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東京都日の出町~青梅市 都道184号不通区間(その6・最終回)

【15年4月12日探索・8月9日公開】


現在地はここ

山頂の土産物街には入らずにケーブルカー駅方向へと進む。
普通に歩行者が歩いているが、一応車道であり、東京都道の2つの路線の重複区間な
のである。
この、歩道へ行けという無理のある案内が健気だ。





無理のある案内と書いたその理由は、上の画像から少し進むと、車道だか歩道だかよくわからない感じになるからだった。
この山頂付近という土地のない場所なので多少の無理は仕方ないとも思うが。





分岐があった。
私はそれを少しだけ黄色矢印方向に進み、その後戻って赤矢印方向へと進んでいる。

まずは道標を見てみよう。





左方 氷川道と刻まれていた。
この交差点こそ、都道184号と201号の分岐なのである。

タイトルからすれば当然ここは左折し、また完全不通区間の山道を通る事になるのだ
が、この時点で15時半近くだったので、山道を行くと日暮れ前に不通区間を抜ける
だけの自信がなかった。
あまり細切れな探索というのもどうかとは思うが、エスケープルートを利用する事に
決めたのだった。





この画像は分岐を左折し50mほど進んだ都道184号の単独区間だ。
この付近に建っていた街灯の管理番号も184号線ではなく201号線として管理さ
れていた事を確認し、いずれ再訪する事を誓って回れ右し、先ほどの分岐地点に戻る。





現在地はここ

そんな訳でエスケープルートとして選んだのは都道201号十里木御嶽停車場線である。





いやあ、相変わらず、凄い道だな・・・
再訪だしそもそもタイトルと違うのでこの区間もかなり端折る。
もっと詳しく見たい肩は2011年に訪問したときのレポをどうぞ。





一つ目のカーブ地点でちょうど軽トラが抜かしていった。





一気にケーブルカーをくぐる地点まで降りてきた。





イイよねえ、この橋脚。
おそらくは昭和9年の開業時のままであろう。





とにかく急すぎるのと狭すぎる。
ちなみに、地元民以外は通行禁止であるようだ。

急カーブも特筆すべきはこれかな・・・





ここでも勾配測定にしてみたのだが、あくまで瞬間値という事で・・・





相当安全運転で下ってきたと思うが、わずか2km余りの距離を37分も掛かってしま
った。
これはブレーキを握りっぱなしだと車輪がものすごく暑くなるのと、時速10km以上
になると急勾配で停止できないため、歩くのとそう変わらないためのものだった。

で、滝本駅近くに架かる橋なのだが・・・





大沢川に架かる、禊橋(みそぎばし)、昭和13年(1938)竣功の煉瓦アーチ橋だ。
アーチ環に御影石の迫石が貼られているのが珍しいか。また昭和なのに煉瓦使用という
のも珍しい。
土木学会の土木遺産Bランク選奨となっている。




滝本駅から一気に下る。都道45号奥多摩青梅線に当たったところをレポ終了地点とし
よう。

(おわり)

  

  

山梨県大月市 桂台へのエレベーター

【15年6月14日探索・8月10日公開】


現在地はここ

山梨県大月市猿橋町殿上 JR中央本線猿橋駅南口からさらに南側を見ている。
私は以前(2008年)にこの場所を訪問している。
ちょうどこの画像の位置にはかつて「シャトル桂台」というモノレールに似た乗り物が
存在していた。が、既に廃止された後だったので乗車は叶わなかった。しかしその在り
し日の姿とその後の工事中の模様をレポしていた

この場所には結局、普通のエレベーターが建設され、2011年12月より運行してい
る。

私はその後何度かこの前を通っていたのだが、部外者である事もあって訪問を遠慮して
きた。しかし、結果的に以前のレポが未完成である事も気になっていたので、今回お邪
魔させて頂く事にした。

