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山梨県山梨市 芹澤橋旧橋(廃吊り橋)

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【14年9月14日探索・15年1月10日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_0_m?1420818426

現在地はここ
<7時の方角を見て撮影>

山梨県山梨市三富上釜口 林鉄跡の探索中に見つけた場所だったのだが、公開するのをすっかり忘れていた。
A型バリケードのところを左折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_1_m?1420818426

バリケードが設置されている時点で、この先に架かる橋がどんな状態になってるのか、およその推測はつく。
アプローチ道はものすごい急勾配で下りていく。




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一応舗装路なのだが、ススキが道を塞いでいた。
この道の通行者数も推測がつく。




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2段のヘアピンカーブでさらに下りていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_4_m?1420818426

最終アプローチ部分だが・・・
路肩側のフェンス、いざという時には体重がかけられない状態になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_5_m?1420818426

吊り橋の主塔が見えてきた。
そしてその手前もまた別の橋になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_6_m?1420818426

現在地はここ

吊り橋は一部床板が欠落していた。
橋の名は不明だが、おそらく現道に架かる「芹澤橋」と同名だろう。
ちなみに現・芹澤橋のチケットは平成16年(2004)8月に竣功だった。
つまり、10年前にはこの吊り橋が芹沢地区にとって唯一の笛吹川左岸との連絡路だった事になる。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_7_m?1420818426

まだ渡れるのかな?床板を見る限り、1人くらいは大丈夫??
冷静に観察してみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_8_m?1420818426

横から見た。

!!

これ、駄目ジャン!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54707504/img_9_m?1420818426

下から見た。

真ん中付近の4スパン程度、横板がまったく効いていない状態だった。
これは、渡らない方がよさそうだ。

ツワモノがいるかも知れないので、そういう方は自己責任という事で・・・

東京都檜原村 治山ダム利用の木橋

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【14年12月7日探索・15年1月11日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54709102/img_0_m?1420905573

現在地はここ
<撮影方向は11時、本来の目的の橋は60mほど進んだ先の小さな橋記号>

東京都西多摩郡檜原村人里 目的の橋は60mほど上流に架かるものになるが、まずは先にここに架かる橋から見てみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54709102/img_1_m?1420905573

一応車道であるようだ。
特に橋自体にはコメントは無い。この橋が架かる場所が珍しいくらいか。

この構造物には「昭和41年度施行 人里復旧治山工事 No1谷止工」という銘版が付いていた。
昭和41年といえば、すぐ隣の山梨県・静岡県で甚大な土砂災害を引き起こした台風24号・26号が有名だが、ここも何らかの被害が発生したのかもしれない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54709102/img_2_m?1420905573

60m上流に進んできた。
No1があればNo2も普通あるワケで、ここはNo2谷止工になっている。

で、この上に架かる橋だが、何かゆがんでないか?




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まあ、観察は後にして、とりあえず渡ってみよう。




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で、ちょと観察してみよう。

床面がコンクリだから気づきにくかったが、これは木橋で間違いなかった。
手すりだけ後付け??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54709102/img_5_m?1420905573

左取付け部の構造はこうなっていた。
これは、桁橋でイイのかな??

コンクリ部分が浮いているようだが、大丈夫なのかな?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/02/54709102/img_6_m?1420905573

右側を見る。
当然同じ構造である。

この橋、コンクリの床板(もちろん手すりも)は後年になっての施工だろうと思う。
谷止工の傾斜に合わせて、桁が噛み合わせてあるという、結構変わった施工だと思うが、大量の水が流れる事を考えるなら、ここは流出防止のロープとか付けて流れ橋にしてみるとか・・・

  

栃木県鹿沼市 粟野川に架かる味のある橋たち(前編)

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【14年10月25日探索・15年1月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54710545/img_0_m?1420988192

現在地はここ

栃木県鹿沼市中粟野 県道草久粟野線だ。
大栗というバス停だ。待合所まで完備されているようだが。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54710545/img_1_m?1420988192

待合所には小学校から持ってきたと思われる椅子が8脚置いてあった。
そして肝心のバスは、鹿沼市コミュニティバスなのだが、1日2往復で、しかも上りの鹿沼駅行きは午前8時50分が最終という、何とも気の毒なダイヤである。




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そんなバス停のすぐ先に、地図には描かれていない橋が架かっている。




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木橋のようだ。橋の向こうには2軒の家屋が見え、その家屋専用の橋という事になる。
個人架橋か?

