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神奈川県相模原市 県道76号・神の川林道旧道(その4・最終回)

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【13年5月18日探索・7月25日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_0?1374678242

先の方にトンネルが見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_1?1374678242

現在地はここ

大瀬戸トンネル、延長126m、1991年2月竣工だ。
地図では亡霊のように描かれている旧道は左にある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_2?1374678242

ここも人工廃道化工事がなされたようだ。
一見、何も無いようなその奥には・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_3?1374678242

旧道が辛うじてその痕跡を留めていた。
1991年に旧道になった道だが、平成8年(1996)発行・5万分の1地形図「上野原」には開通していたはずのトンネルは描かれておらず、この旧道が現役のように描かれていたのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_4?1374678242

何だろう、このコンクリート構造物は??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_5?1374678242

ここあたりのガードレールはまだ現役でも通用しそうで、どこかに移設すればいいのにという程に見えた。

ちなみに、この先ではガードレールが無かったが、本当にどこかに移設したのかも・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_6?1374678242

何だろうな、これ・・・

橋があったとは考えにくかった。
実は、地形図には描かれているのだが、この下には堰か砂防ダムがあるようで、その建設時の重量物運搬施設と考えるのが妥当だろうか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_7?1374678242

通行可能部分が、この路肩だけという区間もあった。
ヘリオス号、トンネル入口に置いてきてよかった・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_8?1374678242

恐怖の10mを過ぎれば、まだ気は抜けないが平穏な廃道?になった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53712915_9?1374678242

何か建物が見えてきた。
この先には採石場があるそうなので、その関連施設か?




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そしてトンネル反対側のすぐ脇に出てきた。
トンネルだと126mだが、旧道は300m以上あるようだった。

この時点で17時近かったので、これ以上の深追いはやめこれにて撤収した。
この続きはいずれ、そう遠くないうちに、反対側から・・・

(おわり)

  

山梨県都留市 桂川に架かる廃橋(前編)

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【13年7月6日探索・7月26日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53715143_0?1374764562

現在地はここ

また、変な橋を見つけちゃったんだよねえ・・・
富士急行線の下りで左側に座り車窓からの景色を見ていた私は、ほんの一瞬だが、橋が架かっていたのを発見した。
時間にして1秒にも満たなかったはずなので、橋の状態など知る由も無かったが、どうにもこの橋に呼ばれたような気がしてならなかった。

で、やってきたのがここ、山梨県都留市十日市場 国道139号線である。
この先の桂川(相模川)に架かる橋が目的地なのだが、行き方がわからない。
とりあえず、この先を左折してみる。




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そこにあったのは第4種踏切だった。
それにしてもこの踏切、名前が「11K680踏切」って・・・
起点からの距離そのままというのは珍しい。

もちろん、この踏切を渡る。




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木製電柱なんだ、ここ。
ハエタタキを思わせる通信線たちも素敵だ。




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踏切の先はシングルトラックが続いて・・・




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・・・いなかった。

何だよ、もう・・・藪を掻き分けながら進む。

橋はすぐそこに見えるようになった。




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開けたところに出た。
右、線路じゃん!

踏切じゃない所を横断すれば、藪こぎはしないで済んだ事になる。

ちなみに通過した電車は富士急6000系、元JR東日本205系である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53715143_6?1374764562

左、橋の方向には廃屋があった。
犬もかつては飼われていたのだろうか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53715143_7?1374764562

橋、到着~

何だ、こりゃ?
明らかに尋常な状態じゃない事は一目でわかった。

(後編につづく)

  

山梨県都留市 桂川に架かる廃橋(後編)

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【13年7月6日探索・7月27日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53717333_0?1374857418

現在地はここ

驚いた。
ホントに電車の車窓から一瞬だけ見えた橋が気になり来てみたらこの有様だった。
何だろう、この欄干の変状は・・・

まあしかしコンクリート橋のようだし、橋の桁部分などは問題なさそうだ。
とにかく渡ってみよう。




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前言撤回!
右岸近くでは橋げたが無くなっていた。




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さらに進み橋を渡りきったあたりから振り返った。




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その先もまた廃道になっているのだろうか?
都留市総合運動公園まで道は延びているらしいのでいずれ行ってみようか・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53717333_4?1374857418

