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神奈川県相模原市 県道517号宮沢橋旧橋(後編)

【14年1月26日探索・3月10日公開】


現在地はこの辺
地図上での進行方向は12時の方向になる。

ほんの数メートルだが竹薮はすさまじかった。
当然ヘリオス号は手前に待機させた。
ここは一番すごい藪を抜けたところだが、1月とは思えないような、単独でもいやになるような、そんな藪だった。





とは言え元々そんなに距離がある訳でもないので現道はすぐに見えた。





現道へ脱出し道路反対側から今来た藪の方うを見た。
こりゃあ、この先に道路があったなんて考えないよな、普通は。
でもオブローダーなら不自然なバリケードにすぐに反応するかも。

ところで、現橋にも情報が見当たらない。これだと年代の推定が何もできない。
少し下に行ってみようか。





曲線の桁橋の下側にやって来た。
ええと、銘版とか、ないのかな・・・





あった!

1969年、昭和44年3月架橋だった。
これにより旧橋はそれ以前の架橋、つまりどんなに新しくても昭和30年代という事がまず言える。





改めて、旧橋がよく見えるポイントを探して撮影した。
アーチ、というよりもむしろラーメン構造と言えようか。

そしてこのタイプは戦後の橋ではあまり見かけない。





最後に地図を2枚見比べて頂きたい。
これは平成7年発行5万分の1地形図「上野原」の一部抜粋、加工したものになる。

赤い印のあたりが旧橋の場所になる。





で、これが昭和22年発行5万分の1地形図「上野原」の一部抜粋、加工したものになる。
道路の線形が現在とは全然違うが、この場所に橋が架かっていた事はまず間違いないだろう。
架かっていた角度が違うような気もするが、誤差範囲の範疇とも思える。
この当時は牧野村道だったようで、地図から読み取れる幅員は1~2m、荷車スペックと考えられようか。ちなみに橋の幅員は3~3.5m程度だった。
また、昭和18年の陸軍撮影の航空写真では、橋は昭和22年版の地図の角度ではなくもっと川の流れに対し直角に架かっているように見えた。

これらを総合的に考え、コンクリートの廃れ具合も加味すると、宮沢橋旧橋は昭和18年以前の架橋であろうと推測する。
引き続き調査は続けるが。

(おわり)

千葉県勝浦市 境内内の第4種踏切

【14年2月16日探索・3月11日公開】


現在地はここ

千葉県勝浦市興津 国道128号線を走行中、珍しいものに目が留まった。
地図で言えば11時の方向になる。
寺院の山門の中に、踏切、しかも警報機、遮断機もない第4種踏切があるのを発見したのだった。





さっそく近づいたところ、ちょうど電車が通過していった。
紛れもない第4種踏切である。
この踏切の名前は「外房線 表門前踏切」である。





この先にあるのが表門のようだ。

この立地から考え、当然、外房線開業よりも寺が出来た年代の方が古い事は簡単に推測がつく。
で、調べてみたところ、ここ日蓮宗妙覚寺はwikipediaにも載っているほど有名な寺だった。日蓮上人最初の開基寺院だそうで、寺が出来たのは1264年(文永元年)であるらしい。
外房線など、ずうっと後世の出来事だった。

ところで、この踏切が寺への唯一のアクセス路だったらポイント高いのだが、そんな事はなく、県道177号線側から入ってくる道があるのだった。





踏切の反対側から山門方向を写した。
ちなみに山門は1839年(天保10年)建立だという。
外房線のこの区間の開業は1929年(昭和4年)なので、90年も前に出来ていた事になる。

  

東京都北区 旧岩淵水門訪問

【14年3月2日探索・3月12日公開】


現在地はこの辺

東京都北区志茂 荒川に残っている旧水門を見に来た。
この日は小雨が降っていたが、この場所の前に徒歩探索で近くの気になる都道?を見てきた。が、その成果はまったくなし(都道と認められるものが何もなかった)で少々お疲れ気味だった。





