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群馬県渋川市 伊香保ケーブル鉄道跡・起点側(その3)

【14年12月14日探索・15年1月30日公開】


現在地はこの辺

橋脚(確か3本目)の先に、下側の橋台が見えてきた。





私は右に回りこみ、高巻きをしてケーブルカーの軌道跡に復帰した。
結論的に言うと、橋台の左に行った方がはるかに楽だったようだが・・・





橋台の上には先ほど見かけたものと同様の小屋があった。
水道か温泉のポンプ室あたりなのだろうか?





滑りやすい軌道跡をゆっくりと下る。
先ほどの橋台の左を回りこむと、ここで合流する事になる。





このあたりまでは車も入ってくるのだろうか。路面状況は格段に改善された。

一応のゴール地点であろうと思われる、はるか前方までもが見えるようになってきた。





左の方、作業道が見えてきた。
帰路はあれを通れればいいのだが、県道33号線への出口は鉄扉と有刺鉄線で厳重に封鎖されているのを確認済みだった。
従って、この時点では起点付近からの脱出ルートが確定していない。とは言え、まったくアテがないわけでもなかった。





下りの軌道跡を黙々と進む。

あれ?!
ここ、水路を渡っているよな。。





確かに、小さなカルバートであった。
これがケーブルカー時代のものなのか、廃止後に造られたものなのかは不明だった。





左から作業道が近づいてきた。
正面には何か構造物、そしてその構造物の向こう側は大きな壁になっていた。





構造物は、先ほどあったものと同様の水タンクであろうか。

そして、このシチュエーションは、絶対にアレがあるはず・・・

(その4・最終回につづく)

  

群馬県渋川市 伊香保ケーブル鉄道跡・起点側(その4・最終回)

【14年12月14日探索・15年1月31日公開】


現在地はここ

やっぱり「アレ」はあった。
このケーブルカーの起点近くにあった隧道である。





近づいてみる。

通天洞

完全封鎖・・・されてはいなかった。





扁額には右読みで「利澤無窮」と刻まれていた。
意味は・・・慈しみは尽きる事はない・・・下りで正面に目にするという事は、観光客たちは帰路にあたるはずだ。どのようなメッセージを伝えたかったのだろうか?

その左に刻まれていたのは宇野哲人・・・wikipediaで調べたら儒学者、中国哲学者であったようだ。ちなみに、現在の皇太子の名前である「徳仁」と称号「浩宮」の選定大役を担った人物であったようだ。





内部を覗いてみる。

この日は寒かった事もあるが、隧道内部は異様なほどの暖かさだった。
カメラのレンズは2秒もすると雲りだらけになる。





先の光が気になって再度ズームにて挑戦・・・
ピントが合わず、失敗した。

入洞は、物理的には可能であろう状態だったが、内部の熱気と湿気、そして、まさかとは思ったが、熊が冬眠でもしているリスクも考え、撤収する事にした。





一応、これでケーブルカー廃線跡の探索は終了なのだが、目下私の中では最大の関心事はここからの脱出ルートについてだった。

あれ??この階段は??





上に続く長い階段があった。

これ、見覚えがあるぞ!
5年近く前に上から見た階段に間違いない。
画像ではあまり急に見えないだろうが、実際はけっこう急な階段だ。

生還への道は・・・落ち葉と雪でかなり滑る。





それでも3分後には上に辿りついた。





見覚えのある光景だった事と、進入禁止と明示されている場所の突破無しでの生還が約束され、ひとまず安心した。





県道33号2番カーブ付近に降りてきた。

(おわり)

  

山梨県山梨市 国道140号工事用道路?

【14年11月15日探索・15年2月1日公開】


現在地はここ

山梨県山梨市三富川浦 国道140号線道の駅みとみの200mほど北側だ。

ここから西沢大橋を通らずに西沢大橋対岸に行ける道が地図上には描かれている。
どうやら西沢大橋と鶏冠山大橋の工事用道路と見て間違いなさそうだが、確実な裏づけは取れていない。

西沢大橋竣功の前年1995年10月の航空写真には確実に写っているし、ここに工事用道路があれば工期の短縮には絶大な効果があるはず・・・という状況証拠のみではあるが、とにかく行ってみよう。
ここを右折する。





