Quantcast
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live

山梨県富士吉田市 線路近くの謎の廃橋

【15年6月14日探索・7月4日公開】

今日は小ネタでご勘弁を・・・



現在地はここ

山梨県富士吉田市ときわ台 平成通り、相模川水系・宮川に架かる新中央橋から富士
急行大月線の方を見ていた。ここで、下の方に目を移すと・・・





何か、超怪しい橋が架かっているではないの!!

・・・実は以前より、富士急行大月線の車窓からこの橋は見ており、いつか訪問して
みようと思っていたのだった。
この橋、渡れるかな・・・





橋自体は架かっているものの、橋に到達するアプローチ道がない。
反対側もごらんのような藪になっている。

ここは富士吉田の市街地であるので、あまり怪しい行動をとっていると通報されかね
ない。
渡橋はあきらめてもう少し観察してみよう。






反対側の上から見下ろしてみた。
橋げたはどうも電信柱の流用であるようだ。
もし橋のところまで下りたとしても、渡れたかどうかは微妙かも・・・

ところでこの橋、なぜこんな場所に架かっているのだろうか?
それを解く鍵ははおそらく、新中央橋が架かっている平成通りにあると思われる。

古い航空写真を見る限り、この橋と思われるものが昭和50年(1975)の航空写
真で確認できた。それ以前のものは解像度と白黒だったので判別できなかったが、い
ずれにせよ元から生活道、もしくは田畑作業のための道の一部だったのだろう。
で、この「平成通り」だが、新中央橋の架橋は昭和60年3月であり、その前後から
通行できなくなったものと思われる。
新中央橋が隣に架かっているところからは、まさかこの橋、中央橋という名か??





最後に、富士急行線には大変珍しい成田エクスプレスと廃橋のコラボ写真をどうぞ。

  

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その4)

【15年3月29日探索・7月5日公開】


現在地はここ
<進行方向は1時>

撤去された橋から80mほど進んだ。

かつて踏切だったはずの場所から鮎川方向を見た。





その少し先から進行方向を撮影した。
このまま進むと150mほど進むと橋をくぐるようだ。





現在地はここ

8時方向、つまり振り返っての撮影だ。

遠くからはボックスカルバートに見えたが、橋だった。
跨線橋の名は高野橋(こうやはし)、昭和36年3月竣功だ。
この区間の開通は昭和22年(1947)なので、後年に架けられたか架け替えら
れたものになる。





どんどん進もう。振り返って進行方向を撮影する。





その先、ここもまたかつては踏切だったであろう場所だ。

ところでBRTの第2期工事は旧河原子駅付近までで、その先は左折し県道61号
線を通って常陸多賀駅まで達する事になっている。
実際、河原子駅と県道は立体交差だったので、工事自体はこの踏切付近から左か右
の道路に抜けるもと思われる。

そんな踏切からちょっとだけ・・・





廃線跡を進んでみたのだが、先のほうに春先とは思えない激藪が見えたので右の
道路に下りた。





現在地はここ

廃線跡に急に石垣があるのが見えた。
最初、何だかわからなかったのだが、河原子駅ホームの跡に違いなかった。





これは・・・何としても見たいな。





駅北側の県道61号線に架かっていた橋梁は撤去済みだった。





県道を渡ってから振り返って撮影した。

ちなみに現役時代の写真はこちらのサイトでどうぞ。





適当な場所から築堤を上がり、廃線跡にたどり着いた。

これが4枚上の画像のホーム端のところになる。





プラットホームは撤去されたようだ。
それにしても3月だというのにすごい藪だ。
先のほうにバリケードが見えてきた。





そこは駅の階段上の場所だった。

駅だった跡は階段しか残っていないようだ。

(その5へつづく)

  

珍しい?

東急5050形4000番台の、有楽町線新木場行です。
私は初めて見ましたが、レア?

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その5)

【15年3月29日探索・7月6日公開】


現在地はここ

河原子小学校北側にあったはずの踏切跡だ。
ここはレールの露出がなかったが、うっすらとその跡が残っている。
レールごと埋められた?

ここからまた廃線探索を再開しよう。





この区間はシングルトラックの踏み跡がかなりはっきりとしており、通行する事が
黙認されているようだった。

そしてその先の踏切跡には・・・





レールが残っていた。





そしてそのすぐ北側では小さな川を渡っていた。
かつての橋梁は撤去済だ。
河原子から鮎川までの区間はBRT工事がいずれ始まるとは思うが第3期工事なので
まだしばらくはこのまま放置されそうだ。





線路跡がやたら広い気がするが何かあった場所だろうか?





