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埼玉県飯能市 国道沿いの撤去間近な木橋

【13年12月29日探索・14年1月29日公開】


現在地はここ

埼玉県飯能市長沢 西武池袋線の終点・吾野駅から程近い国道299号線だ。

yahoo地図ではこのすぐ先で右折する県道61号越生長沢線が描かれているが、様子がおかしい。





分岐地点にはバリケードが設置されていた。
そのバリケードを乗り越えると、おそらくは役目を終えたであろう道路の光景があった。
工事用資材置き場としては使用されているようだが・・・





長沢川を跨ごうとしている真新しい橋台があり、その向こう側に古そうな橋、そしてそのまた向こう側にも新しそうな橋が架かっていた。





ここは当然古い橋に惹かれるので近づいてみる。

右側にはそう遠くないうち(平成26年度中?)に国道橋が架かるだろう。
そして現在工事中のトンネルを通り、この先約1kmの区間をショートカットする予定になっている。





現在地はここ

橋は木製だった。
少し前までは現役だったようで、しかも自動車の通行もできたっぽかった。





橋の南側から。

残念ながら橋の竣工、名称などの詳細は不明だった。
昭和49年(1974)の航空写真にはそれらしい姿が写っていたので、少なくとも40年は架かっていたと推定された。





今度は北側の「新橋」から。





最後に、やはり下から見たくなる。
桁部分も木製だった。

この橋の両側に新しい橋が2本架かったところから考えると、近いうちに撤去される事が濃厚だろう。
もしかしたら既に撤去済みかもしれないが、私の記事がせめてもの手向けになればと思う。





北側の「新橋」だが、名称がない。
単に銘版が設置されていないだけなのかもしれないが。
急いで通行だけはできるようにはなったが、止まれ標識の設置すら間に合わなかったという事か?

yahoo地図では未供用のように描かれていたが昨年9月に供用は開始された。
将来的にはこの橋が県道61号に指定されるものと思われる。

  

東京都奥多摩町 水根貨物線跡・未探索区間(その1)

【13年12月23日探索・14年1月30日公開】


東京都西多摩郡奥多摩町 私の記事には何度か登場しているJR青梅線終点・奥多摩駅である。昭和19年築の駅舎はまだまだ健在だ。

4年前に探索していた通称・水根貨物線(正式には東京都専用線小河内線)の探索を中途半端なところで終えていた事が気になっていたので、今日はヘリオス号は自宅待機とし、単独で探索に臨む事にした。





国道411号氷川大橋を渡り200mくらい進むと「むかし道」入口があったので、そこからのアプローチとした。





現在地はここ

さらに300mほど進んだ所が踏切跡になっていた。
画像は奥多摩駅方向を向いて撮影している。前回はこの第三氷川隧道を抜けてきたのだが、今回はここから廃線跡へ進むことにした。





ところで、何の工事だったのだろうか・・・





すぐにガーター橋が現れた。
4年前はそう苦労した覚えのない橋だったが、その時よりも確実に朽ちていた。
一見大丈夫そうに見えても渡してある縦方向の木がけっこうキテいる。





橋梁を渡り終えると切り通しがある。





第四氷川隧道が見えてきた。
この上部はむかし道のハイキングコースとなっており、道路側の柵としての意匠もセットで設計されていた。





前回探索済みの区間はなるべくダイジェストで、とは思っていたのだが、4年も経つとけっこう変化が起きていた。

こんな大きな落石、確かなかったぞ・・・





第一小留浦隧道だ。このあたりの隧道はすべて昭和27年竣工だ。





経費削減なのか、突貫工事の象徴なのかは未だに不明だったが、隧道の内部側面は部分的に素掘りになっている。





第一小留浦橋梁だ。
前回はヘリオス号同伴だったが今回は単独なので、廃線探索には身軽でイイかも。

(その2へつづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線跡・未探索区間(その2)

【13年12月23日探索・14年1月31日公開】


現在地はたぶんここ

いくつか短い隧道を端折った。
第5小留浦隧道、昭和27年竣工だ。





4年前にも左側側面はこんな感じだった。
意外とまだ頑丈だという事か?





