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群馬県高崎市 県道125号線不通区間(第1次探索・その1)

【15年6月20日探索・7月22日公開】


現在地はここ
<進行方向は8時>

群馬県高崎市倉渕町三ノ倉 国道406号線と県道33号が交差する「倉渕郵便局前」
交差点を右折する。





2車線・歩道ありのこの道は県道125号一本木平小井戸安中線だ。
起点の高崎市榛名山町一本木平から今の交差点までは県道33号渋川松井田線と重複
しており、ここからが単独区間になるのでこの場所からレポを開始しようと思う。

ちなみに、県道としての認定は昭和34年と、その歴史はかなり長い。





昭和46年架橋の水沼橋で烏川を渡る。





橋の先で県道は左にカーブする。

このあたりで雨が降り出してきたので・・・





真言宗蓮華院という寺院があったので、この山門で25分余り雨宿りをした。
最近はスマホアプリで「雨雲ズームレーダー」という便利なものがあり、自分がいる
場所でいつまで雨宿りをしているべきかの判断材料をくれる。





雨が止んだわけではないが、今後1時間以内には強い雨は降らないようだ。
雨雲ズームレーダーを信じて出発する。

ちなみに、地理院地図ではこの先の分岐する道は両方とも県道色に塗られている。
帰路には旧道っぽい右の道を通ったが県道らしいものは発見できなかった。





少々接続詞がおかしいような気もするが「険道」予告になる。





橋を渡るが、この橋についての情報は何も無かった。





現在地はここ

先ほどの予告看板の場所がここになるようだ。
県道125号線はここから先、林道久能沢線を間借りする格好になる。





50m先、林道水落線を分岐する。





で、県道125号(林道久能沢線)は最初の不通区間に入る。

このあたり、物理的には問題なさそうだが、路面の舗装は途切れる。





林道としては至って普通な感じだ。

それにしても今回のタイトル、現役県道の通行に「第1次探索」とは何事だよ・・・

(その2へつづく)

  

群馬県高崎市 県道125号線不通区間(第1次探索・その2)

【15年6月20日探索・7月23日公開】


現在地はここ

そういえばこの林道「久能沢線」って、この日の走行において見覚えのある名前だ
った。
県道33号線の地蔵峠から倉渕方向に下る途中で分岐していた林道に違いなかった。
そうなると、県道(不通区間)のルートとは一致しないので、この林道からはどこ
かで外れなければならない事が予想された。

この先に最初の離合スペースがあるようだ。





道が広がっていた場所は、砂防ダムの下にあたる部分だった。
平成24年度施工のかなり新しい砂防ダムだった。





それなりの通行が見込まれるのだろうか?
離合スペースの予告標識は割と頻繁に現れる。

ただ、ここで注目はそれではなく、右側・・・





土屋様の所有物??
どのような目的の材料なのだろうか?





その先で、路面は舗装に変わった。
ただ、これまでの経験では未舗装の林道が舗装に変わる箇所というのはたいてい急勾配
か路肩などに問題ありの箇所である事がほとんどなので迂闊に喜べなかった。





その先も未舗装、舗装が断続的になっていた。
舗装箇所の方が幾分勾配がキツかったか。





林道起点から1kmのキロポストが建っていた。
林道延長は5402mだというから、道がわからなくなったりした場合などのエスケー
プルートは確保されたと言えようか。





他に構造物がない不通区間において、唯一の標識がこの離合スペースの予告標識だった。
これだけは沢山あるんだよ~





この先で川を渡っている。橋か?




現在地はここ?
★結論から言えばここではなかった★

試しにこの林道を100mほど進んでみた。
すると、GPSは県道から離れている事を教えてくれた。

そうなると、林道とはここでお別れになるようだ。

地図の読み間違いがなければ、このあたりから沢の左岸を進んでいるように見えた。
すると、この先の、この左折??





本当か??





