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茨城県土浦市 県道199号虫掛狭区(前編)

【14年9月28日探索・10月23日公開】


現在地はここ

茨城県土浦市虫掛 県道199号小野土浦線だ。
この県道は起点部分も狭くておもしろかったのだが、他にも狭隘区間があった。

常磐道をくぐったらすぐ(地図上)4時方向に進んでいたのを右折し7時の方向へと進む。





すると、ありましたよ。ヘキサが・・・
この区間は完全に険道である。





狭隘区間は基本、離合困難かと思われる。
なので、離合のためのスペースが何箇所かに設置されていた。





近年に迂回できる道路が出来たようで、県道の狭隘区間は通行する車両が少ない。





そこは自転車であっても助かる。
こんな路面だと自転車対自動車の離合でも停止するようになろう。





現在地はここ

離合スペースが交差点となっていた。
新道工事のためにこうなったのか?





右折すると2車線道路だった。

が、すぐに車線減少するようだ。





振り返る。
ちなみに私はこの左の路地のような場所から出てきた。

直線方向はまっすくに2車線道路が延びていた。





進行方向へと向き直る。看板に案内されていたように、またしても狭隘区間だ。





そんな道になるとここが県道だと俄かに信じられなくなる。
なので、キョロキョロしていた。
県道の証、ひとまずゲットした。





その先、レンコン畑の脇を進む。
こんな場所で離合とかなった場合、致命的な事にはならないと思うが、左は路肩も弱そうだし、脱輪したりすると脱出困難になってしまいそうだ。

(後編につづく)

  

茨城県土浦市 県道199号虫掛狭区(後編)

【14年9月28日探索・10月24日公開】


現在地はこの辺

特に標識などもないが、このような簡易待避所が何箇所もある。
それなりに交通量があるという事だろう。





道幅は1.5車線のまま県道は続く。

わざわざ交差点を示す標識があるが・・・





現在地はここ

ここは・・・





左を見た。つくばりんりんロードだ。
昭和62年3月31日、国鉄終了と同じ日に最後の列車が走った、筑波鉄道筑波線の跡地である。
かつての虫掛駅はほんの100mくらい先にあったはずだ。





右側は筑波山方向になる。
言い遅れたが、この場所は当然かつては踏切であった場所になる。

3枚上の画像の標識も、かつては「踏切注意」だったものと思われた。





そんな元踏切の先にはヘキサが建っていた。





現在地はここ

この交差点を県道は左折する。
そしてここから先の県道は、普通に2車線幅がある。
なので、レポはこの交差点で終了とする。





ちなみに左折するとこんな感じになる。
歩道つきの2車線幅はあるが、なぜかセンターラインは消されているようだった。





そして・・・

2つ上の画像で、交差点右折側のバリケードが気になった方もおられよう。
バリケードの先は明らかに、開通すれば県道199号となるべく進められている?道路なのだろうが、現状では5、60mくらいでぷっつりと終わっている未成道だった。

(おわり)

  

埼玉県皆野町 木製桁の土橋と落ちていた橋

【14年10月4日探索・10月25日公開】


現在地はここ
<進行方向は大まかには9時>

埼玉県秩父郡皆野町金沢 金山沢に2本の小さな橋記号がある。
果たして私の期待に沿う事が出来る橋なのか?
まずはこのすぐ右側に架かる橋があるので見てみよう。





おっ!

これは木製桁の土橋のようだ。





よく見るとトタン板も使われているのだが、路面補強のためか?
あるいは木材の腐食遅延のため??





そしてこの橋で一番意外だったのは、けっこう立派な鋼製橋脚が存在していた事だった。





続いて100m近く上流にある記号の元に行く。

町道は金山沢を西金山橋にてクリアする。
そのすぐ先、黄色矢印のあたりに橋記号があるのだが・・・





ん!

あれれ!!