改めて、何が起きたのかを考察してみたい。
右岸(手前側)の橋の袂の下側のえぐれ、桁損失部分に残った欄干が向いている方角(下流方向)、そして橋全体に渡る欄干形状の示す向き(下流方向)、やはり大増水があり橋の上部にまで濁流が及んだt考えるしかなかった。
この橋の位置まで水位が上昇するなんて・・・凄まじいな。

近年だけでも昭和58年、平成3年、平成12年、平成23年に豪雨があったが、そのいずれかの豪雨での災害だったのだろうが、その特定は出来なかった。



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53717333_5?1374857418

このあたりの桂川はけっこう狭くなっているので、このような被害になる増水はありうるのかも??

(おわり)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その1)

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【13年5月5日探索・7月28日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53718893_0?1374937845

現在地はここ

千葉県富津市金谷 国道127号のフェリー北入口交差点だ。
今回はここから9kmほど北上した湊地区までにいくつかある、国道127号線の旧道を走行してみようと思う。

ところで、フェリーとは東京湾フェリーの事で、神奈川県横須賀市の久里浜港まで約35分で結んでいる。
東京湾アクアラインが出来、多少利用者は落ちたであろうとは思うが、東京湾を横断する貴重なフェリーである。

そんな信号の先に旧道っぽい道がある。
右に行ってみよう。




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この先、がけ崩れで通行止だって?
そんな凄い崖があるのかな?
まあ、行ける所まで行ってみようか。




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分岐から200mほど進むと・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53718893_3?1374937845

予告通りではあるが、バリケードが設置されており、ここから通行止となっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53718893_4?1374937845

がけ崩れ、復旧されているみたいなんだが、常に危険箇所という事か?




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仕方がないので、反対側にやって来た。
現道はトンネルでここを通過しており、旧道は左になっているが、当然こちらも通行止である。




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で、このトンネルだが、1950年(昭和25年)竣工と、予想以上に古かった。




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大日トンネルの内部は素掘・コンクリ吹き付けであった。

(その2へつづく)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その2)

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【13年5月5日探索・7月29日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_0?1375023224

現在地はここ

典型的な旧道分岐が現れた。
直進は現・島戸倉トンネル、2003年8月竣工の全長102mのトンネルだ。
で、左折が旧道になるわけだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_1?1375023224

旧道の様子が何かおかしい。
この黄色い線、わざとかと思わせる土盛り・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_2?1375023224

路面の黄色い線は私有地を示すものだった。
そして、そのまま旧隧道へと続いている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_3?1375023224

地権者と自治体もしくはマンション住民との折り合いが悪いんだろうというのはすぐに理解できたが、このような形での封鎖ははじめて見た。

一応、車が通行できる2m程度は確保できていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_4?1375023224

内部は肋骨上の補強がなされていた。
この旧・島戸倉隧道は昭和18年竣工(補強は後年だろうが)、幅員5.6m、延長82mとなっていた(隧道データベースより)。

国道127号線のこの区間は元・軍事国道(特37号)だったので、戦時中の突貫工事により隧道が掘られた事になる。

ところで、途中から狭くなるのは何でだろう?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_5?1375023224

反対側から見るとこうなる。
左側通行である以上は、幅員の変化はさほど重要な意味はないのかもしれない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_6?1375023224

こちら側の坑口の「封鎖」はユルかった。
いずれこちらもバリケード化がなされるのか?




