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静岡県富士宮市 富士軌道・第2次探索(その2)

【14年12月28日探索・15年3月29日公開】


現在地はここ

地図上では十字交差点となっている場所に出た。
ここから右に行く道は広見東林道という名の林道だが、0.7km先で行き止まりになっているようだ。

直進は富士山(上井出)林道で、結論から言うと帰路はそこから戻ってくる事になったのだが、ひとまずは古い地図を信じて左の道へと入る。





左の道って、これでいいのか??





しかもそこからすぐに、道として描かれているものとはお別れとなる。
このあたりから先の区間には古い地図以外、一切の情報がない。
軌道跡っぽい形状のものを見つけてそれを辿っていくしかなかった。





掘割のすぐ隣がこんな築堤に見える地形だった。
どちらかが軌道跡であろうかとは思うが、断定できる根拠は現れなかった。





それでも、左の方に緩やかに曲がっているカーブは鉄道っぽかった。





ヘリオス号は少し手前に待機させたが、だんだん進むのに大変になってきた。





昭和21年発行・5万分の1地形図「富士山」の抜粋部分では、黄色矢印あたりにさしかかろうとしている(はず)。


で、現代の地図だとこの辺になるはずだが、周囲に目印となるものがなく、現在地の表示は大変わかりにくいものになってしまった。

開削したのではなかろうかという、切り通しに見える場所があった。





その先、画像では何だかわからない状態になりつつあった。
現在位置はGPSで確認しながら進んでいるのだが、少々心もとない。





明らかに広い平場があった。

ここが軌道跡であったなら、この場所は積み込み場(駅)的なものがあった可能性がある。





この先で、軌道は谷を越える事になっている。
古い地形図が正しいとすれば、橋が架かっていたであろう事が予想されたが、実際の現地調査で何かわかる事があるのだろうか??


(その3へつづく)

  
  

静岡県富士宮市 富士軌道・第2次探索(その3・最終回)

【14年12月28日探索・15年3月30日公開】


本当はもう1回連載し、「その4」を最終回とする予定だったのだが、記事のまとめをしているうちに致命的ミスがあった可能性が高い事が判明した。なので、本来予定したものよりも大幅にアップ画像を減らして、今回で完結とするように変更させて頂く。

谷の手前に、こんな筋があった。
踏み跡では無いように見えたが、何だろう?
何かをひきずった跡?それともやっぱり踏み跡なのかな?





小さな谷の位置なのだが、端の残骸らしきものは見当たらなかった。
そして私はこの谷の辺りから道を見失い、結果としてはそれが探索の成否に直接繋がった。





さまよっている時に見つけた平場の帯、わかりやすく言えば道だ。

思えば、このあたりで、本来のルートをロストしていたのかもしれなかった。





そしてそれを突き進んだ。





この辺でしばらくさまよっていた。
スマホのGPSは持ち歩いているものの、受信と精度に難があるようで、あまり役に立たなかった。





そんな時に見つけたのが、この勾配である。
これはもう騙された!


ここで、場所の整理をしてみよう。(地図は昭和21年発行、5万分の1地形図「富士山」の一部抜粋)
私が現在いると思いこんでいたのは、青い矢印付近だったが、実際は黄色の丸付近だったようだ。





2つ前の画像で見えた緩い勾配の上に立った。
そしてそれを突き進んでしまった。





すぐに間違いだとは、この時点では気づきもしなかった。
何しろ、ここが廃線跡だったと思わせるような雰囲気が何となくあるのだ。
いや・・・単なる思い込みだっただけなのだろうが・・・





なので、さらに突き進んでしまった。





廃線跡っぽさも、何だかわからなくなり、と同時に、時間もなくなってきた。
レスキューシートはあるものの、12月末にこんな山の中で野宿とか考えるのも怖いので、撤収を決めた。
脱出・・・も、あまりままならなかったが。





現在地はこの辺

それでもどうにか富士山(上井出)林道上部に脱出する事ができた。助かった~

探索の成果の方だが、途中まではともかく、結果は惨敗と言える。

再訪も、また考えて見なければなるまい。

(おわり・第3次探索はいずれ)


  

山梨県市川三郷町 身延線沿線に残っていたハエタタキ(前編)

【15年3月7日探索・3月31日公開】


JR身延線、甲府から富士行に乗り、甲斐上野駅を過ぎたあたりに、現在ではかなりレアになっているモノが残っていた。





拡大すると、ハエタタキ(架空裸線路支持柱:昔の駅間通信用ケーブルの支柱)で間違いなかった。
これは、次の駅からいったん戻ろう。

幸い、次の芦川駅は割りと近い。





で、芦川駅に降り立った。
1面1線で、待合室のみがある無人駅だ。
降りた瞬間に、私は再び驚いた。

駅前にももう1本、ほぼ完全体のハエタタキが建っているのだった!!

