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千葉県旭市 おそらく19世紀のレンガカルバート(前編)

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【15年2月21日探索・4月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54850861/img_0_m?1429199354

現在地はこの辺

千葉県旭市蛇園 この場所の探索の後に本来目的としていたカルバートへと向かう。




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ちょうど、特急しおさいが通過したので、脇道に逸れて撮影した。
ちなみに、目的のカルバートは先頭車両付近の下にある。




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そう、レンガのカルバートがあったのだ。
名は総武線蛇園第1号ガードという。




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現在地はここ

交通量はけっこう多い。
なので、このカルバート内は先入車優先の交互通行となっていた。




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高さ制限3.0m・・・ん!?
さっきあった標識では3.2mだったようだが・・・

手前の標識のせいで天井にぶつかった車があったのかどうかは不明だが、上部は明らかに大規模な修理がなされていた。
土木遺産に指定されないのは、そのあたりなのかもしれない。




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内部である。
これまた、満身創痍な状態でなんとか持ちこたえている。




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天井の欠損が目立つ。列車の通過があると、いやな感じだろう。




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反対側である。
 
総武本線のこの区間が開通したのは明治30年(1897)だ。
このカルバートもおそらくはその時点で製作されたものだろう。

総武本線開通前、おそらく明治20年代の貴重な地図を示すつもりだったが、どうも記事上には出ないようなので、時間のある方は「歴史的農業閲覧システム」の迅速地図を見て頂きたい。その迅速地図中、蛇園村と書いてある園の字近くの「水」付近で線路を跨ぐように書かれていた場所と一致する。




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もう一度南側に戻ってきた。

ヘリオスとレンガカルバートの記念撮影ではないが、トンネルがあれば比較撮影を心がけているので(笑)。




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そして、南側の道を東へ向かう。
東側に、もう1ヶ所似たようなカルバートがあることが期待された。
そう、名前から言っても「蛇園第2号ガード」があるはずなのだ。




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思ったよりも道は広いな。




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着いた、ここだ。

(後編につづく)

  

千葉県旭市 おそらく19世紀のレンガカルバート(後編)

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【15年2月21日探索・4月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54852169/img_0_m?1429289635

現在地はここ

まずは右側を見る。
角材を25本くらい並べた感じの木橋だが、角材同士は結ばれていない。
車両の通行も想定されているのだろうか?




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そして左側を見る。

ここにあったカルバートも、見事にレンガ製だった。
これもまた明治30年(1897)の開通当初からあるものと思われた。

ところで、入洞する前に、このダブルトラックの終点が気になった。




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100mほど進むと道は無くなる。

総武本線の蛇園トンネルだ。
銘版には昭和49年竣功になっていたが、近くに旧隧道が見当たらない事から、旧隧道を拡幅したようだ。




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レンガカルバートに戻ってきた。
蛇園第2号ガードと呼ぶらしい。




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では入洞しよう。




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おっと、その前に!
計測だ。

車道スペックでは無いようだが、幅員1.7m、高さ制限1.8mくらいになろうか。




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内部はこのように、一部が補強されているような造りになっていた。
本来ならここでもレンガの存在を感じていいはずだったので、全体が補強されているというべきか。

先のほうの路面だが・・・




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明らかにおかしな事になっていた。
これだけ激しくえぐれているのは、一体何があったのだろうか?




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反対側出口が見えてきた。
坑口近くになるとレンガが見た目にも復活する。




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反対側だ。
土木遺産級のレンガカルバート2箇所だったが、特に第2号の方は、ひっそりと生きているという印象だった。

茨城県日立市 昇開式歩道橋・河原子歩道橋

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【15年3月29日探索・4月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/23/54853323/img_0_m?1429369418

現在地はここ

茨城県日立市河原子 国道245号線上だ。
ここに見える歩道橋はこちらと同様の機能がある。

大型機械等が通行する際、歩道橋の桁部分が上昇する造りになっているのだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/23/54853323/img_1_m?1429369418

