Quantcast
Channel: 埼玉発 おとなの小探険
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live

45万HIT記念 静岡県静岡市 県道29号廃道群と沿道の吊橋たち(その9)

$
0
0
【14年3月29日探索・4月14日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_0?1397400977

現在地はここ
〈進行方向は5時半くらい〉

予想外の廃道だった。
左のおもりの乗っているこれはハニーボックスか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_1?1397400977

10mも進んだだけで藪はこうなった。
ここ、バラ科や山椒の木が多く、普通に歩くだけでも棘がウインドブレーカーに引っ掛かってなかなか進行できなかった。
つか、夏場だったら傷だらけになってしまう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_2?1397400977

崩落箇所があった。
簡易水道らしきパイプはまだ現役施設なのだろうか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_3?1397400977

破壊された木製バリケードが残っていた。
崩落の復旧工事だったのか、現道への切り替え作業中のものなのかは不明だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_4?1397400977

こんな大きな落石箇所もあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_5?1397400977

同じ場所で振り返る。
こんな惨状の廃道が現道のすぐとなりにずっと平行してあるなんて、相当レアだな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_6?1397400977

同じ場所を現道側から撮影するとこんな感じだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_7?1397400977

とりあえず先に進む。
廃道スタートから200m強あたりで、電信柱が旧道に戻ってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_8?1397400977

それでもまだ全然安心できないが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_9?1397400977

現道とほぼレベルが同じになった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_10?1397400977

上の画像から5mくらい進んで振り返った。
気にしなければそれまでという気もするが、現道のわずか10m隣ではこんな異次元な世界になっているのが何ともいえない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/20/54223020/img_11?1397400977

現在地はここ

現道へ合流~

と、すんなりとはいかないようだった。右に道路らしき平場が続いていた。
現道の建設工事は区間を分けたであろうから、工事期間中ここが接続ポイントになっていた可能性が高い。
そしてその建設時期だが、特定は難しかったものの、昭和40年代中盤くらいであったものと思われた。

(その10へつづく)

  

45万HIT記念 静岡県静岡市 県道29号廃道群と沿道の吊橋たち(その10)

$
0
0
【14年3月29日探索・4月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_0?1397488390

現在地はここ
<進行方向はほぼ6時>

いったん現道に合流したかに見えた旧道だが、まだ先があった。
旧道のルートは、mapion地図で言えば、大まかにはバス通りを示す点線のルートが近い。
ちなみにmapion地図には、他の地域でも廃道に近い旧道がバスルートとして描かれている事が、これまででもいくつかは見られていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_1?1397488390

空き地のような区間を過ぎると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_2?1397488390

小さな山越え区間に入った。
旧道は現道からは少し離れた場所を通っていた。
そしてその廃道には粗大ごみがいくつか捨てられていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_3?1397488390

何に利用されていたのか不明な杭があった。

このあたり、かなり道路の痕跡が薄くなってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_4?1397488390

現在地はこの辺

このあたりで撤収した。理由は「勘」だった。
この先で道は無くなるというかなり漠然とした勘だった。

この小さな峠越え区間はどうも未舗装のままだった可能性が高い。
現在でこれだけ道路の原型が残っていない区間だったので、早い段階からその危険性は指摘されていたのだろう。
航空写真を見る限り、昭和39年から昭和50年までの間で現道に切り替わった事はわかったが、比較的早い世代、おそらく昭和42~44年くらいに切り替わっていたのではないかと推測してみた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_5?1397488390

これは下の道からの撮影だ。
撤収地点の約20m先、ちょうど峠になろうかというあたりになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_6?1397488390

が、その先は道路らしき線形は認められなかった。
結果的には勘が当たった・・・のかな??





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_7?1397488390

旧道が失われたであろう区間はおよそ100mだった。
この画像は反対側の合流点から反対に見た所だが、ガードレールの先が旧道だったはぞの場所だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_8?1397488390

現在地はここ

合流地点からほんの60mくらい進むと小さな橋が架かっていた。
この橋、橋梁名は不明ながら、昭和10年4月竣工との歴史ある橋だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_9?1397488390

その橋のすぐ右手にはわさび田?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_10?1397488390

あ~、静岡県だなあという光景の先には・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_11?1397488390

現在地はここ

ここにも旧道が疑われる道があったのだが、人の目が多かったので、進入はやめておいた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/25/54225025/img_12?1397488390

