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千葉県佐倉市 35年来の幻の駅・京成江原台

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【14年10月19日探索・11月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_0_m?1415722866

地図を見ていると、気になる場所を見つけてしまう事がある。
今日の記事もそんな小さな発見から探索が始まった。


現在地はここ

千葉県佐倉市江原 国道296号線から左折する。
地図で言えば1時の方向に進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_1_m?1415722866

左折する以前の国道よりも広い道になった。このあたり一帯が江原台と呼ばれる地区になる。

バス停があったので本数を見たが、1時間に1~2本、決して多くはない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_2_m?1415722866

坂を下って、その先を右折する・・・のだが、その前に左側を見る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_3_m?1415722866

!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_4_m?1415722866

猫がいたのだが、うまく写真が撮れなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_5_m?1415722866

気を取り直して右折する。
何か先のほうが広々としているが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_6_m?1415722866

まるで広場のようだ。
しかし、よく見るとすぐ隣には京成本線の線路がある。ただの広場を造るには変な場所だ。

ここで現在地の拡大地図をご覧頂こう。
そう、この道路の線形は、駅前広場として用意された場所だったので。

この駅前広場になるはずだった空間だが、1979年の航空写真(赤文字クリック後地図上「1」をクリックしてください)には、既にはっきりと写っていた。
もう35年も前から準備がされていた事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_7_m?1415722866

線路脇のスペースも、明らかにホームが出来るだけの幅があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_8_m?1415722866

上野方向にも細長い空間がある・・・のだが、佐倉市が用意した新駅のホーム延長は6両編成分しかなかったそうだ。6両編成は普通電車しか停車できない事になり、しかもその普通電車は一つ上野方の京成臼井駅までは1時間に3本(日中)やってくるが、その先には日中は1本も無い。そんな事情が致命的要因となり、ついに今日まで駅が設置されていないという事らしい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_9_m?1415722866

駅が出来る事を当て込んで家を買った人も多かろうに・・・
ちなみに、駅前商店などはない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_10_m?1415722866

京成臼井4号踏切を上り特急の上野行が通過していった。
もう2両分の用地の確保がすんなり出来ていれば、今の電車はここに停車し、踏切の名称も京成江原台1号踏切となっていたに違いない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54622573/img_11_m?1415722866

相対式ホームになるはずだった事は、下り方のホーム用地からも窺い知る事ができた。

しかし、先ほどの路線バスの本数から推測すると、現状ではホーム用地が確保できてもすぐに駅建設とはいかないだろう。

  

山梨県山梨市 国道140号線旧道(その1)

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【14年9月14日探索・11月13日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_0_m?1415805871

現在地はここ

山梨県山梨市三富川浦 国道140号線を左に逸れ旧道に入る。
この付近の国道140号には何箇所かの旧道が存在しているが、ここもそんな1箇所であろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_1_m?1415805871

100mほど進んで振り返った。
画像だと右方向の道に進んだ場合、笛吹川を渡り芹沢集落と、三塩軌道の跡がある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_2_m?1415805871

いきなり、イイ感じになってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_3_m?1415805871

道端はあまりの交通量の少なさにより、自然にグリーンベルト化されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_4_m?1415805871

橋が架かっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_5_m?1415805871

峠沢橋、昭和41年11月竣功だ。
ちなみに、現道に架かる橋も同名の橋である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_6_m?1415805871

そういえば、さっきから1台の車も見かけないな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_7_m?1415805871

現在地はここ

左には水位の警報施設があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54623842/img_8_m?1415805871

そのすぐ先で、舗装が途切れた。
この旧道は先ほどの水位警報所の管理用のために残された事になる。

ところでこの先、踏破は可能なのだろうか?

