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群馬県下仁田町 国道254号旧道・Wikipediaの挑発に乗ってみる(その2)

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【14年7月6日探索・8月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54474183/img_0?1407942130

現在地はたぶんこの辺

緑が深い。
単に木々の緑のみならず、擁壁までもが苔によってに緑色である。
路面はアスファルトと枯れ草の色なのだが、それが何だかホッとする。




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カーブ地点に現れたのが「この先転落事故多し」の看板だった。
これはWikipedia「国道254号線」項目の「内山峠の旧道は急勾配で道幅も狭く、九十九折であったことも相まって、転落事故も多かったようである」という説明の注釈に「現在でも「転落事故多し」の看板が旧道のあちこちに残っている。」という記述があり、当たり前の事だが記述の通りに看板が残っていたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54474183/img_2?1407942130

洗い越しになっていた場所を過ぎると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54474183/img_3?1407942130

現道のバイパスが近づいてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/83/54474183/img_4?1407942130

ここはその連絡路である。
えらく無理のある連絡路なので、普通乗用車ではまず切り返しなしで方向を変えることは無理だろう。




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営業していないドライブインかな?
バイパスに移転した店舗の物置なおかもしれない。




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少し走ると現道との標高差がかなりついていた。




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現在地はここ

それでも再び現道と交差する。
いや、現在の道路状況からすれば合流すると言ったほうが正しい。

旧道らしき道は簡易バリケードの先の川沿いになるようだが、交通連絡員のお兄さんがこの画像のすぐ後ろにいて(内山峠通行止めのため?)、藪だらけの廃道に入って行くのは気が引けた。
もちろん本来の目的である「内山橋」の存在には注意を払って、廃道の先にもそれらしい橋がない事を確認した。

左折し現道に合流した。




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現在地はここ

このバイパス道は、橋もトンネルも機械的に1号、2号・・・というネーミングらしい。
そんな2号橋から左を見た。




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ん!!




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ガードレールと廃のオーラ全開の橋らしきものが見えた。
私のテンションが上がった。果たしてこの橋が探していた「内山橋」なのか?

(その3・最終回に続く)

  

群馬県下仁田町 国道254号旧道・Wikipediaの挑発に乗ってみる(その3・最終回)

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【14年7月6日探索・8月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_0?1408029204

現在地はここ

現道を下ってきた。2号橋からここまでの間では途中に入っていけるような道はなかった。

そして、現道1号橋のところで左手に廃っぽい旧橋を見つけたのだが、先ほど2号橋から見えた橋とは明らかに違う橋だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_1?1408029204

ちょうどここはバイパス道、旧道、廃道のジャンクションになっているようだった。
バイパスは新小屋場橋(昭和60年3月完成)を渡り下仁田市街地方面へ向かい、旧道を行けば小屋場橋を通り、その先約1.6kmほどには旧落合橋が架かっている。
そして・・・




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150度くらいのカーブで、これを曲がると・・・




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すぐに気になる橋の袂に着いた。
当然、すぐに親柱を確認する。




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この橋が内山橋だった。




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そしてWikipediaに示されていた通り「縣道富岡野沢線」の銘版も発見できた。
さらにはこの川が「市野萱川」だという事はわかったのだが、この橋の竣功年についての情報は得られなかった。




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しつこいようだが、この(ほぼ)廃橋は現道のすぐ隣に架かっている。

それにしても情報がなかったので、場所もわからなかったのだが、無事に発見できてよかった~。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_7?1408029204

それでもまだ2号橋から見えた廃橋が気になる。
この先、まだ行けるようなのでヘリオスに乗車したまま進む。




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舗装されていないようだが、これが現役当時からこうだったのかどうかは不明だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_9?1408029204

右カーブを曲がった先に、橋が見えて来た。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_10?1408029204

このガードレールのある橋こそが現道2号橋から見えた廃橋だった。
橋の名は荒船橋、竣工は・・・昭和50年3月だった。
昭和50年と言えば既に現道の内山道路の工事には入っているので、その工事に伴う架け替えの橋である可能性もある。

いずれ再調査に必要もあるかも・・・




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最後に内山橋と荒船橋が描かれている地図を載せておこう。
この地図は「今昔マップ」というサイト様内のものを拝借、加工しているが、元の5万分の1地形図「御代田」は、内山隧道が描かれていた(昭和53年供用)事から、おそらく昭和56年発行版であろうかと思われる。

