【14年3月2日探索・9月22日公開】
現在地はここ
東京都北区赤羽台 赤羽界隈はかつて軍都で、いくつもの日本軍の施設があった。
施設としてはそのひとつになる。明治39年(1906)陸軍は現在の味の素フィールド西が丘の場所に兵器支廠を造り、明治41年には赤羽駅の北側より分岐する専用線を敷設した。
施設としてはそのひとつになる。明治39年(1906)陸軍は現在の味の素フィールド西が丘の場所に兵器支廠を造り、明治41年には赤羽駅の北側より分岐する専用線を敷設した。
その分岐地点がここから少し遠望する東北本線だったようだ。
そして、この八幡神社参道もかつては線路だった場所だそうだ。
そして、この八幡神社参道もかつては線路だった場所だそうだ。
東北・山形・秋田・上越・北陸新幹線の高架をくぐる。
道路を挟んだ先に廃線跡の道が延びている。
道路を挟んだ先に廃線跡の道が延びている。
まあ、普通の道路になったわけだが、今でも専用線の名残がある。
「エ」マークこそないが、国鉄の境界柱だ。
現在地はここ
そして、ここから先は区立赤羽緑道公園になる。
線路は残っていないが、線路をモチーフにした模様のタイルが線路だった事を物語っている。
跨道橋があった。
一瞬、当時のものかと期待したが、そんなはずはなかった。
一瞬、当時のものかと期待したが、そんなはずはなかった。
一応雰囲気はあるけどね。
その先には鳥のモチーフがあった。
おおっ!
私の好きなイカルだ!
ここにも来るのかな??
私の好きなイカルだ!
ここにも来るのかな??
現在地はこの辺
基本、線路模様の遊歩道を黙々と歩いているだけなんだが、ちょっとでも変わった空間があると寄り道をしたくなる。
画像でどこまで伝わるのか?という疑問があるが、ここは斜めになった別の階段が2箇所あるという、けっこうレアな場所だったのだ。
遊歩道に戻る。
進んでいくと駅のプラットホームを彷彿とさせる構造物があった。
しかし、この専用線には途中駅はなかったはずだし、そもそも貨物専用線だったはずで、このようなプラットホームはなかった可能性が高い。
遊歩道化計画に、筋金入りの鉄っちゃんは入っていなかったと見た!
進んでいくと駅のプラットホームを彷彿とさせる構造物があった。
しかし、この専用線には途中駅はなかったはずだし、そもそも貨物専用線だったはずで、このようなプラットホームはなかった可能性が高い。
遊歩道化計画に、筋金入りの鉄っちゃんは入っていなかったと見た!
(後編につづく)