(その2へつづく)

  

山梨県山梨市 国道140号線旧道(その2)

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【14年9月14日探索・11月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_0_m?1415894186

現在地はここ

路面は非舗装になった。
しかし私の予想では「未舗装」ではなかったのではないかと思う。

昭和28年には二級国道熊谷甲府線として指定されていた道路でもあり(平成10年までは実質行き止まり国道だったが)、早い段階からバス路線があったようだ。

現道に国道が切り替わったのは昭和50年ごろなので、その時代まで未舗装だったとは考えにくかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_1_m?1415894186

現道の橋をくぐる。
上の橋は白沢橋、昭和49年3月竣功である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_2_m?1415894186

橋の先は廃道の様相が濃そうな感じだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_3_m?1415894186

ここで一旦橋の向こう側を見てみよう。

この画像からはわかりにくいが、肉眼では確実に対岸の旧道のガードレールが見えた。
つまり、この谷(白沢、かな?)さえ越えれば向こう側にある旧道に進める事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_4_m?1415894186

そんな期待があったので、私は迷わずヘリオス号を伴ってこの区間に進行した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_5_m?1415894186

でも、さすがにこんな状態の路面だったので、この少し手前にヘリオス号は停め、単独で偵察する事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_6_m?1415894186

ありゃ、道、無いぞ!

・・・いや、このあたりに橋が架かっていたと想定されるので、こういう時には川の流れに90度になるよう、ここの場合は左に折れてみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/47/54625447/img_7_m?1415894186

しかし・・・あったのは橋台だけだった。
手前部分がこちら側の橋台だった場所だ。

これでは対岸には行けないので、反対側から迂回してみよう。

(その3へつづく)

  

山梨県山梨市 国道140号線旧道(その3)

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【14年9月14日探索・11月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_0_m?1415979789

現在地はここ

橋が撤去されていたため一旦撤退した白沢橋の地点から、さらに約1kmも進んだ。
私がいる現道の橋の名は下雨沢橋、昭和51年3月竣功である。
ちょうどこの場所から、旧道が谷を迂回していた様子がよくわかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_1_m?1415979789

その旧道へと入っていく。が、このバリケードを自転車担いでの突破は大変目立つ。
なので、ヘリオス号は待機とし、片道1km近くの道は歩く事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_2_m?1415979789

まずはどこにでもあるような旧道風景だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_3_m?1415979789

約100mで林道が分岐していた。
私の進行方向は右になる。
ここに橋が架かっているが、銘版等がなく、橋の情報が得られなかった。
名前は現道と同じ下雨沢橋かも。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_4_m?1415979789

現道をくぐる。
ちなみに1枚目画像はこの左端くらいの場所からの撮影である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_5_m?1415979789

熟成が進んでいる、と言えようか。
それでも昭和51年からだと38年経つ事になるが、それにしては廃れていない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_6_m?1415979789

この旧道は管理されているのかいないのか?
車の通行にはまだ問題はなさそうだが、車なんて通ってるのかな?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_7_m?1415979789

もとより入口にゲートがあるので、工事用か電線保守管理用の自動車くらいしか通らないのだろうが、元国道はかなりくたびれている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_8_m?1415979789

何かが路面に散らばっていた。
・・・いや、違う。
これあ元々もっと大きな石だったのだろう。
落下の衝撃で粉々になったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_9_m?1415979789

ずっとここまでこれといった構造物も標識も無い。
なので、距離の割には画像が少なかったりする。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/01/54626901/img_10_m?1415979789

このあたりまで来て、いきなり熟成度が増したような・・・

(その4・最終回に続く)

  

山梨県山梨市 国道140号線旧道(その4・最終回)

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【14年9月14日探索・11月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_0_m?1416062083


現在地はこの辺

この付近では大小の土砂災害が幾度となくあったようで、そのせいだろうか、路面の舗装が完全にはがれている場所もあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_1_m?1416062083

ここだけを見たら現役の道路かと思えてくる。

ちなみに公開日現在、この区間の上の現道擁壁の補強工事中でこの画像付近の旧道上には工事現場事務所が設置されている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_2_m?1416062083

どうもかなり脆い地質らしい。
左側が現道の路盤の土台となっている部分、路面は旧道だ。過去にもかなり規模の大きな補強工事(あるいは災害復旧工事)がなされたようだ。
その工事の影響で、旧道の路面はここだけ新道のように綺麗だった。もう道路として使われる事はないと思われるのに。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_3_m?1416062083

その「復旧」工事の場所で舗装は終了していた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_4_m?1416062083

が、その先の白沢橋近くでは一時的に舗装が復活したかのように見える。
ガードレールは悲惨な状態になっているが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_5_m?1416062083

現在地はここ

この先は一見、道路であったような気がしない。
が、反対側には旧道があったし、ガードレールが続いている。
こちら側の旧橋の橋台まで行ってみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_6_m?1416062083

・・・ちょっと躊躇う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_7_m?1416062083

この画像を見て、どこが道路だったとわかるんだ?
まあ、40年も経っていればこうなるか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_8_m?1416062083

それでもかすかに路面の舗装が残っている場所もあった。
そして、その数メートル先に・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54628183/img_9_m?1416062083

数メートルしか違わないので1つ前の画像とあまり変わらないが、この中央下部に見える苔むしているコンクリ構造物がこちら側の橋台になる。

これにてミッション(?)終了、撤収!