そのま国道245号線と並行して廃線跡が延びていた。
境界柱があるが、それには日立電鉄の社章が刻まれていた。





現在地はここ

日立製作所関連の企業の敷地の脇、廃線跡だと思っていた場所をずっと進んでいた。

ここで左を見ると・・・





あれ?!
微妙にずれていたんじゃん!

いつの間にか5mほど線路跡がずれていたのだが、それにはまったく気づかなかった。





改めて、小さな踏切があった場所から、鮎川方向を望む。





また広い道を横切る。そしてここが・・・





現在地はここ

何も無い更地だが、ここが桜川駅があった場所になる。
近くにバス停があったが「桜川」ではなく、「多賀病院入口」だった。

桜の大木だけは鉄道があった時と同様に花を咲かせているのだろう。

現役時の光景はこちらのサイトでどうぞ。





その先、国道245号線31kmらしいキロポストがあった。
三角でコンクリ製って初めて見たな・・・

(その6・最終回へつづく)

  

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その6/最終回)

【15年3月29日探索・7月7日公開】


現在地はここ

桜川駅跡を過ぎ100mくらい進んだ。
この画像はそんな場所から桜川駅跡を振り返って見たところだ





廃線跡は国道245号線としばし並行する。

このバス停名は「桜川社宅前」だったが、そのような感じの建物はなく、その代わり
に太陽光発電所が国道脇の広大な敷地に出来上がっていた。





このあたりから国道とは少しだけ離れていく。





廃線跡は左右方向になる。
このあたりでは都市計画があるようだ。その工事だろうか?





1枚上の画像の右端付近から終点・鮎川方向を見たのがこの画像だ。





また迂回してきた。
1枚上の画像の、遠くに見える建物付近だ。
ここにもまた小さな踏切があったようだ。





鮎川駅構内はもうすぐだ。

ちなみに左に見えるのは常磐線の線路である。





現在地はここ

また国道まで迂回する。
この「鮎川踏切南」という信号のところを左折すると・・・





小さな踏切でおそらく自動車の通行はできない。
これが鮎川踏切だ。





また国道に戻ってきた。
旧駅舎近くに設置されたと思われる鮎川バス停だ。
その本数だが、平日16往復、土休日は4.5往復という惨状だ。

将来構想はこの鮎川の先、日立駅までBRT化するようになっているが、現状の本数を
考えるとBRT化構想もけっこう大変なのではなかろうか。

ほとんど駅だった遺構はないのだが、この駅の現役時代の画像はこちらのサイトへどうぞ。





その先、鮎川駅構内だったと思われた場所は、何の痕跡も残していなかった。





現在地はここ
<1時の方向を見て撮影>

ここにある踏切は「新鮎川踏切」だ。
旧鮎川駅の構内の先まで線路は延びていたようで、ここに最後の痕跡が残っていた。

(おわり)

  

神奈川県逗子市 逗子インター周辺・気になる道(前編)

【15年2月7日探索・7月8日公開】


神奈川県横須賀市~逗子市の市境にある、県道24号横須賀逗子線の沼間隧道だ。
左の古く見える方が新沼間隧道(昭和29年竣功)、右の新しく見える方が沼間隧道、
現在の形に改修されたのは昭和50年であるようだが、隧道データベースによれば
元々明治41年(1908)に出来た隧道らしい。





昭和5年の扁額が墓標のように存在している。
1回目の改修の後という事か?





現在地はここ
<進行方向は4時>

逗子市の沼間地区だ。
まずはここから左にそれる道が、地図を見ていて気になっていた。





JR横須賀線と田越川に沿って延びる道なのだが・・・





少し進んだら路面が「鉄板舗装」になりスクラップのようなものが目立ち始めた。
これはどうも私道っぽい。一応判明したので撤収しよう。





上側の道路から遠望した。
そのまま先に進んだら完全鉄板舗装になっていたようだ。





もう1ヶ所の気になっていた道は新興住宅地の端から始まる。





現在地はここ

公園の先に、まだそこから延びる道がある。
ここで左折すると・・・





大きく、ぐるっと回りこんで「高側道」になる。





おそらく、元々は工事用道路であったのだろう。
一応管理用道路になっているのだろうが、利用者は多くないようだ。





「交差点」が見えてきた。
ここからはわかりにくいが、十字路である。





まずは右、橋が架かっているが利用者はほぼ皆無だと思われる。
橋を渡った先、右側には一応人が通行できるようになっていたので「廃」ではない
ようだ。

(後編につづく)

