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神奈川県秦野市 戦前製?車道レール跨線橋

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【13年6月1日探索・7月5日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_0?1372870547

現在地はここ

神奈川県秦野市鶴巻南 小田急小田原線鶴巻温泉駅の南側の踏切だ。
この踏切脇の柵もレール製であるようだが、今回の主役はここではない。

ずっと向こう、150mくらい先に見える跨線橋になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_1?1372870547

地図を拡大すると現れる、生活道を通って目的地へ向かう。
直線距離でわずか150mの間で踏切が跨線橋になるという事は、こんな自転車には優しくない坂道があるという事だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_2?1372870547

坂道を登りきり、ようやく乗車可能になった。
前方に跨線橋の欄干が見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_3?1372870547

橋の手前には6.0tの重量制限標識が建っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_4?1372870547

下から見えないのだが、構造的にはラーメンになろうか。
5連のレールがそれぞれY字形となっているのだが、この手のラーメン橋としては異例の高さがある。
架線の位置から推測するに6mほどの高さになろう。
本当に6tもの重量に耐えられるのだろうか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_5?1372870547

反対側にも同様に6t制限標識があった。

親柱っぽい柱など見てみたが、橋に関する情報は何も得られなかった。

昭和21年の航空写真を見ると、同一の橋かどうかは判然としないものの、同位置と思われる場所に跨線橋は架かっているように見えた。

それからすれば、この跨線橋は戦前のものである可能性もあった。
小田急小田原線は昭和2年開業だが、同年中には全線複線化も完了していた。
なので、その時代のものであるかもしれなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_6?1372870547

ちょうど青いロマンスカー60000系MSE車が通過していった。

そう言えば小田急ロマンスカーって昔、オルゴールを鳴らしながら走っていたっけ・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669993_7?1372870547

自動車の通過シーンが撮影したくて数分間待ってみた。

乗用車1台でこんな感じになる。
橋の上での離合など、絶対不可能!!

  

茨城県日立市 現役可動式の歩道橋・水木歩道橋

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【13年6月8日探索・7月6日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_0?1373042940

現在地はここ

茨城県日立市水木 国道245号線に架かる道路横断歩道橋である。

私は以前神奈川県川崎市でかつて昇降していた歩道橋を見ていたが、ここ、茨城県日立市内には2箇所、現役で桁部分が昇降する歩道橋がまだ残っていると聞いていたので訪問する事にした。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_2?1373042940

水木歩道橋、昭和44年竣工と、横断歩道橋としてはけっこう古い部類になる。

さっそく上ってみた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_3?1373042940

どの部分から昇降するのかな?と思ったら、床版全面であるようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_4?1373042940

昇降時のガイドレール部にはさび付いてはいるものの、確かにそう昔でないタイミングで動いた痕跡があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_5?1373042940

真下に回ると、昇降桁である事がよりわかり易かった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53673870_6?1373042940

「主塔」部分にくっきりと付いた跡、おわかり頂けただろうか??

海上から持ち込まれた大型機器などを、主に日立製作所関係の事業所に運ぶために昇降式の歩道橋になったそうだ。
残念なのは、いつ歩道橋が昇降するかがつかめないのと、仮にそれがわかってもおそらくは夜中のはずで、見に行く事が容易ではない事だった。




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それでもここが現役のうちに一度、上っているところが見たいものだ。

  

神奈川県秦野市 幻のロープウェーアクセス道路(その1)

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【13年6月1日探索・7月8日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_0?1373123085

神奈川県秦野市の表丹沢には昭和30年代後半から40年代にかけて、ロープウェーが建設されるという計画があった。
その詳細についてはこちらのサイトに記載されているが、何でも計画がポシャった大きな要因が山麓駅までのアクセス道路の規格が不安だった事であったという。

いったいその当時、事業主体であった小田急電鉄はどんな道路に路線バスや観光バスを通行させようとしていたのだろうか?
無性に確かめてみたくなった。
調べたところ、現在の戸川林道(多くの市販地図やマピオン地図にはそう描いてあるが、普通の秦野市道かもしれない。が、ここでは戸川林道という名を使用する)が該当するようだ。

現在地はここ

この日の私の行動はこの探索のあと、そのまま丹沢林道を通った。
戸川林道はこの約3km以上先で丹沢林道と合流するが、戸川公園から先、丹沢林道合流地点までは帰りに撮影した画像をダイジェスト的に使用して、一気に3km以上進む事にする。