(おわり)

  

埼玉県吉見町 特徴ある2つの小さな橋

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【14年7月27日探索・8月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/93/54477393/img_0?1408114459

現在地はここ
<3時の方角を向いて撮影>

埼玉県比企郡吉見町今泉 県道271号今泉東松山線だ。
荒川方向を向いて左側に小さな橋が架かっているのが見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/93/54477393/img_1?1408114459

お!
こりゃ、木橋じゃん。
しかも30mくらい先、田んぼの水路を跨ぐ位置にも橋が架かっているぞ!


まずはこの橋を渡る。何の警戒心もなく・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/93/54477393/img_2?1408114459

ギャッ!!

最後の1歩にしてやられた。
橋の北詰側なのだが、床板部分の木が腐っており、足がめり込みかけた。
こうやってよく見れば、けっこう要注意な橋である事は明白なのだが、県道側からだと雑草が違和感なく生えていてまったく気づかなかった。




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さて、もう一つの橋だ。
田んぼのこの位置に架かる小さいながらもトラス橋、順当に言えば水路橋か・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/93/54477393/img_4?1408114459

近づいてみて少なからず驚いた。

人道橋だよ、これ。しかも旧橋らしき木橋も架かっている。




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もちろん渡ってみた。
全長ほぼ2m、幅員約22cm、上路トラス構造の橋だ。

幅員に関しては羽生市のこの橋といい勝負だ。

羽生の橋もそうだったのだが、この橋にも肉球のある利用者の跡があった。

  

群馬県下仁田町 上野鉄道の明治隧道跡

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【14年7月6日探索・8月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54479096/img_0?1408199603

現在地はこの辺

群馬県甘楽郡下仁田町馬山 国道254号線から少し寄り道をするような場所に目的の場所はある。
この先の横断歩道のあたりを左折する。

実は以前から、上信電鉄には上野鉄道時代の旧隧道が現存しているらしいと言う情報は得ており、4年以上前に訪問していたが、机上探索の甘さゆえ2本あった隧道の下仁田寄りの現役隧道周辺を探索し失敗していた。

今年になって大御所さんが「山行が」でこの隧道をレポしていたので私も後追いながら拝みたくなった。

ところで、この山(浅間山?)岩に穴が開いてるぞ!




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行ける筈はない。
とりあえずズームアップしてみた。




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この先で道は大きくカーブし、180度向きを変える。




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そして平成15年竣功の赤津橋にて鏑川を渡る。




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200mほどの上り坂が終わる頃、左に分岐があった。
これを左折すると・・・




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現在地はここ

線路が見えた。
ちょうどこの直前に上りの高崎行列車が通過していた。




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ガード横から築堤をよじ登り線路脇に出た。
ここから約150m、さっきの列車が2つ先の南蛇井(なんじゃい)で下り列車と交換したとして、どんなに早くても7分は列車はこないはずだ。
線路内に立ち入るつもりはないが、怪しげな行為は見られたくないので大至急の行動にする。




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31.5kmのキロポストの先に見えて来た・・・




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実は列車の車窓からも丸見えの場所だった。明治30年使用開始の煉瓦隧道である。

何度か下仁田には来ていたのに何で気づかなかったのだろう?




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しかし・・・
夏場に来るものではないな。
坑口巻立ての4連煉瓦アーチの状態は上からの草でよく見えなくなっており、地面は雑草でいっぱいだった。
私は昨年秋以来イラクサには慎重になっており、今回もイラクサらしい草が多数見えたので内部への強行侵入はやめておいた。

以上、後追いなのに不完全なレポでした(汗)。

  

東京都世田谷区 環七をくぐる激狭地下道(前編)

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【14年8月9日探索・8月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54481089/img_0?1408288142

今回向かったのは新宿から京王線の各駅停車で2つ目に停まる「代田橋」である。
特急、準特急、急行、区間急行、快速という5種類の優等列車はいずれも停車しない。
そうは言っても新宿から2つ目(新線を入れると4つ目になる)の駅なので、日中で言えば10分間隔で乗車チャンスはある。

そんな代田橋駅、南口に降り立った。




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現在地はここ
<8時の方角を向いて撮影、この後の進行方向は3時>