久々のハエタタキ記事だ。





この画像は反対側から撮影した。
これは、なかなかの光景だと思った。





見た感じ、まだしっかりと建っており、立っている角度もほぼ垂直のようだ。





1枚アップにした。

4段8列のものだ。
それにしても、なぜここだけ畑の真ん中に残してあるのだろうか?
畑の持ち主は鉄道遺産への協力者なのか?





現在地はここ

芦川駅から10分ちょっとで一つ甲府寄りの無人駅「甲斐上野(かいうえの)駅」までやって来た。
この駅、実は全国唯一のいうレアな部分を持っている。

それは、母音が「あいうえお」となるという事だった。
まあ、確かに珍しい。




上野踏切を渡って、さっき車窓から見たハエタタキに会いにいくぞ!

(後編につづく)

  

山梨県市川三郷町 身延線沿線に残っていたハエタタキ(後編)

【15年3月7日探索・4月1日公開】


現在地はここ
<このあと進行方向は3時>

肉屋さんの前の角を左折する。





しばらく進みと線路際に出る。
信号機のそのはるか先に、あった。





少しだけズーム。

これで、この界隈のハエタタキは、少なくとも3本が残存している事になった。





さらにズーム。
碍子もほぼ全数に近いだけ残っていた。

いつお役御免となったのかは不明ながら、大方、昭和40年代であろうかと思うので、もう40年以上は利用されていないもの、という事になる。
その割には綺麗だな。





振り返る。

さて、車窓から見つけた方のヤツはどこだ??





現在地はここ
<8時の方向を見て撮影>

少し傾いているハエタタキ、発見!





こちらは少しくたびれた感が漂う。
もっと近づきたかったが、個人宅の敷地っぽい所を通るようだったので、自重した。

3本ある事が確定したので、ま、一応満足した。

(おわり)
  
 

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の第2次道探索(前編)

【15年1月17日探索・4月2日公開】


現在地はここ
<進行方向は3時>

神奈川県相模原市緑区牧野 実質的にはこの記事のリベンジ編といえる。

具体的には、昭和11年頃から昭和31年までのルートであったこの地図に描かれている、第2次坂沢橋の痕跡を辿ってみようと思う。

県道76号から右に入る。





前日に降った雪の残りだろう。路面は大変歩きにくい。

それ以前に、ここ、やはり私道に見えるのが気になる。
しかしながら、この10mくらい先に石仏が建っていた所を見ると、市管理であるのかもしれなかった。





道の正面は生ゴミ焼却の場であるようだ。
でも、私が行きたいのはその奥・・・





ムリヤリ、その奥へ強行突破した。

ここが旧道であるようで、うっすらと道は残っているようだ。





その先は基本、竹薮だ。
画像ではわかりにくいが、この左の方、法面にあたる場所だろうか、古めかしい石垣が残っていた。






竹薮の中だが、地図が示す、古い道の跡と考えてよさそうだ。





笹藪は真冬でも、こんな感じになっていた。
ヘリオス号は県道上に待機させてあったので、こんな場所でもなんとか進める。





先のほう、何かの構造物が見えてきた。
旧道は、いったん終わるのかも。

(中編につづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の第2次道探索(中編)