スタート地点は秦野戸川公園の北にある、キャンプ場との分岐地点にする。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_1?1373123085

その先、こんな看板があった。
これは自己責任で進めと言うことか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_2?1373123085

開始早々、思ったよりも険しい地形だった。
崖、高いなあ・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_3?1373123085

竜神の泉という湧水があった。

最も特徴的なのは、路面を川が横断している、洗い越しになっている事だった。

何枚か看板があったが、秦野市設置のヤマビル注意看板が印象的だった。
この辺、やたらに山道には入れないな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_4?1373123085

戸川林道は基本未舗装のようだ。
そのせいかあまり目立たないが、過去に大量の土砂流入があったはずで、本来の路肩の駒止めの大半が流出していたのだった。




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角柱のガードレールがあった。
これは昭和30年代のものである可能性が高い。




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何か標識が倒れていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_7?1373123085

拡大してみたが何の標識だったのかは不明だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53675875_8?1373123085

路面もまた、こんな状態だった。
こんな道にバス??かなり難しいのでは



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左が丹沢林道で、右が戸川林道である。
次回、ここから回れ右して、戸川出会方向へと出発する。

(その2へつづく)

  

神奈川県秦野市 幻のロープウェーアクセス道路(その2)

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【13年6月1日探索・7月8日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53677939_0?1373208215

現在地はここ
mapion地図では縮尺をここまで拡大しないと左側、丹沢林道が描かれていない。

私は実際は左側の丹沢林道から来たのだが、昨日の記事はあたかも右側(戸川林道)をずっと上ってきたように書いた。

今日はちゃんと進行方向へ、回れ、右!!




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未舗装ながら広いな。
これならバスが通行しても問題ないかも??




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そんな考えはすぐに改めなければならなかった。
狭いでしょ、これじゃ!
どうやって観光バスや路線バスが通るんだ??




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舗装があった。
と思ったら、この数メートルだけ・・・

ぬかるみになりやすいからなのか??




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何とか、大型車を通そうとしていたという意思の表れ、ガードレールがあった。
が、当初の色がわからないほど、錆びていた。




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記事的にはすでに昨日に登場しているが、実際はここで初めて角柱ガードレールを見つけたのだった。

実はこの先でも何度か同タイプのガードレールが登場する。
ここは昭和30年代のものと思われる角柱ガードレールの宝庫であり、マニア垂涎の林道だ。




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路肩注意看板があったが・・・
落石も充分注意しなければならない気がする・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53677939_7?1373208215

また短い舗装区間の出現なのだが、なんと川が路面を跨いでいる、洗い越しのための舗装なのであった。
本当に大型バスを通す計画の道だったんだよな・・・




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廃プレハブ小屋を過ぎると・・・




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やたら広い場所に出た。
ここがロープウェー利用者のための駐車場なのかと思ったが、山麓駅予定地まではまだ900mくらいはある。
しかし実際、これより先に大きな駐車スペースがあまりなかったので、ここから徒歩アクセスという予定にしていたのかもしれない。




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林道はまだ続いている。
山小屋・新茅荘の脇を通り先に進んでいく。

(その3へつづく)

  

神奈川県秦野市 幻のロープウェーアクセス道路(その3)

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【13年6月1日探索・7月9日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_0?1373295398

現在地はこの辺

昭和30年代のものである可能性が高い角柱ガードレールが続く・・・のだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_1?1373295398

何だか、だんだん埋まってきてるんだよねえ・・・




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そして、柱のてっぺんだけを辛うじて残し、路面によって埋め尽くされていたのだった。

・・・これって、崩落が頻繁にあって、その度に路面に敷き詰めていたとか、かな??




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路肩注意!
すぐ先は自然に出来た洗い越しの流出口となっており、その路肩としては狭くなっているだけでなく、明らかに強度にも問題がありそうだった。




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その先では完全に欠落した路肩部分を見捨て、現状で土留め施工されている箇所もあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_5?1373295398

この林道(現在は秦野市道52号線となっているようだ)には珍しく、この先には橋が架かっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_6?1373295398

橋梁名不明だが、この沢は新茅ノ沢というらしい。
沢の名を記した看板の設置者は秦野市丹沢遭難対策協議会という団体らしい。

目印に、という事なのだろうか?
だとしたら看板に番号でもふってあったらもっと役立つのでは??




