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東京都奥多摩町 天空集落「奥」訪問記(その2)

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【14年9月20日探索・12月1日公開】

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現在地はここ

峰谷川沿いを道路はゆるやかに登っていく。まだ標高としては国道の峰谷橋の分岐からわずか20mほどしか登っていない。
ちなみに前方で何か工事がなされているが、これは浄水所の改造工事であった。




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バスが通っていった。
1日に3回しか来ない路線バスだ。




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「雨降り」という名のバス停である。
珍名バス停として、それなりに有名ではある。

この上流に雨降り滝という滝があり、そこからの命名であるという。




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「下り」という、これまた珍名バス停である。
「奥」「峰」などの集落が落合い、さらにその下側にある集落が「下り」になったとされう。




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峰谷川渓流釣り場だ。

左にある簡易型の郵便ポストは珍しい。
収集は平日なら1日2回あるようだ。




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現在地はここ

ここが峰谷バス停、さっきのバスが折り返しの発車待ちをしていた。




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勾配が明らかに急になった。
この先の右側なのだが・・・




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峰谷バス停からだと200m強ほどだろうか。
車道の吊り橋が架かっていた。

・・・雨降り滝って、ここから行けるんだ。

この吊り橋、名前は下り橋といい昭和56年12月に架橋された。
最大の特徴は・・・




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大して構造を補っているように見えないが、トラス補鋼になっている事と、床面は木製であり、その補強のためなのかグレーチング的施工がなされている事だった。




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幅員約3mの吊り橋だが、車道対応である。しかしながら重量制限2tが課せられている。

とりあえず1往復しないと気がすまない。




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思いのほか谷は深いようだ。

寄り道を終え、目的地へと向かおう。

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町 天空集落「奥」訪問記(その3)

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【14年9月20日探索・12月2日公開】

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現在地はこの辺

吊り橋の先の道はどんどん高度を上げていく。
左の擁壁の空積みの石垣がイイ。この場所の道路は地形図(昭和27年応急修正版5万分の1・丹波)から読む限り既に車道対応となっていた可能性が高い。
もっとも擁壁はそれ以前、歩行者のみの道だった頃から整備されていた可能性もあるが

ちなみに、mapion地図にはバスがここまで入ってくるように描かれているが、300m手前の峰谷が終点である。




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木の実がたくさん落ちていた。トチノミだろうか。
自転車だから帰りには特に気をつけなければ。




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橋が見えてきた。
谷あいではあるが少し開けて、平地に近くなった。
集落がありそうだ。

ところで、電線の上に何かいるぞ!




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サルだった。
サルは私の存在に気づくと少し慌てた様子で森の中に逃げていった。




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現在地はここ

橋の名は三澤橋、昭和29年3月成と親柱に刻まれていた。
しかし、私が持っている昭和27年応急修正の地形図だと、この三澤橋までが「町村道・達路(幅員3m以上)」として表記されている。
この橋には旧橋があったのか、あるいは竣功前でも地図には描かれていたのかのどちらかであるが、私は後者だと思う。その理由としては、この地形図、昭和27年版なのに昭和32年竣功の奥多摩湖が描かれており、少し未来の予定は描かれているものなのではないかと思うのだ。




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橋の先、三沢集落になった。
ただ、勾配は再びきつくなってきた。




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奥集落への道は登っているが、分岐してものすごい勢いで下る道があった。




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その道は民家へのアプローチだった。

ん!!




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軽トラ専用の車庫があった。
つか、こんなのどうやって出し入れするんだ?どうやって出入りするんだ??




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下に下っていくモノラックがあった。
山仕事用か、この付近で見かけたわさび田用あたりだろうか?




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どんどん標高を稼ぐ。
1日3本しかない路線バスの終点から1km強、交通の便の悪さのためか、利用されていない建物もいくつかあった。

(その4へつづく)

  

東京都奥多摩町 天空集落「奥」訪問記(その4)

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【14年9月20日探索・12月3日公開】

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現在地はここ

また集落があった。奥沢集落だ。
ここ、道路脇のスペースが広いが、どのような目的でこうなったのだろうか?

地理院地図には、この北西側・直線距離では200mほどの場所にも2軒の家屋があるように描かれている。車道が通じているような気はしないし、モノラックのようなものは見当たらなかった。
住民は相当足腰が丈夫だという事だろうか?




