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東京都東村山市 踏切内交差点

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【14年5月10日探索・7月6日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54405746/img_0?1404573064

現在地はここ

東京都東村山市本町 西武鉄道東村山1号踏切にやってきた。
この踏切、全国でもおそらくここだけという珍しい踏切だそうな・・・




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遮断機が下りたので道路反対部分(東村山駅寄り)に移動した。
この踏切、なんと踏切内に交差点を持っているという、ある意味とんでもない踏切なのだ。





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今度は道路中央部分に移動した。
ちなみに、線路を挟んで右側の一方通行路が都道128号東村山東大和線だ。

踏切内の路面には道路としての区分線が描かれている。
高いところから見れば画像1枚で終わってしまいそうな記事なのだが、付近に適当な撮影スポットがなかったので航空写真を代わりにアップする。

何でこんな事になってしまったのかと言うと、道路の交差点の方が先にあり、鉄道が後から出来たのだそうな。ちなみに明治中期の地図、歴史的農業環境閲覧システムには道路がしっかり描かれている。参考までにここに鉄道が開通したのは明治28年(1895)だ。




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踏切を渡って反対側に来た。
踏切内にこんな模様のあるところは確かにはじめて見た。

将来は高架となるそうだがそれは10年くらい先の事のようで、東京都と東村山市がそれまでの暫定改良に乗り出すようだ。





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この区間、なんと平日で492本+α(新宿線・西武園線+回送など)、休日でも458本+αもの電車が通過する。なので、わずかな遮断機開放時間にはご覧のようになる。
これで今まで重大事故が発生したことが無いというから、それはそれですごい事かも・・・

  

群馬県下仁田町 コンクリートと石の複合材料橋

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【14年5月25日探索・7月7日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/84/54407484/img_0?1404658421

現在地はここ

群馬県甘楽郡下仁田町南野牧 この橋の探索を終えた私は、地図上で気になっていた橋に寄っていく事にした。

なので、この先を左折する。




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しばらくは集落よりも高いところを進む、のんびりした雰囲気があったが・・・




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急に下りだした。
まあ、目的地が橋なので不思議ではないが、雰囲気ががらりと変わった。
この分岐は右に行く。




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急なカーブを2箇所通過し、橋の手前に着いた。




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親柱なないようだ。
なので、橋の名、竣功に関しては何もわからなかった。

橋の先に建っている木の街灯、いい雰囲気だ。




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幅員は3m程度か、まず離合は不可能だ。
つうか、どんな橋なんだろう?




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!!

何という形式だろうか?

カルバートに近い気もするが橋なのだろう。
材質もまた、石とコンクリの融合体だった。

RCコンクリート(石葺き)アーチ橋・・・かなあ??

竣功年代については、昭和30年代的なにおいがする。あくまで直感だが・・・




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橋の先、とても乗車などできないくらいの急坂を上り、県道44号線に出る。
この先は右折なのだが、ちょっと左を見てみよう。




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狭いなあ・・・

とても主要地方道とは思えない・・・




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右もまた、狭い道だった。
絶対、離合なんて出来ないぞ!




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200m強で、国道254号線旧道との交差点に出た。

今回は3枚だけになった県道44号線については後日、別のレポを公開する予定だ。

  

山梨県早川町 硯島稲又森林鉄道の痕跡探索(前編)

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【14年5月18日探索・7月8日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54409309/img_0?1404748554

現在地はここ
<進行方向は概ね9時>

山梨県南巨摩郡早川町雨畑 ここはあの稲又川橋の北詰だ。画像の左側が稲又川橋になる。
ここへくる途中の林道が、途中から林鉄跡であることは、以前の記事で触れたかと思う。
その林鉄なのだが、稲又川は渡らずに川の左岸に沿って進んでいたようだ。

林鉄の正式名は不明だ。稲又川森林鉄道と呼ぶ方も居られるようだが、私は「トワイライトゾーンMANUAL7(ネコ・パブリッシング社)」での呼び方に倣って「硯島稲又森林鉄道」と呼ぶことにする。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54409309/img_1?1404748554

川沿いに進んでいくと、前方は大規模な工事をしている事が見て取れた。
1枚目画像の看板にもあったように、砂防堰堤の改修工事のようだ。




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思いがけず近くで見られた滝と、その水による洗い越しを過ぎていく。




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このあたり、平日なら大型ダンプが多数通るのだろう。
林鉄らしい雰囲気はまったくない。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54409309/img_4?1404748554

