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茨城県高萩市 半世紀前のフィーレンディール跨線橋

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【15年3月29日探索・6月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54932885/img_0_m?1434206588

茨城県高萩市 JR常磐線下り列車に乗っていると高萩駅手前で特徴的な跨線橋
が見える。ここからだとわかりにくいがフィーレンディール構造である。

そう、千葉県松戸市の跨線橋とか東京都江東区の豊海橋とか埼玉県さいたま市の水管橋などがあるが、根本的にレアな形式なのである。




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そんな訳で高萩駅で降りた私はダッシュした。
なずダッシュが必要だったのか?それは折り返しの上り列車で本来の目的地に向かい
たかったのだが、その時間はわずか11分しかなかったためだった。




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現在地はここ

駅から約450m離れていた。
高萩市の大和町と有明町を結ぶ橋になる。




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さっそく階段を上った。




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紛れも無くフィーレンディールだ。
一体いつごろ出来たものなのだろうか?




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反対側では2方向に階段が設置されていた。




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左折方向の階段は見るからに新しい。
後年になってからの設置であろう。




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で、その階段から見た跨線橋だが、リベットで留められていた。
近年のものではない事がこの時点で推測できた。

実は1箇所だけ銘版があったのを帰りに発見しており、それによれば昭和39年
(1964)設置である事がわかったのだった。




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本来の階段は直進方向で、国道6号線へ行く事ができる。

ところで半世紀以上経ったフィーレンディールは豊海橋以外、私はまだ知らない。

  

山梨県市川三郷町 県道9号線・割石トンネル旧道(前編)

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【15年3月7日探索・6月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54934402/img_0_m?1434295391

現在地はここ

山梨県西八代郡市川三郷町落居 県道9号市川三郷身延線だ。
そしてちょうどここには旧道がある。現道には平成12年竣功の中落居橋が架かって
いるので、それ以前の道という事で間違いなさそうだ。




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現在地はここ

トンネルが見えてきた。
新割石トンネル、2000年1月竣功である。




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この画像はトンネル側から撮っている。
わかりやすい旧道があった。当然、そちらへ進む。




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最初に大きなヘアピンカーブがあり、この画像はその次のカーブ部分になるのだが、
旧道もまた線形改良がなされており、それを加味するとこの改良時期もまた興味が
ある。




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路面はけっこうくたびれている。




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右の方からさらに違う道が近づいてきた。




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そしてその道とも合流する。

この道は台集落、神有集落への道になる。
この分岐が唯一の入口ではないが、集落にとって重要な道路である事は間違いない。




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その先に進むと、ヘキサがあった。
まだこの旧道が県道指定されているのかどうか(yahoo地図へ無着色)はわからない。
単に忘れ去られただけである可能性もあるが・・・




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そして隧道坑口が見えた。

(後編につづく)


  

山梨県市川三郷町 県道9号線・割石トンネル旧道(後編)

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【15年3月7日探索・6月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/67/54935867/img_0_m?1434384373

現在地はここ

扁額がある。
割石隧道と右書きで描いてあるのは普通に見てわかる。
そしてその左側に、小さな文字で「山梨県知事 天野久」と刻まれているのだが、
よく見ないと気がつかない。
天野久は昭和26年(1951)~昭和42年(1967)まで4期に渡って山
梨県知事を務めている。
この割石隧道は昭和34年3月竣功であり、天野県政のちょうど折り返し点に造
られた事になる。
ちなみにその延長は100mで新割石トンネルの802mのわずか8分の1以下
である。




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では、入洞しよう。




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内部はコンクリ吹き付けの素掘であろうか。

ん! 20mくらい先の左側に何かある!




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石仏だった。
隧道工事で亡くなった作業員の供養のためらしい。
今この隧道について調べたところ、かなり有名な心霊スポットであるらしい。
探索前に調べなくて良かったかも。




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反対側だ。
こんな風に鬱蒼としているから心霊スポットと言われてしまうのかも。




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下りに入る。
右の看板は「事故多発地点」だ。
心霊スポットである事と、菅家あるのかないのか・・・




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ここだけ歩道があるのか? 否。
改良工事のため生まれた空間であろう。




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現道は割石橋(平成10年10月竣功)という橋を架け、ここにある浪沢
を渡って右から合流してくる。




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現在地はここ

ここから先はおまけの様な画像になる。
現道は新万年橋を通る事になるので、旧道にあった橋は万年橋という橋だ
ったのだろう。




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旧橋はすっかり撤去されたのだが、その橋台はまだ残存していた。

何だか、ジオラマみたいだな。




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この後1ヶ所、橋を訪問した私は鰍沢口駅から身延線に乗車した。
で、その駅の入口横にいたのが・・・




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この猫だった。
この場所、この猫の定位置なのかな?