住所で言えば東京都世田谷区大原2丁目になる。
日曜日の午前中とは言え、駅前とは思えないほど人がいない。




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回れ、右!
目的地方向へと進むのだが、やはり駅前にしては人がいない。




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100m弱で商店街は終わり、交差道路が現れた。
その左右には北沢土木管理事務所のA型バリケードが設置されていた。

この先(左折することになる)に行ってみると・・・




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玉川上水が開渠な場所に出た。




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ちょうど私がいた橋の2mほど先からは暗渠である。
玉川上水自体は1654年完成と言われているが、こういった構造物がいつのものであるか不明だ。




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私がいた橋は「ゆずり橋」といい、構造的には煉瓦アーチ(に見える)かも。
この橋は玉川上水が実質復活した昭和61年(1986)頃に架橋された可能性が高い。




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現在地はここ

ゆずり橋のところから下流側は暗渠になった玉川上水の上の部分が緑道公園になっている。
そんな公園の途中で見つけたのは三毛猫だった。




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猫がいた位置からいったん引いた画像を撮る。

ここでの注目は右手にある建物だ。




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見るからに古そうなアパート(に見える)に注目したい。
入り口に外れかけの門がある。この門の板の状態からすると人は住んでいない可能性もあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54481089/img_10?1408288142

表札が2枚あった。
「御下宿」・・・アパートじゃないのか??
かまやつひろしやかぐや姫の歌に出てきた昭和の下宿屋になるのか?

でも、見せたいのはこれじゃなく、もう1枚の表札のほうだ。




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代田荘、ネーミングは別にいい。
その住所に・・・絶句!
東京市という事は、正確には「東京府東京市」という事になり、それはまさに戦前の建築を示すものだった。




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緑道に戻り、進む事40m、目的の地下道が見えて来た。

(後編につづく)

  

東京都世田谷区 環七をくぐる激狭地下道(後編)

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【14年8月9日探索・8月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54482879/img_0?1408375358

現在地はここ

遠望した印象では、入り口はそれほどの違和感がなかったが、やっぱりかなり狭そうだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54482879/img_1?1408375358

この地下道、正式名は玉川上水緑道環七横断地下道という。

では、激狭地下道へと参ろうか。




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階段&スロープ部分もお世辞にも広いなどとは言えない空間なのだが、その先はさらに狭そうだ。




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ヘリオス号を連れてくればよかったな・・・
幅はちょうど私が両手を広げたくらい、1.5mといったところか。
また、高さのほうも尋常ではない低さである。地上からパイプまで1.75mくらいか。

大雨時には水没して通行できなくなる旨を知らせる張り紙もあった。




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おまけに、何だか歪んでいるような気が・・・

ここはおそらく環七が本格的に整備された、昭和39年ごろに造られたのではないかと思われる。
何本かパイプがあったが、水管や電話、ガスなどの生活インフラのものであろう。さらには玉川上水もこの空間の外側に無理やり押し込められているはずで、相当無理をして造ったのが素人目にもよくわかる。




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反対側出口手前には何やらアーチの一部のようなものがあった。




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反対側に出る。
私は人のいない瞬間を狙って撮影したのだが、こんな怪しい空間なのにけっこう利用者が多いのだ。




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出てから振り返った。
アーチは玉川上水に関するものだろうが、本当に何だろう?
この向こう側に橋の跡がある(後述する)が、そのアーチ部分でもないようだし・・・




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玉川上水緑道はこの先約200m、渋谷区との区境付近まで続いている。




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そして、地下道の上には橋の跡が残されていた。
玉川上水が暗渠化される前にはここが橋として機能していたのだろう。
橋の名は大原橋、昭和27年3月竣功だった。

(おわり)

  

埼玉県皆野町~長瀞町 秩父鉄道廃線跡さんぽ(前編)

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【14年6月1日探索・8月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/74/54484674/img_0?1408463026

現在地はここ

埼玉県秩父郡皆野町金崎 秩父鉄道は明治44年開業時から大正3年までの間、皆野町金崎付近にあった初代秩父駅が終点だった。その場所がなかなか特定できないのだが、長瀞駅付近から初代秩父駅付近までの廃線跡が道路になっているので、軽くおさんぽしてみようかと思う。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/74/54484674/img_1?1408463026