ちなみに、かつての乗り物、シャトル桂台の事が知りたい方はこちら





かつてのシャトルのステーション位置にあるエントランスを入る。





エントランスの先に延びていたのは長い地下通路だ。
かつては斜面をシャトルが延びていたのだが、普通のエレベーターに変わったのだから
当然垂直移動と平面移動が発生する。

通路の位置はおおまかに1から8まで数字が順番に振ってあり、8になるとエレベータ
ー乗り場という事のようだ。





一時はこの地下通路内に動く歩道の設置も検討されていたと聞くが、結局普通の地下通
路になったようだ。





通路途中にはベンチも設置されている。





8まで辿りついた。
エントランスから200m弱あるらしい。
そして、エレベーター待ち用にもベンチが設置されていた。





では、桂台へ~

利用するにあたり、ひとつ言い訳を。
私は老後の住まいの候補の一つとして町並みの下見をする事にしよう・・・





エレベーターは日立製、定員は15名だ。
約60秒で上部乗り場に到着した。





こちら側にもベンチが設置されている。
傘立てがあるが、これの利用者は??エントランスから駅までは100m近くあるし、
あるいは置き傘か?





乗り場前はかなり広いスペースになっていた。
また、その一角には自転車置き場もあった。
桂台にはエレベーター乗り場から500m以上離れている区画もあるので、電車+エレ
ベーター+自転車通勤・通学の方もいらっしゃるようだ。





その街並みは綺麗だ。
エレベーター乗り場から比較的近ければ駅近という部類であろう。

店舗が見当たらなかったが、住民の方の買い物はどうしているのだろう?
ちなみに、猿橋駅近くにはスーパーマーケットなどは無いようだ。

  

群馬県高崎市 倉渕ダム原石山道路(その1)

【15年5月17日探索・8月11日公開】


現在地はここ

群馬県高崎市倉渕町川浦 県道54号長野原倉渕線だ。
私はこの地に建設されるはずだった「倉渕ダム」の計画中止によって翻弄された道路
たちの事をこの1月に訪問(連載は3月)連載したのだが、その探索時には「原石山
道路」だけは時間切れで訪問できていなかった。

そこで今回、この道へと足を踏み入れようと考え再びやってきたのだった。





その入口だ。幸い、立入禁止等の文言は見当たらない。
レッツゴー!





簡易ゲートを過ぎ、20mほど進んだだろうか。
第2のゲートがあった。





工事用道路はまず左カーブだ。
このあたりではグレーチングの蓋が路上に設置されていた。





正面に見える橋は押出沢橋・平成12年1月竣功である。
橋はよく見るとラーメン構造であうようだった。





その、押出沢橋から今いる場所付近を俯瞰するとこうなる。





工事用道路は右に曲がるのだが、左にも行けるようだ。





探索時の状態では左を見てもよくわからない事になっていたが、50mくらい進むと
この記事の2枚目画像の場所になる。



進むべきは左ではなく直進方向だ。
70mくらい進むと、交差点がある。






現在地はここ

ここでも左側を見る。

この道のほうが多少通行があるように見えた。





この画像は県道54号線側ゲートになる。
ゲートはあるが、進入に関しては特に文言はなかった。





県道54号線側ゲートより、私が今いる「交差点」方向を見るとこんな風景になる。

(その2へつづく)

  

群馬県高崎市 倉渕ダム原石山道路(その2)

【15年5月17日探索・8月12日公開】


現在地はこの辺

分岐地点から、道は上りになる。
そして、仮設の道路なので致し方ないところだが、路面は砂利になった。





途中、謎の分岐地点があった。





道路左側に、木製の杭が建っていた。
No.1で50m?? これは距離計なのだろうが、分岐地点が始点なのか??