  

神奈川県逗子市 逗子インター周辺・気になる道(後編)

【15年2月7日探索・7月9日公開】


現在地はここ

右側は半廃橋であった。同じ交差点の左側がこの光景になる。
カルバート名は「逗子4」。水路併設のようだ。
もちろんこの先に進む。





カルバートを抜けると、その先には道は続いていなかった。
わずかに車道があり、その脇には廃車が打ち捨ててあった。
絵に描いたような怪しさだな・・・





廃車の右側には階段が続いていた。
何かの管理用通路という事だろうか?





最初の画像の交差点に戻り「本線」を進もう。





横浜横須賀道路のこの区間は昭和59年(1984)開通なので、この側道もまた
完成して30年以上が経つのだろう。
が、ほとんど利用者がいない事はこの状態から容易に想像ができた。





側道本線が横浜横須賀道路をくぐる。
カルバートは「逗子5」、ここも水路併設である。

先に進む、その前に・・・





右側の橋も、またこんな感じだった。





カルバートを境に路面が未舗装に変わっていた。





10m進んでから振り返って撮影した。

横横の利用者が絶対に気づかないし、見ることのできない光景ではある。
何だかよくわからない優越感に浸る・・・





さらに100mほど進むと、終点らしい場所と、車の転回スペースがあった。





現在地はたぶんここ

現在いるところは横横の「大山トンネル」上になるようだ。
車止めのようなポールが建っており、その3mくらい先にはフェンスが設置されていた。





フェンスの隙間から先を見てみた。
地図上ではまだ少し車道が続いているように描かれていたが、どこが道路だかまったく
わからなかった。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その1)

【15年6月7日探索・7月10日公開】


現在地はここ

埼玉県秩父市大滝 7年前の記事の再訪という事になる。

入川森林鉄道と言えば、都心から最も近くでレールが残存している林鉄跡としてそこ
そこ有名なワケだが、私はその地に7年ぶりに行ってみようと思った。
再訪の目的は他にもあった。それは上部軌道が存在するらしいので、そのプレ調査が
どこまでできるかと、帰路に「ある事」がやりたかった(最終回に述べる)。

で、この場所なのだが、私の記事中には何度か登場している「川又八間橋」の袂だ。
この橋が気になる方はこちらへどうぞ。





林道を進んでいく。
再訪記事なのでサクッと・・・





というワケにはいかなかった。
最初の訪問時にはこんな味のある看板も見過ごしていた??





林道区間に残る枕木?
実際にそうなのかどうかは不明だ。





道端にお地蔵様が鎮座していた。
大滝村(現在は秩父市だが)消防団の名が刻まれた標石があり、山火事などの防止を
祈願したものだろうか?





火の見やぐら・・・というより単なる半鐘か。





キャンプ場のバンガロー横に変な遺構があった。





何だろう、この石垣は??
森林鉄道に関係するものだったのかどうか??





現在地はここ

ゲートがある。
自転車は横をすり抜ける事ができるが、大型の二輪車以上は物理的にこの先には進め
ない。





林道は基本未舗装なのだが、この区間は簡易舗装になっている。





再訪なので発見自体は驚かないのだが・・・
左側のガードレールっぽいやつ。





文字通り「ガードレール」だった。
実測すると高さ65mm、9kgか10kgレールだったものと思われる。
ここにあった林鉄からの流用である可能性は高い。

(その2へつづく)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その2)

【15年6月7日探索・7月11日公開】


現在地はこの辺

橋が架かっていた。
跨ぐ沢は地図にも表記がないほど小さなものだ。

橋の欄干になっているのは、これまた9kg程度の林鉄レールだった。





横から見てみた。
この橋が林鉄時代のものなのかどうかはわからなかった。





その少し先、林鉄レールのガードレールと、右側の石垣がなかなかイイ雰囲気をつく
っている。
この付近は「サワラの森」という名をつけたそうだ。





現在地はここ

矢竹沢までやってきた。
左の林道の橋、以前よりも新しくなっているように見えるがそれはスルーしよう。
右に延びていくモノラックは、やっぱり気になる。





車庫らしい建物を覗くと、5人乗り車両が停まっていた。
乗ってみたいなあ~





この場所での、本来の目的はモノラックでもない。
車庫の横をすり抜けていくと・・・





おお!!