まあ、その全体も見えるし、ここは妥協した。

(その11へつづく)

  

45万HIT記念 静岡県静岡市 県道29号廃道群と沿道の吊橋たち(その11)

$
0
0
【14年3月29日探索・4月16日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_0?1397573004

現在地はここ
<進行方向は概ね5時>

平野橋の100mくらい手前で、廃道区間を見つけた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_1?1397573004
旧橋のアプローチになっていたであろう道が、その役目を終えていた。
平野橋は平成3年竣工なので、この廃道区間も20年余り経過していた。

その平野橋で私が巡ってきた県道ルートとしては3回目の安倍川渡河になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_2?1397573004

現在地はここ

平野橋から3km程は特に記事にするような場所がなかった。
遠くに吊橋が見える、蕨野地区までやってきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_3?1397573004

ほぼ同じ場所の山側に何かが延びているのを見つけた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_4?1397573004

モノラックだった。
現在使用されているものかどうか不明だが、目立たないように少し登った急勾配途中に車両が停めてあった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_5?1397573004

上の画像から200mほど進み、右に入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_6?1397573004

現在地はここ

公民館の横を降りていった先には吊橋があるはずだ。
問題はそれが渡っていいかどうかなのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_7?1397573004

アウトだった。
看板が小さくて見えにくいが、農作業用の吊橋のため一般者は渡るなという趣旨の文面が書かれていた。

蕨野地区のこの吊橋、地図上での実測では235mもある。本日の5本の中では一番長いのだが・・・う~ん、残念!!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_8?1397573004

対岸にあるお茶畑の作業でも手伝うのなら、橋も渡っていいのだろうが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_9?1397573004

吊橋は人専用であるようで、荷物は平行して架かっている簡易ロープウエーが担当しているようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/89/54226889/img_10?1397573004

3径間の長大吊橋、渡橋できずに残念なり!

あと1本、600mほど下流の、最後の吊橋に行ってみよう。

(連載はあと2回です。その12へつづく)

  

45万HIT記念 静岡県静岡市 県道29号廃道群と沿道の吊橋たち(その12)

$
0
0
【14年3月29日探索・4月17日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_0?1397662179

現在地はここ

700mほど県道を南下し、いよいよ最後の吊橋へと向かった。
主塔が見えたところで右折する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_1?1397662179

ここは静清庵自然歩道に指定されており、一般者でも通行することが出来る橋だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_2?1397662179

渡橋の人数制限があった。10人以上は渡れない・・・9人か?
左下の看板には定員10人と書いてある。
まあ、そんな重量(約600kg)程度が制限と考えればいいようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_3?1397662179

この橋には名前がついていた。相渕橋、全長は264.2m(静岡市オクシズ100選HPより)、昭和52年竣工だ。
幅員は50cm強、完全歩行者用である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_4?1397662179

少し進んでから振り返った。
左に、この吊橋よりも高い主塔があるが、送電線用であるようだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_5?1397662179

3径間なので、途中でも主塔下を通る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_6?1397662179

デジカメのタイムスタンプを見ると渡り始めから4分が過ぎていた。
ようやく対岸だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_7?1397662179

主塔、高いな・・・

実はこの主塔を撮影する時に、私はとんでもないミスをしてしまったのだ。
それは、主塔が高かったため後ずさりしている時に起きた。
最後に一歩下がった所には地面が無く、私はそのまま真っ逆さまに頭からがけ下に落下してしまったのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_8?1397662179

それがこの左下のあたりになるのだが、それでも幸い軽症で済んだ。
その理由はヘルメットを被っていた事、崖といっても1m程度だった事、頭が着地するのとたぶん同時くらいに足がお茶の木に引っ掛かって頭への衝撃が軽減された事の3点だろう

目撃者はいなかったようだが、痛さよりもまずとんでもなく恥ずかしかった。
で、体へのダメージだが、擦り傷多数と軽いムチウチ様の症状があり、振り返るのが苦痛な感じになった。
これは自転車乗りにとってはかなり困る事になったが、静岡駅までなら何とか行けるだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_9?1397662179

動揺は大きかったが、気を取り直して全景を。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_10?1397662179

これは1往復した後に撮影したものになる。

何か、外れてますけど・・・
そういえばこの付近、よく揺れたような・・・

まあそれでも最後の橋を渡り終えた。これにて終了~

ちょ、ちょっと待って!
何名かの方は1枚目画像を見て、何かに気づいておられたと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/42/54228642/img_11?1397662179

