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群馬県下仁田町 あの旧国道の木製トラス橋へ(その3・最終回)

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【14年5月25日探索・6月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54368604/img_0?1402839480

現在地はここ

現在の旧道の落合橋、昭和39年11月竣工だ。

で、右に旧橋が架かっているのだが・・・




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これじゃあ、ここに旧橋があることを知らない限り、まず気づかない。

とりあえず橋を少し渡ってみる。とは言っても、大御所さんのレポを見て訪問している私のスタンスは、無理して完全渡橋をするつもりはなかった。




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矢印のルートで旧橋側に来た。
ちなみに、この場所はまだ橋ではなく、橋台のあたりと思われる。




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橋としては5、6mくらい進んだだろうか。
前方左側に大きな床版欠落箇所があった。
こちら側はこんなもんでいいや。




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今度は反対側(東詰)にやってきた。
こちら側はちょっと進めそうになかった。




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それでも3歩くらいは進んでみた。
完全に下、見えてるし!

もし渡ろうとしても釘がびっしりで足を置く場所がなさそうだし・・・
深追いはしない。橋の上からは撤収!




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次に向かうのは橋の下になる。
橋の西詰側から崖を降りていく。

ちなみに、軽乗用車が停まっているが、中からは夫婦らしき2人が降りてきて旧橋の撮影をしていた。
同業者かと一瞬思ったが、橋の下に下りてくるようなことはなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/04/54368604/img_7?1402839480

このロープ、何だろう??
こんな細いロープで現橋から直接降りたツワモノでもいたのか??




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少々、木々が生長してしまったが、なかなかいい眺めだ。




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落合橋が架かる沢の名は西高畠沢という。
その上流も写してみた。
遠くに何かコンクリートの建造物が見えるが、何だろう?




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もう一度旧橋を見上げる。
木製ダブルトラス橋、廃されてから50年も経つのにこんな完全な形で残っているなんて!!




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山行がの追体験ではあったが、これだけのレアな橋、充分堪能できた。

(おわり)

  

東京都大田区 旧・羽田赤煉瓦堤防(前編)

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【14年2月23日探索・6月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_0?1402929777

現在地はこの辺

東京都大田区羽田6丁目 多摩川の河口付近だ。
この先、車道としての道なりで進んでいくと・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_1?1402929777

道路わきに低い煉瓦構造物が現れた。




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そしてそれは断続的に続いている。

これは昭和9年竣工の多摩川河口域の旧防潮堤の跡だった。
煉瓦の防潮堤というのはかなりレアであるようで、私も初めて見るものだった。

階段が付いているが、ここが現役時代はもっと高さがあったものと思われた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_3?1402929777

ただのオブジェのようになってしまった区間もある。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_4?1402929777

10mくらい離れた場所は堤のない箇所になるのだが、なぜかこの階段を積極的に利用しようとしている。手すりまで付けちゃった。




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道路側から見るとこんな2段の階段なのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_6?1402929777

防潮堤跡は現在600m余り残っているようだが、羽田6丁目側ではここが一番長く残っている区間のようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_7?1402929777

下にレールの痕跡がある。
ここはかつて防潮扉が設置されていた場所のようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/15/54373415/img_8?1402929777

何らかの事情でコンクリ階段が無い場所なのだが、後付けと思われる金属製階段の場所もあった。

素朴な疑問・・・ここ、階段、必要か??
階段が残っていると何か得する事情でもあるのだろうか?




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ここも恐らくオリジナルではない、手すり付きになっていた。




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河川側は7段ものステップがあるが、道路側にはステップなしのパターンも出現した。




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首都高速羽田線をくぐる手前でいったん煉瓦堤防は途切れる。
首都高の先に行ってみよう。

(後編につづく)

  

東京都大田区 旧・羽田赤煉瓦堤防(後編・おまけ付)

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【14年2月23日探索・6月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_0?1403018136

現在地はここ

首都高横羽線をくぐり、羽田2丁目に入った。
すると、赤煉瓦、復活。

あと、何か石碑が建っているが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_1?1403018136

石碑は「羽田の渡し」跡を示すものだった。
多摩川をこの場所で渡る渡し舟は、川崎大師の参詣客でにぎわったそうな。
昭和14年、先代になる大師橋が架けられて渡し舟の役目は終わったようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_2?1403018136

