Quantcast
Channel: 埼玉発 おとなの小探険
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2255

群馬県下仁田町 国道254号旧道・Wikipediaの挑発に乗ってみる(その3・最終回)

$
0
0
【14年7月6日探索・8月15日公開】

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_0?1408029204

現在地はここ

現道を下ってきた。2号橋からここまでの間では途中に入っていけるような道はなかった。

そして、現道1号橋のところで左手に廃っぽい旧橋を見つけたのだが、先ほど2号橋から見えた橋とは明らかに違う橋だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_1?1408029204

ちょうどここはバイパス道、旧道、廃道のジャンクションになっているようだった。
バイパスは新小屋場橋(昭和60年3月完成)を渡り下仁田市街地方面へ向かい、旧道を行けば小屋場橋を通り、その先約1.6kmほどには旧落合橋が架かっている。
そして・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_2?1408029204

150度くらいのカーブで、これを曲がると・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_3?1408029204

すぐに気になる橋の袂に着いた。
当然、すぐに親柱を確認する。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_4?1408029204

この橋が内山橋だった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_5?1408029204

そしてWikipediaに示されていた通り「縣道富岡野沢線」の銘版も発見できた。
さらにはこの川が「市野萱川」だという事はわかったのだが、この橋の竣功年についての情報は得られなかった。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_6?1408029204

しつこいようだが、この(ほぼ)廃橋は現道のすぐ隣に架かっている。

それにしても情報がなかったので、場所もわからなかったのだが、無事に発見できてよかった~。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_7?1408029204

それでもまだ2号橋から見えた廃橋が気になる。
この先、まだ行けるようなのでヘリオスに乗車したまま進む。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_8?1408029204

舗装されていないようだが、これが現役当時からこうだったのかどうかは不明だ。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_9?1408029204

右カーブを曲がった先に、橋が見えて来た。




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_10?1408029204

このガードレールのある橋こそが現道2号橋から見えた廃橋だった。
橋の名は荒船橋、竣工は・・・昭和50年3月だった。
昭和50年と言えば既に現道の内山道路の工事には入っているので、その工事に伴う架け替えの橋である可能性もある。

いずれ再調査に必要もあるかも・・・




http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-3b-a6/takaratta_1152/folder/1619027/07/54475807/img_11?1408029204

最後に内山橋と荒船橋が描かれている地図を載せておこう。
この地図は「今昔マップ」というサイト様内のものを拝借、加工しているが、元の5万分の1地形図「御代田」は、内山隧道が描かれていた(昭和53年供用)事から、おそらく昭和56年発行版であろうかと思われる。

(おわり)

  

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2255

Trending Articles