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山梨県大月市 新笹子隧道・謎の横穴の正体を探れ(前編)

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【13年3月3日探索・6月17日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_0?1371393568

現在地はこの辺

山梨県大月市笹子町 国道20号線新笹子隧道内だ。

以前私はこの隧道の甲州市側にあった疑惑の林道を探索した。そして、疑惑の対象だった新笹子隧道との関連については、おそらく私の思い込みであったという、言わば完敗という決着となった。

そうなると既に敗色濃厚な気はするがもうひとつだけ確かめてみたいものがあった。
それがこの左側なのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_1?1371393568

そう、いかにも横穴チックな「非常用回転場」である。
全部で上下各2箇所、合計4箇所あるのだが、この1箇所だけが他の3箇所と大きく違っていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_11?1371393568

他の3箇所の回転場にはこの階段は設置されていないが、ここだけに5段の階段とその先に鉄扉があるのだ。
鉄扉があるという事はその先に何かがある事になる。が、扉は当然ながら開かなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_2?1371393568

タイヤの上側の謎の穴にカメラを入れ、フラッシュ撮影してみた。
・・・何も写らなかったが、先に空間があるらしい雰囲気だけはわかった。

やはり、換気用の穴が隧道に並行して掘られているか、ここから地上への脱出口(排気口)があるかのどちらかであろう。
個人的には後者であって欲しい気はするが、とにかく確かめてみよう。つか、何かわかるのだろうか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_4?1371393568

現在地はここ

とりあえず笹子側に出た。
そしてこれからここを矢印方向へと進んでいく。




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いきなり橋が架かっていた。
不動尊橋という名の橋だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_6?1371393568

橋の反対側から下に降り、桁横を見たら銘版が貼ってあった。

1971年、1等橋で日本道路公団建造だという事は・・・
中央自動車道関連と考えるべきか・・・




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けっこうキツイ勾配の道を進む。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634967_8?1371393568

ほどなく巨大な建物が左側に見えてきた。




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どうも中央自動車道の変電所であるようだ。
にしては巨大だな・・・




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左側は行けないので進めるのは直進のみだ。
いったん舗装がなくなったが、今度は簡易的なコンクリ舗装の出現だ。

この先に何かがあるのだろうか??行ってみるしかない!
今度こそ勝利か? それともまた敗北か?

(後編につづく)
  

山梨県大月市 新笹子隧道・謎の横穴の正体を探れ(後編)

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【13年3月3日探索・6月18日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634969_0?1371393312

現在地はこの辺

砂防ダムがあった。今までの探索では砂防ダムが出てくると必ず私の負けになる。
それは私が勝手に描く妄想(体よく言えば仮説)の道路がたいてい砂防ダムのための作業路だったというオチになるからだった。

この砂防ダム、昭和46年度の事業だった。
不動尊橋とほぼ同時期なので、橋が架かりその最初の仕事は砂防ダム工事車両の通過だたおかもしれなかった。




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その先、簡易舗装されたり砂利道のままだったりが短いスパンで切り替わる。




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道は右急カーブで急坂になる。
直進にも道がありそうだが、単なる転回場という感じでその先は川である。




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これまでに比べ明らかに轍が少ない。
この先に行っても、こりゃあ何も無い気がする。




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そうは言っても道路がある限り登っていく。




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ガードレールなし、轍もけっこう香ばしい感じだ。




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現在地はたぶんこの辺

車道終端があった。
そしてここでも左にあったのは・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53634969_7?1371393312

またしても砂防ダムだった。
こちらは平成6年度の完成だった。

この道路もこの砂防ダムのための管理道という事だろうか?




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どこまで行けるかどうかわからないが、進んでみる。




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このあたりで沢に下る道以外、道がなくなった。
なので、今回もまた、私の敗北・・・という事にしておこう。

タイトルにあった横穴の先だが、いちばん可能性が高いのは隧道出口すぐ横の施設につながっているという事だろう。
しかし、ネット上には、かつてこのあたりの山道を歩いていた人が行方不明になり、その後隧道内で発見された事があるという書き込みがあった。
これはまだ一縷の望みをかけてもよいという事だよな?? まだ、最終決戦は、ある・・・かな?