ズームアップした。
いわゆる赤水門、大正13年建造の旧・岩淵水門だ。





水門と通路が一体となっている。
通路の先が現在では島になっていて、公園になっている。





では、渡ろうか。

石畳のような路面や、コンクリートの欄干がなかなか素敵だ。





あ、このリベット多数の水門ももちろん素敵だ。





対岸の島が近づいた。

ちなみに画像中央、左の方に写っている灯台のような形状のものは土木遺産のような類ではなく、アートだった。





渡りきったところで振り返って撮影した。
この無骨さがイイねえ。





「赤水門」だというその名前っぽい画像がこれになる。上流側まで回ってきた。

 

千葉県勝浦市 国道128号向台隧道の旧隧道

【14年2月16日探索・3月13日公開】


現在地はここ

千葉県勝浦市鵜原 国道128号線だ。
私はここを大原方面(地図では左から右)に向かっていた。

あ!この隧道、山行がで見たことのある隧道だ。

向台隧道、昭和34年竣工だと扁額には明示されていた。





そしてこの左側が旧隧道だったはず。





カムフラージュの先には確かに旧隧道らしい穴があった。
「山行が」によれば明治隧道である可能性が高いようだ。





隧道中間地点にバリケードのようなものがある。





その先は民家の敷地になっていた。
また、明らかに掘り下げされた事も珍しい。





これが反対側からの画像だ。

庭が廃隧道なんて、ロマンだねえ・・・
  

千葉県いすみ市 通称・釣師海岸訪問記(その1)

【14年3月8日探索・3月14日公開】


現在地はここ

千葉県いすみ市岩船 釣師海岸と呼ばれている場所が日本離れしたしているという話を聞いてやってきた。
この、かんがい用のため池、ひょうたん池と呼ばれている池の脇道を入っていく。





未舗装の道になった。
左に祠のようなものがあるが、水神様であろうか?





ガードレールがあるのは違和感はないが、実はこの道、元々もっと広かったのではないか?
とりあえず先に進む。





バリケードが設置されていた。
バリケードの先にも道路が続いているように見えるが、その記事はまた後日。

バリケード直前を左折する。





道は完全シングルトラックになった。





こんな木の橋が架かっていた。
細い方と太い方があるがたわみ具合は変わらないようだ。





今の木橋の先だが・・・
道は下りになっている。





そして、直角カーブの先には・・・房総名物の登場か!

(その2へつづく)

  

千葉県いすみ市 通称・釣師海岸訪問記(その2)

【14年3月8日探索・3月15日公開】


素堀隧道を期待した方!ちょっと待って!

タイトルに「通称・釣師海岸」と書いたのだが、そのあたりの説明をここでしようと思う。現在地はこの辺

本来の釣師海岸は「ひょうたん池」から300mほど離れた場所にある。
私がこれから向かうのは「長浜海岸」で「本来の釣師海岸」からは南西方向に500mくらい離れた場所なのだが、長浜海岸も含めて「釣師海岸」と呼ばれている。

後述するが「釣師海岸」にはもう一つ別の秘密もあったりする。
その事もあって冬場に訪問しようとしている。





上の画像の看板の奥に10mくらい下っていくと「本来の釣師海岸」への入口があるが、ご覧のように一般人が先へは行く事ができない。





仕方が無いので崖の上から見てみた。
こりゃあ完全にプライベートビーチだな・・・





現在地はこの辺
地図上では海の方向、4時くらいの方角に向かっている。

「本来の釣師海岸」を見ていただいたところで、進行中探索に戻ろう。

前回の最後の画像の先、素掘隧道というより雰囲気はむしろ洞窟に近かった。





足場が悪いし暗いので慎重に進む。

出口近くに横穴??





