【15年6月7日探索・9月27日公開】
現在地はここ
豆焼橋の袂までたどり着いた。鋼逆ローゼ橋だ。そしてその竣工時期だが、現地調査と手元の資料ではわからなかった。
この先の奥秩父トンネルが昭和61年に着工(貫通が昭和62年11月)されているので、その前には出来上がっているはずだ。昭和60年頃の竣工だろうと思う。
この先の奥秩父トンネルが昭和61年に着工(貫通が昭和62年11月)されているので、その前には出来上がっているはずだ。昭和60年頃の竣工だろうと思う。
なお、このまま橋を渡らずに直進すると200mほどで「彩甲斐街道出会いの丘」という施設に着く。
今思えば行っておけばよかったのだが、私は豆焼橋へと進んだ。
今思えば行っておけばよかったのだが、私は豆焼橋へと進んだ。
この橋、長さは220mもあるそうだ。
ここで右方向を見る。さらにズームアップすると・・・
ここで右方向を見る。さらにズームアップすると・・・
奥秩父トンネルを抜けた先に架かる雁坂大橋が見えた。上路式4径間連続トラス橋という形式だ。
この橋もまた竣工時期が不明だが、奥秩父トンネル貫通後に着工したと思われ、そのまた先の雁坂トンネル埼玉側の起工式が平成2年(1990)11月なので(実際に掘削が始まったのは平成4年だが)、竣工は平成2年であろうか。
<工事関係の年代等の引用資料は「雁坂トンネルと秩父往還」(山梨県道路公社編)>
この橋もまた竣工時期が不明だが、奥秩父トンネル貫通後に着工したと思われ、そのまた先の雁坂トンネル埼玉側の起工式が平成2年(1990)11月なので(実際に掘削が始まったのは平成4年だが)、竣工は平成2年であろうか。
<工事関係の年代等の引用資料は「雁坂トンネルと秩父往還」(山梨県道路公社編)>
橋を渡ると奥秩父トンネル坑口が目の前になる。
延長744mだ。
貫通は前述したように昭和62年だが、供用するにあたっての整備は平成10年になってからのようだ。
延長744mだ。
貫通は前述したように昭和62年だが、供用するにあたっての整備は平成10年になってからのようだ。
このトンネルは洞内で150度ものカーブがあるという大変レアなトンネルである。
この奥秩父トンネルの先までは自転車で通行しても法的には大丈夫なのだろうが、通行する車に自転車が通るという認識がまずないであろう事、歩道が広くない事、ガードレールがない事という3つの理由から、私は国道140号線の探索はやめる事にした。
で、左に分岐する道が気になった。
ちょっと行ってみよう。
ちょっと行ってみよう。
なぜ気になったのかと言えば、雁坂トンネルの現ルート決定は昭和59年だが、それ以前に比較検討ルートが決定ルートの他に8本あって、そのルートのうち5本がこの道を通るルートだったからだ。
なので、国道を思わす何かがあるような事は考えにくいが、あるいは国道になったかも知れなかった道を進んでいく。
現在地はここ
建物があった。
トンネル関係のものであろう事は推測がついていた。
トンネル関係のものであろう事は推測がついていた。
やはり、奥秩父トンネル電気室と書かれた表札?が掲げられていた。
で、埼玉県が平成10年に設置した施設なのだが、現在豆焼橋から山梨県側は山梨県道路公社による管理であるため、この施設の維持管理も山梨県道路公社という事になる。
電気室の先、道がしょぼくなった。そして、簡易バリケードがあった。
バリケードの先には看板があった。
この先は東大の敷地である旨のものだった。
この先は東大の敷地である旨のものだった。
雁坂峠への登山道でもある道なので、通行自体がダメという訳ではない。
その先、200mくらい進んでみたが、特に何もないようだ。
しかしながら、車が通行する事もあるのだろうが、道路の幅がちょっと必要以上に広すぎるようにも見えた。
まだこのあたりは「雁坂峠比較検討ルート」が通っていたはずの場所でもあるので、「国道になり損ねた道」ではある訳だがその事と関連性があるのかどうか・・・
しかしながら、車が通行する事もあるのだろうが、道路の幅がちょっと必要以上に広すぎるようにも見えた。
まだこのあたりは「雁坂峠比較検討ルート」が通っていたはずの場所でもあるので、「国道になり損ねた道」ではある訳だがその事と関連性があるのかどうか・・・
(おわり)