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埼玉県さいたま市・志木市 秋ヶ瀬橋旧道(その3・最終回)

【14年8月24日探索・9月2日公開】


現在地はここ
<8時の方向を向いて撮影>

秋ヶ瀬橋西詰、志木市側にやって来た。
旧道があるかもしれないと思い、柵から下を覗いてみる。






まさに、その下側に旧道が残っていた。





早速向かう。
バス停秋ヶ瀬橋の先で、歩道は階段で下に下っている。





階段を下りきった場所こそ、半廃道となっている県道旧道に他ならなかった。





現在地はここ

浦和方向を見た。
見た感じは廃道とも変わらないが、歩道として供用されている場所になっており、趣味者としては微妙なところかもしれない。

ところで、ここまで現道の竣功に関する情報が現地では何も得られなかったのだが・・・





私が下ってきた階段に情報があった。
1981年10月竣功、現道は昭和57年(1982)に供用されているらしい情報は得ていたので、それとも符合する。





ではこちら側も進んでみよう。
40高中の路面表示がまだ残っていた。





ほどなく道は狭く・・・というか、歩道としてはこの幅で充分である。





その先、しばらくすると現道と合流するが、現地調査のレポはここで終了しよう。

最後に、昭和13年に架けられたという旧秋ヶ瀬橋の正面画像全景をご覧いただこう。

(おわり)

神奈川県山北町 3つのアーチ橋と小さなラーメン橋

【14年8月3日探索・9月3日公開】


現在地はこの辺

神奈川県足柄上郡山北町山北 県道725号玄倉山北線上にいる。
この県道は起点から数キロが未開通で現道はないとされており、実質的には行き止まり県道である。
県道調査も気になるところだが、今日の訪問地はそれではない。





東名高速道路の皆瀬川橋である。上下あわせて3本の大きなアーチが架かる。

その手前にも小さな橋が架かっている事に気がついた。





おそらく方杖ラーメン橋だと思う。
下からの確認ができなかったので、確定はしていないが・・・





橋の幅員は1.2m程度、二輪車以下なら不安なく渡れそうだ。





小さな橋の上から高速の3本のアーチを見上げた。





小さな橋の利用者がどれほどいるのかは不明だが、渡った先、皆瀬川右岸にも道は続いていた。





その少し先である。
地図を思いっきり拡大しても周囲に家屋の記号はない。
作業場か畑のための橋と道なのだろうか?
機会があればその先も行ってみたい。

  

埼玉県本庄市 未成ゴルフ場アクセス道

【14年7月21日探索・9月4日公開】


現在地はここ

埼玉県本庄市児玉町飯倉 国道462号線を走っていると、何も書かれていない看板が建っている。
しかし、この看板、よくよく見るとうっすらとその下に書かれていた文字が残っており、何と書いてあったのか、どうにか読み取る事ができた。
「日東興業グループ 双園ゴルフクラブ児玉コース」と一番下に大きな左方向の矢印が読めた。

これは未成ゴルフ場だ。
地図上でも何やら怪しげな道が描かれている。行ってみよう。





左折すると、先のほうで道はゆるやかに登っている。現在の通行量から言えば2車線の道は必要無かったような道だ。





その2車線道が終わろうとしている交差点の先に、未成臭プンプンの道があった。





これがその入り口になる。
1枚目画像から読み取れた「双園ゴルフクラブ」は現在、栃木コース(鹿沼市)のみがあるが、かつて(昭和60年ごろ)ここに児玉コースを建設しようとしていた。
バブルがはじけた平成4年ごろ、工事を中断し、未成状態のままファーストカントリークラブという会社に売却したが、どうもその後建設は再開されなかった模様だ。





そんな放置後20年余りの未成道だが、正確には利用者がいて(後述する)、完全に未成道というわけではない。時折車が通行しているダブルトラックの轍がそれを物語っている。





現在地はここ
<7時の方向を見ての撮影>

左にも道があってそちらはまだ進めるようだ。
で、直進方向なのだが・・・





前述したファーストカントリークラブの名の看板と明らかに仮設なゲートがあった。
この先のカーブが気にはなるが、ここから先は廃墟探索になるという自己抑制?が働いた。なので、ここで撤収する。





バリケードのない道、2枚上の画像の左折方向の道に進む。
ちなみに、右上に見えるガードレールは未成ゴルフ場内の道路になる。




最後の100mくらいがとんでもない急坂になったが「未成道」の「利用者」がわかった。
ここは本庄市の水道施設であった。私のような趣味者以外の利用者はその管理、維持のための車だった。

  

東京都奥多摩町 梅沢橋・このまま見納めか?