上昇した跡はかなり錆びている。
が、昨年7月に上昇しているようだ。




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私は右側の国道側から上って来たが、階段左側に降りると河原子小学校である。
小学校の存在が歩道橋の設置理由なのだろう。




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歩道橋の渡橋部分だ。
主塔がある事が最大の見た目の特徴と言えよう。
ちなみに建造は昭和47年(1972)3月だ。




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反対側に下りてみよう。




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一応、「橋は下から」の原則通り、下からも撮影してみた。




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この角度からの撮影で、ようやく全景が撮れた。

  

Web初登場、たぶん

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イメージ 1


土木遺産にも指定されている石造りの水路橋です。

4回目の探索でようやくたどり着きました。
山梨県内です。

静岡県静岡市 県道75号線伊佐布・吉原狭区(その1)

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【15年3月22日探索・4月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/13/54854913/img_0_m?1429455689

現在地はこの辺

静岡県静岡市清水区伊佐布 県道75号清水富士宮線だ。
この県道(主要地方道)は全長62kmにも及ぶので、今回はそのオイシイ所だけをレポにしてみよう。

とは言え、ここも既に「山行が」で取り上げられている場所なので、途中までは追認になる事もあろうかと思う。しかしどういうわけか、昨日現在「山行が」のレポは完結していない。
つまり、多少は初めて見るものがあるという事になる。

で、レポ開始地点なのだが・・・
沿道にはえらく中途半端な工事用ポニートラスが架かっている。
既存の橋の架け替えでは無いようで、造成工事?あるいは、第二東名の清水いはらインターへのアクセス改善用か?




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庵原川沿いの反対車線側にミニヘキサがあった。




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このレポの一応終点の地点までの距離になる。
とは言ってもラスト2km程度はあまり狭くない。

実質はあと7kmくらいが楽しみな道になる。




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そうそう、このあたりからが本題に入る?




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右側、橋が架かっていた。




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個人架橋?

つか、この橋、トラスじゃん!




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よくよく見ると、コンクリの床面の下が鋼製トラスの桁で、桁部分は片側だけラーメン構造のように見えた。




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第二東名の新清水ジャンクションが近くなってきた。




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先ほどの橋と同じ造りの橋、もう1本発見!
という事は、個人架橋である可能性が低くなった。




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現在地はここ

県道はこの先を左方向だが、大型車は直進方向へ案内されている。
主要地方道でありながら、そんな扱いの区間とは、一体・・・

(その2へつづく)

  

静岡県静岡市 県道75号線伊佐布・吉原狭区(その2)

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【15年3月22日探索・4月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54856486/img_0_m?1429543468

現在地はここ

県道75号線はここを左折になる。
だが、私が滞在していた数分間の間だけでも、ここを左折する車はほぼ皆無で、ほとんどの車は直進方向へと向かっていた。

ところで、ここに何か変わったものがあるが・・・




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静岡県内では何度か見かけた事があるのだが、荷物運搬用の索道的なものなのだろうか?
これは真ん中の滑車部分にワイヤーが張られていないので、休止(もしくは廃止)という事なのだろうか?

ご存知の方が居られたらご教示いただきたい。




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道路に話を戻そう。
この直進方向に架かる橋は宮下大橋、昭和45年3月の竣功だ。
看板が示しているように河内・和田島方面へは県道ではなく直進の道が近い。

が、この直進の道は農道なので、農作業に影響が出ないように案内は控えめだ。
まあ、地元の人たちには案内は関係ないようだが・・・




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で、私は県道を行くのが目的なので、左折する。
険道になるという予告の看板に出迎えられた。




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険道予告があったわけだが、このあたりでは2車線の堂々たる県道(主要地方道)だ。




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道端がモノラックステーション、静岡県ならではの光景と言えよう。
しかもこれは、石垣の外側にムリヤリ桟橋のように線路を敷いているところがなかなかソソられる。