このあたりはかなり低い、というか上部しか残存していないが・・・




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その少し先の区間は一番の圧巻で、約100mもの煉瓦堤防が残っているのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_4?1403018136

しかもこの区間はほぼ完全に近く、下部までがちゃんと保存されているのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_5?1403018136

一番長い区間をもって、戦前の赤煉瓦堤防は終了となった。

ここからこの場所へと移動したのだが、その途中で見かけた猫画像がおまけになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_6?1403018136

茶トラ白、私の好きな模様の猫だが、顔を見せてはもらえなかった。
つか、モ、モザイクが必要だったかも(笑)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/92/54375392/img_7?1403018136

こちらはキジトラ君。
呼んだら「何だよう」という感じで振り返ってくれた。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 主要地方道脇の廃橋

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【14年6月1日探索・6月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54377364/img_0?1403106146

現在地はここ
<進行方向は2時、目的の橋は3時の方角>

埼玉県秩父市品沢 県道(主要地方道)43号皆野荒川線だ。
ここから約20m先で右のほうを見ると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54377364/img_1?1403106146

橋の記号があった場所だったので気になっていた。

どうも、普通の状態ではないようだ。
右の森のほうから近づいてみた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54377364/img_2?1403106146

橋はどうも、利用されていないっぽいな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54377364/img_3?1403106146

だって、これですもん!

桁部分は木製の電信柱の流用で、まだまだ丈夫そうだった。

で、普通なら桁部分を伝って右岸へ行けそうな気がするんだが、桁である電信柱に打ち付けられている床板が問題になりそうだった。
体重をかけた途端、床板と自分も落ちるなんて事にもなりかけなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54377364/img_4?1403106146

また、その作りから考えると、個人架橋であろう事も、渡橋をしない理由であった。

その代わり、下から1枚パチリ!

東京都武蔵村山市 主要地方道の七差路交差点

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【14年5月10日探索・6月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_0?1403195434

現在地はここ

東京都武蔵村山市三ツ木 都道5号新宿青梅線、というより、青梅街道と言ったほうがピンとくる方が多いだろう。
この交差点なのだが、私が進んできた方向から交差点の道に番号を付けてみた。
地図で言えば都道の10時方向が1番、4時方向は4番になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_1?1403195434

2番、3番はわかりにくいと思うので、道路反対側からもう一度見てみる。
地図で言えば上半分で1~4番になっているのがお判りかと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_2?1403195434

今度は下半分の道だが、地図で言えば7時と8時(一方通行)にそれぞれ6、7という数字を入れた。
そう、この交差点は珍しい7差路になっているのだ。

7差路交差点といえば大田区のここ山梨の8差路交差点が思い出されるが、既出の2箇所よりは少々わかりにくい。

そんな事より5番はどこかって??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_3?1403195434

5番は車道ではなく、水路沿いの小路だった。




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この小路、少しだけ進んでみよう。




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約20m先に架かっていたのがこの橋だった。
どう見たって自動車のような重量物が通行できる橋ではないようだ。
形式は・・・一応、下路ワーレントラス式・・・かな?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_6?1403195434

戻る途中に変なものを見つけた。
このカルバートは都道の「薬師橋」なのだが、その裏手にあった看板に書かれていた文言が・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/27/54378927/img_7?1403195434

この中へ入るな
危険 段差あり だって!!

これはある意味挑発とも取れる看板だ。
そもそも普通、こんなトコ、入ろうなんて思わないだろ!

最後にこの場所のyahoo地図の航空写真版を載せておこう。

  

静岡県沼津市 100年前の石造り隧道・重寺隧道

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【14年3月23日探索・6月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_0?1403278476

現在地はここ
<撮影方向・進行方向とも2時>

静岡県沼津市内浦重寺 県道17号沼津土肥線だ。
淡島マリンパーク付近の旧道にその隧道は残っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_1?1403278476

一方通行だが自転車は対象外だったので、このまま進む。
石造りが素敵なこの隧道、重寺隧道という。
大正3年(1914)竣功だというから今年でちょうど100年になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_2?1403278476

扁額はもちろん右書きだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_3?1403278476

隧道データベースによれば、幅員2.6m、延長26m、限界高3.4mと決して広くない。
なので旧道落ちは致し方ない。
まあ、こうやって現役隧道でいられるのだから幸せと言えようか。