(おわり)

  

神奈川県南足柄市 七差路交差点

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【14年10月11日探索・11月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_0_m?1416150435

現在地はここ

神奈川県南足柄市広町 大雄町と苅野・雨坪地区を結ぶ市道を走行中のことだった。
左矢印の場所、普通、道に見えるよね?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_1_m?1416150435

道は塞がれていた。

こんな形の人工廃道は初めて見たな。
きっと、大雨の度に土砂流入とかだったんだろうな。

で、本日の主役はこのすぐ先にある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_2_m?1416150435

現在地はここ

画像上には既に番号を振ってあるので、もうネタはばれていると思う。
6差路ならいちいち記事にしないが、7差路となると、レア度が格段に上がる(と思う)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_3_m?1416150435

まずは左側の分岐状況をご覧あれ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_4_m?1416150435

そして右側、5、6、7の道はこのように分岐していた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_5_m?1416150435

2枚上の画像でお気づきの方も居られると思うが、何か、石の構造物が2と3の間にあった。

ここも古道(道了尊の参道?)だったのだろうか?
曹洞宗のお題目、南無阿弥陀仏が中央に刻まれた道しるべだった。
道しるべが示す左は「道了大薩埵」である。
そして、右だが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_6_m?1416150435

ひらがなだと思うのだが、読めない。
この地域の地図ともしばらくにらめっこしたのだが、やはりわからなかった。
どなたか、解読して!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_7_m?1416150435

なんとか、1枚の画像でこの7差路がわかる画像が撮れないものか、何箇所かで試みた。
その結果、6と7の盛り上がった場所の草の上に乗り、バランスを崩しながら撮影した1枚がベストショットであろうか??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/66/54629866/img_8_m?1416150435

この画像の場所はこの辺

最後に20日ほど前の未成橋の記事でクイックさんからコメントを頂いていた「貝沢通り」の画像が1枚だけ見つかったので、その位置とともに本日の記事のおまけとしたい。
ちなみに、この道の幅員は2.5mくらいでした。

  

ゾロ目

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イメージ 1

いつも訪問いただきありがとうございます。

昨日21時30分過ぎに、訪問者累計がゾロ目になりました。
なかなかこのタイミングに合うのは難しいのですが、今回は撮影に成功しました。

今後もどうぞよろしくお願い致します。
 

埼玉県皆野町 川の上の家

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【14年10月4日探索・11月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54631292/img_0_m?1416239009

現在地はここ

埼玉県秩父郡皆野町三沢 県道82号長瀞玉淀自然公園線だ。
高原牧場入口バス停のところを右折してみる。

 


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54631292/img_1_m?1416239009

現在地はここ

10mも行かないうちに橋が架かっていた。
地図に描かれていない小さな川のようだ。

ここで、右を見ると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54631292/img_2_m?1416239009

ん??

これは変わっているぞ!

橋になっている渡り廊下的なものも珍しいが、その向こう側の建物は完全に川の上に建っているぞ!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54631292/img_3_m?1416239009

家屋が川の両側にあって、それを結ぶ渡り廊下だが、屋根も壁もある橋の構造になっているというのは、私は初めて見た。
しかもこれ、木橋ではないだろうか?

思いがけずレアなものを見る事ができた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54631292/img_4_m?1416239009

さらに30mくらい進んでみた。
三沢川手前の光景だ。

左の物置的なもの、現役施設なのだろうか?

