Quantcast
Channel: 埼玉発 おとなの小探険
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その2)

$
0
0
【14年5月4日探索・7月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_0?1406216121

倉明トンネルの横から、芋平沢沿いの管理歩道(たぶん)の階段を登っていく。
昨年秋からこれで4回目、今日こそ決着をつけようと思っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_1?1406216121

現在地はここ

トンネル脇から17分後、芋平沢が角度を変える箇所、1段目の大きな平場に着いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_2?1406216121

この1段目の平場からでも行けるかもしれないルートが、描き込んだイメージのように存在している。
1月の探索時にはこのルートを使って、尾根の上までは到達したのだが、結果的には敗退していた。
急な岩場を通過するので、再アタックにこのルートを行こうとは思わなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_3?1406216121

なので、もう1段、芋平沢横を登っていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_4?1406216121

2段目の平場に着いた。
この平場に、地図に無い隧道がある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_5?1406216121

現在地はここ
<この先地図には何も描かれていないので、航空写真モードにしています>

1段目から12分、倉明トンネルからだと29分を要しここまで到達した。
扉に鍵がかかっているのを確認し、山越えの覚悟を決めた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_6?1406216121

トンネル右から入山する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_7?1406216121

現在地はこの辺

こんな道も構造物も無い山の中の画像を見せられても面白くないと思うが、実際は一番大変な箇所なのだ。
見上げて撮影したためか、あまり急に見えないかもしれないが、斜面はけっこう急なので、ルート選定は慎重に行った。
あの大崩落みたいに木もない場所ではなかったが、それでも一歩間違えれば数メートルの滑落の危険があった。進行も四足で重心を低く・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_9?1406216121

植生が変わって、明るくなってきた。
このあたりから、なんとなくだが、踏み跡っぽいものが見えてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_10?1406216121

いよいよ、どこかに出るようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/86/54439486/img_11?1406216121

現在地はここ

ついに到着した。地図上では直線距離でわずか200mほどの、2段目平場のトンネル横を出発してから41分が経過していた。
ここが滝沢ダム工事の原石山の隅っこであるようだ。

(その3へつづく)

  

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その3)

$
0
0
【14年5月4日探索・7月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_0?1406300301

現在地はここ

ここは原石採取箇所であったのだろうか?
かなり広大な平たい荒地になっていた。
将来は公園にする計画があるとも聞くが、現状だと、道路を開放したとしてもかなりアクセスが悪い。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_1?1406300301

反対側を見ると、そこは山を削っていたギリギリの場所だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_2?1406300301

下から登ってきた場合、この場所が一番奥なのかと思ったら、まだ先に道があるようだ。
当然、行ってみる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_3?1406300301

半すり鉢状になった、平地を巻くようにして道路が延びていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_4?1406300301

現在地はこの辺

このあたり、どの地図を見ても道など描きこまれていない。
しかしながらちょうどこのあたりまで、確かに道路が延びていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_5?1406300301

ほぼ同じ場所で振り返る。
半すり鉢の平地はグラウンドにでもなりそうな広さだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_6?1406300301

現在地はここ

最初に到達した大きな平場まで戻り、今度は倉明トンネルを目指して道を降りていく。
ここから先は舗装されたガードレール付の道路で、地図にはこのあたりから道路表記がある。
yahoo地図だと付近に分岐がある事になっているが、私はそのような道を発見できなかった。
地図が作られた時と現在では道路が変わってしまった可能性もある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_7?1406300301

工事用道路でしかなかったのだが、路面は丸型滑り止め施工となっており、ガードレールも設置されていた。
道幅はダンプカーが離合するにはかなり困難な5m程度だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_8?1406300301

急坂ゆえか、非常の時に突っ込んで停止できる場所があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_9?1406300301

ここ、カーブも急だが、道幅はやたら広い。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_10?1406300301

現状で、月あたりどのくらいの車が通過するのだろうか?
このままだと廃道化が進んでいきそうな匂いが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/43/54440943/img_11?1406300301

現在地はこのあたり

非常停止帯の先に、分岐らしき箇所があるのが見えてきた。

(その4へつづく)

  

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その4)

$
0
0
【14年5月4日探索・7月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_0?1406387760

現在地はここ

分岐をまずは左に行ってみる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_1?1406387760

地図(航空写真)読みで分岐地点から約170m先にトンネルがある。
ここはそのアプローチ道になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_2?1406387760

ダンプカーのものであろう轍が残っているが、現在でもたまに車が通るのだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_3?1406387760

現在地はここ

トンネル坑口までやって来た。

ここは以前の探索で来た事がある。その時点ではこのトンネルの建造目的よりも、地図に無いトンネルの発見で喜んでいたのだった。

このサイト資料によれば、このトンネルは芋平沢残土捨て場への表土運搬トンネルで、10tダンプが多数通行したはずだった。
トンネルの素性がわかったところで、先ほどの分岐に戻り「本線」をさらに下っていこう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_4?1406387760

下を見た。
うわあ!前方後円墳みたいな形だな(笑)。。。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_5?1406387760

その手前のカーブも、大型ダンプにとっては超ヘアピン級と言えよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_6?1406387760

眺望がいい場所だな・・・
下の集落は小双里地区あたりか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_7?1406387760

この工事用道路にはよく設置されている、超強化型ガードレールを過ぎると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54442610/img_8?1406387760

現在地はこの辺

上からだと前方後円墳に見えたカーブに近づいてきた。

カーブ手前、どうみても桟橋だよな。崖は相当崩れやすい場所だったのだろうか?

