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東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その1)

【14年9月20日探索・10月12日公開】


東京都西多摩郡奥多摩町 ずいぶん通ったが幾分ネタ切れ感はぬぐえない。
・・・と思っていたら、まだ探索すべき場所があった。

奥多摩湖周辺は、かつて西武鉄道が一大リゾート地にしようとしていたという話があり、その具体的な構想がこちらのサイトにあったのだった。

スキー場の計画はなかったようだが、奥多摩にケーブルカー計画だって?!
また、それに付帯する計画も気になった。

その計画の場所が今どうなったかを見てみたくなった。


現在地はここ

で、レポスタートの場所だが、国道411号線が水根貨物線をくぐるけっこう有名な場所とした。





水根貨物線をくぐった先、左に空き地がある。





ここが水根貨物線終点の水根貨物駅の跡地である。

そして、この向こう側に見える木が沢山生えているあたりが、計画では「遊園地」と書かれていたあたりになる。





奥多摩湖のダムサイトに登る道と国道411号が分岐する。

この先を右に行ってみる。





現在地はここ
<進行方向は10時>

左は国道411号大麦代トンネルだ。
ここは右側、水根沢に沿って少し行ってみよう。





落石注意標識があった。
しかし、よく見かける図じゃないやつだ。
林道で何度か見たことがあるが、ここも林道だったのかも・・・





建物があった。
そして、その手前に何かが置かれていた。





手前側、タヌキの置物にしか見えないが、何か祀ってあったようにも見える。





建物は売店のような造りにも見えた。
壁に埋め込まれているような変わった建物だった。

西武の計画を当て込んで造ったみやげ物屋じゃあ、あるまいな。





そのすぐ先、左側へ分岐があった。
ちょっとだけ見てみたが、けっこう藪こぎが必要な気が・・・





上からで、かつ夏場だとよくわからないかも知れない。
コンクリートブロックで造った建物の、屋根のない状態が10mくらい下に見えた。

(その2へつづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その2)

【14年9月20日探索・10月13日公開】


現在地はここ

左には廃車がある。右の建物は物置、かな?
画像より手前の建物には住んでいる方がいるようだ。

その建物の向こう側にあったのは・・・





二宮金次郎?
よく観察しなかったのだが、石像だろうと思う。
座っているのもレアだし、カラーなんて初めて見た。
背負っている薪もちょっと違うような・・・
顔も他で見たものとは違うが・・・二宮金次郎か?





30mくらい進むと、遊歩道の分岐があった。
左を覗いてみると・・・





橋が架かっていた。
木橋だが、比較的最近架けなおしたものに見えた。

このあたりがこちらのサイトの青焼き地図に書き込まれていた「スケートサーフ」「養魚場」になるはずだった場所だが、それを思わせるような地形は見当たらなかった。





現在地はここ

さらに50mくらい進み、分岐がある場所まで来た。
この分岐はどちらに行っても集落があるようだが、レジャー計画の何かがある事は期待できなかったので、この場は撤収する。





現在地はこの辺

奥多摩湖畔まで移動してきた。

奥多摩湖は小河内ダムによってせき止められた人造湖で昭和32年に完成している。
戦前より建設が始まっており、旧小河内村の大部分が湖底に沈んだ事は割と有名な話だ。

そんな奥多摩湖は完成当時、水道専用の湖では世界最大だったそうで、それを観光資源として活用しようと考えたのが西武鉄道だった。

通称・水根貨物線を買収したのも(現在は奥多摩工業が所有)まさにその表れで、西武新宿から直通特急を走らせる計画だったとの話もある。上水線を延伸し拝島線として開業したのもそのためだったとの噂もある。





ほぼ同じ場所から地図で1時の方向を撮影する。
先ほど撤収した少し先の水根集落って、あんなに高い位置にあったんだ・・・





少し進むと、2つのコンクリ構造物があった。





左は砕石場跡で、ダムのコンクリート製造のためにこに造ったようだ。

そういえば以前、もっと水が引いた時にも見たことがあったな。
(ごめんなさい、画像が探せませんでした)





ちょっと見には落石防護の構造物かと見えるのだが、砕石場と何か関係あるものだったのかもしれない。

そんな「守られた」歩道なのだが、その天井には草が上から生えていたのだった。

こんな穴が開いていた?のであれば、ここは落石防護用ではなく、ホッパーでもあったと考える方が自然だろう。ベルトコンベアで砕石場まで繋いでいたとか?