仮設道路ゆえ、橋とかトンネルなどの構造物が乏しいのが残念ではある。
土砂流出防止のゴム(正式名って何と呼ぶ?)は貴重な構造物、と言えようか。





このくらい勾配があると乗車は困難になる。
押しながら進んでいくと、足元に何かがあった。





花びらか何かに見えるだろうが、これは動物(鹿?)の骨であろう。





このあたりも特にコメントが思いつかない。
標高は確実に稼いでいた。





その先、550m地点を示す杭があった。





次の画像が650m地点を示すものであった。
100mもの間で何も撮影する対象がなかったのだ。





ゴムの土留めがまたあった。
このほかにもあったので合計4箇所くらいはあったようだ。





気のせいか、道幅が狭くなった。
そんな場所に限って落石があったりする。
普通の道路ならいろいろな標識が眺められそうなポイントだ。

(その3へつづく)

  

群馬県高崎市 倉渕ダム原石山道路(その3)

【15年5月17日探索・8月13日公開】


現在地はたぶんこの辺

地図読みでは標高900mを超えてきた。
この原石山道路の入口が標高800m程度だったので、標高では100m以上稼いだ
事になる。





そしてこのあたりまで登ってくると、多少だが眺望が開けてきた。





標高差は100mをはるかに超える事になっていたが、この杭がようやく・・・





「1kmのキロポスト」だった。
あくまで路肩の距離標が正しければ、だが、ここまでの平均勾配は約12%という事
になる。

未舗装路としてはかなりキツかったかも。
まあ、この道路自体未成であるので、実際は舗装される予定だったのかも知れないが
・・・





構造物は何もないまま先に進む。
道には何もないが・・・





この原石山道路は、何か他の事(林業?)にも利用されているようで、何本かの作業
道が分岐していった。





久しぶりに杭発見!
(私が見落としていただけかも知れないが)





ここはNo.25(1250m)を示していた。





流れ止のゴムの場所を過ぎると・・・





現在地はこの辺

ここにあった杭が1400mを示すもので、私が発見した最後の距離標になる。





杭からほどなくして見えたのは・・・





バリケード・・・いや、フェンス・・・いや、これはどう見えも柵だった。
何も書かれていないが、最近設置されたものであるように見えた。

これは、車止めという解釈でイイのかな・・・

(その4・最終回につづく)

  

群馬県高崎市 倉渕ダム原石山道路(その4・最終回)

【15年5月17日探索・8月14日公開】


現在地はこの辺

起点から1400mを示す杭の先にあったフェンスだが、どうも後年になってからの
設置であったように見えた。

そのフェンスには立入禁止等の文字が見えなかったので、車止めという意味合いだろ
うか?
フェンスの先の道は、当初部分は手前までと変わらない気がしたが・・・





すぐにそんな事はないんだと悟った。





進むにつれ、道路であった事が画像では伝わりにくいほどにまで荒廃度が急激に増し
た。
ちょうどこの画像付近だったが、路肩部分がごっそりと崩落していた。
おそらくは先ほどのフェンスもその崩落を受けての設置なんだろうと納得した。





それにしてもこの道路は平成10年ごろに整備されたはずで、その後ほぼ放置状態だ
ったにせよ、わずか15年そこそこでこんなに森に還ってしまうのかと、俄かには信
じられないくらいの場所があった。





それでも、最終カーブの先の直線部分はまた路面の大部分が見える除隊になっていた。





現在地はここ

ここにもフェンスが設置されていた。
これはもう原石山道路としての終点だ。
(あるいは工事終了地点でまだ未成である可能性もある。平成15年、建設凍結時に
原石山道路の工事進捗率は85%と公表されていた。)





ここでまた景色を見た。
地図読みでの標高は1000mを超える場所だが、まあ、あまり眺望が開けていると
も言い難く、この先、何かに転用するにしてもちょっとハードルが高いかも。





フェンス側から最終直線を振り返ってみた。





さて、その先だが、あぶないからはいってはいけませんという注意が掲示されていた
ので、あまり深入りはしない。

この画像付近はフェンス手前からルフィなら手を伸ばせる範囲とでも言っておこうか。
石が不安定な状態で放置?されていた。





その少し先、ルフィの手が伸びないので(?)ここで撤収する事にしよう。

ダム建設は中止になったが、54号線付替県道は完成し(注:照明設備などは設置さ
れていない箇所が多く、そういう意味では完成ではない。)原石山道路はこうしてほ
ぼ完成してしまったが、ダム本体工事が未着手だったので、原石山自体は一応そのま
ま残った。

今後、何かに転用していくのかどうか、見守っていきたい(順当に言えば自然公園的
なものなら転用可能だろうが、既に周囲に類似施設はあるし、秩父の滝沢ダムのよう
にサイクルパークにするにも中途半端な気がする。どうする群馬県?)

