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群馬県渋川市 県道15号黒沢橋旧道(前編)

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【14年12月14日探索・15年2月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/67/54768367/img_0_m?1424275311

現在地はここ

群馬県渋川市伊香保町伊香保 県道15号前橋伊香保線だ。
地図を見ればひと目でここに旧道が眠っているらしい事がわかる。

あとは実際に、進行可能かどうかが不明なだけだ。
そればかりは、現地に行ってみるしかないので、この日訪問となった。




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右の道が現道、左は渋川総合公園へ行く道だ。
で、私が行くのは真ん中の道路である。




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この看板、年季を感じるなあ・・・

ちなみに、現道の橋(黒沢橋)は昭和55年(1980)3月竣功だった。
という事は、これから行く道は35年近くも熟成されたモノという事になる。




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もう入口からしてこの雰囲気だもん。
これまで誰も記事にしていないのがもったいない!




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この先通り抜け出来ません・・・通行禁止とか書かれていないのがイイ。
オブローダーはたぶん全員「上等だぜ!」とか思うはずで、私もこの看板を見てからテンションが上がった。

この先、民宿があるようだが、商売を続けているのかどうかはこの場ではわからなかった。




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何だか、イイ感じの廃れ具合だな。




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夏場だったらここで引き返していたかも、という感じの藪が残っていた。




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橋の下だけ、草木が少なかった。
元の舗装路面が見えた。




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その先、元・主要地方道は、廃道になってもなお誇らしげなその幅員を保ちながら進んでいく。
ヘキサとかがあると盛り上がるんだけどなあ・・・

(中編につづく)

  

群馬県渋川市 県道15号黒沢橋旧道(中編)

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【14年12月14日探索・15年2月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/72/54769672/img_0_m?1424358624

現在地はこの辺

少し進むと、後ろ向きの標識が2枚現れた。




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!!

後ろのは左カーブを示すものだったので置いておくとして・・・



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手前のヤツ(進行方向からすれば奥側になるが)、注意CAUTION の旧型標識だった。
これって、意外と廃道上で見つけることが少ないのだ。

その理由は・・・
以下は私の推定になる。廃道は峠道などに多く見られるが、危険箇所である場合が多く、その周知のための標識類はかなり更新頻度が高いのではなかろうか。なので、廃道上に旧標識はあまり残存していないのではないかと思う。




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その先、橋が架かっていた。




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昭和34年3月に竣工となった、現橋と同名の「くろさわばし」なのだが、こちらは旧字の「黒澤橋」を名乗っていた。




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構造は桁橋・・・床版橋か?




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古くから伊香保温泉行きの路線バスも走っていたはずの道路は、その幅員の広さが廃されてもなお誇らしげな気さえした。




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ワナがあった。私はもちろん引っ掛からないが(笑)。
これはイノシシ用か?




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さっきまではなかったはずの送電線が現れた。
元々そう長い区間でもないので、そろそろゴールが見えてイイ頃なのだが・・・

(後編につづく)

  

群馬県渋川市 県道15号黒沢橋旧道(後編)

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【14年12月14日探索・15年2月21日公開】


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54771006/img_0_m?1424449432

現在地はこの辺

なぜか、極端なダブルトラックになった。
もちろん、元々は2車線道路の主要地方道である。




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現道の黒沢橋が左から近づいてきた。
旧道の落石注意はここまでであったようだ。

ゲートが見えてきた。




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ゲートを越え、振り返った。

はあ??
「許可なく立ち入り禁ず」とは??
反対側には無かったし、そもそも誰の許可があれば入っても良かったのか??