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延長26mの短い隧道だが、石造りは坑口付近だけで、中央部は素掘りコンクリ吹きつけになっていた。
そしてその先は、補強(というか落石防護?)の支保工のような施工もされていた。



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_5?1403278476

反対側も坑口近くは石造りであった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/79/54380379/img_6?1403278476

北東側坑口だ。

この北東側坑口は南西側と造りは同様だったが、扁額がまったく読み取れなかった。


  

千葉県いすみ市 隠れ土木遺産?大正時代の石橋

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【14年2月22日探索・6月22日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/57/54382157/img_0?1403362351

現在地はここ
<撮影方向は6時、進行方向は5m先を9時>

千葉県いすみ市小沢 国道128号線の旧道だ。
この先の左のほうに小さな橋の記号があるのが気になった。

なので、この先を左折する。




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地図には道は描かれていないが、先に行く道はあるようだ。




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ほどなく橋が見えてきた。

ん!!この橋は!!




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橋の袂に石柱が建っていた。
橋の名称はたきかわはし、漢字は不明だ。




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そしてその石柱の側面には竣功年が刻まれていた。
大正九年十月と刻まれているの、お判りだろうか?

90年以上も前に架けられた橋だったんだ。




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90年以上も前の橋が崩れもせず残っていたのには、その素材が大きく影響していた。
この橋、石橋なのだ。




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そして橋脚もまた石造りだった。
御影石っぽいが、房州産である可能性が高そうだ。




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今や、通る人もほんの少数であろう橋だったが、道はその先にも続いている。




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線路にぶつかったが、踏切らしいものは見あたらなかった。
橋と外房線では外房線の方が7年前からあるのだが、あの橋の先代が存在したのかどうか・・・

この橋、ウェブ上ではまったくHITしないのだが、いすみ市の教育委員会の人の目に留まって、市の土木遺産なんて事になったらちょっとうれしいかも・・・

  

山梨県早川町 旧稲又川橋への道(その1)

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【14年5月18日探索・6月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54383924/img_0?1403449680

現在地はここ
<地図上では概ね10時方向に進む>

山梨県南巨摩郡早川町大島 県道37号南アルプス公園線から左折する。
この先は県道810号雨畑大島線になる。

私の一応の目的地は旧稲又川橋という、オブローダーにとってはちょっと名の知れた橋である。
目的地まではここから10km以上あり、それなりに見所も多かったので、そのアプローチ部でレポを構成しようと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/24/54383924/img_1?1403449680

県道810号は起点側で井川雨畑林道という林道に接続していて静岡県の梅ヶ島温泉に抜けられるのだが、探索日時点では途中崩落のために通り抜けができないという案内だった。

そんな県道810号線沿線で最初に私を出迎えてくれたのは・・・




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現在地はここ

まだ県道810号に入ってからは200mも進んでいないのだが、左に吊橋っぽいものを見つけた。




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これはまーくしていなかったので、テンションが上がった。
しかも、渡橋に関して咎める看板などはまったくなかった。




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では、さっそく渡ろう。




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左側には水路橋・・・かな??




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そしてこれが右側(上流側)だ。

下を行く道は工事用道路っぽいが、一応地図上ではバリケードなどは描かれていない。




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橋の床板の幅は約40cm、途中での離合は考慮されていない設計だろう。
この橋、橋自体への不安はまったく無いのだが、ものすごく揺れる橋だった。




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橋の先には頼りなさそうなシングルトラックが続いていた。
この橋の利用者は地元の林業関係者か、発電所関係者といったところだろうか。




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さあ、往復しないと先に進めない。
また揺れる橋を渡る。




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橋の長さは推定72mだ。
床板の木のスパンが20あって、おそらく1本が3.6m長の木材であろう事からの推測だった。

県道に戻って先に進もう。

(その2へつづく)

  

山梨県早川町 旧稲又川橋への道(その2)

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【14年5月18日探索・6月24日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54385850/img_0?1403534230

現在地はこの辺

吊橋のところから8分、だらだらとした上り坂が続いていた。
県道810号線に入って初めての集落、なのだが、どうも家屋は2軒しかないようだ。

近くにバス停(正確には予約制乗合タクシー停留所)があり、その名を見たら「二軒屋」だった。そのまんまだな・・・




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いい所だなあ・・・とは思うが、左の崖はごく最近地すべりがあったようだ。
人が住む環境としては、イイことばかりでもなさそうだ。