では改めて1枚目画像だ。

この左の細い道を見つけてしまったのだった。

これ、絶対県道の旧道だよ・・・

(その13・最終回につづく)
 
 

45万HIT記念 静岡県静岡市 県道29号廃道群と沿道の吊橋たち(その13・最終回)

$
0
0
【14年3月29日探索・4月18日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_0?1397749370

現在地はここ
<地図上・進行方向は5時>

どう見たって旧道だった。
帰りの時間や転落によるダメージもあったが、とにかく行ってみよう。
痛む首筋を押さえながら左の道を進んだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_1?1397749370

現道は直線的で勾配のない道になっているが、旧道は山の縁を縫うような感じで道がついていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_2?1397749370

祠があった。
ここまでは時折地元の人が入ってくるのだろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_3?1397749370

そのすぐ先で小さな沢を渡る。
この画像は渡りきったあとに振り返るようにして撮影したものになる。
丸石積みのカルバートが年代を感じさせる。

現道は航空写真(国土変遷アーカイブ)での推測では昭和40年台末か昭和50年台初期頃に出来ているのではないかと思う。
で、旧道の自動車が通行可能な道はと言うと、昭和10年にはこのはるか上流の中平地区までの道路が開通していた(確証はないが、中平地区手前の橋が完成していた)可能性が高い。
そうなると、この丸石カルバートも昭和初期のものである可能性が高かった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_4?1397749370

祠の場所から先は急に廃道オーラ全開になる。
崩落あり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_5?1397749370

このあたりだって充分怪しげだ。
下には人家があるというのに崖上のガードレールのこちら側は別世界である。

矢印をつけるのを忘れたが、この画像の中央付近をアップする。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_6?1397749370

「キケン1万ボルト」だって?
これに気づく前に線に触れちゃったよ、もう・・・

感電しなかったのは幸いなのか??

このガードレールが切れるあたりで道はなくなる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_7?1397749370

こんな感じで。

人家付近には人がいた事もあり、これはいったん撤収しその先の区間へ向かおう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_8?1397749370

私が撤退した地点から、確かに数十メートルくらい、道は無いように見えた。
その先は現道からこんな感じに見える。道路が復活している以上行きたかったのだが、すぐ近くにいちご販売所があり、目立ちすぎるのでやめておいた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_9?1397749370

現在地はこの辺

ゴール地点と定めた玉機橋交差点まではあと300mほどか。

旧道は現道に合流したかに見えたが、再び廃オーラプンプンで私を誘っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_10?1397749370

それでも入り口付近はこのモノラックが現役ならば利用されていることになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_11?1397749370

その先、激藪!

似たような画像を並べてもしようがないのでこれ1枚にしておくが、100mくらい竹中心の激藪が続いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_12?1397749370

謎のタンクがあるあたりからは状況は大幅に改善された。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/56/54230256/img_13?1397749370

現道と合流したすぐ先は県道27号との交点、ゴール地点と決めていた玉機橋だった。

(ここまでお読み頂きありがとうございます。連載は終了です。)

  

千葉県いすみ市 消波堤歩道(前編)

$
0
0
【14年3月8日探索・4月19日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_0?1397838636

現在地はここ

千葉県いすみ市大原 海沿い物件である状態の場所を探していた。
ここを右折する。<地図上、進行方向は1時、のち3時>




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_1?1397838636

海へと一直線に向かう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_2?1397838636

とりあえず海に着いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_3?1397838636

突き当たりの右側は個人宅の敷地になっているようで、進行不能だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_4?1397838636

現在地はここ

この、どことなく怪しげなラーメン橋が架かっている、突き当たり左側が進行可能になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_5?1397838636

橋を渡って、その先へ~




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_6?1397838636

何だ、こりゃ?
いすみ市内の海岸線にはこの看板が設置されている事が多いが、この場所にはなぜか何も設置されていなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/91/54232091/img_7?1397838636

なので、先に進む。
とは言え、何かあれば自己責任になるだろう。慎重に進む。

(後編につづく)

  

千葉県いすみ市 消波堤歩道(後編)

$
0
0
【14年3月8日探索・4月20日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_0?1397918226

現在地はここ

消波堤の一部はこのようにひっくり返ってしまっている。
斜めになっていて不安定そうな「路面」を進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_1?1397918226