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53721104_7?1375023224

元々、100m余りのトンネルの旧道なので引っ張るつもりもなかったが、特徴があったもので・・・

ほどなく現道に合流するが、合流地点まで地権者の主張は続いていた。

(その3へつづく)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その3)

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【13年5月5日探索・7月30日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53723310_0?1375111324

現在地はここ

正面にはまたトンネルが見えてきた。
丑山トンネル、平成9年に拡幅され、銘版はその時のものとなっているが、元は昭和18年生まれの隧道だったようだ。

で、それに対応する旧道が右側にあるのだった。
ちなみに画像で見えるのは内房線の隧道だ。




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右折し、内房線の煉瓦橋台をもつ小さな橋をくぐり、ようやく旧道に立った。
ここを進むと・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53723310_2?1375111324

素掘隧道の登場だった。

旧版の地形図に載っていた(はず)の明治隧道だ。




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房総で素掘隧道自体は珍しくはないが、ここは比較的天井が低く幅員が広い。
もちろん、現役の隧道である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53723310_4?1375111324

反対側坑口だ。
隧道がかまぼこ型である事がよくわかる。




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隧道の先、右折は射撃場となっており、そのアクセス道が旧丑山隧道なのだ。
この先、皆右折で直進する車はないが、私はまっすぐ行ってみる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53723310_6?1375111324

作業小屋のような建物の脇を通ると・・・




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踏切は無いが線路はあった。
線路の向こうは現・127号線である。




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現在地はここ

20kmのキロポストの先にもまた隧道があった。
見た所旧道はないように見えたので、そのまま現道隧道に入った。

★見落としてましたが「山行が」でここ洞口隧道の旧隧道、しっかり紹介されてました★




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53723310_9?1375111324

洞口隧道、昭和18年、軍事国道として開通した時のままらしい。




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なので、内部はつぎはぎだらけで、まさに満身創痍であった。

(その4へつづく)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その4)

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【13年5月5日探索・7月31日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53725059_0?1375196167

現在地はここ

打越トンネルを通過した。
ここもまた昭和18年の隧道を延長・拡幅したようだ。

で、その北側坑口となりにあるのが「ピラム」の文字と謎の穴だ。

ピラムはこの横にある釣具店の店名とすぐ判明したが、この穴の正体は不明だ。
店の人に聞けばよかったのかも・・・




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現在地はここ

ここから旧道は国道を離れていく。




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何か見えてきた。




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ここはJRの変電所だった。




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で、この先、かつての街道だったはずの道は線路によって分断されていた。
「ここは踏切ではありません」とも書かれていた。




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線路の先にはちゃんと道があって、しかも舗装も復活していた。




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山の上に何かあるな・・・




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灯篭坂大師の入口である。
左側は、参詣者の休憩所に見えるが、使用される事もあるのだろうか?
少なくともトイレは休業中のようだった。




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この大師様も気にはなったが、それよりも・・・




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これ、これ!!
これが見たかったんだよ!

城山隧道の旧隧道なのだが、こんな変な形の隧道はそうそうあるものではない。

(その5へつづく)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その5)

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【13年5月5日探索・8月1日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_0?1375283131

現在地はここ

どれほど縦長なのか、比較対象物が欲しかったが車は通行しないので、いつものようにヘリオス号にモデルを務めてもらった。
道路の幅員は4.5m程度だが、隧道の高さは15m以上ありそうだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_1?1375283131

城山隧道の旧隧道は有名物件で、私もパソコンの画面上では何度か見ていたが、こうして目の当たりにすると見上げてうなるくらいしか反応はできなかった。




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反対側もなかなか味のある坑口光景になっていた。
この反対側に比べ地層の模様がはっきりとし、頭上注意の注意喚起の看板がアクセントとなっていた。




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その先、旧街道は真っ直ぐのはずだったが、私は左折し国道へと向かう。

ここには素掘隧道がまた連続していたのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_4?1375283131

その内部は房総半島では珍しくないタイプのようだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_5?1375283131

反対側だ。
灯篭坂大師としてはこちらが正面入口になるわけで、昭和31年建立の石碑が建っていた。

この隧道、短い割りに中央部のサミットがキツイのだが、ちょうどこの下には内房線の線路が走っているのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_6?1375283131

国道が見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_7?1375283131

現在地はここ

何とも印象的な場所だろう。
大小2つの国道隧道と変形鳥居、そして鳥居の先には素掘隧道があってさらに目視こそ出来ないが素掘隧道の真下にはJRの隧道があり、また素掘隧道の先には稀にみる変形隧道があるというまさにマニア垂涎の地だと言えよう。




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2本の国道隧道、もちろん通過した。
まずは城山歩道トンネル、昭和54年竣工だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_9?1375283131

そして、昭和18年竣工の城山隧道の車道隧道ももちろん通過する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53727261_10?1375283131

城山隧道もまた、気の毒なほどの満身創痍状態だった。
現役国道隧道の中でも、かなり悪い状態なのでは??

