【15年12月26日探索・16年1月12日公開】
【地理院地図に軌道跡を表記】本日の記事は1から2の地点、約800m区間になる。
現在地はここ
川沿いの軌道跡を進んでいくと・・・
家屋?作業場?畑?
何でもいいや。左の轍のある道は私有地に入る。
私が進むべき軌道跡は右側の心許ない道のほうだ。
私が進むべき軌道跡は右側の心許ない道のほうだ。
案の定、こんな感じの廃道、いや、道路としては機能した時期があったのかどうか不明なので、軌道跡と呼ぶほうが正しいのだろうか。
それでも跡がはっきりとわかるという事は何らかの利用はされてきた道、なのだろう。
また川が近づいてきた。
竹薮が凄くなってきたので、ヘリオス号をいったん待機させ、この先を偵察した。
結果、この先にクリティカルなポイントがあったのだが、その約5mだけクリアすればあとは大丈夫な事がわかった。
結果、この先にクリティカルなポイントがあったのだが、その約5mだけクリアすればあとは大丈夫な事がわかった。
で、そのクリティカルな場所がこれなのだが、ちょっとわかりにくいかな・・・
反対側からのほうがわかりやすそうだ。
これはクリアした後だからよかったのだが、こんな足場のない箇所を自転車担いで何やってるんだか・・・
画像からもお判りのように川の対岸は普通に車道なのだ。車の運転者から見れば相当滑稽な光景になったと思う。
これはクリアした後だからよかったのだが、こんな足場のない箇所を自転車担いで何やってるんだか・・・
画像からもお判りのように川の対岸は普通に車道なのだ。車の運転者から見れば相当滑稽な光景になったと思う。
その先は路盤が軌道の幅で復活した。
現在地はここ
道路が川を渡り、私の通る軌道跡に寄り添ってきた。
ここいらで車道に出よう。
ちなみに、軌道跡はあと30mくらいは独立しているのだが、徐々に現在の車道に呑み込まれてフェードアウトしている。
ここいらで車道に出よう。
ちなみに、軌道跡はあと30mくらいは独立しているのだが、徐々に現在の車道に呑み込まれてフェードアウトしている。
前回も見ているが、せっかくだから再びここに架かる橋にあいさつしよう。
良沢橋、昭和38年11月竣工だ。
良沢橋、昭和38年11月竣工だ。
勝善神、牛馬を飼っていた地域に多いといい、栃木県内には何箇所かあるようだ。
名馬の誕生を祈って祀られ、それが、牛馬の守護神となったようだ。
仏教で言う馬頭観音のようなものらしい。
名馬の誕生を祈って祀られ、それが、牛馬の守護神となったようだ。
仏教で言う馬頭観音のようなものらしい。
ちなみにこの勝善神、大正11年2月に建立されている。
橋は昭和38年架橋であり、それ以前はこの地点では川を渡らない軌道しかなかったものと思われる。
橋は昭和38年架橋であり、それ以前はこの地点では川を渡らない軌道しかなかったものと思われる。
この場所にある勝善神、本軌道は手押しであるとされているが、台車引き上げ時とかに馬が利用されていた事を暗に匂わせているのでは??
★追記:いったんアップ後に今昔マップを見たら、戦前の地図で良沢橋のある地点に徒歩道の表記があった。従って、勝善神は軌道には直接的には結びつかないようだ。
(その3へつづく)