ヘリオス号を担いで、この廃道っぽい場所へと入っていく。
この時点で私は、地図を読み間違えている事には気づいていなかった。

(その3へつづく)

  

群馬県高崎市 県道125号線不通区間(第1次探索・その3)

【15年6月20日探索・7月24日公開】


現在地はここだと思っていた。
沢の左岸を突き進んでいた。
が、この激藪区間に入り、分速7、8mまでペースが落ちた。





激藪の中で倒木があると、自転車を担ぎながらの進行がさらに遅くなった。





しかし、こんな道がいったいいつまで続くのか、などと考えながら、再度自分の
現在地点をGPSに求めた。





・・・

どうもこれはこれまで考えていた場所じゃない・・・

とりあえず先ほどの地点に戻ろう。





先ほどまで断続的に降り続いていた雨、と、激藪の中を通過していった結果がこの姿
だった。





現在地はここ

結論的には、現在地点を400mほど間違えていた事になる。

結局私は、まず赤矢印のように下から上がってきてそのまま赤矢印方向に100m程
進み、その後戻ってきて青矢印の激藪に突入、合計で30分を超えるロスタイムとな
った。

で、正しい道はどうも黄色矢印のようで・・・





正しいと思われる道を進みながらも、GPSで確認しながらいする事にした。
ここは林道の支線入口、だろうか。
平成20年度の整備となっていた。





それにしてもこの路面状況は酷いな。
今時、路面に砂利すら敷かれていない道って、作業道クラスと言えようか。
それでも県道125号線の黄色い着色のある道、なのだ。





路面はそんな状態のまま、勾配が尋常ではなくなってきた。
押してても一歩ずつ、滑るレベルなんですけど・・・





試しに、勾配を測定してみた。
このアプリを信じれば、その勾配は40%超えというすさまじいものだった。





その先、今度は明らかに工事中な感じになっていた。





作業車がほぼ道路全体を塞ぐ形で駐車していた。
自動車は元より通らない前提としても、二輪車すら通行困難な状況だ。

それにしても、キャタピラー装備なんだ、この車・・・

(その4・最終回につづく)

  

通常記事は少々お待ちください

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イメージ 1

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眠いので寝ます。起きたら通常記事を書こうと思います。
 

群馬県高崎市 県道125号線不通区間(第1次探索・その4/最終回)

【15年6月20日探索・7月25日公開】


現在地はこの辺

どう見ても作業道のような道路の登り勾配を進む。
こんな道でも一応県道でこの道の続きなのだ。





作業道っぽいと先ほど書いたが、どうも地図通りにはなっていない事がわかってきた。
林業関係の作業なのだろうか、明らかに地図に無い道が沢山ある。





地図の県道ルートからは外れているっぽい事は進んでいる方向からも感じていた。





GPSで確認したところ、やはりルートからは外れているようだ。





ここで地図に描かれている県道ルートを確認する。作業道支線の終端からさらに藪
へ・・・





一応、ルート上になったようだが、ここは・・・





どう見たって道なんてなかった。
県道踏破が目的ではあるが、こんな藪だけの場所はパス!





そんな事で、多少は県道ルートから外れてはいたようだが、作業道の「本線」のよう
な道を上がってきた。





5m進み振り返った。

私は左から上がってきたのだが、右側の道も地図には描かれていない道だ。
他にもそんな支線が何本もあったので、GPSによる現在地確認が大変役立った。





このショベルカーのあたりから県道ルートに復帰したっぽい。





このあたりだったようだ。

せっかくルートに復帰したのはいいのだが、この日の探索では降雨とルート間違いによ
る予定外の遅れが重なり、またさらなる降雨も予想されたため、これ以上の進軍は断念
した方がよさそうだった。





現在地はここ

そんな訳で、県道踏破というあまりハードルが高くないと予想していたな探索は、再訪
するであろう第2次探索に引き継がれる事になった。

甘く見ていたか、県道125号線・・・

(おわり)

  

東京都青梅市 都道沿いの謎の道・再訪

【15年4月12日探索・7月26日公開】


本日アップする記事はこの記事の後半に出てきた謎の道の再訪になる。

現在地はここ

東京都青梅市柚木町 都道45号線の脇に地図にも表記の無い謎の道が分岐していた
事が気になっており、昨年の夏場に訪問していたが、全貌が不明だった。
そして本年4月、まだ雑草が藪になる以前に訪問できた。