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/50/54385850/img_2?1403534230

先にトンネルが見えてきた。



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県道810号線初のトンネル、鳥屋トンネル、昭和60年施工だ。
内部はあまり広くない、という他はまったく普通のトンネルだった。




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さらに700mくらい進むと、またトンネルがあった。

左に旧道っぽい分岐があるが、ダム関係者以外立入禁止になっていたので、進入はあきらめた。




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現在地はここ

下見原隧道という扁額があった。
竣功を示す銘版がなかったが、ダム完成の昭和42年よりも少し前に完成したのではなかろうか。




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内部は、素掘りにコンクリ吹付けだった。

高さ制限3.5mの標識しかなかったが、ここもまた到底隧道内での離合など不可能だ。




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隧道を出ると、そこは湖だった。




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湖の名は雨畑湖、コンクリアーチのダムの名は雨畑ダムだ。
昭和42年完成の発電用ダムで、所有者は日本軽金属という民間企業だ。
静岡市清水区の蒲原製造所で使う、アルミニウム精錬のための電力をまかなっているそうだ。

JR東日本なども持ってはいるが、一民間企業所有のダムはかなり珍しい。




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現在地はここ

ダム湖の縁を進んでいく。
左カーブ地点があるのだが、大きく回っているのが旧道のようだ。




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現道との合流点付近に、変な方向を向いている標識があるが・・・




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落石の被害者であるようだ。
本来は矢印が90度左を指していたはずだった。

コイツ、何だか不憫だな・・・

(その3へつづく)

  

山梨県早川町 旧稲又川橋への道(その3)

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【14年5月18日探索・6月25日公開】

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現在地はこの辺
<進行方向は5時>

この先幅員減少の立て看板があった。
そう言えばかなり前の地点の道路情報で「馬場トンネル手前交互通行」という案内があったが、ここの事か。




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2月の大雪の影響なのか、他の災害に起因するところなのかは不明だったが、けっこう路盤が欠損していたようだ。交互通行だったが、信号機の設置は無い。こんな交通量だったので特に渋滞も起きていなかった。




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また隧道が見えてきた。




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馬場隧道、竣功年度は不明だ。
3.5mの高さ制限があるのはこの手前の隧道群と一緒だが、造りが少々違っているようだ。




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巻立てにはそれを補強する枠が付いていて、等間隔に設置されていた。
このあたり、地盤が弱いのかな。この施工がいつなされたものかもまったくの不明だ。




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現在地はここ

隧道を出て50mくらいの場所なのだが、mapion地図には縮尺を変えても馬場隧道は描かれていない。

それよりも、この先に湖を跨ぐ橋が架かっているようなので、寄り道してみる。




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やはり、予想通り、吊橋だった。
それにしても主塔、高いな・・・




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五人以上渡るなと書いてあった。
この吊橋は地図読みで約130m、けっこう長いぞ。




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橋の途中からは当然、湖が良く見える。

雨畑湖はかなり土砂堆積が進んでるようにも見えた。




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2分半ほどかかって対岸に着いた。
先に作業道が続いているようだが、ここですぐ引き返す。




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もう一度揺れる橋を渡る。
前のほうに人が写っているが、揺れのリズムを崩してしまうので前の人が渡り終えてから私は渡橋を開始した。




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橋の全景がなかなか撮れなかった。
通称、馬場の吊橋と呼ばれているようだ。

寄り道終了、先に進む。

(その4へつづく)

  

山梨県早川町 旧稲又川橋への道(その4)

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【14年5月18日探索・6月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54389256/img_0?1403710457

現在地はこの辺

硯島地区や老平地区の家々が見えた。
これらの地区にはかつて林鉄が通っていたとされる。
その跡は道路になったそうなのであまり遺構はなさそうだが。
今日は時間が無いので行かないが、いずれ探索をしてみたい。




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雨畑湖の上流端付近からはこんな光景が広がっていた。
砂防工事のようだが。




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その先で妙なものを発見した。
赤枠をズームアップする。




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謎のトンネルがあった。
○○工場第1作業坑と判読できた扁額のようなものがあったが、そもそも何のトンネルなのかが不明だった。




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原村集落だ。
このあたりから左折した先に、もう1本吊橋が架かっているはずだったのだが、アプローチ道がどうにも発見できなかった。
帰りにも寄ってみたのだが、やはりわからなかった。




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集落はずれから道は少し下る。




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現在地はここ

不動明王の赤い鳥居があり、そのすぐ先には道路情報板が設置されていた。
井川雨畑林道の情報板という事は、地図の通り、ここまでが県道810号線という事になろう。

井川雨畑林道は大雨の影響で、どこかで通行止になっているようだ。
私の目的地までは行けるかな??