右折するとすぐにゲートがあった。





その先である。
どう見てもしばらく利用されていないようだ。
まあ、工事用道路だから(私の仮説だが)仕方ないか・・・





カーブミラーの支柱だけが建っていた。





工事用道路らしく全体的には道幅は広かった。地理院地図では歩道寸前の実線表記だったが、ここなどはダンプカーがすれ違えるほどだ。





上側の国道ガードレールが見えてきた。





ここに来ると廃道っぽさが薄くなった。





路面にブルドーザーか何かで引っ掻いたような跡があった。
いや、もしかしたらその前にもあったのかも知れないが、路面があまり見えなかったのだ。





この坂を上がると・・・





現在地はここ

国道140号線に出る。





右を見た。
この場所、見覚えのある方も居られるかもしれない。




最後の画像は西沢大橋(約半分だが)と渓谷ハイキング者のための駐車場だ。

こんな大規模な橋だから、工事用道路がある、今の時点では裏づけはないが・・・

  

東京都大田区 羽田空港まで歩いて行ってみた(その1)

【14年10月12日探索・15年2月2日公開】


現在地はここ
<進行方向は7時>

東京都大田区羽田空港1丁目 東京モノレール天空橋駅前だ。
このあたりは戦前には鈴木新田という地名で多くの人が暮らしていたが、敗戦後連合軍に接収され住民たちは48時間以内に退去させられた→今昔マップ
以降、定住者はいない(はず)。

そんな天空橋駅から徒歩で羽田空港まで行ってみようと思う。
国際線ターミナルから国内線ターミナル(第1・第2)まで無料の循環バスが出ているが、それは利用せずに第1ターミナルまでずっと歩きで行ってみよう。
途中に滑走路下を通るトンネルがあるが、歩行者が通行しても良いのは環八のみなので、ここを南向きに進む。





駅前にはバス停もあり、それに乗れば空港まで行けるが、もちろんそれも利用しない。

駅入口を過ぎると、いきなり空港内のフェンスの中が怪しげだ。

このあたりは現在の利用用途は不明だが、旧B滑走路エプロン付近ではないかと思う。





交番の前を通る。
ここが駐在所だったら、住民がいる事になるのだが、交番なので警察官は通勤してくる(はず)。





現在は付替えられた環八によって無用のスペースであろうが、かつてのB滑走路の下をくぐる。





大雨時には冠水するようだ。
目盛りが0.4mと0.8mにある。
近年のゲリラ豪雨の時など、冠水したのかな?





やっぱ、歩いて行く人間なんて珍しいのか?
歩道の利用者は果たしていかほど?





バス停があったが、ここで乗降する人はいるのだろうか?





だって、すぐ左のフェンス内はこんなですから・・・





都道311号線は環八に再合流する。





そして都道を横断し、そのまままっすぐ行こうと思った。
ところが、変な場所に付替え前と思われる歩道のガードレールが残っていたのだ。





その歩道だが、半分廃のような状態だった。





現道の歩道とも合流した。
その先、いやにスペースのある空地?
もしかしたら、羽田と川崎市川崎区殿町地区との間に新しい橋の架橋計画があるので、その架橋候補の一つかも。

(その2へつづく)

  

東京都大田区 羽田空港まで歩いて行ってみた(その2)

【14年10月12日探索・15年2月3日公開】


現在地はこの辺

天空橋駅手前で地下に潜ったモノレールが地上に顔を出す場所だ。

このあたり、昭和初期、戦前はこんな(現在地は地図中心付近)だったらしい。
京急穴森線の穴森駅は現在地の300mくらい北側にあって、穴守稲荷は現在のB滑走路内に鎮座していた事になる。
つうか、今の国際線ビルの場所って、戦前には競馬場だった場所だったのか・・・





道路沿いに羽田空港船着場なる場所があった。
ちょっと、ターミナルから離れているな・・・

そのせいかどうかはわからないが、探索時の運行スケジュールは毎週日曜日にお台場と横浜ぷかり桟橋行があるのみであった。





交差点があった。
ここを左折し、次の信号を右折すれば国際線ビルだ。無料ターミナル間バスが10分間隔で走っている。
・・・一瞬、そんな思いもよぎったが、まだ歩行時間は30分にも満たない。当然、直進する。





右に、変な空間が出現した。
つうか、どう見ても道路だった場所だよな。
確かにここが道路だった時代はあったようだ。





廃道らしくない微妙な感じの旧道は200mくらい続いていた。

ちなみにこのあたりの左側は、東京モノレールが国際線ターミナルオープン時(2010年)に線路付替がなされた場所でもある。
両方とも痕跡を残していないのが趣味者にとっては残念だが・・・





その先、狭い場所だが、この一角だけがかつての自然に近い形が残っていた。
画像ではわかりにくが、釣りをしている人たちが何人かはいた。





その先、モノレールの線路が戻ってきた。

信号機の先の、右側、何??