線路はもちろん残っていないが、どことなく鉄道らしい雰囲気が残っている。




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現在線をくぐる。
現在線は大正3年に現・秩父駅までの区間が延伸になったが、その際に長瀞駅から先は線路を新設し、旧線(私がいるこの道路)は貨物線となった(大正15年廃止)。

なので12年間だけ、ここで立体交差が見られたはずだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/74/54484674/img_3?1408463026

銘版があったのだが、何重にも塗られたペンキのせいか、解読できなかった。




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ちょうど急行秩父路が通過していった。




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いかにも線路があったという感じのカーブである。

この先をいったん左折し、上長瀞駅方向へ行ってみる。




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上長瀞駅前だ。
駅前、やたら広いな・・・




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そんな上長瀞駅前から国道140号線までの152mが、県道204号上長瀞停車場線に指定されている。
踏切内の「すりかえ不可」って・・・方言かな?




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踏切の先、約100mで国道に当たって県道204号線は終点となる。

(後編につづく)

  

埼玉県皆野町~長瀞町 秩父鉄道廃線跡さんぽ(後編)

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【14年6月1日探索・8月21日公開】

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現在地はこの辺

廃線跡の道路に戻ってきた。
このあたりの道幅が広いのだが、線路本数などとの関連性はわからない。




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鉄道跡らしく、明らかに枕木とわかる木の柵があった。




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ここには特筆すべきものはない・・・街灯の支柱が曲がっているように見えるが、大した問題ではない?




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4月ごろには桜で綺麗であろう道が、単線の廃線跡の雰囲気をよく残していた。




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現在地はここ

現在線が見えてきた。
廃線跡さんぽはこれにて終了!

だが、この先を右折し石畳方向へ行ってみようと思う。




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しかし通行しようとした橋はなぜか通行禁止になっていた。
川の近くは危険です。注意しましょう。という看板が建っているが、橋の通行禁止については触れられていない。
人が通るくらいの強度には問題ないように見えたのだが・・・

ちなみに、この橋のすぐ脇の建物はみやげ物屋だったと見られる廃墟だった。




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別ルートから石畳に向かえばよかったのだが、その気が起こらず、この遠望画像だけでこの場所から立ち去った。

(おわり)
 

相模原市緑区にいた猫

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現在地はこの辺

神奈川県相模原市緑区寸沢嵐 国道412号線からなんとなく脇道にそれた私は、前方に何かがいるのを見つけた。




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猫だった。しかも2匹も!




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白のブチ猫のほうには、警戒されてしまった。




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茶トラ白、好きだよ~
しかもこのライオン座りがなかなか凛々しくてヨイ!

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その1)

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【14年6月29日探索・8月22日公開】

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この地図は日本鉄道旅行地図帳 関東2(新潮社)から引用した。

山梨県甲州市付近の地域には、かつて多数の林鉄や石材軌道が敷かれていた。

今回私が着目したのは三塩森林鉄道になる。ハイキングコース上に線路が残っている事で有名でもあり、ウェブ上でもそれ相応の探索記が見られる。
しかし、そのほとんどが広瀬ダムよりずっと奥の、線路のある、いわばハイライトゾーンばかりであり、塩山駅方向の情報が極端に少なかった。
なので、自分の目で確かめてみようと思った次第だ。

この日も塩山駅からスタートはしているが、途中、石材軌道と重複する区間については探索済その1探索済その2をご覧頂くとして・・・


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現在地はここ

森林鉄道と石材軌道が分岐する地点でもあった、この隧道からのスタートとなる。
昭和8年の隧道だというのだが・・・




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1年半前と、状態が変わっていないようだ。
末永く、通行可能である事を願うのみだ。




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このサイズ感がいいねえ。




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いよいよここから先が初めて見る場所になる。




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しばらくはこんな細道として活用されていたが、500mくらいでいったん見失った。




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現在地はここ

ここから左折すると、軌道跡と重なる道がある。




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この後体育館左を通る道が軌道跡である。




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普通の車道の間にいかにもな感じの道がある。




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レール自体は残っていないのだが、この切れ目がレールを彷彿とさせる。




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現在地はここ

車道を横切った先にはまた細い道が続いているようだ。
何か看板があるようだが・・・




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看板は、ここが三塩軌道の跡である事を示すものだった。
この先、しばらくの間、軌道跡の雰囲気が楽しめるような意味の事も書かれていたので、私のテンションは少し上がった。




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そして、いきなりこんな雰囲気充分の石垣が出迎えてくれたのだった。

(その2へつづく)

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その2)

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【14年6月29日探索・8月23日公開】

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現在地はここ

入り口近くのウエルカム石垣は30mくらい続いていた。
空積なのがイイ感じだ。




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しばらくこんな果樹園の縁のような場所を進む。




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現在地はここ

よく見ると5差路になっている「交差点」だ。
右の方に何だか見慣れない標識が・・・




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ズームアップして驚いた。
「猫注意」の補助標識まであるぞ!

