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60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その5)

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【15年1月12日探索・3月11日公開】

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現在地はこの辺

相変わらずのアイスバーン道だ。私は少しでもグリップが効くように、固まっていない路肩を歩いて進んでいる。
左に行くと「溶岩滝」という滝があるようだが、今日は積雪のためたどり着けそうになかったのでスルーした。




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200mくらい進んだ。
このあたりで対岸を見る。




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何もない・・・ように見えるが、中央やや上部に雪の筋があるのがおわかりだろうか?
これは工事用道路の対岸部分である。

そして、ここにはかつて仮設橋が架かっていた。
私は2010年4月に訪問していた時に、ここに架かっていた仮設橋を撮影していたのだった。
その仮設橋の在りし日の姿をご覧頂こう。




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形式としては中路式ポニーワーレントラスになろうか。
対岸の道路は橋梁建設のための工事用道路兼、原石山への直通道路になるはずの道路だった。

ダム堤体に使用する原石を、原石山から直接運んでくるはずの道路の鉄橋は、目的が失われ撤去されたようだ。
ちなみに、私がここを通過した2013年8月には橋は既に撤去済みだった。




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烏川渓谷公園入口だ。
が、やはりここにも車の姿はなかった。

特に通行止め措置などはされていないが、この時期の旧道を通行しようという命知らずのドライバーは少なくとも私が訪問時には皆無だった。




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吊り橋が架かっていた。
凍っている様子だったので、今日は見るだけ・・・




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この先を右折しようと思っていたのだが・・・




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現在地はここ

なんと、雪遊びをしている家族連れらしき人たちが居た。
これをまっすぐ進めば土捨場への工事用道路へ行けるのに・・・




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ところでこの橋は、一倉沢に架かる市倉橋、昭和54年8月竣功の橋だ。
この左に見えるのが旧橋かも。




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旧道をそのまま進み、いったん現県道へと出てきた。
土捨場への工事用道路へはどうやって行こうかな・・・

(その6へつづく)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その6)

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【15年1月12日探索・3月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54798537/img_0_m?1426089842

現在地はここ

わらび平森林公園キャンプ場への入口があったが、冬場は休業中であるようだ。




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そのすぐ隣は現県道の一倉橋だ。
ここから再度確認してみたが、やはり家族連れっぽい数名は滞在中だった。

私が行きたい土捨場への道はその上の道だ。
封鎖されていない道であるなら、その横をすり抜けて突破するのでもよかったのだが、いずれにせよ不審者扱いされかねない。

そこで・・・




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次に考えたのは崖をよじ登ってショートカットするという案だった。




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現在地はここ

そんな訳で、どうにか目的の道路にたどり着いた。
とりあえず、回れ、右!




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建物があった。
どうも旧倉渕村の村有林の管理事務所であるようだ。




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その先、工事用道路らしくけっこうグネグネに曲がりながら標高を稼いでいた。




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道路は直線となった。
左に何かがあった。




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・・・これ、林道バージョンの「路肩注意」なのでは??

しかし、建てるとすれば逆側なのでは??




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そして、このカーブを曲がったところが・・・




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現在地はここ

地図上ではここまでで道が終わっている事になっていたが・・・




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道路は未舗装になったが、まだ続いていた。




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この日は休日のため休みだったようだが、何か工事がされてるらしい。




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その1段上にも広いスペースがあったが、積雪のため何も見えなかった。

(その7へつづく)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その7)

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【15年1月12日探索・3月13日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/52/54799752/img_0_m?1426172253

現在地はここ

平成11年2月竣功の滝上橋の袂だ。
柵が設置されており、バイク以上の乗り物はこの先には行けないが、自転車なら柵の脇から進入が可能だ。




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進入する前に、もう1枚現県道からの工事用道路を見て頂こう。
県道からこんなガードレールが見えたら、やっぱり行かねばという気になるというものだ(?)。




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工事用道路は明らかに大型車の通行ができるスペックだった。
少なくとも最初のうちは・・・




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が、段々とショボくなってきた。
ガードレールもこの場所を最後に(先で別の道と合流するまで)なくなった。




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急に廃道になったのではないだろう。
このあたりから先、車が通行する必要がないものと考えられる。




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ふと、左を見上げた。

鶯橋である。平成12年7月竣功だ。
今私がいる道路は、鶯橋の建設用の道路だったと考えるのが自然かも。




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その先の道路はさらに原型が保たれてないようだった。




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元の道路形状は不明ながら、完全崩落しており、突破は不可能・・・いや。