対岸から犬がものすごく吠えていたので、ほぼスルーする形で上流へ進む。




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100mくらい上流にも桁橋ながらちょっと古そうな橋が架かっていた。




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林道大栗沢線の大栗橋、昭和36年3月架橋だった。
何気に50年以上経過していた。




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現在地はたぶんここ

さらに1.5kmほど上流へ遡る。
ここに見るからに木の橋が架かっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54710545/img_7_m?1420988192

3径間の木桁橋だ。




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ダブルトラックで木の補強があり、標識などなかったが、制限重量は1から1.5tという感じか。
橋梁名、竣功時期などは不明だった。

このあと上流には他にも味のある橋が架かっていた。
(後編につづく)

  

栃木県鹿沼市 粟野川に架かる味のある橋たち(後編)

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【14年10月25日探索・15年1月13日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_0_m?1421073832

県道246号をさらに粟野川上流方向へと進む。

道路情報版があった。
今では少数派になってしまった、巻き取り式のやつだ。
このタイプ、好きなんだよな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_1_m?1421073832

これ、道が終わっているという事か(笑)。
確かにこの先には廃道もあったのだが(その記事は後日アップします)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_2_m?1421073832

現在地はここ

何か面白そうな橋がまた架かっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_3_m?1421073832

地図では橋の先100mくらい道があるように描かれている。
が、家屋は無いようなので実質、この先のお宅専用橋か?
ところでこの風景、何だかイイな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_4_m?1421073832

橋の方だが、やや太鼓橋風の鋼製桁橋で、橋の床版は木製だった。
さらに、すべり止め付きの鉄板が歩道として木の床版の上に敷かれていた。

欄干は無いに等しい。
その代替なのか、ポールが両側に各4本ずつ建っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_5_m?1421073832

反対側から県道を見る。

歩道側には段差があるようで、それを解消する渡し板が設置されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_6_m?1421073832

現在地はここ

さらに1kmほど上流だ。
地図には描かれていない橋が架かっていた。
ちなみにグーグルの航空写真ではその姿を確認する事ができる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_7_m?1421073832

橋は、初めて見るタイプだった。
構造は桁橋なのだろうが・・・桁だけ橋??

11本もの桁がある橋だった。
何だかこの踏切を思い出してしまった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54712290/img_8_m?1421073832

その幅員だが、2ヘリオスあまり90cm・・・4mだった。

対岸は空き地であるように見える。
向こう側には行けないようになっていたが、この橋は大型車対応なのかも。

  

神奈川県厚木市 健在だった27%勾配標識・おまけ付

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【14年12月21日探索・15年1月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54713866/img_0_m?1421162003

現在地はここ
<撮影方向は4時、進行方向は9時>

神奈川県厚木市飯山 県道63号相模原大磯線だ。

この近くに2009年に訪れた際には急勾配標識があった。それがまた見たくなった。

この先を右折する。




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丸型滑り止めのある急坂だ。
先のほうに標識が建っている。




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おおっ!!

27%を示す勾配標識は健在だった。




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この坂道は50mほどしかないが、万一ブレーキが故障しようものなら猛スピードで下の道に突っ込む事になる。
ブレーキはめいいっぱい握る。
それでも止まりきれないほどの急坂なのだ。




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坂下で幅員が突然狭くなっているのも何気に怖いな・・・




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さて、回れ右!
今度は登る。もちろん、最初から乗車は諦めている。
それにしても急だな。初回訪問のときにも感じたのだが、ここって27%よりも勾配があるのではないだろうか?




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という訳で、計測を試みた。

・・・実測、17°。

という事はこちらのサイトで計算すると30.6%という数字がはじき出された。

瞬間的には27%をも超えている事になる!




