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埼玉県皆野町 県道沿いの橋3本

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【14年10月4日探索・12月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/78/54676978/img_0_m?1419086939

現在地はここ

埼玉県秩父郡皆野町金沢 県道44号秩父児玉線にいる。
この左の方に小さな橋記号があるのを事前調査で把握していた。果たして記事になるような橋なのか??




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民家に通じる橋になるのだが、特徴もない鋼製桁橋の人道橋だ。
これはボツネタか・・・




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現在地はここ

少し気を落とし、坂道をあえぎながら登ること約150m。
左に、また橋が架かっているようだ。




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川の名は荒川水系金沢川、橋の名は不明で、個人架橋であろう事が推測された。

私の探索時は季節はずれだが、自宅敷地内の芝桜を一般公開されているようだ。

で、橋は・・・




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驚きのトラス橋だった。
しかも普通のワーレントラスではないようで、橋中央部に向かってトラス部分が薄くなっていく構造で、さらに取付部にはカーブがありゲルバー的な雰囲気がある。
もしかしたら何かの流用橋なのかもしれない。

下には川に下りて何かするための平場が、あたかも橋のようになっていた。




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現在地はここ

さらに進む事100m、県道から川を覗き込むと、土橋っぽいのが架かっているのが見えた。




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なので、少し戻りこんなアプローチを入る。




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残念ながら下から見る事ができなかったが、木製土橋で間違いないだろう。

  

千葉県船橋市 40年近くも放置の未成跨道橋(前編)

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【14年10月19日探索・12月22日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/36/54678236/img_0_m?1419173400

現在地はここ
<撮影方向はほぼ9時、進行方向はほぼ12時>

千葉県船橋市小室町 北総鉄道小室駅に降り立った私は、まず駅前広場へのアクセス人道橋の上から下を見た。
この未舗装の通路のような部分が、有名な未成・成田新幹線用のスペースなのか・・・




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そのまま20mほど駅前広場寄りに進んで、また9時の方向を見て撮影・・・

ん!!




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これは未成の跨道橋じゃあないか!!
まったくノーマークだった。

跨道橋というよりも、未成インターチェンジの一部なのかもしれない。
設置だけされている照明器具の形状から言っても絶対に平成になってからの施工ではなさそうだ。

帰宅後に確認した空中写真サービスによれは昭和54年(1979)11月にはすでにこの部分だけ完成していた。

これは・・・まったく予定外だったが、近づいて見てみよう。
どうもウェブ上ではまだ報告が無い様だし・・・




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右の階段を降りて、駅前広場に出た。
昭和54年に開業し、35年が経過している割にはあまりに何も無いな・・・
画像に無い手前側にはコンビニが1軒あり、そこから少し離れたところには小さな商店街があるが、5年後に出来た、隣の千葉ニュータウン中央駅の賑わいからすると、見捨てられた感が否めない印象だ。




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現在地はここ

問題の未成区間を跨ぐはずだった歩道橋の上から、10時の方向を見る。
未成なのは国道16号線から国道464号線へ向かう分岐のようだ。




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同じ場所から4時の方向を見る。
こ、これは・・・どうしてもあの場所まで行きたい衝動にかられた。

この歩道橋を渡りきり・・・




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立入禁止などの文言が無いのをイイ事に黒い柵をスルリと抜ける。
この先は未供用の歩道という事になる。




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60mくらい進んだ。
この場所あたりからアプローチは可能でありそうだ。
コンクリの土留めを越えて進行方向を変える。

(後編につづく)

千葉県船橋市 40年近くも放置の未成跨道橋(後編)

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【14年10月19日探索・12月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/71/54679671/img_0_m?1419263533

現在地はここ

膝くらいの高さの草を足で掻き分けるようにしてここまで来た。
私が今いる場所も、計画通りに完成していれば国道(16号か464号かは別として)になっていたはずの場所だった。




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未成橋、到着!
簡易的なバリケードがあるがそれもまた相当の期間放置されているものだろう。

ちなみに、ここまで柵脇のすり抜けはしたものの、立入禁止等の明示された場所の突破などはしていない。




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橋の上から来た方向を振り返り撮影・・・どういうワケかピンボケになってしまった。




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ちょうどこのあたりで国道464号線の本線を跨いでいた。
下を通行する車を撮影しようかと思ったが、ここから覗き込むと運転者からもおそらく私の姿が見えるだろう。使用されていない橋に人がいるのは騒ぎになりかねないので止めておいた。




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おそらく完成してから一度もアスファルトの修理などはしていないと思うが、その割には綺麗だ。

ちなみに、左上の向こうに見える跨道橋は、私がこの未成橋を見つけた小室駅アプローチ歩道橋だ。




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国道464号線はこの先2km強 東進した地点から、掘割の上部片側2車線、下部(掘割内)片側2車線の計片側4車線という立派な規格になるが、掘割内の道路は元々北千葉道路の自動車専用道として用意された部分であるらしい。
なので、おそらくこの未成インター橋も自専道計画のものであると思われた。