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現道の黒沢橋(昭和55年竣工)から眺めた景色だ。
このあたりは関東平野の北限になる。
こうやって景色を見ていてもそれがわかって何だか楽しい。




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そのまま水沢方面に向かおう。

ん・・・

この看板の裏側、怪しいな・・・




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現在地はここ

やはり、そうだった。
この区間もまた付替えによる廃道が約150mほど、発生していた。




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ドライバーから見れば、怪しいおじさんなのだろうが、そんな事はお構いなしだ。
短い廃道区間だが、おまけとして堪能しよう。




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黒沢橋旧道よりも全体的に日が当たるせいだろうか、落ち葉はすごいが廃れた感は薄かった。




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そのまま廃道区間は終わろうとしていた。

なにやらポールが建っているが、これは現道の通行車を対象としているようだ。
ちなみに「水沢うどん街」と書いてある。




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現道の合流し旧道は終わる。

この先、水沢観音手前あたりでも何箇所か旧道があったようだが、現在は駐車場になっていたりパーキング的なスペースになっていた。

(おわり)

  

静岡県静岡市 個人架橋?静岡タイプのミニ吊り橋

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【14年3月29日探索・15年2月22日公開】


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現在地はここ
<進行方向は11時>

静岡県静岡市葵区俵沢 県道27号郷島橋の脇から脇道に入る。

この近くに小さな橋記号があり、それがどのような橋なのかが気になった。

実は地図では右側に見える道からのアクセスをこのすぐ前に試みたのだが、持ち主?と目が合ってしまったので、反対側からアプローチを開始する。




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県道からも橋まではすぐだ。



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現在地はここ

近づいてみたら・・・

なんと、これ、吊り橋!
しかも静岡県内ではよく見かけるタイプのヤツだった。

架かっている場所からすると、個人架橋である可能性が高いが、詳細は不明であった。

  

神奈川県相模原市 道志第1発電所訪問記(前編)

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【15年1月17日探索・2月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54774000/img_0_m?1424619935

現在地はここ


神奈川県相模原市緑区牧野 県道517号奥牧野相模湖線である。

今日はまだこのエリアでの未訪問地となっていた道志第1発電所に行ってみようと思う。
この橋の探索時に名前が出てきて、その後ちょっと気になっていたのだ。

ただ、ねえ・・・航空写真等で見る限り、思いのほか深い谷に出来ているようで、ぞの全貌を観察する事は大変難しそうだ。
インクラインかモノラックがあるようで、その確認くらいはしたいと思う。

JR中央本線藤野駅から1日8~10本の路線バスが出ており、そのバス停「吉原入口」が目印になろうか。
ここを右に入る。
ちなみにここはこの記事の場所から200mしか離れていない。




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「ようこそ五感の里」と書かれた温泉施設らしいゲートがあったが休業中らしかった。
休業はどうも一時的なものでは無いようだが・・・




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吉原集落だ。
政令指定都市になったとは言え、元は津久井郡藤野町であったせいか、何だかのどかな雰囲気がした。
それもそのはず、正面の青い屋根の小屋なのだが・・・




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なんと、「総酪 吉原集乳所」という看板があり、しかも廃物件ではなかったようなのだ。
酪農農家が周囲に多数あるようにはあまり見えなかったが、それも私の観察力の甘さか・・・




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現在地はここ

道志第1発電所入口に到着した。
正確には第1(昭和30年発電開始)、第3発電所(昭和57年発電開始)入口か。

ん・・・

皆様には改めて説明しなければならなそうだ。
第1発電所は昭和30年5月開始で、手前の坂沢橋はこの記事では昭和31年架橋となっていた。
それ以前の橋では重量物は絶対に運べない。
いずれかの年代が若干違っていたのか、あるいは発電所工事等には仮設橋を使ったか・・・





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その先にいたモノは・・・




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猫だった。
本来なら2月22日の猫の日にアップでもよかった記事だな・・・




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全部で5匹もいた。
あそこがあったかいという事だろう。




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想定したアプローチ道に進む。




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この手前でヘリオス号は待機となった。
ふじの温泉病院脇の道を目的地に向かってGO。


  

神奈川県相模原市 道志第1発電所訪問記(後編)

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【15年1月17日探索・2月24日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/29/54775529/img_0_m?1424709563

現在地はここ

ここで昨日の記事中の訂正をさせていただく。
「ふじの温泉病院」としていた場所は、私の地図の見間違いのために、まるで違いました。
この道への入口にあったのは「くりのみ学園」という障碍者施設であった。
お詫びして訂正させて頂きます。