【14年7月13日探索・9月5日公開】


現在地はここ

東京都西多摩郡奥多摩町川井 国道411号線から1本入った道だ。
ここを左折すると吊橋があるはずなのだが・・・





バリケードで封鎖されていた。
・・・実は2013年6月に訪れた際にもこの橋が通行禁止になっており、今回、いくらなんでも復旧したであろうという事での再訪だったのだ。





橋の名は梅沢橋、竣功年代は不明だ。
物理的にはバリケードの突破は不可能ではないと思うが、下の河川敷に大勢の人がいるので目立ちすぎで、通報される可能性大だったので自重する。





床版自体、まだ大丈夫そうには見えた。





橋の下の対岸(右岸)を撮影した。
木の葉っぱが邪魔しておりいまひとつわからなかったが、右岸の橋の真下の崖が崩落した事が橋を通行止にした主因だそうだ。
そして、その時期なのだが、2011年秋の台風が原因だったそうな。
つまりはもう2年半もそのまま放置されている事になる。
復旧する気は無いのかも・・・





対岸へ移動する。
この画像はすぐ近くの奥多摩大橋から撮影したものになる。





現在地はここ

ここから入っていくのだが、橋が通行止になっている等の案内は一切なかった。





こんなスロープ階段併設の道を進む。





その先にも一応シングルトラックが残っていたが、かなりか細くなっていた。





バリケードがあった。
ここまで来て初めて「梅沢橋橋台下がけ崩れのため通行禁止」と書かれていた。

多摩川の河川敷で遊んでいてこの橋を見つけ、わざわざやって来た人もいるだろう。
せめてもっと手前に設置してあげればいいのにと思う。





その先は、今やだれにも観賞されなくなったガクアジサイの横を進むと・・・





右岸側にやって来た。





こちら側からも床版を覗いてみた。

ところで、2年半もの間放置されていてその後復活する可能性って低いと思う。
その理由だが、すぐ近くに奥多摩大橋が架かっており、梅沢橋が必須である人がほとんどいなく、費用対効果が薄そうな事と、キャンプ場利用者と付近の地権者間でのトラブルが多かったための2点が考えられた。

  

山梨県富士河口湖町 登山道県道と風穴訪問記

【14年8月16日探索・9月6日公開】


現在地はここ
<撮影、進行方向は概ね3時>

山梨県南都留郡富士河口湖町精進 県道71号富士宮鳴沢線と県道702号富士精進線の交差地点になる。
信号機や青看などは一切ない。
その理由としては、県道702号は自動車通行止の登山道県道だからである。

この日は元々、河口湖駅から朝霧高原経由で富士宮に抜ける予定だったのだが、途中にわか雨に何度も遭ってしまい、予定変更でこの地にやって来た。

せっかくだから登山道県道と富士風穴に寄ってみようかという、無計画な探索だった。





50mくらい進んだ。
ここはまだ自動車も通行可能なようだ。
先のほうにバリケードが見える。





ここで四輪は完全シャットアウトになる。





通行止の理由が、かなり取って付けたような理由だ。
「当分の間」「道路補修工事のため」は「半永久的に」「補修工事なんて終わらない」という意味で間違いなかろう。
車両通行止と書かれていたので、一応ヘリオス号はバリケードの外に待機させる事にした。





県道702号富士精進線に入った。
幅員は3m~3.5mほどだろうか。
ここも富士の原生林内で、樹海の中の道にもよく似た雰囲気だ。





この画像だけ見れば、普通に自動車が入れるのではないかという風にも見えるが、凸凹はそれなりにある。
そうは言っても、おそらく山梨県の管理車かパトカーのような車の進入はあるのだろうと思うが・・・





ほどなく、石柱の建つ場所までやって来た。





ここを右折で富士風穴に行くようだが、何の案内も無いのが少々不可解だな。
そういえば、県道やバリケードにも何も書かれていなかった。

まあいい、行けば何かわかるかも・・・





溶岩で出来たであろう岩畳を進むと。





これが風穴を上から見た全景になる。
大変大きなもので、20m四方くらいもある。

何よりすごいのは、すさまじい冷気なのだ。ここから見えるくぼみのさらに奥の内部は夏場でもちょうど0℃であるようで氷柱が見事だそうな・・・

しかし、残念な事に画像がこれ1枚しかない。その理由は・・・





入るには入洞届けを出す必要があると言う。

実は、ひとつ前の画像のくぼみ地点までは行ったのだが、そこにちょうどガイドツアーの人たちが下部から上がってきて、ガイドの人にくぼみからの強制退去を命じられてしまったのだ。
さらに、くぼみの周囲にも入ってはいけないと言う。