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橋の先から簡易舗装が始まった。
そして現れたのは10%の上り勾配を示す標識だった。

・・・何か、ガードレールに挟まっているようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_8?1373295398

それは路肩に埋まっているポール(正式名がわからないので)のようだが、この付近にはこのタイプのポールは建っていなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_9?1373295398

舗装路面・・・なのだが・・・
自転車での乗り心地は未舗装路とあまり変わらない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53680125_10?1373295398

そんな上り坂をあえぎながら登っていくと1段目のヘアピンカーブでタクシーが抜かしていった。
登山者が上の山小屋から呼んだのかな?
こんな山中でも迎車料金っていっしょなのかな?

それにしても、こんなヘアピン、大型バスはやっぱり通れないよな・・・

・・・余計なことを考えたら少し疲れが紛れた。

(その4・最終回につづく)

  

神奈川県秦野市 幻のロープウェーアクセス道路(その4・最終回)

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【13年6月1日探索・7月10日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_0?1373383871

現在地はこの辺

簡易舗装の道はけっこう急勾配で登っていく。
つうか、急勾配だから簡易舗装施工になっていると言うべきか。

右側の積み上げられている緑色のものは、土嚢に苔が生えたものになる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_1?1373383871

もう1段ヘアピンカーブがあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_2?1373383871

その先、距離は長くないが絶対に路線バスなどが通行し得ない道幅になった。




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簡易舗装が終わった。
という事は急勾配も終わった。

目的地が見えてきた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_4?1373383871

最後の登りの先には山小屋があった。




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今来た道を振り返るとこうなる。
10%下り急勾配標識がいやに年季が入っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_6?1373383871

現在地はここ

山小屋「作治小屋」である。
この日はたまたま山小屋祭りが開催されようとしていた。
準備をする人たちでずいぶんと賑わっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_7?1373383871

夜はキャンプファイヤーもするらしい・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_8?1373383871

河原に車が停まっているが、そのあたりに山麓駅が設置される計画だったと思われる。

ここ戸沢出会付近(標高570m)から花立小屋付近(標高1370m)までを水平距離1227m、なんと70人乗りのゴンドラを稼動させようとしていた。
ちなみに、地図はここをクリック(左上に花立小屋があります)




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53682175_9?1373383871

作治小屋よりもう少しへも進んでみた。

結論:アクセス道路はやっぱり問題ありすぎ。事故多発していた可能性あり。

結局ロープウェーは出来なかったが、表丹沢の大山ケーブルカーなどとは存在意義も違うので、これで良かったような気がする。

(おわり)

  
   

埼玉県秩父市 旧国道の名残のおにぎり

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【12年11月24日探索・13年7月11日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53684406_0?1373473725

★本日は時間がないので小ネタでご勘弁を!

現在地はここ

埼玉県秩父市大滝 川又バス停付近である。
ここから秩父市内方向に行くと、1本だった国道140号線が2本になる。バイパスをさらに300mほど進んでいくともう1本旧道が分かれ、合計3本になる、その最初の分岐地点である。

左の方に建っているおにぎりが本日の主役になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53684406_1?1373473725

裏側を向いているやつは特に違和感はない。
表は国道140号のおにぎりだった。

おかしいのはこの右側のヤツだよ・・・
道路じゃないところに建っているし。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53684406_2?1373473725

東屋があり、その手前なので、明らかに道路じゃない・・・
だが、おにぎり手前には埼玉県の境界柱まで建っている。

ここで、先ほどの地図の拡大版を見て頂くと、謎のヒントが描かれていた。
平成9年(1997)、国道140号大滝バイパスが出来る前はこのおにぎりが建っていた場所は国道140号(下)の路面だったのだ。

その名残が、最初の画像の中央右手にあるガードレールにもあった。

しかし、何でおにぎりだけそのまま放置されているのだろうか??

  

東京都檜原村 地元有志の協同橋

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【13年4月20日探索・7月12日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_0?1373558306

現在地はここ

東京都西多摩郡檜原村南郷 私は都道33号上野原あきる野線から200mほど横道に入りここまでやってきた。
目的地はこの先におそらくあるはずの橋だった。

この先、歩行者だけの道を進むと・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_1?1373558306

先の方に、橋、発見!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_2?1373558306

お!
なかなか雰囲気のよい橋だな。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_3?1373558306

傍らに建っている看板のようなものは、この橋に関する情報が載っていた。
橋の名は柏木野下平橋、また昭和45年1月(竣工?)の文字があった。
特筆すべきは、この橋、地元の有志たちの寄付によるものであるようで、その寄付者の名が多数記載されているのだった。