さて、通路はこの先橋になる。
何を渡っているのかというと・・・




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パイプだった。
道志第1発電所の導水管であるようだ。




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そしてその先・・・

普通に進めばやや左に折れつつ、送電線の鉄塔にたどり着く。
しかしその先に行くのは実質的には無理だろう。




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なので、踏み後もほとんどない黄色矢印ルートを改めて進む。




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数メートルか上がると回りは開けてきた。
しかし私のルートは、なおもこんなだった。




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ようやくまともな道になった。




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このあたりから下を覗いてみよう。




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線路が見えた。
どうやらインクラインであるようだ。




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さらに下の方はよく見えなかった。

画面上のほうに見えるのが道志第3発電所の水槽でインクラインに沿って第3発電所導水管が見えた。




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発電所入口まで戻ってきた。

実は、このあたりから本来ならインクラインが見えるはずなのだが、工事中で頻繁に人が出入りしており遠慮していた。
私は脇に設置されている公園側からアプローチしてみた。




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この建物の向こう側・・・




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滑車が見えた。

ちょっと不満が多いが、一応最低限の目的は達した。




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その公園には冬鳥のツグミがぽつんと1羽、えさを探しているようだった。

一昔前くらいまではツグミとかアトリなどの渡り鳥を捕まえ、スズメの姿焼きとして販売していたことも多々あったそうな・・・

(おわり)

  

神奈川県横須賀市 高さ制限1.5mガード

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【15年2月7日探索・2月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54776889/img_0_m?1424795770

現在地はここ
<進行方向はこのあと9時>

神奈川県横須賀市田浦町 田浦小学校近くの交差点を右折する。




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すると目に入ったのがこの標識形の看板になる。
この先240m ガード、高さ制限1.5m・・・

い、いちてんごめーとるだって??




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現在地はここ

この先の京急をくぐる箇所のガードである事は明白なのだが・・・小さそうだな。
本当に車が通れる狭さなのだろうか??




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ここに鉄道が通ったのは昭和5年(1930)なのだが、その時にあったものなのかどうかは不明だ。




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反対側にやって来た。



 
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狭さの測定だ。
標識よりは多少余裕があったようだがやっぱり狭い。

実測としては1.8m×1.8mといったところか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54776889/img_6_m?1424795770

電車と比較画像がこれになる。




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そしてこれが、天井面につく恨み節・・・




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ガードをくぐるとその先はこんな光景だ。


  

栃木県鹿沼市 ツッコミ看板?

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【14年10月25日探索・15年2月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/67/54778167/img_0_m?1424886038

今日はこんな時間になってしまい、さすがに小ネタでご勘弁を・・・


栃木県鹿沼市口粟野 県道246号線走行中の事だった。
右側に看板があった。

「飲酒運転は絶対禁止だ」うん、当然そうだよ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/67/54778167/img_1_m?1424886038

「飲めば極楽 その先地獄(懲役三年になるぞ)」・・・

きっとこの看板を立てた時代にはこれでよかった表現だったのかもしれないが、ちょっとねえ、違うだろ!!

そういえば、この看板、過去に山行があたりでも取り上げていたような・・・

山梨県上野原市 また謎のポニートラス橋・八米橋(前編)

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【15年2月1日探索・2月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54779573/img_0_m?1424969013

先日拝見したかすがさんの記事は私にとっての衝撃だった。
これはこの橋とかこの橋 の兄弟橋ではないのか??
一応調査済みの2橋だって謎だらけの橋なのだが、この橋を調べる事で何か新たにわかる事があるかもしれない。
というよりも、さらに謎が深まったとしても、この橋は行かずにはいられない橋となっていた。

現在地はここ

そんな訳で、アプローチも省略し、いきなり橋が見える位置からのレポになる。
右の欄干ガードレールの橋は県道30号線の若宮橋だ。

ちょうどここにバス停がある。
八米(やごめ)入口という名で、上野原駅前からの路線だが、本数は平日6本、休日8本とあまり多くない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54779573/img_1_m?1424969013