物置?元・防空壕?
千葉県内では珍しくない横穴だった。





同じ場所で来た方向を振り返った。

ここから見えるのが登り坂、という事は私はこれを下ってきた。
素掘隧道の幅員は1m強、高さは1.5m程度か。





反対側坑口になる。
上の画像から海の方向へ4、5m後ずさりするとこの画像が撮れる。
実際は後ずさりなんて自殺行為はしていないが。





同じ場所から海の方向を見るとこんな感じだ。
海面まで20mくらいはありそうだ。

隧道手前には「トンネルの先、関係者以外立入禁止」という看板があったのだが、そもそもこんな高低差をどうやって克服するんだ??

足もとに目を落とした。

(その3・最終回につづく)

  

注意事項

★本ブログ内の記事の中には、安易にマネをすると危険な場所もあります。また立入禁止等の明示がされていなくても、個人等の所有地である場合もあります。
記事を読まれて訪問し、そこでケガ、トラブル等何らかの不利益を被ったとしても作者はその責を負いません。訪問される場合、くれぐれも自己責任でお願いします。★

横浜線E233系

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1

 
桜木町での撮影なので横浜線内ではないが。
73系時代から知っているが、新車って、初めてでは?

千葉県いすみ市 通称・釣師海岸訪問記(その3・最終回)

【14年3月8日探索・3月16日公開】


現在地はこの辺

洞窟のような素掘隧道を抜けた先は海岸手前の断崖だった。

しかし、足もとに目を落とすと下に行けそうな道と、断崖をクリアするためのロープが設置されていた。画像左側が海になる。

当然このロープを利用させてはもらうが、肝心の、括りつけてある元部分は小木の根元なのであくまで補助ロープとしてしか考えられない。
ここを5mほど下るとさらに別のロープも設置されているが、こちらも補助ロープと考えた方がよさそうだった。





崖を下りた先もまだ油断ならない道を進んでいく。





最後の1mを下りると・・・





長浜海岸(通称・釣師海岸)に降り立った。
こちらは北側だ。





で、こちらが南側だ。訪れたタイミングは割りと満潮に近かったようで、砂浜が狭かった。

ところで、通称・釣師海岸にはもう一つ秘密があると前述したが、ここは夏になると男性同性愛者たちが集まる場所になっているという。しかもヌーディストがほとんどだとも言われる。こんな秘密めいたプライベートビーチのような立地がそうさせたのだろうか?

いずれにせよそんな時期に訪問して誤解されても困るので、人のいないであろうこの時期に訪問したのだった。

ところで、右に横穴があるようだが・・・





最奥までは行かなかったが、どうやら海蝕洞のようだった。





砂浜が狭いのでこのあたりで撤収する。
それにしてもこんな人知れずな海岸があったなんて、千葉県、奥深いなあ~

(おわり)

  

千葉県いすみ市~御宿町 幅員6m級の未成道路(その1)

【14年3月8日探索・3月17日公開】


現在地はここ

もう1本、釣師海岸近くの廃物件を続けてアップする事にしよう。

この画像は、3日前の記事のを使い回ししている。
ひょうたん池の脇の道を200mくらい進み、画像のバリケード手前を左折すると通称・釣師海岸への道になるのだが、バリケードの先には何があるのだろうか?
そもそも地図には道路が普通に描かれているぞ。





画像ではわかりにくいかと思うが、バリケードには×印に有刺鉄線が付けられていた。
かなり本気モードである。
しかしながら、立入禁止等の文字は見当たらなかった。
それに、本気モードの割には脇から進入可能だったりもする。

私もバリケード脇から、わるにゃん。





バリケードの先にもガードレールがあった。
という事は、廃道か未成道路と考えてよさそうだ。





「山火注意」の看板が打ち捨てられていた。
めくってみたら、千葉県観光公社と描かれていた。
観光道路として計画された??





さらに進むと、道路側溝の溝が見つかった。





道路わきには境界柱が建っていた。
一つ前の画像にも別のものが写ってはいたんだが、苔がすごくて解読どころではなかった。
で、これは・・・





文字は入っていなかった。
う~ん、残念!