同じ場所でもう少し右側、元々の道路があったであろう方角を見てみた。
何か、石垣があるぞ。林鉄のものかも。
他に、何か無いかな。行ってみよう。




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「トワイライトゾーンマニュアル7」には、たぶんこの付近に1本だけのレールが続いていると書かれていたのだが・・・
1998年刊行の本なので、16年も前の話だ。
これだけの工事をやられちゃ、何も残ってないな。
石垣が残っていただけでもマシな方か。

稲又川橋から600mほど進んだ場所にかつてインクラインがあったそうだが、その痕跡だけでも残っていないだろうか?
時間が無いが、せめてそれだけでも見たい。




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前の画像から100mくらい進んだ。
恐らく砂防ダムが造られるであろう場所から先は、以前からある林道のような光景になった。
 
この先の右側、何かあるっぽい!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54409309/img_7?1404748554

石垣だった。
しかも、山のほうに向けて傾斜しているようだ。

これが、インクラインの遺構なのか??

(後編につづく)

  

山梨県早川町 硯島稲又森林鉄道の痕跡探索(後編)

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【14年5月18日探索・7月9日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54410856/img_0?1404836200

現在地はたぶんここ

石垣遺構は道路に面した側が適度に崩れており、その上に登る事がそう難しくないようだった。
多少は滑りながらも登っていく。




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上部にたどり着いた。
石垣遺構の先端部の形状からすると、間違いないと確信した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54410856/img_2?1404836200

もう数歩前に出て、横から撮影した。
そう、これこそはインクラインの橋台で間違いなかった。




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上側の橋台は、見事な石造りであった。
橋台の前に崩れ落ちている木が何本もあるが、これはここが木橋であったからに他ならない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54410856/img_4?1404836200

橋台から降りてみて、橋が架かっていた谷間を覗いてみた。
何年前まで架かっていたのだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54410856/img_5?1404836200

橋げたを留めていた補助橋台の金具がまだ残っていた。
架かっていた頃の姿が見たいなあ・・・
きっと皆さんもそう思っておられるだろう。そこで・・・




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「トワライトゾーンMANUAL7」の掲載画像をお借りする。
1998年発行なので、発行直前に探索しているなら少なくとも16年前まではこに橋が架かっていた事になる。こうして見るとインクラインは思いのほか急な角度であったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54410856/img_7?1404836200

もう1枚、これは上部から下部方向を見ての撮影のようだ。

(おわり)

  

通常記事は少々お待ちください

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http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/80/54410880/img_0?1404839504

このあと、たぶん朝7時くらいに記事アップ予定です。

もう少々お待ちください。

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その1)

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【14年6月15日探索・7月10日公開】

★本日未明ころ、50万アクセスを突破しました。訪問して頂いた方すべてに感謝致します。コメント等頂ける方、継続への励みになってます。本当にありがとうございます。これからもまだまだ続けていこうと思ってますので、どうぞよろしくお願い致します★


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/81/54410881/img_0?1404839625

今回、記念企画として選んだ場所は、新潟県長岡市山古志地区、周辺も含めた探索になる。
当初、只見線の不通区間の探索に行こうと思っていたのだが、いかんせん只見線は列車の本数が少なすぎ、計画がどうしても成り立たなかった。

新潟県の旧山古志村と言えば、2004年に起きた中越地震の震源付近で、甚大な被害があった事で有名になった場所だ。その爪あとにも触れる事になろう。

今回の探索予定ルートを地図に書き込んだ(地理院地図20万分の1地図使用)。
まずは国道352号線の萱峠不通区間を目指す(もちろん旧道経由)。2014年時点で、いったいどこまで通行できるのかが気になっていた。そのあと、かなりの険道らしい県道114号を通り国道291号に出て、中山隧道、地震の爪あとが残っている山古志トンネル旧道へ行き、最後に県道23号未成バイパスを探索しようというものだった。

結果としては計画変更を余儀なくされる事になるのだが、それも含めてご覧いただければと思う。

またこの連載中、当ブログとしては初めてファン限定記事を1本だけ掲載する予定だ。
それはちょっとワケありな部分になるための限定記事なのだが、全体の流れとしてはその1本は閲覧して頂かなくても大丈夫なように書くつもりだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/81/54410881/img_1?1404839625

現在地はここ

住所としては新潟県魚沼市小平尾になる。
国道352号線の広神ダム建設に関連する旧道が左に分岐する場所をレポのスタート地点に選んだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/81/54410881/img_2?1404839625

