【15年1月12日探索・3月9日公開】
現在地はこの辺
こんな完全廃道を進む中で、左の路肩に、信じがたいものが残っていた。
しかも、管理者は群馬県だった。
これで、昭和50年10月までこの道が県道であった(路線名は長野原倉渕線ではなく北軽井沢室田線であったと思われるが)事が確定的になった。
これで、昭和50年10月までこの道が県道であった(路線名は長野原倉渕線ではなく北軽井沢室田線であったと思われるが)事が確定的になった。
しかも路肩注意ポールは1本だけではなかった。
全部で3本も残存していたのだった。
全部で3本も残存していたのだった。
ただ、これだけクリティカルな場所でガードレール未設置な事はおろか、デリニエーターも無しのポールだけって、いくら昭和50年以前とは言え、大丈夫だったのだろうか?
だって、左は烏川の急流が流れていて、おそらく未舗装の悪路だった場所である。
絶対に夜間などは通りたくない。
絶対に夜間などは通りたくない。
ここで擁壁(?)側を見上げた。
先ほどの発言を訂正しよう。
夜間だけではなく昼間でも通りたくない。
それにしても現役時代から、こんなだったのか??
あるいは何らかの人工物は既に完敗しているという事か??
夜間だけではなく昼間でも通りたくない。
それにしても現役時代から、こんなだったのか??
あるいは何らかの人工物は既に完敗しているという事か??
左の方に、橋が架かっているのが見えてきた。
橋はこれまでの壊滅的旧道から比べたら、非常に完全な形で残っていた。
つうか、何でフェンスが設置されているんだ??
つうか、何でフェンスが設置されているんだ??
現在地はこの辺
ここで烏川を渡っているのは蛇淵橋(親柱の漢字が鮮明でなく「ブチ」の漢字が違う可能性あり)、昭和31年11月竣功である。
橋の中央に盛り上がっている場所があるが、水道関連施設であろうか?
反対側にもフェンスが設置されていた。
これをクリアすれば、この廃道区間の探索は成功する。親柱までは登ったのだが、その先のフェンスの脇抜けをするには凍りかけの苔と凍った雪があまりに危険だった。
これをクリアすれば、この廃道区間の探索は成功する。親柱までは登ったのだが、その先のフェンスの脇抜けをするには凍りかけの苔と凍った雪があまりに危険だった。
いつ崖崩れが起きるかわからない廃道を戻るのと、どちらがリスクが少ないかを考えた結果、私は来た道を引き返す事にした。
約8分をかけ、現道の蛇渕橋に復帰した。
旧県道はこの先もまたアイスバーンが続くようだ。
今度は上り坂になるようだが、大丈夫かな??
旧県道はこの先もまたアイスバーンが続くようだ。
今度は上り坂になるようだが、大丈夫かな??
橋を渡りさらに20mほど進んだところで右を向くと、先ほど私が渡りきれなかった旧橋が見えた。
(その4へつづく)