(おわり)

  

栃木県日光市 滝のための県道?!(その1)

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【13年4月28日探索・6月19日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53639517_0?1371572644

現在地はここ

この探索が時間切れ等で先に進めなかった場合に、行こうと思っていた場所になる。

日光市の国道120号線沿いに2本の行き止まり県道がある。
その路線名は「寂光滝線」と「裏見滝線」という。観光地らしいと言ってしまえばそれまでのような気もするが、そのアクセスのために県道指定するにはいささかマイナーな気がして、どんな道なのかが気になっていた。
なので、連載で県道2本を紹介しようと思う。
ちなみにこの連載の最終回では、なかなか見られないような光景が出てくるので、ハマル方も居られるかも!?

まずは国道120号線、安良沢橋のそばの廃ガソリンスタンドのところを左折する。





http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53639517_1?1371572644

栃木県道、律儀だな。
県道195号裏見滝線である。
距離は1.906kmと短いがその歴史は昭和36年(1961)指定と、既に半世紀以上前から県道なのである。




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幼稚園のそばを通る。
これが看板でなく標識だったらポイント高いのだが、栃木県設置の「最徐行」の標識デザインがあった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53639517_3?1371572644

しばらくはこんな別荘地を思わすような道になっている。
この県道、全線にわたりほぼ登りであり、かなりキツイ。帰りはその分、楽なんだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53639517_4?1371572644

路肩に1kmのキロポストが建っていた。
やっぱり栃木県道、律儀だな・・・




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安良沢浄水場脇をさらに登る。
このあたりの水道水って美味しいんだろうな・・・




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登り勾配はゆるやかになってきた。
落石注意の看板だが、その設置者は日光土木事務所、まあ現役県道なんであたりまえではある。




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起点近くに(私は終点→起点へと向かっている)唯一の、ほんのわずかな下りがあった。




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振り返れば、いま通り過ぎてきたのはやはりヘキサだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53639517_9?1371572644

現在地はここ

裏見滝駐車場のようだ。
ここが県道起点のはずだ。0kmのキロポストとかってあるのかな??

(その2へつづく)

  

栃木県日光市 滝のための県道?!(その2)

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【13年4月28日探索・6月20日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53641611_0?1371654584

現在地はここ

駐車場の先まで進んでみた。
その先は一般車両通行禁止の林道と山道だ。

あれ?0kmのキロポストはどこ??




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その場で駐車場方向を振り返ったところ、ちゃあんと、ありました!
起点とかいう表記ではなく、0kmのキロポストである。




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県道195号線レポはこれにて終了なのだが、せっかくだから裏見滝まで行ってみよう。




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こんな落石銀座を過ぎ・・・




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こんなオーバーハングの下を通り・・・




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比較的新しい木製桟橋を通り進む。




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こんな看板があったりするとつい撮影してしまう。
ここは普通の遊歩道なので、危険度はかなり低いと思われる。




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そんな道を進むこと8分、滝が見える場所までやってきた。

滝は荒沢右岸から見るようで、橋を渡るようになっていた。




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ただの遊歩道の木橋だが、橋台の造りからするときちんと造られており、またその歴史も感じさせる。




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滝までの最終アクセスは桟橋+階段だった。

ところで、どっちが裏見滝なんだろうか??




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間近に見える方、左側の滝だ。
・・・どうも、こっちじゃなさそうだ。




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右側のこの滝が裏見滝であるようだ。

この窪んでいるところから、かつては滝の裏側が見られたそうだが、明治35年(1902)に滝上部の岩が崩れ、以降裏側から見る事はできなくなったそうだ。
あの松尾芭蕉も元禄2年(1689年)に訪れ、滝に関する記述と俳句を奥の細道に残したそうだ。

さて、滝はこれくらいにして、もう1本の県道に行ってみようか。

(その3へつづく)

  

栃木県日光市 滝のための県道?!(その3)

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【13年4月28日探索・6月21日公開】

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現在地はここ

続いてやってきたのは田母沢を渡ったところから分岐する県道194号線だ。
次の交差点を左折する。




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入口付近からして、先ほどの県道195号線よりも険道臭がある。