ここは「かざはな」というパスタ屋さんである。
きっと人懐っこい猫がいるんだろうな。猫の日向ぼっこを見ながらパスタを食べるのも悪くないかも。。。




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その先で軌道跡は車が通れない「狭隘区間」になる。




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こんな狭い感じの場所の方が、森林鉄道っぽくって逆にいいかも・・・




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ここなどは益々林鉄である。




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そんないい雰囲気の道はそう長くは続かなかった。




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上の画像と同じ場所で振り返るとこんな光景になる。
これで、まだほとんど市街地の場所なのだ。




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先に進むと、シングルトラックからダブルトラックへ、路面が変化した。




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さらに先に進む。
森林っぽさは急になくなり、視界がやたらひらけてきた。

(その3へつづく)
  

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その3)

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【14年6月29日探索・8月24日公開】

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現在地はここ

現役当時は「踏切」だったであろう場所だ。
ここは線路(跡)のすぐ隣が・・・



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神社の鳥居となっている。
八坂大神社、この地域の氏神様となっている。京都の八坂神社を勧請し創祀したと伝えられているが、創立年代は不詳だそうだが、300年以上は歴史があるようだ。




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その先も元軌道の道は、軽トラサイズの舗装路になって果樹園の中を突っ切っている。
左側に何か境界柱のようなものがある。山梨県だったら軌道関連かも!




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私の予想を裏切って、それは農林省のものだった。
三塩軌道は山梨県の事業だったと聞いているのだが、もしかしたら農林省直轄だったのか??




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けっこう、このあたりだってレールはないものの、充分雰囲気は残っている。




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この先、柚ノ木発電所の手前で軌道跡はいったん車道に合流する。




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現在地はここ(中心点)

200mほど車道を走ると、その先にまた軽トラ道が直線的に延びている。
これが林鉄跡で間違いない。




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石垣、すごいな・・・
昭和6年に開通したはずなので、もう80年以上経っているかもしれない軌道跡の擁壁だ。




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って、ほめていたら、崩落寸前の箇所もあった。




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だんだん鬱蒼としてきた。




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現在地はここ

あれ?軌道跡は??

上は民家で、下は急勾配で県道に出る。

やっぱり、あの激藪道がそうなのか??




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激藪だが、一応進んでみる。
ガサ、ゴソ・・・




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10mほど進んだら、軌道跡である事が確認できた。
しかし、この先にもまた藪が見えたので、いったん撤収する事にした。

このままあと100mも進めば、沢を渡る部分に痕跡が期待できそうだったが、お預けになってしまったようだ。

(その4へつづく)

 

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その4)

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【14年6月29日探索・8月25日公開】

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現在地はここ

今私は笛吹川右岸(地図では川の左側)にいる。
林鉄跡はこのあたりではずっと左岸(地図では川の右側)を走っており、私もずっと左岸を辿ってきたのだが、前回最後の画像からの約3km区間には遺構と呼べるようなものを発見できず、記事上では思い切ってここからの再開とする。

こちら側に渡ってきたのは、スポーツドリンクの補充のためだったのだが、この道、国道140号線の旧道であるようで、何やら古びた標識や看板が残されていた。




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この「注意 CAUTION」標識は今でもたまに見かけるが、朽ちた白看(目的地案内は乾徳山と川浦?)や「肩組むな あぶない車の通る道」といった現代ではやや意味不明の標語の看板は珍しかった。




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現在地はこの辺(中心地)

左岸(地図では川の右)に戻ってきた。
ここは舗装路だがこの社宅のような所の先が林鉄跡のはずなのだが・・・




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先にゲートが見えて来た。
せっかく再開したのに、これでもう終わりか??