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集落はずれに放置されている廃車と、地味ながらも落差の大きな滝があった。




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う~ん、また謎のスペース・・・
かつて家屋があったのだろうか??




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目印にしていた1段目のヘアピンが見えた。
ちなみにここの標高は750mである。




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離合困難な道がずっと登っている。
先ほどまでガードレールが設置されていたが、なぜかガードロープに変わった。




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現在地はここ

この先に2軒の家屋が見えた。
しかし、この2軒は奥沢集落なのか、あるいはすでに奥集落に入ったのかが不明だった。




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奥集落の生命線である林道奥沢線はまだ標高を稼ぐ。
標高は800mを超えた。




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3段目のヘアピンのところだ。
地図には無い道がカーブ頂点から分岐している。
ちょっとだけ行ってみようか。




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見事なダブルトラックの未舗装路だ。
地図には建物表記がないが、前方には何かしらの建物があるようだった。




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現在地はここ


元のヘアピンカーブに戻り、さらに登っていくと分岐がある。

左側にも行ってみたが特段どうという事はなかったので割愛してさらに登っていく。




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ついに東京都の、奥多摩町の、最奥集落、その名も「奥」にやってきた。
この場所で標高は890mである。

首都東京でもこんな集落があるんだ・・・




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さらに下側にも崖にへばりつくように家屋が建っている。

こんな光景の中で外を見ながら風呂に入ったらキモチイイんだろうな・・・

(その5・最終回に続く)

  

東京都奥多摩町 天空集落「奥」訪問記(その5・最終回)

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【14年9月20日探索・12月4日公開】

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現在地はここ

道標があった。登山やハイキング客に対するものである事は、車道でないと思われる道が案内されている事からも簡単に推測がつく。

ここで、1台のワゴン車が通り過ぎていった。
私が進むのは右だ。




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人が住んでいないであろう家屋もいくつかあった。
9月中旬の訪問であったのだが、平地では見られないススキが多数生えていた。




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この辺で、ちょっと脇を見てみる。
ずいぶん高いところまで上がってきた。このあたりで標高910m程度だ。

東京都内にこんな天空の集落がある事は驚きだった。

ところで、はるか向こう側にもあるんだよね~




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これは峰集落だろうと思う。
ここ、奥集落からは直線距離で1.5kmほど離れている。




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現在地はここ

峰谷橋バス停から5.3km(ヘリオス号サイコン読み)、道幅がここだけ広くなっていた。
おそらくここが奥集落の中心地という事になるんだと思う。

ざっと見た感じでは10数軒の集落という感じだ。
集会所的な場所も郵便ポストも商店も、そして自販機さえも見当たらなかった。
この集落の人たちは買い物とか、どうするのだろう?

そう言えば、先ほど私の横を通り過ぎて言ったワゴン車だが、この場所でまたすれ違った。

奥多摩町ではバスの通らない集落向けのデマンドタクシーなどの公共交通機関がないため、集落内で乗合自主運行をして送迎や買い物をしているのかもしれない。



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20mほど進むと、道は皮が1まいずつ剝がれていくような分岐になっていた。
一応の「本線」は一番左だ。




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集落中心部はここで終わりなのだろう。
ここから先は未舗装となる。




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廃車が2台、肩を寄せ合うように並んでいた。
比較的明るい場所の光景なのでさほどの悲壮感や怖さは感じなかったが、夜とかは通りたくない。
・・・つうか、夜間にこの集落まで、たとえ車であっても来るだけでも相当怖いだろう。




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ちょっとここで振り返る。
しつこいようだが、ここは首都・東京である。




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未舗装林道はまだ先に延びている。
ここの道幅が広いのは、登山客の駐車場なのか?