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現在地はここ

赤く欄干が塗られた橋が見えてきた。
一之瀬橋、昭和29年8月竣功、今年で61歳を迎える橋だ。




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橋を渡りきったところが少し広くなっていた。
ここが上伊佐布のバス停兼折返し場であるようだ。
JR清水駅からここまで、平日で1日6回(休日は5回)路線バスがやってくる。

私はここを右に進む。




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伊佐布の集落の端まで来た。
県道は坂を上っていく。




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こんな、擁壁マニアにはたまらないような場所を過ぎると・・・

(その3へつづく)

  

静岡県静岡市 県道75号線伊佐布・吉原狭区(その3)

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【15年3月22日探索・4月22日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54857932/img_0_m?1429634678

現在地はここ

思わず、見上げる。高いなあ~

ところで右の橋は私が進む県道のバイパスのような線形になっているが、おそらく工事用道路だろうと思う。




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いったん静かな険道に戻った。




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ここ、左側が怪しいと思ったが・・・




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むしろ右側の方がよっぽど怪しかった。
こんな急カーブなのにガードレールないし・・・




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もう少し進むと、今度は地上からかなりの高低差をもって仮設橋が架かっていた。




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こういう橋の下側ってそういえば入った事、ないな。
橋は下から・・・何だか幾何学的な感じがイイ。




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さて、先に進もう。
そういえば先ほどから上ばっかり見ているな・・・




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第二東名の構造物は、元々この地にあった県道など意に介さないような造りだった。
ここだって、絶対線形変わってるよな。




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現在地はここ

道路が4層になっている場所って、そうそう見られない。
私も、たぶん初めてだと思う。




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明らかに未成部分の終端が目に入った。




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その延長線上を見たら、おそらく矢印の場所につながるのだと思われる。




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新清水ジャンクションと別れ、次のステージへと進む。

(その4へつづく)

  

静岡県静岡市 県道75号線伊佐布・吉原狭区(その4)

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【15年3月22日探索・4月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/94/54859294/img_0_m?1429720396

現在地はここ
<進行方向は3時>

県道は直進になるが、ここで並行して走る農道へのアクセス道がある。
ちょっとだけ行ってみようか。




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農道の方が県道よりはまだまともなスペックで、基本2車線幅が確保されているようだ。




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ただ、上の画像の反対方向にある新吉原トンネルだけはどう見ても2車線幅とはいえない。
竣功年は不明だが、この農道の他の構造物からすれば昭和40年代前半だろうか?




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県道に戻った。
路肩方向が怪しげ、でありながらガードレールは未設置区間を進む。




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ここから3枚は沿道の風景になる。
まずは、圧巻の直登モノラック線路だ。




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続いては工事用道路になる。
県道からの分岐部分だが、仮設橋がソソられる。




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最後に第二東名の新清水ジャンクションの未成部分だ。
ここにいずれ中部横断道が接続されるようだ。




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県道は、とても主要地方道とは思えない怪しげな線形だ。




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中部横断道の建設現場もよく見える。




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現在地はここ

吉原集落に入った。
新吉原橋を渡るところだ。




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橋の傍らにはみかんの無人販売があった。
100円だったので、自転車じゃなければ買ったのになあ~




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集落内の県道も、やっぱり狭いな~

(その5・最終回につづく)

  

静岡県静岡市 県道75号線伊佐布・吉原狭区(その5・最終回)

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【15年3月22日探索・4月24日公開】

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現在地はここ

吉原の集落内では1.2~1.5車線程度の道幅だった。
この吉原集落までは、県道75号線を経由しないルートでの路線バスがJR清水駅から運行されているが、平日7本、休日4本と決して多くない。

左の石碑のようなものは、徳川家康ゆかりの薬師如来であると刻まれていた。
江戸時代のものであれば感動モノだったが、大正6年建造だった。それでも充分古いが・・・

軽乗用車の後ろ、右側を覗き込むと・・・




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敷地同士をつなぐ、物干し橋が架かっていた。




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集落を後にさらに進む。

それんしても、なかなか味わい深い県道だ。これで主要地方道なのだから、マニアにはたまらない。




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現在地はここ

右側が封鎖されている橋があった。




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ここは本来十字路になるはずの場所なのだが、ワケあって工事がストップしたままのようだ。

このあと、私は県道である真ん中の道を進むのだが、左の道にも寄ってきた。
その模様はまた後日・・・




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橋の名はよしわらおおむかいはし(たぶん吉原大向橋)、平成19年11月に完成しているが供用されていない。

どうも布沢川ダムの工事中止による影響のようだが、完成している橋を供用しなくてもさほどの不便さはないのだろうか?