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崖を見上げた。
高巻きによりクリアできそうだった。

何か水色のものが見えるが、何だろう。




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「群巾」の文字が見えた。
群馬県管理の道路には「群巾」表記の境界柱が見受けられるが、これは色が水色であることから幻となったダム湖の境界柱であるのかもしれない。




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そんな小さな発見というおまけがあった高巻きをすると、その先にはまた道路がつながっているようだった。




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現在地はここ

この先「交差点」が近づいてきたようだ。

(その8へつづく)

  

通常記事は少々お待ちください

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イメージ 1

イメージ 2

本日は遠征のため、帰宅後に連載記事を書こうと思ってます。

とりあえず小ネタでご勘弁を。

画像は、埼玉県秩父市内でよく見かける「熊出没注意」看板と、私は初めて見た「イノシシ出没注意」看板だ。

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その8)

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【15年1月12日探索・3月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/76/54802476/img_0_m?1426335952

現在地はここ

「交差点」に着いた。




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左は上って橋の下をくぐる。




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これは帰りに押出沢橋の上から撮影したものだが、橋をくぐった工事用道路はこんな感じで坂を上って橋のに取り付く。




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これも帰りに現県道から撮影したものだが、一つ上の画像の道路は橋をくぐるあたりで、原石山への道路が分岐する。
そしてこの画像の道路も、ゲートの先で原石山道路に合流する。

ちなみに今回、原石山道路については時間切れで探索していない。
いずれ訪問しようとは思っている。




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「交差点」を右に行き、坂を下る。




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現在地はここ
<直進方向は3時、その後左折する方向は11時>

するとまた分岐があった。
直進は100mくらいで終わっているのが見て取れる。
そう、「その5」で出てきたこの道である。




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せっかくだから終端まで行って見ようと思う。




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ここで現在は道が終わっている。
復習になるが、以前はここにこの橋が架かっていた。




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分岐までもどり、左折方向に進む。
先ほどからガードレールが復活している。車道だった事が伺える。




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広い場所があった。
左に見える橋は境沢大橋だろうか?

広いスペースは、ダンプカーが何台も停まっていた事もあったという事だろうか。

(その9・最終回に続く)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その9・最終回)

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【15年1月12日探索・3月15日公開】

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現在地はこの辺

道路の右側に何かが建っていた。




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ここが橋梁工事用の道路である事を示す標柱だった。
私が見落としただけかもしれないが、同様の標柱は見かけなかった。




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ガードレールの他に、路肩の反対側にも落石防止の施工がされている区間に入った。




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そんな区間ゆえ、やはり崩落箇所はあった。




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崩落部の頂上だ。

このスパンだけ、落石防止フェンスが耐えられなくなり決壊したのだろう。
それでも路肩のガードレールが最後の踏ん張りを見せていた。




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そんな箇所の上にも現県道の橋梁があった。杉生橋か?




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少し進むと今度は、烏川の対岸に、先ほど私がアイスバーンのために、苦労して通過してきた旧県道が見えた。




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現県道はすぐ近くの頭上にあるのだが、ものすごい秘境感だった。




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そんな道を進んでいく。
この坂を下りきり、間もなく上りになる。




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また大きな橋梁が見えてきた。
姫子橋であろうか。




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工事用道路はこの橋に沿って上り始めた。




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バリケードがあった。

私が工事用道路に入ってきた箇所とはまた違う主張だった。




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バリケードの先も、急坂で現県道へ取り付こうとしていた。




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現在地はここ

カモフラージュのため普通に柵が設置されていたが、それを乗り越えて、結局出てきたのは伊勢沢橋の西詰付近だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54802770/img_14_m?1426343234

現県道の境沢大橋から、ダムと本来であれば沈むはずだったあたりを俯瞰した。
ダム事業凍結により、結果として一定の自然は残ったわけだが、かなりの物や人々の生活が壊され、そして残ったものは高規格な県道という事になった。

今後、未成状態になっている道路や土地は生かされる目処があるのだろうか?