(その6・最終回につづく)

  

千葉県富津市 国道127号線の旧道たち(その6・最終回)

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【13年5月5日探索・8月2日公開】

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現在地はここ

このレポの最終区間の旧道は、現道が右カーブを描くここをやや左に入る細い道だ。




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右は住吉神社境内になる。
こんなのんびりした感じの旧道っていいな。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53729394_2?1375373080

すぐその先には国土地理院の水準点があった。
ここが昔からの街道だったんだと主張しているようだった。




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この先を右に坂を上っていくと現道に合流する。
上り坂になる手前を左折すると・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53729394_4?1375373080

この先の踏切は自動車の通り抜けができないという看板が建っていた。




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現在地はここ

わざと、こうしているんだろうな・・・

内房線の海良踏切は幅員1mの歩行者仕様の踏切だった。




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現道が近づいて来た。




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合流地点には特筆すべきものは見当たらなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53729394_8?1375373080

現在地はここ

ここから先はおまけの記事になる。
この区間の現道には1箇所気になる橋記号が描かれていたので、気になって立ち寄ってみた。
やはり歩道橋スタイルの跨道橋だった。




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取り付き道が見当たらなかったので、ムリヤリ上り、橋にたどり着いた。

銘版が読みにくい場所にあり、解読は完全ではなかったが、たぶん海良橋、たぶん1978年竣工だ。
農作業用に架けられたものでもないようで、まったくの歩行者専用だった。




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橋から見える景色は意外と良かった。




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橋を渡った人たちはどこへ行くのだろうか?

(おわり)

  

埼玉県秩父市 秩父公園橋の旧橋?武の鼻橋

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【13年3月16日探索・8月3日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53731215_0?1375460711

現在地はここ

埼玉県道小鹿野影森停車場線が荒川を渡る箇所には秩父公園橋が架かっている。
が、その下にもぐりこむように架かる、対応する旧橋のような橋があると聞いてやってきた。

ここの直進する。
確かに秩父公園橋の下をくぐる。




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こちらはいつになったら荒川を渡るんだ?

ガードレールでなく駒止が設置されているのが年代を感じる。




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ようやく着いた。
これが武の鼻橋、昭和28年架橋である。

未だに6tもの車が通れるらしい。




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橋自体の幅員は3.5mといったところか。
なので、途中には離合可能地点がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53731215_4?1375460711

6径間のPCゲルバー桁橋であるようだ。




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秩父公園橋と比べると大人と子供ほどの差があるが、武の鼻橋の方も通行車両は少なくない。




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秩父公園橋は平成6年竣工の斜張橋だ。
その橋の上から見下ろすと・・・




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ミニチュアみたいだな。

今度のカメラで通りかかったらジオラマモードで撮影してみようか・・・

  

東京都江東区 臨海地区に取り残された廃橋・青海橋

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【13年7月21日探索・8月4日公開】

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現在地はここ

東京都江東区青海 いわゆるお台場地区のほぼ中心地である。
東京テレポート駅から歩行者用のだだ広い橋、夢の大橋へ向かう。




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その夢の大橋から左隣に架かる橋を見た。

この画像からだとさほどおかしな状態には見えないだろうが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53733232_2?1375542614

現在地はここ

青海橋へは左側、この柵の切れ目のような場所から入る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53733232_3?1375542614

車道橋があるのがおわかりだろう。




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少し進み、振り返り撮影したのがこの画像になる。

ちなみに、歩行者は通行しても良い。
そういう意味からは厳密には廃橋ではないのかも知れない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53733232_5?1375542614

ここに掲げられた水域占用を示す板だが、平成6年9月に切れている。
そもそもシンボルプロムナード橋って・・・
隣に架かる夢の大橋は平成2年に竣工しているので、この廃橋状態の青海橋がそうなるはずだったんだろうか?