(おわり)

    

埼玉県小川町 兜川に架かる流れ橋2本

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【15年4月26日探索・6月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/17/54937217/img_0_m?1434472241

現在地はここ

埼玉県比企郡小川町原川 兜川だ。
ここに小さな流れ橋があって、何年か前に訪問していたのだが、どうも記事にし
ていなかったようだ。
今回再訪してみた上で、記事にしようと思う。




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それなりに利用者がいるようだ。シングルトラックの踏み跡がそれを物語っていた。
ここから上流方向、下流方向とも150mほど離れた場所に普通の橋が架かるのだ
が、迂回するのが大変という事か?
あるいは、原川集落センターへ行き来する人たちのためか。




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1スパン、30cm幅か?
反対側の橋台部分が完全にもてあまし気味だ。




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右側の集落センターの、その向こう側は普通の道路だ。




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現在地はここ
<進行方向は11時>

今度はその300mくらい上流の橋に行こう。直進の狭い道に入っていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/17/54937217/img_5_m?1434472241

川の手前で階段を下り、その先にはまたしても・・・




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流れ橋だった。2径間である。




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この橋脚が特徴的と言えようか。
よく見ると道路側溝のU字溝であるように見える。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/17/54937217/img_8_m?1434472241

ちなみに橋を渡ると、公園的な場所になっている。
しかしこの日、私の滞在時に訪問者は現れなかった。




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最後に、遠景だ。
80mくらい上流に架かる橋から撮影してみた。


  

千葉県銚子市 広域農道下のトンネル型カルバート

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【15年2月21日探索・6月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/08/54938508/img_0_m?1434560907

現在地はここ

千葉県銚子市新町 手前の右に曲がる、ちょっと変な道がある。
その向こう側の道は広域農道だ。

このまま道なりに進んでいくと・・・



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広域農道をくぐるカルバートがある事に気がついた。
何か気になる怪しげな形状、行ってみよう。




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トンネル型だ。
ところで、上の広域農道だが、東総台地広域農道と呼ばれる。
平成4年ごろから平成14年ごろまで整備されているが、まだ全通していない。




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まあ正面から見ればさほどの怪しさはないが・・・




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カルバート内部の路面には何箇所かの穴が開いていた。
雨水の排水用であろうが、トンネル形状のところにこんな穴があるのは珍しい。




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反対側に出る。

四輪だと、出たところ付近までしか進めない。
この先は徒歩になるのだろう。
周囲の畑などには行けるようだ。




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出たところで振り返った。

特にこちら側も異常などはないのだが、なぜか気になったので。。

  

神奈川県横須賀市 孤高の橋?と謎の道(その1)

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【15年2月7日探索・6月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54939991/img_0_m?1434639535

現在地はこの辺

神奈川県横須賀市田浦大作町 今私がいる場所から南東約200m、横浜横須賀道路
を跨ぐ橋が架かっている。しかしいくら縮尺を上げていってもそのアクセス道は表示
されない。
これはもしや中央道に架かるこの場所のようなパターンか?

さらに橋の橋の東方100m付近一帯に何か道のようなものが点線で描かれている。
しかしながら航空写真を見ても橋が架かっている事実以外、ほとんど何がど
うなっているのかわからなかった。

これはもう行って確かめるほかなかった。

ところで、ここ、こんな狭い道なのにけっこうくねくねしている。
教習所のS字カーブを思い出すような道だ。




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小さな川を渡る、橋が架かっていた。
後ほどここに戻ってくるが、まずは道が果てるところまで行ってみよう。




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最後の人家の先、横浜横須賀道路をくぐる。
横浜横須賀道路と言えば、開通前に友人とこっそり自転車である区間を走った事があったな・・・




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舗装が切れ、ぬかるみの道になった。
やっぱ引き返そうかな・・・




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と思いつつも先に進んだところ、ちょっとした発見があった。

送水管路1号トンネルと書かれている。
横須賀市の水道関連という事は間違いない。
ちょっと調べたら、宮ヶ瀬ダム直下から逸見浄水場まで繋がっている水路の一部である
らしい。現在は休止中という情報もある。




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反対側斜面には当然、送水管路2号トンネルがあった。




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中をちょっとだけ覗いてみた。
この水路、半原系統というそうで、大正10年に竣功したらしい。




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思いがけないものを見たので、元の橋のところに戻ってきた。
今度はこれを渡る。