では、渡ろうか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_4?1373558306

床版は木製だ。
あまり厚い木材ではないので、重量物は運べないかもしれない。

ちなみに、南秋川の対岸側2mは土橋に近い状態になっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_5?1373558306

橋は下から見るのが一番。
なので、この橋の下に回ってきた。

床版、やっぱ油断ならない状態かも・・・
橋台も年季が入っていて味がある。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_6?1373558306

もう1枚はサービスショット??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53686269_7?1373558306

最後に全景になる。

ところでこの橋、構造は何だろう?
欄干がトラスっぽいが、このトラスは橋全体の強度アップには貢献していないだろう。
桁下のアジャスターが気になるが、まあ桁橋だろうか。

  

茨城県日立市 日立電鉄跡(南側・その1)

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【13年6月8日探索・7月13日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_0?1373647461

現在地はここ

茨城県日立市水木町 JR常磐線細田第一踏切だ。

ここ、踏切道が何やら長い。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_1?1373647461

そう、踏切道にはほんの8年前までもう1路線、日立電鉄があって、その踏切もあったのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_2?1373647461

北側を見てみた。
これは・・・呼ばれている!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_3?1373647461

と、その前に南側、大甕駅方向を見る。
この先、駅構内あたりには遺構らしきものは何も残っていないようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_4?1373647461

ではえあrt北側に進入しよう・・・
と思ったが、地元の人が通ったので1テンポ置く事にした。
立入禁止とはどこにも書かれていないのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_5?1373647461

北側に向かって100mほど進むと、けっこうジャングルとなっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53688002_6?1373647461

その先で行き止まりだった。
地図には常磐線を跨ぐ橋があるように描かれていたが、既に撤去されていた。

わずか8年でけっこう変化するもんだな。

(その2へつづく)

  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その2)

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【13年6月8日探索・7月14日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_0?1373725717

現在地はここ

昨日の記事では大甕駅の少し北側を探索したが、本日以降の記事は駅南側から常北太田駅までを目指していく。

大甕駅の南側で再び常磐線を跨いでいた日立電鉄だったが、その跨線橋も既に撤去されていた。
で、再び常磐線東側になったこの場所から先、久慈浜駅があったところまでが、バス専用道として本年3月25日にBRT(バスラピッドトランジット)システムを導入し廃線跡が再利用された。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_1?1373725717

専用道入口に設置されたバス停は臨海工場西という名だ。
バス道はここで150度くらいのターンになるが、元の日立電鉄跡はこの右側の道になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_2?1373725717

それがこの画像で、この先で常磐線を渡っていたが、前述のとおり跨線橋は撤去済みだ




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_3?1373725717

現在地はここ

県道254号線の吹上橋という名の元跨線橋の上から専用道を見た。
鉄道時代と違って大甕駅~久慈浜駅(現・南部図書館)の間に5つのバス停が設置されている。

少し遠くに見えるバス停の名も吹上橋だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_4?1373725717

次のバス停、どうのいり公園だ。
専用道区間では各バス停で離合可能になっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_5?1373725717

現在地はここ

専用道には歩道が設置されているが、自転車の乗車禁止だったので迂回した。
で、ここにいるのだが、急勾配がどうしたって??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_6?1373725717

この先、下り20%の勾配だって!!




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実際、そんなにあるのかな??
距離はわずかだったので恐怖感はまったくなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_8?1373725717

日立商業下バス停だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_9?1373725717

バスが来るとバーが上り信号機も連動する仕組みのはずだが、1時間に2本程度の本数なので滞在時にはそれを見ることはできなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_10?1373725717

現在地はここ

専用道はここまでになる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53689807_11?1373725717

で、一般道を横切った先が南部図書館バス停、かつての久慈浜駅である。

(その3につづく)

  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その3)

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【13年6月8日探索・7月15日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_0?1373812887

現在地はここ

ここ久慈浜駅跡である南部図書館横には日立電鉄の歴史が記されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_1?1373812887

またその横にはポイントと久慈浜駅名標があった。

BRT経由のバスはこの先一般道を通り、おさかなセンターまで行く。




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久慈浜駅の先は、普通に遊歩道化されていたが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_3?1373812887