現在地はここ

青焼き地図に書き込まれていた「モータープール」は現在の駐車場の位置と同じと考えてよさそうだ。

この先の、ケーブルカー計画の夢の跡を探しに行こう。

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その3)

【14年9月20日探索・10月14日公開】


現在地はここ

左側の側道はそのまま進むと奥多摩湖の水面に到達する。
まあ人造湖にはよくある道路だが、日常でない不思議な一瞬を感じる。





現在地はここ

倉戸口バス停があった。1日17往復(休日は16往復)のバスが来る。
国道411号線は右に曲がり熱海トンネルへと入るが、私は国道と離れ直進(地図では4時方向)する。





何度か国道は通っていたので、ここが上りだという事は知っていた。
・・・にしてもけっこう小径車にとってはキツイ。ここはセルフいろは坂で。。。





ほどなく最初の家屋が見えてきた。





続いて現れたのはバーベキュー場だった。
西武鉄道の計画書には載っていなかったが、ケーブルカーが開通していたら客足は桁違いだったろう。





さらに、温泉民宿の小河内荘もあった(進行方向から振り返って撮影)。
ここは一旦は湖底に沈んだ鶴の湯温泉をくみ上げて使用しているようだ。





現在地はここ

このあたりがちょうど熱海トンネルの真上になるようだ。
分岐があるが、ここは右方向に進む。





倉戸山へはこの方向でよいという道しるべがあった。
そう、西武鉄道が計画したケーブルカーの山頂駅はその倉戸山の山頂付近に設置予定だったのだ。





左に分岐があるが、いったんスルーする。
左の建物が旅館っぽい構えをしていたが、現在は営業していないのだろうか?





現在地はここ

東京都水道局のポンプ場の前なのだが、ここだけ妙に広い。
ケーブルカー計画との関連はあったのだろうか?





50mほど先の左カーブ地点だ。青焼き地図のあるサイトの地図が読み取りづらいのだが、この斜面の先あたりに「ホテル」が設置される計画だったようだ。





カーブの先はさらに50mほど坂を上ると行き止まりになる。
現在は民家があるようだが、もしも計画通りにケーブルカーやホテルが建っていたらこのあたりの人たちの生活も激変していたのだろう。

(その4・最終回につづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その4・最終回)

【14年9月20日探索・10月15日公開】


最後にこちらのサイト内の青焼き地図に描かれた湖畔停留所の場所まで行ってみよう。目印は「温泉神社」だ。
昨日の記事の分岐(反対側から見ている)を右に行ってみる。





現在地はここ

マピオン地図には小路と描かれていたが、そこは階段だった。





何とも、味のある階段だ。
一番下の、側溝に開けられた雨水用の穴がいかにも手づくりでイイ感じだ。





階段を登るとそこにはまた細い車道のような道が延びていた。
が、ここは他の車道とは繋がっていないので、原付であっても到達は困難な道なのだ。





右を見る。
奥多摩湖・小河内ダムがよく見える。
ケーブルカーが出来ていたなら、この角度のこの景色を見る人が多数いた事だろう。





かなり急な勾配になった。
ここは車道ではない事はわかっていてもつい傾斜を測定してしまう・・・
20度だった。勾配としては36%程度になろうか。





温泉神社の鳥居が見えた。





温泉神社は元々鶴の湯温泉にあり、湯屋権現と呼ばれたそうだ。
ダム建設のためにこの場所へ移転してきたようだ。





温泉神社からまだ先に進む。
東京都水道局の熱海配水所があるが、この付近が「大浴場」となるはずだった場所であるようだった。





現在地はこの辺

配水所の7、80m先の場所だ。
このあたりにケーブルカー(奥多摩鋼索鉄道)の湖畔停留所が造られるはずだった事になる。

夢の跡は手付かずのまま、倉戸山への登山道だけがそのまま残った。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(前編)

★これ以降、全3回の連載記事は「前編」「中編」「後編」と呼ぶ事にします★

【14年8月30日探索・10月16日公開】


埼玉県飯能市上直竹下分  県道221号原市場下成木線だ。
上りではあるが、それほどのペースダウンも無く進んでいる。





現在地はここ

山王峠のすぐ手前になるが、ここで右に行く道がある。





ここは山王峠の旧道になるのだが、ずいぶん熟成が進んだな。





旧道は左に大きくカーブする。
・・・それにしてもすごいグリーンカーペットになってしまった。

はっきりとは断定できないのだが、平成元年(1989)くらいに現道が開通したようだ。
そして私は平成7年(1996)くらいにこの旧道を通っていたのだった。
その時点よりも・・・まともに、熟成しすぎ!!





苔のカーペットはさらに路面を覆いつくされている。

実はこの旧道部分は過去2回訪れていたのだが、ビジュアル的に面白みが少ないという理由で記事にする事を見送ってきたのだった。なので、当ブログとしては初めての場所になる。

また今回、記事は全3回になるのだが、それにもまた理由があるのだった(後述する)。





そして、分断箇所が現れた。

地図にあるように、明らかに旧道が切り落とされていた。





さて、旧道を進むのは難しいので現道で反対側に移動しよう。

黄色矢印のあたりが1枚上の画像の分断箇所である。





現道には山王峠の看板が設置してあった。


(中編につづく)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(中編)

【14年8月30日探索・10月17日公開】


峠のほぼ最高標高地点にヘキサがあった。
ちなみに、私の進行方向は矢印の方向だ。





現在地はここ

ここはまあ当然、反対側の旧道に入る。
と、その前にこの手前のボックス、何だろう?