この先は激藪のようなので撤収しよう。




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あと気になるのは、この未成橋はいったいいつ造られたのか、なのだが・・・

帰路の途中、歩道橋アプローチ部分から橋をよく見ると、銘版らしきものが付いているのを発見した。




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スーパーズーム・・・

なんと、1977年4月と読めた。
もちろん強度は一等橋である。

なんと完成後37年半もの間、何にも利用されずに佇んでいるのだった。

(おわり)

  

東京都檜原村 都道沿いの変則トラス橋

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【14年12月7日探索・12月24日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/44/54681144/img_0_m?1419347366

現在地はここ

東京都西多摩郡檜原村人里 東京都道206号川野上川乗線を走行中、南秋川にトラス橋らしき橋が架かっているのを発見した。




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アプローチ部分もそうなのだが、橋もまたどう見ても人道橋のようだ。

どうもこの橋はハイキングコースでもないようで、地元の人の作業用である可能性が高い。




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橋に到着した。
幅員は1.2m程度だろうか。
橋に関して情報がないので、名前も竣功時期も不明である。ただ、個人架橋ではなさそうなしっかりした橋だ。
(後日「檜原村史」を東京都中央図書館で閲覧したが、この橋についての情報は特定できなかった。古い地形図には描かれていないのだが、もし大正時代からこの場所には橋が架かっていたとすれば、その名称は「郡内橋」かも・・・




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反対側から都道方向を見る。

ここまでにも横からの撮影はしていたのだが、1ヶ所だけ下に降りられそうな踏み跡があったので、それを辿って南秋川の河原に下りてみた。




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橋はやっぱり下からに限るなあ。
左の方、都道の下には水路隧道の坑口があるのもまたイイねえ。




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形式は、上路トラスのラーメン補構・・・でイイのかな?
情報がないのが残念だが、橋の雰囲気から推測すると昭和30年代後半~昭和40年代の施工ではないかと思う。




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最後に橋の全景をどうぞ。

ここに橋記号がある事は事前に知っていたのだが、私は流れ橋か吊り橋であろうかと予想していた。
レア形式のトラス橋、これはこれで味があってヨイかも・・・

  

静岡県富士宮市 国道469号・桜峠越え(前編)

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【14年11月23日探索・12月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54682590/img_0_m?1419434992

現在地はここ

静岡県富士宮市上稲子 国道469号線である。
稲子駅前からここまでの間でもかなりの狭隘区間はあったが、これから国道469号線が「酷道」として有名である区間、桜峠越えをしてみようと思う。

直進方向の県道398号線も青看に行き先が書かれていない、険道全開モードだが、このレポでは右折する。




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国道でありながら「8m以上の長さの車両は通行できません」の看板が香ばしい。




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橋を渡る前にちょっと観察する。
コンクリートの桁橋である。竣工年度はわからなかった。

造り的には昭和30年代的な匂いがする・・・




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では渡ろう。
名は日向橋という。
国道の橋としてその幅員が異様に狭い。

実測値は2ヘリオス・余り40cm・・・つまり3.5mという事になる。
乗用車でも離合不能である。




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その先の峠道も基本こんな1.5車線幅の道路が続いている。




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離合困難なので、こんな離合箇所はいくつかある。




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静岡県内でミニおにぎりは初めて見たかも。




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標識が言っているようにかなり急なカーブが何箇所かはある。




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ここはなだらかに見えるが、桜峠は約3kmほどで200mもの標高差を克服する。




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またカーブだ。
ミニおにぎりも再度発見だ。
峠まではあと少し・・・

(後編へつづく)

  

静岡県富士宮市 国道469号・桜峠越え(後編)

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【14年11月23日探索・12月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/54/54683954/img_0_m?1419522725

現在地はこの辺

いくつかのヘアピンカーブを通過し、峠まではあと少しという距離になった。
いつの間にか、路肩の崖側はガードレールではなくデリニエーターのみの設置になっていた。




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そのデリニエータが主張するのは、ここは静岡県管理の道路だという事だった、




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こちらから見れば裏向きのおにぎり、峠を越した場所のものに相違なかった。
という事で・・・




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現在地はここ

桜峠に到着した。

ここまで基本1.5車線の幅員だった。
車だったら離合は相当気を遣う峠道だったが、私の中での最狭国道の更新にはならなかった。

そう言えば最狭が461号、ここが469号、そして千葉県の465号にも相当狭い区間があった。
460番台は酷道の花形ナンバーか??