林道に入る前に、ちょっとここを右折する。




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身神の滝である。高さ30mくらいはあったろうか。




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林道に入ったら途端に路面状態が悪化した。
舗装だって簡易っぽいし・・・




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改めて、道路情報板が設置されていた。
通行止で静岡県側には抜けられないのはわかるが、どこまで行けるのやら・・・




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道路の状態は明らかに悪くなった。
まあ、林道だから驚きはないが・・・




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八森隧道、昭和35年3月竣功の、林道としては相当古い部類に入る。

先を急ごう。

(その5・最終回につづく)

  

山梨県早川町 旧稲又川橋への道(その5・最終回)

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【14年5月18日探索・6月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_0?1403798957

現在地はたぶんこの辺

八森隧道の先、左にそれる細野集落への道があった。

林道が昭和35年に開通したのはおそらくここまでだろうと思う。
(事実、この先にあった道路構造物はすべて昭和40年竣功だった)

昭和40年以前はここから奥に行く事はできなかったのか? 否。
かつてこのあたりから稲又谷方面には森林鉄道があった(トワイライトゾーンマニュアル7より)。
そう考えるとだらだらとした道も少し楽しくなる。




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工事中かな??




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路盤ごとの崩落・・・じゃないな。路肩はちゃんと残っている。
そうなると、かなり大きな落石が直撃したというのが順当か。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_3?1403798957

その先、他にも路肩が崩落したっぽい箇所もあった。
2月の大雪のときの痕跡か?




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左の標識、何かおかしい!!
(落石注意の標識なのですが、何がおかしいかわかりましたか?)




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山梨県の林道によくある黄色いおにぎりも設置されていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_6?1403798957

林鉄跡だと言われると、そんな感じはする。

あ、ところで、左の標識、2枚上の画像の正解版です。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_7?1403798957

林道沿いに廃墟があった。
かつては人が住んでいたのか、作業詰め所のようなものだったのかは不明だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_8?1403798957

山をいくつも巻きながら高度を上げていく。
ちなみに、ここは隧道ではなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_9?1403798957

次の山を回り込む地点には隧道があった。
千島隧道、昭和40年3月竣功だ。
林鉄時代のものを拡幅したのだろうか?




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隧道の先、勾配が下りに転じた。
左に、少し立派な橋が架かっているのがチラッと見えた。
目的地か?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54390989/img_11?1403798957

現在地はここ

林道に入ってからちょうど40分が経過していた。

目的の「落ちそうで落ちない橋」みっけ!!

(次回、タイトルが変わります。橋の記事はもう1回続きます)


  

山梨県早川町 旧稲又川橋

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【14年5月18日探索・6月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54393264/img_0?1403931440

現在地はここ
<現橋は7時の方向、旧橋(跡)は6時の方向>

旧橋がどういう状態なのかは、パソコンの画面では何度か見ていた。
それにしても奇跡的とも言えるような状況での残存だ。




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現橋は「稲又川橋」という銘版が付いており、昭和59年3月竣功である事もわかった。
なので、ここへ向かう道のレポの時からこの廃橋を「旧稲又川橋」という呼び方をしているが、正式にそういう名称であったのかどうかは不明だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54393264/img_2?1403931440

この橋にわざわざやってきて上から見て終わりと言うのはあまりにつまらない。
なので、河原まで下りてきた。




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そう簡単にこの桁が落ちることはないとわかっていても、やはり真下は長居したくないな~。




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現橋との対比ではこの画像がいちばんお気に入りになった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/64/54393264/img_5?1403931440

旧橋の橋脚はもう1本残っていた。
ここまでの道路構造物の竣功年から推測すれば、この旧橋も昭和40年頃に建造されたものと思われる。
ただ、この橋の手前までは森林鉄道跡の改良であったのだが、森林鉄道はここで川を渡らずに稲又川右岸沿いに登っていたので、その事も加味して考えるともう少し後の年代である可能性もある。