  

栃木県鹿沼市 南摩ダム予定地再訪記(その1)

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【14年10月25日探索・11月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54632810/img_0_m?1416324082

現在地はここ

栃木県鹿沼市上南摩町 構想発表から50年にもなる長引くダム事業に、関東地方では「もうひとつの八ツ場」として、紹介された地域で、私も3年前に訪問していた。

八ツ場の方にはここのところで明らかな動きがあったのだが、こちらはその後どうなっているのかが気になっていた。

ちなみにこの画像の場所には3年前、工事事務所らしき建物が建っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54632810/img_1_m?1416324082

県道177号上久我栃木線である。
この先から右折する道が付替県道だ。3年前とこの場所の雰囲気はあまり変わっていないように見受けられる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54632810/img_2_m?1416324082

それにしても3年前と同じ様な場所で撮影していた事が帰宅後にわかった。





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54632810/img_3_m?1416324082

現在地はここ

ここから左折の林道に案内される事も3年前と同じだった。
ただ、警備員詰所のような建物は撤去されていた。
一応、この先にも行ってみようか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54632810/img_4_m?1416324082

あまり風景は変わっていないようだが、付替県道側に送電線が設置されていた。




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その先、付替県道の橋(7号橋)が完成していた。
3年前には無かった橋だが、昨年架橋されたようだ。




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工事用の重機の姿は見当たらないので、工事自体は一応終わっていると見てよさそうだ。




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現在地はここ

付替県道となる道に出た。
2車線道路が完成に近づいたようだ。
ちなみに、この画像は振り返り方向で撮影した。。




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で、こちらが進行しようとした方向側のトンネル「付替県道4号トンネル」である。
路面の工事が進んだくらいで、あまり極端な進展は無かったという印象だった。



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現在地はここ

室瀬地区にやって来た。
このあたりはダムよりも下流になるので沈む予定ではない。
なので、見た感じも普通の集落だ。




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ただ、その先からは雰囲気が変わる。
ちなみに、右のトンネルは仮排水路出口のものと思われた。




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長い区間ではなかったが、険道区間も残っていた。
工事用車両の離合は不可能である。

(その2へつづく)

  

栃木県鹿沼市 南摩ダム予定地再訪記(その2)

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【14年10月25日探索・11月20日公開】

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現在地はこの辺

道幅は、センターラインがないものの一応2車線相当に戻った。
平日は工事用車両が行きかう(少なくともそれを想定している)道であろうから、大型車が離合に手間取るようだと問題だろう。

ダム本体の予定地はこの付近(もう少し南側だが)である。
右側に建物が建っていた。ダム工事の現場事務所だろうか?
建物横には付替県道の進捗状況などの写真が掲示してあった。




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200mくらい進み、振り返るとこの光景が見られる。
こんなところに新しいトンネルがあるぞ、と一瞬思ったが、ここはダムの底になる予定の場所であり、道路トンネルではない。仮排水路トンネル上流側で間違いなかろう。




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昭和50年頃の地図を見ると、このあたりはかつて粟沢という集落があったようだ。
今はもう道路のほかには何も無い。




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右に旧道の分岐点がある。
3年前にはここを折り返し点としていた事を思い出した。




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その先に進む。
ここから先は初訪問の場所という事になる。

かつては集落であり、畑などが広がっていたであろう場所だが、既に干上がったダム底のような雰囲気になっていた。




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そんな、道路以外は何も無いようなこのあたりだが、旧道は何箇所かあったりする。




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ここはほんの30mくらいの旧道であった。橋の名は不明だ。




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この先対面通行という看板が建っていた。
狭くなるという事か?




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予想通りだった。離合困難の箇所がわずかな区間だが存在していた。
でもこれ、対面通行とは言わないよな・・・交互通行の方がまだ正しい表現だと思うが・・・




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そんな「対面通行」区間を抜けると、右側にはまた旧道があった。




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旧道には橋が架かっていた。
合志潟橋という名だった。
このあたり、干潟のような湿地だったのかもしれない。

(その3へつづく)

  

栃木県鹿沼市 南摩ダム予定地再訪記(その3)

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【14年10月25日探索・11月21日公開】

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現在地はたぶんここ

工事用車両のスムーズな通行のためと思われる新道と、それに伴う旧道が何箇所もある。




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いったん左に逸れた旧道が再び合流してきて、今度は右に逸れていく。
ちょっと行ってみようか。




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まあ予想通りな感じで廃れていた。




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そしてその先は、これまた予想はしていたものの、見事な廃道になっていた。
もちろんここも舗装路であった場所だ。

同じ様な藪の画像を何枚も並べても仕方ないので割愛するが、この先、こんな感じの藪こぎ道が約100m続いていた。




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現道合流の5m手前だ。
ダンプカーが勢いよく走っていた。




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200mくらい進むと、また旧道があった。
ガードレールのあたりに注目!