続いては檜村隧道だ。
ここは本来なら落石覆いでも良かったような造りだが、上の方まで落石対策施工がなされていた。

その向こう側にも次の隧道が見えている。第1境隧道だ。





現在地はここ

ここは覚えている。第2境橋梁だ。
前回訪問時はヘリオス号同伴だったこともあるが、この20mそこそこの橋梁通過になんと21分も要していたのだった。
この手前で線路も途切れ、この橋梁だけが廃のオーラ全開だった。





今回は身軽なので、楽勝・・・でもなかった。
さらに朽ち果てていた橋梁上の残骸がやはり障害となった。





犬釘も邪魔だし桁上のリベットも滑りやすく不安材料だった。

この橋梁は四足歩行でどうにか進んだ。





ふう・・・

慎重に進む必要はあったが、今回はわずか4分で通過できた。





第2境隧道だ。
短い隧道だが、その手前の落石対策には目を見張る。





続いて第3境橋梁になる。

ここはレールが残っている分、渡橋条件はマシだったが、それでも確実に4年前よりも渡りにくく、というか強度の不安が増していた。





第3境隧道が見えてきた。前回はここで左にエスケープし、むかし道に出たのだった。

今回はこの先に挑む。
ここまでは探索済み区間だったので、長い前フリとも言えよう。





入口には一応まだバリケードは残ってはいたが、それ自体相当朽ち果てていたのだった。

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線跡・未探索区間(その3)

【13年12月23日探索・14年2月1日公開】


現在地はここ

300m以上はある隧道を抜けると、すぐにあったのはまたしても橋梁だった。第4境橋梁だ。

右の方に通路があるのだが、なぜかこちら側とは繋がっていない。
約3mは朽ちている線路を利用して進むしかないようだ。





ここ、けっこう高さがあるんだよね・・・
桁自体はまだまだ問題なさそうではあるが。





再び四足歩行で難所をクリアした。

この光景、いいねえ。
この廃美、たまらないねえ。





ふと右側を見ると、モノラック形式と思われる簡易モノレールが急斜面に設置されているのが見えた。
これはおそらく町が設置した森林モノレール(鹿捕獲要員運搬用)か福祉モノレールであろう。





バリケードの残骸かと思ったが、他サイト(5年前)の画像に丸太小屋が写っており、そのなれの果てである可能性もあった。





また隧道が見えた。
白髭隧道、ここも昭和27年竣工だ。





内部は他の隧道と似たり寄ったりで、それなりにヒビが目立っていた。





そして出口付近には大きな落石があった。





梅久保橋梁と思われる。
国道411号線がはるか下に見える(画像ではちらっとしか写ってませんが)。





こんな立派な松の木が生えている事は廃線後60年以上が経過している時の重みか。
それにしてもこんな橋梁上、しかもバラストだらけの場所にわざわざ生えなくても、という気になる。





その先には、またまた隧道か??

(その4・最終回につづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線跡・未探索区間(その4・最終回)

【13年12月23日探索・14年2月2日公開】


現在地はここ

続いて現れた隧道、梅久保隧道だ。
はるか上の方まで施工された練石積みの石垣が迫ってくるような迫力がある。





内部にはこれまでに無かったものがあった。
4km1/2のキロポストが残っていたのだった。





隧道を抜けると・・・





切り通しがあって・・・





橋梁があった。
惣嶽橋梁・昭和27年完成の橋梁だ。

実はこの5分後にはまた同じところに立っている事になるのだが、この時点ではそんな事は考えもしなかった。





橋梁上に謎のスペースがあった。
信号機設置?待避所?何だろう??





線路上に何かプレートのようなものが設置されていた。

この先のバリケードも気になるが、さし当たって足もとの確認から。





東京都西多摩建設事務所名の三級基準点だった。
ちなみに、国土地理院の地形図にはこの場所が反映されているような事はない。





現在地はここ

2枚上の画像でも写っていたバリケードだが・・・

この先で工事(砂防工事?)がされているようで、ガチで通行禁止になっていた。
そもそも遠くで人の声がするし・・・

撤収せざるを得なくなった。完遂する事が叶わなくなったが3月下旬までの工事らしいのでその後にでも再再訪しようか。
あと約1kmを残し撤退をする事にした。





そんな訳で惣嶽橋梁脇からエスケープを開始した。





国道411号惣岳トンネル坑口前に出た。





国道から見上げた橋梁がこれになる。
この続きが4月以降に続く。たぶん。

(おわり)