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このあたりの県道はさほどの違和感はない。




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ふと遠くに目を遣ると、中部横断道の橋脚が立ち並んでいた。




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レポの終点、高山地区まではあと少しなのだが、このあたりからにわか雨が本降りになってきた。




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舗装路なのにダブルトラックのような跡がつき、しかも苔むしている。
これが現役県道、しかも主要地方道なのだから、そのギャップ大きい。




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現在地はここ

雨がかなり降ってきて、レポの終盤では思うような画像が撮れなかったのだが、とりあえず険道区間の終わる高山地区にてレポは終わりにする。

私はこの場所にあった公民館の駐車場的な場所でしばらく雨宿りした。




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上の画像の反対を向くと、探索日の時点ではこんな光景があった事を付け加えておこう。

(おわり)

  

栃木県大田原市 蛇尾川に架かる車道木橋

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【15年3月14日探索・4月25日公開】

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現在地はここ
<進行方向は5時>

栃木県大田原市中田原 那珂川水系蛇尾川(さびがわ)に、車道の木橋が架かっていると聞きやってきた。
50mくらい下流に架かる橋が目的のものである。




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橋の袂まで来たのだが、橋が架かっている右側ではなくまずは左側を見てみよう。

先のほう、何かおかしな事に・・・




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手前側では6mを優に越える道幅が、3段逆スライド方式で道幅1/3になった。




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さて、橋だ。
車道対応なのだが、2tの重量制限がついていた。




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この橋、竣功年度や橋の名前など、かなり肝心な情報が何もない。




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渡った先にも普通に生活道路が続いているのだが、渡ってすぐの場所にあるのは蛇尾川緑地公園だ。




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こんな橋なのだが、利用者はそれなりに多かったりもする。
私が渡橋時にも1台の軽乗用車が通過していった。



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下からも見てみよう。

桁を見ていると、けっこう頼もしいように見えた。

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その1)

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【15年1月17日探索・4月26日公開】

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現在地はここ

神奈川県相模原市緑区千木良 国道20号線から右に逸れる。
今日は県道515号三井相模湖線を走破しようと思いやってきた。
とは言っても記事にするのが3回目、訪問自体は4回目だ。

ただ、今回は初めて、終点側から行ってみようと思う。




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この交差点上から、やや遠くだが2枚の青看が見える。




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左の道を進むとこの青看(前の画像で黄色矢印)が見える。
この道は現・国道20号線の旧道に当たる道であり、ここを進んでいくとこんな道になる。




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直進するとこの青看(2枚前の画像で赤い矢印)が見える。
よく似た表記だが、実はかなり違う。
「この先通行止」で示された先が、黄色矢印の方だと東京都との都県境である大垂水峠なのだが、赤矢印の方は相模湖のほとりの相模原市緑区三井地区になるのだ。




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現在地はここ

県道517号線との交差点付近にあった県道515号線の案内だ。
落石の恐れ・・・??もう既にすごい事になっているはずなのだが・・・




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このあたりは普通に供用されている区間なのだが、狭さについては全線、ほぼ変わらない。




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少し進んだ。
ここに設置されていたのは・・・




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「落石危険! 全面通行止」という、執拗なまでの警告である。
しかし・・・オブローダーには逆効果かも・・・




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その先も、まだ供用区間である。
この標識がある道路も珍しくなったな。

もちろん、標識には従う。「チーン!」




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赤馬(あこうめ)地区の、最後の人家と思われる地点を過ぎると・・・




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ここはまだ供用区間なのだが、そんな雰囲気はかなり薄くなってきた。
そして、先のほうにバリケードが見えてきた。