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一見新しそうなので未成橋かとも思うが、実際この橋は平成3年から平成6年まで供用されており、それは車道に残る轍の跡が物語っている。
当時、水の科学館から東京テレポート駅方面への仮のアクセス道として建設されたようだが、計画が変わり、撤去費用等の問題からそのまま放置されている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53733232_7?1375542614

橋だけが当時の状態のまま残っているが、その先の車道はない。

100m先には水の科学館の駐車場が広がっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53733232_8?1375542614

街灯(歩行者用としては供用されているので、夜間には点灯すると思われる)の竣工は昭和61年、建設主は東京都であった。




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すぐ隣に架かる三弦橋の水管橋も、青海橋に合わせるかのように何やら怪しげな雰囲気があった。




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パレットタウンの観覧車からもちゃんと見えるはずなので、こんな時代に翻弄されたような橋がある事を、注目してあげてほしいと思う。

  

家族旅行中

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イメージ 1

通常記事は少々お待ちください。

ついに、あの駒ヶ滝隧道が通行止になってしまいました…

入れれば入るつもりでしたが、目立ち過ぎなので、断念しました。

山梨県富士吉田市 線路沿いの枕木橋2つ

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【13年7月6日探索・8月6日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53737226_0?1375716301

現在地はこの辺

山梨県富士吉田市上暮地 まだ供用されていない道路が桂川支流の中野川を渡るところに架かる新屋敷1号橋からの光景だ。

下にここの旧橋というにはあまりに違いがありすぎる木の橋が架かっている。
ここも富士急行線の車窓から偶然見えており、気になっていたのだった。




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さっそく近づいてみる。




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左側に見える橋が、本来訪問しようとしていた橋なのだが、線路の下にももう1箇所、木の橋が架かっていたのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53737226_3?1375716301

鉄道のレールが桁になっており、その上に枕木が乗っているという構造だ。
鉄道時代とは位置関係が逆転している事になる。

すでに利用者はいないと思われ、枕木の劣化が激しい。
私も渡ろうと思ったが、それすら憚られる状態なのだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53737226_4?1375716301

で、無理しての渡橋はあきらめ、もう1つここで発見したガード下の橋の方にやって来た。

こちらは利用者がいると見え、一応の補修がなされていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53737226_5?1375716301

よく見ると、こちらもレール桁+枕木使用の木橋なのであった。

富士急からの払い下げなんだろうな。

  

埼玉県秩父市(他) さよなら駒ヶ滝隧道(おまけ画像付)

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【13年8月4日探索・8月7日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_0?1375802728

この隧道の現役時代の記事はここをクリック

現在地はここ


先日、がびごんさんの記事を見て気になっており、家族旅行の際に立ち寄ろうと決めていたのだったが、8月2日付けの新聞(埼玉版だが)を見て愕然とした。あの分岐トンネル・国道140号駒ヶ滝隧道が封鎖されたという記事が掲載されていたのだった。

まあ、それでも歩行者位は通行できるかもしれないと思い、やって来た。

つい先日まで国道はここで右折していたのだが、いまは直進である。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_1?1375802728

私は駒ヶ滝隧道がどうなったかが気になっていたので、迷わず穴の方に向かった。

立入禁止のバリケードが無情にも設置されていた。
物理的には乗り越えられなくはないが、あまりに目立ちすぎで通報モノだろう。
とりあえず隙間から・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_2?1375802728

内部はまだ以前と変わらないはずだ。そりゃそうだ、4日前までは普通に通行できたのだから・・・

すでに照明も落とされていた。
まったく今まで健気に頑張ってきた隧道にねぎらいとか、無いのかね・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_3?1375802728

現在地はここ

新たに国道に昇格したはずの桟橋道路を通行し分岐左側の坑口にやって来た。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_4?1375802728

ここもまた目立ちすぎで、とても潜入などできなかった。

ここでは新しいカメラのナイトショットモードとズームで内部を撮影してみよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_5?1375802728