まだ残っていたぞ!!





この入川森林鉄道は昭和44年(1969)に廃止になっているが、昭和58年
(1983)に上流の発電所更新工事のために約半年間だけ復活している。
だが、復活区間はここからもう少し先がスタート地点だったはずなので、この光
景がみられるのは46年前の廃止区間という事になり、まさに奇跡的といえよう。





レールだけがブランとしている橋の跡なんてとてもじゃないが渡れない。
反対側・沢の右岸にやってきた。





石垣を登るとそこが路盤であり、林鉄レールがそのまま残されているのだった。





レールを利用して何かの装置が設置されていた。
まあここは東大演習林なので・・・一見カメラだが・・・





かつての橋は木橋だったのだろう。
その痕跡は見つけられなかった。

その代わり、片方のレールがそのまま川底に残っていた。

(その3へつづく)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その3)

【15年6月7日探索・7月12日公開】


現在地はここ

林道から左の歩道に逸れる。
この付近の急勾配は軌道が通ったにしては不自然なので、おそらくは軌道廃止後、歩道に
なる際に付替えしなおしたのだろう。





この先は自己責任ですよ、の趣旨の看板がある。





その先から、林鉄色が強くなってきた。
これ、明らかに枕木だよな・・・





石垣、カーブ、良い雰囲気だなあ。
あとはレールの出現を待ちわびる。





ついにレールがそのまま残存している箇所に到達した。
しかし1本だけ・・・ん!左側!!





もう1本は路肩から下の崖に落ちてしまったようだ。





林鉄跡にはこんなガードレール流用の洗い越しがあった。





現在地はこの辺

そしてその先にはポイント地点があった。
もちろん7年前にも当然健在だったのだが、当時とほぼ変わらない姿がそこにはあった
のだ。





昭和58年に発電所工事のために半年間復活したと前述したが、その起点はこのポイン
ト付近だったのではないかと思われる。





都心からこれほどの距離に、こんな林鉄跡が残っている事は特筆ものだろう。
この先、同様の遺構は確認できない(疑わしい場所はあるが)。





渓谷に下りていける場所があった。

私は、帰路にやろうとしている事が気になっており、下見も兼ね慎重に進路をとって
いた。





どこでも完全な形で残っているワケではないので、念のため。

(その4へつづく)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その4)

【15年6月7日探索・7月13日公開】


現在地はこの辺

小さな橋、というか、谷に近い地形の路盤工事の跡があった。
木橋が残っていたりしたら大興奮だが、ここはかなり改修されてもいるため、そんな
事は期待できない。7年前の時点で既にそんなものはなかった。





このあたりはイイ感じで線路が残っていた。





小奇麗な橋が現れた。
そう、ここ入川森林鉄道跡、少なくとも下部軌道に於いては、このように安全な鋼
製の橋に架け替えられている。

前に見える人達はこのあたりの岩場を丹念に観察しているようだった。





私はなるべく急いで前進する。
それはこの後にもう1本探索を予定していたので、上部軌道にどこまで事前調査が
出来るかの逆算をしながらの前進だったから、なのだ。

前方に見覚えのある岩が見えてきた。





現在地はこの辺

オーバーハングの岩だった。





通過後に振り返った。

隧道にしていたらもっと興奮モノなのだが、まあそんな無いものねだりをしても仕方
ないか。





1枚くらい、普通の風景と言ってもいいような画像を入れておく。
ここもレールは残存していないが、右の石垣がなかなかのものだ。





右急カーブ・・・
脱線防止レールが仕込まれたまま、そのまま残っていた。





ここは石垣が圧巻な場所だ。
昭和58年に復活した時のものなのだろうが、漂う年季からするとそれ以前からしっ
かり残っていたものなのだと思う。





珍しく崩落していた場所があった。





その先、小さな谷を渡る。

ここは真新しい架け替え橋がないぞ!





