【14年8月3日探索・10月8日公開】
日本道路公団の境界柱の場所から、回れ右をして、本来の進行方向へと向き直った。
矢印の、右側の道に進む。
矢印の、右側の道に進む。
地図ではゲートがあるという描かれ方で、現実もまったくその通りになっていた。
この先が気になるなあ。そもそも東名高速の新都夫良野トンネルの横坑のような終点が気になる。
まさかとは思うが中央自動車道のここのような用途があるかもしれないし・・・
この先が気になるなあ。そもそも東名高速の新都夫良野トンネルの横坑のような終点が気になる。
まさかとは思うが中央自動車道のここのような用途があるかもしれないし・・・
ここで私はある発見をしたのだった。
それは・・・
立入禁止の明示がどこにもされていない!!
それは・・・
立入禁止の明示がどこにもされていない!!
という訳で、ヘリオス号は待機、やや後ろめたさはあるものの「立入禁止」を突破していないという落ち着いたキモチでこの先に進む事にした。
それにしても、のっけからこれか。この先、もっと荒れているのか?
この道路、メンテがされていないようだ。
工事用の道路であろう事は、1983年の航空写真には道路が確認できないが1993年の航空写真にははっきりと写っている事からも間違いないと思う。
新都夫良野トンネルを含む別ルートは1991年の供用開始なので、その工事用道路はちょうど昭和から平成になる頃に造られたと見てはずしていないだろう。
工事用の道路であろう事は、1983年の航空写真には道路が確認できないが1993年の航空写真にははっきりと写っている事からも間違いないと思う。
新都夫良野トンネルを含む別ルートは1991年の供用開始なので、その工事用道路はちょうど昭和から平成になる頃に造られたと見てはずしていないだろう。
その先は大きなヒビ等はないようだ。
元は舗装路であったはずの道路だが、現在では乗用車の走行でやっとくらいだ。
ところで、ここ山北町だが私の中では「隠れ避暑地」と位置づけている。
この日のさいたま市の最高気温は35℃だったが、山北町の正午前後の体感温度は29℃くらいだった。
夏場の探索では少しでも涼しそうな場所を探すのだが、このあたりもけっこう涼しかった。
この日のさいたま市の最高気温は35℃だったが、山北町の正午前後の体感温度は29℃くらいだった。
夏場の探索では少しでも涼しそうな場所を探すのだが、このあたりもけっこう涼しかった。
矢印を付け忘れたが、ガードレールのカーブ地点に何かがある!
日本道路公団の境界柱はいいとして、そのとなりの石仏が、その場ではわからなかった。
帰宅後に調べたら、三面八臂の頭の上に馬の頭、の特徴から馬頭観音であろう事が判明した。
帰宅後に調べたら、三面八臂の頭の上に馬の頭、の特徴から馬頭観音であろう事が判明した。
さあ、ラストだ~
現在地はここ
横坑に着いた。
が、残念ながらここには非常時の避難通路などの機能はなかった。
が、残念ながらここには非常時の避難通路などの機能はなかった。
中は見えないが高速本線までつながっているものと思われる。
かつて荷物の搬入などに使用されたのだろうが、ここまでの道路の状態も踏まえて推測すれば、現在は利用されていないのではなかろうか。
かつて荷物の搬入などに使用されたのだろうが、ここまでの道路の状態も踏まえて推測すれば、現在は利用されていないのではなかろうか。
いったん撤収し、新都夫良野トンネル東京方近くにあるもう一つの横坑を見に行こうと思う。
(その3・最終回につづく)