集落がある道路はセンターライン代わりにスプリンクラーがあるという印象だった。




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現在は国道指定をはずれているはずなのだが・・・




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まだ新潟県の境界柱もしっかり残っていた。




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緑が、濃いなあ。

このあたりの旧道は昭和33年に車道として開通したっぽい(付近の橋の銘版から推測)。




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現在地はここ

現在の旧道は右に曲がり200mくらいで現道の合流しているのだが、ここを直進が本来の旧道である。




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通行止らしいので、この先、車では行けない。




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徒歩で先に進む。
ガードレールが設置されていないが、元からそうだったのか、撤去したものかは不明だった。




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その先にもガードレールはなく、駒止のような物が一部のみ設置されていた。




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ダムに突き当たるので、ここで旧道は途切れた。

ゲートまで戻り、先に進む。




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ほどなく小平尾トンネル(1991年12月竣功)前に出た。

(その2へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その2)

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【14年6月15日探索・7月11日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54413832/img_0?1405002771

現在地はここ

広神ダム、昭和49年(1974)に予備調査が開始されてから平成23年(2011)の竣功までに、40年以上もかかった新潟県が事業主の多目的ダムだ。
ちなみに、湖の名は旧渓谷名からの命名で折中湖(せっちゅうこ)という。




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現在地はここ

ダムから1kmほど進んだ場所だ。
ダム堤体により寸断されていた旧道だが、ここから逆にたどる事ができる。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/32/54413832/img_2?1405002771

が、左折すると、一応立入禁止表記付きの実にオープンなバリケード?が設置されていた。

この場合、どうしようかな・・・




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いったん現道に戻り、50mくらい歩道を南側に歩き、洞門手前付近で旧道に降り立った。
あの看板脇を通っていないという、ほぼ確信犯のような方法だが。




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ともあれ、目的の旧道探索は強行されたのだった。




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何か、構造物があるぞ!




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万里の長城を連想しそうな擁壁施工だった。
これもダム関連の工事??




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その先にあったのは、まさか隧道??




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違っていた。
何らかの石仏が置かれていたのだろうと思う。
ここはもぬけのからになっているので、別の場所に安置されたのだろう。




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左カーブの先で見つけたのは・・・




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現在地はここ

先のほうに見えたダム管理棟だった。
地図読みで180mくらいの距離があったのだが、ここで退散する事にした。

(その3へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その3)

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【14年6月15日探索・7月12日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54415619/img_0?1405096418

現在地はここ

3kmほど進んだ。その間にも旧道はあったのだが、現役の生活道であり、ビジュアル的には特にどうというものではなかった。

ここで気になったのは2箇所。
左の橋と、右のプチ廃道だった。




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まずは、右のプチ廃道だ。




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80mほどの区間が使用されていない区間なのだが、バリケードも無く、完全開放状態であったためか、廃のオーラを感じることはできなかった。

ところで、先のほうの道、勾配がすごいように見えるな・・・




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勾配の道も気になったわけだが、その前に橋に行った。
名称不明の木橋なのだが、近年架け替えられたっぽかった。
橋の先には田んぼがあり、その連絡橋という事なのだろう。




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で、最後に急に見えた坂だ。
スマホの傾斜計によれば、11度を表示しており、道路勾配にすると19.4%となった。
見掛け倒し・・・かな??




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現在地はここ

さらに800mくらい進んだ。

平成元年竣功の、その名も郡界橋を渡ると、旧・山古志村(現在は長岡市山古志)に入る。
平成9年竣功の城山トンネルの左に明らかに旧道がある。もちろん左へ~

が、その前に振り返る!



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郡界橋だが、4本ある親柱のうち1本には路線名である「一般国道352号線」と書かれていた。




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旧道は2車線幅があった。最初だけ。




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すぐに完全1車線幅になった。




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そうは言っても旧道区間は200m足らずの長さなので、現道はすぐに見えてきた。




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ほどなく現道だ。
この合流形状、何か不自然な気が・・・




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現在地はここ

やはり、現道を渡った先には、違う路面があった。
川を渡る部分に旧橋は残っていないようで、その先からは旧道の痕跡があった。

(その4へつづく)

 
 
 

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その4)

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【14年6月15日探索・7月13日公開】

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現在地はここ
<進行方向は11時のち1時>

現道に合流したかに見えた旧道だが、合流はせず現道を交差する形で進行方向右に移っていた。すぐ先に橋が架かっていたはずだったが、その痕跡はなかった。しかし、橋を渡った先の右側はまさに旧道が残っていたのだった。




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その廃道区間を、旧道側の100mくらい先から振り返ってみたのがこの画像になる。




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平成11年(1999)竣功の種苧原(たねすはら)トンネル旧道に入る。右折する。