これもまた昭和58年・復活時の橋なのだろうが、林鉄時の橋がそのまま残っていた。

(その5へつづく)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その5)

【15年6月7日探索・7月14日公開】


現在地はこのあたり

森林鉄道(下部軌道)は2.9kmであったらしい。
その中間地点を過ぎたかな、というあたりだ。

「自己責任」な道とは言えハイキングコースにもなっており、所々にこのような道標
が建っている。





また規模は小さいものの崩落があった。
まだ崩れてからそう時間は経っていないように見えた。





ここと、先の方約3m地点が珍しかった。





横から見てみた。
それぞれが小さな橋(と言うか暗渠のよう)になっていて、元線路の下を水が流れていた。
でもこれ、構造的には土橋にあたるような気もする・・・





その先、また近代的なグレーチング橋が架かっていた。
林鉄時代の橋台とかが流用されているのかと思ったのだが、その遺構は橋の下で手持ち
無沙汰な事になっていた。





橋は2本連続していた。
次の橋は上路アーチ式だった。





空積みの石垣がイイ雰囲気だ。





レールは全線の半分以上で見えているのだが、枕木はほとんど隠れてしまっている。
あるいは歩きやすさのために埋められているのかもしれないが。
ここは路肩が崩れているために枕木が見えている、ちょっと皮肉的な場所だ。





現在地はこのあたり

何かが建っていた。





凝視するまで忘れていた。

800mというちょっと変わったキロポストがあったのだった。
入川の起点からの距離なのだろう。
私の実測距離とは微妙に違うようだが、細かい事はまあいいか。





その先、またオーバーハング的な岩があった。





そしてそのすぐ先には路盤崩落地点があり、その応急的処置としてガードレール流用橋
が架けられていた。

(その6へつづく)

  

群馬県高崎市 寺院専用第4種踏切

【15年5月4日探索・7月15日公開】

★連載中ですが、本日は小ネタでご勘弁を・・・



現在地はここ
<目的地は中心地点から7時の方向>

群馬県高崎市根小屋町 群馬県道30号寺尾藤岡線から、この先を左折する。





そこにはまっすぐに延びていく道があった。





ここまでは高崎市道である。
踏切ありの標識の設置者は高崎市だった。





その先がどうも宝性寺の私道であるっぽかった。
そしてこの踏切も、私設であるような雰囲気が強かった。

第4種である事、反対側には踏切である事を示すものが何も建てられていない事から
そのように推測したのだが・・・

そもそも寺院専用踏切で第4種って珍しい。
そのワケとも言える立地が・・・





高崎方向約50m地点にも踏切がある。





そこには高崎商科大学前駅があった。
駅のすぐそばなので、隣の寺院専用踏切通過時も列車は徐行状態という事なのだろう。
で、安全は一応担保できるという事だろう。

と、納得しかけたが、この駅、2002年開業なんだよな。
それ以前は列車が徐行しなかったはずなのだが、大丈夫だったのかな??





最後に高崎商科大学前駅前風景だ。

駅やトイレは新しいが、飲料自販機も設置されていなかった。

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その6)

【15年6月7日探索・7月16日公開】


現在地はこの辺

ん!!

レールが・・・





数歩進んで振り返った。

レールがこんな形状になっているという事は、ここもかつては信号所(交換所)であ
った可能性が強い。
山側にもうレール2本分のスペースがあったのかどうかは微妙な気がするが。





その先、規模は小さいが典型的な切通しがあった。





また右手に何かがあった。





今度は「520m」のキロポストだった。

なぜ中途半端な距離なのかは不明だ。





またオーバーハングがあった。
しかし、ここでの注目はそれではなく、左下の・・・





これは明らかに橋台だ。
しかしこの前後にはそれに対応しているはずのもう片方の橋台は見当たらなかった。





オーバーハング部を、過ぎてから振り返り撮影した。






石垣施工も、戦前からのものであろうか?





本日3回目のガードレール流用だ。

2回めのガードレール橋だった。





「本線」にかつて架かっていただろう橋は、ここでもグレーチング橋に変わっていた。





左側、対岸に何かの施設が見えてきた。

発電所関連施設か?
いずれにせよ、終点まであと少しだ。

(その7へつづく)

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その7)

【15年6月7日探索・7月17日公開】


現在地はこのあたり

左側に逸れる道があった。
入川発電所へ続くはずなのだが、部外者は立入禁止となっていた。





発電所アクセス道には吊橋が架かっているのだが、林鉄跡からだとこんなチラ見しか
できなかった。





その先・・・イイねえ、いい!