(おわり)
 
 

静岡県富士市 秘密のダンジョンへ・・・たぶんつながらない廃橋

【15年8月2日探索・8月15日公開】

本日は遠征予定なので、小ネタでご勘弁を。


現在地はここ

静岡県富士市鵜無ケ淵 県道76号富士富士宮由比線だ。
この県道沿い、吉永第二小学校近くで、変なものを見つけた。





数段の階段の下にあったこの橋なのだが・・・
いや、別に橋自体が変なわけではない。普通の鋼製の橋だ。





異変を感じたのは、橋の先がどう見たって通れる状態には見えなかったからだ。
・・・い、いや、まて。あるいは小人なら通れるのか??
あるいは・・・秘密のダンジョン入口とか??





川というより水路を跨いでいるような橋だ。
この超激藪をもし30mくらい左方向に進めるならば、無事生還するのだろうが、実
際は利用されていない廃橋なのだろう。
もともとの架橋意義についても不明だった。





小ネタなので橋の話はこれでおわりです。
最後に、同じ県道76号線沿いの静岡県らしい風景をどうぞ。

  

帰還しました

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

遠征からようやく帰ってきました。
通常記事は少々お待ちください。
  

栃木県小山市 東北本線・水戸線短絡線跡(前編)

【15年5月24日探索・8月16日公開】


現在地はここ

栃木県小山市駅南町 JR水戸線第二旭町踏切だ。
3mしかない踏切で自動車の通行は小型特殊自動車以外は禁止されている。
踏切の隣の看板をよくよく見たら、どうも以前は軽自動車も通行可能だったようだ。





その踏切から小山駅方向を見た。
今回の探索は、県道339号線の陸橋の先からになる。





それがこのあたりになる。
やたら線路敷が広くなっているが、ここが東北本線と水戸線間の短絡線の分岐があっ
た場所になる。

東北本線下り方から水戸線へはスイッチバックになっていた配線だったものを、昭和
25年(1950)に短絡線を造り、主に貨物列車の通過に使用したようだ。
この短絡線と言えば455系「急行つくばね」(上野~大宮~間々田~結城~友部~
水戸~勝田・区間は昭和49年当時)を思い出す方も居られよう。
私も乗車こそしなかったが、「つくばね」を上野駅まで見に行った覚えがある。
なので短絡線の存在は40年以上前から知っていた。昭和61年に廃止された事も覚
えていた。しばらく線路はそのままだったが、平成18年(2006)頃に線路が撤
去された事もまた記憶していた。
にもかかわらず、これまでこの場所を訪問した事がなかった。
ちょっと、今さら感はあるが、辿ってみようと思う。





とその前に、この柵、ラックレールも連想するが、恐怖心をあおるなあ。




分岐した直後の路盤跡を、柵の尖りに気をつけながら撮影した。





少し進み、道路側から見る。
このあたりは花壇になっているようだ。





現在地はここ

その先の、おそらくは踏切だった場所から、その花壇を写してみた。





同じ場所から間々田方向を見る。

この場所が境目で整備状況がかなり違うようだ。

(後編につづく)

  

栃木県小山市 東北本線・水戸線短絡線跡(後編)

【15年5月24日探索・8月17日公開】


現在地はここ
<10時方向を見て撮影>

ここも踏切があったはずの場所だ。
線路は黄色矢印方向に延びていた。





前の画像の、右側の線路跡だ。
この近くに何やら銘版のようなものがあったのだが、昭和56年に小山都市瓦斯(株)
がこの下3.5m地点にガス管を埋めた事を示すものだった。