以前はロープが張られていたが、この日は地面に落ちていた。





雑草は自然減だけではなく、草刈も行われていたようだ。





前回、激藪のため撤収したあたりだ
車道区間の終了地点から、実は徒歩道が先に延びていたのだった。





今回は下を流れる多摩川もよく見えた。
この橋は御嶽渓谷遊歩道の鵜の瀬橋だ。





歩道にしては幅があるようだが、絶対に車道ではない。





道幅約2mのまま登り勾配になる。





そしてまた平地になり・・・





現在地はここ

御岳トンネルの6、70m手前で都道に再合流するんだかしないんだか、という状態で
この謎の道は終了した。が、結局、全貌は明らかになったが、造られた時期や目的の推
測材料は何も無かった。

引き続き、情報はお待ちしたい。





最後に、帰路の青梅線車窓からの見え具合をどうぞ。

 

埼玉県さいたま市 キャバレー居抜き駐輪場

【15年7月12日探索・7月27日公開】


現在地はここ
<進行方向は8時>

埼玉県さいたま市浦和区北浦和 JR京浜東北線北浦和駅から程近い場所だ。
この左の路地に目的の場所があるらしいのだが・・・





この正面が目的の路地なのだが、広い道の路面に描かれた停止線と「注意」って・・・
見かけない表記だ。





路地に入る。
駅近くなので、通行人がいない瞬間をしばらく待って撮影した。





現在地はここ

この駐輪場が目的の場所になる。
何でも、元キャバレーの居抜き物件らしい。





この界隈、他の駐輪場の値段も調べてみたが、確かに割安であるようだ。
まず1階を覗いてみる。





ここは元々は何だった場所なのだろうか?
飾り気のない昭和テイストがイイ雰囲気かも。

この時点で東所沢駅前の駐輪場に次ぐものであろう事が予想された
(注:東所沢駅前の駐輪場の現状はリニューアルされ、かなり雰囲気が当時とは変わ
っています)。





そして2階への入口だ。
左側の「更新の受付」が書かれているフレームもそのまま再利用されているようだ。





契約者以外立入禁止の文字が目に入った。
そうか、ここは一時利用ができないのか・・・
残念だな・・・





なので、立ち入らないようギリギリのショットが、この2階への階段になる。
この先も見たい方は元々の情報源であったこちらのサイトの記事をどうぞ。

  

千葉県銚子市 本州で最も東にある廃道(前編)

【15年2月21日探索・7月28日公開】


現在地はここ

千葉県銚子市犬吠埼 県道254号銚子公園線沿いに遊歩道入口があった。
私はヘリオス号を待機させ、遊歩道へと向かった。





海沿いの遊歩道は、海なし県に住む私にとっては非日常感があり、それでけでテンショ
ンが上がる。





早速、廃なものが・・・
まあこれは、海へ下りる階段で、侵食されただけと言われてしまえばそれまでだが。





前方の左の方に何か気配が・・・





廃屋?廃物置?廃売店?

いずれにせよ利用されている]ようには見えなかった。





その先にあったのは銚子市内で最大級だったホテル「グランドホテル磯屋」だが、東日
本大震災の影響で客足が遠のき、2012年4月に閉館したようだ。
こういう岬の突端には津波は来にくいと思うが、風評被害の典型だったか。





遊歩道の先のほうにトンネルが見えてきた。





現在地はここ

歩道サイズの小さなトンネルだ。
タワーチックなものはソーラーパネルで、トンネル内照明をまかなっているものと思わ
れる。





遊歩道だからあまり驚かないが、隧道内階段もしっかりとあった。





その先、波がよくあたる地形らしい。
手すりが外れているようだが・・・





外れたのか、腐食したのかはちょっとわからなかった。
端っこに何か書いているようだ。





う~ん・・・

注意喚起はイイのだが、もしバランスを崩した際にこの手すりに体重でもかけようもの
なら・・・

(後編につづく)
  
 

千葉県銚子市 本州で最も東にある廃道(後編)

【15年2月21日探索・7月29日公開】


現在地はここ

分岐があった。が、とりあえずは赤矢印の直進方向へと進む。





少し進むと、遊歩道には似合わない看板が建っていた。
★この画像の後にも、右上部分に黒いシミのようなものが写りこんでいる画像があり
 ます。カメラレンズ内の汚れです。お見苦しくて申し訳ありません★





現在地はここ

看板に見えたものは銚子土木事務所の道路情報で、「がけ崩れ」のため「通行止」だ
った。





先が見たいのは山々だが、夕刻にもかかわらずけっこう遊歩道には人が多く、バリケ
ードの突破はしない方がよさそうだった。





いったん階段を上がり、灯台が見える広場にきた。

上から先ほどの遊歩道を眺めても見た。冷静に考えてみると、バリケードの乗り越え
などせずとも、見たい場所が見られるのではなかろうか?