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廃寸前のようないでたちの橋が架かっていた。
現道の橋と同名「大川原橋」昭和40年3月竣功だ。




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国道352号線が国道指定されたのは昭和50年なので、それ以前に架かった橋には「県道広神長岡線」と表記されている。




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次の橋は昭和62年竣功だったので親柱の1つに「一般国道352号線」という銘版があった。




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ところでこの橋、漢字銘版がなかったため平仮名の銘版になるのだが、読めない・・・




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ガードレール無しの路肩注意区間を過ぎる。




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大川原橋と似た感じの橋、森田橋(もりんたばし)、昭和39年12月竣功だ。
県道時代の銘版が残っていた。




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現在地はここ

この区間は比較的最近まで現役国道であったようだ。
現道は種苧原1号橋、2号橋という2箇所の橋で越えているのだが、その竣功は平成25年となっていた。
森田橋の先に現道との連絡路があったのだが、それも現道工事の工区が分かれていた間接的証拠である。




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ボックスカルバートをくぐると道は現道に合流すべく勾配がきつくなってきた。




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さらに不自然な坂での合流となる。




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合流してすぐに橋が架かっていた。
城山橋、県道時代に架かっていたようだが、竣功については不明だ。

14tの重量制限が付いているが、予告標識はなかったようなので、大型トラックなど、驚くドライバーもいるのでは??

(その5へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その5)

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【14年6月15日探索・7月14日公開】

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現在地はここ

この先を左折する。
このあたりから、国道352号線は佳境に入る。




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左折と同時にセンターライン終了で、道幅1.5車線になった。




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それでも国道352号線のおにぎりは普通タイプが設置されていた。




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種苧原の集落内をさらに登っていく。

ところで、道路左端にある、赤い棒状のものは消火栓なのである。
雪国では標準的なものかもしれないが、これだけ背が高いタイプは私にとっては珍しかった。




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この先で国道352号線は右折する。
が、その行き先を示す青看にはキャンプ場、グラウンド、学校のマークがあるだけでその先には通行止表示が書かれていた。
これは、オブローダーへの挑発か??




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右折すると2車線幅になりセンターラインも復活した。
ただ登り勾配は一段ときつくなった。




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あえぎながら登る。

右にある建物は2000年に閉校となった旧種苧原小学校で、現在は公民館になっているようだ。
そう、青看の学校マークは既にウソという事になっていたのだった。




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このあたりが「自然休養地 四季の里古志」になるようで、その案内看板があった。
今シーズンはこれから整備するのか、あるいは利用者がほとんどいないので荒れているのか、そんな印象の一帯だった。新潟県の観光サイトには普通に案内されているので、廃止されたわけではないようだ。




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だんだん国道らしさがなくなっていく。
高原の気持ちの良い道ではあるが。

遠くに別の看板が建っていた。




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看板は「この先に萱峠トンネル建設予定」を示すものなのだが・・・

この場所に、年間いったい何人の人が来るのだろう?
この先にあるのはキャンプ場のみである。
同様の看板はこの手前にはまったく見あたらなかった。
なぜこんな目立たない場所にだけ建っているのか?
アピールしたくないというのが本音なのだろうか??




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現在地はこの辺

右に見える白い建物はビレッジの管理棟のようだ。
キャンプ場へはこの先を右折する。

地図上ではこのあたりまでが国道色に塗られているが、この先の道はどうなっているのだろうか。




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国道供用されていない区間になる。
道幅は7m程度確保されており、側溝も準備されているが、舗装は1.5車線分しかされていなかった。

(その6へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その6)

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【14年6月15日探索・7月15日公開】

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現在地はこの辺

舗装は途切れ途切れになっているが、晴れているので気持ちの良い道だ。
路盤は7m以上はあろうかという幅で続いている。
当然、将来は国道352号線として活躍するはずの未成道だ。




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最後の、まともな分岐地点だ。
右に行くとキャンプ場かな?




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その先、路面は1車線分だが、道路幅員も、側溝も、国道になる日を心待ちにしているように見えた。




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右側の側溝がここだけちゃんとしているのだが、ここで国道スペックを思わせる道路は終了した。




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50mくらい先の、怪しい分岐だ。
明らかに工事用道路にしか見えないが、直進方向に行く。




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小さな峠の先、道は少しだが下りになる。
で、前方だが・・・




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トンネルがあった。
いや、まだここでは貫通しているかが不明だ。
正確にはトンネル坑口があったというべきか。




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現在地はこの辺

この日は日曜日だったので静かなのかとも思うが、周囲の光景からは、工事が目立って進んでいるようには見えなかった。




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銘版があった。
萱峠トンネル、延長1206m、工期は2001年10月から2013年1月となっていた。
工事に12年もかかっているのも驚きだが、トンネルだけがポツンと完成しているという状況もまた驚きだった。




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トンネルの向こう側、明かりが見える。
銘版にあるとおり、完成しているという事で間違いなかろう。




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ズームアップ!!