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ゲートは野生動物の通過防止用だった。
なので、私が通過した後に、また慎重に扉を閉めれば大丈夫だった。
よかった。




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お!!

いよいよ雰囲気が増してきた。




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現在地はここ(中心地)

沢があった。そしてそこには橋が架かっていた。
一応、どんな造りかを見てみよう。




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下は鉄パイプ製??

いや、ちょっと待て!!
これは・・・




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鉄パイプで補強されまくっていて、満身創痍な状態だが、これこそ林鉄の木橋が現存しているとみて間違いないと思う。




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石垣の橋台もまだ健在で、そこに乗っている縦方向の木の桁と枕木方向の部材が、おそらく往時のままであろう。
私のテンションは明らかに上がった。




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補強が無ければすでに崩落しているであろう木橋だが、もうそんなに長い時間この形状を留めている事は無いと思う。
見たい方は早めの訪問をお勧めする。




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では渡橋しよう。

これだけ補強してあっても、部材部分の土被りは2箇所ほど欠落している。
元々は機関車が入線していたはずの路線だったが、現在もし重量制限を課すとすれば0.1tがせいぜいかも・・・

(その5へつづく)

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その5)

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【14年6月29日探索・8月26日公開】

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現在地はこの辺

レールこそ完全に撤去されたようだが、林鉄の雰囲気はまだ充分に残っている。



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特にこんな地形であればなおのことである。
路肩部分は石垣で施工されており、80年以上経っても強度は充分保たれているように見える。




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いくら林鉄跡だからって、軽トラだって絶対に入れない区間だ。
それでもなぜか、車道用のガードレールが設置されている場所があった。




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小さな切通し区間だ。
何やら横方向に延びているのは、排水路であるっぽい。
この上部には畑か炭焼き窯でもあったのだろうか。




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左側の路肩、3分の1くらいが欠損していた。
そして、そのちょっと先が・・・




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現在地はたぶんこの辺

カントリーサインは設置されていないが、おそらくは山梨市と甲州市の市境の小さな谷であろう。
で、この先の様子が・・・




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ここに絶対に架かっていたはずの、橋がなくなっていた。
画像がまだらでわかりにくいかと思うが、写っているのは対岸の橋台である。




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しばし、ひとり作戦会議・・・

ヘリオス号はここで待機させ、私が単独でこの先に行く事にした。

この谷に下りる。




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谷の上流側から橋が架かっていたところを見た。
北側の橋台はほぼ原型のままだが、南側が何だかわからないほど崩れていたのだった。
橋自体はここもおそらく木橋だったと思うが、その残骸らしきものは発見できなかった。




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単独なのでこの程度の谷の迂回だと2分しかかからなかった。
北側から見ると、まだ辛うじて橋台だったことがわかった。




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もう少し引いた画像がこれになる。

現役時代の雄姿が見たかったなあ、と思わせる遺構だ。

さあ、先に進むぞ。回れ、右!

(その6へつづく)

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その6)

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【14年6月29日探索・8月27日公開】

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現在地はこの辺

ヘリオス号は欠落した橋梁手前で待機させたので、身軽になった。
ただ、この区間を抜けたところで、もう一度戻ってこなければならなくなった。




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橋欠損地点以北では、多少の崩落はあるものの、比較的保存状態は良い。




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林鉄では珍しい事ではなかったろうが、路盤の幅だけが崖の途中に無理やり造られた、こんな感じの区間もあった。
縦の筋は何だろう?レールではないと思うが・・・




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こんなクリティカルな場所で崩落があったりすると、さすがに通過には慎重を要する。




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さらに崩落で中規模の欠損区間が現れた。
これは当然谷の方へと迂回する。
単独なので両手も使え、さほどの苦労も無く通過できたが、ヘリオス同伴だったらさぞかしイヤな場所になったろう。




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路盤だったはずの平場だが、かなり大きな木が生えていた。
廃止後ほぼ半世紀(昭和40年廃止)経っている、時間の流れを感じさせる。




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上の画像と同じ場所で路盤を左側から見た。
路肩の空石積みの石垣は、開通時のものであれば施工後80年以上経っている事になる(開通は昭和6年)。
それでもまだほぼ完全な形で残っていた。