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現在地はここ

本気度が感じられるバリケードだ。
「通行止」は車両だけか?と都合のよい解釈をしようと思ったが、その手前に「全面通行止」の表記があったのを思い出した。




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それでも、ここには「自己責任」という身勝手な振る舞いになってでも、私を虜にする何かがあるような気がする。

既に廃道区間に入った。

(その2へつづく)

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その2)

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【15年1月17日探索・4月27日公開】

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現在地はこの辺

この廃道区間はちょうど2kmほどある。
私はこれが4回目の訪問になるが、廃道区間で人に会った事はない。

が、それなりに通行者はいるのだろうか。基本シングルトラック状の踏み跡が続いていた。




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これまで3度の訪問はもっと夕刻迫る時刻だった事と、反対側からの通行だったため、この角度で沼本ダムが見えた記憶がない。
まあ、時期もあったのかもしれない。




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せっかくなのでズームアップしてみた。
半分水没しているようにも見えるが、これで機能しているという。




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道のほうは・・・どうも以前よりもパワーアップしちゃったようだ。




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現在地はたぶんここ

2つ目のバリケードがあった。
これも以前から設置されているもので特に驚かない。

1つ目のバリケードが設置される以前に、おそらくここが通行止地点であったのだろうと思う。




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その先になる。
このあたりは土が流れ込んでいる区間だが、さほど大きな木が生えていないところからすると、比較的近年に流入してきたものか?




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谷とかはけっこう崩落がすごいが、岬の突端的な地形の場所は比較的綺麗な状態を保っている。




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また沼本ダムが見えた。




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ひとつ前の画像の、カーブ地点を過ぎて振り返った。
けっこう路肩から下の高さがある事に今更ながら気づいた。




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あ、探していたものがあったようだ。




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それは、落石注意の標識だった。
08年3月時点では辛うじて支柱にくっついていたのだが、その後の落石によるものか、あるいは自重に耐えられなくなったのかは不明だが、落下していた。

(その3へつづく)

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その3)

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【15年1月17日探索・4月28日公開】

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現在地はたぶんここ
★昨日の記事で同じ地図をアップしてしまいましたが、精査したところこの画像が地図の場所で、昨日の場所はもう50mくらい千木良寄り(西側)だったようです★

やたら広い一角があった。
ここに何かが設置してあったようだ。

おそらくここには、大雨等災害時のゲートのバーがあったものと思う。
ここまでにそのようなゲートはなかったので、ここから先が最も貧弱な区間と言うことになろうか。




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落石注意の標識があった。
それ自体はよくあるものだが、補助標識がさらっと「路肩注意」と言っている。
まさに、逃げ場のない険道だったのだ。




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物理的にも、ほぼ逃げ場がない。
車1台がようやく通過できるくらいの幅員か。




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落石注意だが、徐行しろとも言う。
まあ、これだけ見通しの悪い険道は元々スピードなど出せないが・・・




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見覚えのある水場にやってきた。




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訪問時は冬場だったのでありがたみが乏しかったが、夏場だったら頭から水をかぶりたくなる場所だ。

さて、左の階段なのだが2009年7月時点ではとても登れないような状態だったが、それから5年半の間に修復されていたのだった。
送電線の鉄塔管理用か?




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冬の木漏れ日の中を歩いて行く。
そう、歩いている。この廃道区間に入ってからの乗車距離は100mもない。




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ほとんどがこんな状態だから、無理して乗車などして、バランスでも崩したら大変な事にもなりかねない。




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現在地はここ

また突端部分だ。




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そして今回初めて気づいたのは、ここの至近距離に現役の鉄塔が建っているという事だった。
当然維持管理は必要な訳である。
つまり、廃道に見える県道515号線は、まだちゃんと利用価値のある道だったという事だ。




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また、見覚えのあるポイントだ。




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「三井用水取入口跡 横浜市水道局」の看板は通るたびに気になっていた。

今回、この階段を降りて、三井用水取入口跡まで向かったが、そのレポはまた後日アップする。




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なので、レポ上はすんなり先に進む。
元々、舗装路だったのだが、ただのハイキングコースにしか見えないな・・・

(その4へつづく)

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その4)

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【15年1月17日探索・4月29日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54867938/img_0_m?1430240685

現在地はこの辺

山側に上がる梯子が設置されていた。
以前はこんなの、あったかなあ??