(その5へつづく)

  

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その5)

$
0
0
【14年5月4日探索・7月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_0?1406468384

現在地はここ

上から見たら前方後円墳のような線形の道の、桟橋までやってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_1?1406468384

「後円」部分の右カーブを回った先にはこんな光景があった。
奥秩父の山奥にこんなすごい道路があって、なおかつここには自動車はおろか、歩行者さえも普通には到達する事ができない、そんな光景が私の目の前に展開されている・・・
オブローダー冥利に尽きるなあ・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_2?1406468384

約100m進んで振り返った。
私が今歩いてきた「前方後円墳道」だが、下段の直線も上段同様に桟橋構造をしていたのだった。

なぜ桟橋が採用されたかは、この画像をご覧いただければお判りかと思うが、崩落を繰り返す不安定な斜面であったからに違いなかった。

なおこの桟橋だが、名称不明、竣功などの銘版もなかったが、桁の塗装記録だけがあって、それによれば2000年12月だった。その時期に竣功になったと見て間違いなかろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_3?1406468384

長い下りなので、何箇所か非常停止帯がある。

それにしても、ここ、廃道でもなければ、一般には供用されていないものの未成道でもない、新しいジャンルになるような気がするが、何と呼ぼう・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_4?1406468384

ほとんど誰も通過しないその路面は、完成後14年足らずなのに、明らかに異変が発生していた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_5?1406468384

今年の大雪の被害なのか、それ以前の災害がもたらしたものか不明だが、擁壁が崩れ、路面の大部分を塞いでいた。
これで、2月中旬以降探索日(5月4日)までに、少なくともここを自動車が通過していない事が確定した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_6?1406468384

前方に、また地図に無いトンネルがある!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_7?1406468384

ん??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_8?1406468384

現在地はここ

右を見た。
ダンプカーが切り返しでもするようなスペースがあった。

この資料によれば、平成13年(2001)5月から使用された原石搬出トンネルの搬出側坑口がここのようだ。

ちなみに、反対側は立坑だったようで、その場所は航空写真上ではこの辺、既に埋め戻されているようだがグラウンドのようだと言った広場(「その3」に登場)にあったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_9?1406468384

左を見た。

そんなトンネルの坑口がこれだ。
中は当然気になるが、隙間から見ても何も見えなかった。

おそらくはコンベアが上部にあって、ホッパーがその下にあり、運ばれてきた原石を坑口すぐそばでダンプカーに積込みしていたのであろう。それで切り返しのようなスペースが必要だったのではないかと想像する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/34/54444134/img_10?1406468384

当然、扉には施錠されていたのだが、その鍵には「滝沢ダム 原石山 原石搬出トンネル」と明記されていた。

(その6・最終回につづく)

  

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その6・最終回)

$
0
0
【14年5月4日探索・7月29日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_0?1406468550

現在地はここ
ここからゴール地点となる倉明トンネル坑口までは残り250mといったところか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_1?1406468550

最後のカーブ地点の路肩にあったものは・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_2?1406468550

5月になってもなお残っていたのは、2月の大雪の名残の残雪だった。
フェンスの損傷具合からすると、大なり小なり雪崩が発生した可能性は高いが、2ヵ月半も経った、夏日を観測する時期になってもまだ雪が残っていた事には少なからず驚いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_3?1406468550

倉明トンネル坑口が見えてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_4?1406468550

少し角度を変えて、倉明トンネルと原石搬出トンネルのツーショットだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_5?1406468550

トンネルすぐ手前に沢があった。この画像は沢を見下ろして撮影した。
名を長谷沢というが、この沢一帯も芋平沢同様にダム建設残土処分地になり、水害のリスクと引き換えに思いっきり人工的な見栄えになってしまった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_6?1406468550

ほぼ同じ場所で沢の上流を撮影したのがこの画像になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_7?1406468550

原石搬出トンネル切返し場?を真横から見た。
岩と一体になった建造物が何とも言えない威圧感を放っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/40/54444140/img_8?1406468550

現在地はここ

倉明トンネル坑口に着いた。ここが探索のゴール地点になる。

このトンネル、1982年10月竣功である事は過去に述べたかと思うが、ここで素朴な疑問が生じた。
原石の搬出開始が2001年5月なので、トンネル完成から原石搬出までに18年半もかかっている事になるのと、途中の桟橋の竣功(あくまで塗装記録による推定だが)までも18年かかっている事になる。

