【15年9月13日探索・16年2月18日公開】
この記事はお蔵入りにしようと思っていた。
理由は、成果がほぼなかったと言わざるを得ない結果に終わったからだった。
理由は、成果がほぼなかったと言わざるを得ない結果に終わったからだった。
しかし、100枚を超える画像と、この日ほぼ1日かけた事を全てスルーしてしまう事が忍びなかった。
なので、今日と明日の2日間だけ、ダイジェストに近い形で記事にしようと考え直した。
以前から来て頂いている方には既出箇所になってしまうが、お付き合い頂きたい。
以前から来て頂いている方には既出箇所になってしまうが、お付き合い頂きたい。
東京都西多摩郡奥多摩町日原 都道204号日原鍾乳洞線を逸れ、大正時代の東京府道・日原氷川線を進んでいく。
現在地はこの辺
大沢集落だ。
この光景も既に4回目になる。
この大沢地区にはかつて小学校があったようで、その場所も探してみた。
この光景も既に4回目になる。
この大沢地区にはかつて小学校があったようで、その場所も探してみた。
どうもここがそうらしい。
山の中腹に張り付くような集落なので、このくらいまとまった平地はさぞ貴重な存在だっただろう。
現在の活用法が現地では見えてこないが・・・
現在の活用法が現地では見えてこないが・・・
大沢集落から小菅集落へと向かう。
途中のこの分岐は・・・
私のこの日の目的はあの索道隧道であったので、府道へは進まず天空集落と言っても過言ではない小菅集落に上って来た。
1枚上の画像の軽乗用車が停まっている場所に長い階段があり、ここから先に進むのだが、その前に小菅集落の果てまで行ってみようと思う。
集落は150mほどで終わりになり、道も舗装が途切れる。
せっかくだから道の終わりも見てみよう。
せっかくだから道の終わりも見てみよう。
集落の先はおそらく林業関係者しか通らないのだろう。
作業用と思われるモノラックの線路と、その詰め所らしきボックスがあった。
作業用と思われるモノラックの線路と、その詰め所らしきボックスがあった。
現在地はここ
道はここで終わる。
何があるわけじゃなく、それ自体のコメントが思いつかない光景だった。
何があるわけじゃなく、それ自体のコメントが思いつかない光景だった。
現在地はここ
小菅集落にもどり、長い階段を上り、加藍神社に着いた。
ここからが本来の目的地へのアプローチになる。
ここからが本来の目的地へのアプローチになる。
今回、私が到達したかったのは4箇所ある索道隧道のうち、私自身が唯一到達していない最も日原寄りにあるはずの隧道(仮称・1号隧道)だった。
ほとんど思いつきのような状態でここまでやって来たのだが・・・
ほとんど思いつきのような状態でここまでやって来たのだが・・・
今回はスマホのGPS機能を使いながらなので、比較的簡単に見つかると思っていた訪問済みの日原側から2番目の隧道(仮称2号隧道)ですら、実際はなかなか見つからなかった。
山中を彷徨うこと約80分、ようやく見つけたのは、以前も到達している仮称2号隧道だった。
ひとまず、貫通している事を確かめる。
ここから仮称1号隧道にはどこから行けるのだろうか?
(後編につづく)