誘いに乗って見ようかとも思ったが、成果は期待薄なのでやめておいた。




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先ほどの送電線の所からだったのだろうか、現役らしい電信柱が建っていた。




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書かれていた数字から推測すると、1982年(昭和57年)設置だろうか?
設置された当時は道路も現役だったのだろうか?




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林道チックなワイルドな擁壁になってきた。




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自然のままの擁壁だという事は、この区間は崩落の可能性が低いと判断されていたのだろう。
しかし、無管理状態になって、それではダメだという結果になった。




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擁壁側のネットの中はともかく、路面は平穏なこの区間で見つけたものがあった。




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それは神奈川県の境界柱だった。




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道、狭いな。
いや、元々もう少し幅員はあったようだ。
落石防護ネット、守る人もほとんど通らないこの状況でも健気に業務を遂行していた。




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この廃道区間では比較的規模の大きな崩落区間に到達した。




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ここはホントにガードレールの偉大さがわかる区間になった。
崩落の土砂を全面的に受け入れ、なおも通行者の安全に一役買っている。

(その5へ続く)

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その5)

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【15年1月17日探索・4月30日公開】

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現在地はこの辺

サイコンを見ながら、乗車率5%、押し93%、担ぎ2%の廃道区間をゆく。もうすぐ廃道が終わる事はサイコンが教えてくれていた。

思えば、2007年11月に初めて廃道探索の場所として選んだのがこの県道515号なのだ。
それ以降今回で4回目の訪問だ。なぜここには何度も通いたくなるのだろうか?
・・・それはたぶん、昭和50年代前半には何度か走行できるチャンスがありながら(当時横浜の実家からこのエリアまで何度かサイクリングで来ていた)現役時代には訪問できなかった道路への鎮魂に似た心境からなんだろうと思う。




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小さな沢をコンクリートカルバートの橋で通過すると・・・




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廃道脱出へのバリケードがあった。
こちら側は脇が甘くすんなりと通れる。




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たぶん永遠に開かないバーも通過する。

この左の急坂だが・・・




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一応実測してみたところ23度、勾配に換算すると42.4%とい数字がはじき出された。
ちなみに道幅がこんななので、車道ではないと思う。




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もう10m三井寄りに進み、また振り返って撮影した。




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現在地はここ

県道は右からやって来る市道と合流し左手に進む。




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名手集落内も充分狭い。
が、県道515号線の中ではマシなほうか。




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今まで何度か通ってきたが、反対側からの通行だったためか完全に見落としていたが、このお宅の右の方(車の右)にツリーハウスがあった。
ハウスに行くには下から梯子で登るようだが・・・




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ツリーハウスがあっただけで充分驚いたのに、母屋からのアクセスはなんと吊り橋だった。
これはイイ、憧れるなあ・・・




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タイトルの廃道は終わりだが、この県道にはまだ1.7m幅員制限のハイライト区間がある。




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生活道路になっているので、狭いのにけっこう車が通る。
名物の車幅ポールも見えてきた。

(その6・最終回につづく)

  

神奈川県相模原市 あの廃道県道515号・再再訪(その6・最終回)

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【15年1月17日探索・5月1日公開】

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現在地はここ

険道515号線名物の車幅制限ポールだ。
このポール間の幅は170cmよりはもう少し広いようだが、実際この先1km強は本当に狭いので、大きな車がムリヤリ入ってきたりしたら本当に身動きが取れなくなる恐れがある。




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こういうポールには必ずある、恨みの跡・・・




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基本、こんな幅員だ。有効幅員は2.5mといったところか。
当然自動車同士の離合はできない。




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この日は休日の昼下がりだったので交通量はさほど多くなかったが、それでも2、3分に1台程度の車が通る。
となれば、こういった離合スペースは必須になる。
50~130mおきくらいに何箇所かの離合スペースが設置されている。




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落石注意の看板があった先なのだが・・・
路肩にも注意しないと危なそうだった。




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そんなハイライト区間だったが、反対側の車幅制限ポールが見えてきた。




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現在地はここ

こちら側も同様の仕様だ。
この場所ならではの標語がなんとも・・・
しかし、この1.1kmの激狭区間に「広い所」はほとんどないぞ!