この明快な答えはまだ見つけていないが、2つ考えられる事がある。ひとつは下部施設(原石搬出トンネル)のみ先に造ったという事だ。ただそれにしても、18年は時間がかかりすぎであろう。
となると、やはり、120戸にも及んだ水没住居等の補償が長引き、トンネルだけがポツンと完成したものの、それより先の工事が進められなかったと考えるのが妥当だろう。

ここからトンネルに入れれば、延長800mそこそこなので徒歩でも10分程度で反対側に抜けられるのだが、現実はそう甘くなく、また来た道を戻り、山下り、芋平沢沿いの階段を下りてようやく半地側坑口前に戻ったのはここを出発してから1時間24分後だった。

(おわり)

  

山梨県早川町 県道37号山吹トンネル旧道

$
0
0
【14年5月18日探索・7月30日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_0?1406649466

現在地はここ
<進行方向は概ね7時、のち5時>

山梨県南巨摩郡早川町初鹿島 県道37号南アルプス公園線だ。
この先、山吹トンネルがあるのだが、それに対応する旧道と思しき道が早川沿いに延びていた。
これは当然、行ってみる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_1?1406649466

山吹トンネルは延長59.5mで昭和49年(1974)2月竣功である。
なので、この旧道はそれ以前の県道で、旧道としても100m程度のものだろう。
ここから先を見る限り、楽勝かな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_2?1406649466

何か、お墓のような石造りの構造物があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_3?1406649466

それはお墓ではなく、綱橋供養塔と刻まれていた。
日琢上人(1785~1864・第69代身延山管長)が文久二年(1861)に建立したものだと読み取れた。
肝心の「綱橋」なのだが、goo辞書によれば「渓谷や絶壁などを横切って綱を張り渡し、木台・籠(かご)・車などをつるして人や荷物を乗せ、一方からたぐり寄せて他方へ渡したもの」という説明が載っていた。野猿に近いものだろうか?
で、その綱橋になにかトラブルがあったのだろうか?早川町の郷土史でも見れば何か載っているかもしらない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_4?1406649466

先に進む。
右にも何か建っていたが、文字は刻まれていなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_5?1406649466

うっぷ・・・
けっこうな激藪だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_6?1406649466

少し進むと物置のようなものがあり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54447592/img_7?1406649466

その向こう側は現道だった。

群馬県下仁田町 県道44号南野牧狭区・不通区(その1)

$
0
0
【14年7月6日探索・7月31日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_0?1406734855

現在地はここ

群馬県甘楽郡下仁田町南野牧 国道254号旧道(国道指定ははずされているとの情報もあるが)から県道44号が分岐する交差点手前だ。

今日はこれからこの黄色線区間を通ってみようかと思う。

途中、自動車交通不能区間が存在するようだが、道そのものがないなどという事はないようだ。
それでは、ここを右に入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_1?1406734855

県道44号下仁田浅科線、起点から30mほど進んだ場所だ。
いきなりの離合不能区間だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_2?1406734855

市野萱集落を進んでいく。
ちなみに、5m先を左折するとこの記事の橋に行く事ができる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_3?1406734855

国道254号バイパスをくぐる・・・のだが、この先にある荒船風穴が富岡製糸場とともに世界遺産になった関係で、11月くらいまで交通規制が敷かれている。
狭隘な道なので、平日以外は通行止め(シャトルバス以外)になっており、私もこの5m手前で止められた。
自転車もだめと言われたが、基本、歩行する事で通行を許可してもらった。
どうせこの先、勾配がすごいのでほとんど乗車など出来ないと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_4?1406734855

ヘキサよりも高スペックな看板が建っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_5?1406734855

が、少し進んだら、険道オーラ全開になってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_6?1406734855

この場所は待避所(離合スペース)だ。
ここから荒船風穴まで2.7kmあるそうだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_7?1406734855

そこから約100m、待避所を示す標識が建っていたのだが・・・
補助標識には「手前100m」と書いてある。
ここで対向車と鉢合わせになったら100mバックしろという事か?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_8?1406734855

ヘキサが建っていた。
ここは待避所なのか道幅が広くなっていて、1台の車が停めてあった。
先ほどの場所から600mくらいあるが、交通規制のおじさんの車かも。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_9?1406734855

沢を渡る。
橋が架かっていたが、屋敷2号橋という名称しかわからなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_10?1406734855

木の葉が邪魔しているが、ここ、岩の絶壁が幻想的な光景を作り出していた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_11?1406734855

この橋には何も情報がなかったが、おそらく屋敷1号橋なのだろう。
このあたり、何か工事しているようだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54450757/img_12?1406734855

落石防止工事だった。

それにしてもぐんまちゃん、よく働くなあ・・・

(その2へつづく)