  

神奈川県相模原市 復活していた木製吊り橋・前川橋

【14年1月26日探索・2月3日公開】


現在地はここ

記事的には2007年訪問
2011年訪問の吊り橋に3度目の訪問という内容になる。

神奈川県相模原市緑区牧野 県道35号上野原四日市場線の2kmもない神奈川県内区間山梨県との県境付近から分岐する道に入る。

前回訪問時にはこの先通行止めの看板が設置されていたのだが、そのような表記は見当たらない。
これはひょっとして・・・





100mほどで橋が見えてきた。
標識も復活している。
通行可能になったようだ。





最初の訪問時に残っていた2t重量制限の標識の代わりに「1度に10人まで」の警告看板が設置された。





かつては車道橋だったようだが、きちんと補修して、再度自転車歩行者用ながらも復活していた事は喜ばしい。
前回訪問時の私の叫びが届いた訳ではないと思うが、2011年度に補修がなされたようだった。





橋中央付近から秋山川下流方向を見る。





反対側に着く。





床版や欄干や木製補トラス部分は以前より変更なしだが、主索は張り替えられていた。





反対側のアプローチ道を進むと県道517号線や県道76号線に出ることが可能となる。





もう一度県道35号側にもどり、少し違う角度から撮影した。

ちなみにこの橋が架かったのは昭和33年(1958)だそうだ。
え!56年も前だったんだ。




全景画像は山梨県内からの撮影になる。
それほど県境近くに架かっている橋なのである。

  

静岡県函南町 鉄道がもたらしたちょっとした遺産(前編)

【14年1月12日探索・2月4日公開】


現在地はここ

静岡県田方郡函南町大竹 私はこの付近の地図を見て違和感を覚えた。
県道141号線をショートカットするかのごとき道が手前から分岐し、県道を横切り、この先ヘロヘロと延びているが行き止まりになっている。
またトンネル左側の道も怪しい。

で、そのヘロヘロ道に進むのだが、この眼鏡隧道が気になるな。





桑原川暗渠、見た通りの水路カルバートである。
あの来宮暗渠ともよく似た造りの石積みのアーチだ。
竣工は丹那トンネルと同時か少し早いくらい、つまり昭和8年には完成していたはずであったろう。





そしてその側道のような道だが、この先行き止まりって書いてあるような・・・





左折したらいきなり道が終わっていた。
が、以前は明らかに先に延びていたはずの造りだった。

やっぱりそうだったのか!





現・大竹トンネルを擁する道路を横切って反対側にやってきた。
立地的にはカルバートでもよさそうなのだが、2002年竣工の現道のそれも「大竹トンネル」を名乗っていた。
この道を進んで行くと・・・





すぐに終点が見えてきた。





さらに10mほど進み振り返った。
この標識は2002年以前の線形を表しているようだった。
現道(予定地)を越えて、先ほどの狭い川沿いの道に繋がっていたのだ。





現在地はここ

また前を向く。
現在は完全に行き止まりだったが、ここに旧・大竹隧道があったと考えられる。
実際、古い航空写真でもそのように写っていた。

(後編につづく)

  

静岡県函南町 鉄道がもたらしたちょっとした遺産(後編)

【14年1月12日探索・2月5日公開】


現在地はここ

2002年竣工の「大竹トンネル」を通り、線路反対側へやってきた。
現道のトンネルの右に逸れていく道があるのでそちらに行ってみよう。





道幅はけっこう広い。

あ!道の隅っこを歩いているのは!!





