【14年7月6日探索・8月15日公開】
現在地はここ
現道を下ってきた。2号橋からここまでの間では途中に入っていけるような道はなかった。
そして、現道1号橋のところで左手に廃っぽい旧橋を見つけたのだが、先ほど2号橋から見えた橋とは明らかに違う橋だった。
ちょうどここはバイパス道、旧道、廃道のジャンクションになっているようだった。
バイパスは新小屋場橋(昭和60年3月完成)を渡り下仁田市街地方面へ向かい、旧道を行けば小屋場橋を通り、その先約1.6kmほどには旧落合橋が架かっている。
そして・・・
バイパスは新小屋場橋(昭和60年3月完成)を渡り下仁田市街地方面へ向かい、旧道を行けば小屋場橋を通り、その先約1.6kmほどには旧落合橋が架かっている。
そして・・・
150度くらいのカーブで、これを曲がると・・・
すぐに気になる橋の袂に着いた。
当然、すぐに親柱を確認する。
当然、すぐに親柱を確認する。
この橋が内山橋だった。
そしてWikipediaに示されていた通り「縣道富岡野沢線」の銘版も発見できた。
さらにはこの川が「市野萱川」だという事はわかったのだが、この橋の竣功年についての情報は得られなかった。
さらにはこの川が「市野萱川」だという事はわかったのだが、この橋の竣功年についての情報は得られなかった。
しつこいようだが、この(ほぼ)廃橋は現道のすぐ隣に架かっている。
それにしても情報がなかったので、場所もわからなかったのだが、無事に発見できてよかった~。
それでもまだ2号橋から見えた廃橋が気になる。
この先、まだ行けるようなのでヘリオスに乗車したまま進む。
この先、まだ行けるようなのでヘリオスに乗車したまま進む。
舗装されていないようだが、これが現役当時からこうだったのかどうかは不明だ。
右カーブを曲がった先に、橋が見えて来た。
このガードレールのある橋こそが現道2号橋から見えた廃橋だった。
橋の名は荒船橋、竣工は・・・昭和50年3月だった。
昭和50年と言えば既に現道の内山道路の工事には入っているので、その工事に伴う架け替えの橋である可能性もある。
橋の名は荒船橋、竣工は・・・昭和50年3月だった。
昭和50年と言えば既に現道の内山道路の工事には入っているので、その工事に伴う架け替えの橋である可能性もある。
いずれ再調査に必要もあるかも・・・
最後に内山橋と荒船橋が描かれている地図を載せておこう。
この地図は「今昔マップ」というサイト様内のものを拝借、加工しているが、元の5万分の1地形図「御代田」は、内山隧道が描かれていた(昭和53年供用)事から、おそらく昭和56年発行版であろうかと思われる。
この地図は「今昔マップ」というサイト様内のものを拝借、加工しているが、元の5万分の1地形図「御代田」は、内山隧道が描かれていた(昭和53年供用)事から、おそらく昭和56年発行版であろうかと思われる。
(おわり)