両側にガードレールが設置された区間になった。
道路の幅員、広いよなあ・・・

横断するのに10歩かかった。6m程度と見た。





その幅員のまま竹薮に突入か??

(その2へつづく)

  

千葉県いすみ市~御宿町 幅員6m級の未成道路(その2)

【14年3月8日探索・3月18日公開】


現在地はこの辺
進行方向は6時の方角になる。

道はゆるやかに登っている。

タイトルは未成道路としたが、実は決定的な要因とか確信があったわけではない。
また、道路自体は一応地図通りに繋がっているのだ。
そのあたりも含め総合的に判断して未成道路としたわけだが、それについては後述する。





この道幅、この辺なんて7mくらいありそうだ。
この時点で、林道の線はなしと考えてよさそうだった。





上の画像から5mくらい進み右側を見たところだ。

何か明らかにフラットな面があって、それが未成道に並行して続いている。
この道が造られる前の人道??





完全2車線+歩道が設置できる道幅のまま未成道路は続く。
一応の峠が近づいて来た。






ガードレールもけっこう高規格のやつなんだよね。
デリニエーター付きだし。





そんな峠付近には左右に階段が分岐していた。
これは進行方向左のもの。





これが進行方向右側のものだ。
せっかくだからちょっと登ってみる。





階段を登ると左側には2箇所ほど幅2mくらいのフラットスペースがあった。

何か、構造物があるようだが・・・





何だろう?
工事用足場で造られているがワナじゃないし、ゴミ捨て場でもない。
やぐら??何のために??
ちなみにこの場所、木が多いせいかあまり眺望は開けていない。





もう少し登り、平坦な道になったがここで撤収した。
10時の方角の人家まで延びているのか、7枚上の画像の道っぽいところに繋がっているのか??
もう少し確かめてみればよかったかも・・・

(その3・最終回に続く)

  

千葉県いすみ市~御宿町 幅員6m級の未成道路(その3・最終回)

【14年3月8日探索・3月19日公開】


現在地はこの辺

未成道路に戻った。峠を越えたので御宿町に入ったはずだ。
左右階段がある峠付近には鉄パイプが何本か置かれていた。
今でもこの道を利用し何らかの作業が行われているのだろうか?





幅員は相変わらず6~7mある。
それにしても夏場は藪がすごいだろうな・・・
何よりも房総半島の夏場はヤマビルに注意しなければならないので、やはりこの時期の探索が正解だろうと思う。





道端に何かが埋まっていた。





何だろう?
何かの台座のようなものなのだが・・・

ガードレールならもう少し路肩寄りだろうし、そもそもこれ1箇所のはずがない。
普通の標識ならここまでものものしくないだろう。
青看とか、少し大きな標識か街灯でも設置する予定の場所だったのかも・・・





最終区間の直線だ。
本当に線形がいい道だなあ。





接続道路が見えてきた。





左側にはブルーシートで覆われたなにか・・・
めくって後悔するのもイヤだったのでめくらなかった。





あれ?
全面バリケードだ。しかも接続部分、さらに広くなっているし・・・





バリケードが老朽化し下の板が外れていたので助かった。無事脱出!





接続道路から見ると、左折、右折がしやすいように10mくらいの接続部があった。


最後になったが、この道路の素性を推測してみようと思う。
前述したが決定的なものはない。
しかしながら、机上調査も含め知りえた事を羅列し、そこから推測してみようと思う。

千葉県のHPに「房総リゾート地域整備構想」という項目があって、これが平成元年(1989)に国の同意を取り付けている。この中に「御宿町の臨海丘陵部における望洋型のリゾート開発」という事が書かれていた。

また、この道路自体だが、昭和50年の航空写真では何もなかったが、昭和59年には少なくとも道路線形がはっきりと見て取れる(この時点で一応の完成をみていたのかどうかは不明)。道路自体は昭和50年代後半か昭和60年代初頭に出来上がったとみられる。