おお!
私の好きな茶トラ白猫だ。

ただ、結局は後姿しか撮影できなかった。





道路はまっすぐ築堤にぶち当たる。
2002年以前にはここに隧道(カルバートかも)があった事になる。
古い地図にはそう描かれていた。

現・大竹トンネルが出来た後に埋め戻されたのだろうが、中に空洞など残ってないだろうか?何十年後かに東海道線陥没事故なんて事は・・・まさかね。





現在地はここ

桑原川暗渠を反対側から見た。
まあ、こちら側がそう劇的に変化がある訳ではない。





現在地はここ

函南町上沢地区だ。
鉄道好きなら表敬訪問すべき場所がこの辺なのだ。
このあたり、正確には「函南町上沢字新幹線」という。

戦前の弾丸列車計画時から丹那トンネルをはじめとする工事関係者がこのあたりに住んでおり、昭和39年の東海道新幹線開通に伴い、この一帯を「新幹線」と名づけたようだ。

バス停は残念ながら「幹線上」だ。
反対側のバス停、変わってるな。





フェンスに括りつけられた路線バスのバス停は初めて見たかも。





二葉幼稚園入口まで移動してきた。
ここに掲げてある看板なのだが。





「新幹線区」という文字があった。





さらに幼稚園の隣にある公民館の名は「新幹線公民館」という。

字名とは言え、地名が鉄道によりプレゼントされたかなりレアな例と言えよう。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 廃林道と採石場跡?(その1)

【13年12月29日探索・14年2月6日公開】


現在地はここ

埼玉県飯能市坂石 西武池袋線の終点、吾野駅のさらに先にある踏切だ。
終点と言ってもここから先は西武秩父線が秩父市まで延びている。

ホッパー跡が見えるが現在は使用されていない。
付近一帯はかつて石灰石の採石場だったが、現在は西武建材吾野鉱業所が道路用砕石を生産しているにすぎない。





そんな踏切の先に行ってみようと思う。





林道アズサズ線だ。飯能森林組合管理らしい。
それにしても変わった名だな。この沢の名前だろうか?





林道は全線未舗装であるようだ。

ほどなく道は二手に分かれる。
右は幟はためく観音様への参道となっている。

まずは左折で進む。





間違いなくこちらが林道の本線であるのだが、様子がおかしい。





道路中央部は日時限定のかなり深い川になっていた。
この時点で四輪自動車が相当の月日ここまで入り込んでいない事は決定的となった。

しかし、ここは吾野駅からだと歩いても10分かからない場所だぞ!
駅近廃道としては貴重かも・・・





廃ワンボックスカーが放置されていた。

廃道に放置されている廃車って、イヤなものだ。
余計なものを見ないように先を急いだ。




現在地はここ

どう見ても先ほどの沢を渡ったあたりから廃道状態なのだが、なぜかここにゲートが設置されていた。





ゲートの先にも道は続いているのだが明らかに足もとが悪くなってきた。





足もとが悪いせいで上をあまり見なかった。

ふと上を見ると、明らかに何かがあった!

(その2へつづく)

  

埼玉県飯能市 廃林道と採石場跡?(その2)

【13年12月29日探索・14年2月7日公開】


現在地はここ

yahoo地図には道路終端のように描かれている場所だ。
ここが林道アズサズ線終端なのか?未舗装の荒れた道はまだ続いているが。

林道脇には何やら構造物の遺構があった。
トンネルのような横穴が2箇所ある。まずは左のやつを目指す。





崖をよじ登る。

!!

林鉄サイズのレールではないの!!

9kgもしくは12kgレールと思われる。
このあたりに林鉄があったという話は聞いた事がない。もし新たにそんな発見が出来たら狂喜乱舞モノだ。
このレールは運搬用トロッコあたりの流用か?





左側の穴が見えた。
10mくらいで行き止まりだった。





続いて右の穴に向かう。
ちなみにこの枠状のものも、横穴つっかい棒?も、古レール製だった。





カメラだけが手を伸ばしてようやく届く。
こちらも10mくらいの奥行きがある横穴だ。
一体これは何だろう?
排気用の横穴かな??左側のはまだそんな気もするのだが、この右側のやつに至っては横穴だけが独立した状態なので(かつては何か上部にあった可能性あり)、いっそうわかりにくい。





続いて左側横穴のさらに上部にある構造物下までやってきた。

この階段を登る・・・大丈夫そうに見えても階段が腐っているかもしれない。廃墟は私の守備範囲外なのでより慎重を期した。





階段上まで登った。
これは何だろうか??
すぐ隣の山には西武建材吾野事業所がある。現在は道路用などの砕石加工をしているそうだが、かつては石灰石鉱山だった。

それから類推すればここにも石灰石の採石場か砕石場があったと考えられ、これは石灰石の貯蔵ホッパーのようなものかもしれない(正解をご存知の方がいらっしゃったらご教示頂きたい)。