現役時代の事なのか・・・





こちらが左側(間々田方向)だ。
この先約80mくらいで小さな橋がある(地図上では)のだが、まだ残っているのか
どうか。





現在地はここ
<進行方向は8時>

130mほどの線路跡だったが、迂回してきた。
ここもまた踏切だったはずの場所になる。






これは2枚上の画像の対になっている。
つまり、迂回により見られなかった橋の方向を写したものだ。





こちらが進行方向(間々田方向)になる。
もう残り300mくらいだ。





その先、ここもまた小さな踏切であったであろう場所だ。





その部分の線路脇の柵は、また「よく言えばラックレール」な怖いヤツだった。





そしていよいよ最終区間だ。
東北新幹線の高架橋がかなり迫ってきた。

この区間が最も面影があるような気がする。





上の画像から10mほど進んだ。
この位置にあって自然なのは、合流地点への信号機あたりがあった場所なのだろう。

この先、行きたいのは山々だが、目立ちすぎるのでまた迂回する。





現在地はここ

東北本線(宇都宮線)第二境街道踏切だ。
この脇から、上の画像の対になっている方向を写す。
が、50mくらい離れた場所にいた犬が激しく吠えたので、退散した。
まったくもう。いつかお前の仲間を食ってやるぞ(あ、新大久保で犬鍋を食べてみ
ようという話です)(苦笑)・・・





そしてこちらが間々田方向の合流地点だ。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 明治県道・道路の続き

【15年5月10日探索・8月18日公開】


記事的にはこの記事の続きになる。


埼玉県飯能市宮沢 ここよりも北側区間は2年前に訪問し記事にしたのだが、前回探
索終了地点よりもさらに南側にも続きの区間が残っていそうな気配があったのだ。
それは今昔マップを見ると、ちょうど中央付近の30号線ヘキサマークあたりから左下へ、
今の県道とは違うルートが描かれていたのだった。
今日はそんな明治時代の県道を辿ってみよう。

現在地はここ

県道30号線から宮沢湖へ向かう途中だ。
宮沢湖と言えば、今から2年後にはムーミンのテーマパークが出来るというニュー
スが最近流れた。現時点ではアクセスが悪いが、何か妙案でもあるのだろうか?

話が逸れた。この場所自体は明治県道のルートからは少し外れているようだが、こ
こを左折する。





建物の脇を進めば間もなく宮沢湖からの道に合流する。
ちなみに、この左側はカートのレース場だ。





このあたりまで来ればたぶん明治道として描かれている道と同じなのだろう。





現在地はここ

ハイキングコースの道標のある場所を右折するとこんな感じの道になる。
そして、その場所には境界柱があった。





「埼玉縣」とか書いてあったら腰を抜かすところだったが、ここは順当に「飯能市」
だった。





幅員2.5m、ゆるやかな道だ。
馬車や荷車も通過していた道なのだろう。





ここなどもなかなか雰囲気がある。
路面が、道路であると主張しているようだった。





現在地はここ

道は二手に分かれる。
元・県道は右の細い方の道だった。





通行者が少ないのだろう。
かつて荷車くらいは通過していたはずの道だが、そういう雰囲気を感じない区間だっ
た。





竹林の脇、辛うじて道らしい場所を抜けると・・・





この、民家脇を通るルートが元県道になるようだ。





そして市道と思われる道に出た。
この画像はそれを振り返ったものではなく、その先の「くの字」状態の旧道を撮影した
ところになる。
古道、満喫というワケにはいかなかったが、こんな地味な道もまた面白かった。

  

神奈川県横浜市 トレッスル水路橋(前編)