崩壊区間を抜け、今通ってきたところを振り返った。
入り口の橋のあたりに人がいて、私のほうを見ているようにも見えたが、気にせず先に進もう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_2?1397918226

消波堤は付け根のほうが酷い状況だったが、その先は自転車でも走行できそうなほど、見た目は普通だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_3?1397918226

どこかへつながっている訳では無いようだ。
終端らしき部分が見えてきた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_4?1397918226

ここでまた振り返った。
この画像だけ見たら、いたって普通の海辺の光景だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_5?1397918226

せっかくだから突端まで行ってみよう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_6?1397918226

突端からやや左(というか正面)方向を見る。

あのコンクリート構造物、一体何だろう??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/58/54233758/img_7?1397918226

やや右方向を見る。

湾を挟んだ反対側にも消波堤が延びて来ていた。
この湾は何かに利用するために消波堤が欠落しているのか、予算が無く単に30m程度短くする事になったのか、あくまで海岸の崖の保護のためだけが目的で、最初から余計な部分は予定されていなかったのか? なんて、どうでもいいような事を考えていた。

  

群馬県藤岡市 国道462号今里橋旧道

$
0
0
【13年10月14日探索・14年4月21日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_0?1398012595
現在地はここ

群馬県藤岡市譲原 あの廃道に仁王立ちのおにぎりの場所から3kmほど南に位置している。

ここに見るからに橋を迂回する旧道、しかも一見して廃道だとわかる区間があった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_1?1398012595

国道462号現道に架かる橋は今里橋といい、平成11年(1999)5月完成である。
つまり旧道落ちしてから14年程度という熟成期間ということになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_2?1398012595

右に、何か立っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_3?1398012595

青っぽい標識だったので、まさか、おにぎり! と思ったが、カーブナンバーの案内看板だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_4?1398012595

それほど長くない橋の迂回路なので廃道自体も長くないのだが、反対側はj人工的に盛り土したようで、通り抜けができなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/19/54237619/img_5?1398012595

反対側から見た。
電信柱は未だに旧道経由のようだが、こちら側から見ても道路があったという風には見えにくくなっていた。
 

埼玉県秩父市 明治の素掘隧道

$
0
0
【14年4月6日探索・4月22日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_0?1398092773

現在地はここ

埼玉県秩父市大滝 国道140号にある大達原バス停と観光トイレのところを右折する。
今日はこの手掘隧道への6年ぶりに訪問しようと考えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_1?1398092773

けっこうな上り坂で私は途中で乗車をあきらめた。
押しの時間のほうが長かったかな・・・国道からだと14分後にようやく分岐地点にやってきた。
これも、右である。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_2?1398092773

かつての三峰参詣道だが、いまやただの集落の隅の道である。
今度もまた右に進路をとる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_3?1398092773

現在地はここ

一本道になるが、地図には描かれていない。
目指すのは地図上で2時の方向にある点線だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_4?1398092773

全体的には景色がイマイチな道なのだが、この一角だけは木を伐採したしたせいか、眺望が開けていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_5?1398092773

そのすぐ先を左折すれば・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_6?1398092773

隧道出現!
大震災や豪雨、この冬の大雪にも隧道は耐えていたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_7?1398092773

内部も素掘健在だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_8?1398092773

それにしてもデカイよな。
幅員3.45m、高さ4.8mもある(現地看板より)。
かつては三峰参詣道だったことから荷車は確実に通行していただろう。
・・・にしてもでかすぎだよな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_9?1398092773

隧道を抜けそのまま歩いていけば光岩地区まで抜けられるが、今回は再訪だし省略した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_10?1398092773

先ほど隧道がデカイと書いたが、伝わりにくいかと思い、この1枚も撮影した。
明治30年頃完成の手掘隧道、やっぱり必要以上にデカイな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_11?1398092773

引き返そうと思い、思わず見上げたところ、何かあるのを発見した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/98/54242598/img_12?1398092773

スズメバチの巣であるようだった。
キイロスズメバチかな?

この時期にあったものなので、過去に使用されていたものだろうが、いい気持ちはしないな。

  

東京都八王子市~あきる野市 都道32号旧道小峰隧道(前編)

$
0
0
【14年3月16日探索・4月23日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_0?1398178990

現在地はここ

東京都八王子市上川町 都道32号八王子五日市線だ。
また再訪記事になってしまったが、この市境の旧道も実に6年ぶりとなる。
あれから何か変わっているのか、いないのか??