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そんないきなり離合困難の道だったりするが、このホテル付近は広い。とは言え、中央の白線は路肩を示すようで、決して道路の幅員が広いわけではないようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53643931_3?1371743512

その先に2kmのキロポストがあった。
県道194号寂光滝線、昭和36年指定、その延長は2286mだそうな。




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終点の場所からだと400mほど走って、ようやくヘキサが建っていた。




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相変わらず広くない道が続いた。
が、この画像で言いたいのはそんな事ではなく、この場所で30kmの制限速度が終了していた事だった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53643931_6?1371743512

道は二手に分かれる。
そんな場所に居たのは・・・




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猫だった。

この猫、私が進むべき左の道のほうに歩いていくのだった。
もしかして、道案内してくれるにゃ? と思ったが、5mも歩かないうちに道から逸れてしまった。




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2枚目のヘキサ、ゲット・・・




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こんな狭い道だが、先程30km制限は終わっており、なんと一般道の最高速、時速60kmで走ってもいい事になる。
ちなみに私は登りにあえいで、時速8kmも出ていない。

(その4へつづく)

  

栃木県日光市 滝のための県道?!(その4)

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【13年4月28日探索・6月22日公開】

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現在地はこの辺

栃木県道、ホントに律儀だな。
道ばたにはちゃんと1kmのキロポストが建っていた。




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左側が少し明るい。
ここには何かあったのかな??




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企業の保養所のようだが、現在は使われていないようだ。
ひょっとしたら整備して夏場だけ営業するかもしれないが。




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路肩注意も県設置だ。険道の様相が濃くなってきた。




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こんな空積の石垣が素敵だ。
この先にある若子神社の参道としての歴史を感じる。




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あれ!
逆光だけど、これは・・・




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振り返るとそれは3枚目のヘキサだった。




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ヘキサの先もまだ県道は続く。
こんな離合困難な急坂を上っていくと・・・




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駐車場・・・かな?
すると、起点なのか??




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53645859_9?1371827302

0kmポストはまだ見当たらなかった。
つか、この橋、いやに乱暴な造りだな・・・




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何だか仮設、というか工事中のまま忘れました、的な印象だ。
にしても何か不自然だな。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53645859_11?1371827302

この一帯が駐車場であるようだ。で、0kmのキロポストはどこだ??

★実はこの画像に2箇所、一つ前の画像に1箇所、衝撃の場所がありました。次回、衝撃の3連発?★

(その5・最終回につづく)

  

栃木県日光市 滝のための県道?!(その5・最終回)

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【13年4月28日探索・6月23日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_0?1371916264

現在地はここ

予告通り、この場所での驚きの3連発をお伝えしよう。
まずは、今渡ってきた県道(のはず)の橋だが、その施工にとてつもない違和感があったので、横に回ってみて驚いた。
今渡ってきた仮設橋の下に、木の橋が明らかに朽ち果てた状態でまだその姿を留めていたのだった。
と言っても辛うじて残っていたのは桁部分だけのようだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_1?1371916264

上流側にももちろん回ってみた。
残念な事に下側から見られるような場所がなかったが、かつて木橋だった事がこちら側からも見て取れた。
これは補強と見るべきか、廃橋の上に仮設橋を架けたと見るべきか??
木橋時代は車道だったのか、あるいは手前の駐車場までが車道で、ここは歩道だったのだろうか??
そもそもいつからこの状態なのだろうか??
疑問は尽きなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_2?1371916264

続いての驚きは、この建物である。
冒頭の地図を拡大すると「寂光の滝見学者休憩所」と書かれているのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_3?1371916264

近づいてみて驚いた。
確かに地図のとおりの建物で、ご自由にお入り下さいとも書かれているが、入口手前とドアを見た限りでは廃墟だぞ、これは!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_4?1371916264

内部は荒らされた様子も無く、外見よりはマシだったが、利用者はいないと見え埃がかなり堆積していた。利用する事があるとすれば不意の雨、雪などでの緊急避難用か??
ちなみに設置者は不明だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_5?1371916264

さて、私は県道194号寂光滝線を通ってきており、まだその起点たる目印を見つけていなかった。
mapion地図でも見学者休憩所の先まで県道として描かれている。

この先は明らかに車道ではなさそうなのだが、中央やや左に何かが建っているのが見えた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_6?1371916264

!!