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もう少し三井寄りに移動し、また振り返って撮影した。
この道路情報装置が、唯一、県道である事をアピールしているようだった。




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三井の集落に入っても、道はさほど広くはならない。

この左側、未成の分譲地であるようだった。




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基本、ほぼ全線にわたって、離合は困難な道だ。
なので、やはり離合スペースは欠かせない。




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この集落を抜けると・・・




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現在地はここ
<9時の方向を見て撮影>

ここが県道515号三井相模湖線の起点になる。
先ほどもあった標語だが、ここにあるならまだ納得。

(おわり)

 

千葉県松戸市 ここにもあった!フィーレンディール跨線橋

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【15年4月5日探索・5月2日公開】

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現在地はこの辺
<進行方向は7時>

千葉県松戸市新作 松雄競輪場に近い新坂川沿いの桜を見ながら歩いている。
今回の目的の物件はこの先を左折する。




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現在地はここ

ここから見える跨線橋がそうなのだが・・・




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北松戸駅側に回り、ほぼ全景を撮影した。
そう、この跨線橋はレア形式、フィーレンディールが採用されている。
フィーレンディール橋として有名なのは豊海橋(この記事中に出てきます)浜松町駅跨線橋だが、私は以前たまたま走行中に見つけた水管橋も紹介している。




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さっそく渡ってみよう。




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けっこうボルトで鋼材同士が繋がっていた。
銘版等がなく、この跨線橋の名称も竣功についても情報がない。




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左側の配線は何だか鉄道模型っぽくってイイな。




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渡橋中に、ちょうど特急列車が通過していった。




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街灯は松戸市が管理しているようで、建造も松戸市か?




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このまま降りて50mも進めば国道6号線に当たる。




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最後にまた、全景画像だ。

ところで竣功についてだが、過去の航空写真を見ると昭和41年には橋があるように見えず、昭和45年の写真にはそれらしいものが写っていた。
それから推測すれば昭和43年前後になる。
常磐線が複々線になったのが昭和46年だというから、その前段階の工事と言うことか??

  

埼玉県小川町 東武根古屋線カルバート跡

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【15年4月26日探索・5月3日公開】

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現在地はここ
<9時~10時の方角を見て撮影>

埼玉県比企郡小川町増尾 小川町立西中学校入口の交差点だ。
左右に延びる道は、東武根古屋線(貨物線)跡だ。ちなみに、私の過去の記事としては終着駅付近しかない。




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同じ場所でもう少しだけ視線を左にずらす。
そこで発見したものは、左隅の穴だ。

!!もしや、この形状は・・・




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一瞬見ただけでほぼ確信していた。
この半卵型のカルバートは見覚えがあった。
同じ小川町内では東上本線にも同様のものがあった。

ちなみに、東上本線(該当区間)は大正12年開業、この貨物線は大正15年開業だったので、同じ形式のカルバートがあっても至って自然だろう。
根古屋線の、思いもよらない忘れ形見発見!