光の見え方が何かおかしいが、気にしないでおこうか・・・

(一般の方は「その7」へつづく)
(ファンの方には「その6-1」があります)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その7)

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【14年6月15日探索・7月16日公開】

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現在地はここ
<進行方向は概ね5時の方角の県道>

種苧原集落の県道24号線と合流する交差点手前まで戻ってきた。

この先の進路だが、左のほうに写っている県道514号水沢新田種芋原線へ進もうと思う。
尾根伝いのかなり山道っぽいが、それと経由し国道291号線水沢トンネル近くに出ようというルート選定だった。




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なので、険道っぽいr514号へと、右折する。




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とても県道オーラのない、狭い道だった。
いきなりこれかよ・・・




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長岡市道との交差点になった。
県道はこの中で一番細い道へと進路をとるのだ。




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もちろん地図片手に進んでいるので間違いないとは思うが、ヘキサとか建ってないので、不安になる。

このデリニエーターにも何も書かれていない。裏側は・・・




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新潟県道で間違いなかった。よかった・・・




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基本、ほとんど離合スペースなどはなく、かなり崖が高いがガードレールの設置もほとんどないというのが本県道のスペックであるようだ。
絶対に夜間の走行などしたくない。




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この道のいい点はこの景色を独り占めできる事くらいか。
あとは交通量が少ない事か。
日曜日である事を割り引いても、まだ1台の車にも遭遇していない。




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この場所など実際、車が着たら自転車でさえ離合困難だろう。
ヘリオス号の全長は1.55mなので、幅員は2.2mあるかないかといったところだ。




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現在地はたぶんここ

分岐らしき場所があった。
右に行ってみたが、山道になるようなので引き返した。
道なりは直進だ。最初から直進にすればよかった・・・のかな?




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舗装が途切れた。
ダートになるであろう事は予想の範囲だった。が・・・




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10m進むとこうなった。
行きたい方向に道なんてない。
地図には描かれているが・・・




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一応先が続いていそうに見えたのは、進行方向150度くらい反対側にしかなかった。

少し考えたが、地図ですら間違えるような道を無理やり突破するにはリスクが大きいので、引き返してこの後のルートは変更するのが得策であろうと判断した。

(その8へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その8)

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【14年6月15日探索・7月17日公開】

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国道352号線種苧原まで戻り、余儀なくされたルート変更について、一人作戦会議を開いた。

結果、ピンクの矢印ルートへの変更、つまり、県道24・23号を利用し国道291号線経由での探索に変更することとした。
無論、これは大まかなルートを示しただけなので、寄り道は何箇所かで発生する。




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現在地はここ

左は旧県道であろう事は簡単に推測がつく。
この区間はノーマークだったので、この旧道と思しき道の探索も予定になかった。
再訪する事があれば、この左の道にも行ってみたい。




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棚田のような小さな規模の水田を中心とした景色がなかなか美しい。




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道路は県道24号栃尾山古志線なのだが、この区間は震災で付替えになったようだ。
ちなみにこれは中山大橋、平成19年9月竣功だ。




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前方、トンネルが2本あるようだ。




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現在地はここ

羽黒トンネル、どちらも2007年竣功の震災復興トンネルなのだが、元々、左側のは人道の手掘り隧道であった(そうだ)。




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旧役場側の坑口は2本がくっついているものだった。





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国道291号線に入り、さらに進んでいく。
木製の街路柱、いいねえ・・・




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立体交差のような箇所があった。
国道側には銘版がついており、それによれば竹沢隧道と呼んでいるようだ。




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現在地はここ

その先、この左に回りこむ道が怪しい!




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ここが山古志トンネル旧道の入り口だった。




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旧道に入った。
センターラインが薄れているのが、この先が廃道である事への静かな予告、のような気がした。

(その9へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その9)

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【14年6月15日探索・7月18日公開】

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現在地はこの辺

国道291号線旧道は緩やかに下っていた。
今でこそかつての日常的な光景が戻りつつあるとは思うが、10年前の中越地震によって相当光景が変わってしまったという。
それをどこまで見られるか・・・




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看板がほとんど倒れていた。
この先通り抜けができません。という長岡市設置の看板である。




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このあたりで有効幅員は1車線だ。
前の画像にもあったが、左に見えるのは現道の山古志トンネルである。




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旧国道は坂を上らないほうだ。
ガードレールバリケードが設置されていた。




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現在地はこの辺

ガードレールの向こう側だが、驚いた事に下草が刈り取られていた。
廃道のような道路でも管理はされているという事か??




