【15年8月15日探索・9月15日公開】
現在地はここ
国道252号線に戻ると、すぐに叶津川を渡る。
ここに架かる橋の名は堅盤橋(けんばんはし)という。竣工については親柱のうち2本欠落していた事もあり、不明だった。
ちなみに、昭和30年代にはこの上流約200mに架かっており、昨日の記事の旧道ルートと符合する。
ここに架かる橋の名は堅盤橋(けんばんはし)という。竣工については親柱のうち2本欠落していた事もあり、不明だった。
ちなみに、昭和30年代にはこの上流約200mに架かっており、昨日の記事の旧道ルートと符合する。
そして再び只見線をくぐる。
上に上がれないのが残念だが、雑草の背が高くなっているのはここから見てもわかるので、状態についてはそれなりの想像はつく。
上に上がれないのが残念だが、雑草の背が高くなっているのはここから見てもわかるので、状態についてはそれなりの想像はつく。
真新しい石碑を見つけた。
平成23年の新潟・福島豪雨災害記念碑だった。
後世に伝えるために平成26年11月に建立されたものである。
平成23年の新潟・福島豪雨災害記念碑だった。
後世に伝えるために平成26年11月に建立されたものである。
このあたりが八木沢集落の中心地になる。
代行バスの停留所はないが、この際だから設置してみても良いのでは?
代行バスの停留所はないが、この際だから設置してみても良いのでは?
前方、スノーシェッドが見えてきた。
八木沢スノーシェッド、銘版はなかったが、どうも昭和56年度の事業であるらしかった。
延長は地図読みで500mといったところか。
延長は地図読みで500mといったところか。
正面に蒲生岳が見えてきた。
少し走ってたまたま振り返った時に目に飛び込んできたのがこの建物なのだが、一体何が起こった??
現在地はここ
左側に建物が見えるが、これが蒲生集会施設「雪の里」だ。
ちなみに、たまたま撮影するのを忘れてしまったが、この右側には「蒲生観光ステーション」というちょっとした売店とイベントスペースがある。
ちなみに、たまたま撮影するのを忘れてしまったが、この右側には「蒲生観光ステーション」というちょっとした売店とイベントスペースがある。
ちなみに建物の画像はこちらのサイトの記事に出てくるので御参考までに。
この集会施設「雪の里」は代行バスのバス停留所になっている(扱い上は会津蒲生駅)のだが、バス停である事が目立たないので、知らないとちょっとわからないかも。
その他にも情報があった。
新潟・福島豪雨の際、水がここまで来たというメモリーと、私が1月に2、3回は必ず見る「熊出没」の情報だった。
新潟・福島豪雨の際、水がここまで来たというメモリーと、私が1月に2、3回は必ず見る「熊出没」の情報だった。
ちなみに、この施設のトイレは一般にも開放されており、この沿道には貴重なトイレである。
この先、私が確認した限りでは会津川口駅まで公衆トイレはなかったようだ。
自転車乗りにはけっこう深刻な問題なんだが・・・
この先、私が確認した限りでは会津川口駅まで公衆トイレはなかったようだ。
自転車乗りにはけっこう深刻な問題なんだが・・・
では、本来の会津蒲生駅へと行ってみよう。
ここ、左折!
ここ、左折!
(その4・プレ企画としての最終回につづく)