ちなみに、廃になっている遊歩道は2本の黄色矢印間の、犬吠埼突端近くの部分だ。





そんな訳で1枚目画像の分岐に戻り、今度は黄色矢印方向へと進んだ。





遊歩道終点から先は自然な感じで岩場になっており、これを伝っていけば通行止遊歩道
に出られるのではないかと考えたのだった。





現在地はここ

たぶん合法的に着いた。
まあこの行為自体、グレーな気もするが、何かあってもとりあえず言い訳はできる。





通行止遊歩道自体には入らずに様子を窺う事にした。
遊歩道自体明らかに歪んでいるし・・・





まずは黄色矢印のあたりをズームアップしてみた。
遊歩道は水没していた。





赤矢印付近をズームアップしてみた。

橋が欠損していた。東日本大震災の影響だろうか?
ひとつ気づいたのは、どうも「がけ崩れ」による通行止ではないのでは?という疑問だ
った。

(おわり)

  

埼玉県東松山市 明治の煉瓦樋門・矢来門樋

【15年5月6日探索・7月30日公開】


現在地はここ
<目的地は2時の方向、約40m>

埼玉県東松山市下青鳥 都幾川近くのこんな道を走っていると、いきなり右手に現れ
たものがあった。





おお!!
樋門だ。しかも煉瓦製だ。





数年前までは現役だったようだが、現在では本来の目的(悪水吐き門樋)としては利用
されていないようだ。
なので、近づいてよく見られる。





石で出来ているっぽい銘版には右書きで「明治三十六年四月竣功」と刻まれていた。
明治の煉瓦構造物にノーマークで会えたなんて、ラッキーかも・・・





水路としては引退状態だったため、内部にも簡単に入れた。





一応反対側も見ておかなければ・・・・





木製の蓋で塞がれていた。
本来は木製のスウィングゲートがあったらしい。

  

非公開設定になっていた?

山梨県富士吉田市 構内に電鈴式踏切がある下吉田駅

【15年6月14日探索・7月31日公開】


駅はここ

山梨県富士吉田市新倉 富士急行大月線下吉田駅に降り立った。
なぜこの駅か? それは構内にある電鈴式踏切の音が聞きたくなったからだった。

まずは46秒の踏切の動画を見て頂きたい。

この踏切、いつからここにあるのだろうか?
横断歩道みたいだし・・・
富士急の社史でも見れば載っているかな・・・





本日の記事は、私のブログ内では珍しい「普通」の「駅」紹介である。

駅舎は2009年にリニューアルされたようで、レトロ感があるが大変綺麗だ。
トイレなども相当綺麗だった。




駅前広場はかなり広い。
商店は駅前に1軒あるだけだが、逆にそれが不思議なくらいだ。





駅舎だ。
この駅は昭和4年に開業しているが、駅舎自体がその当時のものなのかどうかは不明だ。
建設当時、東洋一と言われた名古屋駅を模して造ったものだという。





駅構内には客車や貨車が展示されている。
ワフ1、ワフ2、ト104であるらしい。
車掌車って今では皆無?