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適度な崩れ具合の平場を進んでいくと・・・




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先の方が明るくなってきた。




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藪をガサゴソと進む。
この藪を抜けると・・・




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現在地はここ

舗装路が迎えに来ていた。
この先に見えるネットはスポーツ広場のものである。

ここから先、少しの間は林鉄痕跡が期待できそうにない。
今来た道を戻り、ヘリオス号を回収し、この少し先の区間から探索の再開としよう。

(その7へつづく)

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その7)

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【14年6月29日探索・8月28日公開】

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現在地はここ

笛吹川に架かる「滝見橋」までやってきた。
この橋の近くで軌道は笛吹川を渡っていたはずで、数年前までは橋脚が残っていたそうだが、その痕跡を発見する事ができなかった。

見えたのは・・・この橋名の由来となったであろう、どこかかわいそうな感じの滝だけだった。




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その3分後、ゲリラ豪雨とも言える強い雨に見舞われた。
スマホを取り出しyahooの「雨雲ズームレーダー」ともにらめっこしながら、しばし雨宿り・・・




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現在地はここ

結局、探索再開まで50分ほど要してしまった。
この50分の遅れは大きい。それに、探索は再開したものの、ヘリオス号には泥除けが付いていないので、ちょっとした水溜りでも慎重に通過しないと背中が泥だらけになってしまうのだった。ゆえにさらに遅れが増大しそうだった。
さらに相まって、この先にも予測される未舗装区間へは行かないほうが良さそうなほどの雨だった。
なので、この先の適当なところで探索は打ち切る事にした。とりあえずは前進する。

この橋、名前が新三之橋といい、国道140号線の現道の橋梁と同名である。
ちなみに「三之橋」は国道旧道に架かる橋だ。
国道橋はとなりに架かる橋ではあるが、その歩道の橋という訳でもない。

なぜ同名なのだろうか??




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橋の先は右折になる。
林鉄軌道ラインはこのように突き当たりを左右に延びていたようだ。




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突き当たり、左を見る。
これが軌道のラインという事になる。




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そして右折する。
轍は完全に川になっていた。




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軌道跡らしいゆるやかな登りを進む。
この右側のカーブミラーだが・・・




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平成17年に山梨県が設置した事になる。
この道は国道140号線旧道にあたる道なのだろうが、少なくとも平成17年には国道や県道ではなかったはずだ。
となると、県有林道?
だとすれば、森林鉄道とも関連がありそうだ。




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気になる桟橋を見ながら通り過ぎる。




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ゆるやかな見通しの良い道を進んでいく。




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山梨市設置の落石注意看板があった。
やはり県は関係なしなのか??




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そして、そのすぐ先には祠があった。
軌道があった頃にはどのような光景だったのだろうか??

(その8・最終回につづく)

  

山梨県甲州市~山梨市 三塩林鉄跡・第1次探索(その8・最終回)

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【14年6月29日探索・8月29日公開】

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現在地はたぶんここ

橋があった。名を石間草沢橋といい、昭和53年竣功である。

もうひとつこの橋には情報があって、銘版の1枚に「上釜口南線」という、この道路の路線名が書かれていたのだった。山梨市道なのだろうが、元は山梨県が絡んでいた(林道?)可能性もあった。

一応、橋の下を覗いておこうか。




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桁の下に何かあるぞ!!




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それは紛れも無く、旧橋の遺構、それも相当高い確率で林鉄の遺構である。
近づきたかったが、容易に近づけるルートはないようだった。




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その先は、また、いかにもな線形のゆるい上り坂である。




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一の釜入り口を過ぎると・・・




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また橋が架かっていた。
今度の橋から得られた情報は、この橋の竣功(昭和54年3月)に関するものだけだった。

この橋の横には・・・




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見事に橋台が残されていた。
これも林鉄遺構の可能性が高い。




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釜口集落に入った。




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現在地はここ

釜口橋だ。
ここで第一次探索を終了する事にした。




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第二次探索は橋の先、ここからのスタートになろうか。
そう遠くないうちに訪問しようと思う。




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そう思いつつ、釜口橋から見える発電所施設もまた気になっていたりもしたのだった。

(おわり)

  

神奈川県山北町 駅前県道・歩道の違和感

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【14年8月3日探索・8月30日公開】

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神奈川県足柄上郡山北町谷ヶ JR御殿場線谷峨駅舎と駅前広場になる。
このように駅前が舗装していない光景は首都圏では大変珍しい。
飲料の自販機が2台も設置されているが、駅は無人駅である。