橋の袂に近づいた。
現地では橋の名前が書かれていたものは発見できなかったが、かすがさんの記事にも、上野原図書館にあった資料にもこの橋は「八米橋」と書かれていたので、八米橋なのだろう。

親柱にはもちろん他の情報等はない。
ああ、またか・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54779573/img_2_m?1424969013

3径間のポニートラス橋だ。
上野原町史から引っ張った資料では幅員4.0m、延長69mである。
そしてこれは1枚目画像のところにリンクした近隣の2本のポニートラス(それぞれ幅員4.0m、延長23m)と完全に一致していたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54779573/img_3_m?1424969013

いったん渡りきった。

この左側に逆三弦トラス橋が架かっているが、これは水路橋ではなく、NTT東日本(架橋時は電電公社だったが)のケーブル専用橋だ。ちなみにその架橋は昭和60年(1985)であった。


(後編につづく)



  

山梨県上野原市 また謎のポニートラス橋・八米橋(後編)

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【15年2月1日探索・2月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/82/54780882/img_0_m?1425056142

現在地はここ

これまでの2本の橋とまったく同様な造りである。
違うのは、2本の橋はいずれも延長23mだったが、この八米橋は69mであるということだった。
3本の橋(西沢橋・不動橋・八米橋)は1スパン23mのポニートラスを持つ、兄弟橋なのは間違いなかろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/82/54780882/img_1_m?1425056142

困ったのは、この橋もまた情報が無い事だった。もちろん下にも潜ってみたが情報は得られなかった。

「上野原町史」からわかった事も、昭和46年4月時点で既に架橋されていた事と、もう1ヶ所、後山地区の「月見橋」という橋が同スペックであった可能性が高い事だった。
しかし、該当エリアは開発著しく、当時の幅員4m橋が残っているとは考えにくい。




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3径間もあると、支承結合部がこんなピン式だった事に気づかされる。




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再び、橋全景である。

手前に刻印があるようだが・・・




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「丸エス」マークがあって、B.S 8×2 1/2 YAWATA SEITETSUSHO ヤワタ と言うのが刻印だ。
丸エスマーク入りのものは新しくても昭和25年である。恐らくは流用橋であったならその以前の橋は昭和10年(1935)頃の架橋であろうと思う。

で・・・以前よりこの界隈のポニートラス橋は流用橋でろうという見解を述べてはいるが、どこから持ってきたものかが不明だった。

(おわり)

千葉県鴨川市~君津市 有料道路の廃道など(その1)

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【15年1月3日探索・3月1日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/38/54782238/img_0_m?1425142424

現在地はここ
<進行方向は2時>

千葉県鴨川市打墨 県道24号千葉鴨川線、というよりも鴨川有料道路起点付近と言った方が正しい場所か。
今日はこの有料道路における旧道を巡っていこうと思う。
途中にはあまり知られていない廃隧道のある廃道区間もあったりする。

とりあえずはここを右折しよう。




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まずは有料道路の旧道区間である。
鴨川有料道路は昭和42年に供用開始された千葉県道路公社管理の有料道路であるが、昭和63年~平成3年にかけて大改修工事がされ、現在のスタイルになった。その際にこの金山ダム入口・鴨川第2隧道経由の道路は旧道となり無料区間となった。




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そんな素性を持つ道路なのでそこに架かる橋(打墨橋・うつみばし)も昭和41年架橋であり、間もなく半世紀を迎えようとしていた。




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「金山ダム」バス停があった。
現在は鴨川市のコミュニティバスが1日4回やってくる。

が、かつては鴨川駅~上総亀山駅までの路線バスが存在しており、ここも通っていた。
かつて私はその路線バスに乗車し上総亀山駅から久留里線に乗車した事があったが、現在普通の路線バスは鴨川有料道路の市境区間の運転がない。高速バスを利用し「笹」バス停で降り徒歩でアクセスすれば20年近く前と似た行動は取れる事になるが、高速バスは旧道区間を通行しない。