私は確かにノープランでここにやって来た。そして確かにこの看板にはそう解釈できる文言が書かれているが、現地の看板1枚のみでの告知ってちょっとどうかと思う。県道側か、バリケードのあたりに注意事項が掲示してあるべきでは??
立入禁止ならいっそ全部をフェンスで覆えばいいじゃんと、皮肉の一つも言いたくなってしまった私であった。

  

群馬県藤岡市 県道176号下日野不通区(その1)

【14年7月21日探索・9月7日公開】


現在地はこの辺
<進行方向は9時>

群馬県藤岡市高山 県道176号下日野神田線だ。
地図が示すにはこの県道は全線走破が困難という事が読み取れるし、こんな予告看板が建っているところからも全線の走行は難しいのかもしれない。
しかしながら、地図を拡大すると「不通区間」とされる子王山山頂近くも道路自体は存在するようで、最悪「押し」なら行けそうな気がしたので、行ってみる事にした。





幟が立ち、駐車場があり、賑わいがある場所があった。





高山社跡、今回世界遺産登録となった富岡製糸場のセットとなった施設の一つ(養蚕業研究機関)である。
私もせっかくだから一応覗いては見たがその画像はない。





たくさんの石碑に見送られながら進んでいくと・・・





前方に橋が架かっているのを発見した。





現在地はこの辺

が、どう見ても廃橋だよな・・・





対岸を見てみたが、この橋が何かに利用されているよな匂いは感じなかった。





ウェブ上で、事前に情報を得てはいたので、あわよくば渡ろうかと思っていたのだが、この状態を見てやっぱりやめておいた。
時折車は通るので、渡橋行為自体が怪しすぎて、通報モノだったかも・・・





現在地はこの辺

さらに進むとまた左側に橋が架かっているのが見えた。





と・・・

こりゃまた怪しすぎる橋だな。
歩行者のほか、小型の耕運機くらいは通過するのだろうが、大丈夫かな??





崩落寸前の木橋に無理やり応急処置といった感じに見えた橋だったので、私が渡る事で万が一の事があってはマズイと思い。これまた渡橋はやめておいた。

(その2へつづく)

  

群馬県藤岡市 県道176号下日野狭区(その2)

【14年7月21日探索・9月8日公開】


現在地はたぶんこの辺

街道沿いの、それほど大きくない集落をいくつか過ぎていく。





道は1.5車線幅となった。
数キロ手前にあった通り抜けできませんの看板、ようやく2枚目がここで現れた。





道幅は1.5~2車線幅に断続的に変化する。
遠くに青看が見えてきた。

1台のワゴン車が私を抜かしていったが、それがこの地域の唯一の公共交通である乗合タクシーで、1日3往復のうちの1本だった。





青看には「この先2km 行き止まりです」という注意喚起の文字が書かれ、その下には控えめに「二千階段へ 直進2km」という案内看板が付いていた。





こんな登りがあることくらい織込み済みではあったが、それでも乗車~押し~乗車~押しという感じのスローペースで進む。





ようやく山上の集落が見えてきた。
さっきの看板から15分もかけて1kmちょっとしか来ていなかった。





上り勾配も落ち着いた。
標高は500m足らずなのだが、何かこう「山上の集落」「雲上の別天地」という印象が際立つ。





現在地はここ

見晴らし茶屋までやって来た。
乗合タクシーの終点で、高山二千階段はここを右に行くとあるらしい。
二千階段という名にちょっと惹かれるが、今回はやめておこうと思う。





少し進み振り返った。
乗合タクシーは折り返しの発車まで約1時間停車中のようだ。
茶屋は営業していなかった。
・・・店舗営業はともかく、最低限の自販機くらいは置いてほしいな。





既に峠は越えて下りに入りつつある。
ここを右折すると・・・





舗装が途切れた。
ゲートは無いが、一応この場所から先の未舗装区間を通行不能としているようだ。

左の看板には「平成18年度群馬県林業作業道総合整備事業 二千階段線 延長780m 藤岡市」と書いてあり、一般者の通行は禁止(しないで下さいという柔らかい表現だったが)となっていた。

私は歩行者として(急勾配で未舗装路なので、何かあっても安全に停止できそうにないと判断)下りだが押しでこの「林道」区間へと歩を進めるのだった。

(その3・最終回につづく)

  

群馬県藤岡市 県道176号下日野狭区(その3・最終回)