  

群馬県下仁田町 県道44号南野牧狭区・不通区(その2)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月1日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_0?1406823059

現在地はこの辺

橋があった。名称不明だが、この先に屋敷4号橋が架かっていた事から、屋敷3号橋かもしれない。
ただそうなると、昨日の記事で「屋敷1号橋」だろうと述べた橋は順番からするとその名が怪しくなる。あるいは小規模の橋には名称なしの箇所があるのだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_1?1406823059

路面は簡易舗装に変わった。
そしてそれを補修するものだから、かなり怪しげな状態になっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_2?1406823059

現在地はここ

そんな場所から左に目を移すと、明らかに道があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_3?1406823059

分岐を過ぎてから振り返ると、やはり道で間違いなかった。
ただこの道、どの地図にも、縮尺を拡大しても、描かれてはいない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_4?1406823059

冬場なら少し脇道にそれても良かったが、既にイラクサらしき草が生い茂っていたので、やめた。

私が進むのは県道だ。
通行止めのため、車が来ないのはいいのだが、道幅も狭くて「セルフいろは坂」ルートがうまくつくれない。
まあどの道、乗車していないので淡々と進むだけなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_5?1406823059

県道44号ヘキサがあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_6?1406823059

その先、右側に何か石碑が建っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_7?1406823059

昭和40年11月の屋敷道開設の石碑だった。
それまでは山道しかなかったのか??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_8?1406823059

荒船風穴まで800mの看板が建っていた。
私の目的地は風穴ではないが、風穴から先が自動車通行不能らしいので、この看板は私なりの意味があったのだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54452504/img_9?1406823059

現在地はここ

屋敷集落が姿を現した。
一番奥の集落という事になろうか。

(その3へつづく)
 
 

群馬県下仁田町 県道44号南野牧狭区・不通区(その3)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月2日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_0?1406912476

現在地はこの辺

屋敷集落には10軒ほどの家が点在していた。
その集落で一番奥の家の近くに主要地方道下仁田浅科線のヘキサが建っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_1?1406912476

最初の画像からわずか10mくらいしか進んでいない。
しかしながら、道路は劇的な変化が見られた。

道幅はこれまで以上に狭くなり、しかも基本的には一方通行である。
ちなみに、ここから先、迂回路や平行路はない。
現在はこの区間も車両通行止め(土、休日)なのだが、平常時にはここから神津牧場方面へ抜けていく事しかできないようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_2?1406912476

また完全1車線になった。
これでも主要地方道??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_3?1406912476

上から1台、ワゴン車が下りてきたので私は道端で待機した。
このワゴン車は「荒船シャトル」と呼ばれる臨時路線バスで、サンスポーツランドで通常の路線バスに乗り継げるようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_4?1406912476

私は右に進路をとるのだが、左にも明らかな「道」があった。
車道が出来る前の道はこちら経由だったのかもしれない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_5?1406912476

何かがあった。看板があるところからすると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_6?1406912476

ここが荒船風穴入り口である。
せっかくだからちょっと見ていこう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_7?1406912476

工事中の通路を進むと、約30mほどで簡易的なバリケードがあった。
そこから撮影したのがこの画像になる。

一つ下の階段から行く道を進むと、もっとアップになるのと、係の人から直接説明を受けられるようだが、私はそのまま進む事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_8?1406912476

少しだけ進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_9?1406912476

ここは荒船風穴の駐車場だ。
mapion地図ではここまでが県道という事になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_10?1406912476

ここから先が「不通区」になるのだが、物理的に自動車を封鎖するようなものは見当たらない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54454215/img_11?1406912476

最初のカーブを曲がり、パチリ!
荒船風穴駐車場をあとにし牧場を目指す。

(その4へつづく)

  

群馬県下仁田町 県道44号南野牧狭区・不通区(その4)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月3日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_0?1406990157

現在地はたぶんこの辺

標識の設置者は下仁田町となっていた。
この区間、自動車の通行自体は物理的には可能なのだが、群馬県が管理している証がない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_1?1406990157

自動車通行可能とは言っても、線形はかなりの急カーブ続きだ。
荒船風穴への歩行者の多い時期には自動車が通行するのは危険という事での通行規制なのだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_2?1406990157

看板が立ててあるが、これは歩行者向けの案内で「風穴300m、駐車場500m」を示しているものだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_3?1406990157

「不通区」と見られていた区間だが、思ったほどの見所がない。
道端にベンチが置かれている場所が何箇所かあったが、それにしても歩行者のためのものだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_4?1406990157

駐車場が見えてきた。
管理のおじさんが立っており、一般車両の進入はここで停められるのだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_5?1406990157

現在地はこの辺

神津牧場の敷地内に入ったようだ。
前日に降った大雨の影響なのか、放牧はされていなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_6?1406990157

大雨の影響は路面にも出ていた。
全面洗い越し??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_7?1406990157