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峠を下りる前にとりあえず振り返った。
そこには「展望台入口」という案内とそれに続く階段があった。富士山がよく見えるようだ。
でも、1つ致命的な欠陥がある。それは、車を停める場所が無いという事だった。

バイクや自転車なら道の端に停めてもおけようが、車だと、ただでさえ狭い道なので、気になってもスルーするしかないと思う。

今これを書いていて、そんな人たちの代わりに私が展望台まで行っておくべきだったような気がしてきた。




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しかし、かく言う私もスルーしていたのだった。
下りも1.5車線幅の国道を下っていく。




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あっという間に集落のあるところまで下りてきた。
富士山がよく見える。さっきの展望台じゃなくてもよくみえるじゃん。




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せっかくだからズームアップ。
西側から見る富士山は私にとっては見慣れない部分があって、少し新鮮だった。




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国道は集落に入っても相変わらず1.5車線幅だった。




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現在地はここ

柚野小学校の先、県道75号清水富士宮線との交差点でこのレポは終了とする。

私はこの峠道そのものが目的だったワケではなく、このあと本来の目的地へと向かった。
予定よりもかなり時間は押してしまったが・・・

(おわり・この後に訪問した場所のレポは後日公開します)

  

静岡県富士宮市 富士軌道の痕跡・第1次探索(前編)

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【14年11月23日探索・12月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54685266/img_0_m?1419612192

昨日の記事で、この後(昨日の記事・桜峠)に向かった場所の記事は後日公開すると言った。
しかし、続けて公開する事にした。
これはタイトルにあるように、今回は第1次探索、しかも時間切れもあってまったく満足な成果が得られていないので、そのリベンジをそう遠くないうちに成し遂げようという意思と受け取って頂きたく思う。

以前から気になっていたのが、この画像(日本鉄道旅行地図帳・東海/新潮社 より引用)の「富士軌道」とその先の、この本によれば「富士宮林用馬車軌道」と名前が付いている軌道跡だった。
富士軌道は明治42年(1909)に大宮(富士宮)~上井出が開業、その後の大正元年(1912)に人穴地区まで貨物線が延伸した。
その後、道路が発達し路線バスが充実してくるとジリ貧になり、昭和14年(1939)に廃止されたという事らしい。

戦前の廃止なので何も痕跡は無いのか?
否。

富士宮の市街地はともかく、少なくとも上井出地区には大きな痕跡が残存しているのだ(後述する)。




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この画像は昭和5年発行の5万分の1地形図「駿河大宮」から抜粋した。
こんな風にヘロヘロと富士の裾野を登っていたのだが・・・

なお、矢印については後に説明する。




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現在地はここ

静岡県富士宮市上井出 上井出歴史公園の入口だ。
この公園脇に、お宝があるという情報だが・・・




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明らかに怪しげな盛り上がりがある!




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しかも、この盛り上がり部分こそ、こんな感じで石垣が残っている。
そう、富士軌道の築堤という事で間違いなかった。




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現在地はここ

たまたまやって来たのだが、これこそがまさしく反対側築堤の終了地点である。
ちなみに、先ほどの古地形図に付けた矢印はここを指しているようだ。




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少し引いて撮影してみた。
ここに架かっていた橋がどんなものだったのかはわからないが、おそらく木製だったのだろう。




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築堤の上にも登ったが、周りの住宅からは丸見えで、不審者として通報される危険があった。
こんな素敵な遺構を見せられちゃ、この先の区間にも期待がもてるかも・・・




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そんな誘惑に駆られ、先の区間にも行ってみようと思う。
県道71号と75号の重複区間を進む。




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現在地はここ

県道を逸れ、林鉄跡と思われるポイントに来ても、林鉄の痕跡はなかった。




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すぐ近くの橋を渡ったあたりにも、かつて線路があったはずだった。

が、ここも痕跡なし。




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現在地はここ
<9時の方向を見て撮影>

国道139号バイパスをくぐった先だ。
ここもまた、痕跡は皆無だった。

(後編に続く)

  

静岡県富士宮市 富士軌道の痕跡・第1次探索(後編)

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【14年11月23日探索・12月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_0_m?1419694142

現在地はここ
<8時の方角を見て撮影>

その先も、私が地図を見誤っていない限り、林鉄の痕跡は残っていないようだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_1_m?1419694142

少しでも林鉄跡を辿りたかったが、ぐねぐねしながら標高を稼いでいる箇所は私有地で立入禁止となっていた。
少し先の川沿いから回ろうかとも考えたが、藪がすごいし、道はなかったのであきらめた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_2_m?1419694142

現在地はここ

なので、通行できる道路を進み、林鉄跡が交差しているポイントをチェックする手法を継続する事にした。
ここもまた、痕跡なし・・・

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_10_m?1419694142
<昭和21年発行 5万分の1地形図「富士山」より一部抜粋>

上の画像の場所はたぶん1番付近のはずだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_3_m?1419694142

迂回ばかりしているが、思いのほか時間は消費していた。
県道を進み、また逸れて林道を進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_4_m?1419694142

現在地はここ

先ほどの地形図では2番付近のはずだ。
林鉄跡はこの付近で現在の林道(たぶん)に合流しているはずだ。
ただ、その合流地点の痕跡はそう言われればそうかなあという程度のものだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_5_m?1419694142

少しだけ林鉄跡であると思われる林道を進んでみる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_6_m?1419694142