まさに、0kmポストだった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_7?1371916264

反対側に回ってみた。
0kmポストから約20mは歩道であって、その先に「休憩所」がある。

ここが県道起点だという事は、先ほどの廃木橋+仮設橋もまた紛れもない県道橋という事が確定した。




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ここで大満足の私だったが、最後に滝も見に行こう。
若子神社の鳥居をくぐる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_9?1371916264

石段が祠まで続いていた。
この神社、若子と書いて「じゃっこ」と読ませるようで、弘仁11年(820)に弘法大師空海がこの地に建てた滝尾神社が起源となっているそうだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53647775_10?1371916264

祠まで来ると、その奥に滝が見えた。




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寂光の滝、幅6m高さは50mで7段にもなっているそうだが、これで全部なのかな?
空海もここで修行したそうな。

滝のための県道、なかなか素敵だった。
ここなら家族旅行に組み入れてもいいかも!?

(おわり)

  

時事ネタ??

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富士山麓に行ってきました。林鉄探索でまる一日費やしたけど、その割には遺構が少なく、成果はイマイチかも。

茨城県常陸大宮市・城里町 国道123号那珂川大橋

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【13年5月26日探索・6月24日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53649553_0?1371997566

茨城県常陸大宮市野口と東茨城郡城里町御前山の間に架かる国道123号線の那珂川大橋だ。
まずはほぼ全景を見て頂こう。
ここから見る限り、さほど古いものにも見えないが・・・




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現在地はここ

常陸大宮市野口側から見てみよう。





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昭和24年の銘版があった。頑丈そうに見えるが、当時の基準の2等橋で、設計は県道程度の交通量だった事が伺える。




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構造は4連の鋼製ランガートラス下路式、といったところか。
昭和24年12月に完成したこの那珂川大橋だが、先代の橋は大正14年(1925)架橋の木橋で、昭和16年、19年、20年、22年と4回も流失したそうだ。

で、この橋にも逸話があって、その架橋工事中に足場が流失し、橋体が墜落した事があったそうだ(土木学会 橋梁史年表より)。




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この橋、5.5mしか幅員がないので自転車走行は危険だし迷惑なので昭和53年架橋の歩道橋を利用したが、車道橋を渡るとこんな感じだ。




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城里町側に来た。

そう言えば、だあ、昭和20年代架橋の鋼製多径間橋って、あまり見た事がないかも・・・


   

茨城県那珂市 瓜連駅前

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【13年5月26日探索・6月25日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53649558_0?1371997645

現在地はここ

今日は時間がないのでやや小ネタでご勘弁を・・・

茨城県那珂市瓜連 JR水郡線瓜連駅ロータリー入口である。
元々、こちら側には駅出入り口はなく、25年位前に訪れた時には反対側の駅舎から出て踏切を渡って目的地(その時の目的地は古徳沼)へと向かったものだった。
そんな名残が県道指定にも残っていた。県道317号瓜連停車場線は国道118号線と瓜連駅を結んでいるが起点はこのロータリーではなく、反対側の広場すらない駅前である。

で、ここでの違和感がこの路面表示なのだが・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53649558_1?1371997645

旧表示が消えていないだけ、ではあるのだが、非常にわかりづらい。
ここまで旧表示が明瞭に残っている(浮き出た?)のは珍しい。




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私は上り水戸行きに乗るべく、駅前ロータリーの歩道を時計回りに進んだのだが、そこで見つけたものは・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53649558_3?1371997645

あまりに大量のバス停たちだった。
路線廃止になったバス停が集められたのだろうか??