【15年1月17日探索・4月3日公開】


現在地はここ

出てきたのは、藤野芸術の家の駐車場の隅だった。
この先、しばらくの間は旧道の痕跡はない。





一応、方角だけ見てみよう。
・・・旧道、はっきり言ってどこにも痕跡はない。





家族連れなどが訪れている藤野芸術の家の、その脇をヘルメットを被った怪しげな中年が通り過ぎていく。
建物の反対側まで進む。





現在地は黄色矢印あたりになった。
進む道は正面側になる。





そして普通の地図での現在地はここ

1つ前の地図に手書きで書き加えた、右に行くように描かれている第1次道への分岐はわからなかった。

ところで、進入を咎める注意かと思ったら、倒木に注意だった。





少し先にあったのがこれだった。
つか、これだけ見たら、絶対廃道だとしか思われない。





簡易バリケードからは50mくらい進んだだろうか。
道は、ここから先は未舗装になる。





でも、まあこの方が当時の雰囲気がしのばれて、いい様な気もする。





地図ではけっこう直線的に描かれていたが、実際はけっこうグネグネのヘアピンカーブである。





この先、笹薮の先に、かつて橋が架かっていた。
さほど丈夫なものではなかったはずで、現在、橋はないのだが、何か痕跡があればこの探索、私の勝ちという事にしよう。
 
(後編につづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の第2次道探索(後編)

【15年1月17日探索・4月4日公開】


現在地はこの辺

橋が架かっていたであろう、その対岸を見てみたが、それらしいものは見つからなかった。





進む「道」沿いに何か標柱があった。





砂界??裏側は神奈川県のマークが入っていた。

これは、砂防指定地の境界を示すものであるようだ。





さて、橋の痕跡だが・・・





この付近を探す。が、見つからない。
この地形から言うと、おそらくは木製の吊り橋だったのだろう。
そんな小さな人道橋の残骸が、60年も経過した場所にあるかと思う方が無理な話だったのかか。
これは敗色濃厚だな。





こんな藪こぎも数メートルしてはみたが、その先は進行不能だった。





最後の手段、川側から探せないものかと思い河川敷へ降り立ったが・・・





思いっきり水に濡れ以外、この先には進めない。
暑い時期なら水に濡れても大丈夫だが、探索時は1月だったので、ここで探索は断念した。
最近、勝がない気がするが、私はここでも敗北を喫してしまった。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 粘土鉱山探索(前編)

【15年1月25日探索・4月5日公開】


現在地はここ
<進行方向は9~10時>

埼玉県秩父市久那 県道72号線の現在地から1kmほど東に行ったあたりに気になった場所があった。

ここは、何なのだろうか?
1980年代の航空写真ではただの山林だった場所のようだが、2007年のそれには何やら作りかけの施設?のようなものが写っているのがわかった。
バブル期に作り未完成のもの、とか、北側にある秩父ミューズパークの拡大計画なのか、この2つとも違う何かなのか?

これは行ってみるしか確認ができそうになかった、
というワケで、ここを右折する。





のどかな集落という感じだ。
道は明らかに県道よりもショボい感じになって、勾配がキツくなっていた。





あ、前方に何かいるぞ!!





私のブログによく登場する猫ではなく、今回はタヌキだった。





コンクリ舗装の道をさらに進んでいく。





道端に境界柱が建っていた。





秩父市のマークに似ているが、そうなのかな?





集落を過ぎたら、道は極端に、さらにショボくなった。





現在地はここ

カーブ地点に、何か地図にはない道があって、その入口に看板が建っている。





看板には「関係者以外立入禁止 三菱マテリアル横瀬工場」と書いてあった。

これは目的地の素性を知るにあたって重要な情報だと思う。

さらに先に進む。

(中編につづく)
  

埼玉県秩父市 粘土鉱山探索(中編)

【15年1月25日探索・4月6日公開】


半分廃道のような道路を登っていく。
この先にちょうど作業中の地元の人の軽トラが停まっていた。





現在地はここ

それは関係者以外立入禁止の看板の手前だった。

私は関係者ではないので、この先への進行は諦めかけた。

それでも諦めきれずにこの先の道について聞いてみたところ、軽トラの地元の方は「道はぬかるんでいる場所があるものの抜けられる」と言ってくれた。
また、何よりも大きな情報も得られた。
それはこの先の「気になる場所」は露天掘りの粘土鉱山であるという話だった。

それでももちろん関係者ではないのだが、そのあたりは通路を通っている分には大目に見てくれる?