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どうも、ハイキングコースになっているようだ。

地図があったが、ここで目的の橋が描かれている事に気がついた。
そうかあ・・・どこからも行けない孤高の橋じゃないのかあ・・・
安堵感とがっかりとが交じる心境だった。




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まあハイキングコースでもいいか。
ヘリオス号は待機させ、単独で急な階段を登っていく。




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現在地はこの辺

横浜横須賀道路が高さ的に近づいてきた。
しかしまだまだ、これを跨ぐ橋に向かうのだから、まだずっと上る。




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よく私が通る場所にはこんな親切な警告など、まずない。
ここはハイキングコース、ご親切に、どうも。

(その2へつづく)

  

神奈川県横須賀市 孤高の橋?と謎の道(その2)

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【15年2月7日探索・6月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54941318/img_0_m?1434729754

現在地はこの辺

この手前にも分岐があったが、ここでもまた分岐があった。
山と山を結ぶハイキングコースというわけではないようで、田浦青少年自然の家の庭的
要素もあるのだろう。
私は「市道から雑木林を上って」「青少年広場方向へ」進む。




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先の急勾配(階段)にはロープが設置してあった。
昔はハイキングコースにロープなんて見かけなかったが、最近の安全対策なのかな。




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看板のあるところを右に曲がるのだが。




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その看板付近を別角度から撮影した。
私は田浦大作町方向からやってきた。
そして「横横道路を渡る」道へと進む。

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横横の跨道橋へのアプローチは完全にシングルトラックだった。
という事は橋も歩道スペックだろう。
そもそも労側に階段があるようだし。




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境界柱が建っていた。




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それは、日本道路公団のものだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54941318/img_7_m?1434729754

横浜横須賀道路を跨ぐ橋が間近に見える場所までやってきた。

アーチ橋だったのか!!

(その3へつづく)

    

神奈川県横須賀市 孤高の橋?と謎の道(その3)

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【15年2月7日探索・6月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_0_m?1434811374

現在地はここ

跨道橋に着いた。
結果的には誰も利用者がいないような橋ではなかった。
しかしまあ、せっかくだからこの橋にスポットライトを当ててみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_1_m?1434811374

橋の名は田浦橋、昭和58年(1983)8月竣功である。
横横のこの区間の開通は昭和59年4月である。
こういう立地での架橋はたいてい生活道等の分断の補償なのだが、ここの場合は
そうではなさそうだ(詳細がわかる方が居られたらご教示頂きたい)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_2_m?1434811374

下り方向を1枚。
通過する車の数はあまり多くない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_3_m?1434811374

これといって特徴のない橋ではあるが、とりあえず反対側まで行ってみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_4_m?1434811374

階段に積もった落ち葉はかなり多い。
また、中央部しか利用されていない。
が、普通の、現役の橋である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_5_m?1434811374

橋の先もシングルトラックが延びていた。
直線距離ではここから400mほどで逗子市との市境がある。

私はこれにて引き返す。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_6_m?1434811374

現在地はここ

往路にも当然通った場所だ。
ここに建っている境界柱は日本道路公団のものである。

この崖下に地図上、点線表記で描かれている道路を確かめてみよう。
ここ、画像からはあまりそう見えないだろうが、実はけっこう急な崖で、どこ
から踏み出そうか少し迷った。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_7_m?1434811374

画像から崖の急斜面が何も感じられないのが残念なのだが、降下中だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_8_m?1434811374

これもまだ降下中・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54942525/img_9_m?1434811374

平場に出た。

ハイキングコースから地図上での直線距離では25mくらいなものなのだが、この
降下には4分を要した。

(その4・最終回につづく)

  

神奈川県横須賀市 孤高の橋?と謎の道(その4・最終回)

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【15年2月7日探索・6月22日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_0_m?1434899201

現在地はこの辺
<進行方向はまず7時、後現在地に戻り1時>

地図上では左の崖から降りてきた私は、まずは右方向、つまりは横横本線に約20m
で当たるであろう方向へ進んだ。
この道だが、事前には横横の工事用道路であろうかという予想はしており、その点に
於いてはまさにその通りであったようだ。
しかし、後述するが、すべてが予想通りではなかったのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_1_m?1434899201

15mくらい進んだんだろうと思う。
5mほど先に鉄のポールが立っており、画像ではわかりにくいと思うがそこには有刺
鉄線が張られていたのだった。
やはり、ここに架かる橋に関連する工事用道路の跡という事で間違いないようだ。
この点に於いても、まさに予想通りだった。