石仏のようだ。
それなりに風化が進んでいて、はっきりとした事は不明ながら、頭の上に馬の顔のような形状のものが乗っているようなので馬頭観音であろう。

それにしてもステンレスの祠って・・・





こちら側も、かなり熟成が進んでいるようだ。
ここで、この左側を見てみる。





標識が2本建っていた。
昔の山王峠はけっこうグネグネ道だったようだ。

そして左の標識だが、残念ながら何と描いてあったかの判読ができなかった。





平成元年ごろに旧道となったようで(国土変遷アーカイブの航空写真より推定)分断状況から推測すれば、旧道化イコール廃道化、つまり廃道となってからも、はや四半世紀という事になる。
たまに来る物好き以外歩行者すら入ってこなくなれば、25年でこうなるのも頷けよう。





ほとんど水もない小さな川を渡るが、橋ではなくカルバートであった。





こんな思いっきり緑のカーペット状態だが、ここは舗装路である。





こちら側の分断箇所まで到達した。

次回、私はこの現場であるものを発見するのだが・・・

(後編へつづく)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(後編)

【14年8月30日探索・10月18日公開】


現在地はここ

分断の実行犯である柵の左側には妙な平場が続いていた。
もちろんそれは道路らしくない崖の上なのだが、現道開削工事のどこかの段階で、この場所が(もう少し広かったろうが)車道であった事があった可能性が高い。
そんな場所から反対側を見ると・・・





こ、これは!!





現道から見上げても、反対側にはゆるやかな窪みがあるのがわかった。





それは地図の旧道部分を見て頂くとよくわかる。
現道により分断された旧道はそのカーブ形状から、現道の反対側にもほんの少々だが残っているようだった。
そして私が描き込んだ地図が単なる想像ではない事が今昔マップに載っていたのだった。





そんな訳で何とか反対側旧道に行ってみようと思う。
まずはストレートに崖の法面施工部分を行ってみよう・・・かと思ったが、思いのほか窪みが深すぎてダメだった。





少しアツクなりすぎたかな。
冷静に考えようか・・・





現在地はここ

で、結論としてはこの側溝のある場所からの藪突破が一番マシかという事になった。





ヘリオス号は当然下で待機なのだが、こんな中で、しかも棘のある植物も多いので、前進はけっこう大変だった。





わずか10mちょっとの傾斜箇所だったが、下からここまで4分かかった。
何とか平場に到達したっぽいが、この足元のイラクサは何だ!
なるべく触れないように進路を選びながら進む。





ようやく到達した。





このあたりが、路面がオリジナルとは違うかもしれないものの、旧道があった場所で間違いなかろう。
ここへの訪問者は旧道が廃された以降、ほとんど皆無だろうと思う。

現道がトンネルだったなら、旧道の余生は劇的に変わっていたのかも・・・

(おわり)

  

群馬県富岡市 変な線形の道路の現状

【14年7月21日探索・10月19日公開】


現在地はここ

群馬県富岡市南後箇 県道198号南後箇七日市線から、左に逸れていく道が気になった。
この道路、この縮尺では描かれていないのだが・・・





現在地はこの辺

この道路、変な線形なのである。
上信越道の工事が何か絡んでいるのであろうかという推測はつくが、普通こんな曲がり方はしないだろう。

そんな道路であるためなのか、利用者がどうも皆無のようで・・・





一つ藪地帯を越えてもこの有様だった。





うぷ・・・

このあたりまでは間違いなく舗装路であるのだが、というか、道路であるようには絶対に見えない状態になっていた。
それでももう少し進んでみる。





激藪の先で舗装は終わった。
その先の部分はどうも戦前からある里道であるようだ。





現在地はこの辺

私はこのあと約3km離れた上信電鉄西富岡駅から帰路につく予定だったのだが、乗車予定の時刻まであと15分を切ってしまった。
肝心の変態的に曲がっている部分が激藪のため確認できなかったのだが、この先の強行突破はやめて反対側付近にある、もう1箇所気になっていたカルバートに行こう。





現在地はここ

この先3時方向にあるカルバート記号なのだが、抜けた先がおかしいのだ。
なぜ川に突っ込むような形で終わっているのだろう?
未成なのか?あるいは道路に見えるが実は水路なのか?