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ここからはおまけ部分になる。

この探索中、急坂すぐ近くの家で、猫発見!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54713866/img_8_m?1421162003

黒白クンは、やたら話しかけてきた。




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奥にいた茶トラくん、私が呼んだら振り向いた、の図。

  

千葉県酒々井町 建造半世紀超のカルバート

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【14年10月19日探索・15年1月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_0_m?1421254907

現在地はここ
<撮影方向、進行方向とも5時>

千葉県印旛郡酒々井町中川 京成本線を越える陸橋だ。
名を新中川橋といい、その竣工は昭和38年(1963)4月となっていた。

この陸橋の下に、ちょっと怪しげなカルバートがあると聞いたので、行ってみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_1_m?1421254907

現在地はここ

そんなワケで、回りこんできた。

先のほう、やっぱり怪しげな雰囲気・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_2_m?1421254907

この、コルゲートパイプ施工のカルバートなのだが、何が怪しげかって、普通のボックスカルバートの内部を巻立ててこうなっている事だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_3_m?1421254907

なので、もしかしたら竣功当時にはもっと普通の道路だったのかもしれない。
それが後年、強度不足などの理由でこうなったのではないかという仮説もできた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_4_m?1421254907

コルゲートパイプの洞内へ進む。
この上を走る県道137号の陸橋は昭和38年製なので、このカルバート自体も51年は経過しているものと思われる。

ところで、これ、タイムマシンを連想するのは私だけ?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_5_m?1421254907

反対側坑口だ。
こちら側はボックスカルバート部分が見えない。なぜだろう?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54715432/img_6_m?1421254907

少し離れた場所から。
色のコントラストがなかなかイイな。

  

埼玉県皆野町 流れ橋訪問記

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【14年10月14日探索・15年1月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/17/54717017/img_0_m?1421339537

現在地はここ
<撮影方向は9時、進行方向は7時・のち6時>

埼玉県秩父郡皆野町国神 県道44号線から逸れ、南下を開始する。
この先に流れ橋が架かっている事は以前かすがさんの記事中で見ていたのだが、今日はそれを自分でも見てみようと思った。




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ゆるやかな直線の下りを進んでいく。




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車道はここで終わりになるが、まだ先に進む。




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車道が終わると途端に怪しさが増してきた。




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現在地はここ

ようやく川の音が聞こえてくるようになった。
川まではあとわずか。




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流れ橋に着いた。
シンプルな流れ橋だった。




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床板自体は1スパン+アプローチ部になるのだが、橋脚は川の中間付近にもあった。
それによりどれほど強度が増しているのかは不明だ。




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当然、橋の先にも道が延びている。
せっかくだから行ってみよう。




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畑であるようだ。
建物もあったようだが、人の気配は感じられなかった。

  

静岡県富士宮市 主塔が3つある吊り橋

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【14年11月23日探索・15年1月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/08/54718408/img_0_m?1421425136

現在地はここ
<1時の方角を見て撮影>

静岡県富士宮市上稲子 県道398号上稲子長貫線だ。
この先、30mほど先に架かる吊り橋が本日の記事のネタである。

この吊り橋の最大の特徴は右岸側に2箇所の主塔があり、合計3つの主塔を持っているということになろうか。




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県道を跨ぐ形で主索が張られている。
その最も左の主索(下流方向から見て)が固定されている部分を見てみる。

少し奥の方に、吊り橋とは関係ないが、怪しげな橋が架かっている。
ついでに見てみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/08/54718408/img_2_m?1421425136

個人宅が利用している橋であるようだ。
つか、こんな小規模な橋にもさらに旧橋が残っているぞ!




