東京都奥多摩町 都道202号レポ(前半・その1)

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【13年7月28日探索・9月2日公開】

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★今回の探索では山越え直前での激しいにわか雨のため、その手前までのレポになる事を予めご了承下さい★

現在地はここ

東京都西多摩郡奥多摩町川井 JR青梅線川井駅前だ。

青梅線は何度も乗車しているがこの駅に降り立ったのは初めてだ。
青梅駅管理の無人駅だそうだが、この日は駅員が居り改札等の業務をしていた。

駅前光景を見てみよう。




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唯一の商店?はビューティーサロンであるらしい。
駅内には飲料自販機がなかった(気がした)が、ここに2台設置されていた。

ん!
何か手書き看板があるが何だろう。




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常時設置されているわけでもないと思うが、この日は産直のきゅうりとなすが販売されていたようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53789959_3?1378099021

さて、本来の目的地へと向かおう。

うわ!
バリアフリーには遠いな・・・と思ったが地図を拡大してみたら車道が回り込んできていた。

いずれにしても私はヘリオス号を担いでここを降りた。




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いったん青梅線をくぐって国道411号線に出る。




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青梅線大丹波橋梁だ。
このPCアーチは昭和19年開業区間になる。




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大正橋から川井交差点を右折する。




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現在地はここ

ここが東京都道202号上成木川井線終点になる。
本都道には山越え区間があり、奥多摩町大丹波地区から青梅市成木地区までが車両通行不能のいわゆる分断都道である。

wikipediaによれば都道の延長は6602mだそうだ。

ここでキョロキョロ・・・




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都道探索の目印、付帯設備(照明)管理板があった。

ここは紛れも無く都道であることになる。
安心して先に進もう。




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120mか130mくらい進んだ。

ここで右に何か生えて?いるのを発見!




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都道202号のキロポストだった。

・・・でも、これ6.6kmのだぞ。wikipediaでの都道距離は6602mだから終点から100m以上も進んだこの場所に6.6kmがあるのは整合性が取れない事になるが・・・

まあいい、先に進もう。

(その2へつづく)

  
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