そんな訳で「通路」となっているはずの道をを進む。





三叉路があった。
右の道は・・・





こんな状態だが、帰路はここを通る事になるのだった。





三叉路はまっすぐ進む。

道の脇には関係者以外立入禁止の看板が建っていた。
これには従わなきゃな。





建物も何も見当たらないような道を進んでいく。





左を見ると、何やら広場のようなスペースが広がっていた。





現在地はこの辺
(時間のある方は写真モードにもしてみて下さい)

このあたりが「気になる場所(粘土鉱山)」の中心付近になる。





ここで左を見る。
立入禁止のため入れないし、もどかしいな・・・

(後編につづく)

  

埼玉県秩父市 粘土鉱山探索(後編)

【15年1月25日探索・4月7日公開】


道端に少し高い場所があった。この山だ。
幸い、立入禁止と書かれていないエリアがあったので、そこから上ろう。





現在地はここ

現在地より4時の方角を見ての撮影だ。
高くなったこの場所からでも、航空写真で見るような不思議な模様は見られなかった。





1時の方角を見る。
ここはどんな状態なのだろうか?

粘土採掘は進んでいるものなのか、埋め戻している場所なのかも不明だった。





現在地はここ

先ほどの三叉路まで戻りこの道を通り進んだ場所にまた分岐があった。

左に行くとダンプカーが通ったであろう道に繋がるようだが、ちゃんと「関係者以外立入禁止」となっていた。





先ほどからずっと思っていたのだが、どうも「現役臭」を感じない。
既に廃物件なのか??





遠くに建物が見えてきた。
これは探索とは関係ないが、県の防災基地であるようだ。





現在地はここ

その秩父防災基地付近なのだが、どういうわけか前を向いての撮影ではなく、振り返っての撮影になった。





現在地はここ

タイトルには無いが、こちら側は小鹿野町になる。

左の道、上のほうから来たかったな。

ところで、一般道路ではないにしても、バリケードはあまりに貧弱だ。抑止力はあるのか?





作業用道路入口に設置されていた看板だ。

これによれば、平成27年2月時点で、この施設自体は現役という事になる。


(おわり)

  

千葉県鴨川市 金山ダム周辺の道(前編)

【15年1月3日探索・4月8日公開】


現在地はここ
<進行方向は2時>

千葉県鴨川市打墨 鴨川有料道路旧道の金山ダムバス停のところを右折する。





金山ダム周辺の道が気になっていたのでこの探索の後、こちらへ向かった。





ダム湖に向かう途中、2箇所のトンネルがある事は地図でわかっていた。

1つ目は金山隧道、竣功時期は不明ながら、ダムが着工された昭和29年前後のものであろうと思う。





内部は千葉では特に珍しくない素掘コンクリ吹付けであった。





出口側は後年になってから建設されたであろう落石覆いが坑口の先に延びていた。





しばらく走ると2つ目のトンネルがあった。
船石隧道、こちらも竣功情報はなかった。





内部は波板の巻立て施工がされていた。
後年になってからの施工なのかどうかは不明だが、先ほどの隧道よりもこちらの方が地盤が弱いという事だろうか?





現在地はここ

隧道の先には吊り橋が架かっていた。
金山ダム船代橋、昭和34年4月竣功の橋だ。6tの重量制限付きである。





吊り橋はトラス補鋼であるようだ。
つか、路面、木なんですけど・・・





橋を渡って左折した。
実は突き当たり左の道に行った後に、右へ行く道にも行ってみたのだが、そちら側は特筆モノが無いので割愛する。





左折して最初の構造物は、現役かどうかが大変怪しいトイレだった。

(後編につづく)

  

千葉県鴨川市 金山ダム周辺の道(後編)

【15年1月3日探索・4月9日公開】


現在地はここ

大きな石碑が建っていた。
「玉滝大僧正頌徳碑」と刻まれていたが、「玉滝という偉い僧侶の功績を称えた」碑だという、そのままの意味しかわからなかった。この書体は当時の千葉県知事、柴田等氏のものであるらしい。
なお、柴田氏の在任期間は昭和25年12月~昭和37年11月までとなっており、ダム着工が昭和29年である事も踏まえると、湖底となる場所から移転してきたものではなさそうだ。





途中、なぜ?という場所にわざわざ駐車禁止のパイロンが設置されていた。





路面は一時的に舗装となり、その先には隧道があった。





コンクリの坑口を持っているが、ここでは隧道名が右書きで「斧落隧道」と書かれていた。
中はどうなっているのかな・・・





うわっ!!