この広場のような場所で引き返した。
その理由は、この先でまた川を渡るのだが、渡河地点の痕跡が期待できなかったのと、ぎりぎりまで先に進んで少しでも何かがないかを見つけたかったからだ。




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時間的に最終確認地点となる場所へと向かった。
画像からはまだまだ日没までの時間があるように見えるが、この場所から最も近い鉄道駅(富士宮駅)までの距離と、帰宅に要する4時間近くを考えたら、この先のチェックポイントから先への進行はやめた方が得策だと思った。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/53/54686453/img_8_m?1419694142

時間があれば、もっと牛もゆっくり見たいんだけどねえ。




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現在地はここ

先ほどの地形図では3番付近になる。

上井出の築堤以外、ここまでそれを思わせる痕跡はなく、ここもやはり痕跡皆無だった。
林鉄と言っても、馬が牽引していた林用軌道だったそうなので簡易的なものだったのかもしれない。
ここで第一次探索は時間切れで、ここまでは私のほぼ完敗であった。

ただ、この先も未探索エリアは山中に入るので、少しは期待してもいいかという気はする。
ウェブ上に情報が皆無である事も、近いうちに私がその決着をつけ、報告をしたいと思っている。

ただ、今一番心配しているのは、この先にある養鶏場だ。鶏インフル等の対策で、ヘタをすると進入禁止措置がとられ、探索地へ向かうことすら出来ないというやりきれない結末もあり得る。

それでも行ってみなければ何もわからない。
期待しないで待っていて頂けたらと思う。

(おわり)

  

神奈川県大井町~秦野市 県道708号線旧道など(前編)

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【14年10月11日探索・12月29日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54687837/img_0_m?1419777921

現在地はここ

神奈川県足柄上郡大井町山田 県道708号秦野大井線だ。
今日は、30年以上も前から地図上で気になっていたこの道路と、秦野市の峠集落付近を通行しようと考えた。

当然気になるのは旧道・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54687837/img_1_m?1419777921

左の部分、ベンチの一つもなく散歩道とも言えないし、当然、公園ではない。
元々旧道なのは一目瞭然だ。一応体裁よくしたのだろうが中途半端過ぎな再生だと思う。




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それに続く、現道を横切って旧道に入る。
この区間、平成8年(1996)頃に旧道落ちしたようで、現在は大井町道に降格となっている。




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現道が見えてきた。
それにしても、現役県道だった頃は、さぞ通行に気を遣っただろうな・・・




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現道に合流する。




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現道を進むと、ほどなく先のほうにトンネルが見えてくる。
篠窪隧道だ。で、その前に旧道がある。




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現道は「見晴橋」という、名前負け感のある橋で通過しているが、旧道はこんな感じだ。




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篠窪隧道内部だ。
この天井の施工は何だろう?

この隧道、元々は離合困難なほど狭い隧道だったが平成10年(1998)に拡幅された。




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現在地はここ

その先、県道の現道は左に逸れ、すり鉢の端から端のような地形のところを通る。
自転車乗りにはイヤなタイプの道になる。

で、未成臭のある右寄りの道だが・・・




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このあたりは県道には指定されていないようだが、2車線幅の立派な道が少しの間続く。
ちなみに、この区間の街灯には「県道708号秦野・大井線」の文字と設置年「2007年3月」と書いてあるプレートが付いている。
線形の時点で簡単に想像がつくが、県道のバイパス工事が進んでいる区間だ。




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200mほど進んできた。
現在供用されている区間は終了~




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その先は、路面舗装は終わっているものの、明らかな未成区間になる。
工事がストップしているのか?とも思ったが、そんな事はないようだ。

(中編につづく)

  

神奈川県大井町~秦野市 県道708号線旧道など(中編)

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【14年10月11日探索・12月30日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/44/54687844/img_0_m?1419781766

現在地はこの辺
<4時の方向を見て撮影>

未成道はその先へと続いていた。
ちなみにこのあたりは、2007年の航空写真ではまだ路盤整備といった感じだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/44/54687844/img_1_m?1419781766

またバリケードが設置されていた。
ここを右折する道路があって、そちらなら一応行けるようだ。

ところで、左側に何か気になる構造物が出来ている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/44/54687844/img_2_m?1419781766

仮設の橋梁であるようだった。
まだ谷を跨いで両側が繋がっているわけではないように見える。




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今進んできた道を進めば約50mで第3のバリケードが出現する。
そこに小屋があるので、もし人がいたら咎められるかも知れず、この先への進行は断念した。

戻って県道の現道を進む事にする。




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見たことの無い標識が建っていた。
神奈川県オリジナルか??