ちなみに、画面右端の窪みが一つ上の画像と繋がっている道になる。





時間が無かったのであわてて写真を撮りながら進む。





この左に行けそうな場所があった。





しかし、上信越道をくぐる「富岡5」のプレートが付いていたカルバートは水路だった。

人も通行できるスペースはあったようだが、その入口にはフェンスが設置されていたので、これにて撤収する。

  

山梨県富士河口湖町 古い地図の「大正道」を往く

【14年8月16日探索・10月20日公開】


現在地はここ
<進行方向は概ね1時>

山梨県南都留郡富士河口湖町西湖 現在は県道21号河口湖精進線(湖北ビューライン)として通っている区間の昔道にあたる道が今昔マップ(たぶん昭和4年版)の地図に描かれていた。
大正道、幅員は2m~3mと描かれていた道は、その線形や通過場所が現道とは若干違っていた。

大正時代に造られた、おそらくは荷車道であろうか?
これを確かめてみようと思う。

ここから遊歩道化されている樹海へと足を踏み入れる。





私の進行方向は左手なのだが、右方向にも行ける様になっている。
ここを右に行くとこの記事の最後の画像の場所に出る。

ここから野鳥の森のゴール地点まで約1.5kmといったところか。





まずはヘリオス号同伴でもまったく問題ない感じでスタートする。
とは言っても乗車はせず、押しになるが・・・





いったん現道に近づく。





路面上に木の根が張っているものが目立ってきた。
こんな道、荷車でも相当大変だったように思う。





樹海の中は基本、穴だらけで道路を造っても相当通行しにくい。
ヘリオス号を押していてもポンポンはねる。
実は荷車は通行せず、馬だったのかも?





このあたり、道はまっすぐ延びていた。
林鉄の跡だったと言ってもけっこう信じてもらえそうな画像になった。





乗車はしないものの担ぎもほとんどなく進める。





ここまでで2組のグループとすれ違った。
けっこう通行する人がいるんだ・・・

この先で窪みを通過するのだが、残念ながら橋などの構造物はなかった。





先がものすごく明るくなってきた。





出たところは西湖野鳥の森公園内なのだが、だだっ広い芝生だった。
探索日はまだ8月でこのあたりで28℃くらいはあった。
木陰でのんびり昼寝でもしたらキモチいいだろうなあ。

  

千葉県船橋市~白井市 30年来の不通県道189号・来年開通?(前編)

【14年10月19日探索・10月21日公開】


現在地はここ

千葉県船橋市小室町 県道193号小室停車場復線だ。
なぜ県道に「複線」という名づけがされたのかは不明だがちょっと調べてみたいと思う。
⇒★何という恥ずかしい間違いを!
 てつむしさんからご指摘を頂きました。「複線」ではなく「白井市復」を指していた県道名のようです。
 私自身早とちりにあきれて・・・訂正はせず追記にて修正いたします★

そんな県道193号の終点になる交差点、県道189号千葉ニュータウン北環状線との交点を見てみよう。
私はこの交差点を右折するのだが、まずは左から見てみる。





左折しようとするとガードレールバリケードが道路の半分を塞いでいる。
ちなみに・・・





現在地はここ

200mほどそのまま進んでいくと、その先は本来予定の片側2車線になっている。





戻って、今度は目的の方角、右へ行く。





すぐに長い橋がある。
右側2車線分は現在建設中である。
照明の形状が時代の違いを浮き彫りにしていた。

この橋、神崎川という花見川水系の川を一跨ぎにする長い橋なのだが、その名称は不明だ。
そして供用されている2車線の竣功も特定が出来なかったのだが・・・。




照明の建設銘版を見たのだが、年代に刻印がなかった。
とりあえず昭和の時代に造られたのは確かなようだ。

そして帰宅後に調べたら昭和55~59年(1980~1984)の間に完成しているのが航空写真から見て取れたのだった。





橋の長い下り坂の先で・・・





現在地はここ

県道189号はここで供用区間が途切れる。
wikipediaにもそのように「白井市清戸 - 神々廻間は未開通である」記述されていた。





未開通区間を撮影する。
何やら最近工事がされたっぽい。
この区間は用地買収が進まなかったようで平成元年(1989)~航空写真からほとんど状況が変わらなかった区間だ。







左折し白井市道に合流した。
そのまま200mほど進むと、未成区間へと行ける脇道があった。





未成区間だが通行禁止のような表記は見当たらない。
歩道なら行っても大丈夫そうだ。





未成区間の道路の先で、何かが始まったようだ。
何の工事かな??

(後編につづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その2)

【14年9月20日探索・10月13日公開】


現在地はここ

左には廃車がある。右の建物は物置、かな?
画像より手前の建物には住んでいる方がいるようだ。

その建物の向こう側にあったのは・・・





二宮金次郎?
よく観察しなかったのだが、石像だろうと思う。
座っているのもレアだし、カラーなんて初めて見た。
背負っている薪もちょっと違うような・・・
顔も他で見たものとは違うが・・・二宮金次郎か?