素掘り自体は房総なので驚かないが、鬼気迫る雰囲気と、側面の崩落が特徴的だった。





けっこうヤバイ感じかも・・・





内部は広いが坑口付近だけが狭い。
まあ、交通量からすれば、事足りてるようだが。





隧道の先は、普通の未舗装路になっていた。





現在地はここ

2つ目の隧道が見えてきた。
地図ではその先にも隧道記号が描かれているが、素掘りである可能性が高い。
時間がなかったので、とりあえず今見えている隧道で引き返そう。





素掘隧道は、その名前がわからなかった。





反対側からも撮影した。

ここで引き返したが、その先の隧道も見ておいた方がよかったかな・・・

(おわり)

  

山梨県上野原市 黒田沢サイフォン水路橋

【15年2月1日探索・4月10日公開】


現在地はここ

山梨県上野原市上野原 棡原橋、平成6年に竣功している上路トラス橋だ。
この橋から黒田沢の上流側を見ると・・・





古めかしい橋が見える。
アップすると・・・





手前側の水管橋の向こう側に架かっているのが上野原用水の旧橋になる。
これを見にきたのだが、あちこち雪が残っている。進入可能な場所があるだろうか?





黒田沢に沿って進んでみる。
と、階段があった。





これが用水管理用の現在橋へのアクセス階段なのだろうが、雪がかなり積もっている。
そもそも、行っていいのか?





すぐ近くに案内板があった。水不足に悩む上野原の人たちのために、大正8年(1919)に完成したのが上野原用水である。というのが簡単な説明だ。





もう少しだけ上流側に移動する。こんな桟橋のような区間を過ぎたあたりにあったのが・・・





現在地はここ

降りられる階段があった。
水路橋まで若干距離はあるが、ここから行けないものか?





雪、凄すぎ!
階段の向こうの斜面角度等も考えると、無理して行かない方がよさそうだ。





とりあえず水路橋と棡原橋のコラボ画像でも撮影しておこう。





これがターゲットの旧・黒田沢サイフォン水路橋になる。
雪のない時期にまた来よう。

  

神奈川県横浜市 駅の真下の1.8m高さ制限カルバート

【15年3月1日探索・4月11日公開】


現在地はここ
<3時方向を向いて撮影>

神奈川県横浜市金沢区瀬戸 シーサイドラインの金沢八景駅から京急の金沢八景駅に移動中だ。
平成元年(1989)に金沢八景仮駅で開業したシーサイドラインだが、それから四半世紀以上が経過してもなおも仮駅だ。
だが、ようやく金沢八景駅東地区土地区画整理事業がようやく動き出すようで、見るからに不自然な仮駅から本駅への延伸工事が2016年度中の完成を目指して始まるそうだ。





そんな事で駅前なのに何かゴーストタウン的要素がある。
もう数年すればまるで面影がなくなるのだろう。





現在地はここ

京急金沢八景駅だ。快特も停車する。
ここで注目は右の方の穴だ。そう、パイロンの置いてあるところ!





近づいてみると、1.8mの高さ制限標識があった。
見た感じ歩道のようだが、高さ制限標識がある事と、車両の進入に関しての制限は高さ以外は無い事から、車道なのではないかと予想し入洞する。





しかし、やっぱり雰囲気は歩道用だよなあ・・・





振り返った。
ここを自動車が走ったらちょっとシュールな光景かも。





駅のホーム下カルバートを抜けると道は直角に曲がる。





左の家のものであろうか、自動車が停まっていた。
やはりあのカルバートを通るのか?
いや、こちら側に抜けられる道があるのかもしれない。





と思い、100mくらい進んだところ、道幅がこんな(約1.5m)になった。
これは普通自動車では絶対無理!!

という事は、地元車限定ながら、駅下カルバートは車道だったという結論になった。

  

山梨県上野原市 向風発電所の建物?

【15年2月1日探索・4月12日公開】


現在地はここ
<1時の方向を見て撮影>

山梨県上野原市上野原 ここは県道33号上野原あきる野線が鶴川を渡る、鏡渡橋だ。
ここから2年前にはぼんやりだが何かの建物が見えたはずなのだが、この日はそれらしい建物が見えない。

昨年の大雪か何かでつぶれてしまった可能性もあるが、そこに何があるのか、前から1度確かめようと思っていた。





なので、橋の脇からシングルトラック道に入っていく。





この、小さな川を渡る場所には木の橋が架かっていたのだが、どうなっているだろうか?