木製桁、路面コンクリ舗装の橋は金山沢に落ちていたのだった。

橋が落ちている姿って、見ようと思ってもそうそうお目にかかれるものでもない。

実際、この橋はなぜここに架ける必要があったのだろうと思うが、町道が出来る以前から架かっていたと考えるのが自然だろうか。


  

神奈川県南足柄市 未成市道千津島苅野線(前編)

【14年10月11日探索・10月26日公開】


現在地はここ

神奈川県南足柄市千津島 県道74号小田原山北線だ。
この先に見えるアサヒビールの看板の先、福沢小学校北という交差点を左折する。





この道路は南足柄市道(都市計画道路)千津島苅野線という。
1.5kmくらい先の区間が、未成道であるようにほとんどの地図に描かれている。
その状況を確かめるべく訪問した。

ちなみにこの橋は地蔵下橋といい、平成7年(1995)3月に竣功となっていた。
その先の街灯の設置年が平成8年3月であるところから、最初の区間は平成8年くらいに供用開始となっているようだ。





その先に架かっている洞川を一跨ぎにする長めの橋、水神洞橋だ。
橋げたには工事銘版があるのだろうが、とてもそんな場所まで行き着けなかった。





何かドライブゲームにでも出てくるような景色が広がる。

この市道、アサヒビールの専用道路に限りなく近いのが現状の状態である。





右に分岐があった。





右側は市道よりもまたはるかに立派なアサヒビール神奈川工場のアプローチである。





現在地はここ

さらに150mくらい進むとまた右折できるようになっているが、これはビール工場の資材等の搬入路であろう。

30mくらい先に設置されている、最後の街灯の設置年月は平成14年(2002)6月だった。

ビール工場の稼動は平成14年5月開始であるようなので、一応リンクしているという事か?





その地点を過ぎると途端に状況が・・・
制限40kmもここで無くなるんだ・・・





もうこのあたりで未成道の匂いがプンプンしてきた。





3方向の分岐があった。
都市計画道路は真ん中なのだが、両端の道路が登っている中で真ん中の道だけが下っていく。

半バリケードが見えるが、特に制限はされていないようだ。





真ん中の道は・・・

下りきった先で先が無いように見える。

(後編につづく)

  

神奈川県南足柄市 未成市道千津島苅野線(後編)

【14年10月11日探索・10月27日公開】


現在地はここ

市道千津島苅野線は地図に描かれていたように、この先数十メートルで終了しているようだった。





通行を妨げるバリケードの他、予備の設置型ガードレールバリケードが何本も置かれていた。
2車線道路の終了箇所から、一応の抜け道が接続していた。





歩道だけその先まで延びているようだ。歩道まで車が入ってきたような痕跡があるが、車止めの先は階段であので、通行はたとえジムニーだって無理なはずだ。
この先がどうなっているのかを見てみよう。





この先は谷になっておりそれを跨ぐための橋のうち、橋台と橋脚だけが完成していた。
この橋脚は(平成14年)2002年よりも後になって建設したらしい情報があったが、その特定には至らなかった。





改めて、車道の終端から。





2枚目画像の、一応の迂回路へと進む。

ちなみにこの迂回路には「貝沢通り」と愛称が付けられていたが、車の走行には相当自信のある人しか通らない方が良いと思った。





その貝沢通りから見えたみかん畑と橋脚である。





現在地はここ

架かる予定の橋の長さは110mくらいであろう。
なので、反対側には比較的すぐ着いた。





こちら側には多少のフラットな面はあるものの、路面らしき部分はまだなかった。
なので、雑草の中を進んでいくとこの場所に出る。





もう少し覗き込んでみた。
なお、徒歩ならばムリヤリ谷を通ってこの場所に到達する事は可能ではある。





工事がストップしたその先の光景である。
もしも工事再開となっても、この先にも谷があるため、少なくとももう1箇所は100mを超える橋の建設が必要となる。
なので、開通するとしてもまだけっこう時間はかかりそうだ。

  

群馬県甘楽町~富岡市 狭隘県道192号(その1)

【14年7月21日探索・10月28日公開】


現在地はここ

群馬県甘楽郡甘楽町秋畑 県道46号富岡神流線から左に分岐する県道がある。
県道192号秋畑富岡線だ。
途中、藤田峠を越えるのだが、その区間が異様に狭い。いわゆる険道である。

そんな県道を走破してみようと思う。





いきなり1.5車線幅になる。
そして、ヘキサの出迎えだ。





大型車通行不能という、趣味者にとっては何ともソソられる看板があった。





ずっと登りである。勾配は7、8%だろうか。

あえぎながら登っていると、右側に気になるもの発見・・・





それは、この急斜面に築いた耕作地の路肩施工の石垣だった。
水はけのためにこんなに小さな石垣になったのだろうか?

