【15年3月22日探索・4月24日公開】
現在地はここ
吉原の集落内では1.2~1.5車線程度の道幅だった。
この吉原集落までは、県道75号線を経由しないルートでの路線バスがJR清水駅から運行されているが、平日7本、休日4本と決して多くない。
この吉原集落までは、県道75号線を経由しないルートでの路線バスがJR清水駅から運行されているが、平日7本、休日4本と決して多くない。
左の石碑のようなものは、徳川家康ゆかりの薬師如来であると刻まれていた。
江戸時代のものであれば感動モノだったが、大正6年建造だった。それでも充分古いが・・・
江戸時代のものであれば感動モノだったが、大正6年建造だった。それでも充分古いが・・・
軽乗用車の後ろ、右側を覗き込むと・・・
敷地同士をつなぐ、物干し橋が架かっていた。
集落を後にさらに進む。
それんしても、なかなか味わい深い県道だ。これで主要地方道なのだから、マニアにはたまらない。
現在地はここ
右側が封鎖されている橋があった。
ここは本来十字路になるはずの場所なのだが、ワケあって工事がストップしたままのようだ。
このあと、私は県道である真ん中の道を進むのだが、左の道にも寄ってきた。
その模様はまた後日・・・
その模様はまた後日・・・
橋の名はよしわらおおむかいはし(たぶん吉原大向橋)、平成19年11月に完成しているが供用されていない。
どうも布沢川ダムの工事中止による影響のようだが、完成している橋を供用しなくてもさほどの不便さはないのだろうか?
このあたりの県道はさほどの違和感はない。
ふと遠くに目を遣ると、中部横断道の橋脚が立ち並んでいた。
レポの終点、高山地区まではあと少しなのだが、このあたりからにわか雨が本降りになってきた。
舗装路なのにダブルトラックのような跡がつき、しかも苔むしている。
これが現役県道、しかも主要地方道なのだから、そのギャップ大きい。
これが現役県道、しかも主要地方道なのだから、そのギャップ大きい。
現在地はここ
雨がかなり降ってきて、レポの終盤では思うような画像が撮れなかったのだが、とりあえず険道区間の終わる高山地区にてレポは終わりにする。
私はこの場所にあった公民館の駐車場的な場所でしばらく雨宿りした。
上の画像の反対を向くと、探索日の時点ではこんな光景があった事を付け加えておこう。
(おわり)