さっそく分岐を右に入ろう。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_1?1398178990

すぐにあった案内は「五日市方面車両通行止!」の看板だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_2?1398178990

続いて登場したのがこの標識だ。
これは6年前にはたぶん無かったと思う。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_3?1398178990

ここで四輪は物理的に撤退を余儀なくされる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_4?1398178990

そしてその20m先にある、バリケードにより二輪車も相当通行困難である。
私のヘリオス号は持ち上げて通過した。
このバリケードは6年前からほとんど変わっていないようだが「不法投棄監視中」の看板は無かったな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_5?1398178990

この小峰峠の旧道は廃道になってはいないものの、通行者はかなり少ない。
「小峰トンネル」で検索するとかなりヒットするのだが、そのほとんどが心霊スポット関連の記事だったりする。あの宮崎勤が女の子の遺体を遺棄したとされるのもこの旧道沿いらしい。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_6?1398178990

矢印をつけるのを失念したが、左下にはけっこう新しそうな都道境界柱が建っていた。
新小峰トンネルが竣工したのは平成11年(1999)2月(6年前の記事では平成14年と書いたが誤りのようだ)だが、どうもそれ以降のものかも?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_7?1398178990

けっこう倒木があった。
2月の大雪の被害であろうか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_8?1398178990

丸石の擁壁と熟成が進んだ路面、いい感じだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_9?1398178990

この左側、何の場所だったのだろうか?
覗き見たりはしなかったが、熟成が進んだことは表面からの印象だけでわかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_10?1398178990

心霊スポットである事を除いても、夜間には来たくない雰囲気だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/10/54246510/img_11?1398178990

小峰峠の看板を過ぎると、旧隧道が見えてきた。

(後編につづく)

  

東京都八王子市~あきる野市 都道32号旧道小峰隧道(後編)

$
0
0
【14年3月16日探索・4月24日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_0?1398264035

現在地はここ

mapion地図をそのまま信じれば、ここにバス停がある事になっているが、もちろんそんなはずはない。
扁額には右書きで「小峯隧道」と刻まれている旧隧道だが、意外なことに内部には今でも照明が点灯していたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_1?1398264035

内部はコンクリート吹きつけになっていた。
2006年3月に施工された旨のプレートがあったが、それ以前はどんなだったのだろうか?
つか、2006年と言ったら、既に旧道となっていて車は通行しなくなっている時期のはずだ。
都が保存しようという事なのか?にしてはもう少し坑口とか体裁よくできなかったものか?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_2?1398264035

反対側は隧道を出るとすぐ両側石垣擁壁になっている。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_3?1398264035

五日市側の坑口だ。
こちら側の扁額には右書きで「大正五年二月成」と刻まれていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_4?1398264035

ここもまた2月の大雪の被害だろうか。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_5?1398264035

その先では雪が10cm近く残っていた。
大雪から1ヶ月以上が経っていたのに、まだ日影ではこんな状態だった事に驚いた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_6?1398264035

それでも旧道全体としては、なかなか良い雰囲気だと思う。
送電線は旧道経由で今でも使用されているようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_7?1398264035

2車線幅の場所では、かつての主要地方道は明らかそのスペックを持て余していた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_8?1398264035

五日市側の、一つ目のゲートが見えてきた。
そして、左側には・・・何?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_9?1398264035

焼却炉、かな?
道路の反対側には東京都水道局の小峰配水所があるが、その関連のもの?
いずれにせよあまり使われていないように見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_10?1398264035

配水所から先は、廃のオーラがほとんどなくなった。
100mも走ると2つ目のゲートになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/97/54249397/img_11?1398264035

最後に合流地点を五日市側から撮影した。
正面が新小峰トンネル、旧道は左になる。

(おわり)

  

静岡県伊豆の国市 木製じゃない丸太橋2つ

$
0
0
【14年3月23日探索・4月25日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54249407/img_0?1398264405

現在地はここ

静岡県伊豆の国市長瀬 国道136号バイパス長岡ICのすぐ隣だ。

ここに一見何の変哲もない鉄板橋が架かっている。
この橋、よく見ると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54249407/img_1?1398264405

桁部分が電柱の再利用だった。
真ん中の部分が見えないが、10本以上使用しているように見えた。
これならトラクターくらいの重量には充分耐えそうだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54249407/img_2?1398264405

現在地はここ

先ほどの橋から180mくらい、地図の向きでは8時の方角に進んできた。
この左側に架かる橋なのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54249407/img_3?1398264405