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現在地はここ

地理院地図にはここで道路が終わっているように描かれている。
実際はあと400mほど林道は続いているようだが、この先は家屋がないので道路も1段階荒廃が進んでいる。

レポとしてはこの場所で終わりとする。
ここの標高は980mである。

最後に、ここで集落下の方を見てみよう。




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ここまでずっと登ってきたのだが、そのご褒美をもらったような景色だった。

ところで、今年2月14・15日の大雪の時には1週間以上も集落が孤立し、自衛隊が出動し23日の午後になってようやく林道が開通したようだ。

これだけ交通や買い物等の日常生活が不便でも、生活を続けている住民の人たちに拍手!
廃村にはなってほしくない、素敵な場所だった。

(おわり)

  

埼玉県さいたま市 たぶん関東最低制限高のカルバート

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【14年11月9日探索・12月5日公開】

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埼玉県さいたま市西区宝来 JR東日本川越線の指扇(さしおうぎ)駅だ。難読駅としてもそれなりに有名である。
2014年3月に駅舎が新築となるまでは、こじんまりとした駅舎だった。

そんな駅前(南口)を西の方角に歩く。




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現在地はここ

郵便局のある角を右折し、すぐにまた右折するのだが・・・




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この予告標識に注目!!

この先にある川越線をくぐる部分に対する高さ制限である。
何!1.4mだって!!




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現在地はここ

1.4mの高さ制限に間違いなかった。
このガードよりも制限高は低く、おそらく関東最低の高さ制限標識だと思われる。




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さっそく内部に入ってみる。
実際の高さは1.7m程度あるようだが、路面の凹凸などの要因も踏まえ制限高が決められたのだろう。

つうか、ここ、高さ制限だけではなく幅員も1.4mか1.5mの制限をしなければならないと思うのだが・・・




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カルバートの先は若干広くはなっている。




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いったん反対側に抜けた。
北側から見るとこんな感じ。




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この道路の利用者は決して少なくない。
が、さすがに自動車が現れないのが残念だ。

このカルバートだが、川越線開業時の昭和15年製であるかもしれない。

国土変遷アーカイブの航空写真では昭和22年時点でこの場所にはカルバートのようなものがあったが、それが今あるものと同じものなのかどうかは読み取れなかった。




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結局12分間滞在していたが四輪の自動車は通行しなかった。

  

山梨県山梨市 ダムサイトアクセス道(前編)

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【14年11月15日探索・12月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/74/54656674/img_0_m?1417798610

現在地はここ

山梨県山梨市三富川浦 国道140号線の川浦第一洞門の手前で分岐し左側に延びている道がある。

旧道かと思っていたのだが、どうも判然としない。国土変遷アーカイブは枚数が少なすぎ、古い地形図を見ても、やはりわからなかった。

とりあえず旧道かもしれない道へと進む。




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ところで、この洞門はいつ出来たのだろう?




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そして現道の橋の下をくぐる。
現道の橋の名は小雨沢橋、その竣功は昭和47年8月だった。




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この小さな橋も同じ名だったのだろうか?




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その先に分岐地点があった。
右側の道路が元々の旧道であるのかもしれないが、いったんスルーしよう。
左へ進む。




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左前方に広瀬ダムが見えてきた。
そういえば、このダム近くに林鉄の隧道坑口跡があるらしいのだが・・・




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前回探索を断念したその先であろうか?




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ずーっと、坂を下っていく。




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水路が見えてきた。
この先でその水路を渡る。

(後編につづく)

  

山梨県山梨市 ダムサイトアクセス道(後編)

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【14年11月15日探索・12月7日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/63/54657863/img_0_m?1417876378

現在地はここ

道はあと7、80mで終わる。
左手にダム堤体が迫ってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/63/54657863/img_1_m?1417876378

ここが道路終点であり、おそらくの目的地である広瀬発電所である。昭和50年3月稼働開始の山梨県営の発電所だ。
上に見えるのは国道140号線川浦第二洞門である。




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そしてその左側に広がっていたのは・・・
巨大広場だからグラウンド、なのかな?