紛れも無く、これまた廃道だった。
地図には微妙な道路位置の差があった。





モノレールと、廃道のコラボだ。
放置された事によりグリーンベルトとなった上下線の仕切が、何か皮肉のようだ。





500m強、こんな妙な廃道が現道のすぐ横を並走していたが、この先はフェンスが張られており、立入禁止となっていた。





おとなしく歩道を進む。廃道はフェンス越しに見る。

モノレールは再び地下へと潜ろうとしているあたりなのだが、ここに重要なものが建っているのを発見した。





この日はスマホのカメラでの撮影だったせいで、肝心な画像が鮮明でない事をおわびする。
ここに建っていたのは道路管理境界なのだ。
ここより左が東京都道311号線、ここから右は国道357号線となる。

ここからは国道だぞ!
とテンションを上げてみるが、まあ普通に利用する分には何も変わらないんだよねえ。。

(その3へつづく)

  

東京都大田区 羽田空港まで歩いて行ってみた(その3)

【14年10月12日探索・15年2月4日公開】


現在地はここ

廃道進入禁止区間が続くが、その廃道ももう少し先で終わっているようだ。

そして、私が進んでいる都道(注:昨日の記事でここまでの区間が都道311号線だと書いたが、wikipediaには「国際貨物ターミナル付近から穴守橋東詰までは東京国際空港の構内道路として国土交通省東京航空局東京空港事務所が、それぞれ管理している。」と書かれていた。要確認事項かも。)から国道になった環状8号線は・・・





地上よりもその高度を下げ、間もなく地下トンネルに入る。





羽田空港トンネルである。
1990年以降の空港拡張工事に伴って造られたトンネルであるが、手元資料では正式な竣功年月は不明であった。

歩道には「自転車スピード注意」の看板が設置されているが、このトンネルこそ唯一、自転車・歩行者が羽田空港国内線ターミナルへアクセスできるルートなのである。





片側2車線なので、今見える車道は空港から蒲田方向へ向かう2車線になる。
車道の向こう側に「キケン」と書かれた怪しげな扉があるが、不用意に開けたら反対車線なので本当にキケンだと思う。





歩行者ならではの光景を見ながら進む。





向こう側の出口の光が見えてきた。
そして、反対車線への「非常口」がまたあった。
この手前にももう1ヶ所あったので、合計3箇所設置されている。





延長685m、残りは165mだ。





消火栓や非常電話も設置されている。
有事の際にはけっこう頼もしい存在だ。





トンネルを抜けた。
そこで目に入ったのは、ビル同士を結ぶ橋なのだが・・・
ちょっと変わっているよな、この橋・・・





よくよく見たら、全天候型三弦トラスの歩道橋だ。
JALメンテナンスセンター同士をつなぐ橋であるようだが、レアすぎる。
おそらく日本唯一のものではなかろうか?





現在地はここ
<進行方向は2時、撮影方向は5時>

ここを進み、環八を越える跨道橋を渡り新整備場駅から第一ターミナルへ行こうと思っていたのだが、部外者を拒むこの看板・・・
仕方ない。ここは迂回する。





私の行きたい方向と反対へと強制誘導された。

これで次の曲がり角からも新整備場地区へ入れなかったら、ルートの再検討をせねば・・・

(その4・最終回につづく)

  

東京都大田区 羽田空港まで歩いて行ってみた(その4・最終回)

【14年10月12日探索・15年2月5日公開】


現在地はここ
<進行方向は8時、のち11時>

国道よりも1本南側から新整備場地区へ入る道には、歩行者の立入に関する警告などの表記はなかった。
ただの遠回りになった気はするが、まあいい。
ここから入っていこう。





天空橋駅を出発してから既に1時間20分が過ぎた。

前方に見えるのは国道を跨ぐ陸橋だ。





現在地はここ

なので、先ほど見えた超レアな全天候型逆三弦トラス橋がまた見えた。
この橋、元々のJAS(日本エアシステム)が持っていた、両側のメインテナンスセンター間の連絡通路として建設されたようだ。