【14年7月21日探索・9月9日公開】


現在地はこの辺
<地図上、移動方向は右から左>

当初未舗装だった路面は簡易舗装と変わった。
だが、このような道の簡易舗装って、たいてい急勾配区間だったり路肩が弱かったりする場合が多いので喜ばしいのかどうか・・・
地図には描かれていない、えらく急な道が合流してきた。






やっぱり急勾配だ。
舗装路ゆえ一応乗車はしているものの、両ブレーキ握りっぱなしである。
ここの勾配は測定しなかったが、20%は楽に超えていた。





舗装もさらに簡易、轍のみのダブルトラック舗装になっていた。
歩くのとさほど変わらないくらいのスピードで走らなければ、安全に停止できないほどの勾配が続く。





1台の軽乗用車が通過していった。
ここでふと気づいたが、この700mほどの「林道区間」には「離合スペース」はない。
もしも対向車が来た場合、1枚目画像の超急坂が分岐していた交差点までバックかも・・・





さらに200mくらい進んだら、集落が見えてきた。印地地区だ。






現在地はここ

分岐がある。
ちょうどこの場所、左半分しか写っていないが道しるべが建っている。





私は左から来て右へ抜ける予定だ。
右折し坂を上ると「かあちゃん茶屋」があると案内されている。

yahoo地図ではこの交差点を境に、下側が県道色で描かれているのだが、それを裏付けるものは発見できなかった。





起点まではあと500mほどになったが、まだ県道を示すものを見つけていない。
代わりに貨車(どこが代わりだ??)があった。
ワム60000形あたりかと思ったがどうも違うようだ。





結局、県道だとわかるものは起点からわずか300mほどのこの看板(右のやつ)だった。





反対側に似た表現だが、「この先7kmは行き止まりです」には頭の中が?マークでいっぱいになる。
どう読んでも日本語がおかしいのもそうなのだが、そもそもこの先7kmって、「その1」に出てきた廃橋のあたりまで行く事になる。

何が言いたいのか不明な看板だった。





看板を過ぎるとほどなく起点が見える。





昭和37年竣功の印地橋を渡れば県道175号上日野藤岡線に当たる。
そこが起点である。

なお、県道175号だが、この道を西に向かって走っているといつの間にか県道71号(高崎神流秩父線)となり、さらに2.5kmくらい進むと県道177号会場鬼石線となるという変り種の道路だが、あまり見所はなかった。
まあ、ブツ切れ県道(主要地方道)の71号もいずれレポしようとは思っている。

(おわり)

  

東京都青梅市 都道旧道の御岳神社一の鳥居再訪(前編)

【14年7月13日探索・9月10日公開】


現在地はここ

3年前に訪問した都道旧道が気になった。それと、この付近にもう1箇所気になる場所を発見した
(後編で述べる)。

東京都青梅市柚木町 都道45号奥多摩青梅線・通称吉野街道に架かる築瀬橋横から左に分岐する道に入る。




しばらくは平和な道だったが・・・





倒木があった。
まあ、これも特に驚くようなものではない。





その先、立て続けに何本か倒木があった。
という事は、おそらく2月の大雪の仕業だとすれば、少なくとも5ヶ月以上は四輪車が入ってきていない事を示していた。






道のものかどうかが依然不明な東京都マークは健在だった。





が、先行きは大変な事になっていた。
み、道がない!!





別に路面が無くなったわけではない。
一言で言ってしまえば激藪だった。

この数メートルの突破にはけっこうてこずった。
訪問時期は考えるべきだったか・・・





それでも日の当たらない場所に抜けると、状況は劇的に改善された。
擁壁が素敵だ~





現道を見下ろす。御岳トンネル入り口だ。
御岳トンネルは銘版によれば昭和61年竣功とあったが、やはりトンネル改修の時期であるようで、トンネル自体は昭和27年に開通していたようだ。





なので、この旧道は昭和27年(1952)まで現役だった事になる。
ちなみにこの旧道が開通したのは明治19年(1886)であるらしい。

(後編につづく)

  

東京都青梅市 都道旧道の御岳神社一の鳥居再訪・など(後編)

【14年7月13日探索・9月11日公開】


現在地はここ

激藪の先は静寂の旧道が待っていた。
すぐそこを旅人が歩いているような錯覚に陥るような雰囲気だ。





御岳山の石碑も、ひっそり。
たぶん久々の来訪者ではないだろうか。





これが一の鳥居だ。
明治19年以前、この旧道が出来る前はここから7、8m上の旧旧道上にあったそうだ。





このあたりの旧道はとても良い雰囲気なのだが・・・





現道のトンネルを巻くようにする線形に旧道は付け替えられたようだが、この先の日が当たる区間は激藪でとても進めるような状態ではなかった。





じゃあ、撤収前にせめて・・・
3枚上の画像の鳥居が明治19年以前に建っていたと思われる、7、8m上に存在する旧道はおそらくこれだろうと思う。
一応切通しがあるが、その先は獣道状態だった。