これは三嶋神社の樹齢800年にもなる椎の木の枝に対する注意喚起という事になる。
ちなみにこの椎の木、かながわの名木100にも選定されているようだ。




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未改良区間は1.5車線だ。




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迂回現道もまた、険道と言えようか?
市町境を通過する。




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そのすぐ先、ここの右折道路先が未成区間であるようだ。




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現在地はここ
<8時の方向を見て撮影>

工事区間はいったん無視して現道を10mほど進み、そこで振り返って撮影した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/44/54687844/img_9_m?1419781766

工事区間に入った。
谷を跨ぐ橋の基礎工事だけで今年いっぱいかかるようだ。
ここに橋が架かるのは一体いつの話になるのだろうか?

(後編につづく)
  

神奈川県大井町~秦野市 県道708号線旧道など(後編)

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【14年10月11日探索・12月31日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_0_m?1419951877

現在地はここ
<1枚目画像は12時の方角を向いて撮影、その先の進行方向は6時>

工事中の道を進むのだが、10mくらい入ったところで、振り返って現道方向を写す。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_1_m?1419951877

また回れ右!
明らかに工事中だったのだが、立入禁止等の看板などは見当たらなかったので、そのまま進む事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_2_m?1419951877

そうは言ってもゲートの先に行くわけにもいかない。
工事中の未成区間がなるべく見えるポイントを狙ったつもりだが・・・

反対側から見えた工事用の橋のようなものはこれかと思ったのだが、前記事にノブさんから頂いたコメントを読むと自信がなくなってきた。
あるいは、この県道工事とコメントにあった大規模霊園工事がどこかでリンクしている??

とりあえずグーグルマップの航空写真もつけておいたので、時間のある方は見てみて頂きたい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_3_m?1419951877

この前の画像で、デジカメのバッテリーが切れた。
なのでここから先はスマホでの撮影になる。

工事区間はこれ以上進めなかったので、もうおとなしく先に進む。
整備済み区間は見るからに快適な道路になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_4_m?1419951877

現在地はここ

峠集落への旧道になる。
この分岐地点には本来の旧道らしき道が廃道になって残っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_5_m?1419951877

この画像しかアップしないが、私は一応上まで1往復した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_6_m?1419951877

峠集落への狭隘旧道・・・ほんとに狭いな。
ちなみにこの道、yahoo地図では県道色になっていないが、地理院地図ではいまだに県道という事になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_7_m?1419951877

坂を下りきったところが峠集落だった。
イメージ的にはもっと山の鞍部近くの集落なのかと想像していた。

正面やや左側の街灯は昭和63年(1988)に設置されたものである。

なお集落内の画像も撮影はしたものの、ピンボケだったので割愛する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_8_m?1419951877

これは旧道が現道合流する場所だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/06/54690706/img_9_m?1419951877

そして最終画像は峠隧道になる。
昭和46年に拡幅工事がなされたが、歩道は狭い。
拡幅前の隧道はどうも戦前からあったようだ。

(おわり)

  

謹賀新年

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http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-24-86/takaratta1152/folder/1189586/90/40682390/img_0_m?1419955769

この画像、けっこう奇跡的なコラボなんだけどなあ・・・
わかりにくいですか?じゃあ、ベタなところで。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-24-86/takaratta1152/folder/1189586/90/40682390/img_1_m?1419955769

あけましておめでとうございます。

いつも閲覧して頂きありがとうございます。
皆様に少しでも興味を持って頂けるよう、更新を続けていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します!!

  

埼玉県長瀞町 国道140号線になる前の旧道(前編)

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【14年10月4日探索・15年1月2日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_0_m?1420126440

現在地はここ
<3時の方向へ進む>

埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬 国道140号線から分岐する道がある。
この道、しばらく現道とほぼ平行して、1km弱で現道に合流する。

この線形は旧道と考えるのが妥当だろうと思い、ちょっと調べたところ、旧道に間違いなかった。
ただ、国道140号線になる以前、というかおそらくは戦前には旧道になってしまっているようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_1_m?1420126440

そんな訳で何度も通過している箇所だが、旧道を走ってみよう。
旧道は通学路になっているようで、現在でも利用者がいるように思われる。
そう言えば、このあたりの国道140号線は歩道無しのけっこう危険な道だったな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_2_m?1420126440

旧道は鬱蒼とした感じになる。




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探索時は10月初旬で、まだ落葉は始まっていないはずななのだが、路面はこんな状況だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_4_m?1420126440

小さな橋を渡る。
橋梁名は不明だ。

この幅員、当時からそう変わっていないと思う。
馬車が通ったかどうかは不明だが、馬や荷車は間違いなく通行しただろう。




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崖側の看板には何と書いてあったのだろう??




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景色が開けてきた。こりゃあ、イイ眺めだな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_7_m?1420126440

同じ場所から長瀞方向も写してみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_8_m?1420126440

旧道を進むと、何か看板が設置されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54694812/img_9_m?1420126440

その看板は、旧道自身の説明板だった。
秩父往還としてかなり昔からある道のようだが、いつから道があって、いつ車道化していったのだろう??