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話を吊り橋にもどす。

渡橋の前に、まずは橋の全体像をどうぞ。
県道上だけで言えば、何かのゲートのようだ。




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では渡ってみよう。
この橋、名前は地蔵橋、竣工は平成7年(1999)3月であった。




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床版だが、工事用足場のようなものが貼られている。
平成の架橋という事で、比較的新しいのだが、それでも20年が経過しようとしている所だった。



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反対側から見てみた。
規模の割には主塔の高さが高い。

  

山梨県上野原市~東京都檜原村 都県道旧道の峠道(その1)

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【14年12月7日探索・15年1月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54719785/img_0_m?1421506252

現在地はここ
<撮影・進行方向は2時>

山梨県上野原市棡原 県道33号上野原あきる野線の、三二山川橋のすぐ手前にいる。
この橋は昭和56年に竣功しており、現在の峠である甲武トンネル(平成2年開通)の9年前に供用されていた事になる。

今回、そんな時代よりももっと前、峠を越えなければならなかった道が都道(府道)・県道だった頃の道を辿ってみようと思った。

なので、県道を進まずに、この先三二山川沿いに進んでみよう。




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この道は現道が出来る前、山梨県道上野原・五日市線であったと思われる道になる。

ちなみに今昔マップではこんな感じである。(「猪丸」と「椿の先が現在地」)

ただ、戦前の地図だとこの道は峠までつながっていない。
だとすれば、縣道ではなかったが、戦後の県道だった事にはなる。



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集落を抜けた先で左から車道が合流してくる。
そしてその先で、舗装が途切れる。




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しばらくはダブルトラックだ。
この峠道が都県道に指定されたのは昭和30年(上野原・五日市線/路線番号は42号?)となっている。




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旧道とは言え地方道路1級(現在で言えば主要地方道)だったはずの道なので、車道対応のガードレールが設置されていた。




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川の向こう側で工事をしているようで、橋が架かっていた。
画像では華奢に見えるが、重機に対応した鋼製桁橋である。




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その先、ガードレールこそ無くなったが、まだ車道対応である。




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しかし、どう見ても林道だよな・・・
残念な事に、ここまでの間では山梨県設置のものは何も見つかっていない。



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現在地はたぶんここ

三二山川を渡る橋が架かっていた。




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桁は鋼製の、木製土橋であった。
ただ、銘版などはなく、橋の素性についてはまったく不明だった。




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そういうのに限って、連続するんだよねえ・・・
そう、2本目の橋の登場なのだが、先ほどのドキドキ感は消え失せていた。




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2本の橋を渡って10mくらい進んだ。
道、二手に分かれているじゃん!!

普通に言えば直進か??




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小さな道しるべが設置されていたのだった。
それによれば浅間峠は右だって!

(その2へつづく)

  

山梨県上野原市~東京都檜原村 都県道旧道の峠道(その2)

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【14年12月7日探索・15年1月19日公開】

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現在地はここ

右折すると、最初に越す事になるのは、今まで並行してきた三二山川である。
これまでのような橋は架かっておらず、いきなりの直接沢跨ぎである。




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その先、すごいヘアピンだ。
これまでの道よりも明らかに険しくなった。
これはもう4駆じゃないと苦しい。




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これは、何箇所かあったスイッチバックポイントである。
ここを通行する自動車は黄色い線のような通過ルートにならざるを得ない。




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道路は明らかにまだ自動車対応で、それ自体はいいのだが、古くから使われている道がこれなのかどうかは不明である。




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こうなってくると、ジムニークラスでないと困難かも・・・
ガードレールなども無いし・・・




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現在地はたぶんここ

私の手前方向は数メートルだけ道が続いているが、右側はどう見たって自動車対応の道路ではない。
つまり、自動車であればここまで乗り入れ可能と言う事になる。
私は自転車(ずっと押しだが)なので、右に進む。




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設置してある道標も、ハイキングコース仕様である。




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いつの間にか完全シングルトラックである。

足元にある白い物体は何だろう。




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夜露が草の上に降り、それが地面に伝ってくる間に冷えて凍ったという事だろうか?
こんなの、初めて見た。




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シングルトラックは峠を目指す。
そして・・・




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ここを曲がると・・・




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ここが鞍部である。名を浅間峠という。
古い地図や資料では「栗坂峠」という名が浅間峠と同じ場所に描かれているのだが、これは諸説あるようだが同一と見て大丈夫なようだ。

(その3へつづく)

  

山梨県上野原市~東京都檜原村 都県道旧道の峠道(その3)