ここでこちら側の探索を終え、反対側に向かう。




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この画像は最初の画像の反対を向いたところになる。
2月という真冬の訪問ではあったが、ここ横須賀あたりではこのシーズンに雑草を倒
すだけの雪は降らなかったと見え、枯れ草とは言え、藪こぎを余儀なくされた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_3_m?1434899201

この辺が、一番道路だったらしい平場か。
幅員は、ダンプカーが通ったであろう事からも6m程度はあったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_4_m?1434899201

そして、その左側の擁壁なのだが、一応コンクリブロックが埋められており、崩れに
くいようには施工されていたがその上にはプラスティック製と思しきネット状のもの
が掛かっており、見てくれはまったく考慮されない。
当たり前だが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_5_m?1434899201

さらに進んでいく。

あれっ?!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_6_m?1434899201

現在地はこの辺
<9時方向を見て撮影>

何か、下から上がってくる道があった。
これは、事前に予想しなかった事だった。

とりあえずその分岐は後回しにして「本線」を進もう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_7_m?1434899201

分岐から20mほど進むとこんな笹薮になった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_8_m?1434899201

現在地はこの辺

さらに5mほど進んだ。
道はここへ来て緩やかだが上っている。
そして、笹薮はすさまじい。この先50mくらい進むと、横横の本線に合流するとい
う線形だがここから先には進めなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_9_m?1434899201

3枚上の画像の分岐地点から、左側に約10m下ってきた。

ここをさらに下っていくが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/31/54944131/img_10_m?1434899201

現在地はこの辺

橋脚が間近にはなったのだが、背は低いながらも常緑樹が多数でこれ以上は進めない。
工事用道路なので、その使命が終わった際に植樹したのかもしれない。

私はこの工事用道路は、田浦泉町方面から横横の工事現場へアクセス可能な道なので
はないかと考えていた。
が、どうもここに架かる橋梁を迂回するだけの道だったようだ。
とは言え橋梁を迂回させる事で、橋梁が出来る前に本線工事を可能にし、その工期を
短縮させる事ができ、またその橋梁工事の橋脚工事ための道路であったようだ。

まあ、とりあえず納得したのでこれにて撤収した。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 中藤川の特徴的な橋たち(その1)

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【15年5月10日探索・6月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_0_m?1434988007

現在地はここ

埼玉県飯能市中藤下郷 県道350号南飯能線だ。
変わった路線名だと思ってしまうが、飯能市の大字「南」と大字「飯能」を結ぶと
いう、まったく通常と変わらないネーミングなのだ。

その県道で新旧の橋がともに中藤川を渡っている箇所がある。
種木橋、旧橋の竣功は昭和38年10月、架橋後52年が経過した事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_1_m?1434988007

その先では、昭和33年6月架橋の天神橋を渡り・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_2_m?1434988007

現在地はここ

このあたりを左折、でいいはずなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_3_m?1434988007

コンクリ舗装の、私道のような道になった。
わかりにくいが何かある!




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それはこの道が飯能市道になっている事を示すものだった。




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さあ、これで心おきなく進める。

中藤川にまたあたったのだが、それを跨ぐ橋がちょっと素敵だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_6_m?1434988007

途中に橋脚があった。
2径間の流れ橋??




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では渡橋しよう。
橋脚を境に床板にあたる部分がけっこう違う。
手前側は、見た感じ完全に枕木のようだが・・・




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間違いなかった。
株式会社スミハツのマクラギで、そのナンバーが35-113と刻印されていた。






http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_9_m?1434988007

橋の反対側も、何だか気になるな。
妖精の国への入口っぽさがあるような。。

しかし、イイ年したおじさんが何言ってるんだか・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_10_m?1434988007

ところで、先ほど「流れ橋」に?マークをつけたのだが、実際、流れ防止のワイヤー
などが見当たらなかった。
これは流れ橋ではないようだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54945456/img_11_m?1434988007

橋から上流方向を見てみた。

飯能と言ってもそう奥の方ではないのに、何か旅行気分になれる。ような気がした。

(その2へつづく)

  

埼玉県飯能市 中藤川の特徴的な橋たち(その2)

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【15年5月10日探索・6月24日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_0_m?1435072613

現在地はここ
<目的地は7時方向の橋>

県道脇に架かる橋がある。
この橋に近づくのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_1_m?1435072613

橋は上路トラスだ。
しかし、ここで注目すべきはそれよりも手前のカーブミラー支柱に書かれている「嵐
山町」だ。
ここは飯能市である。
県道のものとして他の自治体のものが流用されたと考えても、ここは飯能県土整備事
務所管轄であるし、嵐山町は東松山県土整備事務所管轄であるので、こういったもの
が流用された事はかなり不可解だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_2_m?1435072613