現在地はここ

それではスタート地点に戻って、今度はもう1箇所の気になった場所へと向かう。
今度は都道の反対側にその入り口がある。






ここがそうなのだが・・・
何だか道路の分岐のような場所だ。





現在地はここ

すぐ上は都道45号線だ。
都道に沿って多摩川べりに道路としか思えない平場が延びている。





線形的にはどう見たって道路なのだが、ここに道路が造られる理由がないのだ。
現・都道は2車線幅の近代的なトンネルでこの先の丘陵部分を抜けており、わざわざ多摩川べりの断崖に好き好んで新道は造らないはずだ。
では、現・都道が開通する前のパイロット道?・・・にしては(現道の開通は昭和27年)状態が良好すぎる。
たまたま道路のような形になった資材置き場?・・・見る限りそのようには活用されていないようだが。

国土変遷アーカイブの航空写真を見る限り、1974年時点で、この「疑惑の道路」があるようにも見えるが、判然としない。





そんな謎の「疑惑の道路」は100m強で終わる。
少なくとも夏場においてはそう見えた。

この場所についてご存知の方がおられたら、教えてくださ~い!!

(おわり)

  

山梨県富士河口湖町 樹海脇の怪しげなカルバート

【14年8月16日探索・9月12日公開】


現在地はここ

山梨県南都留郡富士河口湖町本栖 国道139号線を走行中のことだった。
私は精進湖から本栖湖方面に向かっていたのだが、この画像は停止し振り返ったところ、地図で言えば12時の方角を撮影した事になる。





同じ場所で進行方向に向き直り撮影した。
何か、左下に怪しげな空間がある事に気がついた。





ね、気になるよね。





道路をそれその気になった空間に近づいた。
人工的に造られた場所だと言うのはすぐにわかったが、何だろう?





しかも国道をくぐるカルバートまであるし。
このカルバート、なにやら年季が入っている雰囲気だ。





種明かしをしてしまえば、ここは東海自然歩道の一部であったのだ。
昭和40年代後半くらいに整備された箇所なのだろう。
見た目怪しげなカルバートだが、交通量の多い国道139号線を横断するよりはずっと安全だ。





でも、やっぱり怪しげなカルバートなのだった。





道路反対側は本栖城(武田氏ゆかりの城?)があったとされる城山一帯であった。

  

東京都板橋区 蚊多数の城址公園とオリジナル標識

【14年8月24日探索・9月13日公開】


現在地はここ
<このあと左折するがその方角は12時>

東京都板橋区赤塚 公園らしき遊歩道があるので、ここを左に入った。




看板があったが、「~広場」だけが辛うじて読み取れた。





先に進むと・・・
何だろう、両脇には行けないし、整備されていない雰囲気がいっぱいだ。





手つかずの雑木林という雰囲気の場所の先、右に登る階段があった。





広場があったが、雑草がひざ位まで生えていて、利用されている風にはあまり見えなかった。
が、ここがどうも中世の平山城であった赤塚城址公園であるらしい。

ここで私は相当数の蚊に刺されている事に気がついた。





こんな雑木林、急いで抜けねば!
デング熱が話題になる少し前の事だったが、足を中心に約10箇所刺され、この後数日間かゆみに悩まされる事になった。

ところで、この先の水のみ場なのだが・・・





古銭がモチーフ?
そもそも何と読むんだ??





そんな赤塚界隈だが、板橋区にはオリジナル標識が多いので、おまけにごらん頂きたい。






このほかにもオリジナル標識が何種類かはあるようだ。

  

山梨県富士河口湖町 青木ヶ原樹海内の国道の旧道にあたる道

【14年8月16日探索・9月14日公開】


現在地はここ

山梨県南都留郡富士河口湖町西湖 富岳風穴そばにいる。
以前、樹海内の旧国道を紹介したが、それより前の時代の旧道がここにもあったのだ。

最近私がハマッているサイト様のこの地図をご覧頂きたい。
左側が1928年~1945年の間(つまり戦前)の地図、右側が現代の地図になるのだが、富岳風穴の北東側約500mが明らかに今と道筋が違う。
ちなみに戦前は国道139号線はどうも県道であったっぽい。