(連載は終了です。お付き合い頂きありがとうございます。)  
  

山梨県上野原市 高速道路の廃道・再訪(前編)

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【15年2月1日探索・3月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54804429/img_0_m?1426431508

現在地はここ
<進行方向は概ね8時>

山梨県上野原市大椚 中央自動車道には付替による廃道区間があり、私はその道のレポを09年5月に公開していた。

6年近くが経過したが、その後何が変わって、何が変わらないのか??
今回、同じ区間を反対側から再度巡ってみよう。

ここを左折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54804429/img_1_m?1426431508

路面の大半は積雪が残っていた。
そんなほぼ廃道区間を進むと・・・




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6年前には廃階段だと言った階段があった。
が、冬場だったせいかもしれないが廃のオーラが薄くなっていた。
現役に復活したのかも。




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この「相模湖16カルバート」は変わっていないようだ。
唯一変化があったのは、バリケードが端に寄せられていた事だった。




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「廃階段」を上ると、赤い鳥居の神社があった。
遊具がブランコだけというのも6年前と変わらないようだ。




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6年前は水道に蛇口があったが、今回それが取り払われていた。




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階段を上がる。
この神社の説明は6年前の記事でしていたのだが、その時の表現を引用する。

★この神社は元々、旧甲州街道の旅の平安祈念の稲荷社で、中央道の現道上に位置する、かつて丸山と呼ばれていた場所にあったようだ。
中央道改築のため、平成14年にこの場所に移設を余儀なくされたようだが、「この地から再び交通の神として道往く旅人にご加護あらんことを」と締めくくられた文言が印象的だった★




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交通の神様とは素晴しいな。
甲州街道が人馬から自動車交通へと変わり、さらに自らの移転の原因になった高速道路をも含め、暖かく見守っている事だろう。




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現在地はここ
<進行方向は10時>

稲荷社脇の道を進む。
左側がオリジナルの中央自動車道の廃道になるが、この少し先にフェンスが設置されているので入れない。




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そんな廃道部分を見ながら進んでいくと、右側に看板があった。
これは以前と変わらないで欲しい。。




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「この先急カーブ」・・・
変わっていなかった。

確かに、高速道路としては急カーブだった。
それゆえ、付替、廃道となる羽目になったのだ。

が、そのうち半分が廃道、半分が一般道(県道30号線のバイパス道となるはずなのだが)として供用されている現在としては、特に必要性がない看板である。
・・・が、趣味者としては高速道路仕様のものがそのまま使われている事は、希少性も含め、最高に嬉しい。

(中編へつづく)

  

山梨県上野原市 高速道路の廃道・再訪(中編)

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【15年2月1日探索・3月17日公開】

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現在地はこの辺
<進行方向は9時、この画像は3時方向に振り返って撮影>

100mほど進み振り返った画像になる。
左の路肩には「非常駐車帯」の緑看板があった。
元・高速道路である経緯をアピールしているかのような道路である。




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このあたりで進行方向左側の、一般道に流用されていない廃道部分には何かが置かれていた。
どのような工事なんだろうか?




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再訪記事だし、どんどん進もう。

また路肩に何か看板があった。




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「長い下り坂 速度注意」の黄色看板だった。

・・・確かに、こちらから行くと一部上りもあるが、基本、長い下り坂が続くので速度にも気をつけなければならない。
が、一般道になったこの区間に必要な看板なのか??

山梨県か上野原市が密かにここを名所化しようとしているのかもしれない。




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栗原橋が見えてきた。




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ほぼ同じ位置で振り返ると、ここにも非常駐車帯の緑看板が残っていた。




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やっぱり廃道部分に置かれている物が気になる。




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栗原橋の上から見ても、何だか想像がつかない。
右の方には現・本線があるのだが、そこまでの間に何かを造ろうとしているのかな?




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現在地はここ

栗原橋の先へ・・・

未だにガードレールによるバリケードが設置されていた。

6年前、栗原橋から撮影画像でも、その状況は変わっていないようだ。




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い、いや・・・状況は少し変わっていた。

かなり激しい事をやってしまった人がいたようだ。

この先、以前の記事にはなかった区間へと行こうと思う。

(後編へつづく)

  

山梨県上野原市 高速道路の廃道・再訪(後編)

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【15年2月1日探索・3月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54807238/img_0_m?1426604025

現在地はここ

バリケードの先は少しだけセンターラインのある2車線の未供用道路が続いていた。
これは6年前から工事が進捗していない事を示しているようだった。




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その先もセンターラインこそまだ描かれていないものの、幅員はその手前側と変わらず2車線幅だった。
まあ積雪のため半分は埋もれていたが・・・