常磐線をくぐる部分手前には倉庫が設置されており、隧道(カルバート?)を見ることはできなかった。




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現在地はここ

なので、常磐線を越え、反対側にやってきた。
ここから地図上では44と書かれた方へ行ってみた。

が・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_5?1373812887

隧道は埋め戻し??
この先には何もないようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_6?1373812887

なので、常北太田方向へ進む。
このあたり、道路わきが廃線敷となっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_7?1373812887

しかし途中からは道路拡幅に完全に呑み込まれた。

このあたりに南高野駅があったようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_8?1373812887

さらに先に進むが、この先工事中で突破は難しいようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_9?1373812887

この付近は2車線道のほかに廃線敷があったりして、元々余裕のある設計となっていたが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_10?1373812887

ここまで来ると道路は1.5車線である。
さらにここでズームアップすると・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53691828_11?1373812887

先では工事中だった。
徒歩でも通りぬけ禁止だそうで、迂回を余儀なくされる。

(その4へつづく)

  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その4)

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【13年6月8日探索・7月16日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_0?1373903896

現在地はここ

結局500mほどの直線距離での迂回だったが、迂回距離は1.5kmほどになった。
こちらは走行できなかった区間になる。

道路を広げる工事なので、通行できるようになる時には線路跡は完全に道路に呑みこまれているはずだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_1?1373903896

で、こちらが進行方向になる。
1.5車線幅+廃線敷だ。
ここもまた近い将来道路拡張されるのだろうか?




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線路跡がそのまま歩道になっている区間もあった。




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この踏切跡のすぐ右側が茂宮駅だった。
私はうっかりして撮影をし忘れていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_4?1373903896

それは、線路跡が工事用道路に転用されていた、この光景が目立ちすぎていたからだった。




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この直線区間、これはこれで気持ち良さそうだな・・・
ところで、何の工事用道路だったのだろうか?




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国道6号バイパスをくぐった先に大橋バス停がある。
このちょっと先を左折する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_7?1373903896

現在地はここ

このあたりがやたら広くなっている。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_8?1373903896

このあたりに大橋駅があったようだ。
2面2線の相対式ホームがあった。

現役時代の画像はこちらのサイトにあった。

ホーム横の木が目印と言えようか。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53694259_9?1373903896

線路跡らしき道は続く。
それにしてもわずか8年で痕跡がほとんど消えているのには少々驚かされた。

(その5へつづく)


  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その5)

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【13年6月8日探索・7月17日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_0?1373986416

現在地はここ

大橋駅の先でいったん線路跡を見失ったが、消失区間は200mほどだった。
橋梁こそ撤去されているが、この築堤が線路跡で間違いなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_1?1373986416

もちろん上りましたよ。
ビジュアル的には大して面白くないけど・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_2?1373986416

常磐自動車道下をくぐる。
比較的廃線のオリジナル感は残っているのだが・・・



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橋梁は規模の大小に関わらずすべて撤去されていたのだった。




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ここなども雰囲気が良いのでこのまま進んでみた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_5?1373986416

この手前には日立電鉄の境界柱も残存しており、しばらく歩きたい感じの線路跡だったが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_6?1373986416

またやられた。

ヘリオス号同伴でなければ行けたかもしれないくらいの大きくない川ではあるが、ここでまた迂回を余儀なくされるのだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_7?1373986416

現在地はここ

迂回してきた先は元・川中子駅付近なのだが、すっかり変貌しており、どこが駅だったのかまったく痕跡がなくなっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_8?1373986416

その先の区間では、線路跡は新しい道路に生まれ変わりつつあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_9?1373986416

舗装路が終わり、その先で陸橋をくぐる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_10?1373986416

現在地はここ

上の道路は国道293号線である。
跨線橋の名は高井橋、車道橋は昭和42年架橋なのだが、側道橋は平成7年架橋と比較的近年のものであった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_12?1373986416

ちなみに、側道橋の銘版の一つにはまだ日立電鉄線の文字が書かれたままだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53696217_11?1373986416

で、廃線跡だが、跨線橋の先で藪が激しくなっていた。
どの道この先に架かっていたはずの橋梁も撤去されているであろう。また迂回しよう。

(その6へつづく)

  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その6)

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【13年6月8日探索・7月18日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_0?1374072289

現在地はここ

国道293号線からここ、岡田町交差点を左に入る。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_1?1374072289

すると、駅前の雰囲気が残る一角があった。

ところで、左に何か建っているが。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_2?1374072289

道標であるらしかった。

左 世矢村ヲ経テ真弓山ニ至ル 一里
右 世矢村ヲ経テ久慈川ニ至ル 二里

一部解読が難しかったが、このような道案内であろう。
真弓山とはおそらく真弓神社の事だろう。

主要街道ではない、ローカルな道案内だが、ここが歴史ある道だと主張するに充分なアイテムだった。




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元・駅前郵便局があった。
路面凹凸ありの標識は元々踏切ありだったのでは??