200m先工事中の看板があった。
その設置者は群馬県、また県管理の道路が復活したという事か?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_8?1406990157

そんな道を進んでいくと、左側にあったのは・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_9?1406990157

「群巾」群馬県管理の道路でよく見かける境界柱だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_10?1406990157

工事区間があった。
何の工事なのかな?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54455661/img_11?1406990157

それにしてもぐんまちゃん、よく働くな・・・
現場監督バージョンも見た事があるし、4、5パターンはありそうだな。
今度調べてみようかな(笑)。

(その5・最終回に続く)

  

群馬県下仁田町 県道44号南野牧狭区・不通区(その5・最終回)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月4日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_0?1407078283

現在地はこの辺

mapion地図には道が描かれていないが牧場内県道はこの先で左折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_1?1407078283

左折し10mくらい進んで、振り返った。

ん!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_2?1407078283

手作りの標識っぽい看板があった。
牧場内でなかったらポイント高いのに(笑)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_3?1407078283

同じ場所での進行方向の光景だ。
まだまだ牧場内である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_4?1407078283

探索前日の大雨による影響なのか、放牧もほとんどされていなかった。
が、ここでようやく発見!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_5?1407078283

ジャージー牛が3頭、のんびりしていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_6?1407078283

ヘキサがまったく無いが、その代わりに県道看板があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_7?1407078283

1.5車線、ガードレールなしの道を進んでいく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_8?1407078283

この先で旧道・(元)国道254号線に合流したら内山峠まで行ってみようかと思っていたのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/37/54457537/img_9?1407078283

現在地はここ

探索前日の大雨の影響で、崩落でもあったようで全面通行止になっていた。

行ってみたい気はしたが、応急工事とか始まっているかもしれないし、崩れたてで、本当に危ないかもしれない。やめておこう。

(おわり)

  

神奈川県相模原市 秋山川橋への正式ルート・・・

$
0
0
【14年6月21日探索・8月5日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_0?1407167700

現在地はここ

神奈川県相模原市緑区日連 県道76号山北藤野線だ。
以前は気づかなかったのだが、ここに遊歩道の看板がある事に気づいた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_1?1407167700

私にはある目的地があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_2?1407167700

目的地周辺をアップにした。

以前、反対側から訪問して完抜けに相当苦労した秋山川橋がすぐ近くのように描かれていた。

そんなに近かったかなあ?という疑問もあったが、ヘリオス号は待機させておけば楽勝かな??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_3?1407167700

そんな訳で秋山川橋までGO!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_4?1407167700

最初は平地のようなシングルトラックだったが、徐々に勾配は急になり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_5?1407167700

遊歩道と呼ぶにはちょっとムリがありそうな、ロープが無いとけっこう危険な道になった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_6?1407167700

急な斜面に張り付くような道が続く。
ようやく水面が見えてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_7?1407167700

もうすぐかな??

小さな谷があるようだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_8?1407167700

この谷には橋などは設置されておらず、あったのは補助ロープだけだった。
ヘリオス号、待機させておいてよかった~




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_9?1407167700

現在地はここ

谷を越えるとようやく橋が見えてきた。
地図上での直線距離では150m程度であったこの経路での所要時間は7分だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_10?1407167700

秋山川橋、健在!
昭和53年(1978)架橋なので、既に36年も経過しているが、橋自体には目だった問題は無いようだった。
問題があるとすれば、右岸側のアプローチの険しさか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/96/54459296/img_11?1407167700

そう言えばグレーチング橋を下から見たのは初めてかも・・・


  

東京都奥多摩町 水根貨物線の、し残し探索(その1)

$
0
0
【14年7月13日探索・8月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_0?1407253836

現在地はここ

記事的にはこの連載この連載の続きになる。
廃線マニアには超有名物件であり、私がいまさら見ても新鮮味はない。
しかし、私は終点寄り約1.5kmを探索していない(砂防工事のため)。この事実が、何かスッキリしなかった。
なので、今さらと思う方も居られると思うが、今日からの4日間(たぶん)、お付き合い頂きたい。

私の未探索区間へのアプローチへは、国道411号中山トンネルの手前を右に入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_1?1407253836

で、水根貨物線のカルバートをくぐる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_2?1407253836

カルバートを抜けた先から築堤に上がる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_3?1407253836

上がって右、水根終点方向を見た。
中山トンネルが見えるが、このトンネルだけは通過済みである。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_4?1407253836

なので、左の奥多摩駅方向を見る。

ここから約1.5kmほど、第一板小屋トンネルまでが未探索なので、進行する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_5?1407253836

雑草の中からすぐに線路が現れた。

そしてトンネルも現れた。第二桃ヶ沢トンネルだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_6?1407253836

現在地はここ

さっそく入洞する。
夏場の探索は隧道内の方が涼しいし藪こぎはないので、快適だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_7?1407253836