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左側に階段が現れたが、これは中央道野田尻の上り線バス停への階段である。
利用者はそれほど多くはなさそうだが、雪が踏み固められるくらいは居るようだ。




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現在地はここ

ここが妙な交差点だった。
まずは左折側、地図では7時方向を見てみる。




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大型車は通れない「相模湖18」のカルバートがあった。
アイスバーンとか、気になるものはあるがさほど怪しい雰囲気は無い。




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怪しい雰囲気なのは11時の方向に延びていく道路だった。




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道路だった平場は、舗装が途切れ、それでもまだ先に延びていた。




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現在地はここ

幅員だけは2車線幅を保ちながら続いた平場は、あと数メートルだけをまるで壁のように残して工事を止めているようだった。用地買収問題なのか、他の問題なのか?
この区間が開通すれば県道30号線として指定される可能性が高い。

ちなみに、向こうに見える電柱は、接続するはずの道路のものになる。




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本来、ここに出るはずであるようだ。
テニスクラブの看板の向こう側の電柱は一つ前の画像の電柱だ。




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甲州街道「野田尻」は昔の宿場町の雰囲気が残っていてなかなかいい雰囲気だった。

最後に本連載レポの「高速道路廃道」がよくわかる航空写真をお見せしてレポを終了する。
★「航空写真」クリック→「1」クリックで見られます★

(おわり)

  

神奈川県秦野市~伊勢原市 県道701号・一応リベンジ編(その1)

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【14年12月21日探索・15年3月19日公開】

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現在地はここ

神奈川県秦野市寺山 県道70号秦野清川線から県道701号大山秦野線が分岐する地点、県道701号にとっては終点という事になる。

yahoo地図をはじめ、ほとんどの地図ではここからの県道はヒゲのような状態で500mほどだけ県道色に塗られているが、地理院地図だけは起点近くまで、それが徒歩道であっても県道色に塗られている。

前回訪問時には終点近くだけを探索したのだが、今回、ヤマビルは出ないであろう冬場を選び、リベンジしようと考えていた。




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2車線区間は再訪部分なので省略。
とにかく突き当たりは左に行く。




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知っていても、ちょっと微笑んでしまう険道である。




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だが、2、30m進んだところに立入禁止テープが張られていたのだった。

何かあったのか?
とりあえず反対側に回ってみよう。




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現在地はここ
<進行方向は8時・のち6時>

ここを左に入っていく。




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さすが・・・腐っても県道、か。
コンクリの蓋付きの側溝がちゃんとしている。




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その先である。
まず、黄色の矢印から。




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高速道路の境界柱が建っていた。
前回(1年半前)には見当たらなかったと思っていたが・・・




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赤い矢印付近にあったのは、神奈川県のものだった。
この道は県道であることのアピールなのだろうか?




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ひびだらけのコンクリ舗装を進むと。




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中丸沢に架かる、上中丸橋である。
そして、この橋の少し先で見えたものは・・・




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先ほどのロープだった。
何で通行止めにしていたのだろうか?

まあいいや。早いトコ再訪部分から抜け出して、はじめて見る場所に行こう。

(その2へつづく)

  

神奈川県秦野市~伊勢原市 県道701号・一応リベンジ編(その2)

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【14年12月21日探索・15年3月20日公開】

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現在地はここ

まだ再訪部分である。
この先の久保橋を渡る。
この、久保橋、1991年に神奈川県が架けたと銘版に書かれていた。
そう、ここまでヘキサの一つもないが、紛れも無く県道なのだ。




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久保橋を渡ると、道は格段にショボクなる。
右はゴルフ場になる。
ゴルフ場入口には立ち入り禁止の旨の看板が建っていて、その中で「ハイカーの方はハイキング道路をご利用下さい」と書かれていた。
県道701号線は「ハイキング道路」の扱いのようだ。




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前回スルーした祠だ。
その手前の獣害防止用と思しきネットは、この日は完全開放状態だった。




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祠を覗くと・・・

大山道の道標を保存しているようだった。
今の扱いは県道指定されている以外は、かなりぞんざいな気がするが、ここ、歴史ある道なんだよなあ。




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ゴルフ場脇の、辛うじて舗装されている道を進む。




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が、ここで舗装が終わった。




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ここで振り返ってみる。
ゴルフ場のグリーン上は楽しそうな雰囲気だった。
ゴルファーたちに、私が県道上を自転車を押しながら進んでいた光景はどのように写っていたのだろうか?