また、別のスペースにはスハネフ24も展示されていた。
ヘッドマークは「富士」だが、実際にこの車両は特急「富士」ではなかったそうだ。
とは言え、ちょっと粋かも。




私は構内から出てしまったのだが、土日は車両内部に入れたようだ。
しかも寝台に横になる事もできたそうだ。
次回訪問した時にはそれもやってみようっと。

  

埼玉県吉川市・越谷市 渡れる水管橋・3本目

【15年4月5日探索・8月1日公開】


現在地はここ

埼玉県吉川市高富 中川に架かる4連アーチの水管橋なのだが、これがまた大きな特徴
を持つ橋だった。

かつて私は元荒川に架かる元荒川水管橋大野島水管橋を渡っていた。
この水管橋は前の2橋と同じく渡れるらしい。





渡る前に、下から眺めておこう。





確かにスロープ状の階段がついており、ここが人道橋である事をアピールしているよう
だった。





では、参ろう。
自転車の場合はもちろん押しになる。
そうでないと・・・





少し上がって振り返った。
反対側からなので当然下りになるのだが、もし乗車して下った場合、ちょっと間違え
ると止まり切れずに車道へ突っ込む事になる。





幅員は1.2m程度だろうか。
歩行者同士なら普通にすれ違える。

この水管橋、名前を新中川水管橋といい、平成3年(1990)に竣功している。
新三郷浄水場から県南東部への給水のための水管橋である。

埼玉県では私の知る限り、渡れる水管橋は3本目になるわけだが、他県ではそのような
橋があるとは聞かないなあ。





下流を見た。

かつてこのあたりに橋が架かっていたからその代替としての人道橋設置なのかと思った
が、古い航空写真で確認する限り、この付近には橋は元々なかった。
渡しがあった可能性もあるが、それは詳細をまだ確認できていない。





街灯が設置されているのだが、途中までは吉川市のプレートが付いていた。
しかし途中からは越谷市のプレートだった。




北側・上流方向を見た。
この一帯は船の係留場になっているようだ。





越谷市側のスロープだ。
こちら側は直線的だった。





これだけ見たら普通の横断歩道橋だと思うな、きっと。

  

静岡県静岡市 立花橋と立花の吊り橋(前編)

【15年3月22日探索・8月2日公開】


現在地はここ
<目的地は3時の方向に架かる橋>

静岡県静岡市清水区小島町 国道52号線を左折し、興津川に架かる吊り橋を目指す。





この日は何度かにわか雨やひょうが降ったので、路面が濡れていた。





ここから左に行くと目指す吊り橋に行けるようだが・・・

どうもこの下に架かる橋が気になった。
まずは直進、寄り道してみよう。





何だか、イイ感じの橋が架かっていた。





桁橋と見た。
年季のある橋だという印象だが、昭和13年の架橋であることは橋の手前の親柱に刻
まれていた情報により、この時点では知っていた。





探索当時に咲こうとしていた桜と、妙に直線的な道路が印象的な光景だ。





やはり桁橋だった。
が、3本(たぶん)の橋脚がかなり高いので、桁橋としては珍しいかも。

ちなみに、この橋の旧橋は無いようで、この橋が架かる前は後編でお伝えする吊り橋
が唯一の交通路だったようだ。





この橋の名は「立花橋」であり、この付近の興津川左岸の地区名であるので、順当と
言えよう。
ところが奇妙な印象が拭えなかったのがこの親柱の銘版だった。
「命名 農林大臣 伯爵 有馬頼寧」という銘版なのだが、国道や県道でもないこの
橋に、なぜ?? しかも静岡県とのつながりがさほど深いようには思いにくい同氏が
(私の不勉強なだけかも)なぜ命名者?

話が脱線するが、JRAの年末のG1レース、有馬記念はこの有馬頼寧の功績(日本
中央競馬会第2代理事長・競馬の大衆化に尽力)を称えたものである。





さあ、先ほどの分岐まで戻ろう。

あれ! 来るときにはスルーしてしまったが、橋の袂の照明もイイ感じだ。
これもオリジナルであるのかも。

(後編の吊り橋編につづく)

  

静岡県静岡市 立花橋と立花の吊り橋(後編)

【15年3月22日探索・8月3日公開】


現在地はこの辺

昨日の記事の分岐地点を左折し、100mほど進んできた。
両側が茶畑の、いかにも静岡県っぽい道をさらに進む。





橋の袂が見えてきた。

ちなみに、最初の画像付近までは軽トラあたりが入ってくると思われるが、このあた
りまでは来ていないようだ。





ここもまた5人以上で渡ってはいけないようだ。
私的には0.3tの制限標識が建っていたら、よりテンションが上がるのだが・・・





にわか雨などのせいで床板が濡れており、普通に滑る。
また、風が吹いていたせいか、吊床版橋のせいか、普通に揺れる。
興津川はゲリラ豪雨のせいか増水中だった。
吊り橋の長さは地図読みで約60m、有効幅員は60cm程度か。