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昭和33年5月竣功、ささのくぼ橋(漢字不明)だった。




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現道との位置関係は微妙で、これなら何も元の道を拡幅すればいいような気もする。
橋の強度の問題か??




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今度は旧道から現道をすすき越しに見てみる。

やっぱり微妙な位置関係だ。やがてはすべてが水の底になってしまうのかもしれないが・・・




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ヘキサがあった。

ここまでずっと平地であったと思っていたが、微妙に登っていたようだ。
ダム予定地からだと、30mほど標高が高くなっていた。

(その4へつづく)

  

栃木県鹿沼市 南摩ダム予定地再訪記(その4)

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【14年10月25日探索・11月22日公開】

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現在地はたぶんここ

またまた旧道の出現だった。

わかりやすい旧道の分岐だ。
一応簡易的なロープが張られていたが、進入禁止等の文言は無いようだった。




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すぐ隣に現道があるなんてちょっと信じられないような雰囲気がある。
現道自体、生活感を感じないからかもしれないが。




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橋が架かっておりその先で現道と合流する。橋梁名は不明だった。
ここもまた、旧橋の重量制限がネックになり新道ができた可能性が高い。




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現在地はここ

本当に旧道が多い。
今度のは完全廃道か?




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イイ感じに廃れてきつつある。
この区間は倒木により立入禁止となっていた。
倒木って先のほうに見えたあれの事かな?




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その先にも倒木が2箇所ほどあるが、どうも撤去する意思はないようだ。

無理しての突破はやめて、反対側に行ってみよう。




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反対側だ。
ええと・・・ガードレールの無いところから入ろう。




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これは、旧道に入ったところから進行方向向きに撮影したものになる。




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そして同じ場所で回れ右、した時の光景はこれだった。




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50mくらい進むと、先ほどの倒木が見える位置になったのでよしとしよう。





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現在地はこの辺

右の方から付替県道が近づいてきた。




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ほぼ同じ場所で90度ほど後ろを見ると1号トンネルと思しきトンネルが見えた。

トンネル近くまで行けないのかな・・・

(その5・最終回に続く)

栃木県鹿沼市 南摩ダム予定地再訪記(その5・最終回)

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【14年10月25日探索・11月23日公開】

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現在地はこの辺

地図も航空写真も現在進行形の工事の進捗は反映されていない。
なので場所は大まかになる。

トンネルが遠くに見えるこの場所から作業道として使われているであろう林道が分岐していた。
ちょと行ってみよう。




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現・県道は左手になる。
私は左側から上がって、手前方向に進む。

このバリケードの先は付替県道になる予定の道だ。




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未舗装の林道を進むと、トンネル坑口が見えてきた。
ちなみに、林道はここを左折となるようだ。




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1号トンネル、貫通はしているようだが、まだ扁額も銘版もないようだ。




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現在地はここ
<4時の方角を見て撮影>

県道に戻り、上久我方面へと進む。
ここが付替県道の分岐地点となる。

つまり、ここはもう、ダム工事が進んだとしても水没しない場所という事になる。




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その先にもひと目で旧道とわかる場所があった。




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が、実際足を踏み入れると、とても進行は不可能なほどだった。




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なので、その先にあった同じ様なシチュエーションの旧道は無視。




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明らかに現在の路面から離れた場所に立つカーブミラーも無視。




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笹之越路と呼ばれる緩やかな坂の峠道を進む。




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峠を越えると集落があった。
坂本地区である。

この先50mくらいの場所がレポ終点になる。




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私は2車線道路である県道177号線を左からやってきた。
そして、ここには目立たないが通行止標識が建っている。なぜか?