相当の大雨があったのだろうか、かなりの木などが流れてきており、それが大量に引っ掛かっていた。





その先、この石垣の辺りから左に逸れていく。
ちなみに、右のシングルトラックはかつて府縣道であったはずの道だ。





道とは呼べない、獣道のようなところを通り進んでいくと・・・





建物の屋根が見えた。
・・・が、ちょっと様子がおかしい。





これが向風発電所の建物であったかどうか、古い航空写真も見てみたが決め手はない。
それ以前に、崩れてしまっているので他の部分から推測してみようか。





その向こう側にはまだ辛うじて残っている建物があった。





その内部だ。
発電所の管理者が駐在した建物なのだろうか?





いずれにせよ、この建物もそう長くは残っていなそうだ。

せっかくだから向風発電所の事、調べていた事を載せておこう(上野原町誌より)。

大正14年8月着工、大正15年5月完成、完成時は都留電灯(株)だったが、その後昭和16年に東京電灯になり、戦後の昭和26年に東京電力のものになっていた。
水力発電所であり、水車は横軸単輪単流 フランシス402kw1台、発電機は500KVA1台であったそうだ。
ちなみに、廃止は昭和46年(1971)、40年以上が経った事になるが、この建物も雰囲気的にはそんな経時であった。

  

  

東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その1)

【14年12月7日探索・15年4月13日公開】


まずはこの航空写真の画像を見て頂こう。
これは国土地理院の空中写真閲覧サービスの画面の一部を撮影したものだ。
場所は、東京都西多摩郡檜原村数馬  奥多摩有料道路(現・東京都道206号)の建設途上の写真だ。
この画像は昭和44年10月撮影、奥多摩有料道路の開通は昭和48年4月であり、画像は明らかに工事中とう感じだ。そして、現在の都道206号とはいくつか道が違っているように見える。
その違っている線形の道こそパイロット道路(工事用道路)である可能性が高いと見て、現地へ向かった。





現在地はここ

道なりに行くとこの先左折し、都道206号川野上川乗線(元・奥多摩有料道路、現在は奥多摩周遊道路ともいう)になる。
が、道なりではない、直進方向の道がある。





直進方向は道幅は1,5車線になった。
そして川を渡る。橋の名前は新大平橋という。





左を見る。
先ほど、道なりに行くとこの橋を渡る。大平橋かと思ったら九頭竜橋という名だ。
旧・大平橋はどこへ消えたんだろう?





コンクリ舗装の道がその先に続く。





そして、ここは地理院地図どおり、都道206号に指定されている。
奥多摩周遊道路の旧道のように見えるが、どうも半分は違うようだ。

昔から旧・小河内村方面に行くためにはここを通っていたようだが、少なくともこの幅員になり、車道規格になったのは奥多摩有料道路の工事用道路として活用される事になってからのようだ。





丸型滑り止めの道を登っていく。





しばらくすると滑り止めのない区間になった。
カーブミラーを確認する。





東京都だ。
都道の証は先ほども見つけていたが、2つあるとやっぱりテンションが上がる。





集落の上の端に近づいてきた。
右の建物からは生活臭が感じ取れなかった。





現在地はこの辺

その先だ。
ここにも、何だろうという感じのものが・・・





未成の何かか?
何になるはずのものだったのだろうか?

(その2へつづく)

  

ごあいさつ


おかげさまで、2008年4月12日から続いている連続アップが7年を突破し、8年目に入りました。

いろいろと失敗もしているので、あまり偉そうな事も言えませんが、出来る限りの事は続けていきます。

これからもどうぞよろしくお願い致します!!

東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その2)

【14年12月7日探索・15年4月14日公開】


丸型滑り止めのコンクリ舗装都道は、終わりを迎える。





現在地はここ
<進行方向はいったん8時>

奥多摩周遊道路である。この道も今まで通ってきたのと同じ都道206号線だ。
突き当たって右の方に行けば、都民の森などを通り奥多摩湖へと行ける。

この辺、少し広くなっているが、有料道路時代には料金所があった場所である。





そして、左を向く。
私が行くのは周遊道路ではなく、すぐに右に逸れていく道だ。





この道、現在は都民の森、三頭山などのハイキングコースとなっているようだ。





未舗装ながら、1.5車線以上の幅員を持っている。
状況から見れば、これがパイロット道(工事用道路)と見ていいはずなんだが・・・





右カーブで進行方向が150度くらい変わった。
道幅は狭くなったような気がするが、それでもダンプ1台くらいなら通行できそうだった。





右の方を見ると、奥多摩周遊道路が折りたたまれていた。





現在地はここ

今度は左に曲がるのだが、その手前で見つけたものは・・・





それは東京都の境界柱だった。
ただ、道路を示すものかどうかが確定しなかった。
また、ここから先では同様のものは見つからなかった。

でも実際、地理院地図ではこの道は都道色に塗られている。





この場所からは「夢の滝」が上から見えるのだった。





ちなみに、周遊道路の夢の滝橋から見ると、こんな感じだ。





道は左に曲がった。
だんだん、道幅が狭くなっているようだ。
今は車は通らないのだろうか??