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【14年12月7日探索・15年1月20日公開】

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現在地はここ

今昔マップではこんな感じ

浅間峠には案内看板、あずまやの他に、石製のものが建っていた。
よく見ると道標である。
正面、右に行くと「小宮戸倉を経テ五日市に至ル」左は「山梨縣棡原村を経テ上野原町ニ至ル」と刻まれており、他の面には「大正十四年十一月」「上川乗青年建」という、建立時期と建立者が刻まれていた。




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そして左側の面だが、これも道標になっていた。「山梨県棡原村三二山ニ至ル」と刻まれていた。
これは、大正14年の時点で、山梨県側には既に2ルートが存在していた事を意味する。




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現在の道標の脇を通り、上川乗へと下りていこう。




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説明が無ければただのハイキングコースだな。




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しばらく下っていくと、ほどなく石碑のようなものが見えてきた。




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訂正しよう。馬頭観音だった。
寛永6年(1853)の年号が刻まれていた。

この云われは、檜原村史に載っていた。その記載はこうだ。
「上川乗に住む浜中伊左衛門が、繭を買入れて来る途中で馬が落ちて死んだために建てたと伝えられている。」

・・・江戸時代から、馬が通るほどの主要な道であった事になる。
ちなみに、今通行中の、浅間峠より檜原村側は、大正11年7月に東京府道213号五日市上野原線として認定されていた。




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路面状態は回復してきた。が、乗車する事はやめておいた。




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掘割状に道が造られた場所があった。




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小刻みにカーブがあったので、このあたりは七曲りとか呼ばれていたのかもしれない。

(その4・最終回につづく)

  

山梨県上野原市~東京都檜原村 都県道旧道の峠道(その4・最終回)

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【14年12月7日探索・15年1月20日公開】

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現在地はこの辺

祠があった。
その祠をまるごとカバーするような大きな祠が割りと近年に設置されたようだ。
左にはその施主らしき会社の名があったが、何が祀られているのかはわからずじまいだった。




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その先、階段、というか、ステップ付の道になった。




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それがけっこう長く続いた。1km以上あっただろうか。
確かにそれなりに急な坂道だったのだろうが、オリジナル道はおそらく馬や荷車が通行できる道路形状だったはずだった。




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ベンチがあるのか??

近づいてみた。
こんな山道にコンクリート製ベンチなんて不自然すぎる。

これはがけ崩れ防止のための施工ではないかと思う。




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下の方に橋が見えてきた。

あそこまではもう2段のヘアピンカーブを通過する。




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比較的新しそうな木橋を渡ると・・・




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右は年季の入った石垣施工、正面に現道の都道33号線が見えてきた。

左のプレハブは・・・使用されてるのかな??




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プレハブの使用状況は不明のままだが、現道に出た。

あとはここを左に下っていく。




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800mほど下った、南秋川橋でレポは終了とする。

  

神奈川県厚木市・清川村 私設廃橋・華厳橋旧橋(前編)

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【14年12月21日探索・15年1月22日公開】

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現在地はここ
<撮影方向は12時>

神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷 県道60号厚木清川線だ。
この先を左折する。




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下水処理センターの先に橋が架かっている。
小鮎川に架かる舟沢橋だ




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現在地はここ
<撮影方向は2時>

その舟沢橋から眺めた風景がこれになる。
橋が2本架かっているが、手前のそれは明らかに廃橋だった。

誰か訪問者はいないのか?と思い探したらかすがさんの記事が引っ掛かった。しかし、現地ではそんな事はわからなかったので、廃橋攻略の作戦を立てた。




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もう少し目線を右側にやる。
すると、アクセスルートがあるように見えた。




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そんな訳で廃橋に向かってみる。




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階段を降り、その先の階段手前がその入口になるようだ。




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すごい激藪だな・・・




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探索時は12月だが、笹藪は極端に通りやすくはならない。



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さらに数メートル進んだが、このバリケードが越えられなかった。

一旦撤収する。




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で、現橋と思しき橋を渡り、反対側から行こうかと思った。

が、この先、橋を渡った先約50mの場所に車が停まっていた。
この橋から先は私道を示す看板もあったので、咎められる可能性もある。

さて、どうしようか・・・

(後編につづく)

  

神奈川県厚木市・清川村 私設廃橋・華厳橋旧橋(後編)