新整備場地区のメインストリートだ。





そしてこの奥が東京モノレール新整備場駅だ。
駅前光景だ。この日は日曜日だったので、家族連れが目立っていた。何かの見学会かもしれない。





そのまま進もうとしたが、またしても立入禁止看板により迂回を余儀なくされた。





現在地はここ

それでもこの階段のところまで迂回して到着した。





そして空港A・C滑走路間連絡路下のトンネル(正式名は調べていない)を通行する。





そしてこの歩道を進んでいく。





この最終コーナーを抜けると・・・





ゴールが見えてきた。





現在地はここ

天空橋駅を出発してから1時間50分、ようやく空港第1ターミナル前に着いた。
いやあ、思いのほか時間がかかったなあ・・・

(おわり)

  

栃木県鹿沼市 県道246号線旧道(前編)

【14年10月25日探索・15年2月6日公開】


現在地はここ

栃木県鹿沼市入粟野 県道246号草久粟野線だ。
本県道は昭和36年認定なので、もう半世紀以上の歴史がある。

そんな県道の、かつて現役だった道を辿ってみよう。

ここ、滝の端2号橋の手前を右折する。





現道は直線的に粟野川を跨いでいるが、旧道は川沿いを忠実に辿っていた。

落石注意の標識があった。また、その支柱には「この先行き止まり」の看板があった。
だが、この場の主役は右の方の標識支柱だ。





標識は左急カーブあり、だった。
また、消えかかっていたが、設置者が栃木県である事が判明した。






何だか、アドベンチャーゲームの主人公になった気分・・・





左には橋、正面には看板が建っていた。





個人宅へと向かう橋は欄干無しだった。





そして正面だが・・・

この先通り抜けできません、とはまたずいぶん挑戦的だ(笑)。





とりあえず進んでみる。





看板から4,50m過ぎた場所に本当の通行止めバリケードが設置されていた。





そして通行止区間、けっこう難しい状態になっていた。

(後編につづく)

  

栃木県鹿沼市 県道246号線旧道(後編)

【14年10月25日探索・15年2月7日公開】


現在地はこの辺

この区間の旧道全体では半分にさしかかろうかという位置だ。
ここがこんな廃道となってからの正確な年数はわからないが、昭和63年には既に現道が開通していたことが航空写真から見て取れた。
四半世紀も手入れがされなければこうなるのも致し方ないか。

藪がすごいのでヘリオス号は手前で待機とした。
先に家が見えているという事は、完全廃道区間は間もなく解消か。





上の画像の場所から、50mくらい進んでから振り返った。
もうここは反対側のバリケードを過ぎて、道路自体は復活している区間だ。





再び、進行方向へと向き直る。





なかなか、ヨイ雰囲気だ。

ここに建っていた標識もよく観察すると・・・





栃木県の文字が読めた。





旧道とは言え、現役道路としてはちょっと心配になる路面状況だ。

右に、看板があるようだが・・・





その看板は「この先行き止まり」だった。
設置者名は鹿沼警察署と鹿沼市だ。もう県道ではないのだろう。





左から現道が近づいてきた。





合流手前の最終区間だが、ちょっと見には廃道にしか見えない感じだ。





現在地はここ

この画像は合流したのち、振り返ったものになる。

看板の車両通行止の文字が相当色あせていたのが印象的だった。

(おわり)
 

神奈川県相模原市 県道517号姥平橋旧道

【14年6月21日探索・15年2月8日公開】


神奈川県相模原市牧野 県道517号線だ。
私は昭和50年代には自転車でも車でも通った道で、狭い道だったという記憶が残っている。
それからだと30年以上経過しており、かなりの部分が改良されてはいるが、現在においても1.2~1.5車線程度の道幅の区間も数箇所残っていて、その手前にはこのような看板が設置されている。





目的地の少し手前だ。とは言ってもこの時点では特にマークしていた場所でもなかった。

ここに至るまでにも何箇所かの旧道、プチ廃道があった。
この場所も津久井土木事務所のA型バリケードが物語るように改良前は左の草むらが道路だったのだろう。

矢印の場所まで進む。





現在地はここ

字名は日連(ひづれ)に変わっている。

姥平沢を跨ぐ姥平橋だ。
竣功については、工事銘版の位置に到達できず、またこの地域の航空写真データが少なく昭和49年(1974)以降平成20年(2008)の間としか言い切れない。
まあ、雰囲気的に言うと昭和末期か平成初期くらいだろうか。

そんな橋の傍らで見つけたものは・・・





30km制限を示す道路標識の残骸だった。
ここ、旧道かよ・・・





マークしていなかった(とは言え、先ほどのリンクの地図をもっと拡大すれば廃道が浮かび上がるが)のと、藪がけっこうありそうなので、あまりテンションは上がらない。
よいしょ・・・





イラクサっぽいのが沢山ある!
まだ棘を出す時期ではないのかもしれないが、要注意の雑草だ。





急カーブのところに設置されている注意・誘導版も残っていた。





道は左カーブを描き延びていた。





6月じゃなく、7月・8月だったら絶対に入ってこないな。
徐々に藪が深くなってきた。





そして反対側のラスト数メートルは笹薮だった。
一応、現道の欄干見えたし、これにて撤収!