この光景が県内で見られるというのが嬉しいねえ。





また谷を渡るのだが、連続してグレーチング橋である。





外したレールは路肩に積み上げられていた。





またしても崩落常習犯であろう谷があった。





そしてようやく終点だ。

先のほうに看板があるのだが・・・





現在地はここ

看板は2枚あって、うち1枚はハイキングコース案内であった。
もう1枚が林鉄の案内看板だ。





いま辿ってきた道は「森林軌道跡」としてハイキングコースの道標にも紹介されている。





下部軌道はこの付近が終点になるのだが、この先、深部軌道というのがあるらしい。
橋台はその当時のものであろうか・・・

石柱に刻まれているのが・・・





荒川としての起点だった。
(その8・最終回につづく)

  

通常記事は少々お待ちください

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 2

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 3

起きたら通常記事を書くつもりです。

ちなみに、この猫たちには栃木県栃木市内で出会いました。

  

埼玉県秩父市 入川森林鉄道跡・再訪(その8・最終回)

【15年6月7日探索・7月18日公開】


現在地はここ

再訪記事なのに8回もの連載になってしまった・・・

この画像は前回最後の画像とほぼ同じ位置で入川(荒川起点からさらに上流)の
「深部軌道」方向を眺めたものになる。

この先には特に見所はないとの事前情報だったので、撤収する。





で、これが目指したい方向(北側)の赤沢谷になる。

当然、こんなところを直接登っていくワケではなく・・・





登山道は整備されている。
時間的にはこの先、どこまで行ってみるかという事になるのだが、とりあえず行って
みよう。





登り始めてほんの1分、登山道のカーブ地点から、変なものが見えた。





下から見るとこんな感じ。





当然、気になったので行ってみた。





どのような利用法だったのかはわからないのだが、立地から言えば、下部軌道と上部
軌道を結んでいたとされる索道の遺構であろうかと思う。





ちなみに、反対側はこんな階段状になっていた。





登山道に戻った。
さらに沢沿いを登っていく。





現在地はたぶんこの辺

地図と実際の道が合っていない気がするが、たぶんこのあたりで渡河している。
赤沢の吊り橋だ。




吊り橋自体は人道橋としては至って普通だ。
個人的にはもっと怪しげな方が好きだが・・・

で、この先に行くか行かないか、だが。。





橋の先のさらに登る登山道である。

現在時刻は13時過ぎ、上部軌道をちゃんと探索しようと思えば、ここから少なくと
も2時間以上かかりそうだった。
そうなると帰路が日暮れに差し掛かる恐れもあり、私は当初予定していたもう1箇所
の訪問先に向かう事にし、今回はここで撤収する事にした。

帰路で「ある事」がやりたかったという事もあったし・・・

その「ある事」なのだが、満足いく結果になったかどうは微妙だ。
林鉄の線路が残っているところで自転車に乗った動画を撮影したのだが、5回トライ
した結果、いちばんまともに撮れた23秒の動画を公開したい。

林鉄に乗車している感覚を感じていただけたら嬉しいのだが・・・

(おわり)

  

静岡県静岡市 興津川・但沼の吊り橋

【15年3月22日探索・7月19日公開】


現在地はこの辺
<目的地は2時の方向に架かる橋>

静岡県静岡市清水区但沼町 県道75号清水富士宮線が国道52号線に当たるという
予告標識がある場所の近くで興津川を覗き込む。





橋記号があるのはわかっていた。そして吊り橋である事も事前調査でわかっていた。
もちろん、向かう。





アプローチ道に降りた。
この先も、車道対応なのか??





吊り橋に着いた。但沼の吊り橋と呼ばれているようだ。

車道対応の可能性について述べたが、そんな事はなかった。
二輪や小特は通行可能かもしれないが、四輪は絶対に無理なスペックだ。





地図読みだと延長は55mほどになる。
そして床版なのだが、工事用足場をずっと横に並べたような感じだ。
有効幅員としては1mちょうど位か。





橋中央から上流を見た。





そしてこっちが下流になる。

 



反対側から見た。
こちら側には「5人以上で渡るな」という趣旨の看板があった。

ところで、橋の袂に何か石碑が建っているようだが・・・





それは吊橋百年記念碑だった。
この場所には、そんなに以前から吊り橋が架かっていたのか??