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現在地はここ

廃止後8年なのに痕跡が少ない当線において、この光景は最も「らしい」1枚かもしれない。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_5?1374072289

常北太田方向だ。
2面2線の相対式ホームがあったのだが、本当に痕跡がない。
画像的にはこの100mくらい先に駅があった事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_6?1374072289

ちょうどこのあたり・・・かな??
ほんの少し手前だったかも・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_7?1374072289

茂宮川手前で橋梁撤去のためまた迂回する。

国道から見ると、その先の小さな川の橋梁も撤去済みだった。
徹底しているな・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_8?1374072289

小沢町交差点を左折する。

踏切跡とわかる路面変化があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_9?1374072289

現在地はここ

まずは来た方向。



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_10?1374072289

そして進行方向。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53698332_11?1374072289

この先が小沢駅だった場所になり、駅前広場だったらしき空き地があったのだが、なぜか私は画像撮影を失念してしまっていたのだった。

あと、一駅。

(その7・最終回につづく)

  

茨城県日立市~常陸太田市 日立電鉄跡(南側・その7・最終回)

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【13年6月8日探索・7月19日公開】

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現在地はここ

廃線跡はこの先で里川を渡るが、その手前の橋梁の時点で撤去されている。
当然、里川橋梁も撤去されていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53700336_1?1374160902

という訳でまたしても迂回を余儀なくされた。
国道293号の里川橋から対岸へ向かおう。

お!!仮設橋のようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53700336_2?1374160902

何かこう無機質的なところと、着目されにくく撤去されるのが予め決定しているところが、個人的には好きだ。
・・・と、ここまで書いたが、この仮設橋は少し違っていた。
調べてみると元々架かっていた里川橋は東日本大震災で橋としては致命的な被害を被り昭和31年(1956)竣工のゲルバー桁橋で、古くなっていたこともあり架け替えが決定した。
2011年6月30日にようやく通行可能となったのがこの仮設橋なのだが、これがトライアスという新しい組み立て式の橋らしい。
基礎工事だけで今年9月までかかるので、仮設橋が国道橋としてのロングリリーフの任を解かれるのはまだ先のようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53700336_3?1374160902

現在地はここ

ちょっと特殊事情での架け替えとなったせいか、橋の袂は歩行者も入れず、迂回の迂回を余儀なくされた。
で、ここにいるのだが、自転車かついでこんな10cmもない狭い橋、渡れないから!!




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結局、迂回の迂回の迂回をする事になったが、50mくらい下流の枕木橋を渡り事なきを得た。

そう言えば、沿線の田んぼ等にも、いやに枕木製の橋が多かったのだが、払い下げでもあったのだろうか?




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里川橋仮設橋を渡る。




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現在地はここ

残り400mくらいになってきた。

遺構はほぼ完全に撤去されていた。同じ茨城県の、同じような時期に廃止となった鹿島鉄道とは対照的だった。




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小さな川を挟んだ向こう側が線路跡だった。




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かつての踏切跡もすっかり痕跡すら無くなろうとしていた。
で、この道の先が終点の常北太田駅だった場所である。




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駅前自体は道路を挟んだ(画像では手前側)反対側にJR水郡線常陸太田駅があるのでそれなりに賑わってはいた。

南側はこれにて終了だが、この調子では大甕から北側にも遺構は残っていないのかもしれない。

(おわり)

  

山梨県西桂町 流れ橋発見!