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前回、ほぼこのあたりで撤収したのだった。

時間は昼前だし、秦野市の山間はヤマビルが多いが、この日は12月だしまず出ないだろう。
というワケでさらに進む。




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ようやく初めて見る区間になった。
ゴルフ場からほんの少し離れ、登りがキツイ区間だ。
それにしてもこれってただの山道だよな・・・




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現在地はここ

かなりキツイヘアピンカーブだ。
もっとも自動車の交通は考慮されていないと思うが・・・




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大山詣にはかなり昔から利用されていた道なので、恐らく馬や荷車くらいは通行できたはずだった。




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それでもこれだけの勾配区間があったりする。
荷車では相当大変だったろうなあ・・・

(その3へつづく)

  

神奈川県秦野市~伊勢原市 県道701号・一応リベンジ編(その3)

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【14年12月21日探索・15年3月21日公開】

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現在地はたぶんここ

またヘアピンカーブがあった。
こんな道を、大山詣の人たちが馬やかご、徒歩で通行していたなんて考えるのもまた楽しかったりする。




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何か境界柱が建っていた。




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TCC・・・?

この隣のゴルフ場は東京カントリークラブなので、その略だと思われた。




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上のほうから車道と思われる道が合流してきた。




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合流後だ。
そう言われれば多少いい道になった気がする。




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が、崩落したであろう場所もあり、補修がなされていた。
普通に考えれば応急処置だろうと思うが、既に1シーズン以上経っていそうな気配なので、これで完了なのかも・・・




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轍があった。
という事は、あの補修箇所を割と最近、自動車が通行していた事になる。




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しかし、どうも4駆でないと無理っぽそうだが。




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現在地はこの辺

こんなゴルフ場脇だ。
この近くにもゴルファーが居たが、私が通行している道が神奈川県道だとはまず思っていないだろう。




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まだ四輪車が通行する道であるようだ。




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またゴルフ場に近づいた。
そこにはまたしても境界柱が建っていた。




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境界柱には「道界」と正面に刻まれており、その裏側には、神奈川県章であろうマークが半分以上地面に埋まっていた。
ここは県道なのだから、県の境界柱がある事は何も不思議は無いのだが、県道である証が見たいのは確かな欲望だった。

ヘキサの1本でも建てたら、きっとマニアックな名所になるだろうなあ。

(その4へつづく)

  

神奈川県秦野市~伊勢原市 県道701号・一応リベンジ編(その4)

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【14年12月21日探索・15年3月22日公開】

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現在地はこの辺

まだ二本の轍が見える。
このあたりでは車道である痕跡がわずかながら残っていた。




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が、このあたりから様子がおかしくなってくる。




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それは、こんな感じで路面が完全にえぐれていた事だった。
徒歩での通過は可能ながら、これでは車両の通行は困難だ。
実際、私のヘリオス号もこのあたりでは担ぎとなっていた。




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そんな不通区間に転がっていたのは・・・




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神奈川県の境界柱だった。
県道の証を、こんな形で見つけるなんて・・・




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これじゃあ、ジムニークラスだってかなり難しい道だと思う。




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そんな道のヘアピンカーブで見つけたものは・・・




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ついに、神奈川県道の境界柱の、完全体を発見した。
やっぱり、ヘキサとか、青看板とかを設置してくれないかなあ・・・




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このあたりの路面状況は、かなり悪い。
バイクの轍くらいはあっても不思議がないが、そういったものも発見できなかった。




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その先のカーブでは・・・何だろう、これは??

この丸太は、大雨の際の路面の保護の役割でもあるのだろうか・・・




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道は多少改善された。
そしてそれをもう少し進むと・・・




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道標が建っている場所に出た。
これがチェックポイントとしていた不動越えかも。。

(その5へつづく)

  

神奈川県秦野市~伊勢原市 県道701号・一応リベンジ編(その5・最終回)

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【14年12月21日探索・15年3月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/54/54814754/img_0_m?1427036076

現在地はここ

★もう2回の連載予定でしたが、あまり引っ張りすぎない方がいいと思い、本日の連載を最終回としました。いつもよりも幾分画像が多いですが、お付き合いください★

いくつか、案内板などが建てられていたが、いずれも県道を示すものではなかった。
大山古道である事は間違いないが。




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前方が明るくなってきた。




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少し進むと林道と思われる車道に出た。
そしてそこは伊勢原市と秦野市の市境だった。