結論・・・見た目よりもけっこう怖かった。





とは言え、このあたりの人たちは普通に生活道として利用しているはずだった。
橋の先にも道は続いている。

前編でも述べたが、立花橋が架かる前には立花地区に行くにはこの吊り橋(何代か
前のものであろう)が唯一の道路だったようだ。





渡りきり、左岸側から振り返った。





静岡県で見た吊り橋はなぜか主塔を持たない吊床版橋なのだが、橋の生命線であるワ
イヤーの止め部分だ。





真下から見てみた。
ワイヤーは全部で12本だった。
吊り橋も、やっぱり下から見るのもイイなあ。





最後に斜め下から。

そう言えば、だが、吊り橋を架けている所って、見たことないな。

(おわり)

  

東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その1)

【15年4月12日探索・8月4日公開】


現在地はここ

東京都西多摩郡日の出町大久野 都道184号奥多摩あきる野線だ。
このうち、日の出町大久野の不動前付近から奥多摩町海澤の奥多摩霊園付近までは
不通区間となっている。

今日はその区間に挑むのだが、タイトルにある通り、奥多摩町側までは抜ける事が
できなかった事を予め述べておく。





最初の画像から50mほど進んだ所が、分岐地点になる。
右に行くとつるつる温泉、左折の細い方が都道である。





左折後すぐにあるのが熊野神社だ。ここは「熊野本宮大社」を名乗っており、全国で
約3000もあるらしい熊野神社の中でも比較的格上なのかも。





そんな道を進む事、数十メートル・・・





都道の証、照明等の管理シールだ。





この区間、狭い事を除けば極端に怪しい道ではない。
こんな林道チックな道を進んでいく。





「落石注意 東京都」という私の好きな看板があった。
そしてその先、橋のようだが!!





もう利用されたいないように見えた橋があった。
渡りたいのは山々だったが、対岸の住宅の庭に人がいたので、やめておいた。





現在地はここ

「不通区間」になる直前、平井川に架かる橋があった。
名称は不明だが、立地からすれば不動橋あたりの名前がついていそうだ。

で、この橋、ちょっとした特徴があった。





親柱の上になぜか金属製オブジェが・・・











カエル

これの意味するところは不明だ。

(その2へつづく)

  

東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その2)

【15年4月12日探索・8月5日公開】


現在地はここ


2本連続して橋があったのだが、2本目には特にオブジェは設置されていなかった。
先のほう、何か看板があるぞ!





東京都道としては似つかわしくない、私の好きな看板があった。
そして20mくらい先には簡易バリケードが設置されていた。

が、自転車ならば普通に進行できる。





勾配は一段ときつくなった。
ところで、地理院地図ではこの区間も都道府県道の黄色が塗られている。





道は変わった舗装になった。
用途は滑り止めなのだろう。





現在地はたぶんここ

右側、何かがあった。
臨時売店かな?




コンクリ舗装なのは変わらないが、直線的な溝によるスリップ防止と、石入り舗装が
交互にやってきた。





ガードレール設置区間があった。





が、すぐに終わった。

ここは大雨のときには洗い越しになるものと思われる。





そしてこのあたりで勾配を測ってみた。
17度=30.6% という結果になった。

このあたり、というか普通区間に入り、ほぼ全線、押しで進んでいた。





すごい登りなので、進行速度は遅い。





時代が違うせい?
擁壁の石垣施工が明らかに違っていた。





押していても苦しくなるほどの急坂をさらに進んでいく。

(その3へつづく)

  

東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その3)