ここは県道の分岐地点なのである。
地理院地図はちゃんと県道色で描いてある。
右の通行止道路は県道280号入粟野引田線だ。

私はその道を進むつもりだったが、入り口の民家の犬がものすごい勢いで吠えてきたので、不通県道探索はあえなく中止となってしまった。

(おわり)

  

埼玉県富士見市 飾らない昭和レトロなビル

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【14年11月9日探索・11月24日公開】

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埼玉県富士見市 東武東上線鶴瀬駅前だ。
今日は、あえて場所を示す地図は掲載しない。住民の方等へのせめてもの配慮とご理解頂ければと思う。




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まあ、そうは言っても目的のビルはほぼ駅前といっていい場所に建っている。




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富士ビル、1階は店舗が何軒か入居しており、2、3階は住居になっている。




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が、この日は日曜日だったので定休日だった店舗もあるだろうが、1階の店舗のうち営業中はそう多くないようだ。




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南西側から見る。

ここにこのビルが建っている事はもう25年くらい前から知っていた。
なぜ今更取り上げるのか?

それは、富士見市の都市計画の関係で、遠くないうちに取り壊される恐れがあるとの情報があったからだった。


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上層への階段があった。
すぐ隣に酒の自販機があるのがなかなか素敵かも。
また、正面に引き戸があるが、住民は雨でも濡れることなく買い物が出来る構造になっていた。

関係者以外立入禁止などの文言が貼られていないのを確認し入る。




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飾らないレトロ感がたまらない。
ちなみに、このビルは昭和39年築だそうで、今年で50年になる。




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うっ・・・
何かこう、ドキドキしてきた。




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これはイイ。中庭のような構造を持つ造りも、50年前には相当珍しかったのでは??
自宅から遠くない場所だったので何度も来ていたが、初めて2階に上がった。
気分が高揚していく。こんな素敵なビルだったのか・・・

これはもっともっと残してほしい建物だ。




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すぐ隣に建っている建物も商業施設だが、こちらも富士ビルに負けていないくらいレトロ感あふれる建物だ。
いっそこのあたり一帯「昭和レトロ通り」にでもしたらイイかも・・・

  

埼玉県寄居町 国道140号線旧道

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【14年10月4日探索・11月25日公開】

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現在地はここ
<4時方向を向いて撮影、進行方向も4時>

埼玉県大里郡寄居町末野 国道140号線だ。
この場所から寄居市街地方向への約300m区間にはすぐ隣に使われなくなった旧道がある。
左に行く道がそうだ。

私はここを何度も通っていて、過去にも撮影した記憶があったので、記事も書いていたのだとばかり思っていたのだが、未発表だったようだ。なので、今回記事にしようと思う。





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さほど路面はくたびれていない。
路面の保守がされているとは考えにくいが、日当たりもよく乾燥しているためだろうか。




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橋が架かっていた。
逆川に架かる金場橋、この橋の竣功年月の情報はなかったが、隣に架かる現道の新金場橋には工事銘版があって、それによると2005年3月に竣功となっていた。
国土変遷アーカイブの航空写真では1995年から2006年までの間に現道が出来たという、やや広い年代までしか絞り込めなかったが、よりピンポイントに絞込みができた。




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画像を見てもあまり廃道らしくないのだが、奥秩父温泉郷の看板がくたびれていて寂しい。
しかし、その看板は道路交通だけのために建てられたものではないはずで、すぐ隣に走っている秩父鉄道の乗客たちの目にも留まるはずなのだ。
私は味があってイイと思うんだが、多くの人の感覚はどうなのだろうか?




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左右に横切る道路がある。
左側は当然踏切で、名は寄居No24踏切だ。秩父鉄道には多数の第4種踏切(警報機、遮断機なし)が存在するが、ここはちゃんと警報機も遮断機もある第1種踏切だ。




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その先のガードレールバリケードの先にも廃道区間が続いている。
それにしてもわざわざ新道を造る必要があったのだろうか?
確かに多少のカーブはあるのだが、急カーブでもなく、旧道の幅員は若干狭いが、拡幅ではだめだったのだろうか??




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鉄道の高速分岐ポイントのような角度での現道合流である。
旧道もさほど線形は悪くないと思う。




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合流した現道側から見る。
それにしてもこの旧道スペースは、何か有効活用する予定は無いのだろうか?

  

千葉県佐倉市 ここにもあったトマソン階段

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【14年10月19日探索・11月26日公開】

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現在地はここ

千葉県佐倉市江原台 幻の駅からすぐ近くの場所で奇妙なものを見つけた。




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これは何だろう?無論、階段である事は瞬時にわかるわけだが、その用途である。
この階段を利用して何が出来る、もしくはどこかに行けるのだろうか??