タンクの反対側に看板があるようなので(右に並んでいるやつ)見てみよう。
何かわかるかも・・・





一枚づつ写真撮影してみた。
どうも「鋼管鉱業武蔵野○○所」と読めた。
現在のJFEミネラルである。

ここから直線距離で8kmほど離れた場所にあるJFEミネラル白岩鉱山近くの事業所名は武蔵野鉱業所だ。
かつて白岩鉱山から吾野まで索道があったという話も聞いた事があって(出典元失念しました)、それとも関係がありそうだ。





かなり木が伸びている事から考えると、使用されなくなってから年月が経過しているようだ。





守備範囲外の廃墟なので、あまり深入りせずに林道に戻ろう。
この問題なさそうに見える橋だが、これとて落とし穴があるかもしれない。
1歩ずつ足もとを確かめながら進む。





林道に出た。

駅からまださほど離れていないのだが、人の気配がまったくない場所で廃墟がある場所なので秘境感は抜群かも・・・

(その3へつづく)

  

埼玉県飯能市 廃林道と採石場跡?(その3)

【13年12月29日探索・14年2月8日公開】


現在地はこの辺

林道の続きなのか、採石(砕石)場構内の道路なのかはわからないが、とにかく自動車が通行できる設計の平場は続いていた。





時折、こんな控えめな石垣があったかと思うと・・・





突然こんな大きな遺構が現れたりもする。

これは何だろう?
ここにはインクラインかベルトコンベアでもあったのだろうか??





上部左の方に何かあるぞ!





一つの目印をめがけ、また崖を直登した。

下から見えた箱状のものの正体は・・・





どうも索道のバケットっぽかった。

ここにはかつて索道があったとされたのだが、それを裏付けるような痕跡だった。





さて、このバケット発見箇所付近は、全体的に言えばけっこう広い平場なのだ。
索道ステーション(積み換え場)があったと考えるのはごく自然だろう。

白石から送られてきた石灰石がここで積み替えられベルコン様なものでタンクに運んでいたと推測するが、どんなものだろう?





上の画像から20mも進むとあずまや的な造りの場所があった。
どうやら燃料貯蔵庫があった場所らしい。





道路はまだ続く。
何か気になるコンテナ形状のものが埋まっていた。





さらに道は延びていた。
こうなったら終点まで行ってみようか。

(その4へつづく)

  

埼玉県飯能市 廃林道と採石場跡?(その4・最終回)

【13年12月29日探索・14年2月9日公開】


現在地はこのあたり

巨大な落石がある場所付近がどうやら道路の終点であるようだ。
という事はこの辺に何かあったという事かな?





上のほうに人工の構造物っぽいモノが見えたので登ってみようか。





落石だらけの場所を登っていくが・・・





人工物に見えたのはこの岩だった。
他にこれだという感じのものは見当たらなかったので、せっかくだからこの岩に登って景色でも堪能しようか。





山が多いが吾野、東吾野あたりの集落も遠くに見えた。





右に目線を移すと、何かが行われていたであろう、何段かの平場の地形があるようだった。





と思いこのあたりを探索してみた。

こんなレールが地面に刺さっている場所があったり・・・





これは何だったのだろうか?





何か排水用のパイプかな??





こんな何かの基礎のような部分があったりしたのだが、残念ながら「決定的な何か」の発見には至らなかった。


(このあと一旦林道を戻り、岩殿観音方向に行ってみたのでタイトルは変わりますが、もう2回続きます)

  

埼玉県飯能市 岩殿観音と周辺探索(前編)

【13年12月29日探索・14年2月10日公開】


現在地はここ

タイトルは変わったが、実質的には昨日の記事の続きだ。

アズサズ林道が廃でないギリギリの場所、そう、岩殿観音参道への分岐点まで戻って来た。
今度は岩殿観音方向へ行ってみようと思う。
廃砕石場関連で何かわかる事を探るのはあまり望めそうにないが、西武建材吾野事業所の現役施設が間近に見られるかもという期待はあった。