それがこの画像になる。

あの止まれ標識の先が分岐地点だったのだ。
このあと、この隧道はどうなるのだろう??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_6?1375802728

隧道坑口の真上地点の歩道から、新しい国道140号と県道278号の分岐になった交差点を見る。
信号機が設置されたあたりにはかつて二瀬ダムの管理事務所があった。

ここの信号機、県道278号側が350mほど「単線区間」となっており、そのため以前よりはマシになったようだが、それでも信号待ちの時間はやたら長かった(こんな事なら計測すればよかったな。たぶん3分くらい)




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_7?1375802728

現在地はここ

一応、こちら側も来てみた。

こちら側では、隧道に入る手前(この画像の20mほど手前)に設置されていた高さ制限バーの上部だけが撤去されていた。




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本当にこのまま封鎖されてしまったりするのだろうか?

せめて、お別れ会でもやらないのかな・・・
秩父県土整備事務所さん、ご検討を!!




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★ここから2枚は旅行の際に立ち寄ったおまけ画像です★

現在地はここ

自転車は通行止の雁坂トンネルを初めて通行できた。

で、山梨県山梨市三富川浦 国道140号線沿いに展示されていた三塩軌道のトロッコである。
ここも、いずれ探索してみようと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53739168_10?1375802728

現在地はここ

手前の青看では国道411号と案内されていた気がしたが、mapion地図にはそうは描かれていない。
が、まあいい。
中央本線の踏切手前にあった旧標識を発見し、あわてて助手席の妻に撮影してもらったのがこの画像になる。
さりげなく現役なのが、シブいねえ・・・

  

埼玉県熊谷市~群馬県千代田町 赤岩(葛和田)の渡し(前編)

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【13年7月14日探索・8月8日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_0?1375888840

★訪問地自体は過去にも来ております★

現在地はここ

埼玉県熊谷市葛和田 私は県道59号羽生妻沼線にいるのだが、この先の突き当りを左折する。
左折方向の行き先は「渡船場」となっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_1?1375888840

左折した先は県道83号熊谷館林線になっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_2?1375888840

さらに進んでいくと、また突き当たりとなる。
今後は右折する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_3?1375888840

土手を登ると堤防上の道路と交差する。
地図には県道色が塗られていないが、県道416号利根川自転車道線である。

で、左前方の道を進み、堤防を降りていく。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_4?1375888840

グライダー、ラジコン、水上スキー・・・利根川河川敷はかなり賑やかな音がしていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53740896_5?1375888840

現在地はここ

小屋の前に建っているのは、葛和田バス停だ。国際十王バスの熊谷駅行がおよそ1時間に1本の割合でやってくる。
で、この小屋はここの渡し船の待合所となっている。

この黄色い旗だが・・・



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説明板があった。

渡し船についていろいろ書かれていたが、私が最も興味深かったのは「県道熊谷・館林線の道路渡船」の部分だった。
ちゃんと公認の県道(しかも主要地方道)渡し船なんて、そうあるものではない。




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説明板にも書かれていたように、黄色い旗を上げ、対岸の船を呼ぶ事にした。
それにしてもこの呼び出し方法、平成25年の世の中で、なかなか素敵な方法だな・・・

(後編につづく)

  

埼玉県熊谷市~群馬県千代田町 赤岩(葛和田)の渡し(後編)

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【13年7月14日探索・8月9日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53743156_0?1375978176

現在地はここ

待つこと5分、群馬県側に係留されている船は真っ直ぐにこちらに向かってこず、水上スキーの合間を縫って少し迂回してきた。
そのため発見が遅れた。急いで旗を降ろし船着場へGO!

ちなみに、この船着場アクセス部分も、yahoo地図では県道色に塗られている。本当にここも県道なのかな??