話を橋に戻そう。

このトラスなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_3_m?1435072613

4列並列という構造だった。
あまりこういったものは見かけないが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_4_m?1435072613

橋自体は個人宅のものであろうか。
向こう側へ行く事は叶わなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_5_m?1435072613

橋の途中で下流方向を見た。
すぐ先にもまた橋がある事に気がついた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_6_m?1435072613

現在地はここ
<目的地は1時方向の橋>

右岸側にやってきた。
左岸側には親子連れがいたので、カメラを向けるとあらぬ疑いをかけられる可能性が
あったからだ。

ここを右折する。




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橋はすぐ見えた。
その手前に建っていた境界柱は・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_8_m?1435072613

「埼玉県」だった。
これは道路のものではなかろう。川の管理境界か??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_9_m?1435072613

中藤川に架かる橋は流れ橋であるようだが、木製ではないようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54946700/img_10_m?1435072613

そう、これまた私が初めて見る、鉄板の滑り止め加工つきの流れ橋だった。




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横からも見てみた。
2径間の左右、実はけっこう違うものなのかも・・・

(その3へつづく)

  

埼玉県飯能市 中藤川の特徴的な橋たち(その3)

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【15年5月10日探索・6月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54948050/img_0_m?1435161095

現在地はここ
<目的地は7時方向に架かる橋>

この連載はあまり反響がないようなのでペースを上げ、もう1回で終わりにする事
にする。

この住宅地への橋(名称不明)の脇から川原に下りて少し上流方向に歩くと・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54948050/img_1_m?1435161095

この先に架かる橋が目的だった。




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個人架橋だろうか。
作業場などへのアクセス用と思われる。
もちろん流れ橋だった。




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ところが、完全に架かっていない橋なのである。
対岸側、約50cmくらいは橋がない状態だった。




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反対側から見てみた。
この橋、ちょっと傾いているのと幅が狭いのが怖かった。




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さらに上流に進んでいく。
今の流れ橋の上流約100mのところにも小さな橋が架かっていた。




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これは安定しているので渡っていても怖くなかった。




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現在地はこのあたり

地図には橋記号が無いが、この先にも小さな橋があった。




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これもまた流れ橋だ。
個人架橋と思われる。
昔の工事現場の足場といった感じの渡り部分だった。




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現在地はここ

県道350号線ではなくなった道をさらに上流方向に進む。
ここに架かる橋は・・・




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半廃橋だった。
枕木のような桁部分はまだ強度があるようだが、利用者はいるのだろうか?

(その4・最終回に続く)

  

埼玉県飯能市 中藤川の特徴的な橋たち(その4・最終回)

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【15年5月10日探索・6月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_0_m?1435245679

私的な墓地アクセス橋を横目で見て進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_1_m?1435245679

現在地はここ

左方向に何らかの異変があるようだ。




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橋、だった。
文字通り、そうだった。

かつては橋として機能していたのだろうが、今ではひと目で廃橋とわかる状態になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_3_m?1435245679

それでも、3m足らずの橋なので渡れるのではないだろうか? と考えてしまった。
一歩踏み出したところ・・・ズボッと靴が沈んだ。
こんな草で見えなくなっているが、これは完全にワナだった。
梁のない場所は足を踏み入れては危険な状態になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_4_m?1435245679

とりあえず渡橋は諦めて反対側まで行こう。

幸い、川の水は少なかった。
直接川面を渡ってもほとんど濡れずに行けそうだった。

橋台などは意外とちゃんとした造りであるように見えた。




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橋を下から見上げてみた。
う~ん・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_6_m?1435245679

反対側にたどり着いた。

シングルトラック以上の踏み跡があったようだ。
おそらくは作業道ではなく、竹寺の参道として造られた橋なんだろうと思う。


地図上ではわかりにくいが、参道はどうも途中から右岸になっている。
橋の位置は微妙に違う気もするが・・・




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反対側まで来ても、なおも渡橋を諦めきれなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_8_m?1435245679

が・・・

これはやっぱり無理か・・・
なぜ、そう判断したか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54949325/img_9_m?1435245679

桁部分には床版を固定していたであろう釘が多数残っていた。
足の踏み場がない。
心残りはあるが、撤収しよう。

(おわり)

  

群馬県高崎市 県道49号旧道と沿道の光景(前編)

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【15年5月4日探索・6月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_0_m?1435368106