実際に通行してみて幅員が2車線+αくらいもありガードレールも設置されているのに路面は未舗装のままである事、標識類が設置されていない事から廃道ではなく未成道路であろうと推測した。

道路事業主体者は2町(当時)に跨っていたので、千葉県の第三セクター的な部門か民間企業が行ったのではないかと推測する。県や町の道路なら供用しない理由が見当たらないし、自治体設置なら何本もあった境界柱に名前かデザインが入っているはずだったからだ。

以上の事から結論として私が推測したのは「リゾート開発のために造った道路だが、バブルがはじけ構想が頓挫し、事業主体が倒産か解散してしまい道路だけの供用すらできない。」なのだが・・・いずれきちんと調べてみようと思う。
どなたか真相をご存知の方が居られたらご教示頂きたい。

(おわり)

  

東京都八王子市 新多摩変電所周辺

【14年3月16日探索・3月20日公開】



現在地はここ
進行方向は10時の方角だ。

東京都八王子市上川町 この時点ではまだタイトルの場所が目的地ではなかった。
今熊神社近くの金剛の滝と洞窟が目的地だったのだが・・・

とりあえず、これは右!





今度は左に進む。
ちなみに右に行くと東京電力新多摩変電所の入口になる。





2月の大雪から1ヶ月以上が経過したのに、自動車の通行しない日陰はまだ雪が残っていた。





日が当たる場所はいいのだが、このように日陰だと場所によってはまだ20cm程度も残っていた。
私はこの時点で戦意喪失だった。





もう引き返そうかな・・・





右を見ると東京電力新多摩変電所だ。





マムシ注意の看板が空しささえ醸し出していた。
このあたりが滝と洞窟への入口になるようだ。





来た道を戻るのだが・・・
せっかくだから変電所が良く見えるところ、無いかな?





現在地はこの辺

崖を登ったところから撮影した。

これが大まかに、右半分。





で、こちら側が大まかに左半分だ。

なかなか萌えるな~

ここ、新多摩変電所については昭和54年に完成しており、個々の設備等に関してはこちらの方が詳しいようだ。

  

東京都日の出町 旧秋川街道・坂本橋

【14年3月16日探索・3月21日公開】


今日はあまり時間がないので小ネタ系でご勘弁を。

現在地はここ

東京都西多摩郡日の出町大久野 旧・秋川街道・北大久野川に架かる橋を見ている。
コンクリートの桁橋である事は一目瞭然なのだが、同時にかなり古い橋である事もまた一見して感じられた。





路面や高欄部分は明らかに後年になってからのものであろう。





この橋、名を坂本橋と言う。その親柱は橋本体よりも50cmくらい右側に設置されていた。
右折、左折車による巻き込まれ防止?

右側の丸っこい石は「御大典記念」の道標で右 青梅 左 五日市町 と刻まれていた。
昭和3年の昭和天皇の御大典であろうかと思うが、五日市は明治22年、まだ三多摩が神奈川県だった頃には既に町だったので、大正天皇の御大典である可能性もある。





橋の竣工だが、昭和2年(1927)9月であった。
古いなとは思っていたが、思ってた以上に古かった。





そして坂本橋から見える現・秋川街道である都道31号青梅あきる野線の橋の名は新坂本橋である。名前は至って順当だが、この橋も昭和31年(1956)に架けられたものであり58年も経過していた。
ちっとも新しくなかった。

  

静岡県三島市 明治初期のトラス保存橋梁

【14年1月12日探索・3月22日公開】


現在地はここ

静岡県三島市文教町 地図の中心点から12時の方角を見たのがこの画像だ。
JR東海の研修センター内に橋が展示してあった。





ポニートラスのこの橋梁だが、元・二代目六郷川(多摩川)橋梁である。
完成は明治10年(1879)だという。ちなみに新橋・横浜間の鉄道開通時には木橋だったそうだ。
その後大正4年には旧・東海道本線、第二酒匂川橋梁に移設された。
平成8年(1997)に役割を終え、1連がJR東海研修センターに保存された。