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近づいてみた。
坑口両側の雰囲気もなかなかイイ。
が・・・先が暗いな。




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人工的な閉塞であるようだった。

探索時には、かつての道路がここを通過していていたのだろうと思っていたが、机上調査では少なくとも昭和15年の航空写真を見る限り道路はカルバートではなく踏切(橋にも見えるが)での横断であるように見える。

それ以前には利用されていた可能性はあるが、ここは水路と歩道であったと考えるのが順当だろう。




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コンクリの風合いが壁面と正面では違うように思えた。

この事から、竣功当初は反対側に抜けられたものと思われた。

この地に西中学校が移転してきたのは昭和39年、根古屋線廃止は昭和42年で、廃止後に現在のグラウンドが出来たのだろう。そしてその少し前の時期に反対側坑口付近が埋められたものだろうと思う。

  

栃木県那須塩原市~大田原市 東野鉄道廃線跡(その1)

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【15年3月14日探索・5月4日公開】

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栃木県那須塩原市 JR東北本線西那須野駅の構内だ。
今日はこれから、この駅を起点にしてかつて走っていた東野鉄道の廃線跡を巡ってみようと思う。
東野鉄道はかつて黒羽町(現・大田原市)の黒羽駅(起点から13.1km)経由で小川町(現・那珂川町)の那須小川駅(起点から24.4km)までを結んでいた路線であったが、黒羽 - 那須小川間は戦前の1939年に、西那須野 - 黒羽間が1968年に廃止されている。

その東野鉄道は古い航空写真で見る限り、現在の構内よりももう少し右の方から出ていたように見えた。




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駅から北に200mくらい走った。
この車道も「ぽっぽ通り」なんだ・・・
ぽっぽ通りはこの先、大田原駅があった場所の手前まで整備されている。

ちなみに今回私が行ってみようと思うのは、大田原駅の先にあった隧道までだ。




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現在地はここ

この先、地図を見ると廃線跡が大変わかりやすく、ぽっぽ通りの遊歩道になっていた。




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道路をカルバートでくぐるが、当然廃止後のものだ。




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遊歩道はいくつかのゾーンがある。
まずは友情の広場、らしい。




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かつては踏切であった場所だろう。
黄色と黒で塗ってくれれば少しは雰囲気が出そうだが・・・




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起点からの距離標柱が100mおきに設置されている。




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その先、境界柱があったが・・・




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東野鉄道のものかと期待したが、どうも合併前の自治体「西那須野町」ものであるようだ。




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また踏切跡を通る。




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それにしても元々単線だったのに遊歩道としては広いな・・・
まあ路盤を平たく均せばこんな感じになるのか?




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また踏切跡だ。
既に起点から1.5km地点は過ぎている。

という事は、最初の駅がそろそろあるはずだ。

(その2へつづく)

  

栃木県那須塩原市~大田原市 東野鉄道廃線跡(その2)

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【15年3月14日探索・5月5日公開】

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現在地はここ

乃木緑地と書いてある駅名表に似た看板があった。
そしてその先に何かある。




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駅のプラットホームを模したもの(実際使用していたものが流用されているのかな?)と、線路の一部が残されていた。
乃木神社前駅は終着駅ではないのでこのようなホームの形状はないはずだが、ここが鉄道であった事を伝える役目は充分に果たしているようだ。




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駅名表もどうもオリジナルではなさそうだが、雰囲気的には違和感はない。
ただ、文字が一部消えているのが気になるな・・・




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その先で小さな川を跨ぐ。
まさかとは思うが・・・




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期待した私がバカだったか。
鉄橋の流用なんて、そうそうないよねえ。




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さあ、どんどん先に進もう。




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このあたりでは遊歩道が広すぎて、どこが線路だったのかがわからない。




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ぽっぽ通りは「せせらぎの広場」になっている。
今でも夏場には水が流れるのかな?




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それなりに画像は撮影したが、この区間には特に遺構なども無いのでさっと流す。

「ふれあいの広場」に入った。
そして距離標は3500mを過ぎた。




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現在地はたぶんここ

左側にプラットホームらしきものがある。
どうやらここが大高前(大田原高校最寄り駅)だったようなのだが、何か違和感が・・・




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なんで、ホーム上に線路があるんだろう??




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ホームのスロープ反対側にも同様の線路が埋め込まれていた。
どこまでがオリジナルなのかはともかく、雰囲気は悪くないのに、線路の場所だけが違和感満載になってしまった。

(その3へつづく)

  
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