【15年6月7日探索・9月25日公開】
現在地はこの辺
標高900m近くまで登ってきた。
最終到達予定地点は雁坂トンネルの一つ手前、奥秩父トンネル坑口としていたので、ここからだとまだ標高では150mくらい登る。
最終到達予定地点は雁坂トンネルの一つ手前、奥秩父トンネル坑口としていたので、ここからだとまだ標高では150mくらい登る。
この先の橋は滑沢に架かる黒文字橋、その竣工だが、かなり遠くにあった銘版を解読したところ、ぼんやりとだが昭和47年と読めた。
動物と落石とスリップに注意すべき道がまだ続くようだ。
道端に設置されていたこれは・・・
埼玉県内ではまず見かけなかったものだが、積雪メーターのようだ。
昨年2月の大雪の時にはこのあたりでは、積雪1mをはるかに超えていたそうだ。
埼玉県内ではまず見かけなかったものだが、積雪メーターのようだ。
昨年2月の大雪の時にはこのあたりでは、積雪1mをはるかに超えていたそうだ。
また橋が架かっていた。
空滝に架かる、沙羅ノ樹橋だ。
渡りきった右側にバリケードのようなものがあった。こういうものがある場合、当然旧道を期待するが・・・
渡りきった右側にバリケードのようなものがあった。こういうものがある場合、当然旧道を期待するが・・・
少なくとも、車道の旧道はないな・・・
旧道は無かったが、この橋の建設に関する重要な情報があった。
これ自体は塗装記録なのだが、竣工時に塗装がされ、2回目の塗装はまだと考えるのが自然だろう。
これ自体は塗装記録なのだが、竣工時に塗装がされ、2回目の塗装はまだと考えるのが自然だろう。
擁壁の施工も変わったものになった。
と10年も経つと、人工的には見えにくくなるのか??
と10年も経つと、人工的には見えにくくなるのか??
カーブの先がまた橋だった。
山薊(やまあざみ)橋だ。
この画像は、橋を渡ってから道路を横切り振り返る方向で撮影したものになる。
旧道の疑いの残る部分だが、橋が架かる前に工事用道路として使用したくらいではないかと思う。
おにぎりが建っていて、その先にはまた橋があった。
ここもまた旧道が疑われるなあ・・・
(その3へつづく)