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昭和57年の台風被害なのか、現橋が架かった後の災害なのかは不明だが、もう相当の期間こんな極めて不安定に見える状態を晒しているはずだ。
橋の付根部分が向こう岸に刺さっている状態なので、これからも撤去されない限りこの姿を残し続けるような気がする。




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河原の下流方向を見てみた。




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ズームアップすると、こんな感じのものがいくつか残されている。
これなんかも旧橋の関連のものなのかなあ。

(一連のレポは終わりです。林鉄跡も少しだけ行っていますがそれはまた後日)

群馬県下仁田町 閲覧注意?な案山子のいる橋

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【14年5月25日探索・6月29日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/81/54394181/img_0?1403972004

現在地はここ
<橋の方角は9時>

群馬県甘楽郡下仁田町東野牧 国道254号線を走行中の事だった。
この先、鏑川に橋が架かっているのだが、そこに3人等間隔で人がいるような何か妙な感じがして気になった。




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橋に近づいた。
釣りでもしている人がいるのかとも思ったのだが、どうもそれは人ではなかったようだ。




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かかし、と呼んでいいのかな?
オブジェか?なぜ橋の上にいるのだろうか?




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橋の竣功年度は不明だった。
また、橋の名前も親柱に刻まれた字からは解読が難しかったのだが、調べてみたら「森平橋」であるようだった。
近年まで自動車の通行ができた様だが、老朽化のためであろうか、現在は歩行者用の橋となっている。




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さて、その「かかし」なのだが、カビだらけ?のようにも見え、アップで見るのはやめたほうがよさそうな状態だった。




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そして橋の上だけじゃなく、橋から離れた場所(矢印の場所)にも設置されていた。




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こちらの矢印の場所にもそうであるようだ。

このかかしたち、鏑川に放流した魚を鳥から守るために設置されたものであるらしい。

理由がわかっても、やっぱりアップでは見ないほうが・・・

  

神奈川県相模原市 国道412号道志橋旧道(その1)

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【14年6月21日探索・6月30日公開】

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まずはこの地図をご覧頂こう。
地図は昭和22年資料修正版 5万分の1「上野原」の一部を加工して掲載した。

国道412号線の神奈川県相模原市緑区(旧・津久井郡相模湖町)の道志川を渡る箇所なのだが、昭和39年に新道志橋(今は「新」が取れているようだ)が出来、地図上では黄色いルートで一気に通過する区間となった。
だが、古い地図ではご覧のようなかなり遠回りな逆S字ルートを取っていたのだった。

私自身、この旧道は以前に訪問済みだったのだが、記事にしていなかったので、今回改めて訪問して記事にしてみようと思う。


 

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現在地はここ

神奈川県相模原市緑区寸沢嵐 国道412号線が相模湖方面から三ヶ木(みかげ)へ抜ける手前になる。
(新)道志橋北詰になる。
旧道の車道はここから右に分岐する。

 


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私は歩道を利用したので、道志橋の真下に出た。
車なら右から左に進む事になる。私もまずは左折する。




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元国道・・・いや、国道412号線の国道指定は昭和57年なので、ここが国道であった事はなかった。
それにしても昭和30年代にしては十分すぎる広さだった。




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右ヘアピンカーブを進むと・・・




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現在地はここ

この先、車両通行止のようだ。
看板設置者は相模湖町と津久井警察署になっていた。




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街灯があった。点灯するのかどうかは不明だが・・・




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同じ街灯は全部で5基あった。
そもそもこの道の現在の役割は??遊歩道??
この梯子を登ると、そこにあるのはラブホだし・・・




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遊歩道的な区間が終わった。
この先、横向きでスルーしそうな看板に、この先は関係者以外立入禁止と書かれていた。

なので、この先はスーパーズーム・・・?




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雑草の刈払いがされていた。
藪のままだと不都合な何かはあるという事だろう。




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広い道幅とガードレールがあった。
ガードレールについては昭和39年以前にものには見えないので、旧道落ち以降で設置された事になる。

(その2へつづく)

  

神奈川県相模原市 国道412号道志橋旧道(その2)

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【14年6月21日探索・7月1日公開】

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現在地はこの辺

路肩に境界柱があったので撮影した。
これは相模原市の市章であり、ここが相模原市道である事を主張していた。
この場所は合併前の相模湖町であるので、境界柱の設置は2006年以降という事になる。

手前に設置(放置?)されていた工事関係者以外立入禁止看板との整合性が取れなくなるが、これで私なりの言い訳も出来た。ここは公道だ。




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先に進む。
道路の幅自体は片側2車線近くあるが、現在の有効幅員としてはシングルトラックとなった。




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鉄製のフラッグ状のものがあった。
こちら側からの数字の判読は難しいが、反対側からだと16の数字が振ってあった。
何に利用していたものだろうか?