現在地はここ

1枚目画像から5、60mほど10時方向に進んだ。
ここから右にそれていく小路がどうも旧道のようだ。
現在は、一応ハイキングコースになっているのだが・・・





いきなりこの看板の登場だ。
ここがその名所だって言ってるようなもんじゃん・・・
見てはいけないものは見ませんように・・・





入り口は人一人分の道だったが、少し進むと広くなった。戦前の県道は幅員3m~4m程度だったものと推測された。





また看板があった。
実際、この看板で思いとどまった人もいるかも知れないのでコメントは避ける。

ドキドキ感が高まった事だけは確かだった。





あまり詳しく調べていないがバスも通ったのかな。
今昔マップを進んでいくと本栖湖手前あたりから静岡県富士宮市人穴付近までは「荷車ヲ通セサル道」だったようだが・・・





期待もしていなかったが、やはり道路遺構は何もないようだ。





そして・・・





現道に合流した。
この先にもハイキングコースとしての樹海内の遊歩道が続いているが国道旧道とは関係ないようなので、探索は終了する。
とは言え、このシングルトラックの先、やっぱり気になるよね。
なので、ちょっとだけ行ってみた。





ここは前の画像から50mくらい入ったところだ。
ちなみに、遊歩道は直線距離で北側約1.5kmのところにある西湖野鳥公園までつながっている。

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の旧道探索など(その1)

【14年6月21日探索・9月15日公開】


まずこの地図を見て頂きたい。
神奈川県相模原市緑区日連、牧野地区の今昔マップだ。
現在では坂沢橋という立派なアーチ橋が架かっている場所付近、戦前の地図だと今と道の形がけっこう違っている。ちなみに、私が持っている昭和22年資料修正版5万分の1地形図でも同じ描かれ方をしていた。

そしてこの画像だが、探索の途中で見つけた坂沢橋説明板の地図部分である。

いまいち縮尺などが合っていないのと、赤沢付近にないはずの現道が描き込まれているのが気になるが、これを現代の地図に描き込んでみる。





それがこれになる(地理院地図を利用し描き込み)。概ねこんな感じだろうと思う。
ちなみに、探索開始時点で私は第1次道の存在はまったく知らなかった。





現在地はここ
<進行方向は5時>

なので、第2次道の探索である。
ここはバス停「赤沢」の分岐だ。ここを左に入る。





80mくらい進んだ先を右折する。





今度は突き当たり、また右折だ。





一応、舗装道が続いていた。





現在地はここ
<進行方向は8時、のち4時>

現橋のすぐ近く、いったん現道に出るがすぐまた離れていく。





未舗装の道がゆるやかに下っていく。





道は作業場のような場所で行き止まりになっていた。





橋のあったであろう付近を見てみたが、痕跡らしきものは発見できなかった。

第2次道は昭和11年から昭和31年までメインルートだったようだ。

(その2へつづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の旧道探索など(その2)

【14年6月21日探索・9月16日公開】


現在地はここ

第2次坂沢橋の旧道探索を終え、現・坂沢橋の隣にあった説明板を見た(その1の冒頭をご覧下さい)私は第1次坂沢橋の探索に急遽向かうのだった。

なので、またしても旧牧野街道へ入る。
この道は1時の方向に延びていた行き止まりと思える道だ。真ん中が階段の車道、好きだよ!
この道もあるいは旧道に関係する可能性があるが、追加調査が必要だ。新たに何かわかったらまた記事にしようと思う。





現在地はここ

道が二手に分かれる。
ここを右に入る。





橋脇の説明板を信じるならちょどこのあたりから第1次道、通称鍋割坂が右方向に延びている事になるのだが、その痕跡の発見には至らなかった。





その代わりといったら何だが、20mくらい進むと気になる道が続いていたのだ。

この記事の連載タイトルに「など」がついている事に違和感を覚えた方も居られるかと思うが、その意味は本日分の記事の、これからの「脱線」部分になる。

それではここから先、本来の探索とは関係ない脱線探索になる。





なぜか立ててあったプールのような大きな桶の脇を進む。





現在地はここ

地図には描かれていない道だ。
さすがに四輪は通行できないと思うが、バイクらしい轍がわずかながらあった。





その先にもガードレールも標識もないクリティカルな箇所があった。





ただの山道ではないと思われるのが、右の道路側溝の存在である。
夜間など絶対に歩きたくないと思うが、途中には何箇所かの街灯も設置されていた。
夜間でも利用者がいるのか??