現在地はここ

群馬県高崎市乗附町 県道49号藤木高崎線だ。
本県道のこの付近には、地図上でも描かれているように何箇所かの旧道がある。
私は東の方角(地図上では3時方向)からここまで来ており、当然この東方向に2km
くらいの旧道区間を通ってきたわけだが、その区間は狭隘ではあったものの絵的には普
通だったのでレポは割愛する。

で、ここから西側にある2箇所の旧道区間が今回のレポの対象になる。
前編ではここから左折した後、いったん現道を横切って回り込む約500mの旧道区間
を探索する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_1_m?1435368106

まず約100mの現道の南側を回り込む旧道区間だが、サクッと流そう。
途中には何も無いので利用者はほぼ皆無かと思うが、私が訪問時には駐車場代わりに利
用されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_2_m?1435368106

で、現道を横切ったところにあるのがこのバリケードだ。
「路肩崩壊につき当分の間通行止め」とある。
現道が普通に通行でき、途中に何かの施設も無い状況で、再度開通するような事はまず
無いかと思う。

こういうバリケードの突破は気が引けたが、反対側のバリケードには通行止や立入禁止
の看板などが設置されていなかった事を確認し、レポ再開しよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_3_m?1435368106

利用者はまずいないはずだが、うっすらと車の轍らしいものがあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_4_m?1435368106

それなりに熟成されている。
この区間は平成5年(1993)か6年に現道が開通しており、旧道落ちしてからは
20年以上経つ事になる。

ところで、遠くに見えるショベルカーだが、隣にあるゴルフ場の関連工事か?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54950970/img_5_m?1435368106

その先、カーブ地点を回ったところだ。
擁壁がこんな削ったままの崖であるが、よほどしっかりとした地層なのだろうか?




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その先に旧道が通行止となっている原因の地点があった。




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ガードレールの感じからするとそれほど古い施工ではないように見えたが、その内側
の路盤が相当量欠落しているようだった。




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その先、標識も含めていい味を出している。




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倒木もあった。
落葉の濃淡から推測すると、二輪以下の乗り物(私もそうだが)と歩行者だけが時折
通行する事があるように見える。




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群馬県設置のカーブミラーが残っていた。
道は右カーブになり、この先で・・・




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現在地はここ

現道に合流した。
これは現道側から撮影したものだ。

同じ場所でもう少し右側に視線を移すと・・・




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県道とは関係ないが、分岐する道の擁壁施工の模様が気になった。




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プチプチ・・・??

(中編につづく)

  

群馬県高崎市 県道49号旧道と沿道の光景(中編)

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【15年5月4日探索・6月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/41/54951841/img_0_m?1435416805

現在地はここ

現道は直線的にこの区間を300mほどで突っ走る。
対して左折の旧道は、この区間をWの線形でクリアする。その距離は400m強といったと
ころか。




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旧道区間にヘキサがあるとテンションが上がるのだが、それはなかった。
ちなみにこのカーブミラーには「群馬県」の文字が書かれていた。




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現在地はここ

分岐があった。
旧道は左の道だ。
現道工事中には右の道が連絡路になっていたかもしれない。

この正面の草むらによく鳴く鳥がいた。




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おっ!キジだ。




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その後ズームで10枚以上連続撮影した。
一番よく撮れたのがこれだ。




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その先には放し飼い鶏舎のような柵があった。




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よく見たらエミューがいた。




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もう動物園とかしばらく行っていないので、見るのは久しぶりだな。




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エミューを見ていたら、奥から走ってくるヤツがいた。




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ダチョウだった。
新座のダチョウ牧場以来か。

よくよく見たら複数のダチョウとエミューがいたのだが、ここの生業は肉の販売?
卵の販売?両方かな?あるいは動物園展示用とか?




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旧道自体よりも沿道で見かけるものが珍しいな。
そんな旧道区間も残り100mくらいになった。




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現在地はここ

また分岐だ。mapion地図では左側の道が県道色に塗られている。
が、現道には合流していないようだ。

つうか、ここにも普通見かけないものがあるじゃん!

(後編につづく)

  

群馬県高崎市 県道49号旧道と沿道の光景(後編)

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【15年5月4日探索・6月29日公開】

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現在地はここ

まずは左側、mapion地図では黄色の県道色に塗られている方へ行ってみよう。
この道は元々の県道49号だった道になるが、現道開通(1995年~2000年
の間・航空写真による確認)と引き換えに行き止まりになってしまったようだ。




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路面もいい味出しているのだが、ここでの注目は右側の、何??




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過去、一方通行だったなんて事はないと思う。カーブを示していたものだろうか?