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先の方が明るくなってきた。




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旧道志橋の橋脚手前まで到達した。
昭和39年に現橋が竣功し旧道落ちしたのち、橋げたは昭和41年~昭和47年の間に撤去された(国土変遷アーカイブの航空写真よりの推測)ようだが、橋脚は今なお3本が残されている。

反対側に行ってみよう。




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現在地はここ

国道412号と413号の交差点である「三ヶ木(みかげ)」交差点だ。
すぐ左側にある県立津久井高校はあの小泉今日子が通った高校である。

話がそれた。
私は左方向からやってきたのだが、この後に行く旧道は左斜め方向の道になる。
ここから現・道志橋南詰間の約800mの旧道は、廃っぽさはまったく期待できない。
期待するのは、旧・県道相模原与瀬線時代の証拠となる何かである。




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と思い進んでいくと、全然関係ないものに目が留まった。




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森田病院と言う病院の敷地内の通路なので、部外者にどうこう言われるものではないのだろうが、かつて車が右側通行していた期間があったようで、その修正の跡があった。

探索には関係ないので先に進む。




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標識の設置者、境界柱、ここまでまったく期待に応えてくれるものはなかった。

そして、この先にまた境界柱があるのだが・・・




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神奈川県のマークだった!

ようやくこの道がかつて県道である事の名残を発見した。




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そして旧道のこの区間、800mが終わろうとしていた。
現・道志橋南詰交差点が見えてきた。

(その3へつづく)

  

神奈川県相模原市 国道412号道志橋旧道(その3)

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【14年6月21日探索・7月2日公開】

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現在地はここ
<進行方向はひとまず7時>

現・道志橋の南詰だ。ここで旧道は国道412号現道を横断する。




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旧道はここから4分の3周ほどの大きな円を描くように進む。
ちょうどアルファベットの「J」をひっくり返したような線形になる。

そんな旧道の進入路にはけっこう無理がある。歩道部分が階段である事からもお判りかと思う。
私が旧道に足を踏み入れた時、1台の軽トラックが国道の三ヶ木方向から左折し相当車体を傾かせながらこお進入路を通り過ぎていった。
撮影するタイミングが少し遅れてしまったのが残念だ。




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この進入部分、ガードレールのくたびれ方だけでもうらぶれた雰囲気があってちょっとソソられる。




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道は右カーブを描きながら緩やかに下る。

現在の道志橋による直線区間・約300mに対し、昭和39年までの旧道は約1500mもかかっていた。
ところで、なぜ昭和39年に整備されたのか?
それは、相模湖が東京オリンピック・カヌー競技の会場になったためのアクセスルート整備であった。




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橋があった。
名前を水道橋という。

竣功に関しては現在のところ不明だが、「水道」とは明治20年敷設の横浜水道の事であろうから、この橋もそれなりの歴史がありそうな事は推測が付く。




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どんな形式の橋かは少し後に行って確認する。

さしあたり、進行方向前方右の親柱付近に境界柱があったので、その確認から。




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よっしゃ!
神奈川県道時代の名残、ゲット!




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その先、旧道は直進になるのだが、水道橋を見るためにちょっと寄り道~




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これが水道橋だ。
形状はアーチのようだが、どうも形式的にはラーメンのような感じだ。




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寄り道から旧道に戻る分岐手前に「三ヶ木観光トイレ」があった。
ちょうど利用したかったのだが・・・やっぱりやめた。それは・・・




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「ボットン」自体は驚かない。

私が驚いたのは洋式のボットン便所が存在していた事だった。

一応、中も覗いてはみたが・・・私には絶対落ち着いて用を足すなんて無理!
今は普通の水洗に出来なくても、いろいろあるだろうに・・・
予算が付かない??でも、観光トイレならもう少しどうにか・・・切に要望したい!