多くのリベットが時代を感じさせる。





さらに北側に進むと、もう1つピントラスの橋が保存されていた。





今度は元・東武鉄道大谷川橋梁である。
さらに遡ると明治14年アメリカ製で幌内鉄道(現・JR函館本線)で使用されたようだ。大正8年(1919)大谷川に移設され、平成8年に引退した。117年もの間、現役だった橋は珍しい。

  

千葉県いすみ市 自然災害・通行困難な自転車道県道(その1)

【14年3月8日探索・3月23日公開】


現在地はここ
これから進むのは1時の方角になる。

千葉県いすみ市深堀 右は大原海水浴場入口の場所だ。
直進のやや右手方向に青い標識が建っている。





近づいてみるとそれはヘキサだった。
車は通行できないこの道路は千葉県道405号九十九里一宮大原自転車道線である。
国道128号交点が県道の終点であるようだが、私はここから夷隅川の江東橋までを走行しレポするつもりだ(実際は歩行区間が長かったのだが・・・)。





路面がなんとなく廃の香りがするが、ここは現役の県道なのでそんな事はないはずだ。

右にある建物は海水浴場のシャワー場だ。
この時期誰も利用しないから廃な雰囲気の一翼を担っていたのかもしれない。





しばらくはこんなのんびりとした雰囲気だが・・・





ここで最初の異変があった。
小さな交差点の先、路面が水没しているのが確認出来た。





30mくらい水没していたであろうか、そこは「側道」利用で簡単に突破した。
いったん路面は復活したが、その先でまた水没エリアがあった。





また「側道」に待避した。今度は距離こそ50mくらいだったが、深いところでは10cmくらい水没していた。前日は確かに雨だったのだが、そんなに大雨が降った訳ではなかったはずだ。





県道とは言え、路面がそんな状態の区間があったためか、これまでまだ1台の自転車とも遭遇していない。・・・まさか、この先に何かあってとても通行できないとか・・・あはは。





ひとまず1段砂浜を上り海を見た。
海なし県の埼玉在住の私にとって、日常ではない光景だった。

(その2へつづく)

  

千葉県いすみ市 自然災害・通行困難な自転車道県道(その2)

【14年3月8日探索・3月24日公開】


現在地はこの辺

何だか路面に異変が・・・
舗装されたアスファルトが見えなくなってきた。





50mも進むと路面の3分の2が埋もれてくるようになった。
もうこの時点で既に乗車はあきらめている。





そして県道は完全に砂により埋没した。

ここから左にエスケープすれば200mくらいでまともな道に出るのだが、そんな気は起こらなかった。





右はもちろん海岸なのだが、ウミガメの産卵地でもあるようで、その保護の呼びかけの看板が建っていた。





側道に避難しても状況は変わらない。
このあたりでは既に50cm以上の砂が堆積している。

除砂作業とかはどうなっているのだろうか?





200mくらい進むと状況は改善されてきた。





とは言っても自転車への乗車は基本的には無理だった。
乗れても数メートルだし・・・





そうこうしているうちに、また、砂、増えてね??

(その3へつづく)

  

千葉県いすみ市 自然災害・通行困難な自転車道県道(その3)

【14年3月8日探索・3月25日公開】


現在地はこの辺

これでも一応現役県道であるのだが、路面はまったく見えない状態、どころか乗車すら不可能な状態が続く。





ギブアップ者のためのエスケープ用出口?が現れた。
看板には三門方面と書かれていたのだが、一瞬心が動いた。

それでもやっぱり意地で県道踏破することにした。





しかし、県道の路面、どころかガードパイプさえもがほぼ完全に埋まってしまった。
土砂崩れとか、路盤陥没、冠水などの災害はこれまで経験があったが、このタイプの災害被害は初めてだった。しかも、ここに至るまで1度たりとも「通行止」や「通行注意」といった注意すら目にしていないのだった。