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【13年7月6日探索・7月20日公開】

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現在地はここ

山梨県南都留郡西桂町小沼 国道139号線を左折する。




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こんな第四種踏切を渡る。




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さらにずっと進むと、やがて舗装路は尽きる。




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が、まだその先に道は続いていた。




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現在地はここ

相模川支流、柄杓流(ひしゃくながれ)川である。

ここに架かる橋だが、最初に見た時、流された流れ橋なのかと思ったが、この位置にあるのがノーマルな状態であるようだ。




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ワイヤー止めの流れ橋である事も確認した。
山梨県内での流れ橋は非常にレアだ。

橋は2径間・・・というよりも2本架かっているというべきか。




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奥側の橋がこれだ。




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反対側から2本の橋を見た。

地元の人が作業をするための橋だろうか?
2本の丸太をつないでいる構造なのでえらく歩きづらかった。




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行きには気付かなかったが・・・

釘の打ち方、けっこうワイルドだな・・・
これは完全に個人(もしくは数人)での設置だな。

  

埼玉県寄居町~熊谷市 秩父鉄道最後の非冷房車・国電型灼熱体験

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【13年7月14日探索・7月21日公開】

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埼玉県大里郡寄居町 秩父鉄道寄居駅だ。
元国鉄101系の秩父鉄道1000系が今年度中に引退すると聞き、私はまだやり残している事があったことを思い出した。
それは、かつては当たり前だった非冷房車に、真夏にもう一度乗車することだった。

関東地方に於いて冷房化率が100%でない民鉄(2013年7月現在)は、私が調べた限りここ秩父鉄道の他、上毛電鉄、上信電鉄、銚子電鉄があるが、定期列車で非冷房が期待できるのは秩父鉄道と銚子電鉄だけだ(ちなみに、銚子電鉄は電力不足のため冷房車であっても始発駅停車中しか冷房がかからないらしい)。

という訳で電車を待つ事にした。
秩父鉄道では車両運用についての問い合わせには応じていないので、とにかく気長に待つしかなかった。

で、1台めと2台めだが、7200系と7500系だった。私は熊谷方向に行きたかったのだが、1000系が来たら反対方向でも乗車しようと決めていた・・・が、駅そばでも食べて待つ事にしよう。




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駅そばはけっこう美味しかった。で、その後やってきた影森行の3台めも7500系でダメだった。

そして4台めだが、やってきたのは7200系だった。
ふう・・・

ちなみに向こう側に写っているのは東武東上線8000系だ。




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5台目、羽生行・・・

ん!!




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待つこと40分余り、ついにやって来た。
1000系は2013年7月時点で3編成在籍するが、1編成は運用離脱したとも聞いたので、実質2編成しかない。5台めでお目当ての車両が来たのはラッキーなのかもしれなかった。

オリジナル塗装の1000系だが、この際塗色はどうでもよい。




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乗るのはもちろん真ん中の車両、デハ1110である。
乗車するとさっそく目についたのが「前後の車両は冷房車です」のステッカーだった。
1000系は3両編成だが、その真ん中の1両だけが非冷房車なのである。



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JNRの文字の扇風機が懐かしい。



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なぜか、年代物の三菱製扇風機もあった。



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you tubeで「ローカル戦士 センガタン」という動画が見られるという宣伝があった。




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次の、桜沢駅では貨物列車との交換があった。
けっこう長い編成だったが、後ろ側は撮影できなかった。





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肝心の車内だが、過ごせないほど暑いわけでもなかった。
この時点での気温は30℃くらいで、車内でも32℃程度だったと思われた。
それに熱風とは言え、外気と扇風機の風が来るので、環境としては思ったほど悪くない。
つうか、昔はみんなこうだったよな、という懐かしさがこみ上げてきた。

実際、前後の冷房車両に比べ乗車率はざっと60%くらいか。
・・・もっと灼熱地獄で、非冷房車は誰も乗ってないなんて絵を想像していたが、見事に外れた。




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当初、下車駅はひろせ野鳥の森駅にするつもりだったが、どうせなら古い駅舎を持つ駅にしようと思いなおし、ひとつ前の大麻生駅に変更した。

下車スタンバイしていると、交換列車は蒸気機関車のパレオエクスプレス、C58 363号機だった。




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道理で沿線には多数のカメラマンがいたんだ。中には1000系と蒸気機関車のツーショットが撮れた人もいたんだろうな。

私の非冷房車の乗車は20分あまりだった。
木造の屋根にはやっぱ、ステンレス車よりも鋼製車両だよな。

ここ大麻生駅は熊谷市内にある。
昨年などは、暑い街としての名前が出る回数が減った熊谷市だが、それでも有数の暑い都市を通過する鉄道の非冷房車は貴重なのであった。




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大麻生駅は構内踏切を持つ有人駅だ。自動改札はなく、IC乗車券も利用できない。
明治34年の開業時のものかどうかは不明だが、駅舎はこじんまりしていてなかなか可愛らしかった。

最後の昭和らしい夏、いかがですか??
  