(その4・最終回に続く)

  

神奈川県相模原市 国道412号道志橋旧道(その4・最終回)

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【14年6月21日探索・7月3日公開】

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現在地はこの辺

国道昇格前の旧・県道相模原与瀬線だった道は、ほぼ2車線幅のまま大きな右カーブに入ろうとしていた。




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カーブの途中あたりからは、何か工場敷地内という雰囲気になった。




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ただ、その先にもさらに民家が数軒ある。
その民家のあたりで舗装が途切れ、最終区間は未舗装になる。




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現役時代に舗装路であったのかどうかは不明だが、現在においては未舗装のまま、左カーブを取る。




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その、最終カーブを曲がったところの画像がこれになる。
もう少し先に進んでみよう。




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旧橋の橋脚がアップになり、美しいアーチを持つ現橋との対比ができる面白い画像が撮れた。




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一番川に近い橋脚は石造りであるようだ。
ここからの画像は「遺跡と現代」的なタイトルでも付けられそうな感じになった。




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旧相模湖町側の橋台が残っていた。
こちらも石造りのようだ。

廃止は昭和39年として、旧橋の竣功は一体いつごろだったのだろうか?




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私がアプローチしてきた三ヶ木側の橋台も残っていた。




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最後に現・道志橋から見た旧橋付近をご覧頂き、連載を終了とする。

(おわり)

  

静岡県沼津市 蛇松線跡・廃線跡は猫の楽園?(その1)

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【14年3月23日探索・7月4日公開】

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現在地はここ

静岡県沼津市千本港町 ここから11時の方向に県道159号線が延びているが、そこから分岐し12時の方向に延びる細い道がある。




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線路がまだ残っていた。
その細道こそがかつての蛇松線跡である。

蛇松線は明治32年(1899)開業・昭和49年(1974)廃止の東海道線支線の貨物線なのだが、実は東海道本線敷設のための資材運搬鉄道が元々の姿で、それは明治21年(1888)開業の静岡県内
最古の鉄道であった。




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造られた歩道に埋め込まれた線路よりもこの方がいいな。




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また路面電車チックな感じになった。




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花壇として余生を送っているレールもあった。




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公園があった。
この公園が一つ、ポイントではある。




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現在地はここ

沼津駅から延びてきた線路がここで2手に分かれていたのだった。
私は右方向から来たのだが、ここで左方向に行ってみることにした。




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が、途中には特に何も無かった。
300mくらい進んだ。踏切があったであろう道の先には・・・




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ここがかつての蛇松駅であるようだ。




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現在地はここ

腕木式信号と汽車の車輪が飾られていた。
かつてはミニ機関車もあったそうだが、それは撤去されていた。

元の場所に戻ろう。

(その2へつづく)

  

静岡県沼津市 蛇松線跡・廃線跡は猫の楽園?(後編)

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【14年3月23日探索・7月5日公開】

★画像が多かったので連載を3回にするつもりでしたが、内容がさほど濃くなく、2回にした方が妥当だろうと考え直しましたので「前編」「後編」に変更しました★

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現在地はこの辺

分岐地点までもどり、これからは沼津駅方向へと進む。
緑道に入ったあたりで前方に何か発見!




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黒白の猫だった。




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その先、県道159号線を渡った先で見つけたものは・・・




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国鉄の境界柱「エ」マークだった。




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その先の駐車場に、またしても猫発見!!しかも複数か?!




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くっきりした色合いの三毛。




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サビに近い色合いの三毛。




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少し白の割合が少なそうな茶トラ白。
ここには3匹いた。




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さらに前方から・・・




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風格のある茶トラ白。




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さらにこんなサビ猫や。




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別の茶トラ白もいた。

これだけ猫がたくさんいたら、もう遊歩道となった廃線跡なんてどうでも良くなってきた。
あとはサクッと進もう。




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現在地はここ

県道163号線を渡る。
現役時代はけっこう長い踏切だったはずだ。




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現在地はここ

遊歩道化された部分には線形以外、目立った遺構はないようだった。
最後の遺構はこの先、白っぽい倉庫にある。




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停まっている車の奥のほうを見てみる。




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辛うじて、埋まりながらも線路が残っていた。




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合流地点の先(沼津駅方向)まで進んだ。
一番手前の線路は蛇松線のものかと思い撮影したが、私が立っている駐車場になっている場所がどうも線路だったっぽい。

(おわり)

  
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