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【14年12月21日探索・15年1月23日公開】

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現在地はここ

昨日の記事の終わり部分と重なるが、私設橋と思われる橋の先に車が停まっていた。
本来目論んでいたのは、この少し先を左に入り廃橋を反対側から攻める事だったのだが、あの車に人が乗っていたら何か咎められるかもしれない。

なので、この1枚だけをさっと撮影しすぐに元来た方へと戻る事にした。




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まあ、橋を渡った収穫としては橋完成の銘版があった事か。
昭和44年3月に相模興業(現・人の森株式会社)という会社が架けたものであるようだ。




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あとは、謎の石碑があった事か。
河田一族って、誰だろう?
人の森株式会社のHPを見ても河田という名は創業者でも歴代社長でもない。
が、会社にとってはゆかりのある一族なのだろう。




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本来の目的が達成できなかった悔しさのためか、ここだけで4枚目の画像を撮影していた。
元の入口に戻ろう。




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やっぱり未練がましかった。
私設橋から廃橋を見てみた。

ところでこの橋、竣功時期はわかったが、名称が現時点で不明である。
どこにも橋の名は書かれていなかった。




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どうしても廃橋に立ちたかった。
やっぱり、一旦撤収したここから再チャレンジしてみるか・・・




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先ほどの撤収地点だ。
右からこのバリケードを越えるのだが、その右側に何か書かれているものが残っていた。




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廃橋は「華厳橋」である。
そう言えばバス停の名も華厳橋だった。そうすると現道である私設橋も華厳橋で間違いなかろう。
個人的には華厳と言うとここを連想してしまう・・・




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この画像はバリケードを越えたが、まだ藪でもがいているところだ。
藪こぎした事のある方ならおわかり頂けるかもしれないが、冬場であっても特にバラ科植物が進行の阻害と服装の破壊と足へのひっかき傷をもたらすのだ。




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それでも数分をかけて華厳橋旧橋へ降り立つ事ができた。




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これはその廃橋から、日常を見た所になる。




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橋自体は短いのですぐに反対側バリケードがあった。
そしてその手前の両側の高欄にご褒美とも言えるものがあった。




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ひとつはこの旧・華厳橋の竣功についての情報だった。
昭和34年度施工の文字の発見だ。
という事は、この橋が現役だったのはわずか10年足らずという事になる。

コンクリートの橋なので、強度不足になったという事か?
しかし、人の森株式会社の華厳工場は昭和45年操業開始となっている。

じゃあ、この橋の架橋目的は何だろう?




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その答えの半分は、反対側の高欄にあった。
昭和33年農林災害復旧橋梁工事によるものだと刻まれていた。

元々は地域の生活道だったのだろうか?

(おわり)
 

茨城県つくば市 国道354号旧道(前編)

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【14年9月28日探索・15年1月24日公開】

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現在地はここ

茨城県つくば市花島新田 国道354号の上萱丸交差点だ。

この交差点から左斜め方向が見るからに怪しい。




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歩道の先には道があった。
でもこれ、車道なんだよな・・・標識あるし。




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今昔マップでは中心部が現在地。

ここで50km制限が終了という標識だった。
ここから先は60km制限という事になる




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ここも実質的には廃道である。

コンビニのサインが廃道に向けられている。




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1枚目画像の方向を見る。

トラックの休憩所?

ちなみにこの廃道区間はこの航空写真が2010年に撮影されているので、それからまもなく発生した事になる。




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砂利区間があった。少々驚いたが、工事してそのまま放置、というパターンだろう。




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現在も使われている道路との交点になる。




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その先も、何だか怪しい。
ここなどは電信柱がいやに道路から離れている。




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国道だった道と現在の道路とは完全一致はしていないようだ。



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なぜこちら側の歩道の設置が遅れているのか??

