【15年2月1日探索・3月16日公開】
山梨県上野原市大椚 中央自動車道には付替による廃道区間があり、私はその道のレポを09年5月に公開していた。
6年近くが経過したが、その後何が変わって、何が変わらないのか??
今回、同じ区間を反対側から再度巡ってみよう。
今回、同じ区間を反対側から再度巡ってみよう。
ここを左折する。
路面の大半は積雪が残っていた。
そんなほぼ廃道区間を進むと・・・
そんなほぼ廃道区間を進むと・・・
6年前には廃階段だと言った階段があった。
が、冬場だったせいかもしれないが廃のオーラが薄くなっていた。
現役に復活したのかも。
が、冬場だったせいかもしれないが廃のオーラが薄くなっていた。
現役に復活したのかも。
この「相模湖16カルバート」は変わっていないようだ。
唯一変化があったのは、バリケードが端に寄せられていた事だった。
唯一変化があったのは、バリケードが端に寄せられていた事だった。
「廃階段」を上ると、赤い鳥居の神社があった。
遊具がブランコだけというのも6年前と変わらないようだ。
遊具がブランコだけというのも6年前と変わらないようだ。
6年前は水道に蛇口があったが、今回それが取り払われていた。
階段を上がる。
この神社の説明は6年前の記事でしていたのだが、その時の表現を引用する。
この神社の説明は6年前の記事でしていたのだが、その時の表現を引用する。
★この神社は元々、旧甲州街道の旅の平安祈念の稲荷社で、中央道の現道上に位置する、かつて丸山と呼ばれていた場所にあったようだ。
中央道改築のため、平成14年にこの場所に移設を余儀なくされたようだが、「この地から再び交通の神として道往く旅人にご加護あらんことを」と締めくくられた文言が印象的だった★
中央道改築のため、平成14年にこの場所に移設を余儀なくされたようだが、「この地から再び交通の神として道往く旅人にご加護あらんことを」と締めくくられた文言が印象的だった★
交通の神様とは素晴しいな。
甲州街道が人馬から自動車交通へと変わり、さらに自らの移転の原因になった高速道路をも含め、暖かく見守っている事だろう。
甲州街道が人馬から自動車交通へと変わり、さらに自らの移転の原因になった高速道路をも含め、暖かく見守っている事だろう。
稲荷社脇の道を進む。
左側がオリジナルの中央自動車道の廃道になるが、この少し先にフェンスが設置されているので入れない。
左側がオリジナルの中央自動車道の廃道になるが、この少し先にフェンスが設置されているので入れない。
そんな廃道部分を見ながら進んでいくと、右側に看板があった。
これは以前と変わらないで欲しい。。
これは以前と変わらないで欲しい。。
「この先急カーブ」・・・
変わっていなかった。
変わっていなかった。
確かに、高速道路としては急カーブだった。
それゆえ、付替、廃道となる羽目になったのだ。
それゆえ、付替、廃道となる羽目になったのだ。
が、そのうち半分が廃道、半分が一般道(県道30号線のバイパス道となるはずなのだが)として供用されている現在としては、特に必要性がない看板である。
・・・が、趣味者としては高速道路仕様のものがそのまま使われている事は、希少性も含め、最高に嬉しい。
・・・が、趣味者としては高速道路仕様のものがそのまま使われている事は、希少性も含め、最高に嬉しい。
(中編へつづく)