【15年7月19日探索・8月19日公開】


現在地はここ

神奈川県横浜市旭区上川井町 若葉台団地から南方向へと抜ける道で、ふと右を見ると・・・





遠くに見えたのが一度見たかったトレッスル水路橋のようだ。





とりあえず真下まで行ってみた。
これが横浜水道 大貫谷戸水路橋、昭和27年完成らしい。





反対を見る。
ちょうど水路橋の真下に道祖神が鎮座していた。





見上げてみた。
もうちょっと、ちゃんと見られる場所はないかなあ。





現在地はこの辺

少し高いところに上がってきた。





これでもまだまだ全景とはいかなかったが、何となく全体像がわかる。
満足という訳ではないが、まあいいか。


近くにもう1ヶ所、長いトレッスル水路橋があるようなので、行ってみよう。

(後編につづく)

  

神奈川県横浜市 トレッスル水路橋(中編)

★画像が多かったので連載は3回に変更しました★

【15年7月19日探索・8月20日公開】


現在地はここ

普通の道を進んで来たが、この交差点を左折する。





のどかな砂利道を進んでいく。





だんだん怪しげな道になっていく。
このガードレール代わりの構造物、何だ?





現在地はここ

突き当たって、左右のどちらかになら行ける場所になった。
まずは左側、きじが原、若葉台と書かれた方へ行ってみる。





横浜水道の水路の場所まで来た。




隧道の看板があった。
実は、一つ前の画像にも隧道坑口が写ってはいるのだが、あまり私の脳にインパクト
を与えるものではなかったと見え、スルーしていたのだった。





そんな訳で、先ほどの分岐を右(三保平方向)に行ってみよう。
分岐から200mほど進むと、この水路の上に出る。





ここに設置されていた看板には目的地である「梅田谷戸水路橋」が載っていた。





そのまま水路上を進んでみたが、どうもその先には進めないようだ。





さらに悪あがきしてみたが、やはりこれ以上は進めない。

再び大きく迂回するしかないな・・・

(後編につづく)

  

神奈川県横浜市 トレッスル水路橋(後編)

【15年7月19日探索・8月21日公開】


現在地はここ

結局かなり迂回した。
途中、道を間違えた事と暑くて小休止した事もあるが、橋の袂の所からここまで28分
を要してしまった。
ところで、この付近の水路はほぼ旭区と緑区の区境を流れていたのだが、この水路橋
だけが完全に緑区内になっている。





そしてここもまた1枚で全景を撮影する事は難しそうだった。





1枚目画像と同じ橋脚だが、この角度の方がいいかな。
昭和27年完成の梅田谷戸水路橋、延長293mだそうな。





すぐ脇にある川井コミュニティ広場への道へ入っていく。





その途中で橋の下に行ける場所があった。





橋の鉄鋼水路部分は228mと先ほど見た看板に書いてあったな。
それは、コンクリ部分が65mあるという事だ。





現在地はここ

橋の反対側の袂に登ってきた。





橋側を見た。
当然の事ながら柵があって、一般人はその先に行くことはできない。

ところで、上に見えるパイプには「送泥管」と書いてあった。
逆方向に送っているものなのか??





柵から橋上を覗いてみた。
渡ってみたいのは山々だが、そんな事をしたらyahooニュースに載ってしまう。





そんな訳で、ズームアップで満足するしかなかった。

(おわり)

  

群馬県安中市 高さ1.7m制限のカルバート

【15年7月26日探索・8月22日公開】


現在地はここ

群馬県安中市中宿 国道18号線だ。
左の線路はJR信越本線である。下り方向で言えば安中駅手前になるこの場所で見つけ
たものは・・・





何い!!

高さ制限1.7mだって!!
これは行かねばなるまい・・・





現在地はこの辺

車道でも、手前には高さ1.7m制限を示す標識があった。





いよいよカルバートだ。
しかし最初のは国道18号線をくぐるもので、それほど低い訳ではなかった。





国道カルバートは高さも2mを優に超えその幅員も5mくらいはありそうだった。
さて、ここから先が本番になる。JRのカルバートが目の前に見えてきた。





名を伊勢山跨道橋という。
実際の高さだが、1.9m以上はありそうだった。
そして、特に内部は変わったところは・・・あった!
左側の路面端側だけが1段高くなっていたのだ。