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船着場へ着くと、すでに係留作業中であった。
自転車も乗れるので、ヘリオス号も一緒に乗船する。




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すぐに出発である。
この船、新千代田丸のマーキュリー製エンジン音が軽快だった。




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この便では乗客は私とヘリオス号だけである。
定員23名と書かれていたがその能力は持て余し気味である。




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水上スキー、と言うか水上バイクと言った方が正しいだろうか。
周囲には何台もの水上バイクが走行していた。

この日はかなりの暑さで参っていたのだが、川の風が気持ちよく少し元気を取り戻したようだった。




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乗客1名+自転車1台に対し、船頭さんは船室で操縦されていた方を含めると3名、かなりリッチな乗り物のような気がしてきた。しかしながら県道連絡の渡し船なので運賃は無料である。

4年ぶりに利用してみたが、この小さな船旅はなかなか面白い。




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群馬県側に着くと船頭さんたちはすぐに詰め所に引き揚げていった。




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ここから館林駅前まで、つつじ観光バスの路線バスが1日10便程度(平日)運行されており、本数は多くは無いもののちゃんと徒歩・渡し船利用者の事が考慮されている事が、ちょっとイイかも・・・

(おわり)

  

千葉県市川市 最高標高地はゴミの山・行徳富士(前編)

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【13年7月21日探索・8月10日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53744862_0?1376059022

富士山が世界遺産登録となったので各地に存在する「郷土富士」の中から当ブログっぽい所を紹介しようと思う。

千葉県市川市 国道357号線だ。
ここを千葉方面に走っていくと、行徳富士と呼ばれている山が見える。
首都高湾岸線からもよく見える場所なのでご存知の方も多いと思う。




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現在地はここ

目的地が見えてきた。もう少し近づいてみよう。




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これが行徳富士と呼ばれている山である。
ここは1980年代から20年以上に渡って大量に投棄された残土の山で、市川市が制定した残土条例を制定し、江戸川区の産廃業者が市川市の再三に渡る指導を無視し、無許可で搬入を続けたそうだ(wikipediaより抜粋・集約)。その標高は37mにもなるという。
そしてこの山の頂上が市川市の最高標高となっているという。




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それを示す市長名の看板も建っていた。




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何とか山への登り口はないものか・・・
まあ最初から登れるとは期待してなかったが。




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現在地はここ

ここから行けるかも・・・と思い、進んで行こうとしたら、関係者の方に呼び止められた。
私有地のため進入禁止だという。
まあ、そうだよな・・・




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江戸川近くまで行き、同じ場所にもどってきた。
ものの10分と経っていなかったのだが、先ほどの場所はゲートが閉まっていた。
私は完全に不審者扱いだったようだ。

やはり紛争地なので、侵入はリスキーだという事なのだろう。

一応、北側も行ってみようか。

(後編につづく)

  

千葉県市川市 最高標高地はゴミの山・行徳富士(後編)

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【13年7月21日探索・8月11日公開】

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現在地はこの辺

北側にやって来た。
この左側は千葉県の終末処理場建設地となっている。




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こちら側からも頂上付近を見上げてみよう。
こうやって見るとただの残土のように見えるが、実際はゴミの山なので、タイルのようなものや金属などもかなり混ざっているらしい。




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右に道があるようだ。




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紛争地なので進入する気は既になかったが、ここから頂上へと行けるのかもしれない。




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さらに進むと、今度はあまり綺麗でないため池のようなよどんだ池があった。




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その池にも一応こんな橋が架かっていて、その先には藪が掻き分けられたような痕跡があった。
・・・この記事を見て、もしも行ってみようと思う方がおられても、オススメは絶対にしません。それでもと言うのであれば私は責任は負えませんので自己責任でどうぞ。




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ちなみに、さらに進むと終末処理場工事用の道路になる。
立入禁止ではなかったので、先に進んでみたが、特に何も無かった。




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最後に、全景をどうぞ。

皮肉を込め「行徳富士」と呼ばれている現状を、何か逆手にとって「登山ツアー」とか、実現しないものだろうか?

(おわり)

  

北海道千歳市 南千歳駅・かつての空港連絡橋は・・・

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【13年7月30日探索・8月12日公開】

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★スマホでの撮影のため画像が不鮮明ですがご容赦下さい★

場所はここ

7月30日、私は北海道に半日日帰り出張をした。北海道滞在時間は5時間強という非常に勿体ないスケジュールだったのだが、途中、南千歳駅で15分だけ時間に余裕がある事がわかった。
南千歳駅と言えば平成4年までの千歳空港駅で、かつて空港までの長い連絡通路があった駅だ。そして、空港連絡駅としての任を解かれた今もその通路の一部が残っているという。

これは見に行かなければ!!探索時間は15分しか無いが!!