【15年4月12日探索・8月6日公開】


現在地はここ

左に分岐があった。
林道麻生山線だ。地図を見ると、山の中腹を縫うように通り、最終的には都道184号線の、本レポの冒頭の画像の場所に出るようだ。





その後もまだ押していても大変な勾配が続いていた。





どれくらいかって?
計算上では32.5%にもなる急勾配だった。





視界が開けてきた。





これまでにない変化が出てきたワケだが、それはイイ事ばかりではなかった。
この先、急勾配が続いていて、はるか上の方にも道があるのが見えてしまったのだ。





急カーブの所に何かあるぞ。





現在地はここ

それは、水の恵みに感謝するという趣旨の石碑だった。
書体は2010年まで日の出町長だった青木国太郎氏のものである。

そして、石碑の後ろからは水が湧き出ていた。夏場なら頭からかぶりたい。
ここもまた多摩川源流のひとつ、とも言えようか。





石碑側から都道を見るとこんな感じだ。
急カーブ、急勾配、そして舗装がここで終了していた。





次のカーブを過ぎた。
車の轍があるが、四駆でないとまともには走れそうにない。





山の会が設置した標高700m地点の標柱の先あたりで、今登ってきた景色を見た。
遠くに見えるカーブが一つ上の画像地点になる。





そしてこれが進行方向だ。
道はまだまだ登る。





しかも、路面はこんな状態だ。

これが東京都道184号線の真実の姿だ!

(その4へつづく)
 
  

東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その4)

【15年4月12日探索・8月7日公開】


現在地はここ

路面はぐちゃぐちゃのまま、標高は稼いでいく。
右への分岐はメジャーな登山道になり、都道184号「不通区間」の始まりの場所に出るようだ。





不通区間に入り、都道らしい証がなかった。
そこへ現れたのが・・・





この境界柱だ。
紛れもない東京都のマークだが、道路の境界柱なのかどうかは不明だ。





このあたり、ハイカーで賑わっていた。
日の出山への分岐地点いなるようだが・・・





私は巻き道へと進む。
地理院地図では都道だと言っているのはこの巻き道になる。





都道・・・だよね。
今時、林道だって砂利くらい敷くと思うのだが・・・





まあ、景色はなかなかのものだ。
尾根道が何か見事に見えてしまう・・・気のせいか。





路面は最悪だった。
少なくとも自転車にとっては。





先ほどまであった轍がなくなった。
このあたりは車道規格ではないようだ。





現在地はここ

何かの境界柱が建っていた。





こりゃ、驚いた!

大久野村とは昭和30年(1955)に平井村と合併し日の出町になった、かつて存
在した村になる。
この標柱も昭和30年以前からある事になる。





ん!!

見覚えのあるものが見えてきた。
合流までも近いという事か。

(その5へつづく)
  

東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その5)

【15年4月12日探索・8月8日公開】


現在地はここ

鳥居と石垣が見えてきた。





この石垣には見覚えがあった。
4年前に都道201号不通区間を探索しており、その時に見た石垣に違いなかった。





武蔵御嶽神社の鳥居があるこの場所こそ都道201号(左の道標のある山道)と都道184号(私が辿ってきた手前側の道)という2本の不通都道同士が交差するレアな場所だった。
またこの丸太ベンチも、都道上に設置されているものとしては他にないと思う。





先ほどの画像地点から2本の都道の重複区間になるわけだが、約1kmほどワープする。
(この間の詳細が見たい方は先ほどの赤字(リンク)とこの記事をご覧頂けたらと思う)





現在地はここ

ここもまあ4年前にも登場している場所ではあるが・・・
都道の証が復活する場所である。





照明の管理番号シールである。
ちなみに、ここは都道184号と201号の重複区間なので、順当に言えば上位番号
である184号としてのシールが貼られていてよさそうなものだが、184号はこの
先再び山道になるせいか、御岳山山頂近くの都道は201号として管理されているよ
うだ。





その先の歩道のような区間も・・・





もちろん都道である。





手すり付き車道部分も健在だった。





このカーブで少し遊んでみた。





それは、おそらく車は利用しないであろう路面の端のほうなのだが、一瞬壁のように
見えたこの部分が一体どれだけの勾配を記録するのか、という事だった。





スマホが滑っていくので手で押さえたが、その角度、お判りだろうか?
なんとなんと、41度を記録した。
これは勾配に換算すると、86.9%という数字になる。
まあ、これをもって都道最急勾配というワケにはいかないが・・・

(その6・最終回につづく)

  
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