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そしてカメラをそのまま少し右にずらすと広瀬ダムがアップになっていた。
広瀬ダム(昭和50年竣功)って、ロックフィルダムだったんだ。
これで高さは75mもあるそうだ。




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現在地はここ

昨日の記事の分岐に戻り、そこから右の道に入った。




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昔の航空写真はこの地域のものがあまりに無さすぎていて参考にならない。
昔の地図を見ても、この道が元の国道であったかどうか、イマイチ判然としない。
まあしかし、線形や法面の施工などから推定すると、この道がそうであろうとは思う。




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そんな推定旧道は高度を上げ現道に近づいた。右上のガードレールは現道だ。
ここで一旦左に巻く。
路肩施工はあまりはっきりとは残っていなかったが、工事用道路や付替の際の一時期だけ道路だった道ではないと思う。おそらくは小雨沢橋が出来る前(昭和47年)までの国道旧道であろう。



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このまま進めばあと30mで現道に合流となる。




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これは現道側から撮影した分岐になる。
わざわざ矢印を設置しているところなど、右の道が旧道であるという裏づけにするには弱いか・・・

(おわり)

  

神奈川県松田町 ミニ鉄道乗車記(前編)

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【14年10月11日探索・12月8日公開】

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現在地はここ

神奈川県足柄上郡松田町松田庶子 国道246号線をくぐる手前だ。
この先、右折する。




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国道246号線とその先が東名高速道路である。
いっぺんにくぐる道というのはかなりレアかも。

そんな橋の下で、左側に気になる光景があった。




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ここが東名松田の下り方面バス停入り口になる。
で、その左側に建っている廃のオーラのあるバス停だよ。何が書かれているのか?




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バス停を再利用した道標だった。
左は「かなん沢バス停、新松田・丹沢湖・玄倉・中川・西丹沢方面」と書かれているのが読めたが、右側は解読できなかった。




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階段を登った。この先を右に行けばバス停になるが、本来の目的地に向かおう。




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戻り、高速をくぐり右折した。

ちょうど上りの高速バス停の場所だが、前の軽自動車と同じところを左折する。




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いきなりの上り坂である。
その坂道の途中で下を見る。
当然だが東名高速は間近である。




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2段目のヘアピンだ。




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現在地はここ

3段目のヘアピン手前に何かある。境界柱か?




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日本道路公団の境界柱だった。直線距離でも高速本線はここから100mもあるようだが、ここも道路公団の道路だったのか?

これから行く西平畑公園は平成5年(1993)開園であるのだが、それ以前、ここは何だったのだろうか?
昭和59年の航空写真には既に「3段ヘアピン道路」が写っている。




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公園到着~

さて、ヘリオス号を停めておく場所がないのだが・・・
とりあえずお目当ての所に行ってみよう。




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結局ヘリオス号は「ふるさと鉄道」チケット売り場そばに置かせてもらう事にした。

それよりも、着いた途端「あと2分しかないので乗ってください」と言われ、乗車する画像を撮る暇が無かった。

これは着席してから撮影した、駅後ろ側のターンテーブルである。




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こちら側の場内出発信号は「進行」になった。
マニア心をくすぐる腕木式信号機である。

(中編につづく)

  

神奈川県松田町 ミニ鉄道乗車記(中編)

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【14年10月11日探索・12月9日公開】

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現在地はこの辺

「ぽんぽこ駅」を出発した。

この日私が乗車したのは小田急ロマンスカー10000系を模したタイプの編成だった。
もう1編成、蒸気機関車があるようだが、修理のため長期運休になっている。

前方に鉄橋のようなものが見えてきた。
ちなみに、ちょうどこの場所はかつて信号場だったようで、行き違いが可能だったはずだ。




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鉄橋っぽいところを通過するが、下に川があるわけではない。




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その先には警報機があり・・・




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路面区間に入った。松田町自然館の前、50mほどこの区間は続く。




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そういえば、だが、いいおじさんが一人で乗車しているのは私だけである。
他の乗客は親子連れやカップルであるようだ。チケット販売の係りの人に「旦那さん、一人で乗るんですか?」と念を押されてしまっていたのだった。

・・・とは言え、もう子供にも相手されないし、そもそも子供も充分大きいし、やはり一人で乗車するしかなかったのだった。




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現在地はこの辺

道路併用区間を過ぎ、また専用区間に戻った。

ここは信号場である。
普段なら蒸気機関車の編成と交換する場所だ。
ちなみに、線路の幅は191mmであるようだ。




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その先の第一スイッチバックポイントだ。

そう、このミニ鉄道はスイッチバックもある、珍しい山岳タイプなのである。
線路の地図を見てから、その線形が気になっていた場所だった。




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スイッチバックの上段から先ほどの信号場分岐を撮影した。




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今度は第二スイッチバックポイント。
先ほどのスイッチバックからここまで後ろ向きだったが、再び前向きに進む。