繊細なオブジェのようにも見えた。





その先、道路防災工事という事で片側通行になっていた。





あれ!?
ぐんまちゃん、働いてない・・・





あ、そうでもなかった。ちゃんと働いていた。

ところで、新しい道路って・・・





まさか、藤田峠の下を貫通する長大トンネルのバイパスとか??





気になるがとりあえず進む。
ここで、左の橋もまた気になった。





橋の満身創痍ぶりも気になったが、その向こう側のいやに風通しのよさそうな建物も気になった。
が、個人所有物であろうから、スルーしよう。





現在地はここ
<進行方向から振り返って5時の方向を撮影>

工事中の道路が合流してきた。
気になった「新しい道路」は狭隘な区間をバイパスする、わずか200mほどのものであった。

これで藤田峠の険道区間はまだ当分残る事がほぼ確定・・・だと思う。

(その2へつづく)
 
 

群馬県甘楽町~富岡市 狭隘県道192号(その2)

【14年7月21日探索・10月29日公開】


現在地はここ

昭和46年3月竣功の寄合橋である。

青看が掲示されていた。
それによれば県道192号線はこの先で右に曲がるようだ。





なので、ここを曲がる。





曲がるとすぐに路面はコンクリの簡易舗装となった。

今でも1.5車線の道幅は、この先でさらに狭くなるように描かれている。





とりあえず、華奢な橋が架かっている事以外に道幅は目だっての変化は無い。





左の分岐は廃道状態なのだが県道には特筆すべき事はない。





それにしてもこんなスペックの道路だと、本当に合っているのか?と思ってしまう。
県道である証、ないかな。キョロキョロしていると・・・





ありましたよ。
ここは間違いなく県管理の道路だという事である。





道は狭いが交通量が少ないのは助かる。

こんなヘアピンカーブを曲がる。





だんだん道幅が狭くなっているような気がする。
1.3車線くらいなので、離合は無理だろう。





なので、待避所がある。あるにはある。

私が発見した坂道上りでの離合スペースはここ1箇所しかなかったようだ。





峠近くのこの区間が最狭だった。
乗用車ではちゃんと通行できるのか、すら不安になる区間だ。





現在地はここ

峠に着いたようだ。
富岡市のカントリーサインがに出迎えられた。

(その3へつづく)

  

  

群馬県甘楽町~富岡市 狭隘県道192号(その3)

【14年7月21日探索・10月30日公開】


現在地はここ

峠を20mくらい進み振り返った。
当然ではあるが、そこには「甘楽町」のカントリーサインがあった。

ところでmapion地図ではこの区間は県道色に塗られていないが地理院地図では藤田峠越えの区間も県道として描かれている。





先に進もうか。
簡易舗装の路面はステンドグラス的なアートかと思える位ひび割れていた。





右に行く道があった。
キャンプ場があるようだ。

ここで私はキャンプ場からやってきた車の人に道を尋ねられたのだが、答えられなかった。
地元民ではないので勘弁して!





峠を過ぎたのであとは下り坂になるはずだ





こんな簡易舗装区間にもヘキサがあった。




現在地はここ

そしてここからが地図上では最も狭隘な区間になる。



 


これは・・・ほぼ林道だな・・・





思ったよりも急坂なのだ。
ブレーキシューは相当減ってしまいそうだった。





この画像だけを見ると、林道が奈落の底まで続いていそうな、そんな印象の細い道であった。





またヘアピンカーブ・・・





またさっきと同じ様な道が続いている。

まさか、繰り返しが続いていて、元の世界には戻れない・・・そんなこたあないか。





左の路肩側に、小川が流れていた。
つか、ガードレールは設置されておらず、デリニエーターなども無いのだが・・・

(その4・最終回につづく)

  