肩寄せあって、何かを静かに待っているバス停たちが何か健気に思えてきたのだった。

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その1)

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【13年6月23日探索・6月26日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_8?1372176111

(地図はクリックすると大きくなります)
昭和27年の5万分の1地形図「山中湖」に描かれていた、富士山北麓・富士吉田市から鳴沢村三合目近くまでの林用馬車軌道の跡が以前より気になっていた(マピオン地図に赤線で手描きした路線)。
しかし、ウェブ上には情報が皆無であった。
図書館等もいろいろ探してみたがこれまたすべてが空振りだった。
また、期待していた「トワイライトゾーンマニュアル」のシリーズにも情報がなく、手がかりは古い地形図だけだった。

あとは自分で確かめる以外に方法はなかった。
知られざる富士山の秘密を探りに行こう。
  



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_0?1372176111

なので、やって来ました、富士急行線富士山駅だ。
私の探索前日に富士山は世界文化遺産に登録となり、この日の富士山駅は報道陣が何名もいた。
私も新聞社のインタビューにつかまったが、これからの行動を話しても絶対に理解されないはずだったので、あたり障りのない返答をしておいた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_1?1372176111

現在地はここ


国道138号線上宿交差点の手前だ。
前日に世界遺産登録となった富士山だが、あいにくその姿を拝むことは出来なかった。

国道の向こう側から、いよいよ探索開始!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_2?1372176111

このあたりが軌道起点だったはずだが、まったくその痕跡を発見するには至らなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_3?1372176111

軌道は諏訪内山神社の裏手を通って、このあたりに出てきていたようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_4?1372176111

300mほどは普通の生活道路となっていた。
が、この上宿会館の先で道路はいっぺんに狭くなる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_5?1372176111

俄然、それらしい雰囲気になってきた。
ちょうど併用軌道を思わせる路面補修がまた良かった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_6?1372176111

道路はここで右カーブだが、軌道跡はまっすぐだったようだ。
が、この先は個人宅なので、いったん迂回する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53653869_7?1372176111

道路はいつの間にか未舗装になった。
地図が正しければ、この少し先で軌道跡が合流してくるはずだった。

(その2へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その2)

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【13年6月23日探索・6月27日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_0?1372262038

現在地はここ

全体図ではここ

軌道跡が合流したはずの未舗装路は再び分岐する。
ここは右側で間違いなかろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_1?1372262038

坂を下った先には川があり、橋が架かっていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_2?1372262038

川の名は神田掘川、相模川水系の河川だ。
最終的に海に流れ込むのは馬入川(神奈川県茅ヶ崎市と平塚市の境)だというのが感慨深い。

現在架かっている橋の名は不明で、もちろん軌道時代のものとは思えない。
橋の下に軌道時代の遺構がないか探してみたが、何も発見できなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_3?1372262038

橋を渡ると今度はゆるやかな上り勾配だ。
いかにも、馬鉄の林用軌道っぽい。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_4?1372262038

このカーブも鉄道っぽい・・・が、とりあえずこの段階では「遺構」はまだ何一つ現れていなかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_5?1372262038

突然、立入禁止のチェーンが張られていた。

仕方が無い。
ここは通らなかった事にして少し離れた場所から進入してみる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_6?1372262038

画像ではそう見えないかも知れないが、けっこう藪、というか木の枝などがすごくなった。
徒歩なら進めそうだが、いきなりヘリオス号は担ぎとなった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53655917_7?1372262038

200mくらいは進んでみたものの、何も遺構はないし、クマがいそうな雰囲気もある。
地図読みでは東富士五湖道路下までのあと900m程ずっとこんな道が続く事も考えられた。

なので、このまま進む事はあきらめ、いったん迂回する。

(その3へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その3)

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【13年6月23日探索・6月28日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_0?1372349908

富士山の秘密を暴いてやろうと意気込んでやって来たが、序盤で躓いた。
迂回路として県道701号線を通り以前の探索で通ったこの場所を通過する。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_1?1372349908

現在地はここ

全体図ではここ

東富士五湖道路脇から10mほど軌道跡らしい道をもどった。
で、回れ右をして、改めて探索を再開しよう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_2?1372349908

高速のカルバートをくぐり、先に続いている道に入る。




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道路としてはただの未舗装ダブルトラックで、あまり面白みが無いが、並行してあった元自動車道よりも俄然路面状態は良く、ほとんど乗車可能だと言うのが何か皮肉っぽい。




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そんな林道っぽい道がかつての林用軌道跡であろうと思うが、左側にはやや掘割に近い、気になる空間があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_5?1372349908

もしかして、こっちが軌道跡である可能性もあるな・・・





http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_6?1372349908

進んでいくと、分岐があった。
ここは地図と照らし合わせる。GPSも発動した。
やはり古い地図と一致するのは直線の方だ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_7?1372349908