今度は右へと進路をとる。





参道は左方向の道なのだが、この右側の荒地、気になるな。
ちょっと右、行っていよう。





荒地を進んでいくと石垣のような、防砂施設のようなものの跡があった。
が結局、これが何だったのかは不明だった。





元の場所に戻った。
そこには岩殿観音の案内板があった。





今度はおとなしく参道を進む。
が、この道、何か普通じゃない。
右側から伸びてきている塀とそれを支えるような石垣造りの柱が怪しいオーラ全開なのだろう。





枕木橋を渡りさらに進む。





何か怪しい空間だな。
右側を登っていけば観音堂に行くのだろう。

正面の光景に吸い込まれるような雰囲気がある。





突き当たりは行き止まりなのかと思ったら・・・





左も右も何かあるようだ。
まずは左から・・・





これが「宝生の滝」らしいのだが、私の探索時には枯れていたようだった。





右側は爪書き不動尊だというが・・・





何も無いじゃん!

・・・ん!待てよ。





その手前にあったこれがそうらしかった。

観音堂を目指し、さらに上に登る。

(後編につづく)

  

埼玉県飯能市 岩殿観音と周辺探索(後編)

【13年12月29日探索・14年2月11日公開】


現在地はこの辺

水の流れていない滝と磨崖仏のさらに上へと斜面を登っていくと・・・





現在地はここ

今度は航空写真モードにしてみた。

半分崖に埋もれるような赤い社があった。
それもけっこうインパクトがあるのだが、正面の簡易バリケードの先も気になった。





バリケードの先は西武建材吾野事業所の敷地なのだが、観音様のすぐ隣が砕石場だなんてギャップがすごい。





駅近くの法光寺の別院だったんだ。
岩殿観音窟と呼ばれ石灰岩の洞窟であるようだ。
行基菩薩が手彫りで造ったとされる十一面観音を貞和2年(1346)にこの地に奉納されたそうだ。
な、700年近くも前??

内部に入れるそうだが、左の扉から入れとの事で。





ここから入る。





ここで参拝した。
ロウソクなどはきっと下の法光寺で入手するのだろう。





格子の中も覗いてみた。
十一面観音かどうかまではわからなかった。窟は700年近く前のものらしいが目の前の観音様は当時のものだという事でもないのかな?
が、こんな神秘的な状態の仏像が誰でも入れる場所にあった事は一つの衝撃だった。





現在地はここ

さらに上に上れる道があったので登ってみた。
これがどうも古峯神社であるようだ。





あずまやのような祠の隣に開削されたようなスペースがある。
もちろんそこへ行き、さらに5mほど崖をよじ登った。





で、撮影したのがこれ。少々木が邪魔だが・・・

現在は採石はしていないそうなので現役鉱山ではない事になるが、何だか禁断の場所を覗いたような妙な気持ちになった。

(おわり)

  

山梨県大月市 中央道工事用道路(その1)

【14年1月26日探索・2月12日公開】


現在地はここ

山梨県大月市富浜町鳥沢 国道20号線鳥沢橋手前ををほんの少し逸れたあたりだ。
今日は右側の道から中央自動車道方向へとアプローチする。

すぐ先に橋があるがこれは中央本線を跨ぐ水路橋だ。以前渡橋してしまっているのだが、未だに渡っても良かったのかどうか不明だ。





現在地はこのあたり

今私が通っている道が中央道工事に関連するかどうか、だが、私が持っている昭和51年(1976)の5万分の1地形図「上野原」や昭和54年の航空写真ではそれらしい車道が確認できず、昭和63年(1988)の航空写真にはそれらしい道路が確認できる。つまり1980年代前半くらいに出来た道路と思われる。

中央自動車道が最初に開通したのは昭和44年(1969)だし、この区間の6車線化工事が始まったのは平成7年(1995)頃なので、この道路は日本道路公団が建造した工事用道路ではなさそうだった。