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約700mほど、快適な林道を進んでいく。
(県道はこの林道を間借りしている?)
そしてここを右折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/54/54814754/img_4_m?1427036076

右折すると道は2本あった。
進行方向は左の下っていく道になる。




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現在地はここ

大山古道という看板のある道を進む。
手前左側に見える黄色や白の境界柱だが、何を表すものかは不明だった。




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人馬、荷車道と言われるのがとても似合う、いい雰囲気の道だ。




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地理院地図が示す、県道色の境界はこのあたりになろうかと思われる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/54/54814754/img_8_m?1427036076

その少し先だが、道端に境界柱が建っているのを発見した。




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それは紛れも無く伊勢原市の市章だった。
地理院地図の表記とだいたい合っているように思う。




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その先だ。
こんな切通しを下っていく。




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また林道が見えてきた。




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現在地はここ

県道の最終区間は地理院地図には描かれていないので、これにて探索終了とする。
あとはこの林道を下って・・・




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バス停「大山駅」付近に出てきた。
バス駅はまだ何箇所も残っているが、ここはなぜ「駅」の名が付いているのだろうか?
以前は物資の中継地だった??

ちなみにケーブルカーの「追分駅」まではここから2kmほど離れている。

(おわり)

  

今年初めてのひょう

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昨日14時頃ですが、静岡県静岡市清水区内で、今年初の降ひょうにあいました。
この後にももう一度降ってきたので、珍しい「ひょう宿り」をしました。
 

栃木県那須塩原市 晩翠橋訪問記(前編)

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【15年3月14日探索・3月24日公開】

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現在地はここ

栃木県那須塩原市橋本町 けっこう有名な物件なのだが、初めて記事にする橋にやってきた。




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橋の名は晩翠橋、上路ブレースドリブ・ 3径間のバランスドアーチ橋である。
この橋は昭和7年架橋で、栃木県初のAランク土木遺産に認定されている。

さほど自宅から遠くない、しかもこんな有名物件なのに初訪問なのか?・・・否。




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前回訪問したのは2012年9月、その時点では工事の真っ最中で、橋は観賞には向かない状態だったのだ。




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橋の本来の姿がちゃんと見たくて、今回、青春18きっぷを使ってやって来たのだった。
う~ん、美しいにゃあ。




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橋からは少し離れるが、全景も1枚撮っておこう。




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橋の記事なのに前後編に分けてしまったのだが、とりあえず路面の画像を先にのせておこう。

(後編につづく)

  

栃木県那須塩原市 晩翠橋訪問記(後編)

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【15年3月14日探索・3月25日公開】

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80年以上も働き続けている橋は、戦前の構造物らしく、アーチ部にもリベットが無数に使用されていた。




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ところで、橋の記事なのに前後編が分かれる事になったのは、この案内板が設置してあったからだった。




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現在の橋は5代目だが、その初代木橋(明治17年)だ。




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2代目木橋だ。
どうもトラス構造になっているようだ。




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こちらは3代目になる。
木製ながら、上路式ダブルトラスであるように見えた。




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4代目の橋は大正12年架橋だ。
構造的にはプラットトラスかな?




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初代から4代目までは現橋の60mほど上流に架かっていた。
そして、現在でもその遺構が見られる。




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位置関係はこんな感じだった。すぐ下流に現在の橋が見える。

ちなみに、反対側のものは既に無かったようだ。




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これが完全に無用の空間となってしまった、旧橋台上の道になる。

(おわり)

  

千葉県旭市 4連続5差路交差点

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【15年2月21日探索・3月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54819111/img_0_m?1427297385

現在地はここ
<進行方向は概ね2時>

千葉県旭市蛇園 この地にやって来たのは元々別の場所の探索だった(後日アップします)のだが、事前に地図を見ているうちに、他にもちょっと気になる場所が見つかったのだ。

ここから道なりに約700m、その間に5差路が4箇所も存在しているように地図には描かれている。
これは、確かめてみる価値があるんじゃないか?