何だろう?歩道にしては狭すぎるし、手前の国道カルバートにはそもそもなかったし
・・・





出口の先は右クランク状態である。

なるほど。
先ほどの1段高くなっているのは、こちら側から進入した車が膨らんでカルバート側
面へぶつからないようにする為のものであろう。推測だが。





利用者はそれほど多くないようだが、道はその先にも続いていた。





最後に振り返り、カルバート坑口を撮影した。
ちょうどこのあたりに1966ー6の刻印があった。
この区間の複線化は1967年(昭和42年)4月なので、その工事開始時期に出来
上がったものと見て間違いないようだ。

  

埼玉県坂戸市~東松山市 児玉往還・旧県道(その1)

【15年5月6日探索・8月23日公開】


埼玉県坂戸市石井 県道256号片柳川越線だ。
本県道の一部は児玉往還にあたる道になっている。





現在地はこの辺

そんな県道256号だが、いきなりこの先で逸れる事になる。
とは言っても、元々あった線形からすると県道の方が左に逸れていくような感じだ
が・・・





今昔マップだと現在地はほぼ中心

大正~昭和初期の地図だと私がこれから辿る道が旧・府縣道と描かれていた。

ところで、探索日現在、越辺川に架かる島田橋は修理中のため通行できなかった。
(5月28日に復活しているようだ)





まあ、とりあえず進んでみよう。
早速、右側に何かあるようだが・・・





そこに建っていたのは、道祖神と、坂戸町の境界柱だった。
坂戸市が町だったのは明治29年(1896)から昭和51年(1976)なので、
この境界柱が設置された時期については見当がつかない。





旧街道はまっすぐに越辺川に向かう。





土手を上がる。
ちなみに、旧街道は正面の階段ではなく、もっと右側であったようだ。





予告看板があったので驚かなかったが、探索日現在の島田橋は渡れなかった。





せっかくだから、もう1枚・・・





何がせっかくだからなのかよくわからないが、この橋が通れなかった影響で、その迂
回には1時間もかかってしまった。

この画像は越辺川左岸になる。つまり渡ってきたのと同じ事になる。





旧街道は川の先でもまたまっすぐなのだが、県道だったような痕跡は何も無かった。

(その2へつづく)
  
 

埼玉県坂戸市~東松山市 児玉往還・旧県道(その2)

【15年5月6日探索・8月24日公開】


現在地はこの辺

現在ではかなり拡幅されたであろう旧・児玉往還。
当然舗装もされていなかったと思われるので、往時を偲ぶにはかなりの想像力が必要
だ。





国道407号線によって寸断されている。
国道を横切り、新九十九橋を渡る道は旧街道と重なる道だ。





そんな道沿いには当然石仏が多い。





また、街並みにも往時の雰囲気が残っている。





右側の石仏はお地蔵様のようだが、その安置場所が個人宅の屋根と同化しているパタ
ーンは珍しい。





現在地はここ

今昔マップだとこの辺

この先、画像に矢印をつけるのを忘れたが、10m先を左折が旧街道になる。





県道344号線を横切って、その先にも道が延びている。





高一会館という公民館の敷地の端に祠があった。





中の石仏だが、青面金剛、でいいのかな・・・





隣に建っていた石碑は奉納されたもののようだ。側面には南無阿弥陀仏と彫られても
いた。
その隣は最初の2文字が判読できなかったが、馬頭観音??





旧縣道だと思うと、何でもない細道も楽しくなる。
東上線踏切手前で、いったんまた県道344号線に合流する。

(その3へつづく)

  

埼玉県坂戸市~東松山市 児玉往還・旧県道(その3)

【15年5月6日探索・8月25日公開】


現在地はここ
<進行方向は10時>

児玉往還の旧道は、県道344号線が東武東上線の踏切を越えてすぐのところで右へ逸れる。

本日の記事の場所を今昔マップで見るとこのあたり





100m足らずで分岐があり、その分岐地点に石碑が建っていた。





これは道標を兼ねた石橋供養塔だった。
そしてなんと、文政2年(1819)建立だった。





街道はまっすぐなのだが、一旦右に行ってみる。





しばらく行くと東上線都幾川橋梁だ。
この上り線が開業時の橋脚そのもので、開業は大正12年(1923)であるから、
既に90年以上が経過している事になる。

以上、寄り道終了!