群馬県甘楽町~富岡市 狭隘県道192号(その4・最終回)

【14年7月21日探索・10月31日公開】


現在地はこの辺

左側には利根川水系・鏑川支流の岩染川が流れている。
落下してもこの程度の落差なら、乗用車であれば致命的な事にはならないだろう。
とは言え、ガードレールも無い区間が続くのは・・・

一応道路の幅が変わる箇所にだけはデリニエーターが設置されていたが・・・





歩道用でよく見かけるガードパイプが設置されている場所もあった。





どう見ても林道のスペックなのだが・・・





れっきとした県道である。





簡易舗装のまま、開けた場所にやって来た。
そう言えば峠の先の狭隘区間内、ここまでに離合箇所ってあったかな??
通行する方は、対向車があった場合、何100mもバックするかもしれない事を覚悟しておかなければいけないかも。





現在地はここ

狭隘区間の終了地点になる。
私のレポもここで終了する。のだが・・・





まずはこちら側の大型車通行不能の看板とヘキサを拝んで・・・





あたりを見回すと、だんごが4個串刺しになっていた。珍しいな、4個は。





1つは補助標識だった。ちょっと残念・・・





「レポ終了」と言った場所から80mくらい進むと岩染川を渡る。

ここに架かっていた昭和43年架橋の橋なのだが・・・





高橋橋という名前だった。
高橋はよく聞くが、「橋」が重なっているネーミングは初めて聞いた。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 入間川に架かる流れ橋?

【14年8月30日探索・11月1日公開】


現在地はここ

埼玉県飯能市唐竹 入間川に架かる小さな橋の記号を見つけた。
どんな橋だろう?この地域だから流れ橋かな? などと思いながらここまでやって来た。





渡り廊下のような木橋の先に、流れ橋らしき橋の一部が見えてきた。
やっぱり流れ橋・・・





ん!





一瞬、橋の手前半分が流されたのかと思った。
しかし、よく見ると設計が違っていたようだ。
向う岸・左岸から渡り始めると半分手前くらいの場所で橋が終了し5段(水量が多かったため、本当は6段とか7段かも)の階段を降りるとそのまま川に入水という事になる。





手前半分なのだが、この日は水量が多かったため確認できなかった。

普段は手前には水がほとんど流れないのか、あるいは橋を全部渡ってほしくない人物がいるのか?





橋の向こう側だが、それなりの通行があるように見えた。



  

山梨県山梨市 1t制限の車道吊り橋

【14年9月14日探索・11月2日公開】


現在地はここ
<6時の方向を見て撮影>

山梨県山梨市三富川浦 県道140号線旧道探索時に、吊り橋が架かっているのを発見した。





近づいてみた。
車道橋ながら、重量制限1tという、けっこうレアな重量制限を持つ吊り橋だった。
運転者の体重まで考えれば、普通自動車はアウトとなる。





橋全体の構造がわかる画像はちょっと撮影できなかったのだが、トラス補鋼の桁部分を持っているようだ。





では渡橋する。床板は木製である。
国道140号線からも直線距離で70mほどしか離れていないのだが、こんな所にこんなイイ橋が架かっていたなんて、気づかなかった。





反対側から見てみる。
重量制限標識が思いっきり年季が入っていて味があるなあ。

その右側の主索のすぐ横に石碑が建っていた。





現地では読めたような気もしたのだが、画像を見る限り、解読が出来なかった。
場所からすれば「円川橋」あたりが有力かとは思うが・・・

  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その1)

【14年11月2日探索・11月3日公開】

★数日前、スマホでニュースを見ていたら私にとって衝撃的なニュースが目に入った。
これがそうなのだが、群馬県長野原町の国道145号線現道の一部区間がダム工事用道路になるため通行止めになるという。しかも、それは11月18日であるという。
JR吾妻線が線路を付替え、新ルートになったのがつい先月の事で、私は時期を見てゆっくりと探索しようかと考えていたのだった。
あと半月しかない。もしかしたら記事を見て訪問する方も居られるかもしれない。それならばという訳で急遽訪問する事となった。