30mくらい進むと、目立つ境界柱が建っていた。





JH、つまりNEXCO中日本の管理の境界柱だった。ここから先は元の工事用道路であったと考えて間違いなかろう。
この分岐は右に進む。

この工事用道路について、私は現在地点より約800m離れているこの道路との関連があるのかどうかが気になっており、今回それも確認しようと思う。





半廃道のような道路はすぐに突き当たる。
今度はこれを右折する。





路面がぬれているせいかもしれないが、妙に新しく感じる。





高速の手前で門がありそこから先へは行けない。
その右に細い道があるがここは深追いしない。





3枚上の画像の突き当たりのところまで戻って来た。
先ほどは右下から来て坂を登っていったのだが、半廃道が急にいい道になったのには、ワケがあった。
この画像を見れば説明は不要だろうが、このフェンスの向こう側の画像をお見せしよう。





工事用道路の跡はフェンスの向こう側へ延びていた。
6車線化工事の際、現在の上り線の増設工事のための道路だったものと思われる。

(その2へつづく)

山梨県大月市 中央道工事用道路(その2)

【14年1月26日探索・2月13日公開】


現在地はここ

中央自動車道をくぐって反対側に出た。
ここを右折するとしばらく中央道に沿った道になる。
つまり本日分の記事はほぼ「高側道」という事だ。





マスクメロンのような状態の路面を持つ道は上りになる。
少し先の右にはゲートがある。





現在でもゲート一つ越えただけで高速本線へとアクセスできてしまう箇所だ。
当然、工事用道路であったはずの道から、工事区間への重要な中継地点になっていたであろう場所でもあった。





高側道は依然マスクメロン状態だ。
中央道のほうは、新線区間を使用した上り線の中野トンネルが見えた。





マスクメロンはついにカキ氷になった。

この50mくらい先まで大型車が出入りするようなのだが、元の道路設計が大型車に対応しきれていない??





現在地はここ

地図上にはどう見ても工事用道路だったように描かれている道があった。
ここを右折する。





こんな半廃道なのだが、車が通った跡がある。
しかしこの先には何もなく、いったいどのような用件で訪れたのか不明だった。





カーブを曲がるとその先ですぐに本線に合流していた痕跡があった。

(その3へつづく)

  

山梨県大月市 中央道工事用道路(その3)

【14年1月26日探索・2月14日公開】


現在地はここ

側道「盲腸線」部分の探索を終え「本線」に戻った。

何か左にあるようだが・・・





それは「側道終点」の目印?だった。
単なる目印なのか境界柱的な性格のものなのかは不明だが、いずれにせよ恒久的なスペックではないのは確かだ。





「側道」ですらない事になっている道をさらに100m近く進むと舗装が途切れる。
この先にも一応道は続くのだが、そのスペックを見極める必要があった。





このあたりは普通車ならば通行可能であろうか?反対側アプローチとの比較になるが、このスペックの道が中央道工事用道路だったかどうか・・・





完全1車線のまま道はほぼ頂上に来た。
右に分岐があるようだ。





右の道はシングルトラックだった。
高圧線鉄塔管理用か? いずれにせよ工事用道路ではないようだ。





現在地はこの辺

右下の方に中央道本線が見えた。
運転者たちは、まさかこんな隠れ側道から高速道路の過去を探っている人間がいるなんて思わないだろうな・・・





さらに70mくらい進んだ。
地図ではここまで道路が描かれている場所だ。
地図通りこの先には道はないようだ。

「側道終点」からここまでの結論、「この道は中央道工事用道路ではなかった」が私が出した結論だ。
「反対側」のようなガードレールもなく、道幅そのものも工事車両が入るには狭すぎるのがその理由だった。

(その4・最終回につづく)

  

山梨県大月市 中央道工事用道路(その4・最終回)

【14年1月26日探索・2月15日公開】


現在地はここ

最初の場所近くに戻ってきたが、これから訪れる場所が最後のポイントになる。
ここを右折する。





どう見ても工事用道路っぽい道を下っていくと・・・





この橋を渡ると県道30号に出るのだが、この橋に注目!