(後編につづく)

  

埼玉県長瀞町 国道140号線になる前の旧道(後編)

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【14年10月4日探索・15年1月3日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_0_m?1420212613

現在地はこの辺

普通に始まった旧道だが、このあたりに来ると軽自動車でも通行困難だろう。
まあ、路面からはみ出せば何とか通れるか・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_1_m?1420212613

元々の旧街道らしく、擁壁の空積みの石垣が残っている場所もあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_2_m?1420212613

前言撤回!
やっぱり軽自動車でも無理!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_3_m?1420212613

道は広くなった。
分岐があるが、右の車止めがある方を進めば一足先に現道に合流する。
旧道から現道へ交通が移る際の過渡期の道か?

左側には石碑が建っているようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_4_m?1420212613

真ん中のは、高魂尊(たかみむすび・日本神話の神)、かなあ??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_5_m?1420212613

走行中に撮影すると、こんなピンボケのようにブレまくる。
それだけ鬱蒼としている道なのだ。

先のほうが開けてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_6_m?1420212613

前の画像の街灯のある場所には軽トラックが停まっていた。
つまり、ここまでは自動車の通行がある事が確実となった。

なお、この先の超狭隘区間へ入る部分だが、通学路を示す看板しか見当たらなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_7_m?1420212613

その先は完全に生活道になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_8_m?1420212613

徐々に道幅は広くなり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/77/54696477/img_9_m?1420212613

現道の国道140号線へと合流する。

ご覧の方々には物足りない旧道だっただろうが、私はこんな雰囲気の旧道もたまには悪くないと感じた。

(おわり)

 

千葉県君津市 やっぱり行くたびに衝撃・あのゴルフ場未成廃橋が復活

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【15年1月3日探索・1月4日公開】

★新年早々なのだが、有名スポットに変化が出たので、緊急報告的な記事にしたい★

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/71/54698071/img_0_m?1420297868

現在地はここ
<撮影方向は6時、進行方向は3時・のち4時>

千葉県君津市笹 片倉ダム手前だ。

片倉ダムと言えば、オブローダーが反応する物件はあの未成廃橋だろう。
私は前回訪問時に、受けた衝撃で渡橋できていないという事が気になっていた。
あわよくば渡れるかもしれないので、再訪してみよう。

まあ、あまり変わっていないだろうと、この時には当然そう思っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/71/54698071/img_1_m?1420297868

再訪記事なので、途中は省略する。
アクセス部分になるのだが、どうも様子がおかしい。

左の建物、以前はなかったぞ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/71/54698071/img_2_m?1420297868

やっぱり様子が違うな。
右に看板が建っていた。




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宅地開発??
ところで、君津エースって、未成ゴルフ場の会社じゃないのか?
という事は・・・




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進入禁止となっていたので、ここからは超スーパーズーム(!)で撮影してみよう。

坂を降りる途中、右に廃軽トラ。
これは前回記事中に出てこないが、確かにあった記憶がある。




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橋が見えてきた。
やっぱり前回とは明らかに違うな・・・




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現在地はここ

地図は航空写真モードにしてみた。
なんと驚いた事に、廃橋と見られていた未成の工事用トラス橋は、鉄板で床板を敷かれており、復活を遂げていたのだった。

手前に置かれているのは立入禁止のボードだった。




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渡る事自体は以前よりも格段に簡単になっているはずだが、渡橋は自粛しておいた。

橋での離合できない。半分だけの復活で、残り半分は以前同様の骨組みだけであった。




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せめて下から見ようと思ったが、安全に下りられそうな場所が無かった。
ちゃんと見えないがご勘弁を。




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真下に入る事はできた(あ、一応超スーパーズーム・・・)。
やっぱり橋は下から見るのが一番だよな。

ところで、この先って、別荘地にでもなるのだろうか?
いずれ再再訪の機会もありそうだ。

  

群馬県渋川市 大正県道の峠道を辿ってみる(その1)

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【14年12月14日探索・15年1月5日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54699732/img_0_m?1420382672

現在地はここ
<5時の方向を見て撮影・進行方向も5時>

群馬県渋川市伊香保町伊香保 県道33号渋川松井田線から伊香保の温泉街を見る。
このU字カーブの頂点から県道を逸れ南側に入る。




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この、現在の道自体もけっこう険しい地形に造られた道路だという事は、素人目に見てもわかる。

今回気になったのはこの地図の旧道(左側の地図の左下に向かっていく道)だ。

戦前の地図には「府縣道」として描かれているが、現在はどうなっているのかが気になったのと、途中にはなんとケーブルカー(廃線)の踏切だったはずの場所があるではないか!
この日は時折雪がちらついていたのだが、これはぜひとも確かめてみなければ!!




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途中にあった「かのうや」という宿だ。
ここ、宿泊客は駐車場から宿まで専用ケーブルカーで上がっていくんだ・・・
機会があればぜひ利用したいものだ。




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S字カーブを上っていく。




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さらに進んでいくと・・・




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進行するのは軽ワゴンが停まっている左側の道になるのだが、その前に、この左側にある橋に寄り道をする。




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河鹿橋、平成5年架橋だ。
まあ、観光のための橋なのだが、構造は・・・桁橋かな?