沢沿いの道を進むと、先のほうに橋が架かっているようだった。





現在地はここ

よく地図を見たら、この橋は描き込まれていた。
それにしてもいやに華奢な感じだな・・・

何か真ん中につっかえ棒のようなものが見える。





欄干こそ金属製だが、橋自体は木製だった。





2枚上の画像で見えた「つっかえ棒」は機能していない事が判明した。

こんな橋でも一応利用者がいるんだろう。




橋の先の道路は地図に描かれている。
この坂の上には人家があるようだが、落ち葉が堆積しているこの道が利用されているという息吹を感じる事はできなかった。

さあ、面白い道を探索したところで、坂沢橋に戻ろう。

(その3へつづく)

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の旧道探索など(その3)

【14年6月21日探索・9月17日公開】


現在地はここ

現・坂沢橋までもどってきた。
現在の坂沢橋は平成7年3月に架けられたローゼ橋である。
で、この橋の右側に・・・





第3次坂沢橋(昭和31年架橋)の痕跡のアプローチ道がわずかながら残っている。
ちなみに、この第3次橋は道志発電所開設にあたり機械類の運搬などのために架橋されたのだが、バス路線は第3次橋の開通によってようやくもたらされたものであるという。





そのアプローチ道を現橋から見たところ。





ほぼ同じ場所から目を移すと、南側の橋台跡らしきものが見える。
が、雑草に囲まれてその全容はわからなくなっていた。





現在地はここ

約600mほど県道を南に進んだ。
ここはこの地図の第1・2次道南側始点と思える場所だった。
当然、左折はしてみるのだが・・・





どうも民家の敷地っぽく、遠慮がちになる。





それでも、地図が正しければこの先に何か痕跡があってもいいはずだ。
シングルトラックが続いているから、期待してイイ??





そんな期待は見事に外れた。
この家のものと思われるゴミ捨て場があって、その先は道があったとも無かったとも言えない状況だった。

ここも冬場に再調査が必要だろう。





現在地はここ

最後にもうひとあがき、藤野芸術の家方向へも行ってみたが・・・





地図どおりならこんな感じで旧道があった事になるが、それを思わせるものの発見には至らなかった。

今回、この地点の探索は敗北としか言えない結果になった。
気を取り直して、ここから1.5kmほど南側にある旧道へ行ってみよう。

(その4・最終回に続く)

  

神奈川県相模原市 県道76号坂沢橋の旧道探索など(その4・最終回)

【14年6月21日探索・9月18日公開】


現在地はここ
<3時方向を向いての撮影>

あれ?!
ここ、確かつい最近までミニ富士山があった場所なのだが・・・
残念、撤去されてしまったようだ。
グーグルマップではここにミニ富士山がある。





現在地はここ
<6時方向を向いての撮影>

ここでまた今昔マップをごらん頂きたい。
現在の、やまなみ温泉(旧地図では牧野村役場の場所)がある付近なのだが、戦前の旧地図ではこのあたりの道が明らかに現在と違うルートになっている。
そして、その分岐地点がいまいる場所になる。ここを左に進む。





戦前の県道と思しき道は、現在簡易舗装の生活道になっていた。





現在の県道は一段下の道になる。
この先、現県道は右を回り込むルート取りをする。





おもしろい分岐があった。
両端は上り、真ん中は下り。
私が進むのは真ん中のくだりになる。

左に、これまたユニークな石仏があった。





閻魔大王に見えなくもないが、私の不勉強のせいで何を表しているのかわからない。
怒っているような顔つきだが、何かユーモラスだ。





旧道は何かイイ感じで先に延びていた。





石碑のある突き当たり道を右折する。





神原邸という道しるべが建っていた。
戦国時代、今川家の家臣・神原徳兼の住居跡があるようだが、私はスルーしていた。





現在地はここ

30mくらいで県道517号にいったん合流する。
その517号は50mくらいで県道76号に突き当たるが、それがかつても県道であったルートになるようだ。

(おわり)

  

埼玉県飯能市 間野黒指訪問記(その1)

【14年8月30日探索・9月19日公開】


現在地はここ


埼玉県飯能市下直竹 県道221号原市場下成木線だ。
南高麗バス停のすぐ先を左折する。

この先の、行き止まり道がなんとなく前から気になっていたのだ。
県道から分岐の行き止まり道なのに、昔からバスが通っていたりもする。
バス通りもこの先は県道ではなく黄色い矢印方向の道になる。





「道路狭いのでスピード要注意!!」って何か控えめだな。
もっとストレートな表現でもいいのでは??