30mくらい進むと、遊歩道の分岐があった。
左を覗いてみると・・・





橋が架かっていた。
木橋だが、比較的最近架けなおしたものに見えた。

このあたりがこちらのサイトの青焼き地図に書き込まれていた「スケートサーフ」「養魚場」になるはずだった場所だが、それを思わせるような地形は見当たらなかった。





現在地はここ

さらに50mくらい進み、分岐がある場所まで来た。
この分岐はどちらに行っても集落があるようだが、レジャー計画の何かがある事は期待できなかったので、この場は撤収する。





現在地はこの辺

奥多摩湖畔まで移動してきた。

奥多摩湖は小河内ダムによってせき止められた人造湖で昭和32年に完成している。
戦前より建設が始まっており、旧小河内村の大部分が湖底に沈んだ事は割と有名な話だ。

そんな奥多摩湖は完成当時、水道専用の湖では世界最大だったそうで、それを観光資源として活用しようと考えたのが西武鉄道だった。

通称・水根貨物線を買収したのも(現在は奥多摩工業が所有)まさにその表れで、西武新宿から直通特急を走らせる計画だったとの話もある。上水線を延伸し拝島線として開業したのもそのためだったとの噂もある。





ほぼ同じ場所から地図で1時の方向を撮影する。
先ほど撤収した少し先の水根集落って、あんなに高い位置にあったんだ・・・





少し進むと、2つのコンクリ構造物があった。





左は砕石場跡で、ダムのコンクリート製造のためにこに造ったようだ。

そういえば以前、もっと水が引いた時にも見たことがあったな。
(ごめんなさい、画像が探せませんでした)





ちょっと見には落石防護の構造物かと見えるのだが、砕石場と何か関係あるものだったのかもしれない。

そんな「守られた」歩道なのだが、その天井には草が上から生えていたのだった。

こんな穴が開いていた?のであれば、ここは落石防護用ではなく、ホッパーでもあったと考える方が自然だろう。ベルトコンベアで砕石場まで繋いでいたとか?





現在地はここ

青焼き地図に書き込まれていた「モータープール」は現在の駐車場の位置と同じと考えてよさそうだ。

この先の、ケーブルカー計画の夢の跡を探しに行こう。

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その3)

【14年9月20日探索・10月14日公開】


現在地はここ

左側の側道はそのまま進むと奥多摩湖の水面に到達する。
まあ人造湖にはよくある道路だが、日常でない不思議な一瞬を感じる。





現在地はここ

倉戸口バス停があった。1日17往復(休日は16往復)のバスが来る。
国道411号線は右に曲がり熱海トンネルへと入るが、私は国道と離れ直進(地図では4時方向)する。





何度か国道は通っていたので、ここが上りだという事は知っていた。
・・・にしてもけっこう小径車にとってはキツイ。ここはセルフいろは坂で。。。





ほどなく最初の家屋が見えてきた。





続いて現れたのはバーベキュー場だった。
西武鉄道の計画書には載っていなかったが、ケーブルカーが開通していたら客足は桁違いだったろう。





さらに、温泉民宿の小河内荘もあった(進行方向から振り返って撮影)。
ここは一旦は湖底に沈んだ鶴の湯温泉をくみ上げて使用しているようだ。





現在地はここ

このあたりがちょうど熱海トンネルの真上になるようだ。
分岐があるが、ここは右方向に進む。





倉戸山へはこの方向でよいという道しるべがあった。
そう、西武鉄道が計画したケーブルカーの山頂駅はその倉戸山の山頂付近に設置予定だったのだ。





左に分岐があるが、いったんスルーする。
左の建物が旅館っぽい構えをしていたが、現在は営業していないのだろうか?





現在地はここ

東京都水道局のポンプ場の前なのだが、ここだけ妙に広い。
ケーブルカー計画との関連はあったのだろうか?





50mほど先の左カーブ地点だ。青焼き地図のあるサイトの地図が読み取りづらいのだが、この斜面の先あたりに「ホテル」が設置される計画だったようだ。





カーブの先はさらに50mほど坂を上ると行き止まりになる。
現在は民家があるようだが、もしも計画通りにケーブルカーやホテルが建っていたらこのあたりの人たちの生活も激変していたのだろう。

(その4・最終回につづく)

  

東京都奥多摩町 西武鉄道のレジャー計画地をたどる(その4・最終回)