ここ、謎が多い道だな・・・

(後編につづく)

  

茨城県つくば市 国道354号旧道(後編)

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【14年9月28日探索・15年1月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54730242/img_0_m?1422111484

現在地はここ
<撮影方向、進行方向とも10時半>

現在の道路はここで右に急カーブし、現国道354号に合流する。
私はこのまま直線方向に進んでいく。




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30mくらい進み、振り返った。
1つ前の画像の撮影場所付近を撮影した事になる。

ここで右の方を(元々の進行方向から言えば左になるが)見ると・・・




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おにぎりが残存していた。




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では、先に進もう。
センターラインが移動した跡があるが、工事が進む段階でのことだろうか。




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あまり廃のオーラを感じないが、紛れも無く国道の廃道区間だ。




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現・国道が近づいてきた。

旧道は1980年代前半に建設された旧バイパスにあたる道だったが、約30年でその役目を終えた事になる。




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旧道は現道と合流・・・とはいかず、現道歩道手前でブチ切れ状態だった。
ちょっと不憫な旧国道区間だった。

(おわり)

    

山梨県山梨市 西沢森林鉄道第1次探索(前編)

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【14年11月15日探索・15年1月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54731901/img_0_m?1422195725

現在地はここ
<進行方向は概ね11時>

山梨県山梨市三富川浦 国道140号線が西沢大橋に架かる手前になる。
その西沢大橋には行かず、手前を右折する。




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一応タイトルは林鉄跡の第1次探索という事にしたが、正直今回はほんの下調べのようなものだ。
本格的探索はまた春にでも、と考えている。

で、今回の目的地はというと、音取大橋の隣に架かっているはずの廃吊り橋までとする。
ここからならもう1kmちょっとだ。なので、記事は2回で完結する。




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西沢大橋をくぐる。その手前に鶏冠山(東)林道の起点があった。




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橋の先にはゲートがあった。
もちろん一般の自動車は通行禁止である。

自転車に関しては、何も書かれていなかった。
まあ、適当な置く場所もなかったし、このまま持ち込み事にしよう。ただ、念のため乗車する事は自重する事とした。




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11月の西沢渓谷と言えば、紅葉シーズンでかなりの賑わいであった。
現在時刻で14時近かったので、ほとんどが帰路の人たちなのだが、人がいないタイミングを見計らうのが大変なほどだ。

そんな林道を進んでいくと・・・




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現在地はここ

橋が見えてきた。
なれい沢橋、昭和36年10月竣功と、思ったよりも古い。




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右には滝があるようだ。




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画像では、あまり伝わらないようだ・・・
さほどの迫力はないが、それなりに綺麗な滝なのだが・・・




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その、なれい沢橋を過ぎてから振り返る。
昭和36年の竣功という事は、やっぱりそうだよな。




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西沢森林鉄道の橋脚発見!

現・林道は森林鉄道廃止のすぐ後に改修し開通させたようだ。
≪なおこの後、後編も含め林鉄遺構は出てきませんので予めご了承ください≫




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とは言え、今通っているここもまあ林鉄の跡ではある。




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ネトリの広場の所まで来た。目的地の目印だ。
ちなみに正面の建物はトイレだ。

登山届提出のポストもここにあったが、今回私はこの付近をうろうろするだけなので提出不要と判断した。

(後編につづく)

  

山梨県山梨市 西沢森林鉄道第1次探索(後編)

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【14年11月15日探索・15年1月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54733779/img_0_m?1422285781

現在地はここ
<9時の方向を見て撮影>

林鉄跡であるはずの道はまっすぐに西へ向かっていた。
西沢渓谷遊歩道は、このネトリ広場を基点とし、時計と反対周りとするルートで回るようだ。
が、今回はこれより先には進まない。
いずれレールが待つ林鉄跡まで第2次探索として訪問するつもりだ。




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再度トイレの所までもどり、今度は笛吹川の方に向かった。




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橋が見えてきた。
音取(ねとり)大橋、昭和47年3月竣功である。




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橋の横から少し降りてみた。
形式は方杖ラーメン橋であるようだ。




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現在地はここ
<4時の方向を見て撮影>

下流の風景を橋の上から見る。
ちょっとジオラマチックだな・・・




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そして、反対の上流方向を見た。
地図にも描かれているように、そこには吊り橋が架かっていた。




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当然、橋へと向かう。
通称・ネトリの吊り橋と呼ばれているが、正式名は不明だ。