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路線バスすら通行しなくなった旧道は、寂れている感が拭いきれなかった。




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このあたりの数軒の家を過ぎると、道は直線的に、さほど急ではない上りになった。




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そして、隧道があった。




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鴨川有料道路第二隧道・昭和41年12月竣工である。

ここで、あれ??と思った方が何名かはいらっしゃると思う。
そう、この有料道路を走行していて、こうやって旧道にはトンネルがあったワケだが、普通に走っていてトンネルを通った覚えの無い方が居られるかと思う。
現在、有料区間にはトンネルは存在しない。

・・・でも、この旧道にあったのは「第二」隧道なのだ。
普通に言えば「第一」がある、と考えるはず・・・




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内部だが、一部コンクリ吹付け素掘りだった。
有料でもかつてはこうだったのか・・・




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北側坑口である(振り返って撮影)。
そして、ほぼ同じ場所で北側を向くと・・・




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現在地はここ

これが、道路付替区間の始まりだった。
ちなみに30mくらい先に少しだけ放棄区間が見えるが、この区間は10mちょっとである。




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なので、現道に合流して先に進もう。

(その2へつづく)

  

千葉県鴨川市~君津市 有料道路の廃道など(その2)

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【15年1月3日探索・3月2日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54783640/img_0_m?1425222722

現在地はここ

現道のすぐ脇に、まるで亡霊のように旧道の廃道区間があった。




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振り返るとこんな感じだ。
廃道区間と現道では多少の高低差がある。
最大で2m程度だったか。




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そんな区間は数十メートル続いた。




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上の画像とほぼ同じ場所で、ちょっと視点を変えてみた。
謎の岩やら謎の看板が放置されていた。




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峠への登りがしばらく続く。
この右側にも廃道があるはずなのだが・・・




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現在地はここ

あの、赤い矢印付近から崖が登れないものか・・・




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上のほうにガードレールらしきものが見えた。
でも、ここ、登るの??




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現在地はここ

出てきたのがこんな場所だった。
旧道が道として痕跡を残した端だった。




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では、北側に向かって進んでみよう。




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大きな看板が旧道を完全に塞いでいた。
そして、この看板は何かというと・・・




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君津側からやってくると、市境を越え、峠を越し、下りカーブに差し掛かったところで見えてくるのがこの看板なのだ。
それが旧道の路面上に置かれているというのが、どうにも皮肉っぽい。

(その3へつづく)

  

千葉県鴨川市~君津市 有料道路の廃道など(その3)

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【15年1月3日探索・3月3日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54785315/img_0_m?1425308937

現在地はここ

ようこそ鴨川へ・・・道路としての役目が終わった旧道の第二の人生としての役割はけっこうセツナイ。
人知れず廃れていくよりはそれでもマシなのだろうか?




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先に進もう。
このあたりの路面状況は良好で、今にも車が走ってきそうな錯覚さえ起こしそうだ。




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が、ほどなく廃道である事を理解させられる状態に変わった。




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平成3年(1991)に現在の道路の形に改修が完了したようなので、廃道になってから24年近くが経過している事になる。
その割には、元々が有料道路規格だったせいなのか、状態は悪くないというのがこの道の印象であった。




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大きな松ノ木を回りこんだ先で見つけたものがあった。




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ガードロープだった。
昭和42年の開通当時にはガードロープが設置されていたのが、後年になってからガードレールも設置されるようになったものと推測する。

右の、廃小便器については・・・なぜここに放置されているのか、まったく不明だった。




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そして、前方が大きな壁になっていた。




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旧隧道だが、千葉県内にはよくあるパターンになっていた。




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現在地はここ

地図モードではまったく旧道が表示されないが、ここが旧隧道である事は紛れも無い。
そして、坑口コンクリ完全封鎖という仕打ちを受けていた。




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扁額が大変見難いが、鴨川有料道路 第一隧道と刻まれている。

この先には行けないので一旦撤収して反対側に向かおう。

(その4へつづく)

  

千葉県鴨川市~君津市 有料道路の廃道など(その4)