【14年9月20日探索・10月15日公開】


最後にこちらのサイト内の青焼き地図に描かれた湖畔停留所の場所まで行ってみよう。目印は「温泉神社」だ。
昨日の記事の分岐(反対側から見ている)を右に行ってみる。





現在地はここ

マピオン地図には小路と描かれていたが、そこは階段だった。





何とも、味のある階段だ。
一番下の、側溝に開けられた雨水用の穴がいかにも手づくりでイイ感じだ。





階段を登るとそこにはまた細い車道のような道が延びていた。
が、ここは他の車道とは繋がっていないので、原付であっても到達は困難な道なのだ。





右を見る。
奥多摩湖・小河内ダムがよく見える。
ケーブルカーが出来ていたなら、この角度のこの景色を見る人が多数いた事だろう。





かなり急な勾配になった。
ここは車道ではない事はわかっていてもつい傾斜を測定してしまう・・・
20度だった。勾配としては36%程度になろうか。





温泉神社の鳥居が見えた。





温泉神社は元々鶴の湯温泉にあり、湯屋権現と呼ばれたそうだ。
ダム建設のためにこの場所へ移転してきたようだ。





温泉神社からまだ先に進む。
東京都水道局の熱海配水所があるが、この付近が「大浴場」となるはずだった場所であるようだった。





現在地はこの辺

配水所の7、80m先の場所だ。
このあたりにケーブルカー(奥多摩鋼索鉄道)の湖畔停留所が造られるはずだった事になる。

夢の跡は手付かずのまま、倉戸山への登山道だけがそのまま残った。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(前編)

★これ以降、全3回の連載記事は「前編」「中編」「後編」と呼ぶ事にします★

【14年8月30日探索・10月16日公開】


埼玉県飯能市上直竹下分  県道221号原市場下成木線だ。
上りではあるが、それほどのペースダウンも無く進んでいる。





現在地はここ

山王峠のすぐ手前になるが、ここで右に行く道がある。





ここは山王峠の旧道になるのだが、ずいぶん熟成が進んだな。





旧道は左に大きくカーブする。
・・・それにしてもすごいグリーンカーペットになってしまった。

はっきりとは断定できないのだが、平成元年(1989)くらいに現道が開通したようだ。
そして私は平成7年(1996)くらいにこの旧道を通っていたのだった。
その時点よりも・・・まともに、熟成しすぎ!!





苔のカーペットはさらに路面を覆いつくされている。

実はこの旧道部分は過去2回訪れていたのだが、ビジュアル的に面白みが少ないという理由で記事にする事を見送ってきたのだった。なので、当ブログとしては初めての場所になる。

また今回、記事は全3回になるのだが、それにもまた理由があるのだった(後述する)。





そして、分断箇所が現れた。

地図にあるように、明らかに旧道が切り落とされていた。





さて、旧道を進むのは難しいので現道で反対側に移動しよう。

黄色矢印のあたりが1枚上の画像の分断箇所である。





現道には山王峠の看板が設置してあった。


(中編につづく)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(中編)

【14年8月30日探索・10月17日公開】


峠のほぼ最高標高地点にヘキサがあった。
ちなみに、私の進行方向は矢印の方向だ。





現在地はここ

ここはまあ当然、反対側の旧道に入る。
と、その前にこの手前のボックス、何だろう?





石仏のようだ。
それなりに風化が進んでいて、はっきりとした事は不明ながら、頭の上に馬の顔のような形状のものが乗っているようなので馬頭観音であろう。

それにしてもステンレスの祠って・・・





こちら側も、かなり熟成が進んでいるようだ。
ここで、この左側を見てみる。





標識が2本建っていた。
昔の山王峠はけっこうグネグネ道だったようだ。

そして左の標識だが、残念ながら何と描いてあったかの判読ができなかった。





平成元年ごろに旧道となったようで(国土変遷アーカイブの航空写真より推定)分断状況から推測すれば、旧道化イコール廃道化、つまり廃道となってからも、はや四半世紀という事になる。
たまに来る物好き以外歩行者すら入ってこなくなれば、25年でこうなるのも頷けよう。





ほとんど水もない小さな川を渡るが、橋ではなくカルバートであった。





こんな思いっきり緑のカーペット状態だが、ここは舗装路である。





こちら側の分断箇所まで到達した。

次回、私はこの現場であるものを発見するのだが・・・

(後編へつづく)

  

埼玉県飯能市 山王峠・熟成進む分断廃道(後編)

【14年8月30日探索・10月18日公開】


現在地はここ

分断の実行犯である柵の左側には妙な平場が続いていた。
もちろんそれは道路らしくない崖の上なのだが、現道開削工事のどこかの段階で、この場所が(もう少し広かったろうが)車道であった事があった可能性が高い。
そんな場所から反対側を見ると・・・





こ、これは!!