現在地はここ

ポニートラス橋だ。
しかもどう見ても仮設っぽい橋だ。

私は4年前にもここに来ているがその時点から橋は姿を変えていないようだ。





工事用の仮設橋だったものが地元要望でもあって残されたのだろうか?
隣の上野原市にはそんな経緯を持つ橋が架かっているが・・・





橋には銘版などが一切ないが、そもそも名称はあるのだろうか?
架橋の明確な時期も不明なのだが、2005年の航空写真にはそれっぽい道があるように見えるし、中央道6車線化工事関連の工事道路であるはずの橋なので、20世紀のうちに架けられた可能性が高い。





工事用の大型車の通行用に設計されたであろう仮設橋なので、予定外に長い期間架かっていても不安な感じは一切ない。

無骨な仮設橋ゆえ華やかさがないので、どこか不憫な気もする。
が、予定の寿命を大幅に永らえ生活道として第二の人生を歩んでいる橋。

この橋は幸せなのかそれとも・・・

(おわり)

  

静岡県清水町 大正時代のコンクリ水路橋・千貫樋

【14年1月12日探索・2月16日公開】


現在地はここ

静岡県駿東郡清水町堂庭 県道145号沼津三島線だ。私は境川橋上におり、地図で言うと現在地から時計の2時の方向を向いている。

ここで2、3m先の左側に目的のモノがあるらしい。





あった・・・看板が。。

千貫樋という灌漑用水を送水するための樋を見に来たのだが、とりあえず説明の看板が先に見つかった。





看板横から見えるのはこんな光景だ。
これじゃ見えないな・・・





少し離れた場所から覗き込んだが、それでも何か消化不良のような画像だな・・・

反対側から見られないかな。





こんな狭い一方通行道だが、静岡県道144号下土狩徳倉沼津港線だ。
50mくらいこの道を通り反対側へ向かう。





現在地はここ

現在地から5時の方向を向いた画像がこれになる。
道路から町会の倉庫の脇を入っていく。

ここで左を向くと・・・





間近とは言えないもののさっきよりはいい角度で見られる。





ズームアップした。

元々は木製の樋だったものが関東大震災で崩壊し、その復興の一環で大正13年(1924)に完成した鉄筋コンクリート製の樋だ。
今でも現役である事が素晴らしい。
ちなみに、土木学会の近代土木遺産Bランクに指定されている。

  

千葉県勝浦市 行川アイランド駅周辺

【14年2月16日探索・2月17日公開】


千葉県勝浦市浜行川 JR外房線行川アイランド駅に降り立った。
昨日は大雪の影響で関東一円探索可能な場所なんて・・・あった。房総半島南部の海沿いなら残雪もほとんど無いのでは?と思い、探索開始の場所に選んだのだった。
南房総は大雨になったはずという読み通り、雪はほとんど残っていなかった。





この駅は昭和45年(1970)行川アイランド駅(当初臨時駅)として開業したが、平成13年(2001)行川アイランド閉園後は千葉県のJR駅中、最も乗車人員が少なく(2006年度で19人)なっている。





平成20年(2008)に駅舎、というか待合室が改築されたのだが、この駅にはトイレがない。駅前には閉鎖されたトイレ跡があるのだが、利用出来るものは一つもない。
周囲に自販機がないのはまだしもトイレは設置して欲しいところだ。





駅前だ。
国道128号線が通っているが、他には何も無い。
何も無いのだが国道があるせいで秘境感もない。
なので、一部の地元の人意外は本当に物好きしか利用しないだろう。





かつて、行川アイランドがあった頃は、ここで切符を売っていた。





その反対側だ。
シャッターは2度と開くことはなかろう。
電話ボックスだけが現役のようだが、これまた利用者がいるものなのだろうか??





せっかくだからこの歩道橋を利用して行川アイランドの入口でも見に行こうか。





現在地はここ

地図では2時の方向を向いて撮影したのがこれになる。

南国をイメージした植物はまだ成長しているようだが、手前の案内人(警備員?)ボックスは既に通常の姿ではない。





正面エントランスだ。
遠巻きに見ればさほどの違和感は無いようにも見えるが、階段には大きな草が生えているし、入場券売り場は色あせたカーテンが引かれたままだ。





階段上の斜め方向から撮影。





同じ場所から入口方向を見ると、進入できないトンネルがある。
入るつもりは元々ないが、覗いてみよう。





何か鳥(色が違うようだがフラミンゴ??)をモチーフにしたもの(ライトと思われる)が左右とも等間隔に設置されていた。
そのまま放置されているのが物悲しいな。





駐車場も1日500円という文字は残っていたがバーも撤去されており、完全無料なのかも??

  
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