これはトマソン階段の仲間なのでは??

上に行ってみよう。




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ヘリオス号を担ぎ階段を上り、上側の道にやってきた。




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この白い門の先にあるようだ。
ちなみに、門には鍵がかかっていた。




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階段を降りた先には1mにも満たない段の平場があるのみで、やっぱりその用途は不明だった。

この場所、江原台3号緑地と名づけられていて佐倉市管理の都市緑地であるようだ。
過去に何か家屋とかの構造物があったのかと思い、国土変遷アーカイブの航空写真見てみた。
1979年に階段らしきものが確認できたが、その後も他の構造物は確認できなかった。

現地では気づかなかったが、地図を見ると60mくらい北側にも同様の階段があるようだ。
周回コースの「緑地の散歩道」でも造る予定でもあったのだろうか?だとしたら未成という事になる。

いずれにせよ謎の階段だった。

  

茨城県つくば市 トンネル道の吾妻バス停(前編)

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【14年9月28日探索・11月27日公開】

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茨城県つくば市吾妻 これから向かうのはバス停である。
なあ~んだ、バス停か! と思われる方も居られよう。しかしながら、このバス停はその立地と構造が特異なのだ。

2年前の探索記事の、701系珈琲さんから頂いた情報の探索がようやく実現する。 


現在地はここ

これから5時の方向へと進んでいく。
地図には2本の道が描かれているが、左側の怪しそうな方だ。




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地図に描かれているイメージからすると、車止めがある以外は特筆する道でもない。
が、右に掲げられている看板によれば、これがバス停連絡通路だという。本当かな?




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左の道も歩道だし、私がいる道も歩道である。
バス通りはいずこ・・・




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マンションの脇に地下道入口のような階段があった。




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現在地はここ

わざとらしい前振りが続いたが、これこそバス停への入口に他ならない。
さっそく行ってみよう・・・その前に、この看板に注目!




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何という流用なんだ??
設置者までもが完全使いまわし状態である。

この施設(バス停)へのやる気度合いが伝わってくるようだ。




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バス停への階段を下りていく。
ちゃんと照明も設置されており、夜間には点灯するのだろう。




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ちょっと下を覗きこむ。
・・・まるでダンジョンだな・・・




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施設自体、まったく怪しいところではない。
トンネルの間にバス停が設置されたという、ただそれだけのものであるはずだ。

まあいい、下に下りよう。




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バス停のプラットホームに着いた。
コンクリートタイルの歩行面にはホコリが溜まっており、使用されている感があまりない。

ところで、バスはどれほど来るのかな??




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1日1本!!

実はこの他、水戸~つくば~土浦の高速バスが関鉄観光バスにより運行されていて、そのバスも1日1本だけやってくる。

で、この合計2本の乗合バスなのだが、起点はいずれも土浦駅東口で、あの土浦ニューウエイを経由する。
この道路部分である県道24号花室トンネルも、土浦ニューウエイ同様、新交通システム計画の名残であるとも言われる。この吾妻バス停も新交通システムの駅として設計されたらしいのだ。

(後編につづく)

  

茨城県つくば市 トンネル道の吾妻バス停(後編)

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【14年9月28日探索・11月28日公開】

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新交通システムの計画の名残とされる吾妻バス停だが、その「プラットホーム」の先まで行ってみる。
全体的に利用されている感がないが、その端の方は廃のオーラすら感じるほどだった。




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この「つくば花室トンネル」は1998年開通であり、土浦ニューウエイの使用開始(1985年)から13年経っている事になるが、未成計画はそのまま引き継がれている事になる。

新交通システムの車両なら4両編成くらい停まれるのでは??

では戻って反対側へ行こうか。




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そう言えば、なんだが、ここは2本のトンネルの中間という訳ではない。
全長1020mのつくば花室トンネルという1本のトンネル内の明り取り兼非常口という事であろう。

トンネル内部にあるバス停って、けっこうレアなのでは??