9本の鉄パイプをいかだのように縛って橋にしているという、けっこうありそうで無いタイプの橋だった。

神奈川県相模原市 国道20号吉野橋旧橋痕跡(その1)

$
0
0
【14年1月26日探索・4月26日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_1?1398442719

現在地はここ
<とりあえず2時の方向を見ての撮影>

神奈川県相模原市緑区吉野 国道20号吉野橋の南詰にいる。
BAZUさんの記事を読んで、これはすぐにでも行かねばと思い、記事にコメントを入れた翌日に、ろくすっぽ調査もせずに訪問してしまったのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_0?1398442719

左折する前にこの地図をごらん頂こう。

昭和22年資料修正版5万分の1地形図「上野原」から一部を抜粋した。
この丸印の中だが、吉野橋は昭和8年に竣工しているので、国道8号線(当時)の線形はこうではないはずなのだが、測量自体は昭和4年の地図なのでこういった間違いはけっこうあったのかもしれない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_2?1398442719

で、左折・・・
いきなりの探索終了!

・・・それじゃあまりにも来た甲斐がない。
迂回ルートのようなものはないのかな。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_3?1398442719

坂を上って住宅街から探索したいあたりの全景を写した。
旧橋(猿橋という名のようだが)が架かっていたであろう場所はちょうど画像中心付近か。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_4?1398442719

現在地はここ

何とか行けるルートが無いものか、上から攻めてみる。
次の分岐は右に下る道だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_5?1398442719

さらに住宅の脇の道へと入る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_6?1398442719

幸い、道はまだ車が通れるくらいの幅で続いていた。
ヘリオス号はここで待機させる事にした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_7?1398442719

その先へ進むとシングルトラックだが、ちゃんと道が続いていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_8?1398442719

山道がどこかで終わるのかと思ったら、何やらコンクリとフェンスらしき構造物があった。
これって、もしや・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/12/54254512/img_9?1398442719

現在地はここ
<6時の方向を見て撮影>

やったね!
すんなり入る事は難しいのかと思ったら、迂回こそしたものの、すんなり行けそうだ。
ロープなどが張られている場所も無いようだし、進入禁止の類の表記も見当たらない。

(その2へつづく)

  

神奈川県相模原市 国道20号吉野橋旧橋痕跡(その2)

$
0
0
【14年1月26日探索・4月27日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_0?1398523791

とりあえず、現道に架かる吉野橋(昭和8年架橋)を撮影した。
中央本線の下り列車の車窓からだと、ほんの一瞬だけ見る事ができる。
対岸からズームアップでもすればよかったのかもしれなかったが、私はこれまでこの橋の全景写真が撮れないでいたので、思いがけずの収穫だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_1?1398523791

探索ポイントの航空写真
<航空写真左の階段途中から2時の方角を向いて撮影>

航空写真モードでも示したが、この道路のカーブ突端付近が探索ポイントになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_3?1398523791

階段を降りた。
この斜めの階段、画像では伝わらないかもしれないが、ものすごく降りにくかった(当然帰りも登りにくかった)。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_2?1398523791

いざ、目的地へ~




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_4?1398523791

ガードレールを越え、橋台と思しき場所へ足を踏み入れた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_5?1398523791

まずは足元、湖方向をよく見てみる。
航空写真では橋脚らしきものが見えるのだが、藪の中にあるのだろう。見えない。





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_6?1398523791

続いて対岸。
凹凸があまりないようにも見えるが、画像を拡大してよく見ると、石造りの橋脚であるようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_7?1398523791

で、私が立っている場所だが、うまい画像が撮れなかった。
しかし、これが吉野橋旧橋(新猿橋)の橋台で間違いないと思う。
明治29年(1896)架橋時のものだとすれば120年近くも経過している事になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/00/54257000/img_8?1398523791

最後に少し移動した場所で、手前側橋脚と思しきものを発見した。
1月末の撮影でもこれが精一杯だった。

じゃ、反対側、行ってみようか。
ただ、旧道っぽい道、航空写真で見る限り、個人の敷地のように見えて仕方が無いのが気になるな・・・

(その3へつづく)

  

神奈川県相模原市 国道20号吉野橋旧橋痕跡(その3)

$
0
0
【14年1月26日探索・4月28日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_0?1398608922