しかし、すぐに藪だった。
それでももう少し進んでみる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53657795_8?1372349908

この先で富士北麓公園敷地とぶつかるので、軌道跡はそこで消える。

・・・それにしても人の来ない場所でのブルーシートはいやなもんだな・・・

(その4へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その4)

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【13年6月23日探索・6月29日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_0?1372438040

現在地はここ

全体図ではここ

軌道跡は県道716号線によって、おそらく300m程の区間が完全消滅していたが、ここを左折するところから痕跡が復活するようだ。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_1?1372438040

ここがNHK大河ドラマ・義経オープニング撮影地らしい。

私にとってはそれよりも手前にあった「クマ注意」の看板の方が気になった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_2?1372438040

100mほど進む。
昔の地形図が正しければ、このあたりからこんな感じで進んでいた事になる。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_3?1372438040

その仮説が正しければ、こんな掘割が軌道跡だったのだろうか?




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林用軌道はいずれにせよ今いるこの道ではない。
ので、さっさと先に進む。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_5?1372438040

宮川を渡る・・・が、また枯川だった。
雪解け期以外は枯れている事が多いそうだ。

林用馬車軌道はこのあたりで宮川を渡っていた事になるが・・・





http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_6?1372438040

橋台くらいは残っているのかと思ったが痕跡が何も無かった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_7?1372438040

いくぶん本来の探索からはずれるが、胎内神社の鳥居があったので、見ていこう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_9?1372438040

ここは吉田胎内樹形が祀られている。詳しい説明はこちらなどをどうぞ。



http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53659633_8?1372438040

奥もけっこうあるようだが、私はその撮影には失敗した。

ちなみに、ここも今回の世界遺産に入っている。

(その5へつづく)

  

またエクシリム

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3年前から活躍してきた現行・エクシリムH10の後継機もまたカシオ・エクシリムにしました。
(ZR400)
 
私は1日の探索で最高530枚も撮影した事があるので、やはり電池の持ちが重要なんです
(エコモードにすれば一応640枚撮れるようなので)。
 
今度はナイトモードにするとISO25600にもなるそうなので、廃隧道でも鮮明な写真が期待
できるかも!!
 
でも、とりあえず明日は仕事なんで、初使用は来週以降かな。
 
 

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その5)

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【13年6月23日探索・6月30日公開】

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_0?1372517098

現在地はここ

全体図ではここ

林用軌道跡と思われる掘割が吉田胎内樹形の近くで見つかった。
この道を進んでいこう。
それにしても何か遺構的なものはないものだろうか・・・




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_1?1372517098

そう思いながら進んでいると、道の両側に変化があった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_4?1372517098

道の両側は沈んでいる、つまりは道部分だけが築堤のような造りになっている場所があったのだ。

こ、これは!!




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_2?1372517098

当然、横から見てみる。

おお!!

これだけで林用軌道のものであるという断定はできないのだが、古い地図とも一致するし、状況的にも99%間違いないだろう。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_3?1372517098

これは進行方向左側の画像になる。

今回、私が探索用の机上調査に用いた地形図は5万分の1・昭和27年版山中湖と昭和21年版富士山だ。昭和30年代以降の次の版には軌道は描かれていない。
大正末期ごろに建設された馬車軌道だったが昭和24年ごろには廃止されていたようで、昭和27年版に描かれていた事は間違いということになろうか?

まあ、いずれにせよ廃止後60年以上経過しているはずの軌道遺構がまだ残っていた事が嬉しかった。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53661626_5?1372517098

ようやく遺構らしい物件に出会え気をよくした私はさらに先に進む。
樹海独特の穴(これも樹形だと思うが)が沿道に沢山ある。
クマが寝ていないか、気になるがそのまま進む。




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この左側などはコンクリで固めたのではないと思うので、岩を削ったものだろうか?