締まった砂という訳ではないので、けっこう歩きづらい。
しかたなく海側の防砂堤(正確にはこれでも防潮堤だ。昭和58年頃から平成4年頃までの海岸防災林造成事業の一環である。)を歩き出した。
しかし、私はヘリオス同伴でしかも押しだったので、防潮堤上の幅がとても歩きにくかった。
といって乗車するとかえって危なそうだったので、そろそろと進んだ。





幾分改善されてきた。
つか、この先で道路は左カーブになっているようだ。
海岸から離れるという事は改善が期待できるという事だ。
防潮堤から降りる。





現在地はここ

ようやく路面が見えた。
ここまでの乗車困難区間は約1.5km、その区間内でそれでもなんとか乗車したのは80mくらいしかなかった。





5m進んで振り返った。
ここ、反対側から来ていきなりこの場面になったりしたら、たぶん砂に突っ込んで呆然とするだろう。






まともな状態の場所になったらちゃっかりヘキサが現れた。
あの、砂に埋もれた場所にヘキサがあればよかったのになあ・・・





左はおそらく汽水の沼なのだろう。名称はあるのだろうが、地図には載っていなかった。
今までの苦労した区間がうそのようなのんびりした道がつづく。

(その4・最終回につづく)

  

千葉県いすみ市 自然災害・通行困難な自転車道県道(その4・最終回)

【14年3月8日探索・3月26日公開】


現在地はここ
進行方向は10時の方向。

一般の車道に出た。
とは言っても、右折してもどこかに抜けられる訳ではなく、何かの施設へ行けるだけであるのだが。





その先、汽水湖と思しき沼を渡るのだが、何か様子が変だな。
橋の右半分は歩道になっている。この規模の橋ではあまり見かけない。
道路左の看板には「この橋は海岸管理用の仮設橋梁です。車両総重量2トン以上の車は通行できません」と書かれている。
この橋、仮設なんだ。

ところで、看板で半分隠されているが、その向こう側は・・・





あまり廃のオーラが漂っていないが、これも廃橋だった。
昭和48年架橋の若潮橋だ。





「若潮橋仮設橋梁」を渡るとすぐ右折する。
3枚目のヘキサ、登場。





先ほどまでに比べれば至って普通の自転車道だ。
でも、すれ違う自転車、まったく走ってないな・・・





昭和55年竣工の瀬崎橋だ。
新川という川の最下流の橋になる。





そして最終区間に入る。
進行方向だけで4本目のヘキサが建っていた。





右に見えるのが夷隅川に架かる江東橋、レポの終着地になる。

東京都日の出町 都道をくぐるカルバート周辺(その1)

【14年3月16日探索・3月27日公開】


現在地はここ

東京都西多摩郡日の出町大久野 地図でいえば私は3時の方角を向いていて、そこから左折、つまり12時の方角へ進もうとしている。

かすがさんの記事を見て私も行ってみたくなった。目的地は古びたカルバート、あわよくばその先も、という目論見だった。





上の画像の交差点を左折すると「この先行き止まり」看板に出迎えられた。
かまわず先に進む。





ほどなく舗装は途切れる。





小さな川を渡る。
多摩川水系平井川支流だが、河川名は不明だ。





その橋をアップしてみた。
欄干がまったくないのかと思ったら、路面の土砂堆積により埋まってしまったっぽい。

ちなみに、橋の手前の看板は「行き止まり」だ。





橋の先にあるのは物理的に四輪進入禁止となるゲートだった。ちなみに進入禁止のような文字はどこにも見当たらなかった。
私はヘリオス号をここに待機させ、単独でこの先に進んだ。





100mほど進むと右に分岐があった。





その、右側だが・・・砕石場?採石場?そもそも現役施設?





右の道の深追いはせずそのまま直進する。
100m近く進むと、目的地であろうカルバートの穴が見えてきた。

(その2へつづく)

  
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