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あれ?
何か身を低くせねば・・・




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ここ、何のためにこんな造りにしたのだろう?謎だな。

(後編につづく)

  

神奈川県松田町 ミニ鉄道乗車記(後編)

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【14年10月11日探索・12月10日公開】

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現在地はこの辺

この鉄道の最高標高、地図読みでちょうど標高200mだ。
ちなみにぽんぽこ駅は地図読みで標高174m、この鉄道の全長は1.1kmあるそうで(どうも往復の距離っぽい)、その中でもスイッチバック手前からここまでの約250mで20m余りの標高差がある。つまりスイッチバックの「山岳地帯」は箱根登山鉄道並みの80パーミルという事になる。

明らかに人工のトンネルが見えてきた。
車庫も兼ねているっぽかった。




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そのトンネル脇には謎の線路が・・・




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トンネルを抜けたあたりが車両基地になっているようだった。




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蒸気機関車編成は現在修理中!




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頂上ループ線を過ぎ、往復線の帰路につく。




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ここは帰路の路面区間だ。
この2分後に無事ぽんぽこ駅に到着し、楽しくも恥ずかしいミニ鉄道体験は終了した。




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鉄橋をもう一度見に来た。旧弾正橋を彷彿とさせるが、構造はピントラスではなかった。




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路面区間も再観察しよう。
前の方に遮断機が見えるが、ちゃんと列車通過時には作動していた。




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ぽんぽこ駅全景だ。先ほど乗車したロマンスカー編成が休憩中だった。
腕木式信号機、いつも下りているのか??




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最後に駅終端のターンテーブルをもう一度撮影した。
このターンテーブル、前編ではさらっと流したが、相当レアな複線のターンテーブルなのである。
ロマンスカー編成は両運転台方式なのでターンテーブル不要だが、蒸気機関車はこれを利用し向きを変え、客車が停車していない側の線路を機回し線として使用し客車先頭部に再連結という作業がなされるはずだ。

(おわり)

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その1)

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【14年11月2日探索・12月11日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/13/54663913/img_0_m?1418227108

現在地はここ

群馬県吾妻郡東吾妻町厚田 県道28号高崎東吾妻線だ。
今渡っている馬渡橋から右折方向に、明らかに旧道というスペックの道がある。

航空写真で確認した限りだと1984年から1995年の間に現道が開通している。また馬渡橋は昭和63年(1988)竣功である。




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なので、この旧道は昭和末期か平成初期まで現役だったであろう道になる。
今いるこの区間の先にも何箇所か旧道があるのだが、今回は大きく分けて3区間についての連載になる。

旧道落ちしたとは言え、このあたりの道路状況には異常は無い。




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しかし、少し進むと落ち葉がすごくなり、スリップするほどになった。




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路面の状態も明らかにおかしくなり・・・




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舗装面など、ほとんどわからなくなった。




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ここまでバリケードなど一切なかったが、生き残っているダブルトラックから推測すると自動車の往来はほぼ皆無ではないかと思う。




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先のほう、路肩に何かがある!




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キノコの群生だった。
・・・イグチ科かな??



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やっぱりこれは廃道だよな、絶対・・・

(その2へつづく)

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その2)

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【14年11月2日探索・12月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54665107/img_0_m?1418312367

現在地はこの辺

路肩に簡易バリケードが置かれているのに気づいた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54665107/img_1_m?1418312367

設置者は東吾妻町、つまり県道の旧道は現在町道という事になるらしい。
で、ここに設置されている理由だが、画像ではわかりにくいが路肩の一部が崩落しているのだった。
いつからこうなのかは不明ながら、やる気の無さは手に取るように伝わってきた。





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離合困難、ガードレールなし・・・
本当に20年ちょっと前までは主要地方道だったのか??




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やがて道路は周囲の光景と同化してしまった。




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現在地はこの辺

あと5、60mくらいで現道に復帰しそうな場所までやってきた。時折現道から車の通過音が聞こえる。

ただ、進行方向がやばそうな雰囲気になってきた。




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ほら、道なんてなくなったぞ!