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この擁壁?はどこから来たのだろうか??




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時折舗装が残っているのだが・・・




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道は終わっていた。
というか、下の方に沈み込んでいた。




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では、下に下りてみよう。




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10年前には国道であった道、つうか、ここが道だったなんて、とても信じられない。
画像のほうは雑草が成長したためか、いまひとつわかりやすいものが撮れなかった。

これ以上の強行突破はやめて、反対側に行ってみよう。

(その10につづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その10)

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【14年6月15日探索・7月19日公開】

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現在地はここ

国道291号線現道に戻った。
この画像は山古志トンネル手前の橋から旧道崩壊地点一帯を写したものになる。
ちょうど画像中心部あたりが崩壊箇所なのだが、緑が濃すぎてよくわからない。




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現在地はここ

2006年9月竣功、延長772mの山古志トンネルを抜けた。

ここは左に行く道が旧道になると見て間違いないようだ。




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やる気のなさそうな吹流し状のものがあった。ガードロープもやる気なしといった感じだが。
現地ではこの吹流し、何だろう?と思ったのだが、冬季の道幅目印と考えるのが妥当だろう。




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カーブミラーがあった。




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291と13の数字があった。
国道291号線の13番カーブ、もしくは13号ミラーといったところだろう。




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その先のカーブ地点なのだが・・・




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現在地はここ

このカーブに私はまんまと騙されてしまった。
設置型の色の違うガードレールが、いかにも怪しいと思えた。
左カーブの先の直線がどうも現代的な線形に思え、この先は旧国道と関係ないと思い込んでしまった。




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で、カーブ地点の設置型ガードレールの先へ行こうとしたが・・・




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すぐに道の痕跡などは見失った。

線形を調べなおして、いずれ再訪しよう。




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撤収記念?にこちら側からのガードレールバリケード「進入禁止」のズームアップ画像でも。

探索から外した部分に、きっと何か「お宝」があるのだろう。

(その11へつづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その11)

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【14年6月15日探索・7月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/45/54428545/img_0?1405780228

連載が長引いて、皆さん飽きてきていると思うのでピッチを上げ、今回を入れてあと2回で終了したい。

現在地はここ

なので、今回は場所が途中で飛ぶがご了承いただきたい。

現在渡っているのは国道291号新宇賀地橋だ。2006年9月に竣功している震災復興橋だ。
で、下に写っているのは旧橋のアプローチと橋台だ。

旧・宇賀地橋は崩落したわけではなかったが、この下流の地すべりの影響で河道が閉塞、水位上昇により水没したそうだ。




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現在地はこの辺

いったん国道291号線から離れ県道23号に入り、300mほど進んだ。
木篭(こごも)橋、2006年11月竣功の橋より見た光景なのだが、ここも先ほどと同じ地すべりの被害の跡がそのまま残されていたのだった。




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木篭地区13戸と県道約600mが地すべりでの河道閉塞・水位上昇により水没し、当時の状態で保存されたようだ。




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ほぼ同じ場所で振り返る。(ほぼ7時の方角を見た)

水没した集落全体で、高台に引っ越したようだ。
ちなみに、手前にあるのは郷見庵という公民館兼資料館兼売店兼食堂だ。




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現在地はここ

いよいよレポの最終目的地、中山隧道を目指すのだが、国道経由ではなくひとつ南側の道から行く。
なぜかって・・・




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現在地はこの辺

あった、たぶんこれだ。




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ここにあるのは・・・




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雪中隧道だ。
冬の雪深い中を通学する小学生のために地元有志が掘ったそうだ(後に県の事業になったそうだが)。
昭和52年(1977)に完成している(隧道データベースより)。

ちなみに、足もとに落ちている看板だが「なだれ危険に付き通行禁止 長岡土木事務所」と書いてあって、これがどこに設置されていたものかは不明だった。




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蛍光灯が設置されていたようだが、現在は廃隧道になっている。




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蛍光灯があった頃はもう少し明るかったのだろうが、全長623mもあった(隧道データベース)ようなので、小学生が一人で通過するのは怖かったのではなかろうか?
それでも豪雪地帯なので、5mを越す雪の中を歩く距離を少しでも減らそうという親心だったのだろう。




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そんな雪中隧道だが、150mくらい進んだ場所で水没を確認した。
この日は水没隧道対策グッズは持参していなかったので、ここで撤収!