現道から見上げても、反対側にはゆるやかな窪みがあるのがわかった。





それは地図の旧道部分を見て頂くとよくわかる。
現道により分断された旧道はそのカーブ形状から、現道の反対側にもほんの少々だが残っているようだった。
そして私が描き込んだ地図が単なる想像ではない事が今昔マップに載っていたのだった。





そんな訳で何とか反対側旧道に行ってみようと思う。
まずはストレートに崖の法面施工部分を行ってみよう・・・かと思ったが、思いのほか窪みが深すぎてダメだった。





少しアツクなりすぎたかな。
冷静に考えようか・・・





現在地はここ

で、結論としてはこの側溝のある場所からの藪突破が一番マシかという事になった。





ヘリオス号は当然下で待機なのだが、こんな中で、しかも棘のある植物も多いので、前進はけっこう大変だった。





わずか10mちょっとの傾斜箇所だったが、下からここまで4分かかった。
何とか平場に到達したっぽいが、この足元のイラクサは何だ!
なるべく触れないように進路を選びながら進む。





ようやく到達した。





このあたりが、路面がオリジナルとは違うかもしれないものの、旧道があった場所で間違いなかろう。
ここへの訪問者は旧道が廃された以降、ほとんど皆無だろうと思う。

現道がトンネルだったなら、旧道の余生は劇的に変わっていたのかも・・・

(おわり)

  

群馬県富岡市 変な線形の道路の現状

【14年7月21日探索・10月19日公開】


現在地はここ

群馬県富岡市南後箇 県道198号南後箇七日市線から、左に逸れていく道が気になった。
この道路、この縮尺では描かれていないのだが・・・





現在地はこの辺

この道路、変な線形なのである。
上信越道の工事が何か絡んでいるのであろうかという推測はつくが、普通こんな曲がり方はしないだろう。

そんな道路であるためなのか、利用者がどうも皆無のようで・・・





一つ藪地帯を越えてもこの有様だった。





うぷ・・・

このあたりまでは間違いなく舗装路であるのだが、というか、道路であるようには絶対に見えない状態になっていた。
それでももう少し進んでみる。





激藪の先で舗装は終わった。
その先の部分はどうも戦前からある里道であるようだ。





現在地はこの辺

私はこのあと約3km離れた上信電鉄西富岡駅から帰路につく予定だったのだが、乗車予定の時刻まであと15分を切ってしまった。
肝心の変態的に曲がっている部分が激藪のため確認できなかったのだが、この先の強行突破はやめて反対側付近にある、もう1箇所気になっていたカルバートに行こう。





現在地はここ

この先3時方向にあるカルバート記号なのだが、抜けた先がおかしいのだ。
なぜ川に突っ込むような形で終わっているのだろう?
未成なのか?あるいは道路に見えるが実は水路なのか?

ちなみに、画面右端の窪みが一つ上の画像と繋がっている道になる。





時間が無かったのであわてて写真を撮りながら進む。





この左に行けそうな場所があった。





しかし、上信越道をくぐる「富岡5」のプレートが付いていたカルバートは水路だった。

人も通行できるスペースはあったようだが、その入口にはフェンスが設置されていたので、これにて撤収する。

  

山梨県富士河口湖町 古い地図の「大正道」を往く

【14年8月16日探索・10月20日公開】


現在地はここ
<進行方向は概ね1時>

山梨県南都留郡富士河口湖町西湖 現在は県道21号河口湖精進線(湖北ビューライン)として通っている区間の昔道にあたる道が今昔マップ(たぶん昭和4年版)の地図に描かれていた。
大正道、幅員は2m~3mと描かれていた道は、その線形や通過場所が現道とは若干違っていた。

大正時代に造られた、おそらくは荷車道であろうか?
これを確かめてみようと思う。

ここから遊歩道化されている樹海へと足を踏み入れる。





私の進行方向は左手なのだが、右方向にも行ける様になっている。
ここを右に行くとこの記事の最後の画像の場所に出る。

ここから野鳥の森のゴール地点まで約1.5kmといったところか。





まずはヘリオス号同伴でもまったく問題ない感じでスタートする。
とは言っても乗車はせず、押しになるが・・・





いったん現道に近づく。





路面上に木の根が張っているものが目立ってきた。
こんな道、荷車でも相当大変だったように思う。





樹海の中は基本、穴だらけで道路を造っても相当通行しにくい。
ヘリオス号を押していてもポンポンはねる。
実は荷車は通行せず、馬だったのかも?