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【15年1月3日探索・3月4日公開】

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現在地はこの辺

封鎖隧道によってゆく手を阻まれた私は、山越えはせずにおとなしく現道から市境を越える。




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君津市に入り間もなくあったのは1kmを示すキロポストだった。




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現在地はここ

反対側坑口前までやってきた。
こちら側ももちろん完全封鎖されていた。




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こちら側の扁額はよく見える状態だった。
「鴨川有料道路 第一隧道 昭和41年12月竣功」である。




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では、改めて封鎖隧道前から続きの北側の廃道区間を行こう。

現道経由でここに居るという事は、実はもうここまでの廃道区間は通っており、画像を撮影しながらこうして巡っているのは私にとっては「復路」になる。




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何か看板のようなものがあるようだ。




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鴨川市のカントリーサインだった。
実際の市境は封鎖された第一隧道内になるようだが、明かり区間に設置されていたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/74/54786774/img_7_m?1425398833

そういえば、だが、反対側と雰囲気が違いすぎる。
こちら北側は舗装されていたはずの路面が剥がされ、明らかに人工廃道化されていた。




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また道路の看板を期待したのだが、国有林を示すものだった。




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いやに広い平場な気がするが昭和50年の航空写真を見る限り特にパーキングなどが設置されていたような事はなかったようだ。

他にも、道路だった証のようなものが、何か無いかなあ・・・

(その5・最終回につづく)

  

千葉県鴨川市~君津市 有料道路の廃道など(その5・最終回)

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【15年1月3日探索・3月5日公開】

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現在地はこの辺

遅ればせながらこの付近の新旧地図を今昔マップにて示す。
ここが廃道化された正確な日付は不明ながら、平成3年(1991)に改修工事が完了しているので、24年程度が経過した事になる。
隧道北側はどう見ても人工廃道化されたようだが、どういうワケか残存しているものがあったりもする。




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1kmのキロポストだった。
先ほど、現道の市境付近で2kmのキロポストを見かけたのだが、有料道路としての起点位置が変わったと考えるのが自然だろう。




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しばらく広い平場があったのだが、急に・・・




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狭くなった。
旧道の路盤は現道に飲みこまれた格好になっていった。
辛うじて、山側の道路側溝だけが残った。




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ロープが設置されている。
誰が設置し、誰が利用しているものなのかも不明だった。




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道路の側溝の片側分だけは残っているのだが、通行する事自体がかなりキケンな場所もあった。




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やっている事は藪こぎなのだが、廃道の探索と言っていいものなのか・・・




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新旧道路の分岐地点付近だ。
分岐地点はカモフラージュのためなのか、非常にわかりにくくなっていた。




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分岐地点付近にあったキロポストだ。
ここで1.8km、やはり廃道上にあった1kmは現在と起点位置が異なっていたようだ。




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そして料金所近くの道路情報板は好ましい差込式のものだった。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 復活するのか?廃なのか?吉田川の流れ橋

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【15年1月25日探索・3月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_0_m?1425570636

現在地はここ

埼玉県秩父市下吉田 吉田川に架かる吉田仲橋から見えた光景だ。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_1_m?1425570636

地図を見ると100mほど上流に小さな橋の記号が描かれている。
きっとその橋なのだが、探索日現在、橋としての機能は失われていた。

橋の袂へ近づいてみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_2_m?1425570636

阿熊川の椋宮橋を渡り、さらに左折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_3_m?1425570636

路地状の道を進むと・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_4_m?1425570636

コーンが建っていた。
しかも太陽光で夜間点灯する仕組みのようだ。
そしてその先は・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_5_m?1425570636

橋である。
しかもよく見ると流れ橋となっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_6_m?1425570636

流れ橋にしてはその構造は頑丈な部類に入る。

結局渡れないし・・・この反対側へ行ってみようか。




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再度、吉田仲橋へと戻ってきた。
この橋をくぐって先ほどの流れ橋に到着!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_8_m?1425570636