 

神奈川県相模原市 県道76号・神の川林道旧道(その1)

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【13年5月18日探索・7月22日公開】

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現在地はここ

神奈川県相模原市緑区青根 県道76号山北藤野線の国道413号分岐から犬越路近くまでの旧道探索をしてきた。
この県道の山北側もそう遠くないうちに訪問しようと思っているのだが、そうなると北側の旧道はある程度訪問しておかないと時間切れになりそうだったからだ。

そんな訳で国道413号から、行き先の無い案内となっている県道70号へ左折する。




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左折した道は国道413号旧道になる。
で、間もなくまた左折だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53706493_2?1374420955

ほどなく出迎えたのは通行止の予告看板と、林道神の川線がここから始まるという看板だった。
県道76号線にも指定されているはずなのだが、林道を間借りしているような状態っぽい。




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予告標識、この先でも何枚か見かけたが、これが最初のものだった。
しかし、肝心の距離が消えてしまったのか、判読できなかった。




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先の方に何か見えてきた。




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現在地はここ

京田沢に架かる京田橋に対応する旧道が左に延びていた。
この橋、竣工年度は不明だったが、平成12年前後ではなかろうかと思う。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53706493_6?1374420955

路面は未舗装っぽかった。
通行には問題ないが・・・




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路面が舗装されている区間があった。
右に何か柱があるぞ。




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京田橋、現橋と同じ名の橋が旧道にもあった。
こちらも竣工年度不明だった。




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この先幅員狭しの標識があった。
藪もすごいなと思ったら、標識の先は崩落したのか人工的に崩したのか通行不能だった。




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反対側からその区間を見るとこんな感じだった。

もう16時近いので、先を急ぐ。

(その2へつづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号・神の川林道旧道(その2)

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【13年5月18日探索・7月23日公開】

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現在地はここ

みょうが沢橋にやってきた。
地図にも描かれているが、ここにも旧道があるようだ。
なので、左に突撃・・・




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なんて、全然出来ないほどの廃道だった。
ヘリオス号は橋の袂で待機させる事にした。




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ここも現橋が平成12年架橋なので、わずは10年余りでこうなるとは、自然の力ではなかろう。
デリニエーターの位置があんなに低いところにある事からも、この区間は盛土での人工廃道化がされたようだった。




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みょうが沢落合??
水は流れていなかったが、2つの沢が合流していた。




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煉瓦状の直方体は白っぽかった。
石・・・だろうか?
にしては苔が多すぎだな。




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よくよく見たら白い石が積み上げられたように見えていたのは、なんと土嚢だった。




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「沢」を渡った先は一応通行ができそうな廃道だった。




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探索時点で5月中旬だったので藪はけっこう多かったが、この先でいったん現道に復帰する。




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現在地はここ

この区間は連続しての廃道が地図からは窺い知れたが・・・




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スロープのような坂の先は・・・




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どこが道路だかわからなくなってしまった。

・・・地図と違うな。
つうか、この区間は旧道ではないのでは??

(その3へつづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号・神の川林道旧道(その3)

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【13年5月18日探索・7月24日公開】

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現在地はここ

神之川キャンプ場入口を過ぎ500mほど先に進むと、どうも旧道っぽい分岐がある。




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旧道は歩行者用に利用されているようだ。
車止めのバリケードの先にあずまやがある。




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あずまやの先から見えたのは滝だった。
特に案内板などは見当たらなかった気がするが相模原市観光協会のHPに「エビラ沢の滝」と載っていた。
ちなみにこの沢の名がエビラ沢である。




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ちょうど先ほど滝を見た場所が旧橋の橋台だったようだ。
道路としての役目は終わったが、この再利用法は旧道にとっても幸せな方かも。




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現在地はここ

現道が折花橋にさしかかる所で左側に明らかに旧道っぽい道があるのが見えた。




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あったであろう旧橋は撤去されているので、反対方向からの進入になる。
藪がすごく見えるが、この数メートル先は橋台がある場所なのだ。回れ、右!




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どうもこの区間もまた人工廃道となっているようだった。
ガードレールやカーブミラーの支柱が無いと何だかよくわからないかも・・・




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分岐地点だって、現道よりも1m以上高いのだ。

現在時刻16時25分、日は長い時期だが最寄り駅の中央本線藤野まででも20kmほどもある場所だ。
次のトンネルのところに旧道があるはずなので、そこまで行こうか。

(その4・最終回につづく)

  
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