【15年5月4日探索・6月29日公開】
現在地はここ
まずは左側、mapion地図では黄色の県道色に塗られている方へ行ってみよう。
この道は元々の県道49号だった道になるが、現道開通(1995年~2000年
の間・航空写真による確認)と引き換えに行き止まりになってしまったようだ。
この道は元々の県道49号だった道になるが、現道開通(1995年~2000年
の間・航空写真による確認)と引き換えに行き止まりになってしまったようだ。
路面もいい味出しているのだが、ここでの注目は右側の、何??
過去、一方通行だったなんて事はないと思う。カーブを示していたものだろうか?
この、デリニエーターに標識を装着したようなものだが、補助標識が付いている。
それを目を凝らして見てみると「路肩○○」と書いてあったのをどうにか解読できた。
○○は「注意」か「弱し」あたりなんだろうと思う。
それを目を凝らして見てみると「路肩○○」と書いてあったのをどうにか解読できた。
○○は「注意」か「弱し」あたりなんだろうと思う。
設置者を確認できればよかったのだが、それは叶わなかった。
先に進む。
右のカーブミラーの設置者は群馬県だった。
右のカーブミラーの設置者は群馬県だった。
終端が見えてきた。
どうも私有地っぽい雰囲気だったのでこれにて撤収する。
ただ、この左側に設置されていたものが気になった。
どうも私有地っぽい雰囲気だったのでこれにて撤収する。
ただ、この左側に設置されていたものが気になった。
銀色に塗られていたが、ワム80000形であろうか。
おそらくは物置としての再利用だろう。
おそらくは物置としての再利用だろう。
上の画像と同じ場所で振り返り撤収方向(来た方向)を見た。
実は、一方通行的な標識付デリニエータは、カーブミラーを挟み2本設置されていた
のだった。
のだった。
現在地はここ
分岐まで戻り、右側の道に行く。
ここに保存?されていたのは「オハ12 334」だった。
昭和52年(1977)富士重工製、平成9年(1997)廃車、廃車当時の所属は
JR東日本高崎車両センターだった。
払い下げられてここにやってきたのだろう。
昭和52年(1977)富士重工製、平成9年(1997)廃車、廃車当時の所属は
JR東日本高崎車両センターだった。
払い下げられてここにやってきたのだろう。
天井にテレビアンテナが設置されているのだが、居住者がいるという事かな?
そして、なぜか方向指示幕が示す行先は熊本だった。
廃車当時のオリジナル方向幕に熊本が入っていたとはちょっと考えにくい。
後に何らかの手段で追加したものか?
廃車当時のオリジナル方向幕に熊本が入っていたとはちょっと考えにくい。
後に何らかの手段で追加したものか?
あと50mで現道に合流するのでこれにてレポ終了なのだが、その前に、左側の境界
柱に注目!
柱に注目!
「群巾」これは群馬県管理の道路に普通にある表記だ。
という事はmapion地図では白色の道路だが、この区間が一応県道という事になろう。
という事はmapion地図では白色の道路だが、この区間が一応県道という事になろう。
(おわり)