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現在地はここ
<現在地より7時の方角を見て撮影>
<次の画像は11時の方角を見ての撮影>


そんな駅前広場から隣接する道に出た。
県道728号谷峨停車場線だ。

ここでの注目は右側の歩道になる。
駅から南側はさほどの違和感はないのだが・・・




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北側になるとおかしい。
谷峨駅前が本道で一番標高が低く、車道はその地形に忠実になっているが、歩道はほぼフラットである。
結果、車道と歩道の高さが1mほども違う箇所があるのだった。

歩道でバスを待っている人がバスに乗る際には相当苦労するだろう。




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歩道はずっと続くのかと思ったら、もう少し先でぷっつりと途切れていた。
北側から知らずに歩道を歩いてきた人がいたら、少なからずあせるだろう。




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その歩道終点から車道に降りるための階段はない。
高さの差は約50cm、まあ健常者なら飛び降りても問題ないと思うが・・・

  

埼玉県さいたま市・志木市 秋ヶ瀬橋旧道(その1)

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【14年8月24日探索・8月31日公開】

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埼玉県さいたま市の荒川に架かる橋には上江橋旧道治水橋旧道など、旧道の痕跡が残っている橋がいくつかあるのだが、灯台下暗しというか、自宅からそう遠くない秋ヶ瀬橋にも旧橋のアクセス道があるらしい事がわかった。
真夏ではあるがさっそくそれを確かめてみようと思いやって来た。

現在地はここ
<撮影方向、進行方向とも8時>

埼玉県道40号さいたま東村山線の、秋ヶ瀬橋手前の信号脇に側道のような道がある。
ゲートがあるが自転車なら脇から普通に入れる。行ってみよう。




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道は少しずつ下っていく。




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そして駐車場になった。
これが旧橋のアクセス道だった場所か??
おかしいな・・・




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現在地はここ
<撮影方向、進行方向とも2時>

違和感を感じながらも県道の方向へ戻る。
下ってきたのと違う、細い道があるのでこれで戻ろう。




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ほどなく県道に戻ってきた。




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今登ってきた細い道を少し余分に浦和方向に行ってから振り返り撮影した。
ここ、いやに広いスペースがあるな・・・

木が生えている、その向こう側が怪しい。




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現在地はここ

前の画像から、県道を志木方向に50mくらい進んだ。
やはり、その左側に本当の旧道があった。
さっきこれかと思っていた駐車場はやっぱり違う場所だった。

そうとわかれば、改めて探索開始!




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旧道にあたる道にはまともな道は接続していない。
こんな藪をかきわけながら進む。




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ようやく本来の旧橋アクセス道に立てた。

(その2へつづく)

  

埼玉県さいたま市・志木市 秋ヶ瀬橋旧道(その2)

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【14年8月24日探索・9月1日公開】

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現在地はここ
<撮影方向:1枚目画像は2時の方向、2枚目以降は8時の方向>

廃道に進む前に、いったん振り返った。




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それでは前進しよう。
アスファルトは残っているが、どうもかつての旧道の幅分は無いようだった。




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少し進むと道幅だったラインが見えてきた。
秋ヶ瀬橋の現道は昭和57年(1982)開通であるようなので、この旧道は30年以上放置されている事になる。
・・・にしては、あまりくたびれていないような印象だ。




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センターラインが残っていた。
黄色の実線の上に白の破線が引かれたように見えた。




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その先には「40高中」の速度制限が表示されていた。
電信柱も放置されたままであるようだった。




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廃道はここで終わる。
この先が橋だったのだろうが、橋の痕跡は残ってないようだった。



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戻る前に・・・
戻る方向を向いて撮影しよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54504745/img_7?1409498034

県道40号現道で反対方向へ向かう。左側に旧道がけっこう目立っている。

これまで私がなぜこの旧道の存在に気づかなかったのか。
それは、ここを通るときには必ず上流側に設置されている歩道を通行していたからに他ならない。




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左側に盛り上がっているのが旧道の築堤である。
その先、右側がかつての橋のラインになる。




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橋脚の1つでも残っていれば、という淡い期待はしてみたが、そんなモノはまったく無いようだった。

(その3・最終回につづく)

  
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