【14年9月20日探索・10月13日公開】
現在地はここ
左には廃車がある。右の建物は物置、かな?
画像より手前の建物には住んでいる方がいるようだ。
画像より手前の建物には住んでいる方がいるようだ。
その建物の向こう側にあったのは・・・
二宮金次郎?
よく観察しなかったのだが、石像だろうと思う。
座っているのもレアだし、カラーなんて初めて見た。
背負っている薪もちょっと違うような・・・
顔も他で見たものとは違うが・・・二宮金次郎か?
よく観察しなかったのだが、石像だろうと思う。
座っているのもレアだし、カラーなんて初めて見た。
背負っている薪もちょっと違うような・・・
顔も他で見たものとは違うが・・・二宮金次郎か?
30mくらい進むと、遊歩道の分岐があった。
左を覗いてみると・・・
左を覗いてみると・・・
橋が架かっていた。
木橋だが、比較的最近架けなおしたものに見えた。
木橋だが、比較的最近架けなおしたものに見えた。
このあたりがこちらのサイトの青焼き地図に書き込まれていた「スケートサーフ」「養魚場」になるはずだった場所だが、それを思わせるような地形は見当たらなかった。
現在地はここ
さらに50mくらい進み、分岐がある場所まで来た。
この分岐はどちらに行っても集落があるようだが、レジャー計画の何かがある事は期待できなかったので、この場は撤収する。
この分岐はどちらに行っても集落があるようだが、レジャー計画の何かがある事は期待できなかったので、この場は撤収する。
現在地はこの辺
奥多摩湖畔まで移動してきた。
奥多摩湖は小河内ダムによってせき止められた人造湖で昭和32年に完成している。
戦前より建設が始まっており、旧小河内村の大部分が湖底に沈んだ事は割と有名な話だ。
戦前より建設が始まっており、旧小河内村の大部分が湖底に沈んだ事は割と有名な話だ。
そんな奥多摩湖は完成当時、水道専用の湖では世界最大だったそうで、それを観光資源として活用しようと考えたのが西武鉄道だった。
通称・水根貨物線を買収したのも(現在は奥多摩工業が所有)まさにその表れで、西武新宿から直通特急を走らせる計画だったとの話もある。上水線を延伸し拝島線として開業したのもそのためだったとの噂もある。
ほぼ同じ場所から地図で1時の方向を撮影する。
先ほど撤収した少し先の水根集落って、あんなに高い位置にあったんだ・・・
先ほど撤収した少し先の水根集落って、あんなに高い位置にあったんだ・・・
少し進むと、2つのコンクリ構造物があった。
左は砕石場跡で、ダムのコンクリート製造のためにこに造ったようだ。
そういえば以前、もっと水が引いた時にも見たことがあったな。
(ごめんなさい、画像が探せませんでした)
(ごめんなさい、画像が探せませんでした)
ちょっと見には落石防護の構造物かと見えるのだが、砕石場と何か関係あるものだったのかもしれない。
そんな「守られた」歩道なのだが、その天井には草が上から生えていたのだった。
こんな穴が開いていた?のであれば、ここは落石防護用ではなく、ホッパーでもあったと考える方が自然だろう。ベルトコンベアで砕石場まで繋いでいたとか?
現在地はここ
青焼き地図に書き込まれていた「モータープール」は現在の駐車場の位置と同じと考えてよさそうだ。
この先の、ケーブルカー計画の夢の跡を探しに行こう。
(その3へつづく)