(その3へつづく)

  

東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その3)

【14年12月7日探索・15年4月15日公開】


現在地はこの辺

先ほどまでの車道規格の道は、進むにつれ怪しげな感じになっていた。
まあ、ハイキングコースとしては特筆するほどの事ではないが。





橋が架かっているぞ!





架かっていたのは手造り風の木橋だった。
が、橋の両側の道幅からすると、ここには元々車道規格の橋が架かっていたと考えるのが普通だろう。





その先、踏み跡はシングルトラックである。
築堤があった。





私が築堤と思った場所は、確かに三頭沢を渡る地点だった。
そして沢は築堤の下、埋め込まれた土管により通過していた。





その先もシングルトラック的な道が続いていた。





この日は12月の初旬だというのに雪がパラついていた。
何か寂しげな道なのだが、平場はしっかりした幅が確保されていた。





ここも一見、寂しげなシングルトラックなのだが、右側の擁壁はとてもハイキングコースのものには見えない。
また、道幅もそれなりに広い。





現在地はここ

突然、小屋のようなものが出現した。





それは、トイレだった。1度に3名までが用を足せる設計のようだ。
という事はそういう需要があった、もしくはそれを想定して建設したものという事になる。
ハイキングコース上への設置なのか、工事用道路上への設置だったのかはわからない。
現在、利用者がいるのかどうかも不明だ。

ただこのトイレ、照明も無いようだし、窓もない。ドアだってご覧の有様だ。
本当の非常時でもない限り、絶対に利用したくない。





その少し先だ。
都民の森、三頭山方面は雪のシングルトラック道に行くよう案内されているが・・・





ここは直進方向に行くのではなく、地理院地図の都道色(黄色)が示している方向、つまり150度ほど方向を変えて、坂を上るのであった。

(その4・最終回につづく)

  

東京都檜原村 奥多摩有料道路の工事用道路(その4・最終回)

【14年12月7日探索・15年4月16日公開】


現在地はこの辺

左側の擁壁はコンクリブロックの近代的施工であった。
また、道幅は広い。
ダンプカーがすれ違いできるほどの広さだった。





この道、奥多摩有料道路のパイロット道(工事用道路)にしか見えない。
私の中ではそうだったのだが、それを確かめるべく東京都・西多摩建設事務所に「この道の素性」と「地理院地図が示すようにここは都道なのか」について質問してみた。

すると、その返信にはこのように書かれていた。
「この道は元々昔からあった里道で、工事用道路として造っていない。また、道路の管理は檜原村であり、都道指定はされていない。」との返答だった。

そうは言っても昭和44年のこの写真を見る限り、元から道はあったにせよ奥多摩有料道路の工事用道路として車道規格に変わったと見て間違いなかろう。





左の擁壁だが、このあたりではずいぶんワイルドな感じになっている。





地面むき出しだと、やはり厳しいか。
崩落箇所があった。





左カーブになる場所、路面にはブルドーザー的な跡が付いていた。

あと、先のほうの支柱だが・・・




カーブミラーの支柱であろうか?

設置者や年代についての情報は得られなかった。





ショベルカーが見えた。ここは明らかに工事中だった。

しかしこの道路の工事ではなく、斜面補強による耐震向上が目的だった。





ショベルカーの先には、何かが放置されているっぽい場所があった。





最近置かれたものではなさそうだった。





終点が見えてきた。





現在地はここ

出てきたのは奥多摩周遊道路(都道206号)の数馬橋の西詰付近だった。





出てきた道を振り返った。

地理院地図が「点線都道」だと表示する箇所は、この先都民の森から鞘口峠経由の山道もそうなっている。
だが西多摩建設事務所の回答から推測すれば、その山道も都道である可能性は低い。
それでも、気にはなる。いずれそれも確かめてみようか・・・

(おわり)

  
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