【14年3月16日探索・3月28日公開】
現在地はここ
カルバートが現れた。
都道はかなり上の方を走っている。
都道はかなり上の方を走っている。
右に何か標柱があるようだが・・・
東京都の境界柱だった。
こんなものがあると一瞬、私がいる道がかつて都道だったのか?などと考えてしまうが、この道は旧道ではない。
カルバートの上を走る都道31号の境界柱で間違いなかろう。
こんなものがあると一瞬、私がいる道がかつて都道だったのか?などと考えてしまうが、この道は旧道ではない。
カルバートの上を走る都道31号の境界柱で間違いなかろう。
では、カルバート入洞・・・
その前にこのカルバートがいつできたのかを考証したい。
その前にこのカルバートがいつできたのかを考証したい。
国土変遷アーカイブの航空写真だと昭和24年から昭和36年の間にこの区間の都道現道が出来ていると読み取れる。
また、私が持っている昭和27年応急修正版5万分の1地形図「五日市」には現道は描かれていない。
とりあえず昭和27年以降昭和36年までの間だという事は確定といっていいだろう。
また、私が持っている昭和27年応急修正版5万分の1地形図「五日市」には現道は描かれていない。
とりあえず昭和27年以降昭和36年までの間だという事は確定といっていいだろう。
可能性が高いのは新坂本橋の現道区間の竣工が昭和31年だったのでその少し後、昭和32年か33年あたりだろう。
隧道という名がついていても不思議でないカルバートの先は、砕石場のような雰囲気だった。
カルバートを抜け、そして振り返った。
坑口付近に何かあった。
坑口付近に何かあった。
碍子だった。
カルバートの中は、かつて照明でもあったのだろうか??
カルバートの中は、かつて照明でもあったのだろうか??
カルバートの先へ~
右にも道があるようだが、とりあえずこの左の坂道が気になった。
坂の手前では水路を渡るのだが・・・
この橋、何だ??
この橋、何だ??
横から見た。コンクリート製土橋・・・で、いいのかな?
つか、この橋、制限重量はどうなっているのだろう?
つか、この橋、制限重量はどうなっているのだろう?
坂を上った。立入禁止などの表記は見あらたなかった。
積み込み施設だろうか?
破損したまま放置されたのか?使用されていないのではないかという風に見えた。
破損したまま放置されたのか?使用されていないのではないかという風に見えた。
(その3・最終回へつづく)