この、デリニエーターに標識を装着したようなものだが、補助標識が付いている。
それを目を凝らして見てみると「路肩○○」と書いてあったのをどうにか解読できた。
○○は「注意」か「弱し」あたりなんだろうと思う。

設置者を確認できればよかったのだが、それは叶わなかった。




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先に進む。
右のカーブミラーの設置者は群馬県だった。




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終端が見えてきた。
どうも私有地っぽい雰囲気だったのでこれにて撤収する。
ただ、この左側に設置されていたものが気になった。




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銀色に塗られていたが、ワム80000形であろうか。
おそらくは物置としての再利用だろう。




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上の画像と同じ場所で振り返り撤収方向(来た方向)を見た。

実は、一方通行的な標識付デリニエータは、カーブミラーを挟み2本設置されていた
のだった。




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現在地はここ

分岐まで戻り、右側の道に行く。




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ここに保存?されていたのは「オハ12 334」だった。
昭和52年(1977)富士重工製、平成9年(1997)廃車、廃車当時の所属は
JR東日本高崎車両センターだった。
払い下げられてここにやってきたのだろう。

天井にテレビアンテナが設置されているのだが、居住者がいるという事かな?




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そして、なぜか方向指示幕が示す行先は熊本だった。
廃車当時のオリジナル方向幕に熊本が入っていたとはちょっと考えにくい。
後に何らかの手段で追加したものか?

あと50mで現道に合流するのでこれにてレポ終了なのだが、その前に、左側の境界
柱に注目!




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「群巾」これは群馬県管理の道路に普通にある表記だ。
という事はmapion地図では白色の道路だが、この区間が一応県道という事になろう。

(おわり)

  

山梨県富士吉田市 まだあった セルフな第4種踏切

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【15年6月14日探索・6月30日公開】

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山梨県富士吉田市新倉 以前レアなセルフ踏切を紹介した事があったが、この富士急行線の踏切には他にも同タイプのものがあった。

その踏切はこの先にある。




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現在地はここ

利用者は未舗装のスロープを上がっていく事になる。
従って、車椅子やシルバーカー利用者のこの踏切は危険なものであろう。




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遮断機が下りているが、これが常時の姿である。
利用者は左右を確認した後に自ら遮断機を持ち上げ踏切を通過する仕組みである。

20K610M踏切、富士急行線での小踏切は起点からの距離をそのまま踏切名と
している場合が多い。
遮断機はあるが警報機はなく、分類からすれば第4種という事になる。




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では渡ろう。
ところで先ほど、車椅子がどうのこうの書いたが、そもそもがバリアフリーにはかなり
遠い、健常者しか利用できそうにない造りだった。




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そして渡った先は、民家の敷地のようなところをすり抜けて向こう側の一般道に出る。




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1往復して次の場所へ向かおうか。
ちなみに、秩父鉄道の第4種踏切で見かける人感センサーによる「あぶない!}という
音声による警告などはない。

あ・・・大月方向からレールの音が聞こえる。




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ほどなく列車がやってきた。
2両編成、5000系トーマスランド号だ。
ちなみにこの5000系は昭和50年に2両だけ製作されたレア形式で、現段階におい
ては富士急の最後の自社発注車両となっている。

ところで、私が車窓から確認した限り、富士急行線には少なくとももう1ヶ所の同様の
踏切がある事を確認しているが、他の鉄道会社で同様ものはまだ見ていない。

  

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その1)

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【15年3月29日探索・7月1日公開】

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現在地はここ

茨城県日立市大みか町 私はJR常磐線の跨線橋上にいる。
そして地図で言えば7時の方向を向いている。

今見えているのは常磐線大甕駅と茨城キリスト教大学駐車場なのだが、この駐車場
こそかつての日立電鉄線大甕駅であった場所になる。2005年4月に廃止となった
日立電鉄線の南側の探索は2年前に行ったが、今回、その続きの北側の探索になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/21/54955921/img_1_m?1435678159

同じ跨線橋上で、反対側を見た。
線路の無い細長い空き地が続いていた。




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さっそく探索、と思ったが、私有地なので無断で立ち入るなという趣旨の看板があっ
た。
無理に入って、いきなり通報されてもイヤだったので・・・




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一般道を迂回し、150mほど北側の陸橋下までやってきた。

ここには何も書かれていなかったので・・・




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廃線跡を進行する事にした。
そして100mほど進んで現れたのは踏切跡だった。




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現在の踏切名は「JR常磐線細田第一踏切」である。
日立電鉄線での踏切名称はわからない。




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その踏切の先だ。
2年前はもっとジャングルだったのだが、かなり綺麗になっていた。