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反対側へやって来た。
こちら側も構造自体は変わらない。

左側に何か看板があるが・・・




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それはつくば花室トンネルの構造(バス停含む)の解説だった。




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こちら側に建っているバス停は高速分である。
上下線で路線バスのバス停1本、高速バスのバス停1本が建っている訳だが、バス停の共有化が進んでいるという事か?

ちなみに、こちら側も停車するバスも路線バス1本、高速バス1本の計2本である。




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少し進んで今度は上を見上げた。
大きな屋根のように見えるが、単なる梁かな。

ところで、1日1本の路線バスってどれほど利用者がいるのだろう?
よほど毎日同じ時間に仕事が終わる人でないと、利用できない。

(おわり)

静岡県富士宮市 稲子駅と駅前木橋

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【14年11月23日探索・11月29日公開】

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この日の探索のために降り立った駅、静岡県富士宮市にあるJR身延線稲子駅だ。
ホームは1面1線、昭和4年開業である。乗車人数はわずか12人/日(2012年)であるが、私を含め3名もの乗客がこの駅に降り立ったのだった。




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同じ場所から駅舎、というか待合室を撮影した。
もちろん無人駅である。




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駅前風景だ。
1日12人の乗客なんて言うと、山の中にひっそりと駅があるような情景を思い浮かべそうだが、意外な事に「駅前商店」があった。
パンでも購入しようかと思っていたのだが、どうもそういったモノはなかった。
年配らしいご婦人の話し声が店内から聞こえてきたが、店舗自体は営業されているかどう不明だ。
日曜日だったので定休日なのかもしれないが。




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振り返って撮影する。
この駅、完全バリアフリーだ!




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駅前の、稲子踏切を渡って国道469号線に出ようかと思ったのだが、踏切を渡らずに直進方向30mほどの場所に何かソソられる雰囲気を感じた。




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現在地はここ

そこには車両進入禁止という看板(標識?)と、見るからに華奢な橋が架かっていた。
・・・つうか、この橋、木製だよな。




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画像ではわかりにくいのだが、欄干以外、桁も含め木製であった。




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橋の反対側から駅を見る。

・・・以上、ちょっと小ネタでした。


  

東京都奥多摩町 天空集落「奥」訪問記(その1)

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【14年9月20日探索・11月30日公開】

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現在地はここ

東京都西多摩郡奥多摩町留浦 行き尽くし感も出てきた奥多摩町だが、まだ気になる場所はあるものだ。
奥多摩湖畔から約7km奥に進んだところに集落があるという。
奥集落、標高900mにもなる、まさに天空の集落である。

国道411号線を西に進み、この先に見える峰谷橋を渡らずに右折する。




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奥多摩町道であろうバス通りだ。
そう言えばこの道は初めて通る。




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少ない平地には家屋が肩を寄せ合うように軒を並べていた。




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道が広くなり、横断歩道があり、右側には門がある。
2004年3月に閉校となった小河内小中学校があった場所だ。
現在は運動広場として利用可能のようだ。ちなみにバス停名は今でも「学校前」である。




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左に見えるのはちょうど奥多摩湖の北端あたりだ。
奥多摩湖畔は標高500mほどで、これから400mくらい登っていく事になるのだが、この場所では少し下る。




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現在地はここ

雲風呂地区だ。
ここに分岐がある。左の道の先に橋が架かっているようだ。ちょっと、行ってみよう。




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吊り橋だった。雲風呂橋、平成元年(1989)3月竣功だ。
けっこう頑丈そうな橋で趣味者的には特にどうこうという事は無いようだ。




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むしろ、こちらの方が気になった。
どう見ても旧道だよな、これ。




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ガードレールの無い平場が続いていた。
車道となる以前の旧道であるのか??




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前方に橋が架かっているのが見えた。
小さな橋のようだ。




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この規模の橋が以前から架かっていたのであれば、やはり車道の旧道ではなかったのかもしれないが微妙だ。
私が持っている昭和27年応急修正版5万分の1地形図「五日市」を見ると、このあたりは既に車道と思える「町村道・遠路」表記だった。

橋の先には土嚢のようなフレコンバッグが積まれている。この先には行かず現道に戻ろう。

その前に、右の水路隧道、ちょっと気になるな。




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コンクリート造りだし、戦前のものではないと思う。
しかし、カルバート風のコンクリ巻立てと、このかわいい規模をお見せしたかったのだ。

(その2へつづく)

  
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