記事的には緊急企画的な様相か。私は、一応道路関係の情報を発信する者のはしくれとして、もう訪問する事は叶わないであろう国道たちにねぎらいの言葉をかけてあげたかった★



そんな訳で降り立ったのが新・川原湯温泉駅である。
前の駅、岩島を出発してからずっと新旧線が分岐していた箇所の撮影をしようと、電車のドア越しにシャッターチャンスを狙っていたのだが、失敗した。

1面2線の島式ホームは特急草津の7両編成まで対応する。
エレベーターも完備されたのだが、Suica非対応なので精算所の混む事・・・





来た方向も撮影しておこう。
新線のトンネル区間は思いのほか長かった。





現在地はここ

駅前に出た。仮設っぽい小さなロータリーが造られていた。
周囲に店舗はない。あった建物は・・・見覚えがあった。
5年前の記事に登場していた豊田乳業だった。
ここが駅前だったんだ!





ロータリーの反対側から、今度は駅舎と駅前通りを撮影した。

この駅前通りはまだ地図に描かれていないようだ。
地図で言うと8時の方向に道が延びており、ヘキサ数字、375の少し左側で県道に突き当たる。

では一旦言った通りの突き当たりまで進んでみよう。





私は「突き当たり」と言ったが、実際には県道に突き当たる交差点正面には、何やら怪しいトンネルがあった。





当然、関係者以外通行禁止である。
ダム本体の掘削土砂運搬用道路であり、その後県道として供用される吾妻町大柏木地区まで向かう道路トンネルになるようだ。





現在地は一応ここ

地図と実際の道路がいまいちかみ合っていないのだが、この先で線路を越える。





跨線橋を渡った先では左折はできないようだ。
とりあえずは通行止めになる町道に出たいのだが・・・





駅の裏手を通って・・・





下る道があった。
標高586mとわざわざ表記してあるが、これはダム天端と同じ高さになる。

ところで、この道が通行止めになる町道なのかな??

(その2へつづく)

  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その2)

【14年11月2日探索・11月4日公開】


現地ではわからなかったのだが、今いる道は今回通行止になる町道ではなかった。
思いっきりスリップしそうな道を慎重に下っていくと・・・





現在地はここ

どのweb地図もここの現状と食い違っている・・・と思ったら、地理院地図がかなり近い状態を示している事を発見した。

地図で言うと、4時の方角からこの交差点を左折し9時の方角へと進む。
このあたりはいずれ湖底に沈む予定の場所だが、まだ家屋が建っていた。





左折してすぐの場所には何かの建物と、双体道祖神が建っていた。
これまた現地ではわからなかったのだが、この道祖神、宝永6年(1756)のものであるらしい。

そして傍らには木製ながら道しるべも建っていて「右 草津信州道  左 大戸」との記載があった。
大戸?? 調べたら隣の東吾妻町に大戸という地名はある。現在地から東南東に約7km、なのだが、川原湯峠を越えないと到達できない場所だった。それでも結びつきが深かったのだろうか?





多少は建物が残っているが、基本的にはこんな基礎しか残っていない家屋跡が多数である。





県道375号線不動大橋(湖面2号橋)と、沈み行く予定地の晩秋の一コマだ。





不動の滝駐車場があった。
そして左から少し広い道が合流してくる。





現在地はここ

道が合流した地点より少し進んでから振り返った。
私が今通ってきた道は「町道横壁川原湯線」というらしい。
右は県道375号線より降りてきた町道(路線名不明)なのだが、18日正午より通行止めになってしまうのはこの道路であるといい、この場所にバリケードが設置されるらしい。





不動の滝が見られないかと橋から覗いてみたが、滝は徒歩10分くらいの場所になるようで、まったく意味の無い画像になってしまった。





もうすぐ通行できなくなるからなのか、単に景色を見る人たちなのか、車が何台か下の橋に停まっていた。





不動大橋下のこの橋、銘版等は撤去(盗難?)されており、現地では名称が不明だったが「上湯原橋」である事が判明した。





その上湯原橋から吾妻川下流方向を望む。
左の上のほうの道は付替国道145号である。

ジオラマみたいでもっと眺めていたい風景だ。





上流方向はこんな感じだった。
この光景が見られなくなってしまうのは勿体ないなあ~

この先で国道145号線と交差する。つまり、ようやくタイトル通りの内容になる。

(その3へつづく)