昔のヤツ、見たいなあ・・・

  

栃木県那須塩原市 無理のある跨線橋

【15年3月14日探索・7月20日公開】


現在地はここ
<目的は5時の方向に架かる跨線橋>

栃木県那須塩原市本町 JR東北本線の黒磯駅前だ。
今日の記事は画像中央付近に見える跨線橋なのだが・・・





最初にタネ明かしをしてしまう。
これがそのほぼ全景だ。この跨線橋、名を「黒磯駅東西口連絡橋」といい文字通り西口
しかない黒磯駅の東西を結んでいるのだが、その形状には何かムリがあるように見えて
仕方が無かった。

ちなみに竣功は昭和56年(1981)4月だ。
東北新幹線の工事が真っ盛りだった頃だろうか。





というワケで実際に利用してみる。
エレベーターやエスカレーターは少なくとも現在のところ設置されていない。

右側にある階段を上がり、10mくらい進むと1回目の方向転換があるので、そ
れを右折した地点だ。

そして、せっかく上がってきたばかりなのだが、若干下り勾配がここから続く。





で、30mほど進むと、2回目の方向転換がある。今度は左折だ。

左折後20mくらい進むと、2回目の階段がある。ちょうどこの上部は東北新幹線にな
っており、それによる変形跨線橋である事はわかるのだが・・・





階段を登りきると、さらに登り勾配が待っていた。
地図読みだと45mくらいそれが続く。





峠地点を越えるとすかさず下りに入る。
これまた50m程度か。





そして3度目の左ターンを経て階段を下りた。
地図読みで階段の距離まで入れると約200mもある。

ちなみに、現在はバリアフリーにかなり遠い状態だが、平成30年度までにエレベータ
ーが設置される予定になったようだ。





今は自転車置き場以外、駅前らしい光景は何も無いが、駅前広場も整備予定だそうな。





現在地はここ

ここから3枚はおまけ画像のようなものになる。

帰路は500mほど南側に架かっている、これまたちょっと無理がありそうな跨線橋
を通った。





この跨線橋、名称も竣功時期も不明だった。
おそらくは東北新幹線工事の時期に被っているのだろうが。





その跨線橋から駅構内を遠望した。
配線マニアの方、満足・・・しないわな。これじゃ。

  

神奈川県逗子市 横須賀水道みち・盛福寺隧道(逗子側)

【15年2月7日探索・7月21日公開】


現在地はここ
<進行方向は4時>

神奈川県逗子市沼間 県道24号線から道を逸れてきた。

ちなみに、この左側にあったのは横浜横須賀道路下の公園「沼間ファミリー広場」だ。
雨でも遊べるという、けっこうよさげな公園だったが、私の訪問時には利用者は誰も
いなかった。




Image may be NSFW.
Clik here to view.
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54984558/img_1_m?1437402863

その少し先には橋があった。
この橋から下を覗き込むと・・・





有馬系、旧小雀系という文字が書かれたパイプがあった。
橋の右側には「危険 横須賀市水道局」という看板があった。

なるほど、ここは横須賀市水道局の施設なのか。
「小雀」「有馬」とも浄水場の名前で、基本的には相模川水系(有馬系には酒匂川水
系もブレンド)が水源なのである。





どのような道なのかの推測がついたところで、その正解があった。
その先には謎の・・・





まずは黄色矢印の方から。

水道局という境界柱があった。
という事はこの道路も横須賀市水道局管轄という事か。
あるいは、民家の敷地に見えたが境界柱から向こう側が横須賀市の土地??





赤矢印の方だが・・・
電波系のものだろうか??





左には歩行者だけが通行できる道路があった。
その交差点脇に駐車してある車があり、その先にも何かがあった。





隧道跡だった。
普通に考えて、かつては水路隧道だったのだろう。





田浦浄水場があった。
そしてその先、敷地に沿って進む。





前の画像の、道がカイヅカイブキで隠れるあたりまで進んできた。
ここで右の方に変な穴発見!
当然、寄り道する。





横須賀市水道局 山中2号配水幹線1号ずい道 と扁額に書かれていた。
内部も覗いたが、出口は見えなかった。





元の道に戻って進んでいくと・・・





現在地はここ

これが横須賀市水道局 盛福寺管路隧道 だ。
掘削は明治45年から始め,大正初期(大正7年?)に完成した。

現在は封鎖されているが、大正11年から昭和3年頃まで(県道24号沼間隧道が完成
するまで)は地域の住民は歩行で通行できたらしい。





その隧道内部だが、反対側が開口している事しかわからなかった。

この日は横須賀市側には訪問できなかったので、訪問してみようとは思っている。

  
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live