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前の画像の場所から藪こぎしながら数メートル進むと、現道脇の電信柱が見えた。
よし、このままヘリオス号を担いで強行突破だ。




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激藪の中を進む事3分、現道に脱出した。
地図には普通の道路として描かれていたのだが・・・




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今通ってきたところを振り返った。

・・・この光景の中に道路があるなんて、普通思わないぞ!

(この区間は終了です。別記事をはさんで、その3へ続く)

  

静岡県富士宮市 国道沿いの吊り橋・花ノ木橋

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【14年11月23日探索・12月13日公開】

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現在地はここ

静岡県富士宮市上稲子 国道469号線を走行中のことだった。
左手前方(地図で言えば10時の方向)に吊り橋が架かっているのを発見した。




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なので、国道を離れて橋を見に行こう。




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この地域には採石場が多い。
主に生コンなどに混ぜる石になるようだ。

採石場と吊り橋のコラボである。




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この橋、名を花ノ木橋というようだ
橋のちょうど真ん中にバリケードが築かれている。
公共の橋では無いようで、途中にバリケードがある。




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そのバリケード地点、すなわち、橋の中間地点である。

山林などの作業用の吊り橋か?




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来た方向へと戻ろう。
揺れはそう大したことは無かったが、床を踏み抜いてしまいそうな程、足元に不安のある橋だった。




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橋全景だ。




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下から見てみた。

床板の厚みは2cm弱であり、縦方向に張られているのは5本のワイヤーだった。
これなら渡った時の不安感にも納得してしまった。

  

埼玉県さいたま市 昭和レトロなショッピングモール、なのだが・・・

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【14年11月9日探索・12月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/84/54667384/img_0_m?1418477385

現在地はここ

埼玉県さいたま市岩槻区本町 この先にちょっとワケありな昭和レトロ商店街があると聞いてやってきた。
あの矢印の場所がそれらしい。




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岩槻名店街という名前だ。
看板には「楽しい買物の散歩道」というサブタイトルが書いてある。

信号が変わるのを待って目的地へ向かう。




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さっそく名店街内部へ行こうかと思ったが、その前に、2枚の看板についてスルーするワケにはいかない。




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右側の看板は建物の管理会社が建てたもののようだ。
『この際通行禁止』という文言がなんとも・・・




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そしてこれが左側に建っている名店街加盟店の反論看板だ。
どうしてこうなってしまったのかは不明だが、建物の管理会社と加盟店が争っているようだ。




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では、名店街の1階部分へ行こう。
管理会社によれば「この際通行禁止」なのだが、先ほどから地元住民が歩行や自転車で普通に通行している。

ところで、この日は日曜日だったせいもあるようだが、開店している店舗が少ないようだ。




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小料理屋さん、かな。ここは開店していた。
販売店舗だったら何か購入してみようかと思ってもいたが、飲食店だと予定外なのでスルーした。




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反対側に出た。
この向こう側は普通の生活道路になっており、名店街は地元民には本当に「通路」の一部になっているようだ。




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5歩くらい進み、そので振り返った。
左にあるのはどう見ても名店街の共同トイレのようだが、シャッターが降りたままだ。
もしかして、この名店街で飲食しても使用できるトイレが無い?? それはキツイかも・・・




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この名店街には2階もある。復路は2階を通ってみよう。




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2階も多くの店舗はシャッターが降りたままであるようだが、これから営業するように見える店舗もあった。




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ここを降りれば正面脇に出る。
係争の結果がどうなるのかわからないが、ずっとこのままという訳にもいかないと思う。いずれ建て替えか全面リニューアルになるのだろう。

茨城県土浦市 偶然見つけた東急6000系廃車体

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【14年9月28日探索・12月15日公開】

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現在地はここ
<7時の方向を見て撮影>

茨城県土浦市虫掛 国道6号バイパスの側道になる。
ここで県道24号線の方向を見ると、先のほうに踏切でもないのに、列車が道路に差し掛かっている光景が見えた。




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もう少し近づいてみた。
廃車体を倉庫にしているようだ。

・・・ところで、この車両は見覚えがあるぞ!