昭和47年以前の登山道だったのだろう。




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変わった主塔の形状だな。
橋へと向かうその手前にはロープが巻かれていた。




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!!
こ、これは・・・




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実は密かに、もし渡れそうなものなら渡れまいか?などと考えていたのだが、これはどう見たって渡橋は無理だった。
この吊り橋のように、主索(もしくは主索からのハンガーロープ)を両手で持ち、横板に足をかけつつ進めるなら・・・などとも思っていたのだが。
まあ、実際は隣の音取大橋には多数のハイカーが通行しているので、もし渡橋を開始したら危険行為として即通報されてしまうだろう。

無謀な事はやめる事にし、次の探索地へと向かった。

(おわり)

  

群馬県渋川市 伊香保ケーブル鉄道跡・起点側(その1)

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【14年12月14日探索・15年1月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54735420/img_0_m?1422372037

現在地はここ
<7時半の方向を見て撮影>

群馬県渋川市伊香保町伊香保 県道33号から伊香保森林公園に向かう道の途上だ。

ほぼ直線に続いている登りは、伊香保ケーブル鉄道の廃線跡である。

私は2010年4月にこの区間、いわゆる上半分は探索した。




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そして反対側を見る。
以前も簡単に紹介したが、この廃カルバートは望雲橋という名が付いている。

伊香保の探索は雪になる率が異様に高いが、まあいい。
ヘリオス号は温泉街から程近い場所にデポしてあるので、どの道徒歩で降りていく必要があった。

なので、まだ探索していない伊香保ケーブル鉄道の起点側(下半分)を巡りつつ温泉街に降りて行こうと思う。




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という訳で、出発!




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しばらくは何も無い、と言うか、雪のためもあって何も発見できないまま黙々と下っていった。




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右に、何かの建物があった。




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電気などは来ていないようだが、平成10年から平成14年までは何らかの点検がなされていたようだ。
何の施設だったのだろうか?




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雪のために見えにくくなっているが、右側は明らかに崩落した跡が残っていた。




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その先にも何かの痕跡があった。




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ここもかつて崩落した場所であるようだった。




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途中何箇所かあったのが右側のような窪みだった。
避難スペース??

(その2へつづく)

  

群馬県渋川市 伊香保ケーブル鉄道跡・起点側(その2)

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【14年12月14日探索・15年1月29日公開】

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現在地はこの辺

右側は先ほどから崩落の跡が何箇所かあったが、今度は擁壁よりも上の落石防止フェンスが最後の仕事をしているという印象だった。
ただ老体の身を挺しても、守るべきものは送電線、水道施設の担当者や私のような趣味者程度でしかない事はちょっとやるせない。

これまで雪で路面がよくわからない状態で非常に歩きにくかったが、ようやく本来の管理道である線路に並行していた階段が現れた。少しは歩きやすくなろうか。




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なんて考えは甘かった。
ほんの2、30mだけの区間には階段がちゃんとあったが、その先はまたこんな状態に戻っていた。




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足元、何かの跡があるようだ。




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雪に埋もれている事もあって、これが何であったかはわからなかった。
信号機の台座? ・・・にしても、2基のケーブルカーが交走式で走っていたはずなので、そもそも信号機は不要なはずだった。
現役時の写真を再度見たところ、どうやら架線柱の台座である可能性が高い。
しかし、いずれにせよ雪の無い時期に再訪すべきかも・・・





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先ほどから目標物としてきた構造物が近づいてきた。
特に何も書かれていなかったので特定は出来なかったが、温泉か水道関連の施設ではなかろうか?

まあいい、ここが起点ではなかったのははっきりした。
先に進もう。




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先に・・・先はなかった!




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ここにはトラス橋が架かっていたようだ。
廃止後に撤去されたようだ。




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橋台や橋脚の基礎は残存していた。




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ここを踏破するには雪で滑る斜面を降り、慎重に進む必要があった。




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この、電線柱として利用されているトラスっぽい構造物は何だろう?
廃止の後に造られたモノなのか、元の橋脚の一部が利用されているのか?
普通は見かけない形状なだけに興味深い。

(その3へつづく)

  
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