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車道に沿って雪中隧道は掘り進められたようで、途中にも坑口(横穴)がある。




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が、覗くとそこは蝙蝠が多数飛び交うデンジャラスゾーンだった。




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その先にもう1箇所、同様の横穴があったが、こちらも蝙蝠がびゅんびゅん飛んでいた。

(その12・最終回につづく)

  

50万HIT記念 新潟県魚沼市・長岡市 山古志周辺探索(その12・最終回)

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【14年6月15日探索・7月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54430207/img_0?1405866246

現在地はここ

国道291号中山トンネルのすぐ隣に旧隧道がある。
ここは数年前の家族旅行で1度訪れた事があったのだが、その時には両側坑口付近しか歩いていなかった。
貫通している隧道に対して失礼な事をしていたので、今日はここを通過し、レポの最終地点としよう。




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多少観光地化されている気はするが、旧隧道が大切に保存されているという事でよしとしよう。




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山古志側の坑口付近には土木学会選奨土木遺産(ちなみにBランク)のプレートをはじめ、中山隧道祭りのポスター、隧道の沿革など、いろいろなものが貼ってある。

簡単に説明すると昭和8年着工、戦争で中断の後、昭和24年貫通の住民による手掘り隧道なのだ。
延長922m(土木学会資料)をツルハシで掘ったというから、頭が下がる。




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では参ろうか。ちなみに、ヘリオス号はずっと押しだ。




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一応、観光地になってはいるが、素掘り隧道内は相当暗い。
時折明りがあるが懐中電灯無しでの通過ははっきり行って怖い。

あれ?ここは横穴か?




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退避坑だったのか、物置だったのか、あるいは防空壕だったのかは不明だが3mほどの横穴があり、そこには工事で使ったのであろうトロッコ(復元?)が展示されていた。




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真っ暗な画像ばかりでつまらないと思い、ストロボを焚いてみた。
ここ、ちょうど強度不足だったのだろうか?支保工のような補強がされていた。
明るいとかえって怖いかも・・・




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手掘りの跡、かな?




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ここで大量出水があったようだ。




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昭和24年5月1日夕刻、ここで隧道は貫通した。




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ようやく広神側の光が見えてきた。
ここから数十メートルがコンクリ巻立てとなっているが、昭和50年代に落盤があり、補修されたものだそうだ。




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坑口近くになって路面がかなり濡れてきた。




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広神側坑口になる。
私はヘリオス同伴であった事もあったが、通過に16分も要していた。




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こちら側は自動車の通行はほとんど考慮されていない。
すごいヘアピンを通り・・・




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広神側の中山トンネル坑口前に出た。

現道のトンネルは1998年12月に完成している。
それまで旧隧道が国道291号線だったという記述がウェブ上にはいくつかあるのだが、本当にそうだったのかなあ? 私の手元の資料にはわからなかった。

★これで終わりです。連載にお付き合い頂きありがとうございました。いくつか未訪問となった場所や、国道352号萱峠トンネルの先の状況など、再訪はいずれするつもりです。★

  

東京都奥多摩町 城山トンネルアプローチ道(鳩ノ巣側)

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【14年7月13日探索・7月22日公開】

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現在地はここ

このレポの続き的なものになる。
都道45号城山トンネルの反対側がどんな状況かが気になっていた。

建設中の道路は鳩ノ巣大橋の近くの国道411号線に出てくるのは知っていたので、国道側からアプローチしてみよう。




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同じ場所で振り返ると工事の概要を示す看板が掲げられていた。

鳩ノ巣大橋の隣あたりに坑口がある??
まあいい。これから行ってみればわかる事だ。




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左側はずっと布が張られている。
既存の道路を拡幅するようだ。




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工期は来年3月までとなっているようだが、どこまで出来ているのだろう?




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10m先で振り返った。
右側部分は数メートル幅で人工的な地盤を造るようだが、まだ目に見えての進捗は無いようだ。




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現在地はここ

マピオン地図を拡大すると、工事中の道が点線で描き込まれていた。

一つ前の画像付近から、既存の道路と分かれ独自のルートを通る。
私がいる道路の正面が鳩ノ巣大橋で、左のアーチが工事中の道路になる。




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行っても大丈夫そうなポイントへ行ってみる。




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これが城山トンネル都道45号バイパス道だ。




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城山トンネルの扁額が装着されているのを確認!