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紛れも無く東急6000系(初代)だった。

私が学生時代には確か大井町線を走っていて、幾度と無く乗車した形式だ。

偶然の発見だった事もあって、現地では一通り外観を観察しただけ(車番も不明だった)だったが、帰宅後に調べたらいろいろな事がわかった。

まず車番だが、元デハ6201であるらしい。
昭和35年(1960)製造、昭和57年にVVVFインバータ制御車(試作車)に改造され、昭和59年には直流1500Vとして日本初の営業運転をした栄誉ある車両である。
昭和62年(1987)に廃車後、なんと、あのDIYセンター、ジョイフル本田荒川沖店で、一般に販売されたうちの1両である事までが判明した。

大井町線時代には二子玉川園(当時)方の先頭車両だったらしいので、私は間違いなくこの車両に乗車した事があるはずという、奇妙な再会であった。

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その3)

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【14年11月2日探索・12月16日公開】

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この記事の続きになる。

次なる旧道の場所が近づいてきた。




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現在地はここ

長藤橋・昭和61年2月完成の橋に対応する旧道の入口なのだが、養鶏場があるようで、立入禁止となっていた。でも、私が行きたいのは矢印の方の道だ。すぐ右に行くのだから大丈夫だよね・・・




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と思っていたが、私が行きたい方の道も立入禁止措置が取られていた。

鳥インフルなどに神経をとがらせているという事だろう。仕方が無い。ここはあきらめよう。




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とは言え、反対側はやはり気になる。
橋を渡ったすぐ左だ。




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藪もそれなりだったが、ライダーが数名休憩中だったので、怪しい行為と思われかねなかった。
この区間は見送るしかない。




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そして次の旧道区間なのだが、完全に入口を見失っていた。
この画像の近くにあったはずなのだが・・・




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現在地はここ

仕方が無いので水仙橋(平成7年11月完成)から旧道を眺める。
よく見ると旧道のラインが見えるのだが・・・




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現在地はここ
<4時の方向を見て撮影>

続いてはこの旧道なのだが・・・




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50mくらいは進んだが、入口のゲートに書かれていた「吾妻森林管理署」の文字に、林道と勘違いしてしまったのだ。
後から考えたら、この線形ではそんな事はあり得ないと簡単に思うのに・・・

スルーしてしまった2区間はいずれ再訪するつもりだ。




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現在地はここ
<4時の方向を見て撮影>

1.5km強進んだ。
この先こそ旧道があるはずの場所だ。




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見るからに怪しい分岐があった。




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先ほどと同じタイプのバリケードがあった。
現在は林道という扱いなのだろうか?

ちなみに今昔マップでははこれから行こうとする道が現道だった頃の地図が左側にある。




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という事で、ようやくちゃんとした探索が再開された。
 
(その4へつづく)

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その4)

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【14年11月2日探索・12月17日公開】

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現在地はこの辺

この区間、約2kmにわたる旧道探索が始まった。
少しの間だけ上り坂だ。




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200mくらい上って、あとは下りになる。
左に側溝があり、元々の道幅がわかる。幅員は5mといったところか。

それにしてもものすごい落ち葉の量だ。このせいで全く路面が見えなかったのだが、現地では未舗装路だったという感覚だった。しかしながら、大きな木が路面には見られないので、舗装路だったのだろう。




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ガードレールも割と新しいようだ。
ここが旧道落ちしたのは、国土変遷アーカイブの航空写真から推定すると平成9年(1997)頃のはずだ。




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車の音も聞こえなければ、もちろん人の声も聞こえない。
こんなところで熊でも出たらイヤだなと思いながら進む。




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ちょっと先の左側には、看板があり植林されているものの荒涼感のある光景になった。
ここは「2号土捨場」であるらしい。
管理者が中之条土木事務所となっていたが、まさか八ツ場ダムのものではあるまいな。




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左から道が合流してきた。
しかしまだ頼りない林道スペックの道路だ。




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ほどなくちゃんとした道路が見えてきた。




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現在地はここ
<進行方向は5時>

右方向の道に進むのだが、その前に、カーブミラーが建っていたので見てみよう。




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画像では大変わかりにくいが、辛うじて「群馬県」の文字を読む事ができた。
ここまで標識も境界柱も見つからなかったので、貴重な「県道」の証人と言える。




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現役の舗装路面になったが、寂しい雰囲気は変わらない。




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右に現道のラインが近づいてきた。




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現道の合流してこの区間は終了する。

(その5へつづく)