このあたり、道はまっすぐ延びていた。
林鉄の跡だったと言ってもけっこう信じてもらえそうな画像になった。





乗車はしないものの担ぎもほとんどなく進める。





ここまでで2組のグループとすれ違った。
けっこう通行する人がいるんだ・・・

この先で窪みを通過するのだが、残念ながら橋などの構造物はなかった。





先がものすごく明るくなってきた。





出たところは西湖野鳥の森公園内なのだが、だだっ広い芝生だった。
探索日はまだ8月でこのあたりで28℃くらいはあった。
木陰でのんびり昼寝でもしたらキモチいいだろうなあ。

  

千葉県船橋市~白井市 30年来の不通県道189号・来年開通?(前編)

【14年10月19日探索・10月21日公開】


現在地はここ

千葉県船橋市小室町 県道193号小室停車場復線だ。
なぜ県道に「複線」という名づけがされたのかは不明だがちょっと調べてみたいと思う。
⇒★何という恥ずかしい間違いを!
 てつむしさんからご指摘を頂きました。「複線」ではなく「白井市復」を指していた県道名のようです。
 私自身早とちりにあきれて・・・訂正はせず追記にて修正いたします★

そんな県道193号の終点になる交差点、県道189号千葉ニュータウン北環状線との交点を見てみよう。
私はこの交差点を右折するのだが、まずは左から見てみる。





左折しようとするとガードレールバリケードが道路の半分を塞いでいる。
ちなみに・・・





現在地はここ

200mほどそのまま進んでいくと、その先は本来予定の片側2車線になっている。





戻って、今度は目的の方角、右へ行く。





すぐに長い橋がある。
右側2車線分は現在建設中である。
照明の形状が時代の違いを浮き彫りにしていた。

この橋、神崎川という花見川水系の川を一跨ぎにする長い橋なのだが、その名称は不明だ。
そして供用されている2車線の竣功も特定が出来なかったのだが・・・。




照明の建設銘版を見たのだが、年代に刻印がなかった。
とりあえず昭和の時代に造られたのは確かなようだ。

そして帰宅後に調べたら昭和55~59年(1980~1984)の間に完成しているのが航空写真から見て取れたのだった。





橋の長い下り坂の先で・・・





現在地はここ

県道189号はここで供用区間が途切れる。
wikipediaにもそのように「白井市清戸 - 神々廻間は未開通である」記述されていた。





未開通区間を撮影する。
何やら最近工事がされたっぽい。
この区間は用地買収が進まなかったようで平成元年(1989)~航空写真からほとんど状況が変わらなかった区間だ。







左折し白井市道に合流した。
そのまま200mほど進むと、未成区間へと行ける脇道があった。





未成区間だが通行禁止のような表記は見当たらない。
歩道なら行っても大丈夫そうだ。





未成区間の道路の先で、何かが始まったようだ。
何の工事かな??

(後編につづく)

  

千葉県船橋市~白井市 30年来の不通県道189号・来年開通?(後編)

【14年10月19日探索・10月22日公開】


現在地はここ

昨日の記事の最後の画像の場所にあったのは「道路を作っています」の看板だった。
昭和50年代から計画され平成初期からずっと放置状態だった県道の工事が、始まっていたのだった。
しかもそれは来年3月15日までだという。
3月末以降にようやく全通という事になるものと思われた。





工事中の区間はさすがに入れないので、隣接する市道を迂回する。
市道からでも県道の工事が順調に進んでいるであろう雰囲気を感じる事ができた。





現在地はここ
<5時の方向を見て撮影>

不通区間の工事終端である。
県道の路面になるであろうあたり(中心)はオレンジの矢印に示した。

中の様子が見たいと思っていたら、塀の隙間があってそこから見ることが出来た。





あと5ヶ月で道路が完成する・・・間に合うのかな?





白い塀にへばりついて道路になるであろう場所を撮影した。
路面予想部(中心)はオレンジ、私が進んだのはピンクの細道である。





現在地はここ

地元民以外の車両通行禁止の道路だ。
しかしそんな交通量の少ない道ゆえ、通学路に指定されている。





でもねえ、こんな鬱蒼とした林の中も通る。
夕方以降だと、大人でもちょっと構える感じの道だ。





現在地はここ
<7時の方向を見て撮影>

鬱蒼とした区間を過ぎると、yahoo地図では県道色に塗られた細道が始まる場所になる。
この画像は進行方向から振り向いて撮影した。

yahoo地図では県道は細道の方で、新道はまだ供用されていないように描かれていたが、実際はそうではなく、新道が既に供用されていた。





回れ右して先に進む。旧道はほぼ歩道のような状態になっていた。
で、すぐ隣の2車線は工事中、その向こう側の2車線が供用されている区間だった。





現在地はここ

このあたりから先が地図上でも新道が県道になっている区間だった。
左はゴルフ場である。
消えかけの横断歩道が、ずっとピンチヒッターだった旧道の、きっとスペックオーバー気味の重責だった事を感じさせてくれるが、ねぎらいの言葉などかけてもらってはいなかったろう。
じゃあ私がせめて・・・未成道に代わっての重責、お疲れさま。。。





その200mくらい先にはこれまた消えかけの「40高中」が残っていた。

ニュータウン開発の亡霊のような区間がもうすぐ解消する事は、ようやく本来の設計になるので喜ばしい反面、趣味者としては何か寂しい気もしてしまう・・・

(おわり)

  
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