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さらに進むとまた小さな築堤があった。




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先ほどよりは小さな規模ではあるが、今度もちゃんとゲットしました。
また、これも利用者がいかほどかが不明ながら現役であろう事が好ましかった。




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時折、車の通る音が聞こえてはいたのだが、その音が大きくなってきた。
そして、先の方が明るくなってきた。



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現在地はここ

1.5mくらいの壁面をよじ登ると、そこは予定通りではあったが、スバルライン料金所の所だった。
ここから2km以上先まで、軌道跡はスバルラインなどに呑まれているようでまったく痕跡は期待できないので、また大迂回する事になる。

(その6へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その6)

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【13年6月23日探索・7月1日公開】

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迂回中・・・
船津林道という名の林道だ。
この日だけで何回「クマ注意」の看板を見ただろう。

ずっと上りだったので、上からクマが出た場合は下れば逃げ切れそうだが、下側から迫ってきたら・・・




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現在地はここ

全体図ではここ

やたら広い道だと思ったら、半分は駐車場だった。
ここは「全国育樹祭記念広場」という場所らしい。
平成2年に皇太子殿下を招いての全国育樹祭が行われた場所で、愛子さま誕生を記念して広場として整備したそうだが・・・
賑わう事はあるのだろうか??

話が逸れた。
林用軌道の跡は黄色矢印のような感じで左に入っていたはずだが・・・




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まったく痕跡は無く(林の縁がそうかもしれないが)、第一、ネットが張られ立入禁止となっていた。

ここから探索再開とするつもりだったが、入れない以上仕方ない。




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この広場入口、何とも未成っぽさ全開なので、ちょっと進んでみよう。
ちなみに、ここを右折すると広場に行くらしい。




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未成道路なのか、駐車場用地なのか不明だが、路肩1mだけが舗装された道が100mほど続く。

で、その先は作業道のような道路が200mくらい続いていた。




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軌道跡へはまだ復帰できない私は、さらに迂回した。
ここを右折し・・・




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富士林道に入った。

この林道、富士林用軌道と名前が似ているが、それだけではなく、この先、かなりの部分が林用軌道の跡と一致している林道なのだ。




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開けた場所があった。
が、残念ながら富士山の姿は見えなかった。




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右から作業道が合流してきた。
この作業道こそが、林用軌道跡であるようだ。




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なので、ちょっと覗いてみよう。




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100mほど進むとこちら側もネットにより行く手を阻まれた。

先ほどの合流地点に戻ろう。
その先は舗装林道を進む事になる。

(その7へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その7)

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【13年6月23日探索・7月2日公開】

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現在地はこの辺

全体図ではこの辺

元・軌道であったはずの富士林道を進む。
富士林用軌道はこの先の大半が富士林道になったものと思われる。

が、もちろん疑いの眼差しでキョロキョロしながら坂を上っていく。




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なので、沿道にこんな場所があると「これは!」と思い寄っていく。

・・・が、これは違うな。
元はこの間にも樹が植わっていたのだろう。
何箇所もこんな感じの場所があったが、これは何かの境界を示すためか、間引きして光が当たるようにしたのか?あるいは山火事延焼予防か??




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大きな右カーブの手前にも、怪しい掘割状の場所があった。




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ここもそうだと言われればそんな気もするが・・・




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それよりもこの右カーブ地点の、擁壁の方が気になった。




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石垣は谷積みだろうか。

この石垣の位置なのだが、林道よりも1m以上奥まっているのも気になった。
これは林用軌道時代のものなのではなかろうか??




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その先、山梨の林道名物、黄色おにぎりを横目に進んでいく。




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小さな、橋があった。

橋の周囲ももちろん何か無いかを探してみたが、何も発見できなかった。

・・・やっぱりこの先には何もないのか??




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左側に何か建っているが・・・




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これは驚いた!

木製キロポストだった。
現地では軌道時代のものかとテンションが上ったが、帰宅後調べたら、どうも富士林道の起点からの距離に近かった。
それでも何か「らしい」ものを見られたのが良かった。




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交差点があった。
左は万年通行止の林道、右は大田和林道、直進が富士林道だ。

私は直進するのだが、右折の大田和林道の竣工年は昭和26年とあった。
これって、富士林用軌道の廃止と関連がありそうな気がする・・・

(その8へつづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その8)

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【13年6月23日探索・7月3日公開】

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現在地はここ

全体図ではここ

林道の交差点を直進し、富士林道を進んでいく。




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1kmほど進むと何かまた道と交差するようだった。




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現在地はここ

交差した相手は精進口登山道だった。
ちなみに、ここでの地図リンクはyahoo地図としたが、それには理由があった。

yahoo地図のこのい縮尺だけ、交差する登山道が県道色で塗られている。
精進口登山道は県道702号富士精進線として指定されているのだった。

ちなみに、起点より8.02kmという数字が見えるが、起点は富士山五合目先でこの場所になる。




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右側の精進湖方向を見た。
車止めの手前に、何か標識が建っているが何だろう?