地図読みで150mほどのトンネルはほどなく出口に近づいた。
何か、バリケードがすごいんですけど・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_8?1407253836

最初にバリケードを発見し、次にそれがいやに粗いように見え、もう少し近づいたら有刺鉄線が張り巡らされ手いるのが見え、最終的にはこの隅っこの隙間から脱出できる事が判明した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_9?1407253836

坑口付近、崩落があったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_10?1407253836

もう5m進んでから振り返った。

かなり大きな落石があったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54460973/img_11?1407253836

桃ヶ沢橋梁を渡るが、路盤を見る限りでは普通の場所っぽい。

(その2へつづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線の、し残し探索(その2)

$
0
0
【14年7月13日探索・8月7日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_0?1407339372

現在地はここ

第一桃ヶ沢トンネルの手前、桃ヶ沢橋梁の東詰付近で振り返ってみた。
国道411号線がはるか下の方に見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_1?1407339372

私の進行方向は起点の奥多摩駅方向だ。
第一桃ヶ沢トンネルに入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_2?1407339372

水根貨物線のトンネルにはよくある構造なのだが、壁面がこのように一部むき出しになっていた。
劣化調査のためなのか、建設費節約のためだったのか、あるいは他の理由だったのか、まったくわからない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_3?1407339372

長いトンネルだった(地図読みで450mほど)がライトさえ持っていれば藪こぎがなく涼しい分、楽ともいえる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_4?1407339372

明かり区間の方が少ないな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_5?1407339372

続いて、清水トンネルだ。
あの長大トンネルと同じ名前だが、こちらは100m足らずのトンネルだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_6?1407339372

入り口にはかつてのバリケードの残骸らしきものがあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_7?1407339372

わりとすぐに出口に近づく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_8?1407339372

同じ場所で振り返った。
緑っぽく見えるのが幻想的でいいな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_9?1407339372

出口だ。
が、その先の様子がちょっとおかしい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54462450/img_10?1407339372

トンネルを出たところで、線路が、路盤が、橋梁が、欠落していたのだった。

(その3へつづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線の、し残し探索(その3)

$
0
0
【14年7月13日探索・8月8日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_0?1407425497

現在地はたぶんこの辺

ここにあったはずの橋梁は跡形も無く撤去?されていた。
この廃線の中では唯一の路線上の構造物撤去地点である。その撤去理由は不明だ。

私は谷に降りて少し上流側へと迂回し谷の反対側へ向かった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_1?1407425497

迂回に要した時間は5分、さほどのロスタイムではなかった。

この短いトンネルは清水疎水トンネルであろうか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_2?1407425497

その次に現れたのが第二板屋トンネルだ。
工事は終わっているはずだが、バリケードは撤去されていなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_3?1407425497

バリケード脇をすり抜け、トンネル内を淡々と歩く。
ここを出たところが砂防工事箇所だったはずだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_4?1407425497

右、国道411号と、その向こう側のショベルカーが見えた。
という事は向こう側からも見えるという事だ。なるべく山側を歩こう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_5?1407425497

そしてこれが完成したばかりの砂防ダムだ。

この工事だが、当初3月末までの予定だったが2月の大雪の影響で工期は6月までずれ込んだようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_6?1407425497

今来た方向を振り返ると、ちょっと変わったものを発見した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_7?1407425497

東京都マークだ。
これは元々ダム工事軌道であり、その所有者が東京都だった頃の名残なのか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_8?1407425497

砂防ダムの工事の際に軌道が一時撤去されたのだろう。
真新しいボルトで廃線が「復旧」されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_9?1407425497

先を急ごう。
これが探索最終になる板屋第一トンネルだ。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_10?1407425497

その内部だが、落ち葉の堆積が尋常ではなかった。
厚さは30cmほどもある場所もあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/48/54464248/img_11?1407425497

現在地はここ

こちら側のバリケード地点が一応のゴールだった。
これで細切れながら奥多摩駅側からここまで一応つながった。

当初はこれにて終了と思っていたが、やはりここまで来ると、水根側のあと150mくらいの未探索区間が気になった。やっぱり行ってみよう。

(その4・最終回につづく)

  

東京都奥多摩町 水根貨物線の、し残し探索(その4・最終回)

$
0
0
【14年7月13日探索・8月9日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_0?1407511077

現在地はここ

この光景は知っている方も多いと思う。
国道411号線の、奥多摩湖に近づいた目印にしている方も居られよう。

これが第二水根橋梁、渡った先(左側)が終点の水根駅であったようだが、駅の跡はただの更地になっている。

ここで、急に雨が降り出してきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_1?1407511077

で、橋梁下で15分ほど雨宿り・・・

穴があいているのが下からでも見えるほど劣化していたという事か。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_2?1407511077

現在地はここ

雨が上がったので、探索再開!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_3?1407511077

道があるので、ここはアプローチしやすい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_4?1407511077

