【14年7月6日探索・8月13日公開】
現在地はここ
群馬県甘楽郡下仁田町南野牧 探索順としてはこの続きになる。
なぜ内山峠方向に行きたかったのか?
それは国道254号線旧道について調べていたときにWikipedia内山峠の項目を見て、ある記述がひっかかったからに他ならなかった。
その部分を引用する。
「旧道」項目にある記述で「群馬県の鉄道会社である上信電鉄のバスが神津牧場へと行くためにかつてこの峠道を利用していて、カーブの所々にカーブの番号(○○号)を記した石柱があり、現役国道としてバスなどが行き来していたころの名残を残す」という部分と「脚注」項目にある「群馬県側の旧道(実質廃道)には「縣道富岡野沢線」の文字が記された石橋(内山橋)が残っている」である。
それは国道254号線旧道について調べていたときにWikipedia内山峠の項目を見て、ある記述がひっかかったからに他ならなかった。
その部分を引用する。
「旧道」項目にある記述で「群馬県の鉄道会社である上信電鉄のバスが神津牧場へと行くためにかつてこの峠道を利用していて、カーブの所々にカーブの番号(○○号)を記した石柱があり、現役国道としてバスなどが行き来していたころの名残を残す」という部分と「脚注」項目にある「群馬県側の旧道(実質廃道)には「縣道富岡野沢線」の文字が記された石橋(内山橋)が残っている」である。
さっそくググってみたが、ウェブ上にはそんな廃橋などの情報は一切無かった。
もちろん地図も調べたが、内山橋という橋が一体どこにかかっているのかも特定は出来なかった。
もちろん地図も調べたが、内山橋という橋が一体どこにかかっているのかも特定は出来なかった。
オブローダーへの挑発のような記述だが、これは乗って見るしかなかった。地図とにらめっこしながら、何箇所かの候補地は上げたのだが「内山橋」という名前である以上、内山峠の近くである事が否定し切れなかったのだ。
ゆえに、土砂崩れのためにこの先に行けない事は、この時点では大変恨めしかったのだった。
ゆえに、土砂崩れのためにこの先に行けない事は、この時点では大変恨めしかったのだった。
が、そんな事を言っていても仕方が無いので、通行止めでない側に旧国道を下っていく。
途中、いくつか小さな橋が架かっていたが、「内山橋」らしい橋はなかった。
そもそもほぼ廃橋であるらしいので、現橋の隣とか近くに架かっている橋がその目的となるはずなのだが。
そもそもほぼ廃橋であるらしいので、現橋の隣とか近くに架かっている橋がその目的となるはずなのだが。
ヘアピンカーブを曲がっていく。
地図上での具体的な位置が示せないが、下り始めて半分にはなっていないあたりだ。
この先のカーブ地点に何かが建っているのを発見した。
この先のカーブ地点に何かが建っているのを発見した。
Wikipediaの挑発のひとつめはそれほど苦労もせずに発見できた。
確かに上信電鉄の石柱である。
この道を大型バスが走っていたなんて、さぞ大変だったろう。
確かに上信電鉄の石柱である。
この道を大型バスが走っていたなんて、さぞ大変だったろう。
そのすぐ先に建っていた標識なんて・・・
このサイズ感とL字鋼の支柱なんて、林道スペックの標識だろう。
まったく国道だったなんて思えないような道が続く。
まったく国道だったなんて思えないような道が続く。
石柱だが、20番と16番は発見できた。
その先のカーブには・・・
その先のカーブには・・・
14番・・・なのだが、地名が「神津」ではなく「荒船」になっていた。
この石柱、他にも何か情報がないかな・・・
横に刻まれていたのは「横浜子供会」の文字だった。
下仁田町には横浜という地名は無いようだ。近隣の町の地名、あるいは人名か?はたまた神奈川県横浜市の事なのか? 謎だけが残った。
とは言え、ひとつはWikipediaに書かれていた事が検証できた。
あとは「内山橋」を探す。この場所よりも下にあるならいいけど・・・
(その2へつづく)