  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その3)

【14年11月2日探索・11月5日公開】


現在地はここ

町道から「第一小学校入口」交差点を右折して、いよいよ国道145号線に入る。

この交差点から下流側、つまり私がこれから向かう道は18日正午を持って通行止めとなり、国道でなくなる。が、交差点にはそれらしき注意の看板等は見当たらなかった。

ちなみに交差点の名前の第一小学校だが、ここからだと1km近くある。





久森沢を跨ぐ位置に吾妻線の旧橋梁と、国道の新道の橋が見えた。





ここで一旦来た方向を振り返った。
不動大橋(湖面2号橋)と、その下の上湯原橋が見えた。





旧道っぽい道があった。
まったくのノーマークだった。また、古い地図等を見てもいまいち判然としない。

ここは当然左の道を行く。





この道は工事用の重機の車庫に利用されていた。





100m足らずの旧道(たぶん)はすぐに現道と合流する。





その先、橋が架かっていた。





親柱には橋が架けられた時点の情報があった。
「二級国道長野原沼田線」という表記があった橋の名は「くもりはし」漢字では久森橋なのだろう。
竣功年代が特定できないが、「二級国道」と言っているからには昭和30年代の架橋であろうか。





その久森橋脇には、仮設の吾妻線旧線路へのアクセス道が造られていた。
もう撤去が進んでいるとか?





現在地はここ

久森隧道である。
5年前に来たときに延長を実測したのを覚えている。
この隧道ともサヨナラだ。昭和39年12月竣功なので、49年11ヶ月もの間、お疲れ様・・・





隧道の先では利用者のいない歩道が、一足先に廃道まっしぐらになっていた。

(その4へつづく)

  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その4)

【14年11月2日探索・11月6日公開】


現在地はここ

もうすぐ国道から工事用道路に格下げになってしまう道路なので、メンテは本当に最小限しかされていないようだ。路肩近くなど自転車ではかなり走りづらい。

左に踏切跡があった。見にいこう。





吾妻線59番西宮踏切である。
踏切脇の家屋だが、なんとなく生活臭を感じた。
国道が廃道化される区域にまだ数軒の家屋が残っているという話は聞いていたが、こちらもそんな1軒なのかも。





踏切の線路側には簡易的なバリケードが設置されていた。





この先で国道は吾妻川を渡るのだが、いっとき上下線が別線になる。





現在地はここ

上流側に架かる長野原方向へ行く車線の橋(橋の名を調べるのを忘れてしまった)から下流方向を撮影した。





手前が国道の中之条方向への車線の橋、千歳新橋だ。
昭和8年架橋のスパンドレル・ブレーストアーチの上路橋である。
真ん中のトラス橋は昭和19年架橋の第3吾妻川橋梁・・・だった橋になる。
巨大なのは湖面1号橋と呼ばれていた県道橋「八ツ場大橋」である。この10月に供用開始となったようだ。





矢印の場所はここ

千歳新橋の手前に狭いカルバートがあるので立ち寄る。





制限幅2.0mだったはずだが、その標識は一層くたびれた。





反対側だ。
投げやり感が漂っている気がした。





千歳新橋を渡る。
紅葉シーズンだった事もあり、このあたりにはけっこう歩行者が来ていた。





側道橋から車道橋を写す。
アーチ好きの他、トラス好きにもたまらない橋なのであった。





この光景もまもなく見納めとなる。

特に千歳新橋などは80年以上もここで働き続けた。それなのにいきなり工事用道路に格下げとなり、役割が終わると水没してしまうという、何ともやりきれない構造物たちがこの界隈には多数あった。
私がここで言った、一足早い「お疲れ様」は果たして橋たちに届いたのだろうか?

(その5へつづく)

  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その5)

【14年11月2日探索・11月7日公開】


現在地はここ

国道145号線が八ツ場大橋をくぐる地点だ。
画像ではわかりにくいが、ちょっと先の脇道に踏切跡がある。





58番・営林署(所?)踏切だ。
実質的には川原湯温泉駅の構内踏切と言ってもいいくらい、駅に近い。

川原湯温泉の旧駅が普通に見えるのだが・・・大勢人がいるようだ。
開放でもしているのだろうか?