線路をくぐり、反対側から線路へと上がる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_5?1407511077

上がってすぐ左を見ると、中山トンネルだ。
私が以前に訪問したときには奥多摩むかし道として整備した痕跡がけっこう残っていたが、今回はスルーしよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_6?1407511077

で、終点方向へと歩を進めるのだが、先ほどのにわか雨のせいで草もまたびしょぬれだった。
藪がすごいが、ここは水根第一橋梁上になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_7?1407511077

足元ばかりではなく全身けっこうぬれた。

この金属製のものは鉄道関連のもの??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_8?1407511077

水根トンネルが見えて来た。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_9?1407511077

水根トンネル内部には他のトンネルにはなかったようなものが放置されていた。
水根付近にあったであろう現場事務所の備品かも。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_10?1407511077

トンネル出口~

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_11?1407511077

ここが探索終了地点となった。
これ以上進むと国道からよく見えてしまう感じだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_12?1407511077

帰路で一つ懐かしいものを見つけた。
ただの、木製電柱かと思ったのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_13?1407511077

碍子が見えた。
規模は小さいのだが、通称ハエタタキ、正式には架空裸線路柱ではないのか!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/18/54465918/img_14?1407511077

電柱部には何かが貼ってあったのだが、解読する事が出来なかった。

(おわり)

埼玉県長瀞町 ホーム上に駅舎のある駅・樋口駅

$
0
0
【14年6月1日探索・8月10日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_0?1405952800

現在地はここ

埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷 この日の探索中、ヘリオス号にトラブルが発生(タイヤ磨耗なので事前にわかっていた事なのだが)し、ここで探索を打ち切った。
で、向かったのは秩父鉄道樋口駅だ。
駅前の自転車置き場が駅入り口からのスロープ上に設置されており、段々になっているところが珍しい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_1?1405952800

改札の手前なのだが構内踏切である。
2本の線路を跨ぐとその先、左側にホームがある。
構内踏切ながら、通り抜けも可能な構造になっていて、直進すれば国道140号線になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_2?1405952800

スロープを上がった先に駅舎がある。

ヘリオス号を輪行スタイルにする自然な場所がなくて少々困った。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_3?1405952800

改札内から駅舎を見た。
樋口駅は業務委託駅ながらも駅員がいる駅で(秩父鉄道には私が知る限り完全無人駅はない)乗車券も駅員から購入した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_4?1405952800

昔ながらの待合室があるぞ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_5?1405952800

現代的な空調の効いた待合室ではなく、懐かしい感じのものだった。
正面の荷台っぽい場所とその向こう側の壁、気になるな。以前は手荷物扱いでもあったようにも見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_6?1405952800

木の屋根も好ましい。
樋口駅は明治44年(1911)開業なのだが、その当時からのものかも??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_7?1405952800

10分程度の待ち時間があったので木のベンチに腰をおろし、そのベンチ上で先ほど購入した乗車券を写した。
今どき、普通に硬券が出てくるのがイイよね。
ちなみに、秩父鉄道ではスイカなどのIC乗車券は利用できない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_8?1405952800

ホームから少し離れた通過線に貨物列車がやってきた。
秩父鉄道は単線ながら貨物列車が多数走っているので、行違いのために通過線を利用する。
ちなみに有料急行秩父路も樋口駅には停車しないので、この通過線を利用している。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_9?1405952800

ホッパー車ばかりの20両の貨車がつながっていた。
車両はヲキ100系、昭和31年(1956)製のかなり年代モノだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/70/54434370/img_10?1405952800

そして最後尾は珍しい車掌室付ホッパー車、ヲキフ100系だった。
貨物列車は停まりそうで停まらない、時速1kmくらいで走っていた。これは完全に停車すると発車時のエネルギーを多く使うためとされている。

ほどなく2番線に元東急8090系の、7500系三峰口行が入線してきた。

  

千葉県いすみ市 防波堤廃道(前編)

$
0
0
【14年3月8日探索・8月11日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_0?1407684097

現在地はここ

千葉県いすみ市岬町和泉 大東灯台からそう遠くない市道を走行していると、突如視界に海が飛び込んできた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_1?1407684097

前の画像から20mほど進み、右に数歩進んだ。
地図上ではつながっているように描かれているが、私の訪問時にはそこに「島」が2つ見えた。





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_2?1407684097

そして、その北側にはあずまやがあり、全体が駐車場のようになっていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_3?1407684097

その先には防波堤があるようだが、立入禁止看板が掲げられていた。
けっこう目立つ場所だし、ヘタに進入して通報されても困るのでこの場所でおとなしく撤収!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_4?1407684097

南側を見る。先に道のように防波堤があるが、こちら側には進入禁止等の看板が見あたらない。
状態はおそらく反対側とそう変わらないのだろうが、進入禁止が明示されていない事は私にとっては好都合だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_5?1407684097

小さな川を渡り、2mほど登ると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_6?1407684097

現在地はここ

地図上では完全に道路として描かれてるよね、ここ・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_7?1407684097

実際に、車道かどうかはともかく供用されていた事があったのだろうか?