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すぐ隣に架かっているのが紅葉橋、平成6年架橋だ。

この橋の近くに伊香保温泉の「飲泉所」があった。
せっかくだから一口飲んでみたが・・・一口でいいや。




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現在地はここ
<撮影方向、進行方向は6時>


四輪はここでシャットアウトらしい。
府縣道だった道なので、元は荷車や馬が通った道である事は期待できるのだが、果たしてどうだろうか?

現在は一応ハイキングコースになっている(途中まで)ので、少なくとも途中までは廃道ではないようだ。




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とにかく進んでみる。
ここへきてまた雪がパラついてきた。

この大正県道の路線名だが、おそらく安中伊香保線だと思う。現在の県道33号線の旧道にあたる道と言えよう。
こちらの情報)から推定した。

柵がはずれている先に、何かあるようだが、何だろう?




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うわっ!やっぱりこれか・・・

雪が降るほど寒いのだが、まだ冬眠していないヤツもいるかもしれない。
そもそもこれの掲載、平成26年11月って(!)。
気をつけよう。




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その先にあったのは階段状のステップだった。
大正県道は荷車さえも通行出来なかったのか??

(その2へつづく)

  

群馬県渋川市 大正県道の峠道を辿ってみた(その2)

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【14年12月14日探索・15年1月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/36/54701436/img_0_m?1420472007

現在地はここ
<進行方向は概ね8時>

大正県道には、階段状のステップが取り付けられていた。
しかしながら、その勾配は荷車や馬が登れないほどのものではなく、おそらく後年になってハイキングコースとして整備された際の施工だろう。

それは地図上での道の線形が、歩行者のみのものとは思いにくく、明らかに勾配を緩和すべくカーブを多用している事からも強く推定できる事であった。




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この急勾配ポイントの先は、比較的緩やかになった。




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何か、無いかなあとキョロキョロしながら歩いていると、何かの目印があった。




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この杭、渋川市の文字は見て取れたのだが、道路の管理境界を示すものであるかどうかは不明だった。




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その先、こんな感じだ。
ここは近代的な施工物が無いので、大正時代(道路ができたのはもっと前?)の雰囲気を色濃く残しているはずだ。




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しばらくすると、近代的な治山施工になった。




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このあたりは平成19年度の県による治山事業の施工らしい。




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その先では部分舗装があった。
ここ、先ほどの「階段」部分以外では一番急かも・・・




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「この先落石注意」という看板が建っていた。




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平成16年度治山事業の施工擁壁を過ぎると・・・




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前方、今までよりはちょっと古そうな・・・




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谷積みの石垣である。
ここの擁壁部分20mくらいがそうなのだが、その施工年月は不明だ。
年季が入っている事はまちがいなさそう。

(その3へつづく)

  

群馬県渋川市 大正県道の峠道を辿ってみた(その3)

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【14年12月14日探索・15年1月7日公開】

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現在地はたぶんここ

画像からはわかりにくいと思うが、先ほどからの断続的な雪がここへきてまた降ってきた。
この日の雪はビーズ玉のような大きさの、小さな氷のようなものだった。

ここは群馬県だが雪は多くない地区だ。12月の上旬での積雪は、私を不安にさせた。




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さらに急カーブを通過した。
道はまだ登っている。




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同じ場所で振り返った。
2段のヘアピンカーブがあるのが見えるだろうか?
この線形こそが、大正県道安中伊香保線が荷車や馬対応の道路だったと推定する根拠になっている。




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さらにゆるやかに登っている。道幅も3m程度はある。

それはいいのだが、雪が降り続いている事が気になっていた。
この山越え区間はそう長くない事、途中に車道があり万一の際にはエスケープできる事はもちろん調査済みでの入山だったが、ふと「遭難」という言葉が頭をよぎった。
冬場なので万一に備えレスキューシートも持ってきたのだったが、それは麓に待機させたヘリオス号のサドルバッグに入れっぱなしだった。
そんな不安なキモチを吹っ切るには、車道が見える地点に到達する事しかなかった。




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現在地はここ

ここでちょっとした驚きを禁じえなかった。
明らかに四輪自動車の轍があったからだ。

これは温泉街から進入してきた車の可能性は低いと思う。
上の車道から下りてきたと考えるべきだろう。




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さらに5mだけ進む。左カーブを持つ道が整備されている道だ。
これをそのまま進めば間もなく車道に達するはずだ。

しかし、ここはこの場所(地図中心部・戦前の地図で巣の字の左側が現在地)に間違いない。
右の、未整備っぽい道が大正県道という事になる。
ここは当然右に進む。




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右折して10mくらい、道が消失する。
キョロキョロしながら進んでいくと、路面状況はともかく明らかに道路だった直線に出会った。




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地図で描かれているように、その先で150度くらい方向を変える。




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木の周りだけなぜか雪が無い。
ここで動物でも動き回ったのか、温泉地なのでそこだけ少々地温が高いのか??