現在地はここ

左折し地図上では12時の方向へ向かう。378番地と描かれたあたりを通過して先に行けるのかどうかがポイントになる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_9?1398608922

まずは問題なし。
この道がかつて国道8号線だったんだなあ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_2?1398608922

進むにつれ怪しい感じになっていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_10?1398608922

上の画像から40mくらい進んだ道路端に境界票があった。
「藤野町」の文字が刻まれており、少なくともここは合併した後の相模原市道という事になる。
ひとまず安心。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_4?1398608922

が、舗装が途切れるあたりから俄然怪しげな雰囲気になってくる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_5?1398608922

使用されていないような物置?があったり・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_6?1398608922

民家の先に何かがあって、そのオーラが私を受け付けていないように感じた。
あるいは普通に通行できたのかも知れないが、チキンな私にはその選択肢はなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_7?1398608922

それでもどうにか反対側の何かあるかもしれない痕跡が見たかった。
かくなる上は、1本上を走る道から崖を降りて、建物の無いエリア(378番地の先)に到達する事を考えた。

1本上の道をウロウロする事2往復・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/11/54262011/img_8?1398608922

現在地はここ

自治会倉庫の脇から使用されていないっぽい古い階段があるのを発見した。
下の道まではつながっていない様だが、途中まではどうにか利用できそうだ。
ここから下降を開始する。

(その4・最終回につづく)

  

神奈川県相模原市 国道20号吉野橋旧橋痕跡(その4・最終回)

$
0
0
【14年1月26日探索・4月29日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_0?1398697235

現在地はここ
<11時の方向へ進む>

廃階段を慎重に下りていく。
階段には一応手すりも残っているが、とても体重を預けることなど出来る状態のものではなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_1?1398697235

で、階段を下りた先にあったのは、これまた謎のスペースだった。
物置だったのか、集会所のようなものだったのか??




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_2?1398697235

廃とは言え階段すらなくなると、45度を越す角度の崖を1歩ずつ降りていく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_3?1398697235

現在地はここ

下降開始から8分かけて、旧道と思える場所に降り立った。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_4?1398697235

同じ場所で振り返った。
30mほど先に私の進入を拒んでいた(あるいは思い込みか?)建物があった。
ペット葬儀の会社であるようだが・・・焼却炉らしきものが見えるな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_5?1398697235

回れ、右!
夕刻になっており、時間に余裕は無い。
大正国道8号線だった道を進んでいく。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_6?1398697235

現在地はここ

ここで、道は終わるようだ。
という事は当然・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_7?1398697235

路面の1段下から撮影する。
はっきりと見えないのがもどかしいが、確かに石垣が残っていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_8?1398697235

反対側を臨む。

これまた画像でははっきりとは見えないのだが、確かに橋台と橋脚が見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/60/54265160/img_9?1398697235

路面の隅から下を向いて撮影した。
石垣が確かにあるの、お判り頂けただろうか?

最後にもう一度BAZUさんの記事をリンクさせてもらう。
橋の形状など、参照しながら私の記事を読み直して頂けたら嬉しく思う。

(おわり)

  

埼玉県秩父市 林道?の旧橋

$
0
0
【14年4月6日探索・4月30日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54266890/img_0?1398773715

現在地はここ

埼玉県秩父市荒川白久 林道らしき道(標識がなかったので、あるいは市道か?)に架かる橋の近くに気になる記号があった。
私は地図上では6時の方向を向いているのだが、現道の橋の他にいくつか堰らしき記号がある。そして、現道の橋のすぐ下流側に小さな橋らしき記号があったのが気になったのだった。

こういう場合、たいてい水管橋でも架かっている事が多いのだが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54266890/img_1?1398773715

それは意外な事に旧橋が残っていたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54266890/img_2?1398773715

旧橋のスペックは幅員1.5m程度で、どう見たって車道の橋ではない。
また、現道の橋にも竣工や名称等の情報が一切無く、旧橋がいつごろまで使われていたのかも不明だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54266890/img_3?1398773715

人が渡るだけの橋で、鋼製の橋を架けた事にもまた疑問があった。
けっこう謎の橋だな・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/90/54266890/img_4?1398773715

そして旧橋の構造だが、ラーメン構造を採用していたのだった。
地図の縮尺を縮小すると、すぐ近くを歩道らしき点線が熊倉山方面に延びているが、この橋は登山者のための橋だったのかもしれない。

  

東京都八王子市 個人で架橋?車道スペックの廃木橋

$
0
0
【14年3月16日探索・5月1日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54269009/img_0?1398872963
 
現在地はここ

東京都八王子市上川町 県道32号から今熊神社方面に100mほど入ったところに来た。
この先に廃オーラを感じた私は、ここで急いでカメラのシャッターを切った。

この先、地図上では現在地の下側に描かれている橋が今回の主役になる。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54269009/img_1?1398872963

そう、登場したのは廃木橋であった。
しかし、入り口にチェーンがかけられているのと、周囲に人と交通量が多かったので渡橋はあきらめた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54269009/img_2?1398872963

とりあえず構造を・・・
これは!!