これはBRT(バスラピッドトランジット)専用道建設に向けた準備か。
第一期工事は完了し2013年3月から運行開始しているが、現在は第二期工事中で
あるはずなのは事前リサーチで知っていた。




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探索日現在では元々あった常磐線を跨ぐ橋は撤去されたままだったが、同じ場所にま
たBRT用の橋が架かるはずだ。




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分断されていたので、再び迂回する。




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現在地はここ

ここの跨道橋だが、竣功が1987年1月であるようだった。
そして撤去されずに綺麗に塗り直されていた。このままBRT用の橋にするようだ。




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橋をくぐり1時の方向へと150mほど進む。
きれいになった廃線跡の路盤、もうすぐBRTの路面になるところだ。




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簡易バリケードは設置されていたが、立入禁止ではないようなのでちょっとだけ・・・

大甕方向になる。




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そしてこちらが日立方向になる。

(その2へつづく)

  

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その2)

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【15年3月29日探索・7月2日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/33/54957533/img_0_m?1435766034

現在地はこの辺

廃線跡は緩い勾配で高さを稼いでいっている。
ところで、この杭なのだが・・・




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古レールの再利用だった。
30kgか37kgレールであろう。
日立電鉄線のものであったと思われる。




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1枚目画像の場所から50mくらい進んだ場所で斜面を上ってみた。
探索日時点ではBRT工事は始まっていない様子で、純粋な「廃線跡」が楽しめた。




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現在地はここ

2車線の車道を横切った。
かつて、水木駅があった場所になる。




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車道の少しだけ離れた場所に水木バス停があった。
現在の運行状況は朝7時台に8本と発車が集中しており、そのほとんどが日立製作所
関連の施設への通勤のためのものだ。
日中はすべて大みか駅行で、時間当たり1~2本と決して多くはない。

BRTになれば 定時運行→乗客増→本数増 になるのだろうか?




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さらに1時方向に進む。

ここは「通勤道路」という。
通りのネーミングとしては初めて聞く気がする・・・




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時折車が通らない時を見計らって、反対側に渡り、BRT工事中の廃線跡を見る。




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右側には歩道が無いのでピンポイントで撮影だけ済ませ、また左側の歩道を進んでいく。

南久保バス停地点、ここでも反対側に渡ってみる。




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これは7時の方向、つまりは進んできた道を振り返っての撮影になる。




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「バス専用道路をつくっています」

探索日含め3日では完成しなかったであろう。




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まあこんな感じでしたから・・・




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現在地はここ

ここには橋が架かっている。
大沼川と道路を跨ぐ橋で、当然BRT側にも整備されているようだ。
銘版が目についた。




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あたりまえの事なのかもしれないが、このネーミングは印象的だった。

(その3へつづく)

  

茨城県日立市 日立電鉄線跡(北側・その3)

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【15年3月29日探索・7月3日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_0_m?1435849128

現在地はここ
<進行方向は1時>

このあたりでは探索時には工事が始まったばかりという感じだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_1_m?1435849128

大沼団地バス停付近では廃線跡が歩道として仮供用されていた。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_2_m?1435849128

大沼小学校手前から先では廃線跡は道路から離れる。




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この場所で探索日時点で行われていた工事は水道管の工事だったのだが、引き続き
BRT道路としての工事が行われるのだろう。




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現在地はここ

大沼小学校を回りこんで迂回してきた。
この画像は7時の方向、つまり前の画像の方向を写している。
かなり遠くにパワーショベルがあるのだがお判りだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_5_m?1435849128

そしてこちらが1時の方向、こちら側もこの先、また迂回する事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_6_m?1435849128

迂回中のタクシー駐車場から覗き込む。
確かこのあたりのはずなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_7_m?1435849128

現在地はここ

7時の方向を見る。
踏切だったはずの場所にはレールが複線分、残存していた。
やはりここがかつての大沼駅だった場所に違いなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_8_m?1435849128

これが1時の方向、河原子駅方向になる。

ちなみに大沼駅とその周辺の時代変遷アルバムを見つけたのでリンクを貼っておく




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_9_m?1435849128

バス通りを越え、さらに進む。
磯坪団地横の廃線跡だ。
このあたりは線路こそないもののまだ「廃線跡」そのままの状況だ。




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現在地はここ

金沢川橋梁跡、現段階では桁が撤去されており対岸へは渡れない。
工事が完了したら「BRT金沢川橋」という名前になるのだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54958846/img_11_m?1435849128

対岸へ渡れなかったので迂回するのだが、それが何だか悔しくて名残の1枚。
橋台は健在に見えたので、そのままBRT橋として復活するものと思われる。

(その4へつづく)

  
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