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改札を出た。
この改札口(右側)がオープンカウンターになっているのも空港駅としての名残だという。




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北口には北海道道1149号南千歳停車場線と千歳科学技術大学の送迎バスも発着するロータリー、アウトレットモールも出来ており、まあそれなりに開けている。

対する南口はというと・・・先に進む。




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このあたりはまだ普通の通路っぽいが・・・




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すぐに「異変」があった。
凍結注意という表記で囲われている一角は、床が緑色だった。
もちろんカーペットやペンキの色ではない。苔が生えているのだった。

それにしても「凍結」と書いてあるんだから少なくともここ2、3ヶ月でこうなった訳じゃない事は明白だった。




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その先、壁で行き止まり・・・じゃなかった。
緑色に覆われた床面の左側に、一応エスケープ口らしきものがあった。

ここにも何か書かれているが、何だろう。




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支笏湖方面に行くバスがあるらしい。
これでこの通路の存在意義が辛うじて残っているという訳か?




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その階段の途中から、かつてのターミナル方向を写してみた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53748458_8?1376235360

そして、通路を降り、国道36号線の歩道に出たところだ。
何台かの自転車も停まっており、通勤、もしくは通学にもわずかながら利用されている。

ちなみに、冒頭の地図を航空写真モードにすると位置関係がもう少しおわかりかと思う。
かつてはこのプッツン地点から、航空写真でそれらしく写っているターミナル跡まで約300mほど通路が延びていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53748458_9?1376235360

通路をくぐると30mくらい先にバス停があった。
帰宅後に調べてみたら支笏湖の他に、札幌方面や定山渓温泉行などのバスも通過するようだ。
わざわざここからの利用者がいかほどかは不明だが・・・




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前の画像のフェンスの間から中に入る事が出来た。
実際、かつてのターミナル跡までは行けないのだろうが、時間があればもう少し行ってみたかった。

せめてもの1枚、かつての空港通路の切断面でも、どうぞ。

  

神奈川県秦野市 県道701号・終点から(その1)

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【13年6月1日探索・8月13日公開】

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現在地はここ

神奈川県秦野市寺山 県道70号秦野清川線から分岐する県道がある。
県道701号大山秦野線であるのだが、この県道を終点側から辿ってみよう。

★本レポでは全線走破していませんので、予めご了承下さい★




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終点から約700mは整備された2車線道路になる。
このあたり「山行が」で見たときにはもっと雑然としていたと記憶していたが、けっこう整然とした印象になった。




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その頃の名残はこのクッションドラムくらいか。
3本あったうち、2本は「神奈川県平塚土木事務所」と書かれており、1本は「神奈川県」とだけ書かれていた。




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突き当たりをyahoo地図によれば右折だ。




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道幅は1.5車線になり、乗用車であっても離合はかなり困難になってきた。




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その先、電柱の先あたりまで県道色に塗られているのだが、どうやらこの道は県道ではないのだ。




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現在地はここ

ほとんどの地図には県道は右だと描かれているが、県道701号は左折が正解である。
・・・って、ホントかよ!




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その先も、軽トラックでもなければ走行する事自体極めて困難な状況である。
ここは、直進方向に進む。




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あれ??
クッションドラムがなぜここに??

県道拡幅工事が終了した際に払い下げでもあったのか??




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一応、舗装はされているのだが道幅がかなりキワドイ。
一昔前のカーナビだと、県道だというだけで案内されちゃったりもしたのだろうか?


http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53750485_10?1376318186

橋が架かっていた。

中丸沢に架かる、上中丸橋である。
橋の上も離合は困難だが、それでも幅員3.5mくらいはありそうで、これまでよりは広い。

竣工に関する情報は残念ながら得られなかった。

(その2へつづく)

  
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