  

千葉県君津市 県道24号線片倉ダム旧道(前編)

【15年1月3日探索・2月9日公開】


現在地はここ
<画像の撮影方向は12時、探索対象の旧道はほぼ9時方向>

千葉県君津市笹 県道24号千葉鴨川線だ。
この画像で言うと、左上の旧道が気になっていたので行ってみよう。





いったん現道、旧道の分岐地点まで戻った。

旧道、フェンスで塞がれているんですけど・・・





フェンスはおそらく自動車の進入を禁止したものであろう。

なので、その先へ進む。





この先で道が狭くなるようだ。





土砂崩落でもあったのだろうか。
旧道化の後の出来事であれば、1車線分だけ確保できればいいという本音が見えた感じだ。





この道路は大雨のとき通行止になります。の看板が建っていた。





反対側にも県道時代の名残の看板があった。





何かの施設があった。何だろう?

これを湖から見ると・・・





湖に架かる片倉橋(平成2年3月竣功)から見るとこんな感じに見える。

これは取水施設??





この施設のところから先が廃道の始まりだった。

(おわり)

  

千葉県君津市 県道24号線片倉ダム旧道(後編)

【15年1月3日探索・2月10日公開】


現在地はこの辺

取水施設かもしれない場所の先は廃道、しかもこれ、どう見ても自然にこうなったものではなく、明らかに人工的に廃道化したものだった。

それにしても、もう少し綺麗にはできなかったものか・・・





100m弱、そんな人工廃道が続いたが、その先にはまた路面が復活していた。





視界が良くなってきた。
というよりも私がいる場所がどんどん湖面へ近づいていて、湖で釣りをする人たちからも私がよく見えるようになったはずだった。





そして、旧県道は湖面へと近づく。





現在地はこの辺

地図だが、今度は航空写真モードにしてみた。

ダム湖では旧道が湖底へと向かっていく様はそう珍しい光景ではないのだが、何かこう、「陰(いん)な場所」というドキドキとも後ろめたさとも違う、不思議な感覚がある。

この先には進めないので反対側に向かう。




現在地はここ

平成2年ごろに付替えられたであろう現道を通って反対側にやってきた。
この矢印のところがそうなのだが・・・





ありゃ!!





こちら側は、現道から近すぎて目立つせいか旧道入口で封鎖されていた。





フェンス越しで撮影する。

30mくらい先ですぐに水没しているようだ。

訪問できていない中間地点に地面が盛り上がっている場所があるようで、その部分の旧道にも行けないかと思っていたが、叶わなかった。

(おわり)
  
 

埼玉県皆野町 県道沿いの特徴的な橋たち(前編)

【15年1月25日探索・2月11日公開】


現在地はここ

埼玉県秩父郡皆野町下日野沢 県道284号下日野沢東門平吉田線だ。
この道は2008年に通っているので、これから出てくる橋の一部は再訪になるが、前回完全に見落としていた橋もあった。
7年前とは反対側から行ってみよう。

秩父市側から峠を越えて、秩父華厳の滝入口を少し過ぎたところだ。

ここで、2本の橋を発見!





黄色矢印の橋だ。
小さな橋だがコンクリ橋だろうか?