旧川原湯温泉駅前・進行方向からは振り返ってみた。
旧温泉街には建物がほとんどなくなっているようだった。





そして、旧駅前である。
いやに車が多いな。





ちょっと期待してみたが、駅の開放などはされていなかった。
ついでに言うとトイレも完全封鎖されていた。





第二吾妻川橋梁の方向にも人が見えるが。





廃駅を見る、おそらくはマニアではない人たちが大勢いた。
皆、柵を乗り越えたのだろうか?ちなみに私は駅から50mくらい離れた駐車場のような場所から線路内に入った。
もうここを見られるのも最後だから、地元で廃線見学ツアーでもあったのかもしれない。





第二吾妻川橋梁だ。
さすがにロープの先の鉄橋を渡るツワモノはいないようだ。





現在地はここ

鉄橋のすぐ先、国道からすぐ左側、吾妻線旧線をくぐったすぐ先に封鎖されたトンネルがあった。
八ツ場沢トンネル、平成10年(1998)1月竣功の、比較的新しいトンネルだ。
八ツ場地区に通じるトンネルであるようだが、ここは明らかに水没予定地だ。従って生まれながらにして短命になる事が半ば決まっていたトンネルという事になる。
よく見ると儚く、不憫なトンネルである。

(その6・最終回に続く)

  

群馬県長野原町~東吾妻町 国道145号・最後の訪問(その6・最終回)

【14年11月2日探索・11月8日公開】


現在地はこの辺

八ツ場ダムの案内看板が見えてきた。
この付近がダム本体になる予定らしい。





道路わきの張り出したスペースから下方を撮影する。
着々と準備は進められているようだ。





同じ場所から違う方向を向いてもう1枚。
私がいる場所のすぐ近くにはダム本体工事用の道路があった。





現在地はここ

町境になるこの先あたりからが今回の通行止の対象外の道になる。





なので、この松谷トンネルや。





日本一短い鉄道トンネルだった吾妻線の樽沢トンネル(跡)などは今後も訪問可能ではある。
もう列車は来ないので、線路跡を整備してハイキングコース化したらいいと思うのだが・・・





そう言えば、だが、国道走行中には「もうすぐ通行止めになる」予告看板は発見できなかった。

吾妻線の新線部分の第二吾妻川橋梁が見えてきたら探索終了ポイントが近い。





現在地はここ

国道145号バイパス区間に入ってすぐの場所になる。
そう、最後のポイントは、ついこの間までここにあった踏切である。





他の場所と違い既に警報機、遮断機とも撤去済みであった。
ここでの一時停止は誰もしなくなった。





特に、右側を見ると線路ははがされ、築堤まで崩されているようだが・・・





工事看板があった。
廃線撤去工事中という看板が珍しかった。

看板、道路工事中と並んでいるが・・・





こういう事だった。
国道145号バイパスへの進入路は付替えられるようだ。

つまり、私がいるこの場所は将来廃道になる(はず)。


 

東京都国分寺市 10年以上放置状態の未成道(前編)

【14年9月20日探索・11月9日公開】


現在地はここ

東京都国分寺市西恋ヶ窪 都道17号所沢府中線、というより不忠街道と言った方が通りが良い道だ。
そんな府中街道の西恋ヶ窪1丁目交差点を右折する。





2車線道路と思えるスペックの道路には歩道もある。
が、そのうち1車線分のスペースにはガードレールバリケードが置かれており、未成道であろう事が容易に想像がつく。

10年くらい前と基本、変わってないな・・・
私がこのあたりをよく通っていた2004年頃から、基本的にはほとんど変わっていない。

それどころか2001年の航空写真では1979年頃からその用地が確保されているのが確認でき、2001年には現在の状態とそう変わらないところまで工事は進んでいたのだった。