よく見ると流されたような感じではなく、大雨の前などに避難させられた部分なのか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/22/54789522/img_9_m?1425570636

よく観察してみると、けっこうソソラレる、怪しげな構造をしていた。
桟橋のようなアプローチ部もあるし・・・

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その1)

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【15年1月12日探索・3月7日公開】

いつも閲覧して頂きありがとうございます。
皆様のおかげで昨日22時頃、アクセス数が60万を突破しました。
これからも皆様のちょっとしたオアシスになれたらいいなあと思っています。


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/80/54790980/img_0_m?1425659373

現在地はここ

群馬県高崎市倉渕町川浦 県道54号長野原倉渕線だ。
この先の分岐を左折する。




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県道の旧道は緩い下り坂になった。交通量が少なく、快適な道だ。

ところで、ここが旧道になったのは倉渕ダム建設計画の一環である。
倉渕ダムは昭和59年から調査を開始し平成2年に事業着手されたが、平成15年(2003)にダム建設は凍結された。
それまでの間に県道付替道路が建設され、これは既に供用されている。
という事は当然旧道になった道路がある。私が今いる道路だ。

他にも工事用道路だとか、旧々道なども探索したので、今回の連載の中で紹介したい。




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旧道沿いにもまだいくつか集落が残っていた。
バス停の名は新開入口、日によって来るバスの本数は違うが多い日で7回やってくる。が、ここから高崎駅まで行くには2回バスを乗り継ぐ必要がある。




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その先は人家もなく荒涼とした雰囲気が漂う。
まだこの辺はダム予定地よりも下流側であり、水没予定ではなかったはずなのだが・・・




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ありゃ・・・
何だ、この雪は!!




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何日前に降った雪なのかはわからなかったが、完全に凍結しており、自転車を押しながらの歩行でもけっこう危なかった。




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日影の凍結区間はいったん終わった。
この先に橋が架かっているが、その手前から旧道っぽい道が分岐していた。




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旧道、というか旧橋が残っていたのだった。




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旧橋はかなり木々による侵食が激しい。
夏場だったら絶対に行こうと思わない。




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現橋が見えたが、ここから先には行けなかった。




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残っている親柱があって、それを読んだら「縣道北軽井沢室田線」と刻まれていた。
橋の名が刻まれている親柱はなかったが、現橋と同じ「滑川橋」だろう。

旧橋の竣功は不明だが、現橋が昭和49年3月竣功なので、それまで現役だった事になる。




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現橋から旧橋を見るとこんな感じだ。
旧橋の上流側はアクセス部分が欠落しており、アクセスが事実上不可能なのだ。
2枚上の画像で私が進めなかった理由がそのためである。

(その2へつづく)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その2)

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【15年1月12日探索・3月8日公開】

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ほとんど日が当たらない区間になると、容赦ないアイスバーンである。
ちなみに、集落を過ぎてからここまで人も車も見ていない。

先のほうに、また橋が架かっているようだ。




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現在地はここ

矢印を書き忘れたが、左側・旧県道は蛇渕橋でクリアしている。
そして、旧旧道にあたる道なのだが、烏川の左岸沿いにどうも線形が延びているようだ。

旧旧道はちょっと置いておいて、右の道、国有林の専用林道へちょっと進もう(訪問は2010年4月)。




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ここから4枚、画像は2010年4月のものになる。




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大型ダンプが通行したはずの道だが、探索時で完全1車線が通行可能だった。




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現道の橋が見えてきた。
このひとつ手前のカーブ地点でカモシカに遭遇した(とは言っても20mくらいの距離はあった)




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元・工事用2号道路で林道になった道路は新蛇渕橋の横に出てきた。




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話を旧旧道に戻そう。
旧旧道なのかどうかがこの時点ではまだ不明だったが、道路であったような平場が延びていた。




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進むにつれだんだん怪しくなってきた。




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そして、だいぶ大きな石が目立つようになってきた。




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崖を見上げた。
これじゃあ、路面はああなるよなあ。




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かなりクリティカルな場所だ。
平場はなくなり、斜面しかなくなってきた。