現在地はここ

弁天前バス停のほんのちょっと先に第一の目的地がある。





島田コンクリート工業という会社への橋だ。
この橋の隣に・・・





旧橋らしい廃橋が残っていた。





旧橋は木橋だったのだが「コンクリート工業」という名の会社なので、相当重量級の車の出入りが昔からあったように思える。
この木橋でその任務が全うできたのだろうか??





その先にも小さな橋がいくつか架かっている。





現在地はここ

バス通りを500mくらい進んでいくと・・・





上の画像と同じ位置で180度振り返る。
川の向こう側にあるのが、地図上の名前で気になっていた「石灰焼場跡」に違いない。

気になっていた場所なので行きたいが、川の向こう側なので橋を渡る必要がある。





幸い、近くに橋が架かっているので利用しようと思う。

それにしてもこの橋、車道対応であるようだが、いやに薄っぺらい・・・気のせいかな??

(その2へつづく)

  

埼玉県飯能市 間野黒指訪問記(その2)

【14年8月30日探索・9月20日公開】


現在地はここ

どうも個人架橋のように見える橋を利用させてもらい、目的の石灰焼場跡へと向かう。





第一印象、薄っぺらな橋だと
思ったが、まあやっぱり薄い。
とは言え、H鋼が桁になっている橋なので、乗用車程度の通過には問題ないのだろう。





道なのかどうかわからない微妙な場所を進むと・・・





歩道スペックの短い木橋が架かっていた。
そしてその先が石灰焼場跡である。





看板もそう言っていた。
慶長年間から明治時代までここで石灰が焼かれていた場所だ。





が、どれがそうだ??
あの、草で覆われたやつがそうなのかな??

いまいちよくわからないが、先に進もう。





現在地はここ

年季の入っているっぽい橋があった。





橋の名は不明、ここが林道三つ久保線の起点だが、地図で見る限りわずか200m強で終わっているようだ。





その先には平成7年竣功の正木入林道の正木橋も架かっていた。
どうもこの林道も500mくらいしか延びていないようだが・・・





最近、人里でも熊の出没が多いようで、こんな張り紙があった。





現在地はここ

切通しのほんの小さな峠があった。





その峠の50mくらい先には開通記念碑が建っていた。
この切通しのものであろうか。昭和6年に開通した歴史ある道であるようだ。

(その3・最終回につづく)

  

埼玉県飯能市 間野黒指訪問記(その3・最終回)

【14年8月30日探索・9月21日公開】


現在地はここ

また直竹川を渡る。
橋には名はなかった。
橋の手前右側には・・・





石仏があった。
観音様かなあ??





さらに200mほど進んでいくと、背の高い杉の木が、まるで関所でもあるかのように聳え立っていた。





杉の木のところ、右側に階段があってその上は神社だった。
山砥神社という、この黒指地区の氏神様であるようだ。





現在地はここ

そのすぐ先には欄干のない橋があった。
ちなみに、橋の先の綺麗な建物はトイレだ。





20mくらい進んでやや振り向いて撮影した。
ここが間野黒指(まのくろざす)バス停である。1日に6回飯能駅からのバスがやってくる。
驚いた事に、山間の小さな集落には立派すぎるとも言える待合所が設置されていた。

待合所はまた後で見るとして、もう少しだけ先に行ってみようか。





黒指の集落は20軒くらいあるように見えた。

この黒指地区では年2回「お散歩マーケット」という活性化もかねたイベントが開催されるそうだ。
都合が合えばちょっと行ってみたいと思う。

さて、そんな集落内だが、前方に小さな橋が架かっているようだ。





踏み板が設置されているだけの簡易的な橋だった。
流出防止ロープもないので、流れ橋でもない。

大雨の前には撤去するのだろうか??





その先の分岐で引き返した。
地図を信じれば、どちらに進んでも行き止まりとなるようだが、左の道は2kmくらい先にも集落があるように描かれている。





バス停に戻ってきた。
ヘタな鉄道駅の駅舎よりも立派な造りだ。

表札のような「国際興業バス 間野黒指停留所」と手書きで書かれている看板もなかなかヨイ。





床面は無機質なコンクリ打ちっぱなしではなく、なんとタイル貼りで、しかもそれが絵のようになっていた。
ベンチにはゴザが敷かれており手入れされている感がすばらしい。





このボックスは本が入っている(開けなかったが)。なんと無人図書館の機能まであるのか・・・
反対側には掃除道具も置かれ手入れが行き届いているというのがよくわかる。
ここ、単なるバス停ではなく本当に地域の人たちに大切にされている場所なんだなと感じた。
探険度は高くない場所だったが、黒指地区、けっこう気に入った。また来てみよう。

(おわり)

  
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