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その5)

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【14年11月2日探索・12月18日公開】

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現在地はここ
<進行方向は4時の方角>

本レポの最終区間になる。
ここを右折し頼りなさげな道に入っていく。





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地理院地図ではこの区間はまだ県道色に塗られているが、現地では県道を思わせるものは何もなかった。




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現在地はここ
<この画像は9時の方角を見て、次の画像は6時の方角を見て撮影>

ゲートが閉まっていた。
まあ自転車なのでその気になれば簡単に通過は出来る。

が、私の進みたい道はこっちじゃなかった。
左を向く。




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このバリケードの先が元々の旧道だった。

今昔マップで新旧道を重ね合わせてみた
榛名湖の北西、画像中心付近がお見せしたい地図になる。




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入口からこんなで大丈夫かな?
あるいは旧道入口のカモフラージュか?




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これは廃道化されて以降、車の出入りは皆無なのかも・・・

ちなみに、国土変遷アーカイブの航空写真からの推測では、平成10年(1998)頃に現道が完成しているように見えた。
どうも擁壁が崩落し、復旧させたようにも見えるので、車が通行できなくなってからの年数はわからない。




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崩落したであろう場所を過ぎたら道は広くなった。




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それにしても旧道落ちしてから16年程度の割には熟成が早いようだ。




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ガードレールが無ければ、広いハイキングコースだと思われるのではないかと思うほどに、一面落ち葉だった。




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現道からそう離れていないのに、車の音などがまったく聞こえない。

(その6・最終回につづく)

  

群馬県東吾妻町 県道28号の旧道たち(その6・最終回)

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【14年11月2日探索・12月19日公開】

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現在地はこの辺

道幅は充分あるように見えるが、急カーブの連続だったので、特に大型車などは通行に相当気を遣っただろう。




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路肩が崩落している地点があった。




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ガードレールの支柱って、けっこう深く埋まっているの、知ってました?
実測はしていないが、目測では1.5mほど地中に埋まっていたようだ。




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左下には現道が見え、前方にはガードレールが見えた。




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現在地はここ

旧道は現道によりぷっつりと途切れていた。
仕方がないので、前の画像で見えた現道に降りていこうと思い途中まで進んだが、ちょっと自転車を担いでの突破は難しそうだった。




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なので、ガードレールの先に進んでみる。




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一応、シングルトラックの道が続いている。
まあ、絶対に旧道とは関係ない道だろうが。




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このあたりからチラ見できた榛名湖は、ちょっと神秘的な雰囲気に見えた。




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結局このあたり、ガードレール地点からは200m強進んだあたりで引き返す事にした。




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最後の画像になるが、これは現道から見た旧道分断地点だ。
左の電信柱と、その根元のすぐ右側にちょっと見えるのがガードレールなので、そこが分断地点になる。

(おわり)

  

静岡県富士宮市 国道469号線の付替られた道

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【14年11月23日探索・12月20日公開】

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現在地はここ
<9時の方向へ進む>

静岡県富士宮市下稲子 国道469号線を山梨県との県境方向へ進む。




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この先幅員狭小になると、標識は言っていたが、ほとんどわからないレベルだった。




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この先に分岐があるようだ。




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現在地はここ

現道は右に行く。
私は「通り抜けできません」の左の道へ進む。




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この道こそ、かつて国道だった道だ。

今昔マップを見ると、県境付近のルートが現在とまったく違っていた。

国土地理院の航空写真サービスで確認する限り、この区間が現道に付替られたのは1990年代後半であろう事がわかった。
国道469号線は平成5年(1993)に国道になったので、ほんの数年間だけ国道だった道という事になる。




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標識どおりのぐねぐね道となった。



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標識が建っていた。
設置者は・・・




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静岡県だった。

設置された頃は国道ではなかったかもしれないが、国道469号線は県管理の国道なので国道時代のものという解釈で間違いないと思う。




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行けるのはここまでになる。この先は採石場になっている。




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普通なら旧道落ちしてからまだ20年足らずなので、探索のしがいがありそうなものだが、ここはこの先進行できない。
また物理的にはもう少し行けるのだが、その先の旧国道は採石場に呑まれてしまっているので、まったく道の痕跡がないようだ。

  
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