ところで、先のほうに何かいる!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/85/54469485/img_8?1407684097

ハクセキレイだった。
セキレイ類はあまり人を恐れないが、このハクセキレイもしばらく尻尾を振りながらこの場所に留まっていた。

(後編につづく)

  

千葉県いすみ市 防波堤廃道(後編)

$
0
0
【14年3月8日探索・8月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_0?1407770561

現在地はこの辺

太平洋からの波を直接受け止める地点まで来ると、歩行するのだって大変危険な状態になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_1?1407770561

この先、「路面」の状態が悪い事は明らかだった。
特に怖かったのは陥没ではなく「ぬめり」だった。
高波が来て足を滑らせたらどうなるか、想像に難くなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_2?1407770561

ちょうどそんな場所で右側の崖方向を見ると、なにやら気になる穴があった。
防波堤から降りるいい口実が見つかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_3?1407770561

まあ、穴自体はただの浸食洞であるようだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_4?1407770561

来た方向を振り返った。
地図には道路のように描かれているが、こりゃ、どう見たって道じゃあないよな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_5?1407770561

反対側、南南東方向を見る。
防波堤により守られた「安全地帯」であるはずなのだが、この荒れ具合だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_6?1407770561

一応、防波堤への復帰を試みる。
が、これはマジに波にさらわれるって・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/61/54471061/img_7?1407770561

ニュースネタにならないうちにおとなしく引き揚げようっと。

(おわり)

  

群馬県下仁田町 国道254号旧道・Wikipediaの挑発に乗ってみる(その1)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月13日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_0?1407858488

現在地はここ

群馬県甘楽郡下仁田町南野牧 探索順としてはこの続きになる。

現在いるこの場所だが、本来の予定では国道254号線旧道を内山峠に向かおうと思っていたのだが、
通行止めになっていたので、バリケードの先を恨めしそうに見ているという図だ。

なぜ内山峠方向に行きたかったのか?
それは国道254号線旧道について調べていたときにWikipedia内山峠の項目を見て、ある記述がひっかかったからに他ならなかった。
その部分を引用する。
「旧道」項目にある記述で「群馬県の鉄道会社である上信電鉄のバスが神津牧場へと行くためにかつてこの峠道を利用していて、カーブの所々にカーブの番号(○○号)を記した石柱があり、現役国道としてバスなどが行き来していたころの名残を残す」という部分と「脚注」項目にある「群馬県側の旧道(実質廃道)には「縣道富岡野沢線」の文字が記された石橋(内山橋)が残っている」である。

さっそくググってみたが、ウェブ上にはそんな廃橋などの情報は一切無かった。
もちろん地図も調べたが、内山橋という橋が一体どこにかかっているのかも特定は出来なかった。

オブローダーへの挑発のような記述だが、これは乗って見るしかなかった。地図とにらめっこしながら、何箇所かの候補地は上げたのだが「内山橋」という名前である以上、内山峠の近くである事が否定し切れなかったのだ。
ゆえに、土砂崩れのためにこの先に行けない事は、この時点では大変恨めしかったのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_1?1407858488

が、そんな事を言っていても仕方が無いので、通行止めでない側に旧国道を下っていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_2?1407858488

途中、いくつか小さな橋が架かっていたが、「内山橋」らしい橋はなかった。
そもそもほぼ廃橋であるらしいので、現橋の隣とか近くに架かっている橋がその目的となるはずなのだが。

ヘアピンカーブを曲がっていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_3?1407858488

地図上での具体的な位置が示せないが、下り始めて半分にはなっていないあたりだ。
この先のカーブ地点に何かが建っているのを発見した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_4?1407858488

Wikipediaの挑発のひとつめはそれほど苦労もせずに発見できた。
確かに上信電鉄の石柱である。
この道を大型バスが走っていたなんて、さぞ大変だったろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_5?1407858488

そのすぐ先に建っていた標識なんて・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_6?1407858488

このサイズ感とL字鋼の支柱なんて、林道スペックの標識だろう。
まったく国道だったなんて思えないような道が続く。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_7?1407858488

石柱だが、20番と16番は発見できた。
その先のカーブには・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_8?1407858488

14番・・・なのだが、地名が「神津」ではなく「荒船」になっていた。

この石柱、他にも何か情報がないかな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54472724/img_9?1407858488

横に刻まれていたのは「横浜子供会」の文字だった。

下仁田町には横浜という地名は無いようだ。近隣の町の地名、あるいは人名か?はたまた神奈川県横浜市の事なのか? 謎だけが残った。

とは言え、ひとつはWikipediaに書かれていた事が検証できた。

あとは「内山橋」を探す。この場所よりも下にあるならいいけど・・・

(その2へつづく)

  
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live