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その先、少しだけ平場が復活した。
が、そもそもこれが県道の旧旧道なのか?
何か裏付けになるようなものが見つからないかなあ・・・

(その3へつづく)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その3)

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【15年1月12日探索・3月9日公開】

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現在地はこの辺

こんな完全廃道を進む中で、左の路肩に、信じがたいものが残っていた。




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しかも、管理者は群馬県だった。
これで、昭和50年10月までこの道が県道であった(路線名は長野原倉渕線ではなく北軽井沢室田線であったと思われるが)事が確定的になった。




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しかも路肩注意ポールは1本だけではなかった。
全部で3本も残存していたのだった。

ただ、これだけクリティカルな場所でガードレール未設置な事はおろか、デリニエーターも無しのポールだけって、いくら昭和50年以前とは言え、大丈夫だったのだろうか?




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だって、左は烏川の急流が流れていて、おそらく未舗装の悪路だった場所である。
絶対に夜間などは通りたくない。




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ここで擁壁(?)側を見上げた。

先ほどの発言を訂正しよう。
夜間だけではなく昼間でも通りたくない。
それにしても現役時代から、こんなだったのか??
あるいは何らかの人工物は既に完敗しているという事か??




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左の方に、橋が架かっているのが見えてきた。




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橋はこれまでの壊滅的旧道から比べたら、非常に完全な形で残っていた。
つうか、何でフェンスが設置されているんだ??




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現在地はこの辺

ここで烏川を渡っているのは蛇淵橋(親柱の漢字が鮮明でなく「ブチ」の漢字が違う可能性あり)、昭和31年11月竣功である。

橋の中央に盛り上がっている場所があるが、水道関連施設であろうか?




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反対側にもフェンスが設置されていた。
これをクリアすれば、この廃道区間の探索は成功する。親柱までは登ったのだが、その先のフェンスの脇抜けをするには凍りかけの苔と凍った雪があまりに危険だった。

いつ崖崩れが起きるかわからない廃道を戻るのと、どちらがリスクが少ないかを考えた結果、私は来た道を引き返す事にした。




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約8分をかけ、現道の蛇渕橋に復帰した。
旧県道はこの先もまたアイスバーンが続くようだ。
今度は上り坂になるようだが、大丈夫かな??




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橋を渡りさらに20mほど進んだところで右を向くと、先ほど私が渡りきれなかった旧橋が見えた。

(その4へつづく)

  

60万HIT記念 群馬県高崎市 倉渕ダムに翻弄された道路たち(その4)

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【15年1月12日探索・3月10日公開】

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現在地はこの辺

アイスバーンでしかもずっと登り勾配だ。
これは、なかなか前に進めない。
もちろん、乗車などもってのほかである。




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このくらいでも路面が見えてれば、私、もしくはヘリオス号のどちらかのグリップが効くので、転倒のリスクはかなり減る。




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右側、道路が急に広がった。
展望広場か駐車場かと、一瞬思った。




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現在地はここ

しかしオブローダーなら、すぐに気づかなければならなかった。
「橋あるところに旧道あり」だった。




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積雪のため、本来の路面の状況はわからない。
ここは昭和53年3月に架橋されている姫子橋が旧道の現橋である。




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橋、というかボックスカルバートがあった。
名前からすると一応橋のようだ。その名は姫子橋、昭和38年10月竣功である。

ちなみに付替県道にも姫子橋はあったので、同じ名の橋が3本も架かっている事になる。




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ボックスカルバートから道路になる境目が崩落していた。




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橋からだと50m程で旧道へ無理やり合流している。




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旧道へ合流したのでまた進む。
このあたりは路肩付近が一番グリップが効いていた。

旧道に入ってから1時間以上が経過しているが、集落の先では自動車はまだ1台も見かけていない。




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日が当たる場所になった。
このアイスバーン区間は1km以上も続いたが、ようやく解放された。




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現在地はここ

この付近にダム本体が建設されるはずだった。

無人の谷なのだが、この先はどうしていくつもりなのだろう。

(その5へつづく)

  
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