【15年5月24日探索・8月16日公開】
現在地はここ
栃木県小山市駅南町 JR水戸線第二旭町踏切だ。
3mしかない踏切で自動車の通行は小型特殊自動車以外は禁止されている。
踏切の隣の看板をよくよく見たら、どうも以前は軽自動車も通行可能だったようだ。
3mしかない踏切で自動車の通行は小型特殊自動車以外は禁止されている。
踏切の隣の看板をよくよく見たら、どうも以前は軽自動車も通行可能だったようだ。
その踏切から小山駅方向を見た。
今回の探索は、県道339号線の陸橋の先からになる。
今回の探索は、県道339号線の陸橋の先からになる。
それがこのあたりになる。
やたら線路敷が広くなっているが、ここが東北本線と水戸線間の短絡線の分岐があっ
た場所になる。
やたら線路敷が広くなっているが、ここが東北本線と水戸線間の短絡線の分岐があっ
た場所になる。
東北本線下り方から水戸線へはスイッチバックになっていた配線だったものを、昭和
25年(1950)に短絡線を造り、主に貨物列車の通過に使用したようだ。
この短絡線と言えば455系「急行つくばね」(上野~大宮~間々田~結城~友部~
水戸~勝田・区間は昭和49年当時)を思い出す方も居られよう。
私も乗車こそしなかったが、「つくばね」を上野駅まで見に行った覚えがある。
なので短絡線の存在は40年以上前から知っていた。昭和61年に廃止された事も覚
えていた。しばらく線路はそのままだったが、平成18年(2006)頃に線路が撤
去された事もまた記憶していた。
にもかかわらず、これまでこの場所を訪問した事がなかった。
ちょっと、今さら感はあるが、辿ってみようと思う。
25年(1950)に短絡線を造り、主に貨物列車の通過に使用したようだ。
この短絡線と言えば455系「急行つくばね」(上野~大宮~間々田~結城~友部~
水戸~勝田・区間は昭和49年当時)を思い出す方も居られよう。
私も乗車こそしなかったが、「つくばね」を上野駅まで見に行った覚えがある。
なので短絡線の存在は40年以上前から知っていた。昭和61年に廃止された事も覚
えていた。しばらく線路はそのままだったが、平成18年(2006)頃に線路が撤
去された事もまた記憶していた。
にもかかわらず、これまでこの場所を訪問した事がなかった。
ちょっと、今さら感はあるが、辿ってみようと思う。
とその前に、この柵、ラックレールも連想するが、恐怖心をあおるなあ。
分岐した直後の路盤跡を、柵の尖りに気をつけながら撮影した。
少し進み、道路側から見る。
このあたりは花壇になっているようだ。
このあたりは花壇になっているようだ。
現在地はここ
その先の、おそらくは踏切だった場所から、その花壇を写してみた。
同じ場所から間々田方向を見る。
この場所が境目で整備状況がかなり違うようだ。
(後編につづく)