赤矢印の橋だ。
この橋は7年前に見た記憶はあるのだが、その記事が見当たらなかったので、少なくとも当ブログでは初公開という事になる。

橋脚の割には桁と床板が華奢な橋という印象だ。





現在では破風山へのハイキングコースになっているようだが、上の炭焼小屋のような建物へのアクセス橋だったのかもしれない。





県道からこんな光景が見られるなんて、ちょっとだけ得したような気分だ。





現在地はここ

150mほど下流側に移動した。
ここにも小さな橋記号があるのだが、前回は全く見落としていたようだ。

とにかく、行ってみよう。





凍った雪のためにけっこう滑る。
気をつけて進むと、橋が架かっているのが見えた。





橋記号よりずっと長いなと思ったら、どうも記号は下に架かっている旧橋のものであるらしかった。





橋の先には祠がある。
一応旧橋が残っているのに新橋が架けられたのは、この祠までの利用が多いのかもしれない。





結局橋は5径間もの、それなりに長大な橋になっていた。

帰路は旧橋を渡りたかったのだが、雪は凍っているようだったので止めておいた。
ここから下流にもちょっと変わった橋がいくつか架かっているので、行ってみよう。

(中編につづく)

  

  

埼玉県皆野町 県道沿いの特徴的な橋たち(中編)

【15年1月25日探索・2月12日公開】


現在地はここ

先ほどの橋から300mくらい下流に移動した。
この先左側に、また橋が架かっている。





一応、車道の橋であるようだが、欄干はない。
造りとしては冠水橋と同様か?





コンクリ舗装はしてあるものの、どこか怪しげな雰囲気がある。
反対側に行ってみよう。





それにしてもこの橋、かなり危険だった。
いや、橋そのもののせいではないのだろう。路面がカチカチに凍っており、すべるのなんのって。
それに欄干が無いので、ヘタするとバランスを崩したまま日野沢川に転落なんて事もあり得る事だった。

ところで、この橋、コンクリ舗装の下は木製桁の土橋であるようだった。




そんな事で・・・次の橋に向かったが・・・





現在地はここ

この木橋は・・・





どう見ても廃橋だった。
ちょっと渡ってみようかと考えた。
この高さならもし落下しても大事には至らないのだろうが、足元がこんなだと思わぬ怪我をする恐れがあったのでバカな事はやめておこう。





引いた画像がここまで無かったが、この橋はこの先の廃屋っぽくなってしまった建物へのアクセス用だったものと思われる。





さらに100m、下流に来た。

ここから橋が2本見える。
手前の太鼓橋風の桁橋は個人宅への歩行者用の橋だ。

で、奥に見えるのがこの界隈でメインと言って差し支えないアーチ橋だ。

(後編につづく)

  

埼玉県皆野町 県道沿いの特徴的な橋たち(後編)

【15年1月25日探索・2月13日公開】


現在地はここ

秩父巡礼札所34番水潜寺だ(ちなみに西国33箇所、坂東33箇所、秩父34箇所を合わせ日本百観音といい、その結願寺でもある)。

そんな寺入口前の日野沢川に架かっているのがこの橋だ。橋梁名は不明だ。

形式は上路式アーチ、トラス補鋼といったところか。
補鋼部分だが、9スパン中、中央の3スパンだけがダブルトラスとなっていた。

ところで、こんな明るい橋だったっけかな・・・
2008年訪問時以降でペンキの塗り替えがあったようだ。





車道の橋なのだが、けっこう華奢にみえるものの重量制限標識などはなかった。
もっとも、この幅員ではおのずとワゴン車くらいが限界だろう。





真下から見たかったのだが、そういういい場所が無かった。
それでも見上げ気味画像はどうにか撮影できた。





さらに600mほど下流に移動してきた。





現在地はここ

この橋は基本、桁橋なのだが、方杖ラーメン的な補助が入っている。
また橋脚がなんとも言えないイイ雰囲気を醸し出しているように思う。





橋の先は日野沢右岸沿いに道が続いているようだ。





同じ場所で振り返り県道の方を見た。





最後にもう一度橋全体を見る。

何でもないように見える生活橋が実はレアモノであるのだから、もっとアピールしたってよさそうなものだが・・・

(おわり)

  