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車道が間近に見えた。
が、そこへ達するための最終アプローチ道は木々によって遮られていた。
車道から見えてはイケナイ道・・・なのか??




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現在地はここ

最後の数メートルは崖をよじ登って車道に到達した。
ここでまた私はトリックに引っ掛かってしまった。




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それは正面に見えたハイキングコース入口だ。

ここで地図を確認すれば問題なかったのだが、示されている目的地名が一緒だった事もあって、すんなりとこの道標に従ってしまったのだった。
そして間違いに気づいたのは10分以上も進んでからの事だった。

なので、ここでロスタイム、約20分・・・
改めて、後半戦へ。

(その4へつづく)

群馬県渋川市 大正県道の峠道を辿ってみた(その4)

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【14年12月14日探索・15年1月8日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54704425/img_0_m?1420645735

現在地はここ

今昔地図ではここ(地図中心・「索」の字と「巣」の字の中間の場所)

トラップに嵌ってしまった私は、その時点でちゃんと地図を確認しなかった事を反省し、改めて大正県道の探索の後半へと突入する覚悟を決めた。雪は相変わらずたまにちらついているが、大幅に積もるような事はなかろう。

わかりにくいがここがそのようだ。
何か杭のようなものが建っている。




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かつてはこれが道標だったようだ。
おそらく「ヤセオネ峠」と書かれた矢印型の横板があったものと思われる。

現在、何とか判読できたのは「伊香保町」「伊香保ライオンズクラブ」という道標の設置者だけであった。

しかし、ここが道だという確かな証拠が残っていたのはうれしかった。




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道標がなかったらここが道だと断定する自信が無かった。それほど、痕跡らしきものは特に無い。




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それでもなんとなく、木の密度が他よりも疎である事と、荷車対応の勾配である事から、ここが道であったのだろうとは思う。
入口に道標(跡)があったとい事は、かつてはこの道もハイキングコースだったのだろう。




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そして枕木の列が見えてきた。




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現在地はここ

今昔マップではここ

ここがかつてケーブルカーの踏切だった場所になる。

私はこの場所には2010年4月にケーブルカー廃線探索として訪れていたのだが、その時点ではここが踏切だったなんて思いもよらなかった(リンク先記事の最終画像がこの場所)。

かつての踏切はどんな形状をしていたのだろうか?
警報機や遮断機が設置されていたのだろうか?




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踏切内から上を見る。




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下側だ。
150mほど廃線跡を下ると車道に出られる。




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踏切を渡った先で、振り返って撮影した。




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その先はまた痕跡がボケる。




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境界柱?が建っている場所があった。




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戦前のものではまずないだろう。
ケーブルカーが現役だったころから設置されていたものなのか、廃線後のものなのか、不明だった。

道路関連のものなのか、温泉関連の何かが埋まっているのか、はたまた地中ケーブル設置の目印?

このマークだが、渋川市(旧市章含む)のものでも旧・伊香保町のものでもなかった。
どなたかご存知の方が居られたらご教示いただきたい。

(その5・最終回につづく)

  

群馬県渋川市 大正県道の峠道を辿ってみた(その5・最終回)

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【14年11月2日/12月14日探索・15年1月9日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_0_m?1420729461

現在地はこの辺

踏切を渡った大正県道はいったんケーブルカー線路から離れていく。
現在、関東ふれあいの道ハイキングコースとして整備されているのはこの道の約200m東側を並行している道で、大正時代には県道であったはずのこの道は、通行する人も本当に稀になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_1_m?1420729461

この画像の場所はまっすぐに登っているが、荷車対応であったはずの道はケーブルカーと並行してばかりはいられない。
時折、ぐねぐねとした線形になりながら標高を稼いでいた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_2_m?1420729461

また線路が近づいてきた。
が、ここでも道路は少し先で右カーブになっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_3_m?1420729461

ゆるやかな掘割状の道が再びケーブルカー線路に近づいていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_4_m?1420729461

線路を再び横切るような事にはならない。
線路直前で右カーブとなる。




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ほんの50mくらいだったが、道路が線路(跡)に沿った区間もあった。




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その先で線路跡から離れるが、ゴールは目前である。
先に見える建物あたりが榛名山の駅があったところになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54705845/img_8_m?1420729461

現在地はここ
今昔マップではここ

ここはかつての駅前であったようだ。
車道をそのまま進むと、200mくらいで県道33号線のヤセオネ峠バス停に出る。




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<この画像は11月2日に撮影>
その先、ここもかつては県道だった場所だが、現在ではクマザサの生長がすごくなっていた。




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現在地はここ
<2時の方向を見て撮影><この画像は11月2日に撮影>

ここが新旧道の合流地点になる。

ところで、ケーブルカーの廃線跡はどうしたかって?
当然探索はしました。記事は後日アップします。

(おわり)
  
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