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橋の名だが、将門大橋である事が判明した。
橋のほぼ北側300mに平将門を奉った「将門神社」があり、そこからの命名であろう。




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将門大橋はアーチであるが、ローゼ桁橋になるようだ。




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最後に、国道411号線、ちょうど将門神社下あたりのカーブ地点から撮影した2本の大橋の画像を掲載する。手前が鳩ノ巣大橋、奥は将門大橋・来年春供用開始かも?

  

山梨県早川町 グレーチングのトラス橋

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【14年5月18日探索・7月23日公開】

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現在地はここ

山梨県南巨摩郡早川町初鹿島 県道37号南アルプス公園線だ。
ここから前方、早川に架かるトラス橋が見えた。
ちなみにマピオン地図に於いては、この縮尺にしないと橋が表示されない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54435973/img_1?1406041345

橋の正面に来た。
9.0tの重量制限標識が建つが、解読困難になりつつある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/73/54435973/img_2?1406041345

橋の名は鷲尾橋、左親柱の銘版に竣功年月が1960年3月と記されていた。
ちなみに建造主は東京電力である。




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本橋の特徴、それは下路プラットトラスである事の他に、床面がグレーチング状になっている事だった。




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歩行者が渡るであろう隅っこ以外はグレーチングなのだが、この床面が竣功時のものである可能性は低いように見えた。




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渡った先、すぐ右にあるのは東京電力早川工務所、早川第一発電所も併設されているっぽい。




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現在地はここ

左を見る。
東京電力が架けた橋なのだが、専用橋というわけではなく、この先榑坪、笹走の集落へのアクセスルートとなっている。




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では戻るとしよう。
反対側もそうなのだが、親柱の劣化が激しい。




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戻る途中、県道に近づいたところで左を見るとこんな光景が見られる。
濁り湯の温泉を彷彿とさせる・・・??




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最後に遠景だ。
何だかジオラマを見ているようでもあるな・・・

  

埼玉県秩父市 倉明トンネルの先・リベンジ編(その1)

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【14年5月4日探索・7月24日公開】

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現在地はこの辺

埼玉県秩父市大滝 国道140号線から滝沢ダム側の旧道(この旧道は国道昇格前のものなので、県道210号線の旧道になる)に入りダム下近くにやってきた。

今日はこれからこの記事の場所のリベンジを果たすつもりだ。
前回の記事上では時間切れとなり翌週も再訪したが、あえなく撤退した経緯がある。しかし実は、記事にはしなかったものの、今年の1月に訪問したものの、三度撤退という苦汁をなめていたのだった。

2月に大雪が降ったので、4度目の訪問についての時期を窺っていたが5月に入り、いくらなんでも大丈夫だろうという事で、この日をリベンジ探索の日にした。




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滝沢ダム下は大雪の被害がまだ修復されていなかった。

ちなみに、普段なら階段も開放されている。右岸側の階段は堤体まで454段あるそうだ。

ここでヘリオス号は輪行仕様にする。




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ダム監査廊に入る。
まずは70段ほどの下り階段になる。




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監査廊の通路部分にはこの付近の動植物やダム建設の記録写真が展示されていた。




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滝沢ダムは平成20年4月に竣功となっているが、建設の進捗を逆に辿っていく。
まずは平成17年7月、試験湛水開始(10月)直前の状態だ。




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平成12年2月、国道(付替県道は国道140号線になった)は完成済みで、ダム本体工事に着手した頃だ。




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平成6年8月、付替道路の工事に着手した頃になるが、まだここに巨大ダムが造られるなんて信じられないような写真だ。

写真は毎年分あったが、ここに載せるのはこのくらいにしておく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/41/54437841/img_7?1406129017

エレベーターで50秒ほど、1階がダム堤体上になる。




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ヘリオス号、走行モードにチェンジ!




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堤体から下流方向を見ると雷電廿六木橋(正確には大滝大橋と廿六木大橋)が見えた。ジオラマみたいだな・・・




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せっかくだから、まったく同じ場所で「ミニチュアモード」にして遊んでみた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/41/54437841/img_11?1406129017

国道140号線に出てすぐに右折、滝沢サイクルパークの7段カーブを登る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/41/54437841/img_12?1406129017

7段カーブの上から覗くとこんな感じだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/41/54437841/img_13?1406129017

現在地はここ

倉明トンネルが見えてきた。
鍵のかけ忘れなんて事があるかもと思い、一応は点検してみるが、やはり開くはずがはなかった。

(その2へつづく)

  
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