群馬県前橋市 約50年前のポニートラス跨線橋

【14年12月14日探索・15年2月14日公開】


現在地はここ
<撮影方向、進行方向とも6時>

群馬県前橋市古市町 ここから南側にはJR上越線・両毛線の線路があり、それを跨ぐ橋がチラ見状態になっている。近づいてみよう。





これは驚いた。
見事な、そしてけっこう年季が入っているのがすぐにわかるトラス橋だった。





銘版があった。
それによれば1965年(昭和40年)9月に出来た橋であるようだ。

古い航空写真を見たら、やはりそれ以前は踏切道であったようだ。
ただ、踏切はどうも車道ではなかったように見えた。





橋脚なども道路の横断歩道橋では見かけない造りだと思う。

では上に上がってみよう。





プラットトラスなのは下からも気づいていたのだが、これ、ポニートラスじゃん。
こんな跨線橋って・・・私は初めて見た。





橋の右側には、新前橋駅の構内が広がっている。
この時間にも列車の入替作業が行われていた。





反対側に下りた。
こちら側にも銘版があった。もちろん1965年建造のものだ。という事は、このコンクリ部分もまた半世紀間も風雨に耐えているのだった。





下から見ると、ダブルトラスのように、筋交いがクロスした造りだった。

土木遺産にもならず、スポットライトの当たらない地味な橋だが、けっこう健気に働いていると思いませんか?
近くを通った際にはぜひともねぎらってあげてほしい、そんな事を思わせる跨線橋だった。

  

山梨県山梨市 久度沢軌道・第1次探索(前編)

【14年11月15日探索・15年2月15日公開】


現在地はここ

山梨県山梨市三富川浦 国道140号線だ。
ここから国道を離れて、向かう目的地はこのあたりである。
塩山駅近くからずっと延びてきた三塩森林鉄道は、現在広瀬湖に沈んでいるあたりで西沢、東沢、そして久度沢軌道の3方向に分かれる。

西沢はあまりにも有名だが東沢や久度沢についてはほとんどレポが見当たらない。
なので今回は久度沢軌道についての探索をしていこうと思う。

ただ、ねえ・・・
あちこちの林鉄の第1次探索だけ手をつけてしまっており、第2次探索以降が出来ていない場所が多いのが気になっていた。





何か看板と、その手前の境界柱っぽいものが残っていた。





手前の境界柱だが、それは山梨県の境界柱だった!





そして、ぼろぼろの看板もまた山梨県設置のものだった。

解読すると・・・
「この先、交通不能のためここでUターンして下さい」
 自転車も通れません  山梨県」

だった。

もう間違いない、この道は国道140号線の旧道であったようだ。





そう言えば道幅だって不必要なほど広い。
何かよさげな雰囲気だが・・・





そして突然現れたのがこのゲート。
関係者以外立入禁止となっているが、登山者はどうするのだろう?





一応文言に従って、迂回してみよう。
右に見えるガードレール道を利用するのだが・・・





入口、ゲートは閉じられていた。
そして、ここのゲートには特に通行に関しての記載はなかった。





が、ゲートの先はこんな落ち葉舗装のような状態になっていた。





交差点があった。
ここは左に進んだが、右に進むと先ほどの通行禁止ゲートの場所である。





それにしても元国道とは思いもよらなかった。
古い地図には秩父往還とも書かれていたのだが・・・





途中、道端でこんなものを発見。

燃料室かな??
かつて利用されていたであろう建物だが、用途は不明である。

(中編へつづく)

  

山梨県山梨市 久度沢軌道・第1次探索(中編)

【14年11月15日探索・15年2月16日公開】


現在地はここ

進路、というか景色に変化が出てきた。
そして右に見えるのは左・雁坂峠 右・広瀬と書かれた道標と、登山届を入れる箱だった。
これって、この先に進む場合には提出しなきゃいけないものなのか??
この日私は1km程度この先に進んだワケだが、もしここから先に行くもの全てが提出すべきものであったなら、私はこの日の未提出を反省しなければならない。





上の画像で触れた「景色の変化」の最たるものは国道140号の大きなアーチ橋・鶏冠山大橋が見えたことだった。





社宅のような建物が見えてきた。
もちろん進路上だったので近づきはしたものの内部には入っていない。

現在は使用されていないようだった。
これもトンネルか国道工事のための宿泊所だったと考えるのが最も自然か。





分岐があった。
地図で見たら左の道は沢(久度沢のさらに支流)を渡ったところで終わっているようだ。

ところで、タイトルは林鉄(林用軌道)の探索になっており、これが「中編」という事はあと1回の記事なのに一向にそれらしい感じの場所が出てこない、と思っている方も居られよう。
そもそも分類が「廃線」ではない時点で、何か間違えたのか?と思われる方もいらっしゃると思う。

実は、このアプローチ道自体も林鉄跡であった可能性が高いのですが、その面影が無い事と、おそらく雁坂トンネル開通前の国道であった事から「旧道」分類にしてあるんです。





一つ上の画像で分岐した左の道だが、沢に達することなく、崩落して通行不能になっているようだった。





現在地はここ
<進行方向は4時>

この分岐には路面に直接情報が書かれていた。
これを施したのは山梨県なのか山梨市(旧三富村)なのか、はたまた地元警察か地元の団体なのか、まったく不明だった。
ただ、確実に情報としてはありがたいものだった。