構造的には桁橋になるのだろうが、ラーメン橋を思わせるような橋、ちょうど高麗川の橋を思い出した。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/09/54269009/img_3?1398872963

橋の先だが、地図を見ると建物が見える。
したがって古道由来の橋ではなく、個人宅への専用橋だったと考えるのが自然だろう。

床板自体は木橋ながら、これだけしっかりと造られているのとその幅員(約3m)からすると、車道の橋だったと考えるべきか。

静岡県沼津市 旧隧道?実は戦争遺跡

$
0
0
【14年3月23日探索・5月2日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_0?1398957748

現在地はこの辺

静岡県沼津市内浦小海 県道17号線を走行中だ。
左に淡島が見えてきた。この画像は何かソソられる「島」に対してのショットだったのだが、この先で思わぬものを発見したため、このレポの1枚目に抜擢された。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_1?1398957748

現在地はここ

島合洞(読みはたぶん「しまあいぼら」)バス停にやってきた。
ここで思いがけず、あるものを発見したのだが・・・





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_2?1398957748

ちょうど180度振り返ってみた、県道路肩から海へ直接降りる階段のステップの付け方も大変気にはなったが、これではない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_3?1398957748

道の反対側に見えた、一見旧隧道か?と思える穴が開いていたのだった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_4?1398957748

奥までは貫通していないようだし、何だろう?
現地では疑問が解決できなかったが、帰宅後に調べたら旧・大日本帝国海軍の特殊潜航艇海龍の格納庫であったという。





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_5?1398957748

そんな穴がすぐ隣、わずか10m位の場所にもう1つあいていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_6?1398957748

沼津市や静岡県は保存の意思などないのだろうか?
説明版も無く、あまりの放置振りにここに近づく私は変質者扱いされかねない。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/69/54270769/img_7?1398957748

すぐとなりの穴も同様の規模だった。
こちらもいずれかの潜水艇の格納庫だったのは間違いないだろう。

  

千葉県いすみ市 謎の隧道2本(前編)

$
0
0
【14年3月8日探索・5月3日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_0?1399044693

現在地はこの辺
千葉県いすみ市岬町和泉 太東漁港近くに妙な隧道があると聞いてやってきた。
ここからハイキングコースを行こう・・・あれ?通行止だって??
木柵等が腐敗しており安全に通行できないとの事だが・・・

困っていたら後ろで電気工事をしていたお兄さんが「そうは書いてあるけど行けますよ」と声をかけてくれた。その言葉に力を得た私はこの先に進むことにした。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_1?1399044693

こんな階段を上がっていくと・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_2?1399044693

頂上近くまで登った。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_3?1399044693

なので、景色はなかなかのものだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_4?1399044693

今度は下って広場のようなところに出る。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_5?1399044693

広場を突っ切りそのまま行くと漁港脇に出るようだ。
・・・ん?!
この階段は違うな。
つうか、ここまでで通行止めにするような危険箇所は特に無かったように思えたが・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_6?1399044693

階段は降りずに、2枚上の画像で言うと広場の左端から覗き込む。
一段下にも平地があって、そこに怪しげな窪みがあるように見えた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_7?1399044693

現在地はこの辺

一段下の平地に降りた。
明らかに2箇所、隧道を思わせる穴があるようだ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_8?1399044693

では、近づいてみよう。
・・・あれ?地面、何かおかしくね?




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_9?1399044693

モグラが多いのか?
大きな穴ではないが、多数の穴があいていた。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_10?1399044693

左のカルバートか、右の素掘に見える方にするか・・・
まずは左!




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/46/54272646/img_11?1399044693

人道っぽさを感じない。水路仕様ではないかと思うようなカルバートだ。
崩れやすいからこうなったのだろうか?

(後編につづく)
Viewing all 2255 articles
Browse latest View live