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それはなぜか車両通行止の標識だった。

いや、登山道なので車両通行止は至極当たり前なのだが、なぜこの向きで建ってるのかが疑問なのであった。




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視界が開けてきた。

!!

左側に、この日ずっと姿を見せていなかった富士山が現れたのだった。




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世界文化遺産登録記念に、誰も知らなかった過去の富士山の文化について調べに来たぞ!!

相当こじつけだが・・・




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このあたり、昔の地形図では軌道はかなり左に迂回しているようだった。
ここから左に逸れていたのかもしれない。

ここが分岐点だとすれば先で合流地点があるはずなのだが、これがまたはっきりとはしなかった。




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さらに判然としなかったのは、さらにその先で軌道は2手に分かれていたはずなのだが、治山工事をしたのか、それらしい痕跡すら発見できなかった。




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持参の地図による終点まであと1kmくらいとなっていた。

ここでまた左側!!




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12.0kmのキロポストだったのだが・・・

私は先ほどの8kmポスト地点のサイコン距離を覚えており、その記憶が間違っていない限り「この4km」のサイコン読みでの距離は3.16kmしかなかった。
こうなると軌道時代の迂回距離なのでは??と思ってしまうが、真相は不明だ。

そもそも、8kmのあと、9km、10km、11kmってどこにあったのだろうか?

謎ばかりが残った。

(その9・最終回につづく)

  

山梨県富士吉田市~鳴沢村 富士林用軌道跡探索(その9・最終回)

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【13年6月23日探索・7月4日公開】

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現在地はこの辺

全体図ではこの辺

現道と距離が合わないキロポストは大変気にはなったが、それはまた今後の宿題にしよう。

昭和21年応急修正版5万分の1地形図「富士山」を見る限りそろそろ終点であり、それは林道を外れて少し入った場所であるようだった。
それ以前、昭和4年版あたりではもう少し奥まで軌道はあったように描かれていたが。

左側、何かあるぞ!




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樹形の跡だろうか?

山梨県教育庁と日本洞窟学会の名の「記念物重要資料28」のプレートが付いていた。




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なぜこのあたりだけ、簡易バリケードが置かれているのだろうか?

このあたりのどこかで軌道跡は左に逸れていたはずなのだが・・・




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簡易バリケード地帯は100m以上にわたって続いた。

林道はこの先を右に曲がっていくので、富士林用軌道とは関係ないようだ。

この画像のちょっと先で左に入ってみたが・・・




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まったく、ただの原生林だった。

何だか、青木ヶ原樹海にも似た雰囲気だな。




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しかも、こんな穴ぼこが無数にあったりもする。
時刻は既に16時を回っており、これ以上暗くなると足元が本当に危ない。
不意にこんな所に落ちたら良くても捻挫くらいはするだろう。
そうなるとビバークになるが、こんな人里離れたクマ生息地帯での夜明かしなど避けたかった。




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という訳でいったん林道に戻り、もう1箇所だけ、気になっていた3枚上の画像のバリケード地点から樹林に入ってみる。

すると、こちらはシングルトラックの道が続いていた。




http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/a6/takaratta_1152/folder/1619027/img_1619027_53669962_7?1372867498

ここが軌道跡であった可能性は60%といったところか。

しかしながら周囲の穴ぼこだらけの場所に比べ、この「道路」は軌道跡を思わせるに充分な踏みしめられたような跡を感じ取る事ができた。




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もし今来た道が軌道跡だったならば、このあたりが地図上の終点のあたりになる。
標高は1650m付近だ。

遺構は少なかったものの、富士山関連で何か変わった角度の記事を書きたかったのと、ウェブ1番乗りになったので、まあよしとしようか。

(おわり・ここまでお付き合いありがとうございました)

  
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