そんな訳で1つ目の交差点にやって来た。
私は、この5差路の4番の道を進む事にする。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54819111/img_1_m?1427297385

で、4番の道なのだが、その入口には幅員制限と思われる柵が建っている。
だが、実際に制限されているのは幅員ではなく2tの重量制限だった。

「大利根管理道路の為関係者以外の通行はご遠慮ください 千葉県」と看板には書かれていたが、大利根用水の管理道路であるようだ。




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で、ねえ・・・

こういう柵があったりすると、必ず戦いの跡がある。




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現在地はここ

約200m進むと次の交差点だ。




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擦っているのはこちらの方がすごいな・・・




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2枚上の画像では5差路である事がわかりにくいが、別角度から見るとこうなっている。
ちなみに私は1番の道から4番の道へと進んでいる。




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現在地はここ

さらに150mほど進む。
地図上ではここも5差路として描かれていた。
まあ幾分無理はあるが、ウソではない。




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現在地はここ

坂を上り、約250m進んできた。
この先の交差点がそうなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54819111/img_8_m?1427297385

あれ??
5差路??




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少し過ぎてから振り返った。
確かに5差路だった。

5差路くらい別に珍しくないと思うが、わずか700mの間に4箇所も続けてあるというのは大変珍しい。
全国的に見ても、他にもどこかあるのだろうか??

  

静岡県富士宮市 富士軌道・第2次探索(その1)

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【14年12月28日探索・15年3月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54820497/img_0_m?1427383182

現在地はここ

記事としてはこの記事の続編になる。

現在の富士宮駅前から上井出まで、明治末期に開業した馬車軌道である富士軌道は、その先山梨県との県境付近まで貨物専用線(この貨物専用線は富士宮林用馬車軌道とも呼ばれているようだ)を延ばしていたように古い地図などには描かれている。
が、前回の探索では上井出付近は別とすれば、痕跡らしきものは発見できていなかった。
で、今回は少しその奥まで入り込んでみよう。

ところで、唐突な場所からのレポスタートとなったが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54820497/img_1_m?1427383182

この場所は馬車軌道とは関係ない。
私が立ち止まりカメラを向けると、牛たちの多くがこちらを向いてくれた。
探索の応援でもしてくれたかのようにも感じた。




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その先、牛の横断歩道発見!
北海道以外にもあるんだ・・・




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養鶏団地脇まで来た。
今回最も心配していた事は、鳥インフルエンザ対策でこのエリアそのものに入れない事だったのだが、最悪の事態はなかった。




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道は未舗装に変わり・・・




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先のほうに何かが見えてきた。




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現在地はここ

ゲートだった。確かに地図にもそのように描かれている。
車両通行禁止となっているが、自転車は脇から普通に入れた。




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ゲートの先、左にも道は分岐するが、私は直進だ。
私が進む道は富士山(上井出)林道である。




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現在地はここ

今昔マップではこの辺

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54820497/img_9_m?1427383182

もう少し正確に、昭和21年発行5万分の1地形図・富士山の一部抜粋版を使うと、赤丸の場所が現在地になる。

つか、一つ上の画像中の、右の盛り土、ま、まさか!!




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断定は出来ないものの、地図の場所と一致している事から、これが馬車軌道の築堤跡であろうと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54820497/img_11_m?1427383182

おそらく築堤であろう盛り土のベルト地帯は50mほど続いていた。
昭和14年に廃止された事になっている(この貨物線区間だけ後年まで残っていた可能性はある)割には、よく残っていたと思う。
まずは、幸先のいい発見と言えよう。

(その2へつづく)

  

静岡県静岡市 小さなトラス橋と建設中の高速橋のコラボ

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【15年3月22日探索・3月28日公開】

★連載記事の最中ですが、本日は小ネタでご勘弁を★

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現在地はここ

静岡県静岡市清水区高山 この画像は、この15分くらい前にやや激しい雷雨に遭い、雨宿りしている最中に撮影した、中部横断自動車道の建設中の橋梁である。

この画像では気づかなかったが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/14/54821914/img_1_m?1427475823

現在地はここ

この建設中の橋と、右にはかわいらしい赤いトラス橋、さらにはこの道(県道75号線)の6,70mくらい先には仮設であろうロックシェッドもあり、なかなか面白いコラボになった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/14/54821914/img_2_m?1427475823

このトラス橋は白髭神社の参道であるようだ。
銘版などはなかったが、あるいは、白髭橋とかの名称かもしれない。
橋のスペックとしては人道橋であり、その建設年は不明だが、まあ造りからすれば、昭和40年代あたりと考えるのが妥当だろう。

  
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