ここは広瀬トンネルの上という事になる。
見えるのは雁坂トンネルの料金所と管理施設だ。

遠くからこの建物が見えたとき、一瞬「山の中に秘密結社のアジト発見か?」などと思ったのだが、地図を確認したら何の事はなかった。





沢を渡る。
小さなカルバートには一応ガードレールが付いているが、銘版などはなかった。





料金所の先の橋・石楠花橋が見えてきた。
形式は、ランガー桁橋(下路アーチ)になろうか。

ところで石楠花と聞くとどうしても2008年に訪問した衝撃的なこのトンネルを思い出す。現在ではもう内部に入れないようだが・・・





現在地はここ

昔の地図と重ね合わせるとこの付近から軌道跡が近いようだ。
ちなみに、この手前の一定区間は雁坂トンネル工事のために消滅しているようだった。

下りていけそうな場所を探す。





画像ではわかりにくいが、ここが何となくの踏み跡があった。
何人かの先人の跡ではないかと期待しつつ崖を下りていく。

(後編につづく)

  

山梨県山梨市 久度沢軌道・第1次探索(後編)

【14年11月15日探索・15年2月17日公開】


現在地はここ

ようやくそれらしい平場に出た。

この一帯は今昔マップで見るとこんな感じだ。

まずは3、40mで終わると思われる、南側の探索だ。





もちろんレールなどがそう簡単に見つかるはずも無く、ただ平場が延びている。





そして、右の方にうっすらと写っているのはランガー桁橋の石楠花橋だ。
この先は雁坂トンネル関連工事のために軌道跡は無いものと思われる。

元来た場所に戻り、反対側に進もう。





ここがほぼ下りてきた場所になる。
今度は反対を向いて進む。





このカーブ、いいねえ。

林鉄自体の遺構は、さすがに見つかっていないが、この線形はまさに林鉄といった感じだ。





その先も、それほど歩きにくくない平場が続く。

ただ、笹薮を通っていると、ズボンが浮浪者的な黒ずみ方をするのだった。





久度沢軌道の廃止時期がいまひとつ明らかになっていないようだが、昭和30年代前半~中頃ではないかと思う。
とすればもう半世紀以上が優に経っている事になり、こんな木が生えていても何ら不思議はない。





現在地はここ

軌道地形の残存箇所を200mくらい辿ってきた。
この先、軌道は谷を渡っていたはずだ。もちろん、橋を架けて、の話だ。





もちろん現代において、そんな橋が残っているとも期待していなかった。
そして結果も、予想通りだった。

かつて架かっていたであろう橋(おそらく木橋)はその跡形をも発見できなかった。





谷を覗き込んで見る。
ここから対岸に渡るのは、けっこう無理っぽそうだった。

この日はちょうどここで時間切れであった。

ここの林鉄もまた、奥地探索が残ってしまった・・・

(おわり)

  

東京都世田谷区 水道道都道と変則7差路

【14年11月16日探索・15年2月18日公開】


現在地はここ
<進行方向はこのあと7時>

東京尾世田谷区下高井戸 国道20号線からここを右折し都道428号高円寺砧浄水場線に入る。
が、ちょっと待って!
曲がる手前にあるものは何だ?





明らかに大型車の進入を拒んでいるように見えるが・・・





東京都水道局の用地を主張するコンクリ構造物だった。





通称荒玉水道道路、都道428号線の地下には水道管が通っている。
なので大型車は通行できないようになっている。

京王線の線路を越える部分が車道は少し迂回するが、基本的には直線が続く。





途中、都道としてのキロポストを発見した。





水道用地と区所有地の境界標もあった。





この先のちょっと変わった交差点に行ってみよう。





現在地はここ

ここ、桜上水交番前交差点なのだが・・・





ちょっと変則ながら、7差路となっている。





ちょっと、2と3のところがわかりにくいな。
と思い、この画像を出してみたが、やっぱりわかりにくい。





別角度からの画像をもってしても、やはり2と3の道路がわかりにくい。

そう、「変則」7差路と言ったのはこの2と3部分なのだ。
正確には交差点の手前で合流しているっぽいのだ。

ちなみに、ここに写っている標識ではこの交差点は6差路と認識されている??





さあ、帰ろう。
ん!!

1.8mの幅員制限があったが、重量制限は見当たらなかった。

  
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