その未成道エリアになるのがこの場所だ。





未成区間、というよりも正確には歩道のみが供用されていて、車道部が未成という事になる。





未成道の傍らには国分寺市設置の立入禁止看板が建っていた。





幅員はどうにか車道と言っても通用するが、信号機手前には車止めがある。





現在地はここ

信号機の先では車道1.8車線くらいになり、歩道も明らかに仮設っぽくなる。





ちなみに車道からこの区間を見るとこんな感じになる。
やっぱり完成形ではない事はすぐにわかる。





車止めを過ぎる。
ちょうどこの場所までは歩道らしき道があったが、この先には・・・





歩道無しで1.8車線区間になる。





けっこう通行量が多い。
西武国分寺線の踏切をわたってからの光景がこれになる。

(後編につづく)

東京都国分寺市 10年以上放置状態の未成道(後編)

【14年9月20日探索・11月10日公開】


離合がそうスムーズには行われない幅員の現道だが、それなりに交通量は多い。
路面に「注意」とだけ書かれているが、何に注意する必要があるのだろう・・・少し考えると前方にマンションの駐車場出入口があった。これに注意しろ、かな?
そんな考えさせる表記でいいのかな・・・





現在地はここ

この先で道は広くなり、未成区間は一応終了する。
私のこのあとの進路を矢印で示した。





その進行をやめる地点で振り返って撮影した。
黄色矢印は1つ前の画像とリンクしている。

帰路につくのだが、その前にここに掲げられていた看板を見てみよう。





国分寺都市計画道路3・4・6号小金井国分寺線がとりあえずの呼称らしい。
看板にある事業認可の日付は平成25年4月16日になっており、看板にはなかったが事業終了予定は平成31年3月31日である。

前編でも述べたが、もう10年以上も放置されていたようにしか見えないので、何年も計画がストップしていたのが再開したという事かな??

あと、特筆すべきは東京都の事業である事か。
完成時には都道になる可能性もあるという事かもしれない。





現在地はここ

帰路は1つ前の画像の赤線部分、本当の未成区間を通る事にする(西武線踏切までだが)。





この区間、現在は歩行者・自転車のみが通行可能である。
けっこう通行量はあったりする。





途中のマンション入口には連絡口が設けられていた。





車道との交差点はバリケード付である。
事故と自動車の進入を防ぐには有効だろうが、走りにくい事は確かだ。





東京都の事業ではあるが、立入禁止看板は国分寺市が設置している。

ずっと国分寺市の事業だったものが東京都の事業に変わった??





少々ピンボケになっているがご容赦願いたい。
歩道は急カーブで踏切直前の位置で現道に合流する。

この未成道は、JR武蔵野線の車窓からでもちらっと見えるので、今後の動きを注意していくつもりだ。

  

茨城県つくば市 2階建てのビル

【14年9月28日探索・11月11日公開】


今日は小ネタ、なのだが、ずっと捜し求めていたものがついに見つかったという、大いなる小ネタである。

wikipediaによれば『ビルディングを辞書で引くと「屋根と壁を伴う構造物」という定義があり、これは建築基準法に言う「建築物」に近い』とある。
またデジタル大辞泉ではビルディングとは「鉄筋コンクリートなどでつくった、中・高層の建物。ビル。」とある。
そんな「ビル」だが、3階建てでビルを名乗るものはそう珍しくはなく、現に私の住む埼玉県富士見市にも存在する。





そう、こんな風に。

で、ずっと捜していたもの。
それは2階建てで「ビル」を名乗っている建築物であったのだが・・・





それがついにあったのだ。
場所は茨城県つくば市。
マイナスイメージの記事を書くつもりはまったく無いが、関係者に迷惑になるといけないので具体的な場所は伏せる事にする。

こんな事に相当の労力を使って満足したのはたぶん私だけだと思うが、もしどうしても場所が気になる方が居られたら:yahooブログの方は内緒でゲストブックにコメント頂ければ。それ以外の方はメアドを内緒コメで頂いてそれに返信するという事で・・・





入口上には「第一ビル」と書かれている。
地下の存在は不明だが、地上部に於いては紛れも無く2階建てである。

ちなみにこの「ビル」、不動産関係を生業としている会社の持ち物であるようだ。

ついに捜していたもの、発見!!

  
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