現在地はこの辺

さて、本来の児玉往還に戻ろう。





進んでいくと、左の水路に変な橋が架かっていた。





めくらなかったが、この波板の下に、橋本来の構造があるんだよな、きっと・・・





次の変な橋・・・手前の土管ではなく、奥のやつ・・・





なんと、この橋の作者の名が橋本体に刻まれていた。
「松崎昭三作」と読めたが・・・





右の境界柱は東松山市のものだ。
左の路肩注意のポールが建っている事は、旧街道であるという、この道の風格なのか?





しかしこの道沿いには特徴的な橋が多いな。
今度は土橋だ。





その先には一見怪しげな橋が架かっていた。
しかしこの橋、鋼製の梁があり、見た目よりはしっかりしていそうだった。

(その4へつづく)

  

埼玉県坂戸市~東松山市 児玉往還・旧県道(その4)

【15年5月6日探索・8月26日公開】


現在地はここ

本日の記事、今昔マップではこのあたり

かつては馬車や荷車など多くの人が行き交ったであろう旧街道を進んでいく。





左前方、石柱発見!





凝視した。
表側は解読できなかったが、裏側に「埼玉縣」と刻まれているらしい事が読めた。
「縣」は「県」かもしれないが。

これこそ、旧県道の証なのか?
私はけっこう県内の道路を探索しているが、このような形状の境界柱は初めて見た。
これってもしかしたら、お宝??





目印のような木が生えているところに、石造物がいろいろと鎮座していた。





目を引くのが石灯籠だ。安政6年(1859)に設置されたようだが、雨乞い信仰で知られる神奈川県の大山阿夫利神社の参詣者たちによって建てられたものであるらしい。石灯籠の近くには「九頭龍大神」と刻まれた石碑があった。雨乞いをする一方で水害を恐れていた事もあったようだ。





その先、いったん県道の現道に合流する。





現道を少し進む。





400mほど進み、県道344号線は左に逸れる。
私が進むべき道はまっすぐである。





現在地はこの辺

ちょっと、うらぶれた感じの道路だ。
矢印を描き忘れたが、左の標柱には・・・





埼玉県のものだった。
字体が時代を感じさせる。





旧県道であり、旧街道である道、ちょっとキモチイイかも~





関越自動車道により旧道が分断されていた。

仕方がないので、カルバートをくぐり、反対側に向かう。

(その5・最終回につづく)

  

埼玉県坂戸市~東松山市 児玉往還・旧県道(その5・最終回)

【15年5月6日探索・8月27日公開】


本日の記事の場所を今昔マップで見るとこの辺
(葛袋付近から右書きで町田と書かれた付近まで)

現在地はここ

県道41号線と関越自動車道をカルバートでくぐり、都幾川上流側に来た。
ちょうどこの付近なのだが・・・





今昔マップで見るとちょうどこのあたりにかつては橋が架かっていたようだが、現在
はその痕跡は何も見つからなかった。
もっとも、おそらくは木橋であったであろうが・・・





現在地はここ
<進行方向は11時>

県道41号線の唐子橋を渡り、かつての橋の北詰付近にやってきた。
この旧道の最終区間を辿ろう。右の道を進む。





すぐに道路は舗装に変わった。





そして旧街道らしく、石仏群が道路沿いに安置されていた。





その先、石灯篭があったが、寺院などは見当たらなかった。
個人住宅の入口か?





いかにも旧道、なカーブを曲がると・・・





現在地はここ

ここを、今回の児玉往還旧道としての終点とする。

ここから北上すると荒川渡河付近だけ児玉往還旧道痕跡がひょっとしたらあるかも??

(おわり)

  
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